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2009年12月27日 (日)

2009年末、改めて当ブログについて

最近、ある執行委員から「いつも記事本文しか読んでなくて、久しぶりにコメント欄にも目を通したんですが、たいへんですね」と声をかけられました。確かに先週は普段より労力と気力を使った1週間だったかも知れません。また、その執行委員の言葉にもありましたが、定期的に当ブログを訪れてくださっている人たちが必ずしもコメント欄までご覧になっていないようです。

そのため、時々、コメント欄で交わされていた内容を改めて紹介しながら、最新記事を綴ることがありました。前回の記事「竹原市長の問題点」の中でも、あまのじゃくさんのご意見を数多く引用させていただきました。前々回記事「阿久根市長の常識、世間の驚き」のコメント欄で、あまのじゃくさんから「市長は特権や既得権益を開放しているように見えるから、権利の議論をすべきである。まずその議論を行なわなければ、市長の言動が理解できない」という趣旨の投げかけがありました。

この提起に対し、私から「あまのじゃくさんのコメントに対するレスを意識しながら新たな記事をまとめてみるつもりです」と答えていました。その経緯を踏まえた上で、私は「権利」問題の議論は横に置かせていただきました。この判断は結果として、あまのじゃくさんを怒らせ、意図的な「論点ずらし」を行なっているように見られてしまいました。私としては、前回の記事でも記したとおり以前の記事(公務員批判への「答え」は? Part2)などの議論を通し、あまのじゃくさんへ公務員の「権利」問題に対する自分なりの考え方を示していたつもりだったからでした。

前回記事のコメント欄で、あまのじゃくさんから「特権の是非を保留するのなら、私の問題提起と異質な話と見做すしかありません」と指摘を受けました。それに対し、私からは「権利」問題の終着点が正しいものだったとしても、その目的を達成するために「何を行なっても許される」という発想や手法を強く批判していることを改めて説明させていただきました。さらに余計な一言として、「竹原市長の手法の是非が土俵であり、相撲を取ろうと思っている相手にボクシングを挑まないようご協力ください」と付け加えていました。

この私からのレスは、あまのじゃくさんを「多様な意見を期待すると言っておきながら、突然ここは相撲場だ、ボクシングなんて認めんとは不愉快極まりない。これにて失礼する」と憤らせ、「自分の都合の悪い話に耳を傾けない者は誰なのか?」という残念な誤解を与えてしまったようです。このような別れ方は非常に不本意なものであり、私からは次のようなお詫びと釈明を加えさせていただきました。なお、引用を多く使うと、いっそう長い記事となりそうですが、ご容赦ください。前回記事のコメント欄からの転載部分は赤字で示していますので、一度、ご覧になった方は、読み飛ばしてください。

初めに誤解を与えた点などは謝らなければなりません。あまのじゃくさんの前回記事へのコメントに対し、「権利」問題を中心にしたレスを行なうような印象を与えた点はお詫びします。合わせて、その内容の議論を横に置くと言いながら今回の記事で、あまのじゃくさんのコメントを多数引用していた点も適切ではなかったかも知れません。

また、「多様な意見を認め合った議論ができることを願っています」と書きながら、あまのじゃくさんのコメント内容に対して「土俵上でのボクシング」と表現した点は非常に不適切なものでした。不愉快な思いを与えてしまい、たいへん申し訳ありませんでした。

なお、繰り返しのような話となりますが、公務員の「権利」問題など是正すべきものは是正すべきというのが私の考え方です。その上で、使用者の視点のみで労働条件の問題などが一方的に改められる手法には反対の立場です。このような基本的な立場は、今回の記事本文でも紹介した以前の記事(公務員批判への「答え」は? Part2)などで述べてきたものです。

阿久根市職員の賃金水準が地場の相場との乖離があり、見直しが必要な場合、大きく二通りの方向性が考えられます。一つは公務員制度全般の改革です。もう一つは、独自な労使交渉を尽くした上での労使双方が合意できる決着点を探ることです。その際、当然、労使それぞれが阿久根市民の皆さんの声を重く受けとめた中で判断していくことになるものと思っています。

そして、ここから先が論点の枝分かれになっていくのだろうと見ています。このような方法では、大胆な削減はできないと思われる方々がいらっしゃるはずです。同時に以上のような主張が結果的に自分たちの既得権を守るための方便だと言われるかも知れません。

しかし、社会全体の雇用が劣化した中、本来「平均」と見なしてきた公務員賃金を下へ引っ張る力が強まっていけば、先ほどの述べた手法でも大胆な見直しがあり得るものと考えています。ちなみに私自身の思いとしては、社会全体の賃金水準が底上げされていく方向性を理想視しています。

公務員賃金の問題に対する個人的な見解を改めて述べさせていただきました。このような面からも竹原市長の職員組合を敵視する姿勢は不当だと思っています。職員組合を本当に敵だと見ている皆さんにとって、竹原市長の破壊的な手法は喝采の対象となっているようですが、たいへん残念な構図だと感じています。

長々と書きながら、かえって分かりづらくしているのかも知れませんが、私自身の中では前回と今回の記事も一貫した主張を展開しているつもりです。めざしているゴールが本当に正しいものだったとしても、竹原市長の手法は大きな問題であるものと考えています。特権の是非を留保と述べたのは、そのゴールが正しくても間違っていても、手法が誤りという論点は同じだからでした。

そのように考えている中で、あまのじゃくさんのご意見は「めざすべきゴールが正しいのだから、手法の誤りは許される、些細な問題だ」というように聞こえ、「だからゴールの正しさを認識し合うべきだ」と指摘されているように受けとめていました。つまり論点をずらそうとしているのは、あまのじゃくさんだと感じてしまい、いろいろ失礼なレスにつながってしまいました。日頃から言葉遣いは注意しているつもりですが、不愉快な表現などがあった点は冒頭申し上げたとおり反省しています。

残念ながらその後、あまのじゃくさんからコメントは寄せられていません。ただ【竹原信一という男】BBSでの書き込みを拝見していると、引き続き当ブログを訪れてくださっているのかも知れません。今回の記事でも、あまのじゃくさんとのやり取りを大きく取り上げさせていただきましたが、たいへん重要な論点だったため、私なりの判断でまとめています。ぜひ、ご理解ご容赦ください。

なお、あまのじゃくさんから「私に異論のある方は件のBBSに書き込んでください」と言われていましたが、私自身、週1回の記事更新とコメント欄での対応が手一杯という現状です。このブログの話題が取り上げられているのを目にし、そのBBSに初参加しようかどうか少し迷いましたが、前述したような事情から見送っていました。言うまでもありませんが、BBSで議論されている方々が当ブログを訪れてくださることは心から歓迎する立場です。

前回記事のコメント欄には、他にも多くの皆さんから貴重なご意見やご指摘が寄せられました。その中で、mobileSEさんからのコメントには大きなショックを受けました。これまで当ブログの記事内容を読まずに先入観で批判される方々も少なくありませんでした。それに対し、mobileSEさんは「このブログの全ての記事を2回ずつ目を通しています。一度目はコメントも含めて時間をかけて読みました。二度目は本文のみ最初から最後まで一気に読んでいます」とのことでした。

そして、熟読された結論として、mobileSEさんは「これだけの長い期間、多種多様な意見を目にしているのに、主張にぶれがまったく現れない。たしかに見事ですが、これが何を意味していると思いますか?」と述べられ、「自分の考えが絶対で異論を受け付けていないのはどちらの方なのか」という厳しい口調で問われていました。この問いかけは当ブログの基本的な土台にかかわるものであり、私から次のようにお答えさせていただきました。

mobileSEさん、そこまで当ブログをお読みいただいたことについて、本当に有難く思っています。この気持ちは正直なものです。

ただmobileSEさんが抱かれた印象に対しては、とても残念な思いは昨夜述べたとおりです。これまでブログのコメント欄を通し、また、実際の場面でも、そのような見られ方をされたことはありませんでした。内容面での批判は数え切れず、私のレスの歯切れの悪さを非難されたこともありましたが、全体を通して「自分の考えが絶対で異論を受け付けていない」という指摘は初めてでした。

確かに私自身の考えは、基本的に一貫しています。公務員も含めて労働組合の必要性について、この点に関してはぶれていません。そこに疑念を抱くようでしたら、組合役員を続けていません。その上で、私自身は「このように考えていますが、皆さんはどう考えますか」という基調で常に記事を綴っています。つまり結論を押し付けるような物言いを意識的に避けています。

私の文章を読まれた方々が、少しでもその主張に対して理解いただければ幸いだと願いながら続けています。自分の主張が絶対正しく、そのことを理解できない方々が問題あるというような押し付けもしていません。あくまでも読み手の皆さんにどう判断いただくかという点を重視してきました。

このような基本的な考え方があり、「多様な意見を認め合った議論ができることを願っています」という言葉につながっています。このスタイルが「議論を期待しない」となるのかどうか私自身には理解できません。この場合も、あくまでも「私はこのように考えている」であって、mobileSEさんがそのように感じたことを否定するものではありません。

「言葉が綺麗」かどうかも分かりませんが、インターネット上で匿名での意見交換となりますので、できる限り言葉遣いには注意してきました。重ねて残念に思うのは、開設当初からの記事を熟読いただいたmobileSEさんから、このブログの文章から「先入観を持たずに考えてみてもらえないでしょうか」という言葉が投げかけられてしまう点でした。何か欺瞞に満ちた文章のような言われ方ですが、私自身は立場の異なる人たちにも少しでも届くような言葉を重ねてきたつもりでした。

そして、mobileSEさんは私自身が変わっていないことに最も憤られているようですが、なぜ、そのように断定されるのでしょうか。mobileSEさんが描いている公務員像と離れたままであるという点が大きいのでしょうが、もしかしたら確かにその価値観とは一致できないのかも知れません。

その上で、確実に私どもの市役所は変わり続けています。以前の記事に書いたとおり10年前、20年前と比べての話となりますが、そのことを体感しています。20年前が「ぬるま湯」すぎたという強い批判を受けるかも知れませんが、現状のまま立ち止まっていないことは確かです。

また、このブログを通し、厳しい率直な意見に数多く触れる機会があることで、公務員組合の置かれた立場などを以前より客観視できるようになっていました。ブログの記事からは伝わらないのかも知れませんが、そのことが非常に重要な判断材料になっています。いずれにしても、まったく私自身に変化がないように決め付けられることにも大きな違和感がありました。

市内の方だと伺いましたが、実際に私どもの役所の日常をご覧になって批判されているとしたら、まだまだ至らない点が多いことを猛省しなければなりません。長々と「泣き言」のようなことを書いてきましたが、やはりインターネットを介して伝え切れない思いも残ります。

mobileSEさんがよろしければ、いつでも直接お会いしたいものと思っています。誤解を解ける場となるのか、私自身の不充分さを改めて認識する機会となるのか、たいへん興味深いものがあります。この問いかけがネット上での議論におけるルール違反のように感じられたら申し訳ありません。黙殺してくださって結構ですので、失礼致しました。

私からのお願いを「ルール違反」と受けとめられずに安堵したところでしたが、時間を置いた上で機会があればお会いすることとしています。この二人のやり取りについて、kさんらから温かい言葉のコメントもいただきました。常に賛否が交わされるコメント欄であるからこそ、ここまで心が折れることもなく、このブログを続けられてきたものと思っています。なお、あくまでも私の判断で各コメントの一部分を切り取った紹介となっていますので、ぜひ、お時間が許される方は当該のコメント欄を一読いただければ幸いです。

さて、2009年も数日を残すのみです。今年最後の記事となる予定ですが、いつものことながら、たいへん長くなって恐縮です。さらに続けますが、上記に示した2点のコメント内容の中に私なりの様々な問題意識を詰めていました。そのため、若干繰り返しのような話も含まれていますが、改めて当ブログの目的や位置付けなどについて次のとおり整理してみました。

  1. 公務員やその組合の言い分をインターネット上に発信し、不特定多数の皆さんに少しでも理解いただけることを願いながら続けています。その際、多様な考え方があることを前提としているため、意識的に断定調の表現は避けています。私自身が正しいと思っている内容を訴えていますが、ブログを閲覧された人たち全員から賛同を得られることは稀だろうと見ています。あくまでも当ブログの記事内容やコメント欄での議論に接した人たちが、どう受けとめるのかであって、全員が納得できるような結論を出すことを目的としていません。
  2. コメント欄を通し、様々な立場や視点からのご意見を伺えることを貴重な目的としています。厳しい批判意見があることを受けとめ、日常的な活動を進められる意義を大きなものと認識しています。そのような本音の声を把握できないまま、公務や組合活動を担うのは、街路灯のない夜道を歩くようなものだと考えています。
  3. 相反する意見の対立は平行線をたどりがちです。上記1で述べたとおりコメント欄で結論を出すこと目的としていませんので、「多様な意見を認め合った議論」をお願いしてきました。自分自身の考えが絶対正しいと思い込み、他者の意見に耳を傾けないような姿勢だった場合、相手を論破することが目的となりがちです。その結果、感情的な非難の応酬となり、殺伐した議論につながる懸念があり、一般論として常に申し上げてきた点でした。ちなみに一つの結論を必ず出さなければならない実生活の場でも極力、このように心がけるべきだと考えています。
  4. 匿名で率直な意見を交わせることは利点だと前向きにとらえています。一方で、匿名で発信できるということは、立場などの成りすましや都合良く情報を操作することも可能となります。それはそれでモラルの問題となりますが、このようなネット上の私的な場では特段何か問われるものではありません。したがって、誰がどのような立場で書いたかは、それほど大きな問題ではなく、その人が書き込んでいる言葉、つまり内容がどのように他の閲覧者の皆さんの共感を呼ぶのか、真偽が判断されていくのかどうかだと考えています。
  5. 私どもの組合員の皆さんに対しては、組合活動を身近に感じてもらえるような目的も持って続けています。そのため、組合の機関紙などで当ブログについて時々PRしてきました。あくまでも個人の責任による運営ですが、私どもの組合員の皆さんから見れば、匿名での発信とはなっていません。一つ一つの主張を言い放しとできず、一つ一つの言葉に責任を持って発信しています。そのような側面があるため、歯切れの悪いレスだと感じられる場合もあるかも知れませんが、自分の思いと離れた内容を記したことは一度もないことを強調させていただきます。

先ほど述べたとおり今回が2009年の最後の記事となります。コメント欄での議論は続くものと思いますが、この1年間、多くの皆さんにご訪問いただきました。本当にありがとうございました。どうぞ来年もよろしくお願いします。ちなみに次回の更新は、例年通り元旦を予定しています。ぜひ、早々にご覧いただければ誠に幸いです。それでは良いお年をお迎えください。

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コメント

お騒がせして申し訳ありません。折角の記事ですので、恐らく最後となるでしょうが書き込んでみます。

mobileSEさんがOTSUさんに大変厳しい評価を書き込んでいました。じつは以前から、私も同様な考えを持っておりました。
しかし、これはOTSUさんを非難するものではありません。

ところで、mobileSEさんは虫眼鏡も望遠鏡も併せ持ち、精度も上等のようですね。若干「粗暴」「カオス」「不連続」を嫌う傾向が見受けられるのは特殊なお仕事をされているのでしょうか?

OTSUさんは「公務員のためいき」を「理解の場」と考えているのでしょう。「一般の皆さんにも理解してもらう場」です。
その意味でOTSUさんの態度は一貫していると思います。(私が仕事師と書いた理由です)
それをある程度承知していた筈だったのですが・・・・。私は「議論の場」を求めていたのです。

当然「議論」の説明をしなければなりません。決して「ディベートの場」ではありません。
「議論」とは問題点に対して、様々な角度から光を当てて、その本質を「露わにする」作業だと認識している。
つまり、自らを信じ、口角泡を飛ばして、場合によっては殴り合いまでして(失礼!不穏当でしたか)、対峙するからこそ「美しい」のです。

そうするからこそ、「本能的に自己の不利益になるが故に無意識に目を背けている部分」にも想像力が及ぶのです。
そして同時に、それを見る者を開眼させ感動させるのです。

しかし、当然この態度は「理解の場」には明らかに不適切ですね。だから最後にします。ご健闘を祈ります。
何かございましたら「件のBBS」へ。

投稿: あまのじゃく | 2009年12月27日 (日) 11時14分

あまのじゃくさん、改めて前回記事では失礼致しました。

mobileSEさんから厳しい評価を受けたことと合わせ、あまのじゃくさんから「理解の場」と「議論の場」の違いを指摘いただき、物事に対する見方が個々人で枝分かれしていくことを強く感じる機会となっています。電子辞書で「議論」という言葉を検索すると「それぞれの考えを述べて論じること」と書かれています。私自身の受けとめ方は、その解説通りであり、今回の本文で記したように「結論を出すことを目的としていない」にとどまっていました。

「議論とは問題点に対して、様々な角度から光を当てて、その本質を露わにする」作業という点は、私もその通りだと思っています。ただ簡単に「結論」が導き出せない限界を踏まえ、それぞれの考えを論じ合う過程で、それぞれがどのように感じ合っていけるのかどうかを重視していました。

そのような意味で当ブログは、あまのじゃくさんが称した「理解の場」に過ぎないのかも知れません。その結果、「結論」を出そうとしないコメント欄の雰囲気、とりわけ「変わっていない」私への苛立ちが前回記事のコメント欄で示されたmobileSEさんからの指摘の数々だったものと考えるようになっています。

また、「本能的に自己の不利益になるが故に無意識に目を背けている部分」にも想像力が及ぶというお話も自分なりの解釈で理解しています。「既得権益の開放」の是非や評価の問題につながるのでしょうが、きっと私の当ブログでの主張は「無意識に目を背けている部分」ではないはずです。そのため、この意識した主張に対し、mobileSEさんが強く反発されたものと受けとめています。

的外れな理解だとしたらお許しください。あまのじゃくさんのコメントは、いつも虫眼鏡しか持たない私にとって難解でしたが、いろいろ考えを巡らす貴重な機会となっていました。改めて、ありがとうございました。最後というお話でしたが、ぜひ、また機会がありましたら、示唆に富んだコメントがお寄せいただけることをお待ちしています。

なお、本文でも記しましたが、今のところ「件のBBS」への参加は敷居を高く感じています。生半可な覚悟で、単発的な参加は逆に失礼だと考えています。誠に勝手な言い分で恐縮ですが、ご理解くださるようお願いします。

投稿: OTSU | 2009年12月27日 (日) 19時30分

北の方の自治体に奉職していることもあり、コメントを含めて、毎回楽しく拝見しています。
さて、今日、『生活保障 排除しない社会へ』(宮本太郎2009-11岩波新書)を読んでいたら興味深い一節に出会いました。

「 正社員、公務員の特権とされるものであれ、低所得層への保護のあり方であれ、常に検証が必要であることは言うまでもない。しかし、ここに見られるのはバランスのとれた検証ではなく、やみくもに特権や保護を叩き、これを引き下げることで政治的支持を拡げようとする言説である。あるいはそれを見て溜飲を下げる態度である。
 丸山真男はかつてこのような政治のあり方を、基底にある政治文化への批判も含めて、「引き下げデモクラシー」と呼んだ(『「文明論之概略」を読む』)。」

度の過ぎた公務員バッシングは、もちろん不快ですが、日本の文化としか言いようがないのではないかと従前から感じていたところ、我が意を得たりと思いがしました。
OTSUさまが相手にしているものは、日本の政治文化そのものなのでしょうね、たぶん。
もちろん、OTSUさまもそれは十分承知の上での、已むに已まれぬ大和魂の心意気でのブログ発信だと推察。

来年も変わらぬ健筆を楽しみにしています。良いお年を!

投稿: 迷跡 | 2009年12月27日 (日) 22時00分

おっと、誤解を招くかも。
先ほどのコメントは、今回の記事とは全く関係なく、OTSUさまのブログ発信の動機についての一般的な感想ですので。
連投失礼。

投稿: 迷跡 | 2009年12月27日 (日) 22時13分

迷跡さん、コメントありがとうございます。

興味深い書籍の紹介もありがとうございました。確かにバランスの問題が問われる場面が多いように感じています。このブログを開設した当初から「正すべきは襟は正し、主張すべきは主張する」という問題意識も、そのバランスの訴えでした。

これからもオールorナッシングではない当ブログなりの議論に対し、賛否は分かれるものと思いますが、今回の記事で示したような基本線で続けていくつもりです。ぜひ、こちらこそ、よろしくお願いします。それでは迷跡さんも良いお年をお迎えください。

投稿: OTSU | 2009年12月27日 (日) 22時28分

OTSUさんを残念にするのは私の本意ではないので、(私の訪問を)最後にする理由を再掲します。

私が自由に議論できるの対し、OTSUさんは「公務員の立場を理解してもらう」という「宿命」・・言いかえれば「重り」を背負っているからです。重りを背負っている人と「100M競争をしましょう」と言うつもりもないのです。

mobileSEさんも書いていますね「趣旨をはっきりしてもらえれば、そのスタイルで書き込む」と。

私のスタイルは1つだけです「1000兆円もの借金を背負って平気な顔をする程、堕落退廃した民族にはなりたくない」のです。その為には「議論」が必要だ。逆に言えば、これを解決する意見なら「誰のものであろうと」受け入れる。
この問題が解決すれば、私は酒を飲んで生きてゆくでしょう。
OTSUさんがスタイルを変えないように、私も変えないのです。そして・・・それで良いではありませんか。

尚、「劣情」について一言。
怒り、嫉妬、偽善・・数え挙げれば108あると言われる「劣情」。幾ら捨てても背中にこびり付いている「劣情」。
劣情を政策の中心に据える事は「厳に慎む」べきでしょう。愚かと言うしかない。
しかし同時に「劣情」を「無視」する事も慎むべきであろうかと思う。・・まあ釈迦に説法でござった。

投稿: あまのじゃく | 2009年12月28日 (月) 09時28分

あまのじゃくさん、コメントありがとうございました。

重りを背負っている人と「100M競争」との例え、よく分かりました。コメントはいただけなくても、ぜひ、お時間が許される時、ご訪問いただけれぱ幸いです。今後も「ためいき」「はないき」「泣き言」など、いろいろ悩みながら自問自答していくつもりですので、よろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2009年12月29日 (火) 08時11分

OTSUさん、今年も1年お疲れさまでした。
組合役員を退き、なかなか議論に参加する機会がなかったのですが、主の記事やみなさんのコメントは拝見させていただいておりました。
直接参加していないものの目線からの感想ですが、テーマもみなさんのコメントの中身も以前に比べると濃密というか非常にレベルの高い議論がされているように感じます。
考え方、方向性、それぞれのおかれた立場等々、違いを超えたところでの「意見交換」がされているところが私を含め多くの方たちから支持されていると思います。
特に「政治」がらみの記事では、さまざまな意見が寄せられ喧々囂々、侃々諤々のようですがそれでも広くコメントを受け付け、ブログを維持しておられることに敬意を送ります。
来年も楽しみにしておりますので、がんばってください。
それでは、よいお年をお迎えください。

投稿: shima | 2009年12月29日 (火) 11時32分

OTSUさん、年末の忙しい中、ご苦労様です。
さて、あまのじゃくさんのご意見まで含めての感想と意見を書きたいと思います。

OTSUさんが、阿久根市長の横暴とも言える『行動』に言及した事に対して、あまのじゃくさんが横暴の裏にある『思想』で議論をした為に現状があると思います。

例えるなら、麻雀店(公務員のためいき)でOTSUさんが麻雀(市長の行動の賛否)で勝負(議論)しているところに、あまのじゃくさんが乗り込んで、拳銃(市長の思想の正当化)を突きつけて、「そもそも勝負(議論)とは~」と言い始めたので、OTSUさんから「ここでは麻雀(市長の行動の賛否)で勝負(議論)していますよ。一緒に麻雀(市長の行動の賛否)をしませんか?」と発した。
それでもあまのじゃくさんは、麻雀店(公務員のためいき)に乗り込んでいながら、拳銃(市長の思想の正当化)を持ち出しての勝負(議論)を譲らないので、周囲からも再度、「ここでは麻雀(市長の行動の賛否)で勝負(議論)していますよ。一緒に麻雀(市長の行動の賛否)をしませんか?」と諌められたら「勝負(議論)と言うものが理解できない者達とは勝負(議論)しない。」と言って出ていかれた。
その後、OTSUさんは麻雀店(公務員のためいき)に、銃器持ち込み禁止の他、他人の手役を除見してはいけませんとか、ゴミはゴミ箱へ入れましょうなどの、麻雀店(公務員のためいき)のルールから、麻雀(市長の行動の賛否)の競技のルール、そして人としてのルールまで明記することに目を向けた。
あまのじゃくさんは、自宅(件のBBS)に戻り、自己主観でひたすら「勝利の歓喜」をあげて、麻雀店(公務員のためいき)を揶揄して悦に浸っている。
と言う感じです

別にOTSUさんが負けたわけでもないのに、件のBBSで「勝った、勝った」と騒ぐのであれば、私からは「負け犬の遠吠え」としか感じられません。

今回、麻雀で例えたのは

>今まで麻雀大会で順番を決めていたけど、飽きたからマラソン大会に変えよう・・というのが改革です。マラソン大会よりゴルフ大会がいいとか、カルタ大会がいいとか、色んな人が言う。

そして「冗談じゃない、折角苦労して麻雀を覚えて、いい成績を残せるようになったんだ。止めてもらっては困る」・・というのが抵抗派。

「麻雀は続けるが、皆が文句を言ってるから、ドラを増やしたり、トーナメント方式から総当たり方式に変えようか」・・が改善派。

とあまのじゃくさんが書き込まれていたためです。

あまのじゃくさんがOTSUさんを、「麻雀をしている抵抗派」と思われるなら、あまのじゃくさんは「何派」なのですか?「今まで麻雀大会で順番を決めていたけど、飽きたからマラソン大会に変えよう・・というのが改革です。マラソン大会よりゴルフ大会がいいとか、カルタ大会がいいとか、色んな人が言う。」ということは、他人の話に耳を貸すと言うことです。「すべての競技や大会で拳銃を持ち出して、勝たせてもらえないと暴れる」ようでは、麻雀を辞めたがらないといわれている人よりも粗暴で粗悪なのではないでしょうか?
そしてOTSUさんは「「麻雀は続けるが、皆が文句を言ってるから、ドラを増やしたり、トーナメント方式から総当たり方式に変えようか」・・が改善派」なのではないでしょうか?


あまのじゃくさんの好きな「特権や既得権益」の話ですが、阿久根市長は、あまのじゃくさんの推測する「特権や既得権益の解放者」というよりも、今や「特権や既得権益の権化」となりつつあります。
市役所職員の懲罰委員会を市長派といわれる議員と職員に入れ替えて、職員の定期昇給を独自の判断で停止するなど、挙げればきりのないほどの「特権や既得権益の権化」ぶりではないでしょうか?

あまのじゃくさんが「特権や既得権益」に詳しいのだからこそ、その知識と行動力で、市長を諌めることができるのではないでしょうか?
その為に件のBBSでも『論陣を張っている』のでしょう?
褒め称えるのみではそれこそ「「冗談じゃない、折角苦労して麻雀(論陣)を覚えて、いい成績(賛成意見)を残せるようになったんだ。止めてもらって(反対意見)は困る」・・というのが抵抗派。」ということではないでしょうか?

年末の慌ただしい中、長文にお付き合い頂きましてありがとうございます。
OTSUさんもあまのじゃくさんも、そして皆様も体調等崩されぬよう、ご自愛くださいませ。

投稿: 捨てハン | 2009年12月29日 (火) 15時52分

「OTSU」氏

1年間のブログ更新お疲れ様でした。
今年最後のコメントですので優しい口調で書くようにしてみます。

さて今年は公務員に厳しい市民目線が向けられた1年であったかと思います。その見られ方には、若干行き過ぎの面があったことは(私のような批判的な者でも)個人的には否定しません。ただし、社会全体の意志としては、公務員へさらなる厳しい監視の目が必要とされていることは疑いようのない事実と思います。
良い悪いは別にして、あなた方は日々追い込まれております。個人同士なら意志の疎通も出来るが、グループが形成されると意思の断絶が起きる。これは日々の生活をしていれば、幾度無く目にすることかと思います。簡単に言うと虐めの構図ですよ。

そして市民全部とは言いませんが、公務員への評価を固めてしまった層が存在し、それは増えていく一方です。評価を固めてしまった場合、その人には自分の意に沿う情報しか目にも耳にも入りません。真実を見せても捏造と言われます。逆に意に沿う情報であれば、あきらかなデマであっても真と受け取られます。こうなれば評価を覆す方法はありません。学校の虐めなら転校でリセットは可能ですが、あなた方の場合はどうするのでしょう。そして悪いことに、自らの痛みにならない行為はエスカレートする一方でもあります。
先日テーマとなった阿久根市の場合、今の職員への評価はどうなのでしょう。私はまだ修復可能と見ており、「半年後には解職等の答えが出る」と書きました。しかし予想以上に進行しており失職しないとなったならば、阿久根市の職員は地域から転出を強いられるかも知れません。今後を占う良いテストケースになるでしょう。

このように厳しい目で見られる一方で、職員組合には市民への説明能力が必要になってきています。以前「むかし民間、今・・」氏が書かれていましたが、法律や条令すらもお手盛りと言われる世の中では、正当な労使交渉の結果と言っても何の説得力もありません。それらをどのように「判りやすく市民に説明するか」、もうこれらは理事者がする事ではなく職員組合の重要な使命と考えるべきでしょう。
そして、今後なにより求められるのは、労使交渉の可視化だと思っています。今は「考えられない」「とんでもない」と思うかも知れませんが、今後数年の内に当たり前のことになるのではないかと考えています。貴方の組合がその先駆けになることを期待します。
(※市民も広義でいえば利害関係者ですので、同席するのに何も制約はないですよね。)

しかし現状の職員組合の意識は論外に低い。職員組合を検索してもホームページが数カ所ある程度で、それも市民向けとはとても言えない状況です。各種宣言を羅列してあるだけでは、市民から見れば喧嘩を売られてるのと同義です。
幹部の役職名や使用される用語も世間一般からかけ離れており「書記長」の役職名だけでも拒否反応ものなのに「闘争」などと言われれば、市民と仲良くする気は無いのですねと思われるだけです。
(※民間では労使が強調して利益を求めており、すでに闘争の時代は終わっています。)
あと自分に都合の悪い変更のことを「改悪」というのも良いことではありません。しがらみに捕らわれず新しい感覚を持ち、先ずはそれらを平易な言葉で市民感覚に沿うものに変える必要があると思います。

最後に組合は確かに全職員のための組織ですが、あと数年のうちに定年で逃げ出す老人を見るのではなく、今後20年~30年と市民と向き合う若手を優先して見て、彼らの居場所が市に残っていくように行動することを、一市民として希望します。
そちらの耳に届くかは判りませんが、いつも通りこちらの思いの一部を言葉にしておきました。


「むかし民間、今・・」氏

書き込み読ませてもらいました。別記事ですが、こちらでまとめて回答しますね。

貴方のコメントを見る限りでは「行動理由」と「行動目的」がゴッチャになっているような気がします。先ずは「自分のための行動」か、それとも「市民のための行動」なのか、「守る」のか「排除する」のか、貴方なりに整理する必要があるのではないでしょうか。
それでも何かをやりたいという事は伝わりました。何の危機感も目的意識も感じられない職員が多い中では貴重な存在と思います。自分のやりたい事が出来る環境を早く得られるように願っています。

1年間お疲れ様でした。

投稿: mobileSE | 2009年12月29日 (火) 17時42分

shimaさん、捨てハンさん、mobileSEさん、コメントありがとうございました。

私自身にとっても、このコメント欄は貴重なご意見や情報を頂戴でき、自分の脳内活性化のために大切な場となっています。また、今回もmobileSEさんから大事なご指摘をいただきました。その問題意識や方向性について、大きな異論はありません。

その中で、労使交渉の可視化について、今後、必要に応じて想定していくべきものと考えています。大阪府の交渉にマスコミが入っていましたが、私自身がその席に組合側として座っていたとしたら、どのような言葉を発していたか思いを巡らした時もありました。

書記長や闘争という用語の問題ですが、確かにそのあたりから変えていくことで、労働組合のイメージを一新するという発想もあり得るのかも知れません。また、労働組合のホームページの件も、まったくその通りだと思います。やはり不特定多数の方々に発信していく心構えや工夫が必要であるものと考えています。

それでは皆さんも、良いお年をお迎えください。ぜひ、来年もよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2009年12月29日 (火) 21時27分

> OTUSさん

こちらのブログを読むようになり、多少自分の価値観に影響があるかも知れな
いと感じております。また、このような情報を読める場は非常に貴重であり、
大変感謝しております。1年間の更新お疲れ様でした。

そして今年最後のコメントですので、こちらは少し問いかけをしてみます。

私の個人的な考えですが、阿久根市長の「私は自分が嫌いで、自分を嫌ってい
る自分が好きだ。だから自分の為に生きようなどと思わない。」という言葉は
否定しません。また、あまのじゃくさんの「自らを信じ(中略)対峙するから
こそ「美しい」のです。」という言葉も十分理解できるものです。

これらの言葉を自分の中心に置いて生きることは、自分に対する甘えを排除す
るのに大きく役立ちます。しかし結果として、常に他者と対立する事となりま
す。また、自分に対するプレッシャーとして使っていた言葉のはずが、最近は
人に強要している場面を多く目にするようになりました。ですから、これを口
に出すことは間違いだと指摘するようになっています。
(この考えで仕事に集中して来た以前の私からは想像出来ませんが、この辺が
 価値観に影響があった部分かも知れません。)

さて、周りを見渡せば、自分に対する厳しさに欠けた「義務を果たさずに権利
のみ要求する姿」を良く目にするようになり、このような人は職員にもお客様
にも多数おられます。これらと対峙すると、他者を「独善的と非難し」何より
もまず「謝罪を要求」し、そして「誠意がない」と突き放されて終わりとなり
ます。その様は何かの流行のようですが、相手の口から「独善的」「謝罪」「
誠意」のキーワードが揃えば、例外なく要注意といえる状況でもあります。

「物事を決める基本は交渉、つまり話し合いだと考えています。」とはOTS
Uさんの言葉ですが、この様な相手でも話し合いが成立するのか、周りのお手
並みを見つつ「排除の理論」とは異なる自分なりの回答を見つけたいと思って
います。また、その参考となるような意見が見れることを、ここには期待した
いと思います。


> mobileSEさん

いつも、内容は理解できるのですが言葉がきついものですから、その言葉に凹
んでいるところでした。是非、来年以降も優しい口調でお願いしますと前置き
して・・。

近隣市の出来事ですが、労使合意の基に実施させた職員に対する健康増進事業
が、その途中で地元紙にすっぱ抜かれ市民から大変な抗議を受けたそうです。
その結果、市長が判断を撤回し事業は中止となり、支出済みの費用は職員の給
与から弁済されるという事があったそうです。mobileSEさんが言うとおり労使
合意に意味が無くなりつつあるのかも知れません。労使ともに市民に対する説
明力の重要性を痛感させられる事例だったと思います。

また、mobileSEさんが指摘した「自浄能力」は、我々の職場では永遠の課題と
なるだろうと思ってます。どのような形で導入し育て、そして判りやすく外部
に見せるのかを、これも自分なりに検討していきたいと考えます。そして先の
例では、個々が「自浄能力」を持つことが一つの回答になるのは間違いありま
せん。

そうして、来年は「行動した結果を判りやすく示す」が、自分の仕事に対する
一つのテーマになるはずです。知って貰わなければ何も変わらないのですから。

皆様、それでは良いお年をお迎えください。

投稿: むかし民間、今・・ | 2009年12月29日 (火) 21時47分

むかし民間、今・・さん、コメントありがとうございました。

とても話し合いが通用しない、行政側を攻撃することを目的とした人がいることも確かです。そのような人への対応は別に考える必要があるのだろうと思います。しかし、ほとんどの住民の皆さんは、懇切丁寧に話していく中で理解を得られるものと信じています。

日常的な仕事の中で、感情的な言葉で「本税は仕方ないが、延滞金は払いたくない」という人が少なくありません。その際、高圧的に納付を求めるのではなく、「なぜ、延滞金も納めていただかなければならないのか」を説明していくことによって納得されるケースが大半です。このような業務について、むかし民間、今・・さんへは「釈迦に説法」ですが、こちらの言葉遣いや態度一つによって火に油を注ぐのかどうかだと思っています。

当たり前すぎることであり、たいした話とならず、たいへん恐縮です。合わせて、このブログのコメント欄でのやり取りも、そのような考え方を大切にしています。結論を共有化することは困難でも、せめて感情的な「溝」が広がらないような対応に努めています。その際、「捨て台詞」のような批判意見でも、このブログを訪れていただき、コメントまでお寄せくださった、その点だけでも感謝できるため、投稿者の皆さん一人ひとりに敬意を払うように心がけています。

期待されたレスとなっていないものと思いますが、ご容赦ください。それでは、良いお年を。来年もよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2009年12月29日 (火) 22時37分

転勤が決まり、列車で旅立つ。駅には上司・同僚・部下が集まり「別れの儀式」が執り行われる。
「お世話になった」「元気で」「ありがとう」・・と一通り儀式も終了し、発車のベルもなった。
後は涙を流しながら手を振って「すがりつく」というお決まりの見栄を残すのみ。
・・と、そこに「あいや待たれい、あまのじゃく殿」の声。発車のベルと同時に「当列車は人身事故のため、1時間発車を延期します」のアナウンス。
儀式に流れる「気まずい雰囲気」をどうしたもんかと思案したが、年を越すにあたって「念」を残すのは良くない。
一言でお答えする。尚、異論のある場合は「転勤先のBBS」で万端承る。

1:私は改革派です。
2:「他人の話に耳を貸す」とは「予断なく話を聞く」という事で「同意する」という事ではござらぬ。
3:私の判断基準は「改革できるか」であって、褒め称える「のみ」ではござらぬ。

投稿: あまのじゃく | 2009年12月30日 (水) 10時04分

あまのじゃくさん、おはようございます。

私の「捨て台詞」のような批判意見でもという記述が「別れの儀式」に水を差したものとは考えていませんが、念のため、申し添えさせていただきます。例えば「寄生虫」というような言葉を投げかける人にも、丁寧に対応していくという趣旨でした。あまのじゃくさんは誤解されていないものと思っていましたが、このレスをお借りし、少し補足させていただきました。

1から3についても、基本的に私自身もその通りだと受けとめています。ただ続く4があるとしたら、改革を成し遂げるためにも竹原市長の手法が適切なのかどうかであり、私は「否」と判断しています。この話は、これまでお互いの意見を述べ合ってきましたので、また余計だったかも知れませんが、ご容赦ください。

投稿: OTSU | 2009年12月30日 (水) 10時36分

OTSUさんへ
私の言葉足らずでした。
私の答えは「捨てハン」さんへのものです。

投稿: あまのじゃく | 2009年12月30日 (水) 10時47分

初めまして OTSU様

阿久根市長の竹原信一氏についてネット検索をしておりましたら、こちらに辿り着いた者です。
私も地方公務員をやらせていただいてる関係から、興味深く読ませていただきました。
まず最初に御苦労様です、と言わせていただきます。
ブログを管理運営することの大変さはやってみないと分からないことですよね。
知識と忍耐と度量の大きさが問われます。
あなたの文章と内容について・・本当に敬意を表します。
意見交換(議論なんて私にはできませんので(^^))は次回、お邪魔したときに参加させてください。
本日はこれにて失礼します。m(_ _)m

投稿: ISHI | 2009年12月31日 (木) 02時00分

あまのじゃくさん、ISHIさん、おはようございます。

お気遣い、励ましのコメントありがとうございました。ぜひ、来年もよろしくお願いします。それでは、良いお年をお迎えください。

投稿: OTSU | 2009年12月31日 (木) 06時46分

OTSU様

こんばんは、長い間、ROMしておりました地球人と申します。
いつも、仕事をされながら、組合役員を務めながらの更新、そしてコメントへの丁寧な応対に感心させられていました。
何度か、コメントしようかという場面もありましたが、私には難しすぎる議論などもあり、躊躇していました。今年ももうすぐ終わりになろうとしているので、管理人様にお疲れ様を言いたくて、コメントさせていただきました。
来年もお身体に気をつけられて、更新等頑張ってください。
それでは、良い年をお迎えください。

投稿: 地球人 | 2009年12月31日 (木) 22時38分

地球人さん、温かいお言葉のコメントありがとうございました。

こちらこそ、来年もよろしくお願いします。なお、新年早々に年賀状パージョンの記事を投稿しますので、ご覧いただければ幸いです。それでは、良いお年をお迎えください。

投稿: OTSU | 2009年12月31日 (木) 22時55分

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