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2010年2月 7日 (日)

言葉にすることの大切さ

いつものことですが、前回記事「岐路に立つ民主党 Part2」も非常に長い書き込みとなっていました。いつも文字ばかりが並ぶ当ブログの記事をお読みいただいている皆さんには本当に感謝しています。大勢の皆さんに閲覧いただいていることが、週1回欠かさず更新していく大きな励みとなっています。また、多くのコメントが寄せられることで、幅広い視点や立場からのご意見に接することができる貴重な機会となっていました。

当然、長々と書き進めれば、いろいろな内容を盛り込んでしまうため、訴えたい点が拡散しがちでした。前回記事のコメント欄で多様な中味のご意見やご指摘を受けていますが、たいへん恐縮ながら今回の記事では政治的な話題を取り上げることの是非に絞って、まとめてみるつもりです。実は水曜の朝、とおるさんと九州男児さんからのコメントに対し、私から次のようにお答えしていました。

お二人の心遣いが感じられるコメントをいただき、改めて前回と今回の記事が大多数の方々に違和感を与えていたということを重く受けとめています。昨夜、記したことですが、政治的な話題の取り上げ方については、より慎重にならなければと考えています。とおるさんのご指摘について、「公務員側の言い分」を理解いただくという第一の目的からすれば、あえて「火中の栗」を拾うテーマ選択がマイナスに働く意味合いも充分理解できます。ただ今回の記事本文で触れたような趣旨も重視しているため、今後、一切「封印」するとまで言い切れませんが、前述したような姿勢を強く心がけていくつもりです。

その後も、元役員さんから提起された沖縄の基地問題などに対する議論が続く中、とおるさんから次のようなコメントもお寄せいただいていました。

こういう話は、価値観を全く異にする人間同士でいくら議論してもわかり合えないし、話が解決に向かわないのです。それが「基地問題を含めた政治全般」のテーマで語ることの難しさで、OTSUさんには「火だるまになってほしくない」し、そのことで「公務員に対して敵意を持つ方を増やす結果につながりかねないことは、OTSUさんが望む結果なのだろうか?」と思うのです。是を非とはいいませんが、「今後、一切「封印」するとまで言い切れませんが、前述したような姿勢を強く心がけていく」に期待しています。

とおるさんのご心配や述べられている趣旨について、たいへん有難く思いながら真摯に受けとめています。合わせて、むかし民間、今・・さんの自治労に属する組合が「市民から見ればカルトと思われるのも仕方のない」という問題意識も理解しています。以前、このブログへもコメントをお寄せいただいたさつま通信さんが、実質的に運営されている「竹原信一後援会」というサイトがあります。よく閲覧していますが、自治労を敵視した記事の多さには非常に残念な思いを強めています。

当事者である自治労に属する組合の役員の立場として、基本的に自治労に対する思い込みや先入観による批判が多いように感じていました。このような傾向は一部のマスコミやインターネット上でも、よく見受けられる話でした。一方で、むかし民間、今・・さんは自治労の組合員ですから、その批判は実際に見られている事例に対するものであることも間違いありません。ただその中には、すぐに改めなくてはならない事例もあるのかも知れませんが、視点を切り替えれば組合として「守るべきもの」も多く含まれているはずです。

さて、政治的な話題の取り上げ方について、慎重を期する考えをお伝えしました。したがって、今回の記事で普天間基地の問題など、具体的な内容に踏み込むつもりはありません。あくまでも当ブログにおけるテーマ設定や位置付けに関し、改めて私自身の心構えなどを綴らせていただきます。先ほど述べたとおり前回記事は内容を盛り込みすぎたため、訴えたかった点が散漫になっていました。そのような訳で、今回の論点につながっている箇所については、そのまま再掲させていただきます。

公務員組合の政治的な活動そのものに様々な評価があることも承知しています。しかし、現状の組合方針は政治的な活動も大切な一つの領域としています。このような位置付けがあるため、このブログを通し、あえて選挙戦や平和の問題に関しても数多くの記事を綴ってきました。組合員の皆さん、さらに不特定多数の皆さんに対し、自治労や私どもの組合が考えていることを発信していく大切さを感じているからでした。

以上のような問題意識があったとしても、とおるさん、むかし民間、今・・さんらのアドバイスに従うことが賢明な判断なのかも知れません。しかし、視点や立場の異なる方々に対し、自分の考えていることを言葉にして伝えない限り、接点を見出す機会は永久に訪れないことも確かです。この考え方は組合の内部に向けても当てはまる話でした。むかし民間、今・・さんのように見ている自治労組合員は、決して少数派ではないはずです。

現在の組合方針に対して様々な評価があり、組合員の中でも賛否の分かれている面があることも否めません。それでも組合の方針は、執行部だけで決めているものではなく、運動の方向性にも決定的な誤りがある訳ではありません。さらに法的な面からもコソコソ隠し立てするようなものはなく、「なぜ、私たちはそのように考えているのか」という論点を適確に発信していく努力こそ、大切な試みだと思っています。

なお、これまでブログを通して主張している内容は、実際の場面でも同じように主張しています。先日、平和運動の地区センターの連絡会が発足しました。強く固辞していましたが、最終的には代表を引き受けることとなりました。担う限りは自分なりの思いを率直に示そうと考え、発足にあたって様々な問題意識を訴えさせていただきました。経験豊富な他の産別や単組役員の皆さんを前にし、たいへん僭越なことであり、失礼に当たる言葉も多かったかも知れません。

幸いにも白けた雰囲気にはならず、前向きな一つの議論ができたものと受けとめています。その会議に参加された皆さんの懐の深さに心から感謝しています。私が提起した主な論点は、平和運動に対する組合員の認識が多様化している現状、反戦平和に関する取り組みの目的とその効果の問題などでした。その上で今後、「なぜ、この運動に取り組むのか」というとらえ返しを重ね、その議論などを踏まえ、組合員へ効果的な情報宣伝活動に努める必要性を訴えました。

また、運動が毎年の恒例行事のようになり、「運動そのものが目的化していないかどうか」という意見も投げかけました。組合員から見た組合費の使われ方の問題と合わせ、組合役員の任務への負担が増している現状を考え、「運動の仕分け」の是非も提起させていただきました。それに対し、「継続することの大事さ」や「一地域だけで判断できない問題が多い」というご指摘を受けています。

さらに連合の中で、始めから議論そのものができないという垣根を作らず、様々なテーマに対して産別間で率直な議論を進めていくことの大切さを述べさせていただきました。逆に連合内でも意見がまとまらないような方針だった場合、国民全体へ共感の輪を広げることも期待できず、まして政権与党の政策判断に影響を与えることは非常に難しいという意見を付け加えていました。

ここでブログの話に戻ります。以上のような問題意識があり、広く共感の輪を広げるための一つの手法として、インターネット上での情報発信の重要性を認識しています。その中で、政治的な話題を取り上げる際は、より慎重さに留意していかなければなりませんが、これからも必要に応じて「火中の栗」は拾っていくつもりです。付け加えれば、ネット上に掲げることで、その方針や考え方が普遍化していけるものなのかどうか、とらえ直す機会につながる意義も感じています。

このブログを開設して間もない頃、「2本のレールなのか?」という記事を投稿していました。今回の記事を書き込むにあたって、その「2本のレール」という言葉を思い出していました。とおるさんが懸念されているとおりテーマによっては、永久に交わることがない「2本のレール」なのか、近付く可能性もあるのかどうか分かりませんが、言葉にすることの大切さを信じたいものと考えています。

2009年末、改めて当ブログについて」という記事で、コメント欄での議論において「結論を出すことを目的としていません」と書きました。最近、『竜馬がゆく』(司馬遼太郎・著)の中で、次のような記述があることを知りました。この話は単に議論を否定するものではなく、「相手を尊重し、相手を否定しない」という竜馬の人柄を表しているそうです。私自身も議論することを無意味だとは思っていません。ただ簡単に結論を見出せない場合などは、それぞれの答えを押し付け合うのではなく、「なぜ、そのように考えるのか」という言葉を大切にし、いかに共感の輪を広げられるかどうかの競い合いだと考えています。

竜馬は、議論しない。議論などは、よほど重大なときでないかぎり、してはならぬ、と自分にいいきかせている。もし議論に勝ったとせよ。相手の名誉をうばうだけのことである。通常、人間は議論に負けても自分の所論や生き方は変えぬ生きものだし、負けたあと、持つのは、負けた恨みだけである。

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コメント

どうもあまりつながりのない沖縄問題など書き出してすみませんでした
今後、自嘲して閲覧だけとしたいと思います
プログ主催者の意図と外れて申し訳ありません

投稿: 元役員 | 2010年2月 7日 (日) 20時26分

元役員さん、さっそくご訪問ありがとうございます。

前回記事のコメント欄でのお話だと思いますが、「岐路に立つ民主党」というタイトルで、記事本文の最後で普天間基地に触れていました。したがって、「あまりつながりのない沖縄問題など書き出して」という言葉は、かえって私のほうこそ申し訳ありませんでした。

そもそも当ブログのコメント欄は、いろいろな話題に広がっていくことが珍しくありません。感情的な議論にならない限り、そのような議論の広がりも貴重なことだと考えています。ぜひ、これからも何かお気付きの点がありましたら、気軽にコメントをお寄せいただければ幸いです。

投稿: OTSU | 2010年2月 7日 (日) 20時56分

以前、「とおる」名で何度か書き込みをしていた者です。

OTSUさんも誤解はされていないと思いますが、現在のとおるさんは、私とは無関係な方です。

たぶん、昔のことなので覚えていらっしゃらないとは思うのですが、ログを探せば、同じ名前になっていますし、
ひょっとすると覚えている方もいらっしゃるかもしれないと思ったので、誤解を招かないように、ここで述べておきます。

投稿: 旧とおる | 2010年2月 8日 (月) 06時13分

旧とおるさん、おはようございます。

連絡ありがとうございました。ログの確認はしていませんでしたが、以前と比べて少し論調等が変わっていましたので、もしかしたら別な「とおるさん」かなとも思っていました。

投稿: OTSU | 2010年2月 8日 (月) 07時07分

ああ、すみません。旧とおるさんとは別人です。
過去の書き込みにあったような気もしたのですが、改めてざっと探してthorという方しか見つけられなかったので、いつも使っているHNをそのまま使ってしまいました。

差し支えなければこのまま使うか、「とーる」(・・笑)くらいに改名しようかと思います。

投稿: とおる | 2010年2月 8日 (月) 07時58分

とおるさん、おはようございます。

そうですね。ぜひ、それぞれの「とおるさん」が識別できるようにご協力ください。

なお、今回の記事本文に書き込んだとおり、とおるさんのご心配に対し、ストレートに応えるものとなっていません。そのあたりについても、ぜひ、ご理解いただけるようよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2010年2月 8日 (月) 08時17分

竜馬の議論観は、どうもディベート(debate)観のようですね。
私の考えている議論(discuss)とは、「分かり合う事」「解決する事」を目的にしていません。(多分出来もしないでしょう)
議論の当事者は「結論」を出しているでしょうが、議論の結論など出ないでしょうね。

それを(議論を)見ている人達に「多角的な多層的な情報や考え方を提供する」事を目的にしています。
自分達(議論の当事者)の為にやっているのではありませんし、勝ち負けの為にやっているのでもありません。
(可能性は低いが、どちらかが間違いに気づく事もあります)
従って、相手を否定しないのなら、(観点が同じと言う意味で)議論の必要はありません。

世の中には「義理と人情」があります。しかし、情は49%までで、情が理に優っては困ります。
情に負けて流されて行くと、結局は破綻し、その数倍の被害をもたらすと考えるからです。
ですから、相手に負けた恨みを抱かせる・・・という理由で議論を回避するのは愚かというしかありません。
(いたずらに恨みを抱かせる必要もありませんが)

まあ私の竜馬観は「尻軽男」ですから、(彼への)評価が厳しいのかもしれません。
スミマセン、気になったので転勤先から出張です。

投稿: あまのじゃく | 2010年2月 8日 (月) 11時55分

あまのじゃくさん、コメントありがとうございました。

引き続き、あまのじゃくさんが閲覧くださっていると言うことで、たいへん恐縮しながら良い意味での緊張感を高めています。今回のコメント、100%理解したと言い切れないところもありますが、「相手を否定しないのなら、(観点が同じと言う意味で)議論の必要はありません」というご指摘などは、私自身もその通りだと思っています。

その上で「Yes、But」の呼吸が必要であるものと感じています。その人にとって「正しいと考えている答え」を頭ごなしに否定されれば、感情面が先走った議論となりがちです。この辺のとらえ方に対する評価は、あまのじゃくさんと意見が分かれることを充分承知しています。ぜひ、このような考え方にこだわる者がいるという点についてのみ、ご理解いただければ幸いです。

投稿: OTSU | 2010年2月 8日 (月) 22時09分

この場はどちらかというとブレインストーミングに近いというか、相手の発想と違う視点で意見を出す場のように感じています・・。
「結論に向かって集約しようとする作業」という意味での議論とは性質は違いますね。
(OTSUさんにも、まとめるつもりは毛頭ないようですし)

ちなみに私は「自分の意見は正しい」とは思ってはいますが、「筋が通っている話」については理解をしようという意志は持っています。
一方で「相手を自分の意見にさせよう」とは思っていません。何回か書きました「自分の意見が正しい」と思っているもの同士が
説得し合ったところで、相手に聞く耳がなければそんなものは成り立たないからです。

「相手の矛盾」をいくら指摘しても、「矛盾を矛盾として見る気がない相手なら言うだけ無駄」ですし、「宗教・思想は強制して変えられるものではない」に近いですからね。

OTSUさんには私の言わんとすることを十分に理解されていると思うので特にそれ以上何かをいうことはないのですが、
願わくば、たまには正面から質問に答えてもらえたらいいかなぁと思う次第です(まあ、答えに困りそうなことばかり質問してる訳ですが)。

投稿: とーる(とおる) | 2010年2月 8日 (月) 23時05分

作物も一品種だけなら、特定の病気や災害で全滅すると聞きます。
そういう意味で「個性」とは神が我々に与えた「種の存続」の為の仕掛けでしょう。
様々な災害に対して「誰かが」得意として立ち向かい、「誰かが」生き残る。

OTSUさんの「Yes,but」は承知しております。
冒頭の考えによると、「Yes,but」だけでなく「Yes and yes」、そして「No,but」も当然必要です。
これからは寧ろ、私からのお願いです。

私のように「言下に相手を否定し、言い訳に対しても一切の情を与えない」者にもご理解を賜りたいのです。

投稿: あまのじゃく | 2010年2月 9日 (火) 09時49分

追伸:
情も49%までなら全て認めます。
情が過半数を超えて社会の方針を決めるようになったら危険です。

投稿: あまのじゃく | 2010年2月 9日 (火) 10時41分

とーるさん、あまのじゃくさん、コメントありがとうございました。

お二人のご意見、それぞれの主旨について私なりに理解できているつもりです。したがって、あまのじゃくさんの考え方や手法を否定するような意図は露ほどもなく、あくまでも「私はこのように考えています」という表明を続けているにすぎません。

また、視点の異なる者同士の議論において、矛盾を矛盾として自覚する場合があることを信じています。その確率を高めるためには、お互い相手側の主張を真摯に受けとめ合った議論が欠かせないものと考えています。

感情的な対立に至ってしまった場合、相手の述べている話が正論だと思っても、意固地になって聞く耳を持たなくなる場合があります。逆に日頃から一目置く相手の言い分は、自分の考えと異なる内容でも「〇〇さんが言うんだから」と真剣に思い返す機会となっていくのではないでしょうか。

いわゆる誠意がどう伝わるかというような「情」の話と言われれば、その通りなのかも知れません。その際は私自身も、あまのじゃくさんの「情は49%までで、情が理に優っては困ります」というご指摘が非常に重要なポイントだと受けとめています。

投稿: OTSU | 2010年2月 9日 (火) 21時55分

こんばんは。お久しぶりです。

OTSUさん、いつも丁寧な応対、お疲れ様です。
昨年の総選挙以後の政治や検察のことなどについては、私なりの思いもありますが、なかなか上手く言葉に出来そうもないので、まだ控えておきたいと思います。

今回のタイトルが「言葉にすることの大切さ」
まぁ、当然といえば当然なのですが、特にネット上でのやり取りは、文字だけでのコミュニケーションとなりますので、「ちゃんと伝わる」ということが大変難しいと感じています。私自身、過去に何度も「この人は何気なく書いているのだろうけど、受ける側としては憤りを感じる表現の仕方」をされたことがあります。
例えが悪いかもしれませんが、「バカ」という言葉。
お互いに会って(もしくは、もともと知っている者と電話ででも)、話している場面であれば、表情や声の強弱等により、何通りにも使えるものだと思います。例えば「非常に憤慨している」、「からかっている」、「揶揄している」、「甘えている」などです。
それが、ネット上での文字になると、発信側の意図が受け手にストレートに伝わるのか、私はかなり難しいのではないかと思います。

このため、発信側はかなりの丁寧さと謙虚さが必要で、受け手側には相手の真意をはかる努力と広い度量が必要なのではないかと思います。
この点、OTSUさんの組合役員という立場での発信やレスは、かなり難しいと思いますが、現実には、非常に丁寧に応対等されている姿勢に感心しています。
これから、お忙しい時期になられるかと思いますが、お身体に気をつけられて、がんばってください。

では、また機会があれば登場します(^^)

投稿: 地球人 | 2010年2月 9日 (火) 23時32分

地球人さん、おはようございます。

こだわりや進め方などに大きな誤りがないと振り返れる意味合いで、たいへん勇気付けられるコメントです。また、お気遣いの言葉も合わせ、ありがとうございました。ぜひ、これからも何かお気付きの点がありましたら、お気軽にコメントいただけますようよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2010年2月10日 (水) 07時17分

OTSUさんが代表に就任された平和運動の地区センター連絡会の活動はかなりの負担増ではないかと推測しています。
単組以外の活動では「会議の時間がやたら長い」、「欠席が多く定足数に常に達しない」など活動の意義が問われるものが
私の周辺では起こっており、どのように改善するかが課題となっています。(特定単組に負担が集中していることもあり解消も含め意見集約をしているのですが、なかなか進展しないですね・・)
OTSUさんが「運動の仕分け」の是非も提起されていることは大事なことですね。(「運動の仕分け」ができていないため、同じ取り組みが単組に2つ来るといった状況が続いており、この解消も常に議論の対象となっています。)

投稿: ためいきばかり | 2010年2月10日 (水) 20時42分

ためいきばかりさん、コメントありがとうございます。

同じような問題意識を共有でき、心強く思っています。このレスを通し、関連して補足させていただきますが、昨夜の「感情的な対立に至ってしまった場合、相手の述べている話が正論だと思っても、意固地になって聞く耳を持たなくなる場合があります」が「感情的になると、素直に相手の話を聞かない子供のような者がいるそうな」というような見方がされる場合もあり、本当に言葉の使い方は難しいものと感じています。

投稿: OTSU | 2010年2月11日 (木) 00時07分

この言葉にすることの大切さについての記述ですが、職員組合の内情をある程
度知ってしまった私にはやはり違和感を強く感じる内容と写ります。

その違和感の一つが組合における活動の優先順位についてです。先日のとおる
さんのコメントで労働組合の本質は「構成員全体の利益向上」との指摘があり、
まさにその通りと感じています。しかし現実の自治労組織は自分たちの職場に
は目を向けず「反戦・反基地」を旗印にした政治活動に重点を置いていると感
じさせられる事が多々起こります。

前回も書きましたが私どもの組合では、辺野古に組合員を派遣して座り込みを
させています。そして役所というところは組合執行部の職員が集中して配属さ
れている部署が必ずあり(その役所個々で微妙に部署は異なる様ですが)、今
回は係長と主査職を除いて担当4人の部署から何の引継ぎもなく3人が居なく
なる事態が起きています。
残された1人は「組合活動ですから後よろしく」とだけ言われたと憤っていま
したが、この忙しい時期に1人で仕事が回る訳がありません。以前居た部署と
いう事もあり嫌味を受けることを覚悟しつつ私が応援に駆けてつけて凌ごうと
しましたが、そこに組合の幹部が来て事務分掌以外の仕事に手をつけるのは如
何なものかと言われるにいたり、もう相手するだけ無駄だなと思うしかない状
況になったりもしました。
結局、組合の人間が居なくなった夜から残務を始め徹夜で片付けをし朝5時に
一度帰宅、その後また職場に戻り先ほど残務処理が終わったところです(もち
ろん手当てなんぞ付きません)。これが自治労に所属する労働組合のやり方で
あり、こういう事を経験するにつけ言葉にする前にやる事があるだろうと思う
訳です。これの何所が「構成員全体の利益向上」に繋がるのでしょうか、そし
て常々言葉にする前に猛省をお願いしたいと思うのは私だけなのでしょうか。

もちろん単組ごとに多少の違いはあるのは認めておりますが、短い役所生活で
も色々な事例を見る機会はあり、共通して感じるのは「義務よりも主張が優先
する」という部分です。つまり組合にとっては「仕事より反戦・反基地の方が
大事」なのだろうなと思わされます。
また「誰かが新しい仕事の仕方をすると自分たちもしなければならなくなる」
と考えるものでもあり、工夫する人間の邪魔を積極的にしたりもします。
こういう部分を周りから見ている者は敏感に感じており、この状況で何を言っ
ても当事者以外からの理解が得られる事は永久にないでしょう。やはり言葉に
する前に猛省をお願いしたいということになります。


さて組合が主張に用いる手段としては、ここの様なインターネットを用いる例
はまだまだ少数(なにぶんPCを敵視していたりもします)であり、主にはデ
モであったり署名であったりします。
署名については数があまりにも膨大で一々例を挙げる事は出来ませんが、その
主義主張は頭が痛くなるくらい極端なものが多く、しかもそれぞれ勝手な主張
で論理が一貫していません。職場で目にする度に「これらが全部実現すれば日
本は無くなるな」と思うのですが、集める立場の人間にはこの違和感を感じる
事は無いようです。多分この違和感を言っても理解されないので、署名が来て
も基本的に私は無視しますが、せめて勤務時間中に回すことは止めて欲しいと
思っています。時間の浪費です。

デモについてはさらに論外であり、OTSUさんは自由参加を強調されると思
いますが、どこの組織であっても「偉い人が自由参加と言ったら末端では強制
参加」となるのは常であり、各課何名とノルマが決められているのが現実です。
この事実を見ずに私は強制していませんと言っても通りません。まるでTVで
見る某幹事長の論理ですね。


話を戻して、今派遣されている辺野古周辺のデモや座り込みについては、その
地域の事を何も知らない人間が単に「反戦・反基地」を叫びたいが為に、この
活動後その地域に何が起きるか考えもせず、自分の主張をしたいという欲望を
満たすためだけの活動だと思っています。
このデモに他の地域から参加した人間は、その後辺野古に何が起こってもそれ
に興味を持つことは少ないでしょうね。ついでに観光して帰る程度でしょう。

基地問題はその地域に住む者にとっては深刻な問題点である一方、それは重要
な経済基盤でもあり、その移転により直性的な影響を受けるのは言うまでも無
く住民です。ですから、他地域の人間が無責任に煽ったりするべき事ではない
と考えます。しかし、すでに煽られまくって回答が示されても真に住民の意思
なのか判断が付かなくなってしまっていますが・・・・。
これだけ混乱させて自治労を初めとする労働組合は満足なんでしょうか。私に
は理解できません。

住民の方に対し思うことは、自分たちの意思で出したどんな結論に対しても、
後でこんな筈ではなかった泣き言だけは意地でも言わないで欲しいということ、
そして冷静に自分たちが望む結末を考えてくださいということだけです。


以上です。今回のコメントは感情的とか苛立ってると言われても否定しません。


追伸、
OTSUさんの記事の最後の3行ですけど、自分を絶対的に正しいと思ってい
るから言えるのだろうなと・・、OTSUさんを見てるとそう思います。

投稿: むかし民間、今・・ | 2010年2月11日 (木) 16時10分

んー
なんというか組合も時代錯誤な感覚しか持ち合わせてない上に役所側の対応も???ですねぇ。

一番気になるのは「組合執行部の職員が集中して配属されている部署」そんなことあるんですか?
状況がわからない状態なので的外れなコメントかもしれないのですが、仕事の効率性を考えたら、
逆になるんではないでしょうか?

つまり「たまたま同じ部署の人間が役員に立候補して当選した」のであれば人事として異動させるべきだし、
(組合活動うんぬんより、仕事として回らないなら、です)
「役員に当選した人間が同じ部署に配属された」のであれば、その人事異動に対して管理職(部長・課長)はむしろ反対すると思うのですが。

次に年次休暇は使用者側に「時季変更権」があるはずで、地方公務員でも同じではないかと思うのですが?
明らかに業務に支障を来すなら認めなければいいのでは?と思うので、なぜそうしないかが不思議なのです。
行事に役員全員行かなくてもいいだろうし、全員参加の行事がそんなにあるなら、業務に支障を来さないよう
部署を分散してもらう必要があるのではないか、と思う次第です。
あるいは年次休暇以外の何か特別な休暇になるんでしょうか?

民間だろうが公務員だろうが「会社あっての会社員、公務あっての公務員」ですよね。
であればまず業務を滞りなくさせるのが第一で、「管理者側」にはその環境を用意していない問題がありそうだし、
「組合側」も仕事放り出して行く(周りに支障が無いなら別ですが)というのも解せません。

あと、組合に入っているか非組合員かを問わず、身内に迷惑かけて平然としていられる組合なら、
いつか必ず「組合の存在意義を問われる危機」に直面すると思います。

組合に入るってことは組合費をもらうわけですよね。
つまり身内と言うだけでなく、「顧客」でもあるわけで、「非組合員」は「潜在的顧客」なわけです。
それらの「顧客&潜在的顧客」の満足度を高めるどころか背を向ける行為を平然としているようでは、
加入率維持できない(=収入が減って肝心なときに活動ができなくなったり、専従職員を置けなくなる)と
思うんですよね。

デモについては私は意見が違います。組合員から見たら組合なんていつでも抜けられる弱い組織じゃないんですか?
それとも非組合員は相当なイジメにあったり差別されたりするんですかね?もし前者なら、とうてい首に縄をつけて
引っ張るような行為はできないと思うんですよ。中日の落合監督が「練習は自主参加」と言っても実質強制参加になる
のは、「試合に出す出さないを決めるのが落合監督だから」だと思うんですよね。組合にはそこまでの権限ないのでは?

投稿: とーる(とおる) | 2010年2月11日 (木) 20時15分

むかし民間、今・・さん、 とーる(とおる)さん、コメントありがとうございます。

いつも感じていることですが、むかし民間、今・・さんの組合と私どもの組合、同じ自治労でも作風の異なりが伝わってきます。残された業務に支障が出るような中、辺野古の座り込みに3人も派遣させるという判断は疑問に思っています。当該の執行部の方からもお話を伺いたいところですが、むかし民間、今・・さんからの訴えを聞く限り、とーる(とおる)さんと同じような問題意識を抱かざるを得ません。

反戦運動のとらえ方などについて、むかし民間、今・・さんと私のスタンスの違いは、これまでのやり取りで明らかになっています。今後、機会があれば改めて掘り下げたいものと考えています。

なお、「自分を絶対的に正しいと思っているから言える」というご指摘ですが、確かに自分自身が正しいと思っていることをブログで発信しています。むかし民間、今・・さんも、自分が正しいと思っていることをコメントに託されているのではないでしょうか。

このような意見交換を経て、お互いがどのように感じ取っていくのか、また、閲覧されている人たちもどのように感じるのか、言葉を大切にした競い合いだと思っています。ちなみに私自身は「絶対」を付けない中で、もしかしたら自分の考え方にも誤りがあるかも知れないという「謙虚さ」は常に持ち続けているつもりです。

投稿: OTSU | 2010年2月11日 (木) 21時27分

とーる(とおる)さんへ質問への回答です。

> 一番気になるのは「組合執行部の職員が集中して配属されている部署」そん
> なことあるんですか?

A:あります。
うちの場合は収納部門の一つとはいえ本来的には楽な部署であり、定員もここ
だけは人員過多なくらい配置されています。ただ組合関係者全員が居なくなる
のは稀で、それも大抵は事前調整があります。青年部も一緒に動いた今回は想
定外だった様です。


> つまり「たまたま同じ部署の人間が役員に立候補して当選した」のであれば
> 人事として異動させるべきだし、(組合活動うんぬんより、仕事として回ら
> ないなら、です)

A:組合執行部の人事異動は組合の同意が必要です。
A:うちの組合執行部の選挙は、定員を超えた立候補は有り得ません。
あくまでもうちの場合ですが、誰が立候補するかは完全に組合執行部の専決事
項です。私の聞く限り20年以上は対抗馬は出ておりません。つまり楽なはず
の職場に意図的に集められています。


> あるいは年次休暇以外の何か特別な休暇になるんでしょうか?
A:その通りです。
こちらのコメントでも何度か問いかけましたが「職務専念義務免除申請」によ
り特別休暇扱いです。私の知る限りで、この申請が却下された事はありません。
何でも大昔に却下しかけたら不当労働行為だと騒がれたそうで。


> 民間だろうが公務員だろうが「会社あっての会社員、公務あっての公務員」
> ですよね。
A:そんな感覚はありません。
もし組合にその感覚が多少でもあれば、ここでコメントなんか書いていません。
なんとかしたいと色々ともがき苦しんでおります。


> それらの「顧客&潜在的顧客」の満足度を高めるどころか背を向ける行為を
> 平然としているようでは、加入率維持できない
A:理由は後述しますがキチンと訳があります。
うちの組合は文句を言わない職員のみが顧客ですね。


> それとも非組合員は相当なイジメにあったり差別されたりするんですかね?
A:その通りです。
組合に異を唱えた職員が、その後数年に渡り吊るし上げられて、結果として職
場を追われた事例もあります。
また私自身も組合に煙たがられて、職場を転々と移動する目に遭っていますし、
嫌がらせもキチンと頂いています。


> 組合にはそこまでの権限ないのでは
A:想像以上の権限があります。
外から見ていると判りずらいですが、ある程度の人事権も含め相当の権限が組
合にはあり、それが既得権を守るために行使されています。行政改革に携わる
身としては何とも厚い壁で、とにかく苦労しています。


OTSUさんへ

派遣されたのは3人ではなく、おそらく10数人は行ってると思います。組合
から距離を置いている身なので、正確な人数は知りません。OTSUさんの記
事を読み以前にも書きましたが、こちらの組合とはちょっと信じがたい位に違
うと感じています。どちらが自治労の中の平均なのか興味があります。

今の私には、組合に対する嫌悪と拒否反応が強く、こういう話題に冷静に対応
することが苦手です。お聞き苦しい点があり失礼しました。

投稿: むかし民間、今・・ | 2010年2月11日 (木) 22時25分

あ、「強制はされてないけど付き合いで仕方なく」というのはあるかもしれません。
組合との関係というより、参加してる人間との関係で。
部署ごとに順番に回してる場合、「私何回行ってるのにあなた行ってないでしょ」
とかそんな感じで言われたら、行きたくはないけど仕方なく参加しますよね。
まあ、わざわざ波風立てたくないですからね。実際集会に集まってる人間の大半は
そんな程度の意識しかないんじゃないですかねぇ。参加者に聞いた訳じゃないですけど。

今回の最後の(龍馬)文章は、

投稿: とーる | 2010年2月11日 (木) 22時34分

あ、しまった、消したつもりの最後の一行が残ってた・・

今回の最後の(龍馬)文章は、なんというか司馬遼太郎が感じた「龍馬の自信」なのでしょうね。
そして「議論に負けても自分の所論や生き方は変えぬ」議論でない行動の男龍馬の生き様を指しているように思いました。

・・でも勝海舟を切りに行って話に感銘を受けて弟子入りしたのも龍馬なんですけどね。

投稿: とーる | 2010年2月11日 (木) 23時01分

むかし民間、今・・さんの職場では、
ちょっと考えられないくらい、ひどい状況ですね。
(組合活動と称して、仕事を平気で抜ける、
 職務に専念する義務の免除申請が、通ってしまう)

かくいう私も、組合の青年部の役員やっていたことがありますが、
組合の会議の中で、
さんざん組合の方針には明らかに違う意見をガンガン言って、
組合の役員に、「まぁまぁ」となだめられることがありましたが、
私が、むかし民間、今・・さんの団体にいたら、
相当程度の仕打ちを、間違いなく受けるでしょうね、きっと。
---------------------------------------------------
沖縄の米軍基地がもたらす経済効果についてですが、
最近では、ちょっと様子が変わってきているようです。

米軍基地内での雇用がある、という点では、
雇用の機会は多少増えるものの、
経済活動という点では、ほとんど地元にお金が落ちなくなっている様子。
これは、近年の円高傾向により、
米軍兵の給料がドルベースでの支払であるが故に、
地元商店で購入すると為替差損による「目減り」が著しくなってしまいます。
そこで、米軍基地内にある小売り店舗にて、
生活必需品から娯楽まで、一切がっさいの消費行動を済ませてしまうため、
周辺の経済は、何も潤わない状況です。

この米軍基地内の小売り・娯楽施設は、
米軍兵とその家族しか利用できないため、
沖縄県民は、労働者として働くのみ、
ここでの購入はできないこととなっています。
まぁ、もっとも、一般住民は、
許可証を持っていないと、敷地内には入れませんので、
誰しもが足を踏み入れることがない区域ではありますが。

また、一度基地として収用されてしまい、
一定期間米軍基地で使用されると、
土壌汚染の問題が出てきてしまうそうです。

最近、それでも、米軍基地の敷地だったところが、
元々の土地所有者に返還されている所もあるそうですが、
すでに高齢で、開墾する余力(体力+経済力)がなかったり、
返された土地が、化学物質で汚染されて、農地としては使えなかったり、
そうであるならば、そのまま基地として使って貰って、
その分賃借料が手に入った方が良い、
という方々も、それなりに居るそうです。

また、長文になってしまってすみません。
基地が来て、経済活動が活発になる、という構図は、
為替による影響もあり、
そんなには潤わない状況になってきていますので、
今回の名護市長選でも、
その事情が選挙結果にも表れた、
大きな要因のひとつだったかと、個人的には見ています。

経済に関する「プラス」要因が、どんどん剥落していく中、
基地が来たときの「マイナス」要因の方が、
よっぽど大きくなっていると、個人的には思っています。

米軍の都合で、
事前に申し合わせをしているにもかかわらず、
深夜の2時~3時に、離着陸訓練を行ったり、
アメリカ本国に帰るのに都合がいいという理由だけで、
やはり深夜2時頃に、離陸してみたり。
(そうすると、本国到着時刻が非常に都合が良い時間帯になるそうです)

戦闘機系の騒音は、旅客機の騒音と比べ、
はるかに程度がひどいですから、
たとえ辺野古が、のどかな漁村で、
騒音被害を被る住民の絶対数が、普天間に比べ少ないとはいえ、
おいそれと容認するには、非常に困難であると、個人的に見ています。

投稿: イール | 2010年2月12日 (金) 00時10分

「OTSU」氏

言葉にされてもですね・・、貴方には二つの面で問題があると思います。ちょうど「むかし民間、今・・」氏のコメントが興味深い内容なので、これを一部でパクらせて貰いながらコメントしたいと思います。

一つ目は先日もコメントしましたが「OTSU」氏の言葉は実現可能なベターなものではなく、現実を無視したベストを求める言葉が多いので、結局のところ聞くに値しないと思う人が多いだろうなということです。これは今までの記事を見ても判るとおり、絶対的な価値観で揺らぎが有りませんので、今後も労組役員と市民の感覚は平行線のまま交わることは無いでしょうね。どちらからも言うだけ無駄ですよという事です。

そして二つ目ですが、日教組の例を借りて説明します。
こちらも、先日のコメントで公務員の政治活動について疑義を提示した時に「法的に許されてる」として、その活動に問題はないとしました。問題なしとする根拠は、地方公務員法は遵守しているということですね。
対して日教組では「国旗及び国歌に関する法律」は遵守する必要は無いとして法廷闘争を展開しています。判決が確定する前から行動を起こしていますので、こちらは法令を遵守する必要はないということですね。
つまり自分に都合が良ければ法律論を持ち出すが、結局のところ自分たちの主張が最優先であって、法令であってもそれらを押し通すための道具ということが見て取れます。

多分、どのような事例であっても自分に都合よく、その時々に色々な道具を持ち出されると考えられるので、この状況下で言葉にされても信じることなんて出来ませんよ、という事です。

※逆に市民としては法律を守る必要がないなら「公務員の政治活動は、その職を辞めてから行え」と言っても何の問題もなくなります。

※せめて子供の前で駄々をこねれば理屈が曲がるという実例を身をもって示すのはやめなさいと思うのですが。この様な大人の態度が色々なモラルハザードの原因の一つだと思いますね。


以下は一つの例ですが、
日教組の報告では職場にPCが配備された事に関し「戦中鉄砲などが兵隊に渡された時と同じ状態になりつつある」などと報告され問題視されたそうです。また、電子黒板に関しても同様の事を報告し導入に抵抗しているのだそうですね。
これ私から見ると、新しいものを覚える能力の無い教員が「自分の能力の問題を反戦にすり替え」て、自分の質の問題を隠しているだけなのは明白です。
実際、若手の非組合員の教員には好評で「工夫していろいろな使い方ができそう」「時代の変化を感じた」と、既にどう使いこなそうかと受け入れられているようです。しかし結局のところ、それすらも老害世代の教師に抵抗されて
>「誰かが新しい仕事の仕方をすると自分たちもしなければならなくなる」と考えるものでもあり、工夫する人間の邪魔を積極的にしたりもします
というのが実践されるのでしょうね。


この様に労働組合では「自身の能力問題を他の主張にすり替える」「自身への批判を他への批判ですり替える」事が、たびたび起こっています。また主張する事が活動の全てとなり、もはや目的すら何でもいいという事例も散見されます。童謡「ウミ」が戦争協力歌だとされた活動には、もう目的すらありません。これ日教組の一部の組織が教科書から外そうとしたのを朝日新聞に面白可笑しく書かれた騒ぎだそうですが、これだけ騒ぎになれば主張だけしたいという当初の目的は果たされたのでしょうね。


結局のところ労働組合の活動は一部の者の自己満足が目的なんだろうと理解しています。そして、こう見られることに納得が出来ないのならば、まず言葉にする前に自分たちの価値観を変えること。そして変わった事を判りやすく示すべきだと助言して、今回は筆を起きたいと思います。

最後に「むかし民間、今・・」氏の
>やはり言葉にする前に猛省をお願いしたい
という言葉は、私流に言うと「仕事してからものを言え」という言葉に尽きる訳ですがね。


「とーる(とおる)」氏

私も外部の人間なんで断定的な事は書けませんが、あの世界では到底私たち民間の感覚からは理解出来ない出来事が平然と起きています。仕事上の付き合いでその片鱗を見てる者の意見としては、まぁ色々と有るんでしょうねと・・・・。そして何を聞かされても驚きませんね。それくらいは変ですよ。

自分の常識や感覚で分析しようとしても無理です。頭がパンクしますからw

投稿: mobileSE | 2010年2月12日 (金) 07時12分

むかし民間、今・・さん、 とーるさん、イールさん、mobileSEさん、おはようございます。コメントありがとうございました。

>今後も労組役員と市民の感覚は平行線のまま交わることは無いでしょうね。どちらからも言うだけ無駄ですよという事です。

いつもmobileSEさんの突き放したコメントは非常に残念なことです。過去の記事をすべてお読みいただいているのにもかかわらず、常に同様な意味合いでのご意見が投げかけられることに対し、力不足を省みるとともに徒労感も拭えません。

mobileSEさんがそのように述べられたいのかも知れませんが、現時点での私自身の率直な感想です。今回も様々な面から反論したい内容が数多くあります。したがって、改めて今夜以降、むかし民間、今・・さんらのコメント内容なども含めて、私なりの思いをお答えさせていただくつもりです。

投稿: OTSU | 2010年2月12日 (金) 08時16分

>今後も労組役員と市民の感覚は平行線のまま交わることは無いでしょうね。どちらからも言うだけ無駄ですよという事です。

と言うことなので、おそらく言うだけ無駄なのでしょうが、一言だけ言わせてください。
どれだけ広い目をお持ちか分かりませんが、mobileSEさんの「自分は市民の代表」「民間はみんな自分と同じ考え」といった発想は、自分の「絶対的な価値観」を押しつけているように見えて甚だ危険に感じます。
mobileSEさんの言う組合活動は現在においては非常に端的なものであると感じています。(とはいえ、むかし民間、今・・さんの記述を読んでいるとそれも不安になりますが・・・)
かつてはそういう職場が事実多く、「自分たちの主張が最優先」という活動家が幅をきかせ、それがまかり通っていました。(今もそういうところが多いのは残念きわまりません。その意味ではmobileSEさんの言う「老害世代の教師」の弊害には確かに苦慮しています。)
mobileSEさんは「若手の非組合員の教員」と言っていますが、組合の役員をはじめ、組合員であっても、そういう労働組合の体質を改めていかなければ、とおるさんの言うようにいずれみんな組合から離れて行ってしまって、本来組合が主張すべきところの「構成員全体の利益向上」ができなくなるのは明白だと気付いています。
mobileSEさんの「自分は市民の代表」「民間はみんな自分と同じ考え」と思うのと同様に、一部の組合員(あるいは単組)を持ち出して、「組合員なんてみんな一緒」と言われることに対し、憤りを感じます。そういう考えを声高にいい、世論をコントロールし、アメリカ型の超市場主義になれば満足ですか。格差社会が広がれば満足ですか。
「老害世代」はどんなバッシングを受けても自分たちの主張は正しいと頭から思いこみ、絶対に反省しません。彼らにはいずれ退場していただくしか方法はありません。しかし、そのような思いこみによるバッシングで、体質改善しようとしている役員たちの方が責任を感じ、居場所を失っていくことになっているのが現状です。
公務員組合にも自浄努力はあります。むかし民間、今・・さんのような職場がいいとは思ってません。今与えられている状況を現実が許す範囲で向上させ、労使で知恵を出し合い、よりよい住民サービスを提供しようと取り組んでいる組合は少なくありません。

投稿: Na | 2010年2月12日 (金) 10時25分

「Na」氏 熱いコメント感謝します。歩み寄りにはなりませんが、私の考えを出来るだけ丁寧に回答します。


>「自分は市民の代表」「民間はみんな自分と同じ考え」といった発想は、自分の「絶対的な価値観」を押しつけているように見えて甚だ危険に感じます。

その通りで危険な状況なのは否定しません。しかし、いつも話題になる阿久根市長が未だ一部から熱烈に支持され続けている事や、みんなの党の支持が伸びてきており次回の参院選で二桁に届くかも知れないと言われる状況を見れば、この発想の仕方は意外と多数になって来ている筈です。ですから「いい加減にこの危険な状況に気がつけ」と敢えて乱暴に言っています。過半数を超えてからでは手遅れですよ。
(ここではこの様な物言いをしますが、私は阿久根市長を支持しないし、多分みんなの党にも投票しません。また、完全に突き放しているならば、ここに繰り返し来たりもしませんよ。)


>mobileSEさんの言う組合活動は現在においては非常に端的なものであると感じています。
>かつてはそういう職場が事実多く、「自分たちの主張が最優先」という活動家が幅をきかせ、それがまかり通っていました。

「OTSU」氏を見ていると確かに変わってきているのだろうと想像出来ますが、まだまだ私の言う組合像が一般的に持たれているイメージです。貴方も「かつて多かった」と言っているでしょう。市民は「今も多い」と思い続けているだけです。そして、そのイメージを変えようとする活動(広報)が全然足りていません。気がついていると言うだけでは周りに伝わりません。判ってくれなどと言わずに、大いに声を出して判りやすく広く説明して下さいという事です。

ただ、国労が未だに労働組合として機能し無茶な事を言っているのを見ると、そういう事例が有る限りイメージを変えるのは相当に難しいでしょうね。
国労も自治労(社会保険庁含む)も国公労連も果ては日航の労働組合まで「国(自治体)が絡んだ労働組合は滅茶苦茶で、まともな所は無いじゃねーか」というのが、私の周りでの評判です。


>「自分は市民の代表」「民間はみんな自分と同じ考え」と思うのと同様に、一部の組合員(あるいは単組)を持ち出して、「組合員なんてみんな一緒」と言われることに対し、憤りを感じます。

これに付いてはご自由に憤って下さい。貴方たちも市場原理主義者などと一括りにして非難しているのですから。それはお互い様だと思いますよ。


>そういう考えを声高にいい、世論をコントロールし、アメリカ型の超市場主義になれば満足ですか。格差社会が広がれば満足ですか。

自分を磨いて来た者(努力)が報われず正当な報酬を得られなければ、それは確かに格差だと思いますが、努力を放棄してきた者が低い報酬となっていることを格差とは一切思いません。年末年始の派遣村の騒ぎを見ても、この人たちに報酬を保証することは明らかに間違っています。むしろ淘汰されることを強く望みます。

少数の事例で、自分を磨きたいと思っても親の経済事情等で断念する例があるのは事実で、これは救済されなければならないと当然思います。しかし、あたかもそれが全ての様に演出し無条件に全て救済しなければならないとする現状の格差格差と騒ぐ声には聞く価値を見いだせません。

本来的に問題とされるべき格差とは、余剰資金が特定の者に集中し、それが投機されることで需要に係わらずに価値がコントロールされている状況の事です。これについては当然のこととして、規制のあり方を含めて富の再配分を検討されなければなりません。それでもその資金は、きちんと能力を持って働く者に再配分されるべきで、今の自称弱者※の人に配分する必要は感じません。

人はですね。子供の時から努力すれば、周りの人と同程度の努力で並の暮らしが出来ます。10代までサボれば並の暮らしをするには人の2倍の努力が必要でしょう。20代までサボれば3倍必要だし30代までサボれば4倍必要になる。これがあるべき姿で、見合うコスト(努力)を払っていない者に過分な報酬を保証する必要はありません。(数字は適当です)

努力という抽象的な言葉を用いて申し訳ありませんが、私の考える事はこういう事です。そして労働組合が唱える事の方が、努力という生きる上で払うべきコスト差に見合わない報酬の保証を唱えており、むしろそちらの方が格差だろうと感じています。


>「老害世代」はどんなバッシングを受けても自分たちの主張は正しいと頭から思いこみ、絶対に反省しません。彼らにはいずれ退場していただくしか方法はありません。

これには全く異論はありませんが、自然退場になるまで待つのですか?民間はある程度の範囲ですが、強制的な退場も行っています。それを組合の取り組みとする事もある面で必要な事だと思うのですけどね。
そして、これを民間が簡単に強行できたと思わないことです。それこそ若手も含めてほぼ全員に大きい痛みを強いているのですから。


>公務員組合にも自浄努力はあります。むかし民間、今・・さんのような職場がいいとは思ってません。今与えられている状況を現実が許す範囲で向上させ、労使で知恵を出し合い、よりよい住民サービスを提供しようと取り組んでいる組合は少なくありません。

申し訳ありませんが、自浄能力を感じる事例をまったく見たことはありません。また、見たことが無い事を信用できる訳もありません。コメントの上の方でも書きましたが、組合は確かに変わってきているのでしょう。では何故それを広報しないのでしょう。ネットで検索しても組合のホームページは極少数で、有ってもその内容は旧態依然としたものです。これで何を知って何を信用しろと言うのでしょう。
貴方たちは嘆く前にやるべき事が有るはずです。ホームページについてはその一例ですが、先ずは理解されるように広報して下さい。組合内で使われる言葉一つ取っても、世間一般からかけ離れているのですから・・。

言いたいことはですね、先ずは「価値観が変わったことを示しなさい」そして「価値観が変わったことの理解を求めなさい」。今は政治問題など脇に置いて「自己の体制を変えることに注力しなさい」。組合としての主義主張を述べるのはそれからで十分です、という事です。

現状では何を言葉にしても逆効果にしかなりませんよ。あなた方が追い詰められて行くだけです。


※老害世代と同じで、この方達の考えは変わりません。一生「消費者」意識のみでクレームを言い続けるだけでしょう。そして公務員や労働組合を執拗にバッシングしているのも実はこの方達の特徴です。それでも手を伸ばそうとするのだから、お疲れ様だなと思います。

そして「OTSU」氏へ

>>今後も労組役員と市民の感覚は平行線のまま交わることは無いでしょうね。どちらからも言うだけ無駄ですよという事です。
>いつもmobileSEさんの突き放したコメントは非常に残念なことです。過去の記事をすべてお読みいただいているのにもかかわらず、常に同様な意味合いでのご意見が投げかけられることに対し、力不足を省みるとともに徒労感も拭えません。

いつも通りに、こちらからも貴方と同じ言葉を投げ返したい気持ちで一杯です。過去の記事を見れば判りますが、4年以上も前から私と同じような価値観の人間がここに現れては「OTSU」氏に疑問を投げかけ、それに対して貴方は答えを記して来ています。
それで貴方は変わりましたか?こちら側の人間の価値観も確かに変わっていませんが、実は貴方も変わっていませんよね。それを踏まえて、突き放しているのはこちらだけですか?貴方も何ら譲ることなく突き放し続けて来ていますよね。結局のところ違うのは言葉の綺麗さだけです。

その過去のやりとりを見て、あまりに私と似た考えの者が同じような口調で問いかけをしており、誰でも同じ事を思うのだなと笑ってしまいました(自分が過去にこんなことを書いたのだろうかと記憶をたぐってみたくらいです)。
これらは双方が突き放し続けているから、同じ事が繰り返されているのでしょうね。お互い様と言うことだと思います。

この頃、問いかけられた通りに私の価値観は自らが所属する業界特有のものかも知れないと思っています。自分で思う以上に似た価値観の持ち主が多いので驚いてもいます。
そして、この価値観ではある程度までは人との差違を許容できますが、そちらの現状の価値観はまったくの許容外です。ある程度譲歩して歩み寄って来てくれないと、こちらも歩み寄ることは出来ません。お互い全く譲らないなら平行線のままでしょうね。

どちらが正しいと論じても意味がありませんが、そう遠くない将来には生き残った方が正しいとなっているのでしょう。

投稿: mobileSE | 2010年2月12日 (金) 18時53分

Naさん、mobileSEさん、コメントありがとうございました。

金曜の夜でもあり、中途半端なレスよりも新規記事の中で、今、自分自身が考えていることを整理してみます。早ければ土曜夜には投稿したいものと思っています。ぜひ、またご訪問いただければ幸いです。

投稿: OTSU | 2010年2月12日 (金) 22時52分

いやー、なんというかmobileSEさんの言わんとすることが全く理解できないわけじゃないんですけど、
極端な例を挙げて穏健な組合や人を責めても、他の方の賛同得られないですよ。

むかし民間、今・・さんのところはおそらく極端に過ぎるだろうと思いますよ。イールさんにしろ
OTSUさんにしろ相当違うと書かれてるじゃないですか。私が聞く範囲でも、そこまでの話は
聞いたこと無いですし。まあ、日教組は知りませんが(沖縄でのイメージしかないけど)。

で、思うのは「人と人の接点では、明らかな自分の敵、徹底的な殴り合いをする決意をした相手以外には
『愛とか敬意』が必要」だと思うんですよね。相手も自分と同じ人間なんですからね。
公僕って別に奴隷って意味じゃないでしょう。でも、それがmobileSEさんからはあんまり見えにくいんですよ。
ご事情があってそういう感覚を持つにいたったのだろうと思いますが、書き方で大損してると思います。
極論を受け入れられる人は右も左もごく一部で、「極論言う人は他でも極論言うのかな」と警戒心を持たれちゃいます。

私も「宗教戦争と同じでお互いの価値観があまりに異なる時は論争するだけ無駄」と思うときはあるので、
「いつまで経っても平行線」は言われることの意味も徒労感もわかりますが、
それでも全部が全部そうだと思ってる訳じゃないですよ。

>組合は確かに変わってきているのでしょう。では何故それを広報しないのでしょう
mobileSEさんの言う「市民感覚」に近くなればなるほど自分の立ち位置が理解できるし
「変わりました」アピールは逆に「今まで何てことしてたんだよ」のアピールになるってことを理解してるんじゃないんですか?
「知らぬが仏」なのにわざわざ「寝た子を起こす」必要はないでしょう?

>ある程度譲歩して歩み寄って来てくれないと
ちなみに私から呼びかけた「政治的な話は避けた方がいい」には配慮されるようですよ。譲歩するも何も余地がなければ仕方ないのでは。
(「今後、一切「封印」するとまで言い切れませんが」「政治的な話題の取り上げ方については、より慎重に」)

>生き残った方が正しい
今までだってどちらも生き残ってる訳だし、多数派少数派の別はあるにしてもどちらか一方しか生き残らないなんてありえないですよ。
ガザ地区の紛争だって何十年、さかのぼって言えば2000年から前の話を今やってる訳なんですからね。
多数派であると自負するなら穏健さはまず必要だろうと思います。

繰り返しですがmobileSEさんの言いたいことがわからない訳じゃないです。でも私はOTSUさんの言いたいこともわかるんで、
その溝があまりに大きくてその希望のなさに残念だなぁと思う次第です。

投稿: とーる | 2010年2月13日 (土) 05時50分

イールさん

言われてることわかります。
PXの件は私は出入りしたことありますが物が安いんですよね。なんでかわからないけど。
今は知りませんが、自衛隊の中の売店も、なんとなく1割くらい安かったような。
(霞ヶ関の中央官庁もそうだったかもしれません)

今の円高(もう90円前後が普通の感覚になってきてしまいました)から考えると、
外で買い物なんてあまりできないのかもしれませんね。
賃料・基地内労働力としての雇用という面がゼロになる訳ではないですが、
地元に落とす金が減れば、「金の切れ目が・・」で今まで目をこぼしていた
悪行が耐えられなくなってくる、今までそれなりに客が来ていたのに、
来なくなって閉めざるを得なくなった店の経営者からしたら基地への態度が
変わることもあるでしょう。
#賃料の件は、昔からある話だったと思います。基地はともかく訓練場所って
基本的に山林ですし開発が困難な場所が多いはずです

訓練の件ですが、彼らの本音としては
「訓練は実戦に備えてやるものなのだから夜間だってやらないと意味がない」
のでしょう。であればこそ「普天間からの移設」は絶対的に必要で、
おそらく化学汚染の話も恐れとしてはゼロではないでしょう。民間の工場跡地だって
ブラウンフィールドなんて話もいろいろあるわけで。
辺野古が手を上げてくれたのは地元としてはある意味「原発の燃料の最終処分場受け入れ」
の次くらいの苦渋の決断だったのだと思います。
であればこそこの話をおじゃんにしてしまいかねない「デモ」活動や「平和の鎖」を
平気で行われている方の感覚は疑わざるを得ないのですが・・

投稿: とーる | 2010年2月13日 (土) 06時21分

とーるさん、おはようございます。コメントありがとうございました。

私の述べたい点の大半を分かりやすく、ご説明いただいています。さらに当事者からではない方からのコメントであるため、客観的な見方であるものと受けとめています。

投稿: OTSU | 2010年2月13日 (土) 08時29分

OTSUさん

でもね、公務員の組合が政治活動をやるってことは、結局mobileSEさんの
言われるような批判を受けるってことなんですよ。
今回はむかし民間、今・・さんのところの実態から火が付いた訳ですが、
程度の差は相当大きいにせよ、似た誤解を招きかねません。
誤解が大半であったとしても、身内でなければどこまでが事実で、
どこからが誤解なのかはわかりませんよね。
#この構造は一般的な公務員に限らず、政治家・医師などたいてい当てはまります

それとmobileSEさん自身やや感情的かつ極論を含むその書き方で損をされてるように思いますが、
阿久根市長のような「法律もイラン、民意がすべて」という立場をとられているわけでもなく、
きちんと法律論と感情論は別にして、なおかつそれを前提とした意見を書かれています。
(私は第一印象からだいぶ変わりました)
今回の意見も反論もあると思いますが聞くべき中身もあると思いますよ。
だから、書き方でずいぶん損をしてるなぁ、残念だなぁと思っているのです。

「問題とされるべき格差とはなんぞや」とか、割とmobileSEさんに賛同される方も出てきそう、
かつ反対意見も有力そうな、非常に議論としてかなり白熱しそうな面白そうな話も含まれてますし、
組合ってなんでそんな言葉使うの?(戦争反対って言ってる割に「たたかい」って言葉、好きだねぇ)とか・・

投稿: とーる | 2010年2月13日 (土) 11時05分

>とーるさま
「金の切れ目が…」は、
実質的な変革期になったのかも、ですね。

辺野古への移設を決めた時期は、
多少は「地元への還元」が言われていて、
みんなも、そう思ったと思います。
今は、そうじゃない、そう思えないと、
みんなが思い始めたんでしょうね。

公僕論については、
私は、
「全体の奉仕者であって、一部の奉仕者とはならない」
ということが担保されているのであれば、
思想信条は、個人の勝手(=自由)である、
と思っています。

投稿: イール | 2010年2月13日 (土) 19時52分

とーるさん、イールさん、いつもコメントありがとうございます。

土曜のうちに新規記事を投稿したいものと考えていましたが、まだ集中できていません。いろいろ書き込みたい内容は頭の中にありますが、きっと今夜は早めに休んでしまうものと思います。もったいぶるような形で申し訳ありませんが、ご容赦ください。

投稿: OTSU | 2010年2月13日 (土) 22時19分

労組のスタンスは、「闘争は行う。しかし、戦争は全力で否定する」というのが標準的なのかな?と個人的に思ったりしますけど、どうなんでしょうね。「闘争」と「戦争」という2つの語句の違いに厳密であれば、理解出来ないわけではない論法なのですが、(少なくとも所謂「霞ヶ関文学・永田町文学」と同程度には、)世間一般ではなかなか理解できない思考様式かも知れないと、思わなくもないです。(その善し悪しの価値判断とは別の話です。為念。)

ところで、管理人様は「公務員」であると同時に「職員団体の役員」というお立場でもあるので、発信される内容によって両者のお立場のどちら側からの視点に重きが置かれるのか?が異なるのは、当然の話でないかなと。加えて、「職務の領域」と「私情の領域」だってあるのは当然でしょうし。

ちなみに、私が所信を投稿させていただくのは、概ね「公務員としてのお立場(公務員制度に絡む職員団体としての領域も含む。)」に対してである事が殆どだと自認してますのん。そんな訳で、管理人様の私的な心情の領域については、多くの場合には「なるほど、管理人様は斯くお考えか、ふむふむ・・・。」と思って拝読させていただいてると。公務としてのBlogで無いわけですし、私的な心情が強く滲み出る記事が存在したって、職務執行において私情と法令執行の峻別が担保されている限りには、そのこと自体を攻める必要は無いでしょうし。

コメントする側が、私情や私心・私的信条によって投稿してるのなら、管理人様に一方的に私情や私心を排除した投稿を求めるのはアカンでしょうし。

蛇足ながら拙者が愚考致しますに、公務従事者は「全体の奉仕者」であってそれ以上でもそれ以下でもなく、「全体の隷属者」でも「無料で利用できる私的な奉仕者」でも決してないと思ってます。そして、職務執行において「全体の奉仕者・法令の執行者」という立場が担保されれば、その他の仕事以外の私的な領域について社会権や自由権のような基本的人権は十分に尊重される必要があるとも思います。法的にも道義的にも公務従事者は奴隷ではないと思いますし。

投稿: あっしまった! | 2010年2月14日 (日) 13時46分

重ねて念のため。

私は「公務員にも政治的自由はあり、ただ職務の性質から一定の制限を受ける」という司法権の判断について、異議を唱えるつもりはないし、今のこの国の統治体制(法体系)からするとそういう解釈になるだろうとも思っています。また、基本的人権は公務員にも補償される以上、制限については謙抑的であるほうがよいとも思います。

しかし、「政治的目的を持った政治的行為」は基本的にアカンと思いますよん。境界線を何処におくのか?は主観の問題があって、個々人によって受け止め方が違うのが当然であるが故の難しさがある、とも思いますけど。やっぱり、政治的目的と政治的行為の両者を具備したら拙いだろうと。(ここで言う政治的目的&政治的行為は基本的に国家公務員法の適用に際しての人事院規則に定めるそれです。)

ただ、いつも書いていると思いますけど、国家公務員法と地方公務員法では規定が異なるという事実に鑑みて、国家公務員と地方公務員のどちらを対象にした議論なのかは、常に念頭に置いておく必要があるとも思ってます。そんな訳で管理人様のご見解に対しても「管理人様には地方公務員法の適用がある。」という点は常に意識して考えるように自戒してます。

投稿: あっしまった! | 2010年2月14日 (日) 14時06分

あっしまった!さん、コメントありがとうございました。

私も役所に入って間もない頃、組合役員の方に「なぜ、たたかうという言葉が多いのですか?」と質問したことがありました。やはり戦争と闘争の「たたかう」は違うという説明でした。以来、文字通り闘争の「闘」は闘志の「闘」であり、つまり「Fight」と「Battle」の違いであるように理解しています。

また、ご指摘のとおり私自身も、まず地方公務員法で物事をとらえています。なお、今回記事のコメント欄で寄せられたご意見などを踏まえ、今夜、雑記風の新規記事を投稿します。ぜひ、またご訪問いただければ幸いですので、よろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2010年2月14日 (日) 17時43分

以下、最新エントリに書くのは場違いに過ぎると思いましたので。こちらで失礼致します。m(__)m

> 戦争と闘争の「たたかう」は違う
やはり、「たたかい」と「いくさ」の違いなんでしょうね。
「たたかいはする。しかし、いくさをするわけじゃない。」みたいな感じ。
今の世の中では、なかなか伝わりにくい概念の違いなんでしょうし、
「たたかい」とか「とうそう」という言葉にも、ネガティブなイメージが先行する世情かも知れないですね。

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何か最新エントリへのコメントにした方がふさわしい気もしてきたり・・・・。(汗)

実際に過去に無茶な「とうそう」を繰り広げた極端な事案もありましたし、とりわけ部外の人にとって、そういう極端事例の印象は非常に強く残りますよね。全体を代表するような印象として記憶されてしまいますし。いつまでも、過去の極端事案を水戸黄門の印籠よろしく持ち出されるのもしんどい話でしょうけど。
当時の世情を今の基準で図ると見誤る部分もあるし、当時としては主張に一欠片の理があったように思える部分もあったとはいえ、手法としては明らかに賛成出来ないような手段に訴えた「とうそう」事案も無かった訳じゃないように思いますし。
そんなこんなで、「とうそう」とか「たたかい」という言葉を聞くと、そういう過去の極端事例が連想されてしまう部分があるのかもしれないですね。とりわけ往事を知らない世代には、どうにも対処できない上に直接関与していない部分だけに、心外に思われる方も多分おられるでしょうけれど。

投稿: あっしまった! | 2010年2月14日 (日) 22時21分

あっしまった!さん、コメントありがとうございます。

当事者には思い入れが深くても、ご指摘のとおり他者からはネガティブに見られる組合用語も少なくないかも知れません。ちなみに春闘に対しても、あえて春季生活改善の取り組みというように「闘争」という言葉を意識的に外す組合もあるようです。確かに言葉からイメージを変える試みの大事さも否定できないものと思っています。

投稿: OTSU | 2010年2月14日 (日) 22時41分

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