岐路に立つ民主党 Part2
前回の記事が「岐路に立つ民主党」でした。その内容に対し、賛否両論、と言うよりも世論調査の動向から見れば、厳しい批判を受けることも覚悟していました。予想通り前回記事のコメント欄には、手厳しいご意見を多数頂戴しました。ちなみに当ブログの記事の中で、これまで民主党の一支持者という立場を明らかにしてきました。しかしながら言うまでもなく、民主党に所属している訳ではありませんので、その時々の自分自身のとらえ方をもとにし、個人的な思いを綴ってきました。
したがって、場面によっては民主党への率直な批判意見も書き込んでいます。そもそも前回の記事も小沢幹事長の言い分をそのまま信じ、すべて納得した上での「続投ありき」の内容ではありませんでした。今後、より丁寧な説明責任を果たしていくことを前提とし、現時点での小沢幹事長の「不正はない」という言葉を受けとめていました。その上で万が一、明らかな不正や偽りが発覚した場合は即時に議員辞職すべきという趣旨の内容でした。
しかしながら世論の圧倒多数が「小沢幹事長は即刻辞めるべき」という声であるため、このような考え方は少数派だったことが否めません。とは言え、「これほどハッキリとした悪を容認できる感覚」という私への批判意見に関しては、正直なところ違和感がありました。現行犯で逮捕されたような容疑者を擁護していた場合、そのような批判も当てはまりますが、小沢幹事長自身は「容疑者」にもなっていない現状でした。
確かに秘書が逮捕され、マスコミから流れてくる情報や大半の世論の声として、残念ながら小沢幹事長「クロ」という構図が築き上げられています。それでも「推定無罪」の原則がある中、正確な事実関係が明らかになっていない段階で、小沢幹事長を「ハッキリとした悪」と決め付けるのは問題だろうと思っています。なお、この点については、後ほど少し補足させていただきます。
実は前回記事のコメント欄では、以上のような見方の是非よりも、ブログ上で公務員が政治的な発言を行なっていることに対して様々なご意見をいただきました。公務員という立場を明らかにしている者が、前回の記事のような発言をすること自体に「市民の敵」という非難の言葉を浴びました。また、むかし民間、今・・さんから「公務員に望まれる政治的中立を考えれば、私は一切の政治的な主張や活動は自粛すべきだろうと、さらに進めて公務員に選挙権は無くても良いかも知れないとも考えています」というコメントが寄せられました。
mobileSEさんからは「あるところに裁判官がいたとして、かなり残忍な殺人事件を担当する事になったとします。前提としてこの方は非常に優秀で、職務の中では非の打ち所のない人です。ただ職務を離れた私的な時間でブログを開設しており「私はA党を支持しています」などと言って、その党のB大臣が死刑廃止論者だった場合、さて審理に望む被害者の遺族はどう思うのでしょうね」という具体例まで示されていました。
このようなご意見に対し、あっしまった!さんやとおるさんらからは異を唱えるコメントもいただいています。常に感謝していることですが、当ブログのコメント欄での議論は必ず幅広い視点からの意見交換につながっています。どちらか一方への偏った議論に終始しない貴重さを心強く感じています。その意味で、管理人にとって当ブログのコメント欄はホームでもありませんが、アウェーでもないグラウンドとなっています。
さて、このような公務員の中立性に対する提起について、火曜の夜、コメント欄の中で私なりの考え方を示してきました。今回、その時の内容をベースとしながら改めて自分自身の考え方を整理してみました。まずプロフィール欄に記しているとおり市役所職員とともに自治労に所属する組合の役員であることを明らかにし、このブログを運営しています。したがって、このブログで発している内容を今さら単なる一個人の意見であるような言い方をするつもりはありません。
しかし、この点だけは強調しなければなりませんが、一地方公務員の立場で発している内容よりも、職員組合の役員の立場で発している内容が圧倒的に多いブログであることをご理解ください。分かりづらいかも知れませんが、その二つの立場を個人としては兼ね備えながらも、市役所と職員組合は個々に独立した別な組織に位置付けられます。ここで誤解がないよう申し添えなければなりませんが、専従役員でもない限り公務員としての職務があって、組合活動があることを充分わきまえているつもりです。
そのような関係性があるのにもかかわらず、公務員組合の政治的な活動そのものに様々な評価があることも承知しています。しかし、現状の組合方針は政治的な活動も大切な一つの領域としています。このような位置付けがあるため、このブログを通し、あえて選挙戦や平和の問題に関しても数多くの記事を綴ってきました。組合員の皆さん、さらに不特定多数の皆さんに対し、自治労や私どもの組合が考えていることを発信していく大切さを感じているからでした。
確かに地方公務員法第36条で、私たちは政治的に中立であることが定められています。しかし、この規定は公務員のまま立候補できない、地位利用による選挙運動の制限などを示したものです。加えて、地公法第36条は組合の政治的行為を制限するものではなく、組合が特定の候補者の推薦を決め、組合員へ周知することは組合活動の範囲とされています。
また、組合役員ではない公務員の方々も、やはりブログなどを通して政治的な話題を取り上げる時があります。当然、職務の中で政治的に偏った言動を行なうようであれば弁明の余地のない、厳しく指弾される愚かな行為となります。しかし、その職務を離れた私的な時間や場で、個人的な思いを発することが批判の対象となることには強い違和感を覚えます。それこそ憲法第21条の表現の自由、言論の自由を侵す話につながりかねないものと思っています。
前回記事のコメント欄で、このような趣旨の見解を述べた後、むかし民間、今・・さんやmobileSEさんらから前述したようなご意見が寄せられていました。特にむかし民間、今・・さんからは「法律の解釈がどうであれ、判例がどうであれ、大多数の市民は上の様な感覚を持っていないと思います。それは理屈ではなく感覚なんだと思います。そこを理解されないから、色々な部分で今のような反発を招いていると思うのです」というご指摘まで受けていました。
むかし民間、今・・さんが苛立たれている問題意識は充分理解できます。また、mobileSEさんから裁判官の例示に対して「今回の例は違うと思うのならば、貴方は行政に係わる場から去った方が良いと思います。そして、どうぞ公務員の立場から離れた上で好きなだけ政治活動をして下さいとしか言いようがありません」との問いかけもあり、「分かりました。考え方を改めます」という私からの答えがあれば、お二人の期待に沿えるのだろうと思っています。
しかし、そのように考えられないことを「分かりました」と言うことは、たいへん不誠実な話であるため、改めて今回の記事で問題提起させていただいています。そもそもmobileSEさんが指摘されるような不信感を招かないため、公務員の政治的な中立性が職務の中に求められているものと私は考えています。裁判官がどのような政党を支持していようとも、職務遂行においては中立的な判断が下されるという法的な組み立てであることを押さえなければなりません。
むかし民間、今・・さんが「公務員に選挙権は不要」という極端な提起をされていましたが、現状では一票を投じる瞬間、いかなる公務員も必ず政治的な判断を下しています。その際、どの政党を支持したかどうかは、憲法第19条で保障された思想及び良心の自由の問題につながります。このような点を考えれば、公務員がすべて政治的に無色となるべきという主張は、やはり極端すぎるのではないでしょうか。
公務員の政治的な中立の問題は、選挙で信を得た政治家のもとで働く立場であることも押さえる必要があります。個人的には野党を支持していたとしても、与党政治家の指揮のもとで粛々と職務を遂行するという関係性からの中立の問題でした。いずれにしても、このような公務員の特殊性を鑑み、公務員の中立性が規定されてきたものと考えています。繰り返しになりますが、職務と私的な場の切り分けが大前提となり、また、むかし民間、今・・さんらの問題意識を決して軽視した中での反証ではないこともご理解いただければ幸いです。
一方で、前回記事の内容の中味が信用失墜行為と見られていた場合、そのような心証を与えないように細心の注意を払わなければなりませんでした。したがって、結果的に「市民の敵」というような批判を受けたことは、その事実の重さは率直に受けとめているところです。そのため、小沢幹事長絡みの問題について当ブログを通し、もう少し掘り下げてみる必要性を痛感していました。
「ハッキリとした悪を容認できる感覚」という批判に対しては、先ほど述べたとおりです。その上で前回、わざわざ昨年の記事を紹介したのは、シロクロが曖昧なままでの幹事長辞職で今回の事態は収束できない根深い問題を感じているからでした。つまり検察の捜査やマスコミ報道のあり方について、問題点を浮き彫りにする貴重な機会であるようにも認識していました。
一例として、先週月曜の読売新聞夕刊に「石川議員、手帳にホテル名 面会裏付けか」と大きな見出しが躍りました。やはり「関係者によると…」という枕詞があり、水谷建設側が供述した5千万円を渡した2004年10月15日、石川容疑者から押収した手帳のその日の欄に渡した場所とされているホテル名が書かれていたと報道されました。石川容疑者が水谷建設側と面会した証拠の一つとして重視されているとし、水谷建設側と一切会ったことがないという石川容疑者の供述の偽りを示すような論調でした。
しかし、火曜朝の読売新聞に小さく訂正という欄があり、小見出しもなく、その手帳は2005年のものであり、ホテル名が記載されていた時期も10月ではなく、4月だったと記されていました。「記事と見出しの当該部分を取り消します」と本当に目立たないように書かれていました。確かに意図的な悪意などはないのかも知れませんが、このような動きがいろいろ目に付いていました。
また、政治資金で不動産購入の問題が取り沙汰されていますが、すべて小沢幹事長のケースは2007年の法改正以前の話であり、誰もが知っていた事実でした。最近では自民党の町村信孝元官房長官も政治資金で不動産を取得(植草一秀の『知られざる真実』)していたことが分かっています。小沢幹事長側に政治資金の収支報告書記載の問題で不適切な面があったことなど、まだまだ分かりづらい点が多いことは間違いありません。そのため今後、いっそう小沢幹事長は適確に情報を発信していくことが欠かせないものと思っています。
とにかく紹介した読売新聞の報道のような不正確なものでは非常に問題です。そのような意味合いから幸いにもネット上では多様な情報や考え方に接することができます。その一つとして、元社会部記者のブログ「永田町異聞」の記事は、たいへん興味深いものがありました。この記事の内容に関しても、とおるさんからのご指摘のとおり、すべて真実であるかどうか断定できるものではありません。
ただシロかクロか確実ではない事件でありながら、クロと決め付けられがちな風潮を危うく感じているところです。このようなこだわりがあったため、今回の記事でも小沢幹事長の政治資金の問題を取り上げてみました。「岐路に立つ民主党」というタイトルから言えば、普天間基地の課題なども掘り下げたいものと考えていましたが、前回記事の内容の延長線としての「Part2」となっていることをご容赦ください。
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