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2009年12月19日 (土)

竹原市長の問題点

前回の記事は「阿久根市長の常識、世間の驚き」でした。その後、竹原市長の問題発言は阿久根市議会の中で追及されるなど、全国的なマスコミ報道の中でも連日取り上げられていました。市議会の答弁では一貫して強硬的な態度を示していた竹原市長でしたが、次のニュースのとおり問題となったブログの文面の修正には応じることを受け入れたようです。

鹿児島県阿久根市の竹原信一市長(50)が障害者の出生を否定するような文章を自身のブログに掲載した問題で、竹原市長は18日、障害者の地方議員ら3人と面会し、文章の修正に応じる意向を示した。同日午後、ブログの問題部分は削除され、「ただいま修正中」と書き込まれた。

障害者の県議や市議らで作る「障害者の政治参加をすすめるネットワーク」(約40人)の平野みどり・熊本県議(51)ら3人が約30分間、非公開で面談した。平野さんらによると、竹原市長は「誤解を招きかねない表現だった」とブログの記述の修正を約束した。しかし、謝罪については「ブログの文面を否定し、社会の現実を打ち消すことになる」と拒否した。

また、平野さんらが「差別する意図がなくても、人を傷付ける言葉があれば差別になる」と指摘したところ、竹原市長は「それでは『めくら千人めあき千人』という言葉はどうなのか」と、視覚障害者を差別する言葉を使って言い返し、「言葉を制限すると文化がしぼむ」との持論を展開。抗議を受けても発言を撤回しなかったという。読売新聞は、この件に関して竹原市長に取材を申し込んだが、応じなかった。【読売新聞2009年12月18日

前回記事のコメント欄へ、もっと竹原市長の発言を支持される人たちの声も寄せられるものと思っていました。早い段階では、よっちゃんさんから「あんたら国語力がホントに無いんだな?」とし、「弱者切り捨て」とは読み取れないというコメントが届いた程度でした。普段より多くの人たちが当ブログを訪れてくださっている中、よっちゃんさんのようなご意見のコメントが続かないのは、さすがに竹原市長の言動に疑問を持たれる人たちが増えている証しなのだろうと受けとめていました。

そのように書いた翌日、あまのじゃくさんから非常に奥深い内容のコメントが寄せられました。阿久根市に絡む以前の記事のコメント欄でも、あまのじゃくさんから多くのコメントを頂戴していました。久しぶりにお寄せいただいたコメントも、高尚な提起が含まれている難解なものでした。さらに竹原市長の言動を支持される意図も明らかであり、私自身のレスも含め、核心となる箇所を紹介しながら今回の問題提起につなげてみます。

私が竹原市長を見て感じるのは「特権にあぐらをかいている者」への嫌悪感があるという事です。それは同時に「既得権益の陰に隠れて犠牲になっている者」へのせつなさを伴っている・・という事です。しかし特権や既得権益など、何時でも何処でもある。しかし「俺の(貧弱な)才能と努力ではこの結果は止む無し」とか「努力の賜物として誰にも文句は言わせない」といった、人間として許容できる範囲を超えてしまった「特権や既得権益」が現在存在するのではと思います。

何故こんなに努力しても報われないのか。あんな奴が何故あれほどの評価を受けているのか。・・・が許容を超えているという意味です。そして、更に重要なのは「不当に報われない者」の生活基盤が破壊されている点です。日蔭者でも食っていければ「愚痴」で収まるでしょう。しかし、それさえも超えている。ためいきの中に、この部分を直視し、メスを入れない場合、何が起こるか。恐らく恵まれた者への限度を超えた、ヒステリックな、場合によっては暴力を伴う騒乱でしょう。そうなっては止める手立てはない

あまのじゃくさんのコメントに対し、私は次のように答えていました。

阿久根市についての記事を書き始めてから、ずっと【竹原信一という男】BBSの議論を拝見しています。その中で、あまのじゃくさんのご意見は、いつもハイレベルで私の読解力では正直なところ難しすぎるようです。なお、最近の「虫眼鏡」と「望遠鏡」の例えは、よく分かりました。確かに「虫眼鏡」で山の紅葉は見れません。その意味で、「虫眼鏡」と「望遠鏡」を持たれている人たちは、私のようなレベルの者が見れない、もしくは気付くことができない風景を見渡しているのだろうと思います。

竹原市長を支持されている皆さんは、竹原市長がその卓越した一人だと受けとめていらっしゃるのかも知れません。しかし、そのような真意や本質などを「虫眼鏡」しか持たない人たちにも適確に伝えられなければ、軋轢や混乱を引き起こすだけではないでしょうか。小学校の先生が小学生相手に大学の授業内容を教えても仕方ありません。「虫眼鏡」しか持っていない私たちが問題だと言われれば、それまでですが、もう少し付け加えさせていただきます。

今回の竹原市長の言葉で傷ついた人がいることは事実です。「勝手に誤解して批判されるのは冗談ではない」という言い分もあるようですが、それならそれで、抗議している人たちが理解できるような説明や釈明を竹原市長は行なうべきではないでしょうか。「どうせ説明しても無駄だ」と切り返されていくのでしたら、このような提起も余計なお世話でしかありませんが…。

上記の私自身のレスは、あまのじゃくさんから問われた「特権や既得権益」の問題を論評していません。決して逃げているつもりはありません。その是非は留保した上で、次のように考えています。あまのじゃくさんや竹原市長が適切で、正当な主義や主張を持っていたとしても、そのことを適確に説明できなければ単に対立心を煽るだけだと思っています。したがって、あまのじゃくさんへのレスであるとともに竹原市長の言動に対する私自身の意見だったと言えます。なお、このコメントに対し、あまのじゃくさんから次のようなご指摘を受けました。

傷ついたから謝罪せよ。うらを返すと人を傷つけずに生きていける。或いは傷つかずに生きていける。しかしそれは無理です。何故なら人間の存在自体が矛盾しているからです。私が目の前のリンゴを食べたら、あなたはリンゴを食べられないのですから。これを突き詰めると「なぜ差別してはいけないのか?」・・どうです変ですか?

私はいたずらに挑発しているのではありません。ここまで一旦ひも解いて議論しないと、実は「障害者」が既得権益になりかねないのです。それは多くの人を不幸にする。但し、全ての特権と既得権益を解放しようとしているのではありません。「ベクトルが反対向きの特権」や「人間の許容を超える既得権益」は開放すべきだと思う。「ベクトルが反対」とは、人は「志は高く」を望む。低い所に特権を設ける事です。

正確に理解できているのかどうか自信はありませんが、あまのじゃくさんのご指摘の趣旨は伝わってきました。ただ出勤前の限られた朝の時間に踏み込んだレスはできそうになく、金曜の夜は忘年会が予定されていました。そのため、土曜以降に私自身の考え方などを改めて示させていただくことをお伝えしていました。また、たいへん難しい提起だったため、新規記事の本文を通して自分なりの思いをまとめているところです。

私自身も「ベクトルが反対向きの特権」などを改めていくことに異論ありません。このような一致点について、あまのじゃくさんにも以前の記事(公務員批判への「答え」は? Part2)などからご理解いただけるものと信じています。その上で、先ほど述べたとおり問題提起の中味の是非を議論することは横に置かせていただきます。あまのじゃくさんとしては、その議論を望まれ、本質的な議論を省いて、竹原市長の問題は語れないものと判断されているのかも知れません。

しかしながら私自身、これまでの竹原市長の言動問題は、常に手法の是非が最大の論点だったと見ています。竹原市長自身の独特な世界観や価値観について、「虫眼鏡」しか持ってない人たちにも、分かるように伝えられない言葉の乱暴さや稚拙さが目に付きます。そして、何よりも大きな問題であるのは、竹原市長が法律をはじめ、当然守るべきルールや規範を無視していく姿勢です。

これまでも繰り返し指摘してきた点ですが、常識や前例にとらわれないことが竹原市長の持ち味だとしても、首長という立場上、あまりにも常軌を逸しています。ちなみに竹原市長のブログ「住民至上主義」の過去の記事から、いつも独特の世界観を垣間見ることができます。2008月11月16日の記事「真実があなたを自由にする」の中で、次のような竹原市長の言葉に接しました。

私は自分が嫌いで、自分を嫌っている自分が好きだ。だから自分の為に生きようなどと思わない。長生きもしたくないし、眠る時にそのまま目覚めなければ良いのになどと思ったりもする。「刺されるぞ」などと言われる事もあるが、「いつでもどうぞ」という気持ちでいる。皆さんに好かれたいなどとも思ってはいない。仕事上面倒だから、どちらかと言えば嫌われない方が良いというくらいのものだ。

上記の文章を読み、竹原市長の覚悟や潔さなど肯定的に評価される人たちも多いはずです。しかし、私にとって竹原市長の数々の問題点のバックボーンが、この文章に含まれているように感じています。「好かれたいなどと思ってはいない」ということは、相手を思いやる気持ちを不足させ、独善的な発想や行動につながっているはずです。状況に応じて敵を作ることを厭わない突破力も必要ですが、敵を作らず目的を達していく調整能力や交渉力もリーダーに強く求められる資質ではないでしょうか。

つまり自分の言動によって、相手がどのように感じるかを想像できないリーダーにそのような能力が備わるとは到底考えられません。障害者団体に抗議を受けるような今回の事態は、いみじくも竹原市長の欠点が浮き彫りになったものと見ています。加えて、いつ刺されても良いという言い方は、攻めてくる相手側にもその覚悟を強要する響きが感じられます。実際、張り紙をはがした職員に対し、労働者への極刑である懲戒免職処分を下せる非情さがそのことを裏付けていました。

あまのじゃくさんのコメントへお答えする形を取りながら、竹原市長の問題点を改めて提起してきました。お二人に共通する主張に対する懸念として、大きな目的を達成させるためには、手段を選ぶ必要はないというように聞こえてくる点がありました。私の誤解だった場合、たいへん申し訳ありませんが、目的のためには「対立や軋轢も辞さず」という発想よりも、目的を成し遂げるためには「何をすべきなのか」が重要であるはずです。

あまのじゃくさんからの貴重な提起に対し、必ずしもかみ合った議論につながらないかも知れませんが、私自身の問題意識を綴らせていただきました。念のため、申し添えなければなりませんが、決して公務員の「特権」議論の論点をすりかえるための投稿ではありません。このように竹原市長を見ている者がいることをご理解いただきながら、ぜひ、多様な意見を認め合った議論ができることを願っています。

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コメント

オレ、言葉狩りには断固反対や。
確かに市長の「めくら千人・・・」の反論はまあそれはそうやとは、思う。
しかしあの市長がそういう事まで考えて書いてたんか、非常に疑問やな。
いちおうちょくちょく、件のブログは読んどったんやけどな。
怪しげなサイトがソースの珍妙な話題やら、読書感想文の出来損ないやらが並べ連ねてあっただけやし、今さら「めくら千人・・・」とか言われてもあかんて。
一方で「差別する意図がなくても、人を傷付ける言葉があれば差別になる」ていうんもたしかに変な理屈やねんけど、そこはそれ、一般の大人なら気ぃ使うて言葉を選ぶんが普通よ。

せやけどさすがに謝罪まではいらんと思うな。なんせ
>、何よりも大きな問題であるのは、竹原市長が法律をはじめ、当然守るべきルールや規範を無視していく姿勢です。
と本文にあるように、彼の問題点は他にぎょうさんあるんやから。

投稿: K | 2009年12月20日 (日) 15時42分

Kさん、コメントありがとうございました。

これまでKさんが当ブログのコメント欄で、竹原市長について評していた言葉を思い起こしながら今回の記事を綴っていました。やはり竹原市長の大きな問題は「守るべきルールや規範を無視していく姿勢」だと改めて強調させていただいた記事でした。

投稿: OTSU | 2009年12月20日 (日) 22時55分

はじめまして。hachiro86 と申します。いつも楽しみに拝読しております。
今回の記事の結論部分、まったく同感です。
竹原市長は三権分立の趣旨から勉強しなおすべきですね。

阿久根市をみていると、民主主義のもつ「怖さ」を強く感じます。
私は基本的に地方分権推進論者ですが、今の地方自治制度の限界として、
有権者さえyesと言えば、法律を無視しても、裁判所を無視しても、
こうした独善的な人間の首に縄をつけられないのだ、という事実は
深く認識すべきでしょう。

今、不安なのは、地方分権を遅らせ、地方に国が介入する「口実」として、
霞が関が竹原市長の問題を利用するのではないか、ということ。
悪い意味での地方自治の見本になってしまっていますから・・・。

投稿: hachiro86 | 2009年12月21日 (月) 01時23分

hachiro86さん、はじめまして。コメントありがとうございました。

自治体の長は「大統領」的な大きい権限があるため、ご指摘のような危うさも紙一重なところがあります。まさしく竹原市長は、その強大な力を誤った判断で行使しているように見ています。確かに今後、県や国の出番があり得るのかも知れませんが、適切な「指導」を期待したいものです。

また、「自治体職員の読書ノート」への当ブログのリンクありがとうございます。こちらの相互リンクに加えさせていただきました。これからもよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2009年12月21日 (月) 08時13分

くだんさんへ
OTSUさんのブログですので簡単に説明を
「権利の概念の開放」とは、権利などという考え方は無かった・・・と周知徹底させる事です。
所有権を「他人が介入してはならない」という考えで確立しようとする事です。
徴税とは財産権の侵害である事などを考えると、何故このような考えをするか分かります。

OTSUさん
私の問題提起は「特権や既得権益」のような「権利」の問題です。それを意識して記事を書く・・・との事でしたが、「特権の是非」を保留したのでは、私の問題提起とは異質な話と見做すしかありません。

特権にはどんな物があるのでしょう。
1:優れた者への特権。プロゴルファーで実績を持つ者は予選を免除される特権。資格試験に合格した時に与えられる特権。
2:「お代官様、この菓子で良しなに」「お前も悪じゃのー越後屋」の様に悪代官がお金の見返りに与える特権。
3:収入が少ない者だけが生活保護を受けられて、医療費も無料という特権。

私は「権利」をなくすべきと考えるが、経過措置として「1」と「3」は改めるべきと思います。「2」は問題になりません。代官も越後屋も「悪い」と自覚しているからです。悪事を見つけ出す方法を考えれば良いだけで価値観の変更を伴わないからです。
「1」と「3」で、社会の歪を大きくする特権は是正するべきでしょう。

OTSUさんは「3」を改める事には賛同していますね。私はOTSUさんが(改革者の考えを)理解できないとは思えないが、そう主張しているので、それに沿って。
「発言や行動の意図を理解出来る者」と「それを理解できない者」がいる。「出来ない者」が「出来る者」に対して「とことん分かるまで説明しろ」と居丈高に権利を主張するが如く言い立てるのは何故ですか?ちょうど障害者団体とやらが、見る聞きなしの「抗議」という最後通牒を突きつけたが如く。

市長が大暴れしたところで大した事はありません。4年に1回選挙という審判を受けるからです。不信任という洗礼もある。
問題は市長の方針が気に食わないからといって、(洗礼を受けない)職員が命令違反の天誅を加えようとする事です。
若し公務員全体がこの様な風潮を「是」と考えているなら、貴方達は組織人としては完全に「失格」です。

投稿: あまのじゃく | 2009年12月21日 (月) 09時30分

追加します。
OTSUさんが私に対して抱いている懸念は「目的の為には手段を選ばない」でしょうか?
これを否定する気はありません。目的を達成する事が重要である・・という意味で。
同時にOTSUさんが提唱する「目的を成し遂げる為には何をすべきかが重要」という意見にも完全に同意します。

逆に言うと両者のどこが違うかが分からない。

残念ながら「対立や軋轢を避ける」ことを目的にしていると思われる人達がいます。
それを認めるのは困難でしょう。

投稿: あまのじゃく | 2009年12月21日 (月) 11時43分

「目的のためには手段を選ばない」のであれば、相手もまた「手段を選ばない」で向かってくることを覚悟すべきで、そうなると、相手の意図を少しなりとも慮る姿勢は皆無となり、結局「潰すか潰されるか」の泥仕合となります。最前線で戦う方はそれでも自己判断だからOKでしょうが、自己判断の機会も与えられずについて行かざるを得ない者がみんな「潰すか潰されるか」を望んでいるとは到底思えません。
「俺は死んでも構わない」と思うのは結構ですが、「おまえらも死ぬ覚悟でついてこい」と言われるのは余計なお世話で、「ついてこない者は処分する」と脅してついてこさせる者を『独裁者』と言うのでしょう。かつて独裁者がどれほど幸福な世の中を作ったかについて論議する必要もないでしょう。

投稿: Ta | 2009年12月21日 (月) 17時18分

OTSUさん、前回、あいさつも無くカキコミしてしまいました「捨てハン」です。
非礼をお詫びするとともに、不束者ですが宜しくお願いいたします。

さて、今回の件ですが、市長としては単純に「喜んでいる」だけのことだと考えられます。
人が一個人(いちこじん)としてでも、ましてや公人が、本当にやりたいことがあるなら、それ以外の事で堪えなければならないことや、動けないことがあります。それを「我慢(がまん)」とか「辛抱(しんぼう)」というのではないでしょうか?
法令遵守の件や差別発言に関して、言いたい放題のやりたい放題で、首長の責任の重さよりも「俺様の口に蓋はさせないし、足枷(あしかせ)などはもってのほか!」という横柄な態度しか感じられません。
市長が本当にやりたいことは「ブログ市長と呼ばれて、目立つ事ができて、みんなが構ってくれること」だけだと思われます。
「進みたい道の正面に壁がある。壊さなければ前進出来ないと思い、たたき壊す。実は、その壁には扉がついていて、容易に開けて進める壁であった。しかし、壁を壊す快感に魅了されてしまい、いつしか前進することよりも壁を壊すことが目的となった。」
そう考えれば、各種マスコミや俗称で言われるネット上、そして市議会、県議会をも巻き込んでいる現状は「至福の毎日」なのではないでしょうか。

こんなになんでもできる市長でも出来ないことがあります。
「誠心誠意あやまること」です。
今までも、謝罪を訴えている人に対して本人が謝るのではなく、代理の者(市役所に来られた方々には応対した市職員、一部の件に関しては市長の実父および実母)が「本人(市長)はたぶん理解できていると思うし、なんでしたら代理の私が謝罪ということでお引き取り願えませんか?」といった具合でやり過ごしてきました。
市長が取材記者に対して「あかんべー」をしたときは、詭弁(「マスコミのペンの暴力に対するささやかな抵抗」とか「ちょっと下まぶたのところに指をあててみただけ」等)でやり過ごそうとして失敗し、表面上では謝罪ではなく和解ということで手打ちにしているものの、市長への単独取材は常に拒否され、市職員には取材には答えてはならないとの「命令」が発せられていることが現状です。
再度、念を押すようですが、やはり市長には「誠心誠意謝るという通念がない」としか思えません。

投稿: 捨てハン | 2009年12月21日 (月) 18時39分

「あまのじゃく」さんのコメントに対して言わせてください。

「傷ついたから謝罪せよ。うらを返すと人を傷つけずに生きていける。或いは傷つかずに生きていける。しかしそれは無理です。何故なら人間の存在自体が矛盾しているからです。私が目の前のリンゴを食べたら、あなたはリンゴを食べられないのですから。これを突き詰めると「なぜ差別してはいけないのか?」・・どうです変ですか?」
とありますが、なんだか世知辛すぎる世界観だと感じました。

例文を変更すると
「傷ついたから謝罪せよ。うらを返すと人を傷つけずに生きていける。或いは傷つかずに生きていける。しかしそれは無理ですが、傷を小さくしてなら生きていける。何故なら人間には思いやりの心があるからです。私が目の前のリンゴを半分だけ食べれば、あなたも半分だけは食べられるのですから。これを突き詰めると「共生する社会は実現できる!」‥どうです変ですか?」
となります。

青臭い共産主義者と思われるかも知れませんね(苦笑)。

ただ、「80個のパンがあり、人間が10人います。人間が生きるには1人に10個のパンが必要です。では、何人死ぬでしょうか?」の回答は「0人。10人が話し合い、1人に8個のパンで生きていくように辛抱したから。」が幸福な社会ではないでしょうか。


「牡蠣とシャブリ」や「望遠鏡と虫眼鏡」の比喩などは「あまのじゃく」さんを理解するには、わかりやすい話だと思いました。
文章から理解できたことは、「視点を前後することができるが、視点の角度は変えられない」と判断しました。
「牡蠣とシャブリ」では食文化や人種の違い、牡蠣の品種、産地、時期、シャブリの等級、製造年代、飲酒時の温度等には触れられずに、「主観=常識」とされているようです。
「望遠鏡と虫眼鏡」の話を私なりに訳すと
A「今放送している仮面ライダーは3色に変化する事を知らないのか?」
B「非対称で左右の色が違い、組合せで9種類あるのですよ。」
A「何が非対称だ!虫眼鏡で見ても、望遠鏡で見ても、ここから見たら3色だけだ。」
B「じゃあ、ここから見てください。左右非対称なのが見えますよ。」
A「その手は食わないよ。」
と言う感じです。

自らの考えが「絶対で完璧」と言うことはないので、その知識や視点を前後する能力に、視点の角度を変える能力も追加して頂ければ、今後も素晴らしい活躍をされると思われます。


連投になりましたが、考察の程、よろしくお願いいたします。

投稿: 捨てハン | 2009年12月21日 (月) 18時46分

あまのじゃくさん、Taさん、捨てハンさん、コメントありがとうございました。

一個人のブログのコメント欄へ、このように貴重なご意見をいただけることを本当に感謝しています。この思いは社交辞令ではなく、批判的な内容も含めて多様な考え方に触れられる機会を意義深いものだと受けとめています。

少し話は横道にそれますが、今夜、私どもの組合の執行委員会がありました。前回結論を出せなかった案件について、自分自身の考えをまとめた資料も提出し、全体で確認できるように努めました。しかし、前回と同様、私の意見はどうしても他の役員からの賛同が得られません。

決して自分の提案が誤っているものとは考えられず、説明を尽くしましたが、やはり全体的な合意が得られそうにありませんでした。そのような中で、委員長として持論を押し通した場合、疑義を示した多数の声を無視する結果となります。

結論として、自分自身の案の取り下げを受け入れました。当たり前な会議の運営だろうと思いますが、間逆の組織も少なくないのかも知れません。前置きが長くなりましたが、自分自身の考えが絶対正しいと思い込み、異論は受け付けない、他者の意見に耳を傾けないような頑固さは好ましいものではありません。

そのような心構えを意識し、実生活などでも対応してきているつもりです。この方向性は、Taさんと捨てハンさんらのご意見と相通じるものではないでしょうか。その対極に竹原市長、あまのじゃくさんがいらっしゃるように思っています。

竹原市長と並べて評することについて、あまのじゃくさんにとって失礼に当たるのか、光栄なことなのか分かりませんが、自分自身の考えが唯一の正解と信じているような姿勢をそのように感じています。その上で、あまのじゃくさんの主張が正しいのかも知れません。

しかし、そう思えない人たちが多数存在することも無視すべきではないものと考えています。ちなみに今回と前回も一貫して竹原市長の非常識な手法などを批判しているものです。前回のコメント欄でも「踏み込んだレスはできそうにありません」とお答えしただけで、「権利」の問題についての論評をお約束していません。

その段階で、今回の記事のような内容のレスを想定していました。さらに今回の記事本文の中でも、その点はお断りしたつもりです。「権利」問題の終着点が正しいものだったとしても、その目的を達成するためには「何を行なっても許される」という発想や手法を強く批判しています。

この問題を「土俵」として提起しています。ぜひ、ご理解ください。相撲を取ろうと思っている相手にボクシングを挑まないようご協力ください。このレスに対しも、あまのじゃくさんとしては違和感を抱かれるのかも知れませんが、今回に関しては竹原市長の手法の是非であることを強調させていただきます。

投稿: OTSU | 2009年12月21日 (月) 23時13分

はじめまして。

最近、この市長の行動から公務と法律について考えることがあり、様々なサイトをのぞいているうちにこのブログを見つけました。
ネットを通じた議論は、往々にして感情がぶつかり合うことで結末を迎えることが多いと感じていましたが、OTSUさんの穏やかな中に凛とした気品みたいなものを持ち、なおかつ論理的で辛抱強い文章にとても感動しています。何か人としての温かさみたいなものをネット上で感じたのは初めてです。あまのじゃくサンも、この温かさに惹かれて投稿されたのだろうと思います。
あまのじゃくサンの二つめの投稿冒頭の「わ・わ・私有名人だったのですか?書き込み控えよう。それと私の知識は貧弱です。」の部分を拝見して、この人は実はそう悪い人ではないのだろうなあと感じました。

しかし、行き着いたBBSでの議論では、頭の悪い私には哲学的な問答には耐えられませんでした。

ただ、そのやりとりの中で、竹原氏もあまのじゃくサンも、自分を疑うことを知らない人たちなのだと思いました。虫眼鏡と望遠鏡のたとえでも、相手は本当に虫眼鏡なのか、自分が持っている望遠鏡は今使っていい道具なのかということ少しでも考えてみるともっと楽しい人生になるのに。視点がずれていると感じたら、視点をあわせる努力が必要だと感じます。

できなかった私が言うのも何ですが。

投稿: くじゃく | 2009年12月22日 (火) 00時37分

くじゃくさん、はじめまして。おはようございます。

心強い励ましとなるコメントありがとうございました。論理的な文章となっているのかどうか自信がない時も多いのですが、私と正反対の意見をお持ちの人たちにも届くような言葉に努めています。ぜひ、これからもよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2009年12月22日 (火) 08時06分

あまのじゃくさん、おはようございます。昨夜投稿したレスで、この点は付け加えなければなりません。

>「対立や軋轢を避ける」ことを目的にしていると思われる人達がいます。

避けるべき対立や軋轢は、避けるために最大限努力することは当然だと思います。阿久根市の場合、その発信源はすべて竹原市長であることが間違いありません。理不尽な懲戒免職などを突き付けられれば、対抗せざるを得ません。そして、理不尽なのかどうかの判断のため、法的手段に訴えるのもやむを得ません。

私が強調している点は、目的の達成から遠ざかるような手法は問題だと考えています。捨てハンさんのご意見にもありますが、「対立や軋轢」を目的としているようにしか見えない竹原市長の乱暴さを強く批判しているところです。

投稿: OTSU | 2009年12月22日 (火) 08時23分

ははは、結局話が堂々巡りになっています。
私は皆さんの話は分かりますよ。いや、分かっているつもりですよ。その上で私の意見を書き込んでいる。

そうしたら「自分が絶対と思い込んでる」とか「異論を受け付けない」とか「他者の意見に耳を傾けない頑固者」との意見が噴出し、中には私の事を極悪人と思われていた方もいたようです。まあ気も短いし口も悪いからその評価は甘んじて受けます(珍しいでしょ!笑)
「何故そう思ったのか、説明せよ」と言うつもりもありません。

OTSUさんはわざわざ会議の例を出してまで説明をされてますね。別にあなたの考えを完全に否定する気はありませんが、仮に誰かが「合意を得るために自分の考えを封じるのでは、付和雷同になる可能性がありますよ」とか「皆で間違った道を進む場合はどうするのですか?」と提案したらどうなるのですか?聞き入れるのですか?
合意を得られなくても自分の考えを押し通しますか?で、そうしたら「皆の話を聞け」と言われるでしょう。どうしますか?
単に「今のあなたの価値観」が「絶対」だと考えているのではないのですか?

結局自分の信じる道を皆進むのではないのですか?貴方達は信じる道を進むのを許されて、貴方達と考えが違うと信じる道を進む事を「許さない」・・とでも?

私の書き込みを整理してみましょうか。
市長の言動や行動は「特権や既得権益」について踏み込んで議論しないと理解できないと私は思っている。だから「権利」についての問題提起を行いました。
そうしたらOTSUさんは「特権の是非」を保留して話を進めた。何故か私の書き込みを引用して。
だから私はこう書いたのです。

「特権の是非を保留したのでは、私の問題提起とは異質の話である」

良いとか悪いとかの話ではない。権利の議論を要求している訳でもない。私の書き込みを多数引用していますが「私の問題提起とは異質な話である」とお断りしたのです。
OTSUさんは「多様な意見を認め合って議論できれば」と書いているので「権利」の話にこだわったけれど、権利の話が御法度なら、するつもりは毛頭ありません。
多様な意見を期待すると言っておきながら、突然「ここは相撲場だ、ボクシングなんて認めん」とは不愉快極まりない。
これにて失礼する。

尚、頑固者で人の意見など聞かない私も、議論を排除する事はありませんので、私に異論のある方は「件のBBS」に書き込んでください。
そうるふれんどさんが許す範囲でお答えします。
但し、あまりにもくだらんものは無視するからそのつもりで(笑)。

投稿: あまのじゃく | 2009年12月22日 (火) 10時36分

あまのじゃくさん、コメントありがとうございました。

初めに誤解を与えた点などは謝らなければなりません。あまのじゃくさんの前回記事へのコメントに対し、「権利」問題を中心にしたレスを行なうような印象を与えた点はお詫びします。合わせて、その内容の議論を横に置くと言いながら今回の記事で、あまのじゃくさんのコメントを多数引用していた点も適切ではなかったかも知れません。

また、「多様な意見を認め合った議論ができることを願っています」と書きながら、あまのじゃくさんのコメント内容に対して「土俵上でのボクシング」と表現した点は非常に不適切なものでした。不愉快な思いを与えてしまい、たいへん申し訳ありませんでした。

なお、繰り返しのような話となりますが、公務員の「権利」問題など是正すべきものは是正すべきというのが私の考え方です。その上で、使用者の視点のみで労働条件の問題などが一方的に改められる手法には反対の立場です。このような基本的な立場は、今回の記事本文でも紹介した以前の記事(公務員批判への「答え」は? Part2)などで述べてきたものです。

阿久根市職員の賃金水準が地場の相場との乖離があり、見直しが必要な場合、大きく二通りの方向性が考えられます。一つは公務員制度全般の改革です。もう一つは、独自な労使交渉を尽くした上での労使双方が合意できる決着点を探ることです。その際、当然、労使それぞれが阿久根市民の皆さんの声を重く受けとめた中で判断していくことになるものと思っています。

そして、ここから先が論点の枝分かれになっていくのだろうと見ています。このような方法では、大胆な削減はできないと思われる方々がいらっしゃるはずです。同時に以上のような主張が結果的に自分たちの既得権を守るための方便だと言われるかも知れません。

しかし、社会全体の雇用が劣化した中、本来「平均」と見なしてきた公務員賃金を下へ引っ張る力が強まっていけば、先ほどの述べた手法でも大胆な見直しがあり得るものと考えています。ちなみに私自身の思いとしては、社会全体の賃金水準が底上げされていく方向性を理想視しています。

公務員賃金の問題に対する個人的な見解を改めて述べさせていただきました。このような面からも竹原市長の職員組合を敵視する姿勢は不当だと思っています。職員組合を本当に敵だと見ている皆さんにとって、竹原市長の破壊的な手法は喝采の対象となっているようですが、たいへん残念な構図だと感じています。

長々と書きながら、かえって分かりづらくしているのかも知れませんが、私自身の中では前回と今回の記事も一貫した主張を展開しているつもりです。めざしているゴールが本当に正しいものだったとしても、竹原市長の手法は大きな問題であるものと考えています。特権の是非を留保と述べたのは、そのゴールが正しくても間違っていても、手法が誤りという論点は同じだからでした。

そのように考えている中で、あまのじゃくさんのご意見は「めざすべきゴールが正しいのだから、手法の誤りは許される、些細な問題だ」というように聞こえ、「だからゴールの正しさを認識し合うべきだ」と指摘されているように受けとめていました。つまり論点をずらそうとしているのは、あまのじゃくさんだと感じてしまい、いろいろ失礼なレスにつながってしまいました。日頃から言葉遣いは注意しているつもりですが、不愉快な表現などがあった点は冒頭申し上げたとおり反省しています。

最後にもう一言。執行委員会で自分の提案を取り下げたのは、自分自身の判断です。言いたかった点は、最後まで持論に固執した場合、決裂か、再度継続協議するしかありません。当たり前なことですが、その会議で合意する結論が絶対的な誤りだと判断した場合、多数決ではなく、さらに粘り強く議論するつもりです。お互いの考え方に隔たりがあっても、話し合って一つの合意点を探っていくことは必ずできるはずです。このような点も、個々人で大きくとらえ方が分かれ、あまのじゃくさんとの議論は確かに堂々巡りとなるのかも知れませんが、以上が私の考えでした。

投稿: OTSU | 2009年12月22日 (火) 21時00分

阿久根市とも、他の自治体とも、なんの関係もない個人なのですが。。

阿久根市の場合、不満がたまりすぎて、話し合いのような、おだやかな方法では無理だから、荒っぽい手法をとらざるを得なくなっているのでは?世の中には、対決でしか解決できない問題はたしかにあるでしょう。それに他の手法では、時間がかかりすぎて、時間がかかること自体、一方の側(この場合は職員)にとって有利なのでは?

なお、手法が良くないと判断するのは、職員にはなんらかの”権利”があるからでしょう。”権利”の議論がなければ、そもそも良くないともいえないのでは?手法を論ずる際にも権利の議論をする必要があるのではないでしょうか?

投稿: 横浜市民 | 2009年12月22日 (火) 21時35分

横浜市民さん、はじめまして。コメントありがとうございます。

ご指摘のとおり課題によって、お互いがそれぞれの正当性を確信し、対決し合う緊張した場面が続くことも想定されます。それでも物事を決める基本は交渉、つまり話し合いだと考えています。当事者間で結論が出せなかった場合、裁判所などの第三者機関に判断を委ねることになります。それも一つの話し合いの延長線だと思っています。

最低限、そのような基本ルールは守るべきだと主張しているのが阿久根市長に絡んだ記事の数々でした。したがって、基本的なルールがあって、その上で双方の主張の正当性や「権利」の妥当性などの議論を行なうべきだと考えています。

時間がかかる、これまでのような手法では改められない、そのような見方があることを否定しません。しかし、繰り返しになりますが、だからと言って、許されることと許されないことがあります。裁判所の命令を無視するような姿勢は論外だと見ています。

投稿: OTSU | 2009年12月22日 (火) 22時06分

 こんばんは。
 以前、統計事務を担当していたので、気になる点を書きます。
 阿久根市役所の騒動で市職員の給与が高いと市長が示した統計は、鹿児島県統計協会の発行する手帳に掲載されていた市民所得が根拠だそうですね。
 市民所得というのは、自治体ごとに人口や産業構造などによって日本のGDPを案分して出したものを、その自治体の総人口でわったものです。GDPというのは、その国が生み出した総付加価値なので、言い換えると、その自治体の域内で生産された付加価値を、赤ちゃんからお年寄りまで全員で割ってだしたもので、平均給与ではありませんし、総人数で割っているので、かなり低くなります。
 つまり、意味が全く違い、比較できないデータを比較していることになります。
 あと、指定統計では自治体単位で、収入を調べた統計調査は無かったはずです(家計調査で世帯収入を調べたり、工業統計で給与を調べたりはしてますが)。
 給与収入などの統計データとしては、国税庁が日本全体のものを出しているはずです。

 議論を行う際には、まず現状の共通認識を作り、課題を定義するところから始め必要がありますね。
 それと目的が正しければ、手段にはこだわらないというのはテロリストの論理です。
 民主主義とは相容れない考えだと思いますね。


  


 
 
 

投稿: 通りすがりの公務員 | 2009年12月22日 (火) 22時23分

通りすがりの公務員さん、コメントありがとうございます。

ご指摘のとおり平均所得200万円と市職員の給与比較は、不適切なモノサシであったことが明らかです。最近、竹原市長絡みの次のようなニュースもありました。今さら…、という点と合わせ、本当に呆れてしまう話です。

毎日新聞 2009年12月17日http://mainichi.jp/select/today/news/20091217k0000e040092000c.html

 鹿児島県阿久根市の竹原信一市長(50)が、市内の民間所得状況を把握するためとして、市民の課税情報資料を税務課長に提出させていたことが分かった。市関係者によると、課長は当初「個人情報保護の観点から、目的外の利用は認められない」と拒んだが、市長が懲戒処分の意向を示し、その後に提出した。個人情報の目的外利用や、強引な指示のあり方をめぐって批判を招きそうだ。

 課税資料は市が収集し、市民の個人収入などが記載されている。税務課は個人情報を保護するため、データのうち氏名や住所など個人が特定される項目を伏せて、市長に提出したという。鹿児島県税務課は「課税額の確定のために収集、作成した税務資料を第三者に示せば、秘密の漏えいを禁じた地方税法に違反するおそれがある」としている。

 この資料をめぐっては、市長派の市議が15日、一般質問で「市民所得に比べ市職員給与が高額だ」と主張し、比較のためとして提示を要求。課長は「個人情報保護条例で、収集目的外の利用は原則認められていない」と、応じない意向を示した。だが、続いて答弁した市長は「以前から提出するよう言っているが、市長命令に従わないので処分します」と、公の場で懲戒の意向を示していた。

投稿: OTSU | 2009年12月22日 (火) 23時01分

法治国家である以上、ルールにそった手法でないと困るで。こんなんまかり通って、大阪で似た様な事態がおきたらかなわんがな。
「正しい事であれば、どのような手法でもかまわない」のであれば、そら専制君主制とあんまり変わらんやん。
支持率が100パーセントであっても、「王様」を選びたいとは、オレは思わんけどな。

で、権利権利ていうけど、それぞれみんな権利、持ってんのよ。基本的人権に始まって、な。
オレはてっきり、そのバランスがおかしいということで話題になってんのかて思たけど、権利そのものの否定みたいになってへんか?
特権も必要やん。街中で拳銃を持つ特権が、警官以外にあったら、困るやろ。アメリカにはあるけど。
スポーツのシード権みたいなんは、運営上必要であったり、大会を面白くしたり、くじ運による不公平を無くしたりする上で必要やん。
資格を持つ人間に特権があるんは当然や。ただこれは免許、という言葉の方が適切や。免許の無いモンにふぐの調理をさせたり、自動車を運転させたり、医療行為をさせたり・・・、まさかそれがええなんて思てへんやろ。
ただそこが論点になってるんならオレにはもう理解不能で手がつけられんさかい、黙ってたんやけど。

労働者であれば労働者としての権利を主張すんのは、当たり前やろ。
阿久根市の職員はオレの想像もつかんような、ものすごい権利を、合法的に所有してるんか?
阿久根市職員の給料が、その仕事内容に比して、不当に高額であるんなら、それはそれで議論すればええし、
阿久根市長の市政の手法や、ブログの内容に問題があるなら、それはそれで議論すればええだけの話やんか。

まっとうな手法では解決できんようなカラクリが存在してるなら、それを問題にすべきであって
手法そのものを勝手に変更して、荒っぽくしてもかまわないていうんはどうやろか?
その刃が自分に向かった時、その理不尽を誰に訴えたらええんやろか。
それこそまさに権利の濫用であって、許されるべきものでないと思うんやけどなぁ。

投稿: K | 2009年12月22日 (火) 23時11分

市長に「全権委任法」を与えたわけではないので、市民や議会が市長を追及することも必要ではないかと感じています。市長の法律を無視した行動や配慮に欠けた「意図的な発言」は本当に残念なことです。(他の新聞では市長の発言を直接載せていないものもありました。)
課税情報資料の問題も論外ですね(もし、OTSUさんが、竹原市長に提出を求められても課長と同様に拒むでしょうね・・)

投稿: ためいきばかり | 2009年12月22日 (火) 23時33分

 こんばんは。
 私としては、ああいう明らかに誤りとわかるデータを示してるのに、誰もそれをつっこんだ形跡がないのが不思議でした。
 ここ十年くらい、「敵」を仕立てて、自分の見方を増やすという手法が流行っていて、マスコミもそれに荷担していますけど、そういうやり方で建設的な課題解決ができるのか疑問ですね。
 ただ、問題なのは、こういうのを支持しちゃう人が多くでてしまうくらい、地方が疲弊していることだと思います。
 みんなが中流だと実感できていた二十年前だったら、こういう人は泡沫候補だったと思いますよ・・・。
 思うのですが、労働組合としては、地域の労働条件の向上にも取り組む必要があるのかもしれませんね。

投稿: 通りすがりの公務員 | 2009年12月23日 (水) 00時15分

ちょっと不思議に思うのですが、ここでわざわざ取り上げなくても阿久根市長の手法が論外なのは間違いありません。もう世の中の大半は彼(の支持)から離れており、間違いなく近いうちに居なくなる過去の人ですから、いまさら彼の手法が不当だとここで言うことに何の意味が有るのでしょう?
それよりも、何故彼のような人物が市長に当選し、そして一時的とはいえ世の中から熱烈な支持を受けたのか、また何故未だに一部の人間から喝采の対象となるのか、その理由を考えた方が有意義だと思います。

さて私も、こちらのブログに訪れるようになり、なんとか全部読み終えた所です。そして「公務員の「権利」問題など是正すべきものは是正すべきというのが私の考え方です」という割りに、ご自身から是正したものは一つも無いという事が判りました。すなわち外圧がないと何も是正できないのだなと認識を新たにしたところです。

また、こちらでコメントされる公務員諸氏からも基本的に同じ考えが読み取れます。「通りすがりの公務員」氏がその典型で、公務員に批判的な論調に対して「手法に問題がある」「結果に意味が無い」と常に仰います。
しかし、手法に問題があるかを判断するのは首長です。そして実際に問題があった場合、それを止めるのは司直です。さらに一番重要な点ですが、その結果に意味が有るかを判断すのは市民です。
こんな簡単な原則も判らず、単なる行政の執行者が「手法に問題がある」「結果に意味が無い」という。一職員である公務員ごときが何を思い上がっているんです? こういう職員を見るに付け、市民はほとほと呆れて意識が離反していくのだという事を知るべきではないでしょうか。職員の敵は、実は職員が作り出しています。先ずは、このような職員を排除することが、市民から受け入れられる第一歩だと思いますが。
市民からみても阿久根市長のような人物が量産されては、たまったもんじゃありません。

それすらも出来ずにいれば「あまのじゃく」氏の仰るように、
>ヒステリックな、場合によっては暴力を伴う騒乱でしょう。そうなっては止める手立てはない。
ということになるかと思いますね。

残念ながら周りが著しく下がる事により、公務員の待遇は不当に突出しているのは事実で、これは是正されなければなりません。それに対して、自浄することが決して出来ない公務員は、市民から見れば権利を不当に占拠している状況であり、先のコメントを引用すれば、職員そのものがテロリストです。市民はそういう自浄能力の無い公務員が粛清されることを望んでいるのです。

結局のところ、ここのスタンスは話を聞いてくれという事のみなのでしょうが、話す前にはまず行動して見せることが必要です。「定員を削減」し民間並みの一人当たりの仕事量にし、「シフト勤務を導入」し開所時間を民間の商業施設並みにし、「給与を削減して」民間の同業レベルに合わせる様なことをしてから話されるべきでしょう。(ちなみに同業レベルとは事務職等の大きな括りではなく、窓口対応、経理事務、その他給食調理まで個々の職種別にきちんと給与を合わせなさいという事です。役所の人間全部が事務職で同一給ではあまりにも論外です。)
市民からみれば「話はそれからだ」という事で、現状では聞いても貰えません。

でも、この様な一市民の声など届かないのでしょうけどね。それでも一応私は敬称は付けますよ。気に入らなければ、また侮蔑でもなんでも好きに言って下さい。

投稿: mobileSE | 2009年12月23日 (水) 07時44分

Kさん、ためいきばかりさん、通りすがりの公務員さん、mobileSEさん、おはようございます。 コメントありがとうございました。

阿久根市の問題は、これまで同じ自治労に属する組合の役員として「対岸の火事」ではないことを申し上げてきました。竹原市長の話題は豊富で、毎週でもブログの記事に取り上げられるほどです。それも極端で少しためらいがあり、前回記事が久しぶりの投稿でした。mobileSEさんも指摘されていますが、大半の人は竹原市長の言動を批判的に見ているはずですが、根強い支持者がいらっしゃることも確かでした。そのような点が気にかかり、不特定多数の皆さんが訪れる当ブログで、あえて私なりの問題意識を訴えてきています。

mobileSEさんから「全部読み終えた所」と述べていただきましたが、たいへん有難いことです。その中で下記の記事はご覧いただけなかったでしょうか。このような点がある訳ですが、何か誤解もされているように見受けられます。私の立場は労働組合の役員です。つまり公務員がそれぞれの立場や役割を全うする上で、mobileSEさんのような声があることを重く受けとめていく大切さを強く認識しているところです。今一つ抽象的な言い方で恐縮ですが、決して数多く寄せられる批判意見を黙視しようと思っていないことをご理解ください。

2007年9月23日(日) 「襟を正す」記載の難しさ
http://otsu.cocolog-nifty.com/tameiki/2007/09/post_251a.html

投稿: OTSU | 2009年12月23日 (水) 09時06分

こんにちは。

mobileSEさんの御意見、拝見しました。
こういう誤解や無知から生まれる意見は、最近多いですね。そしてこういう意見を持つ方に公民の実情やその仕組みを理解してもらうことはすごく難しい。私は公務員ではありませんが、公務員の仕事を詳しく知っています。

たとえば、窓口業務はだいぶ臨時雇用化が進んでいます。簡単に言うとパートやアルバイトです。
それから単なる行政の執行者とおっしゃいますが、行政に関わる様々な法律を考慮しながら、利害関係を調節し、民間にお金を循環させるといった目的は、それほど簡単な仕事でありません。残業代も出ないのに夜遅くまで仕事をしている人はざらですよ。年収200万しか得られない人がつとまる仕事と思いますか?

公務員の行動はすべて法律に縛られます。そしてそれを決めているのは、公務員ではなく、議員です。
公務員の給料を上げるにも下げるにも、議会による条例の制定が必要です。そしてその議員の方々は、多くの場合民間出身者です。また、選んでいる人々の多くも民間人です。

>しかし、手法に問題があるかを判断するのは首長です。そして実際に問題があった場合、それを止めるのは司直です。さらに一番重要な点ですが、その結果に意味が有るかを判断すのは市民です。

昨今、話題になっている阿久根市の市長ですが、本人に判断が出てきおられますか?問題があるときに止める司直が効果的に働けていますか?今現在、市民が結果を判断する力がありますか?

私は、役所から仕事をもらって生活しています。しかし、一般公務員の方々より多くの収入を得ています。従業員は、公務員より低い収入です。でもそれが悪いことだとは思いません。人それぞれです。努力や運の結果です。

最後に、公務員は公僕と言います。しかしそれは、市民の奴隷という意味ではありません。社会のために尽くすという意味です。役所がなくなって一番困るのは、市民そのものです。国や地方の借金の多くは、公務員に流れたものではありません。具体的には私のようなもののところへ流れてきたのです。そしてそれは、さらに言うと、特に、平均以下の収入しか得られないような人たちのところへ回るように使われています。

>一職員である公務員ごときが何を思い上がっているんです。

思い上がっているのではなく、それしか評価する方法がないのだと思います。
理想はともかく、現実は結果がすべてです。

投稿: くじゃく | 2009年12月23日 (水) 13時31分

「OTSU」氏へ

貴方が指定された記述は当然読んでいます。
このブログでは過去から今まで、具体的な例示等を添えられて貴方への問いかけが何度もありました。それに対して一度も正面から向き合った回答は無く、イエスorノーで答えるべき物に対しても、「そもそも論」で論点をずらし問いかけられたものと異なる例を持ち出し回答したように見せる例が何度もありました。
そして、今回も「あまのじゃく」氏が同様の扱いをされ、彼は回答を得ることを諦めて去っていきました。引用を用いた上で論点をすり替え、回答をしたように読み手に錯覚させている非常に悪質なやり方です。
その上で、貴方は常に論点をずらし回答をはぐらかす方だとの評価でおります。これが謙虚に受け止める姿ですか?

貴方に限らず(全員ではありませんが)一部の公務員で、この様な受け答えが良く見られます。そして、市民としてこのような受け答えを少なくない回数で経験させられますと、結果として公務員すべてが信用できなくなるという弊害を生み出しています。
私自身も、もう公務員同士の論議を見ても「判りやすい悪」「判りにくい悪」にしか見えないのです。この様に感じる市民は少なくないと思います。ちゃんと働く公務員もいるでしょうが、現在の状況では貴方達に邪魔をされて、どうやっても信用を得られない状況なのでしょうね。

また、このブログでも貴方は自単組の組合員から過去に「役所の仕事をしている事実が恐ろしい」などと数度書かれておられます。この部分に貴方は何を思うのでしょうか。私には邪魔をしないでくれという叫びに聞こえました。


「くじゃく」氏へ (引用は改行のみ追加。誤字そのまま)

ちょっと理解しがたいコメントですが、それでも一部だけ回答します。
>昨今、話題になっている阿久根市の市長ですが、本人に判断が出てきおられますか?
>問題があるときに止める司直が効果的に働けていますか?
>今現在、市民が結果を判断する力がありますか?

阿久根市長本人は判断できているつもりでしょうね。司直も近日中には一部で回答を示すでしょうから効果的に動けていないとは思いません。市長本人は司直の限界を付いているつもりでしょうが、直ぐに破綻するところが見れると思います。
そして市民は次回の選挙も支持するのでしょうかね? その結果も、リコールが解禁となる半年後くらいには結果が出ていると思います。
よって、きちんと機能していると思いますが、なにが問題ですか?

それと貴方のコメントは前半と後半で自己矛盾していることに気が付いていますか? 市民をなめるような書き込みといい質の良い方ではないようですね。

その他については、
>それから単なる行政の執行者とおっしゃいますが、行政に関わる様々な
>法律を考慮しながら、利害関係を調節し、民間にお金を循環させるといった
>目的は、それほど簡単な仕事でありません。残業代も出ないのに夜遅くまで
>仕事をしている人はざらですよ。年収200万しか得られない人がつとまる
>仕事と思いますか?
と言っている時点で、批判対象とした文章をまったく読めてないのは明らかですので、回答する必要を感じません。貴方の冒頭の一文は、ご自身のことと思いますよ。

投稿: mobileSE | 2009年12月23日 (水) 20時56分

くじゃくさん、mobileSEさん、コメントありがとうございました。

mobileSEさん、私の言葉すべてが、そのように冷ややかな受けとめ方しかされていないことについて、本当に残念で悲しいことです。閲覧されている方々全員に対し、100%理解していただけるような無謀なことは考えていません。しかし、mobileSEさんのような決め付けや突き放したコメントに接すると大きく心が痛みます。自分の営みは何なのだろうかという無力感とともに、どうしても距離を縮めることができない「溝」の深さに落胆せざるを得ません。

>自単組の組合員から過去に「役所の仕事をしている事実が恐ろしい」などと数度書かれておられます。

ブログを開設した当初、総選挙戦に絡んだ記事へ3回ほど投稿された「つばさ」というハンドルネームの方を指しているのだろうと思います。そのことについて、下記の記事で対応してきたところでした。以降、「つばさ」という名前での投稿はなく、同じような趣旨での批判を組合員の方から受けた記憶はありません。批判的なコメントは数え切れず寄せられていますので、その中に組合員の方もいたのかも知れませんが、そこまでは分かりません。

2005年10月11日(火) 改めて「公務員のためいき」をよろしく。
http://otsu.cocolog-nifty.com/tameiki/2005/10/post_6ad0.html

mobileSEさんのコメントに対し、長く書けば書くほど、また論点ずらしやはぐらかしと見られるのでしょうから、もう辞めます。最後に、断片的な記事内容に対して批判を受けがちな中、以前の記事も含めてお読みいただいたmobileSEさんの労力には恐縮しています。

投稿: OTSU | 2009年12月23日 (水) 22時42分

そこはそれ、例えば安全保障問題では意見が分かれるオレとブログ主はんなんやけど、確かにそこでもバッサリと決めつけたり、自身の考えを明確にしたり、白か黒か的な質問の回答をしたりする事は避けてるな。これは質問者の立場になると確かに歯がゆいというか、どっちやねんて言いとうなるんやけど、しかしブログの運営者という立場を考えると、致し方ない部分もあると思うねん。すべてにおいてそうであるなら、それはそれで、ホストのスタンスがぶれてない訳で、そうと認識した上で、ゲストはコメントを書けばええんとちゃうか。
オレは論破したりされたり、そういうのガラやないし、下品な言い回しが読み手を不愉快にさせるかも知れんけど、基本言いっぱなしや。無責任なたわごとや。引用符を使うて、特定の相手にコメントする事もあるにはあるけど、そうでないときは別に誰に対するもんでもない。ひとりごとの時もある。でもその方が、読み手も気楽でええんちゃうかと思てな。

投稿: K | 2009年12月23日 (水) 22時58分

Kさん、いつもコメントありがとうございます。

補足していただいたような当ブログの性格や位置付けについて、今朝のコメントで紹介した以前の記事(襟を正す」記載の難しさ)などで述べてきました。このような説明を重ねても、単なる「論点ずらし」としか見ていただけない方々がいる事実の重さに落胆しています。

その中で、Kさんのようにご理解くださっている方がいらっしゃることは救いとなっています。先ほども書きましたが、100%は到底めざせません。これからも一人でも多くの方々に共感いただけるような発信について、実生活も含めて地道に努力していくつもりです。

投稿: OTSU | 2009年12月23日 (水) 23時23分

「K」氏へ

>しかしブログの運営者という立場を考えると、致し方ない部分もあると思うねん。
>すべてにおいてそうであるなら、それはそれで、ホストのスタンスがぶれてない
>訳で、そうと認識した上で、ゲストはコメントを書けばええんとちゃうか。

貴方のいうとおり「OTSU」氏のスタンスはぶれていませんよね。その部分は見事だと思います。そして、このブログでの主張もスタンス同様にぶれていません。これ凄く重要な部分です。
私はこのブログの全ての記事を2回ずつ目を通しています。一度目はコメントも含めて時間をかけて読みました。二度目は本文のみ最初から最後まで一気に読んでいます。このブログは4年以上に渡り、最低週1回は記事の投稿があります。その膨大な量の記事を読んでみても終始一環その主張にぶれがありません。
これだけの長い期間、多種多様な意見を目にしているのに、主張にぶれがまったく現れない。たしかに見事ですが、これが何を意味していると思いますか?

今回の記事のコメント中で「あまのじゃく」氏に対して第三者から、
>(貴方の考えが)絶対で完璧と言うことはない
>自分を疑うことを知らない人たち
とコメントがあり、それに対して「OTSU」氏は、
>自分自身の考えが唯一の正解と信じているような姿勢
と評し、さらに
>自分自身の考えが絶対正しいと思い込み、異論は受け付けない、
>他者の意見に耳を傾けないような頑固さは好ましいものではありません。
と述べておられます。

これらのコメントと、最初に述べた「OTSU」氏のぶれない姿勢を見比べると違和感を持ちませんか? 実は、自分の考えが絶対で異論を受け付けていないのはどちらの方なのかという事を、「言葉が綺麗」とか「知的な物言い」などの先入観を持たずに考えてみてもらえないでしょうか。
そして当の「あまのじゃく」氏は、この部分をきちんと見抜いて
>単に「今のあなたの価値観」が「絶対」だと考えているのではないのですか?
とのコメントを残して去っていきました。こちらも見事だと思います。

「OTSU」氏自身が
>私の立場は労働組合の役員です。
とおっしゃるように、立場上ブログのような場であっても自由に自分の意見を表せないのかも知れませんが、それならば最低限
>ぜひ、多様な意見を認め合った議論ができることを願っています。
との看板は下ろすべきだと思います。そうなれば、こちらもそれを認識して「議論を期待しない」コメントを書いていきたいと思います。


ただ、上記の事を踏まえた上で申しますと、「OTSU」氏の
>決め付けや突き放したコメントに接すると大きく心が痛みます。
>説明を重ねても(理解されない)事実の重さに落胆しています。
コメントについては、「自分が住む市の職員組合幹部のブログですから結構期待して読んだのですけどね。落胆しました。」との言葉で返したいと思います。心を痛めているのは「OTSU」氏だけですか?

私は、公務員には変わって欲しいと思いますが、敵視している者ではありません(事実かどうかは今までのコメントを見ていただいて判断してもらうとして)。だからこそ「OTSU」氏に対しては「言葉の前に、貴方が変わった(変われる)事を示すべき」と言ったつもりでした。でも所詮、一市民の戯れ言は届かないという事でしょうね。

投稿: mobileSE | 2009年12月24日 (木) 21時00分

mobileSEさん、そこまで当ブログをお読みいただいたことについて、本当に有難く思っています。この気持ちは正直なものです。

ただmobileSEさんが抱かれた印象に対しては、とても残念な思いは昨夜述べたとおりです。これまでブログのコメント欄を通し、また、実際の場面でも、そのような見られ方をされたことはありませんでした。内容面での批判は数え切れず、私のレスの歯切れの悪さを非難されたこともありましたが、全体を通して「自分の考えが絶対で異論を受け付けていない」という指摘は初めてでした。

確かに私自身の考えは、基本的に一貫しています。公務員も含めて労働組合の必要性について、この点に関してはぶれていません。そこに疑念を抱くようでしたら、組合役員を続けていません。その上で、私自身は「このように考えていますが、皆さんはどう考えますか」という基調で常に記事を綴っています。つまり結論を押し付けるような物言いを意識的に避けています。

私の文章を読まれた方々が、少しでもその主張に対して理解いただければ幸いだと願いながら続けています。自分の主張が絶対正しく、そのことを理解できない方々が問題あるというような押し付けもしていません。あくまでも読み手の皆さんにどう判断いただくかという点を重視してきました。

このような基本的な考え方があり、「多様な意見を認め合った議論ができることを願っています」という言葉につながっています。このスタイルが「議論を期待しない」となるのかどうか私自身には理解できません。この場合も、あくまでも「私はこのように考えている」であって、mobileSEさんがそのように感じたことを否定するものではありません。

「言葉が綺麗」かどうかも分かりませんが、インターネット上で匿名での意見交換となりますので、できる限り言葉遣いには注意してきました。重ねて残念に思うのは、開設当初からの記事を熟読いただいたmobileSEさんから、このブログの文章から「先入観を持たずに考えてみてもらえないでしょうか」という言葉が投げかけられてしまう点でした。何か欺瞞に満ちた文章のような言われ方ですが、私自身は立場の異なる人たちにも少しでも届くような言葉を重ねてきたつもりでした。

そして、mobileSEさんは私自身が変わっていないことに最も憤られているようですが、なぜ、そのように断定されるのでしょうか。mobileSEさんが描いている公務員像と離れたままであるという点が大きいのでしょうが、もしかしたら確かにその価値観とは一致できないのかも知れません。

その上で、確実に私どもの市役所は変わり続けています。以前の記事に書いたとおり10年前、20年前と比べての話となりますが、そのことを体感しています。20年前が「ぬるま湯」すぎたという強い批判を受けるかも知れませんが、現状のまま立ち止まっていないことは確かです。

また、このブログを通し、厳しい率直な意見に数多く触れる機会があることで、公務員組合の置かれた立場などを以前より客観視できるようになっていました。ブログの記事からは伝わらないのかも知れませんが、そのことが非常に重要な判断材料になっています。いずれにしても、まったく私自身に変化がないように決め付けられることにも大きな違和感がありました。

市内の方だと伺いましたが、実際に私どもの役所の日常をご覧になって批判されているとしたら、まだまだ至らない点が多いことを猛省しなければなりません。長々と「泣き言」のようなことを書いてきましたが、やはりインターネットを介して伝え切れない思いも残ります。

mobileSEさんがよろしければ、いつでも直接お会いしたいものと思っています。誤解を解ける場となるのか、私自身の不充分さを改めて認識する機会となるのか、たいへん興味深いものがあります。この問いかけがネット上での議論におけるルール違反のように感じられたら申し訳ありません。黙殺してくださって結構ですので、失礼致しました。

投稿: OTSU | 2009年12月24日 (木) 22時51分

管理人さん、皆さん、こんばんは。
初めての書き込みです。

管理人さんのスタンスは、最初から受け付けないのではなく、
書き込む人の意見を見て聞いて、
その上で自分と異なる考え方には「自分は違う意見を持っている」と言っているように私には見えます。

BBSを通してそれぞれが自分の意見を言う。
そこから、新しい発見があるかもしれない。
しかし、互いにどうしても相容れない部分も当然あるわけですから。

投稿: 元民間 | 2009年12月24日 (木) 23時49分

mobileSEはん、コレ、質問やな、ほんなら答えとかんとな。書いてから、サンタの仕事をすることにするわ。

ただ、少なくともこのエントリで書き込んでる人間は皆オレよりかしこそうやからな。オレの返答が不十分であったなら、それはオレに読解力がないか表現力がないか、あるいは理解力がないかのどれかであって、故意にごまかしてるつもりはあらへん。先ことわっとくで。
えーっと、あ、もう既にオレの返答に近い内容の書き込みがあるやん。しかし何か書く事にするわな。

この辺が質問か
>実は、自分の考えが絶対で異論を受け付けていないのはどちらの方なのかという事を、
>「言葉が綺麗」とか「知的な物言い」などの先入観を持たずに考えてみてもらえないでしょうか。

結論からいうと、
「ブログ主はんの主張がぶれへんのは、彼が大人だからで、むしろ普通。」
「異論は、受け付けていると思う。それと主張に変化が無いのは別の話。」
「先入観は持たへんようにしてるけど、読み手の後味を悪くする様な捨て台詞は気に入らん。」
うーん、こんなところやろか。

このブログ、すごいなて思うんは、コメントを受け付けてるんよ。逆風を受ける事を、承知していながらな。さらに、ほとんどのコメントに対し、丁寧な返事がついてる。対応としては十分に異論を受け付けてると思うな。ポーズだけでここまでの対応はしんどいで。仕事やないんやから。たいしたもんやと思う。
内面はどうかというと、ブログ主はんはおそらく、いい歳した大人やと思うねん。そうそう簡単に、自分の価値観や信念がかわるモンやないと思てる。
仮にオレが何か書いたとして、ブログ主はんが、
「貴兄のコメントを読んで、価値観が変わりました。今からお花畑を改めて、憲法改正に向けて微力を尽くします!!」
なーんて書かれたら、いやそうあってくれると、オレも嬉しいけど、反面アンタは実生活で何を学んできたんやと思うわな。

このブログは、OTSUはんの生活の一部に過ぎんのであって、そこのコメントでOTSUはんの考えが大きく変わることは多分あらへんて。ただ、信念の幹の部分に変わりは無くとも、その後に広がる枝葉の部分には影響すると思てる。ほんでその枝葉のひとつは、将来幹になるやもしれん。
このブログにコメントを書くオレもそうよ。他人の考えに触れるためにちょいちょい顔出してるけど、それ自体がオレの価値観に、ほんのちょっと影響してるかも知れん。
お互いが、いや不特定多数の人間がこうして書き込んでる訳やから、それぞれがええ方向に刺激を受ければええんちゃうやろか。

ここのブログでは、論戦も自由や。ただその際はブログ主はんは静観の姿勢をとる(て書いてあった気がする)。
そこはしゃあないんちゃうかな。オレも一時、言葉の戦いに積極的やった時期もあったけど(実生活の方で)、結局相手を論破したところで、相手の価値観が変わる訳やのうて、単にプライドを傷つけ合うだけやと感じた。相手の屁理屈潰すより、心を揺さぶる方が重要やね。あー、話それたな。
ほんでまあ、ネット上では特に、自分の納得が得られんときは、相手に失礼な発言で憂さを晴らす輩がおるもんや。
それまでの意見を自分で台無しにしてるようなもんで、オレは感心せんな。
ムリに知的な物言いをせえとは言わんけど、ネット上ではマナーも重要よ。
実生活ではむしろ、いわゆるDQNな連中とおる時の方が、そういう作法にうるさかったりするんでの。オレの気にし過ぎかも知れんが。

一方でオレがだんだん物わかりの良い爺さんみたいになってきててイヤやね。もしやブログ主の影響か!?
(一応知事に怒る大阪府民でデビューしたさかいな、キャラ作りにも気をつかうあたり健気やろ)

長文失礼。支離滅裂やも知れん。
せやけどこのあとサンタの仕事があるさかい、ここで失礼するわ。
メリー、クリスマス!

投稿: K | 2009年12月25日 (金) 02時20分

元民間さん、Kさん、おはようございます。 コメントありがとうございました。

このブログの基本的なスタンスへの問題でしたので、mobileSEさんの指摘を非常に悩ましく受けとめています。幸いお二人のコメントからは、私の思いをご理解いただけているものと感じています。いずれにしても貴重な提起でしたので、今夜以降、もう少し掘り下げて考えてみるつもりです。

投稿: OTSU | 2009年12月25日 (金) 07時11分

みなさんおはようございます。
私の拙稿が,空気を汚してしまいましたね。すみません。

私は,自分の考えを絶対だと思いませんが,人の幸せを妬む心やひがむ心に理屈を見いだせません。

しかし,最近流行の公務員バッシングとは,どこから来ているのでしょうか。
そして,この誤解は解くことができないのでしょうか。
哀しいですね。

民間の給与が下がっているのは,みなさんご存じとは思いますが,単純労働者の賃金が下がってきているのが原因です。
では何故,単純労働者の給与が下がったかと言えば,企業が諸経費の係らない安い労働力を求めて雇い方を変えてきたからです。これもみなさんご存じかと思います。

でも,これって公務員のせいですか?組合のせいですか?

私は違うと思います。それは,民間の人たちが戦わないからだと思います。
自分がよければいいと,他人がリストラされようと,隣の人が派遣社員になろうとおかしいと声を上げないからだと思います。
法律という武器があるのに,不景気だという声に踊らされて,結社の自由も争議の自由も行使しないからではないでしょうか。
公務員の世界では,その力がまだきちんと残っている。だから,待遇はそれほど悪くなっていない。それを,快く思っていない支配層の存在は理解していますが,地方や,低所得層からのバッシング
は理解できません。あまのじゃくサンの独特の理想なんか,理屈にもなっていないと思います。単なる僻みや妬みの屁理屈です。私は,そう思って議論するのをやめました。

最後に,
竹原氏は,まともな判断をしていると思う人はあまりいないでしょう。mobileSEさんもそれは認められていますね。これは市民の不幸です。
司直は,公平な判断をしましたが,今現在,竹原氏の行動を変更させることをできていません。
市長は,再選です。市民がまともな判断をしているかどうか結果は出ています。

投稿: | 2009年12月25日 (金) 09時31分

↑↑↑
好き勝手な事書くのは良いですが・・・

能書きはさて置き、単純に公務員給料が高いだろ!

それに阿久根市民のネットも知らない人たちがどれだけ多いと思ってんの???
市民に話し聞いたのか???
バカ丸出しのコメは止めようぜ。

最後の文章は阿久根市民が出した答えをバカにしてるとしか思えん。

投稿: 鼈 | 2009年12月25日 (金) 12時42分

市町村って国の事務もやってる日本国の一部なんですよ。
それを一地方だけの民間給与を見て高い安いと言うのはナンセンス。

投稿: | 2009年12月25日 (金) 13時21分

追記
高いと思うなら、公務員の問題ではなくこの地方の低すぎる民間です。

投稿: | 2009年12月25日 (金) 13時29分

”多数による専制”という概念を思い起こさないでもない世情があるような気がしないでもないような。
この国の近代史・現代史から導き出される国民として弁えるべき教訓は、大事にしないと拙い世情・政情だと感じる一方で、「既に帰還限界点は超えてる」と思ったり。

”権利”とは、相対的なものであって、決して絶対的なものではないし、何人についても如何なる視点からでも、相対的なものである筈なのよね。憲法第11条と比して、ほとんど話題にならない第12条乃至第13条も、やはり大事だし。

有権者としては「社会権の保証の程度は、租税公課の水準への有権者集団の意思を超越しない」という事も判っておきたいけど、当該の市長氏も為政者である以上は憲法の理念は大事にして欲しい。というか、為政者は憲法擁護・遵守義務がある筈でわ?

投稿: あっしまった! | 2009年12月25日 (金) 16時03分

あらゆる領域において、正当な批判は、やはり正確な事実認識に基づく必要があると思う。一方で、一人の人間の物理的・時間的制約から、誤認した事実を前提にアレコレ論じてしまうのは、これまたやむを得ないとも思う。

で、問題なのは、”批判の前提となる事実認識に錯誤や誤認がある場合、そうした錯誤や誤認を解こうとする努力が、受け入れられない”という部分にあるような気がする。”事実認定の誤りを正そうとする言説 ≠ 批判の対象を擁護する立場”という公式(両辺が不等号記号によって関係付けられるという事)が通用しない場面が多いような。もちろん、”事実誤認を指摘する言説が、対象を擁護する立場から発せられる”という事は多分にあるけれど、”事実誤認を指摘する言説が、対象を批判する立場であっても発せられ得る”という事もある訳で。

事実認識の正誤と、事象への賛否は、X軸とY軸のように別の軸である筈なのに、故意か過失かを問わず両者が混同される傾向があるんじゃないかと。”問題となる事象を、同じく批判する他者と同様に批判するが、同じく批判する他者の批判の論拠となる前提には誤りがある”というスタンスで挑むことが許されないという風潮は危ういようにも思うし。

投稿: あっしまった! | 2009年12月25日 (金) 16時19分

「K」氏へ

貴方の冷静な価値観のコメントに感謝します。そしてコメント中の
>「先入観は持たへんようにしてるけど、読み手の後味を悪くする様な捨て台詞は気に入らん。」
という部分は「OTSU」氏宛ではなくて私宛と理解しますが、以後(相手を選んで)注意するようにしますが、私の文末の言葉の多くは、こちら宛に投げかけられた言葉を、そのままお返ししているものです。今後は貴方のように冷静を保てるようにしたいですね。

「OTSU」氏へ

貴方の提案について特段ルール違反とは思いませんし黙殺もしませんが、こちらとしては遠慮させて頂きたいご提案です。私の業務上、理由の説明は不要と思います。卑怯者と罵られても構いません。言いたい事はたぶんお互いに色々ある訳ですが、少し時間をおくことも必要と思いますので次の機会でお願いします。

と、ここまで書いて筆を置くつもりでしたが・・、あまりにも酷いコメントがあったので

「名無し」氏(おそらく「くじゃく」氏)へ

日本の選挙制度上、民意は確実に機能しています。これは疑いの無い事実ですし、疑うことは自分が非常に稚拙な考え方をしていると言っているのと同義です。

以下、ちょっと回り道の説明です。

ご存じのとおり私は民主党を支持していませんが、民主党政権が行った結果について自分に責任が無いとは口が裂けても言いません。日本人である以上、民意で決められた政府がもたらした結果は、日本人全員の責任で処理されなければなりません。民意が機能していないという事は、これを否定している事になります。

「バラマキによって民主党が勝手に借金を増やした。だから民主党に投票していない自分にそれを負担する義務はない」と各自が言い出すことが許されると思いますか?

このことから、阿久根市長は疑いようなく阿久根市民全員の責任の基に存在しています。そして全員の責任になるからこそ、近いうちに修正する方向に民意が作用することになると考えます。

貴方はその結果が出る半年程度の期間も待てないのですか?
そして、貴方がどう思おうと阿久根市民は正常な判断を続けています。田舎だからといって、あまり市民をなめるべきではありません。

以上、説明終わり。


確かに阿久根市長は再選されました。またその手法が世間の常識から逸脱しているのも事実です。ならば、ここで議論すべきは「何故2度までも彼が選択されたのか」、選択の結果を嘆くのではなく、同様の事例が量産されないように、その理由を探るべきです。
公務員にその理由がない?組合に原因がない? そんな訳ないでしょう。理由は必ず「市民側」「職員及び組合側」の双方に必ずありますよ。事象には原因が存在しないことはあり得ません。そして、このブログの特性上「職員及び組合側」に内在する理由を探すべきなんです。

それとですね。
>市長は,再選です。市民がまともな判断をしているかどうか結果は出ています。
などと言って、民意を否定した場合ですね。逆に貴方が何を肯定している事になるか気が付いていますか? 貴方の一言が、ここで反市長派が重ねてきた独裁批判をぶち壊しています。だから先日のコメントで「自己矛盾に気がついていますか?」とお伝えしたでしょうに。

投稿: mobileSE | 2009年12月25日 (金) 17時50分

mobileSEはん
オレの「読み手の後味を悪くする様な捨て台詞は気に入らん」ていうんは
特に誰に対して、ていうもんや無かってん。とりあえず補足と訂正や。失礼。

加えて言うなら、25日昼間のいくつかあるコメント(mobileSEはんのやないで)は、もう少し推敲してやね、名無しはんは名前もつけて、読解力がオレみたいに低いレベルのモンでも解るように書いてもらえると、ありがたいの。具体的にいうと、うーん、例えば鼈はんのコメントにおいて、誰のどのあたりが「バカ丸出しのコメ」で、ほんでどうあるべきなんかを、きっちり書いてくれるとオレの中での説得力が増すんやけどな。あくまで個人的な要望やから、気ぃ悪うせんといてな。

本題である市長はんのことは、また時間があったら書くわ、ほな。

投稿: K | 2009年12月25日 (金) 18時29分

市民はまともに判断できない、とはすごいですね。
本性を現した途端に主張が地に落ちている。
壮大な自爆テロとしか思えないです。
確かに指摘されている通りに質の悪さが大爆発ですww
まさにフルボッコ。お疲れさま。

しかし、公務員とその擁護派って皆この程度のレベルなのですか?
同様に見られる人達は大変ですね。同情します。

投稿: いつも疑問符 | 2009年12月25日 (金) 20時42分

「彩雲国物語」という小説がおすすめです。ライトノベルで読みやすいしアニメにもなってるようです。

官吏(役人)になって下積を積んでいく話なのですが「何のための官吏かっ」ってとこがいいです。

公務員の給料が高いってのは、なんだか足の引っ張り合いみたいで消極的な気がします。

それで何がよくなるのでしょうか?

投稿: ホイミスライム | 2009年12月25日 (金) 20時43分

なんで非正規が増えたのか、先入観からしか見る目がないのですかね。

こちらのコメントで読んだことで、簡単な例を作ってみると、
例えば、公務員の数は欧米の1/3以下とはここで良く言われる言葉ですね。
実際に、日本の公務員数は少ないし、その分臨時職員が多いです。

でも欧米の場合、正職員同士で同年齢同士でも、
その職種により3倍以上の収入差を許容しているのだそうです。
だから多様な職場で今でも直営が維持されています。

それに対して日本の労働組合は、同一年齢なら同一給与を要求して、
それ見直すことは決してないし、未だにそれが問題なのも認めてはいない。
同じ組織に所属さえしていれば、職務内容が高度だろうが低度だろうが
求められる給与が同じでは、経営する者はたまったもんじゃありません。

だから雇用者は必然的に低度の仕事は非正規に置き換える。
これは雇用者の搾取じゃないですよ。正規労働者側の都合による事例です。

ここで、組合側が職員同士の収入差を認めれば、多くの職場で直営が残り、
多くの者が正規職員でいられます。
そして正規職員には雇用者にも雇用維持の義務が残るのに、
組合がその主張を通す為に、雇用維持義務が不要の非正規に置き換わる。

さて、これでも組合に責任がないと言い切れるのでしょうか?
見方を変えれば誰でも簡単にこれくらいのことは思いつきますよね。

投稿: いつも疑問符 | 2009年12月25日 (金) 20時43分

こんばんは。

日本でも、正職員同士で同年齢同士であっても、
職種の違いによって収入差はありますね。
例えば、「一般事務」、「消防職」、「保健士」、「医師」などで異なります。
医師が一番高いですが、3倍ほどの差はないかもしれません。

投稿: 元民間 | 2009年12月25日 (金) 21時05分

>例えば、「一般事務」、「消防職」、「保健士」、「医師」などで異なります。
>医師が一番高いですが、3倍ほどの差はないかもしれません。

そう。だから、そういう職種の差であれば日本でも正規職員として残っています。
でも事務職員の中で見てみれば「一般事務」「窓口対応」「給食調理師」「図書館司書」等ですが、
正規職員で残れていますか? または非正規に置き換えられようとしていませんか?

私のいう職種とは、そういう細かい作業差異でも
思い切った給与差を受け入れなさいという事ですよ。

投稿: いつも疑問符 | 2009年12月25日 (金) 21時50分

鼈さん、あっしまった!さん、mobileSEさん、Kさん、いつも疑問符さん、ホイミスライムさん、元民間さん、名前欄未記入の皆さん、コメントありがとうございました。

mobileSEさん、了解致しました。機会がありましたら、お会いできることを楽しみにしています。このような一個人のブログを遡ってお読みいただいたことについての感謝の気持ちが大きく、敵愾心のようなものがある訳ではありません。ぜひ、これからもブログを通し、率直なご意見やご指摘をよろしくお願いします。

他にも多くの皆さんから貴重な提起などを多数いただきましたが、逐次直接的なレスにつながらないことをご容赦ください。次回の記事では、今回のコメント欄を通して改めて感じたことを中心に綴る予定です。ぜひ、またご訪問いただけますようよろしくお願いします。なお、意見交換をスムースに行なうためにも、ぜひ、名前欄の記入にはご協力ください。

投稿: OTSU | 2009年12月25日 (金) 22時49分

阿久根市のニュースを見て、検索をかけたところ、
こちらのページに辿り着きました、
地方公務員してます。イールと名乗ります。

>いつも疑問符さん
公務員の非正規化については、
実は、総務省の指示によるところが非常に大きいです。
公務員の正規職員数を、
一定の比率で減少させるよう指導しているためです。

これは、以前の政権である、
小泉政権下で策定された、骨太方針による影響とみられます。

各地方自治体では、
一部を非正規化、部署ごと委託化あるいはPFI、独立行政法人など、
様々な手段を講じて正規職員を減らすようにしています。
どこの分野・職員から正規職員を減らしていくかは、
いつも疑問符さんご指摘の内容で、
概ね相違ないと思っています。

もう1点。
給与水準のことですが、
残念ながら、地方自治体で単独で給料表を作成することは非常に困難でして、
国が定めている、国家公務員の俸給表を参考に、
各地方自治体が、多少のアレンジを施して、
職員の給料表にしている、という現実があります。

国家公務員の俸給表は、人事院が作成し、
職種により、いくつかに分かれています。

各地方自治体は、
国家公務員の俸給表を元に、
各団体の職員の職種にあてはめていきますが、
国家公務員では存在しないが、
地方では存在する、という職種があった場合に、
その職員の給料水準をどうするか、が議論になります。

国家公務員では存在しない職種の給料表は、
国の人事院では、当然のことながら作成していませんので、
地方で独自で作成するか、
どれかの給料表を使わざるを得ないか、ということになり、
結局のところ、後者の方法を取らざるを得ない、
というのが実情であります。

地方分権の時代に、
そんなこっちゃまずいだろ~(主体性がないじゃんかぁ~)
というご意見はごもっともなんですが、
地方分権の時代が本格的に訪れると、
行政(=公務員)の仕事は、
格段に業務量が増えること間違いありません。

#初めての書き込みで、しかも長文、失礼しました。

投稿: イール | 2009年12月30日 (水) 01時28分

イールさん、おはようございます。詳しい説明となるコメントありがとうございました。

ご指摘のように自治体の職員数を考慮し、給料表を一本とし、職種等を問わず運用してきた面がありました。さらに組合の掲げていた賃金に対する考え方が、生活給重視つまり年齢給重視、同一労働同一賃金についても同じ自治体で働く仕事は同一価値であるというものでした。

このような考え方が公務員だけ異質だった訳ではないもの見ています。数十年前は民間企業も、基本は年功序列賃金で、現在のように非正規労働も少なかったはずです。社会全体が変化したため、公務員の賃金制度が目立つようになっていることも確かです。

このような流れを踏まえ、公務員の賃金制度も急激な変化を求められています。今では、どのような小規模な自治体であっても、最低給料表は複数に分かれているのではないでしょうか。その求められている変化を頭から拒むものではありませんが、民間の制度がすべて「是」なのか、社会全体の雇用のあり方について改めて見直す機運の高まりも必要なのだろうと思っています。

申し訳ありません。いつも疑問符さんへのイールさんからのレスでしたが、私自身が感じていることを長々と書かせていただきました。ぜひ、これからもお時間が許される際、ご訪問いただけますようよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2009年12月30日 (水) 09時13分

ブログのコメントだから、ここでの議論がどう具体的になるかはもともと期待すべきことでもなく、本音が垣間見れることだけが唯一かつ貴重なものなのですが、過去からざっと目を通すと、遅々として変化が進まないように思えますね。
行政改革が国の命題になってから既に20年ほど経とうとしていますが、20年前ののどかな職場風景を懐かしんだり、「変わり続けている市役所」などを読むと、このままズルズルと逃げ切り世代入りまで引き伸ばすことを見越しているとも取れます。
そろそろ専従という美味しい役職も見えているかもしれません。
日本のカントリーリスクが顕在化するまでそれほど猶予は無いと思いますが、どの経路をたどるにしろ公務員の方が傷が浅く済むんでしょうね。おめでとうございます。
そうなれば日本人も香港や韓国のように脱出できるのか?

kさん
大阪府の教員について関心があったと思いますが、そんなトピックスの本があるようです。ことの真為は、私には確かめようがありませんが、ご当地のあなたなら気配でも察知できるかと思います。ご参考までに。

「学校の先生が国を滅ぼす 」 一止羊大 (著)

投稿: L | 2010年1月12日 (火) 13時06分

Lさん、コメントありがとうございました。

mobileSEさんが年末に指摘されたようなご意見だと受けとめています。その上で、逃げ切りや引き伸ばしなどという意識は、まったくないことを申し添えます。「専従という美味しい役職」という意味合いも、専従が美味しいものとは考えていません。過去の話や様々な専従役員に対する見方があるのかも知れませんが、私の周りの専従役員の方々に対しては頭が下がる思いだけです。

投稿: OTSU | 2010年1月12日 (火) 21時56分

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