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2009年11月28日 (土)

卵が先か、鶏が先か?

以前、健康課という職場で働いていました。健康会館と呼ばれる建物の1階と2階を健康課が使い、3階には図書館と公民館がありました。読書は嫌いなほうではなく、いつも昼休み時間に5冊程度その図書館から本を借りていました。貸出期間の2週間で読み切れず、そのまま返却する本もありましたが、たいへん恵まれた職場環境だったと言えます。

その職場から異動し、現在は本庁舎に勤務しています。時々、自宅から通いやすい別の地区図書館を休日に利用していましたが、やはり自然と足は遠のいていました。それでも必ず数冊の本を手元に置く習慣は変わらず、部屋の中に読み終えた本や読みかけの本が山積みされていくようになっています。BOOK・OFFで処分する時もありますが、部屋の空間が狭まるペースのほうが勝っている現況でした。

今、読み進めている本の一つが『政党崩壊!二〇一〇年体制を生き延びる条件』でした。著者は共産党の元政策委員長の筆坂秀世さんです。筆坂さんは歯切れの良い言葉で、民主党政権への期待や懸念について語られています。共産党を離れた立場から長年在籍した共産党に対しても鋭い批評が加えられていました。今回の記事は、その著書の内容全体を論評するものではありませんが、読み進めている中で気に留まった次の箇所を紹介させていただきます。

マスコミは、馬鹿の一つ覚えのように、一般有権者に「小沢代表は、説明責任を果たしていると思いますか」「鳩山代表は、説明責任を果たしていると思いますか」などと聞き、大多数の人々が「果たしていない」と回答したことをもって、「説明責任を果たすべきだ」などと繰り返している。これに自民党や公明党、共産党も一緒になって騒いでいる。

自民党や公明党は別にして、共産党が騒ぐのにはあきれかえる。この党が、自分たちの不都合なことについて、いったいどれほど説明責任を果たしてきたというのか。私自身、共産党に在籍中は完全に口を封じられて、説明責任を果たすことができなかった。それもあったから、みずからの意思で離党したのだ。

だいたい、国民のどれほどの人たちが小沢や鳩山の説明を聞き、あるいは新聞を読んでいるのか。詳しい記事などほとんど読まれていないであろう。アンケートを取るなら、まず説明を聞いたか、から問うべきである。だが、そんな丁寧なことはしていない。最初から結論ありき、のアンケートにすぎない。

小沢は可能な限り説明を果たした。あれ以上言えというのは、無理というものだ。鳩山の個人献金についても、ほめられたことではないが、資金の出所は明確だ。鳩山個人のカネである。そこに汚職などが介在しないことは明白であり、謝るべきは謝り、訂正すべきは訂正する。それですむことである。

鳩山首相の献金問題は、母親から9億円もの資金提供があったことも明らかになり、筆坂さんがその著書で記した当時より波紋が広がっています。政治資金規正法違反や脱税の疑いなど、深刻な事態を迎えていることは確かです。過去に鳩山首相自身が政治家と秘書との関係は一体であるという点を強調してきた経緯も軽視できません。今後の捜査の行方を見定めなければなりませんが、「それですむことである」という言葉をそのまま肯定している訳ではありません。

共産党が騒ぐのにはあきれかえる」という言葉も、筆坂さんと共産党との関係から発せられている見方は否めず、その是非を問うつもりもありません。インターネット上の掲示板やコメント欄での議論に接する中で、「誰がどのような立場で書いたか」ということよりも、そこに書かれている言葉の中味を「自分自身がどのように受けとめるか」が重要であるものと考えるようになっています。

紹介した短い文章の中に様々な切り口があるようですが、私が「なるほど」と感じたのは次の言葉でした。「アンケートを取るなら、まず説明を聞いたか、から問うべきである」という一言に接し、いろいろ思いを巡らす機会となりました。まず私自身も含めて物事の全体像を把握しないまま、白黒を判断してしまう場合があるものと思っています。

新聞に書かれている内容も端から端まで読み込むことは滅多になく、強く関心を持った事例以外は詳細を掘り下げず、自分なりの理解や判断を下していることも少なくありません。日常生活の中に時間的な余裕があるか、マスコミ関係者ではない限り、多種多様な情報をすべて適確に把握していくことは簡単ではないはずです。

多くの人たちは新聞やネット上の記事を斜め読みし、テレビのニュースなどから伝わる内容を受けとめ、数多くの話題を理解したつもりになっているのではないでしょうか。このような現状が当たり前な中、マスコミからのアンケートを受け、まったく知らない話題だった場合は無回答となるはずです。しかし、概要を把握している話題で、自分なりの「答え」がある場合、筆坂さんの分析のとおり賛否について自信を持って回答するものと思います。

また、一人ひとりの「答え」を導き出すまでの判断材料がマスコミのフィルターにかかっている場合もあります。要するに「印象」そのものをマスコミの報道から無意識に受け取るケースです。特にマスコミ側にその意図がなかったとしても、端的な情報発信の中に白黒の評価が含まれてしまうのは仕方ないことだろうと見ています。例えばコップの中に水が半分ある時、「半分しかない」と書くのか、「半分も残っている」と書くのでは読み手の「印象」が変わるはずです。

ネット上で様々なサイトを見ていると面白い話ですが、自民党支持者から「マスコミは民主党寄りだ」と批判され、民主党支持者からは「自民党寄りだ」と非難されがちです。一口でマスコミと言っても、たいへん幅広い切り取り方ができますので、このような相反する主観的な評価が存在しても不思議ではありません。いずれにしてもマスコミの活動は、どうしても多くの人に「見てもらう」「買ってもらう」ことが欠かせない目的となります。

そのため、国民の評価や人気を大なり小なり意識しなければなりません。つまり国民からの支持率が高い民主党に対し、今のところマスコミの姿勢は様子見の立場であるように感じています。まだまだ徹底的に政権を批判する論調は少なく、鳩山首相の献金問題に関しても抑え気味なようです。一方で、世論を作り出す影響力もマスコミにはあるため、「卵か先か、鶏が先か?」のような話となりますが、世論の潮目が変わった時、一気に鳩山政権は苦境に立たされるのかも知れません。

鳩山由紀夫首相が26日の衆院本会議の真っ最中、“内職”に没頭する一幕があった。郵政株売却凍結法案に関する公明党議員の質問そっちのけで、扇子に「鳩山由紀夫」「友愛」などとサインしていたのだ。自らの政治資金疑惑に加え、米軍普天間基地移設問題や予算編成など難題が山積の時期だけに、「言論の府を軽視している」「ふまじめ過ぎる」などと批判が飛び出している。

扇子へのサインは民主党議員が支持者用に依頼したもので、報道席のカメラマンに上から撮影されても気付かないほどの熱中ぶり。撮影に気付いた首相側近の松野頼久官房副長官が注意し、鳩山首相はようやくカメラマンの方を見上げ、バツが悪そうに慌てて扇子を手で覆い隠したが…もう手遅れでした。【2009年11月27日ZAKZAK

上記のようなニュースも大騒ぎとならずに済んでいますが、ぜひ、よりいっそう鳩山首相には緊張感を持って難局に立ち向かっていただきたいものと願っています。今後、政治献金の問題で首相自身の責任も問われていくのかも知れませんが、これまでのように総理大臣が短期間で変わる事態は対外的に決して好ましいものではありません。筆坂さんの言葉のとおり「それですむことである」という見方が許されるのであれば、責任を全うするという判断も大事な選択肢だろうと思っています。

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2009年11月22日 (日)

労使交渉への思い

このブログ「公務員のためいき」は不特定多数の方々への発信と合わせ、私どもの組合員の皆さんに組合を身近に感じてもらえる一助となることを願いながら続けています。そのため、時々、組合の機関紙などで当ブログについて紹介してきました。ただ自宅ではインターネットに触れないという人をはじめ、このブログを「一度も見たことがない」と話される組合員の方は少なくありません。

そのような点は当たり前な現状であり、言うまでもなく組合員の皆さんへ情報を伝達する公式媒体は組合ニュースや『市職労報』と称する機関紙でした。したがって、その『市職労報』の紙面を使い、これまで「情勢や諸課題に対する認識の共有化に向けて」というテーマなどの記名原稿を数多く掲げてきました。情宣担当者から字数制限のない依頼を受けた昨年の春闘期の記事は、写真や図解などが入ったレイアウトとは言え、21ページに及ぶ分量となっていました。

基本的には組合の抱えている課題や取り組む方針などの説明が中心でしたが、随所にブログで訴えているような自分なりの思いも盛り込んでいました。特に「はじめに」の項では、最も伝えたい内容を自分自身の言葉で語ってきました。今回のブログ記事で労使交渉について取り上げようと考えた時、書記長時代に『市職労報』へ寄せた『ペナントレースの優勝をめざして~「春闘期の課題と方針」より』という記事の中の一文を思い出していました。

情勢の厳しさに萎縮して要求することを諦め、当局の減員提案即合意するような物分かりの良すぎる労働組合ではその存在意義が疑われてしまいます。とは言え、オールorナッシングのたたかいでは交渉とならず、何も成果が上げられない情勢認識も押さえる必要があります。組合側が聞く耳を持っているからこそ「労働条件の変更は必ず労使事前協議、労使合意なく一方的実施はできない」の原則が実効あるものとなり得ます。

例えると勝ち残りトーナメントの甲子園大会ではなく、ペナントレースの優勝をめざすようなトータルな組合の役割が重要な時代だと考えています。できれば組合執行部も職場組合員も全勝が好ましいのは当然です。したがって、重大な決断を下す際は執行部と組合員との情勢や問題意識の共有化が欠かせず、日頃から目線を一致していけるような取り組みが必要だと考えています。

以上のような問題意識があるため、『市職労報』の紙面を通し、さらに4年前の夏には個人の責任によるブログを開設し、いろいろな切り口から組合活動の意義などを訴えてきました。ちなみに個別の職場課題においても「2勝1敗」がやむを得ないという意味合いも否めなかったため、「1敗が私の職場の問題になるのは嫌だな」との率直な言われ方もされました。一方で、職場委員会の中で好意的な見方の発言が示されるなど、心強く感じたことも覚えています。

労使交渉に限らず、それぞれ考え方や立場の異なる者同士が話し合って一つの結論を出す際、難航する場合が多くなります。利害関係の対立はもちろん、お互い自分たちの言い分が正しいものと確信しているため、簡単に歩み寄れず、議論が平行線をたどりがちとなります。両者の力関係が極端に偏っていた場合、相手側の反論は無視され、結論が押し付けられがちとなるはずです。しかし、そのようなケースは命令と服従という従属的な関係に過ぎず、対等な交渉とは呼べなくなります。

ブログを開設した当初、「なぜ、労使対等なのか?」という記事を投稿していました。団体交渉の場で、組合役員と市長らとの力関係を対等なものに位置付けないとフェアな労使協議となりません。切実な組合員の声を背にした要求を実現するためには、市長側と真っ向から対立する意見も毅然とぶつける必要があります。つまり職務上の上下関係を交渉の場に持ち込まれるのは論外な話となります。その一方で、労使関係を離れた場面では、組合役員側が常識的なメリハリを強く意識すべきものと考えています。

ところで、鳩山内閣はマニフェストの実現に向け、普天間基地移転や八ッ場ダム建設中止の問題など多くの難問を抱えています。とりわけ普天間基地の移転に関してはアメリカを相手にした外交の課題であり、たいへん厳しい局面を迎えています。加えて一度、両国間で合意した現実があり、白紙からの交渉ではない大きな悩ましさがあります。しかし、政権交代という過去のしがらみを断つことのできる絶好の機会であり、沖縄の苦しさを少しでも緩和するためにも民主党の踏ん張りを期待しているところです。

話が横道にそれたように思われたかも知れませんが、交渉というテーブルの上で労使関係にも当てはまることが多いものと受けとめています。あまりにもスケールが違いすぎて恐縮ですが、組合としては「こう考える」という内容をどのようにして市や教育委員会当局側に受け入れてもらえるのか、簡単ではないことの共通さを実感しています。行革の課題などで、相手側が「なるほど」と組合側の主張に納得し、提案内容を改めていくようであれば苦労はありません。

しかし、お互いが正当性を強調し合う場面が多く、簡単には決着点を見出せない交渉が増えています。組合が交渉で優位に立つためには、当局よりも現場を熟知した職員の声を適確に訴え、住民の皆さんからも支持を得られる内容であることなどが欠かせません。交渉を重ねた結果、労使双方が歩み寄って、足して2で割るような解決をはかることもあります。それはそれで一定の修正を加えられた点など、組合として前向きに総括できることも少なくありません。

解決の糸口が見えない場合、状況に応じて戦術配置などもあり得ますが、あくまでも当局側に決断を促す手段だととらえています。交渉が決裂し、重大な覚悟を持って行使する場面も想定しなければなりませんが、その先も見据えた冷静な判断が組合執行部には求められています。戦術を打ち抜くことで展望が開けるのであれば、リスクを厭うつもりはありません。ただし、その後も交渉が膠着し、泥沼化するような事態につながる恐れが大きい場合、適切な判断だったとは言えなくなります。

長々と書いてきましたが、相手があるからこそ交渉です。自分たちの言い分が100%通るような交渉は滅多にありません。相手を納得させる、もしくはお互いが合意できる内容に歩み寄れる場合は問題ありません。合意できず、結論を持ち越せる時間がある場合、継続交渉となり得ます。しかし、決着の期限が迫り、組合側の主張がどうしても通らない場合、非常に厳しく悩ましい局面となります。

少しでも可能性がある時点では、組合員とともに当局側を攻め、突破口を広げるための交渉に全力で臨めます。ただ組合員と比べれば組合執行部には情勢面などの情報の入り方が早く、同時にベストが見出せない場合、ベターな判断を下さなければならない責任があります。ある課題に対して組合員との温度差や時間差が生じ、その差を埋めなくてはならない時が組合役員を続けていて最も苦しい場面でした。

このような差が大きいままだった場合、組合執行部と組合員との信頼関係を損ねる要因となりかねません。そのため、日頃から情勢や諸課題に対する認識を組合全体で共有化していくことが欠かせないものと思っています。実は先週の木曜夜、長年交渉を重ねてきた新学校給食共同調理場の問題が労使合意に至りました。調理業務の直営を求めて当該職場の組合員の皆さんと連携を強めてきましたが、PFI化の提案を受け入れざるを得ない苦汁の判断を下しました。

これまで数年越しに交渉を重ねながら常に平行線をたどっていたため、現場組合員から進め方などに対する苛立ちの声が頻繁に寄せられていました。決着に至った夜も、大詰めの交渉に現場から多数の組合員が参加していました。いつものように交渉を終えてから組合執行部と参加した組合員で、厳しい情勢などについて議論を交わしました。断続的に事務折衝も入れながら決着点を模索し、率直な議論を尽くした結果、たいへん残念ながら不本意な提案の受け入れを参加者全体で判断しました。

現場の思いとの落差が大きい結果を強いられ、労使合意する際、当該職場の組合員の皆さんから厳しい声が続くことを覚悟していました。しかしながらその夜、帰途につく組合員の皆さんの大半から「お疲れ様でした。お先に失礼します」という労いの気持ちのこもった言葉をかけられ、本当に安堵したところでした。結果については、まったく満足できるものではありませんが、その結果にたどりつくまでの透明性の大事さを改めて感じた夜でした。

日程の巡り合わせから木曜の夜は、賃金一時金交渉も基本合意に至っていました。東京都人事委員会勧告の改定内容(月例給△0.35%、年間一時金△0.35月分)を基本に決着しました。金曜の朝、それぞれの交渉結果を登庁する組合員の皆さんに伝えるため、組合ニュースを手渡す行動に取り組みました。配布を始めてから指摘があり、びっくり! 「年間一時金は△3.5月」と記していました。今まで4.5月でしたので、年間で1月分となる誤りでした。たいへん失礼致しました。

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2009年11月15日 (日)

アフガンの大地から

少しの前の記事(「投資」となるパワハラ対策)の冒頭で、行政側が主催した講演会「アフガンの大地の再生を願って~ペシャワール会の25年」に参加したことを報告しました。講師だったペシャワール会事務局長の福元満治さんの「アメリカの顔色をうかがうのではなく、相手側が何を望んでいるのかが大事」との言葉が印象深かったことを記しています。ペシャワール会の一員として、医療から用水路の確保まで現地に根差した活動を続けている福元さんが発するからこそ、たいへんな重みと適確さを感じ取っていました。

今回の記事で、改めてその講演会を通して受けとめた自分なりの思いを綴らせていただきます。ペシャワール会とは、パキスタンで医療活動に取り組んでいた医師の中村哲さんを支援するため、1983年に結成されたNGO(非政府組織)です。現在、パキスタン北西辺境州及び国境を接するアフガニスタン北東部で活動しています。本部を福岡市に置き、現地職員が約300名で、約12000人の会員が支えています。

現地代表のPMS(ペシャワール会医療サービス)総院長である中村さんは、用水路の設計図を引いたり、土木工事で重機を操作したり、たいへんマルチな活躍をされています。講演の中で福元さんから「無資格ですので、日本では許されませんが」と笑顔での説明が加えられ、中村さんの規格外の行動力を知り得るエピソードの一つとなっています。もともと中村さんは、主にハンセン病の治療に取り組んでいました。

2000年の夏、20世紀最悪とも言われた干ばつにアフガニスタンは見舞われました。その大干ばつの時、赤痢患者の急増を目の当たりにした中村さんは、清潔な飲料水の確保の必要性を痛感したそうです。それ以降、ペシャワール会の活動の一つに水源確保が加えられていきました。井戸の設置などの工事の際、昔から地元に伝わる工法を用いている話が福元さんから紹介されました。

先進技術の工法を採用した場合、メンテナンスが現地の人たちだけで行ないづらくなるという理由からでした。その後、自給自足が可能な農村の回復をめざし、大規模な用水路建設に着手した時も同様な考え方を基本としていました。このような発想は、現地に根を張った活動を地道に続けているNPOならではの決して外すことのない着眼点なのだろうと感じています。

さらに2001年の米軍によるアフガニスタン空爆の際にはペシャワール会として「アフガンいのちの基金」を設立し、国内の避難民への緊急食糧配給も行なっていました。日本を中心に多くの募金が寄せられ、2002年2月までに15万人の避難民へ食糧をはじめとした必需品を配給しています。その後、この基金をもとに総合的農村復興事業「緑の大地計画」の実施につながっていました。

ペシャワール会が一躍注目されたのは2008年8月でした。アフガニスタンの武装勢力であるタリバンに現地職員の伊藤和也さんが拉致され、遺体で発見される不幸な事件によってペシャワール会の活動が耳目を集めることになりました。ペシャワール会の会報の中で、伊藤さんの母親が「憤りと悲しみを友好と平和への意志に変えて。」という言葉を中村さんから送られた話を紹介されていました。

福元さんの講演を通し、中村さんの一貫した決意や覚悟が伝わってきました。イスラム主義運動を旗印にしているタリバンは、ソ連のアフガン侵攻後に続いた内戦の中から生まれた武装勢力です。大半のメンバーは、飢えと貧困に苦しむ現地の若者が生きていくためにタリバンに加わったと言われています。もともと農民のメンタリティを持ち、国際的なテロ組織であるアルカイダと一線を画して見るべきだと福元さんは強調されていました。

アルカイダとのつながりから叩き潰されたタリバン政権でしたが、その後も対テロ戦争の主戦場としてアフガニスタンはとらえられています。しかし、中村さんらの思いは、その見方は間違いであるというものでした。テロの巣窟と見なし、武力行使を続けていくという考えはアフガニスタン人全員を標的にするようなものであると訴えられています。実際、タリバンとそれ以外の勢力との見分けもつきにくく、空爆の犠牲者の大半は民間人であるという憂慮すべき現状でした。

反乱があって外国軍が進駐したのではなく、外国軍が進駐してアフガニスタンの混乱は広がり、あらゆる武力干渉に人々は敵意を抱いている現実が浮き彫りになっています。したがって、若者がタリバン兵にならなくても豊かに暮らしていけるためにも、食糧自給率を高める必要があり、アフガンを緑の大地に再生することが求められていました。このような問題意識を持った中村さんたちが生命の危機と隣り合わせの異国の地で、長い年月、たいへん貴重な汗をかかれてきたことに強い感銘を受けています。

また、アフガニスタンの人たちが日本人を高く評価しているという福元さんの話も興味深いものでした。日本がソ連の前身であるロシアとの戦争に勝ったこと、原爆投下などの焼け野原から驚異的な復興を遂げたことについて、自国のめざすべき姿として評価を受けているそうです。さらに日本がアフガニスタンに対し、武力による脅威を一度も与えていない信頼感があることも福元さんは取り上げていました。そのため、日本が担うアフガニスタンへの支援策の中に自衛隊を派遣する選択肢は、逆にマイナスに働く恐れがあることも指摘されていました。

いずれにしても体を張って現地で活動してきた福元さんらの言葉には重みがあり、国際貢献とは「相手にとって何が必要なのか」という判断の大事さをかみしめる機会となっていました。そのことを踏まえ、鳩山内閣が決めた次のニュースのような支援策が「アメリカの顔色のため」ではないことを願っています。とりわけ事業仕分けが注目を浴びている今、仮に「50億ありき」だったとしても、ペシャワール会の声などを受けとめながら「アフガニスタンの人たちのため」の実効ある支援策になることを切望しています。

鳩山内閣は6日、アフガニスタンへの新たな支援策を固めた。反政府勢力タリバーンの元兵士に対する職業訓練や警察支援など民生支援に5年間で50億ドル(約4500億円)を拠出。また、治安が悪化する隣国パキスタンに対しても5年間で20億ドル(約1800億円)を支援する。

鳩山由紀夫首相は来年1月で期限が切れる海上自衛隊によるインド洋での補給活動を延長しない方針を表明しており、新たな支援策を閣内で検討していた。日本は02年以降、アフガン民生支援に総額約20億ドルを拠出してきたが、大幅に増額する。13日の日米首脳会談でオバマ大統領に伝え、アフガン安定化に協力して取り組む姿勢を打ち出す。

特に、治安に直結する分野に力を入れる方針。約8万人の警察官の給料の半額にあたる約1億2500万ドルを負担した今年の取り組みを、今後も継続。日本で年に10人程度で行ってきた幹部警察官の研修を拡大し、新たにトルコなど第三国での警察官の訓練を検討する。

さらに、職業訓練では日本を中心に各国から支援を集め、基金を創設する。タリバーン元兵士らに給料を支給しながら、土木技術などを習得させる。訓練を終えた元兵士が社会復帰ができるよう農村開発プロジェクトも支援する。農業分野では現在、国際協力機構(JICA)が東部ナンガルハル州などで行っている稲作支援などを拡充する。

インフラ支援では、人口が急増する首都カブールの新都市開発で、道路や上下水道の整備を行う。さらに、学校の建設やクリニックの整備などへの支援も拡充する。【asahi.com2009年11月7日

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2009年11月 7日 (土)

金曜夜に定期大会

「委員長のブログ、長すぎるので3回に分けて書いたら、どうですか」

「それなら3回に分けて読んでもらえるかな」

昨日、書記次長から投げかけられた言葉に対し、冗談気味に切り返した会話でした。確かに文字ばかりのブログで、長い記事が多くなっています。毎回、3千字前後の分量です。ブログを開設した当時は、毎日のように更新していたため、もっと短いものでした。実生活に負担をかけないためには週1回が適当だろうと思い、1年ほど経った頃から週1回の更新が定着していました。

その間隔を変える考えはないため、冒頭のような会話となっていました。毎回、字数を決めて投稿している訳ではなく、書き進めるうちに話が広がってしまうパターンでした。ぎっしり文字が並んでいるため、すぐ他のサイトへ飛ばれたり、最後までお読みいただけない場合が多いのかも知れません。それでも数多くのリピーターの皆さんがいらっしゃることも間違いありません。そのような点を大きな励みとして、これまでのスタイルで今後も続けていくつもりですので改めてよろしくお願いします。

さて、前回記事のような自治労都本部大会など内輪の催しを題材にした内容に対しては、コメントが少なくなる傾向となっています。閲覧者の皆さんの常識的な対応であり、当たり前なことだと受けとめています。今回もマイナーな話題となりますが、金曜夜に開かれた私どもの組合の定期大会について取り上げさせていただきます。定期大会とは1年間の活動を振り返り、新たな1年間の活動方針を組合員の皆さんと確認する場でした。

大会に先がけて、水曜夜に組合役員の信任投票が行なわれ、引き続き執行委員長に選任いただきました。今回、女性執行委員が1人増え、会計監査も女性2人になったため、信任投票の対象となる組合役員19人のうち7人まで女性が増えました。組合員の半数近くが女性であるため、望ましい流れであり、ちなみに書記長と書記次長もそれぞれ女性が担っています。

様々な行革提案を受け入れる中、常勤職員数は年々減っていました。一方で、学童保育所や学校事務などに配置された嘱託職員の皆さんらを組合員として迎え入れてきたため、これまで組合員数1500人という規模は変わらずに推移していました。新規職員の皆さんは全員加入されていますが、それ以上に退職される人の数が上回り、今回、1466人まで減っていました。そのため、これからは残念ながら組合員数1500人とは言いづらくなってきました。

私どもの大会は、組合員全員の出席を呼びかけています。今回、何とか300人を超えた出席数でした。かろうじて5人に1人以上の方々に会場まで足を運んでいただいています。他の組合では代議員制の大会が主流となっていますが、組合員全員がオープンに出席できる会議は貴重な場だと思っています。ただ出席者数が激減した場合、そのこだわりも考え直さなければいけない時が来ることも覚悟しています。

議事の初めに執行部を代表した委員長挨拶の出番があります。割り当てられた時間は5分以内でした。役割柄、たくさんの人の前で話す機会が多く、おかげ様で上がることは滅多にありません。ただ原稿を用意しないと長々と話してしまう恐れがあり、なるべく大会での挨拶は事前に原稿を用意するようにしていました。今回、その挨拶原稿の一部を紹介させていただきます。

未曾有の経済危機の中、ますます公務員を見る目の厳しさが増しています。職員や自治労を徹底的に敵対視し、そのことをアピールしながら市民の支持を得ている鹿児島県の阿久根市長のような手法が、全国的に広がっていく事態は絶対避けたいものです。

最近、強い批判を浴びた農林水産省の「ヤミ」専従などの問題は論外ですが、これまで認められていたからという理由にとどまることなく、時代情勢の変化に対応していく柔軟な姿勢が求められているものと思っています。しかし、組合員がいきいきと働き続けられる職場や社会をめざし、「守るべきもの」「譲れないこと」は、今後も強く主張していく決意です。

そして、行革課題などで苦しい判断を下さざるを得ない場面が増えているからこそ、組合役員と組合員の皆さんとの認識を一致させ、納得できる決着点を全力で探っていかなければなりません。そのためにも日頃から緊密な連携をはかり、執行部も決して万能ではありませんので、至らない点があった場合などは率直なご指摘をいただけるような活動に努めていきます。

5分ほどの短い挨拶でしたが、上記のような内容をはじめ、組合員の皆さんへ伝えたかった話を要約することができました。議事が進み、いつもより出席者からの発言が少なく、予定した時間より早めに終わりそうでした。そのため、新旧役員紹介の際、一人ひとりがマイクの前に立って、一言ずつ話せる時間が作れました。その最後に私がマイクを握り、前回記事に綴った次のような趣旨の問題意識も訴えさせていただきました。

私たちをとりまく情勢が厳しいことは確かですが、心強い政治的な枠組みが実現している今、様々な課題が前進していく可能性や期待も広がっています。しかし、私たちが運動の方向性などに自信を持っていたとしても、住民の皆さんから理解を得られる内容であることが欠かせず、同時に適確な発信力を高めていく必要があります。その説明責任が果たせない場合、組合への不信感が高まっていく恐れもあります。

こちらの発言は原稿が残されていませんので、言葉遣いなどは違っているはずですが、強調したかったポイントは「共感」でした。組合運動への住民の皆さんからの「共感」をはじめ、組合方針への組合員の皆さんからの「共感」が重要であるものと訴えました。また、組合役員の役割と責任の重さを受けとめていますが、組合役員と組合員の皆さんとの「垣根」はなく、弱点は補い合いながら一体となって困難に立ち向かっていくことの大切さも呼びかけさせていただきました。

やはり今回の記事も平均的(?)な長さとなってきましたが、もう少し続けます。大会出席者から組合費の見直しについて質問が示されました。財政担当からの答弁の後、私からは「組合費も税金と同様、皆さんから託された貴重なお金です。活動費の中から無駄はなくし、効率的な運営に努めなければなりません。その上で、組合費の託しがいがあり、よりいっそう組合員の皆さんから信頼を寄せられる組合活動に高めていきます」と答えさせていただきました。

最後に、大会終了後の打ち上げでは、たいへん楽しく飲み語り合いました。特別執行委員である前・連合政治センター事務局長や自治労都本部委員長のお二人も参加し、なかなか濃密な話も聞くことができています。翌日にまったく予定が入っていない気楽さから誘われるままにハシゴを重ねてしまい、土曜日は一日、頭の中がモヤッとしている状態でした。

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2009年11月 1日 (日)

自治労都本部大会で感じたこと

前回の記事「お役所バッシング」へ多くのコメントをいただきました。これまで一つの記事に対し、コメントが100件を超える時も何回かありました。前回、数はそこまで及びませんが、投稿者の熱意や力のこめられたコメントが多く、いろいろ自分自身の考えを巡らす貴重な機会となっていました。

新規記事の投稿は週1回ですが、お寄せいただいたコメントへは素早く対応するように努めています。それでも内容が濃く、難しい提起となるコメントが続いた場合、時間的、力量的にも逐次レスできなくなっています。また、投稿者同士の議論など「掲示板」的な使われ方を歓迎しているブログですので、直接的な問いかけではない限り、ロムに専念することも少なくありません。

そのような点をご理解ご容赦いただいた上で、今後とも当ブログとお付き合いいただければ幸いです。なお、ご存知の方も多いと思いますが、右サイドバー「最近のコメント」の投稿者名をクリックすると、そのコメント内容へ一気に飛ぶことができます。コメント欄を開いてから下へスクロールしていく手間が省けるため、コメント数が増えてくると欠かせない便利な機能だと言えます。

さて、「お役所バッシング」というテーマに関して様々な視点からご意見をいただき、今回、その続きとなる記事内容を考えていました。単刀直入に「Part2」とすることも想定しましたが、公務員に向けられている厳しい視線に対し、適切な「答え」が簡単に見つからないのも現実です。そのため、「結論」的な内容を急がず、「バッシング」をどのように受けとめていけば良いのか、その切り口を模索するための素材として率直な思いを綴らせていただきます。

昨日の土曜、自治労都本部の定期大会が総評会館で開かれました。その大会の中で、数多くの来賓や出席者の皆さんの意見を聞くことができています。非常に共感できる発言がある一方、「ちょっと違うんじゃないかな」と心の中で突っ込みを入れている時もありました。昨日の大会は規約改正と役員選挙の一票投票もあり、いつもより議論の時間は限られていました。

そのため、発言者は初めに挙手した12人に絞られ、大会の場で意見を述べる機会はありませんでした。今回、その時に感じたことを書き進める訳ですが、これまでブログで発信する内容はネット上だけの訴えにとどめず、なるべく実際の場面でも同じように発言することを心がけてきました。また、言うまでもありませんが、ブログでの言葉一つ一つに責任を持ち、単なる「愚痴」や「陰口」の類いとならないように気を付けています。

さらに話が横道にそれて恐縮ですが、阿久根市の竹原市長への批判内容などに関しても、ご本人を前にしても訴えられる記述に努めています。「誹謗中傷」的な印象を与えてしまった場合、感情的な反発を招き、相反する意見をお持ちの方々と建設的な議論を交わしづらくなる恐れがあるからでした。「訴える内容は厳しくても、言葉遣いは丁寧に」を基本としています。

ようやく本題となる話ですが、今回の大会議論の中で、非常勤職員の課題や公共民間組合からの発言が目立ちました。前回記事のコメント欄でも非正規雇用の問題が多く取り上げられていましたが、残念ながら自治体内の職員の所得「格差」は歴然としています。行政改革の推進、イコール正規職員の削減という構図があり、各自治体で非常勤職員の数が急増し、業務や施設管理のアウトソーシングも進んでいます。

このような現状を踏まえ、かなり前から自治労は非常勤職員や公共民間サービス従事者の組織化に力を注いできました。その上で、私どもの組合も同様ですが、非常勤職員の待遇改善を組合運動の大きな柱としています。また、自治労全体の取り組みとして、委託労働者の待遇改善に向け、価格中心ではない入札制度の改革を各自治体へ求めてきました。大きな成果として最近、千葉県野田市における公契約条例の制定につながっていました。

つまり都本部の定期大会の中で、このような課題の報告や提起が多いことは現状の自治労運動を反映した姿だと思っています。そして、非常勤職員も昇進できるような制度の実現など、自治労の各組合は様々な改善に取り組んでいます。一方で、このような動きに対し、総務省から法的に問題があるという「指導」が入る時も少なくありませんでした。

非常勤職員の法的根拠の問題などで、自治労と総務省は年に1回、交渉の場を持っていました。政権交代後に開いたその話し合いの場で、総務省の官僚から懸案課題について「これまで以上でも、以下でもない」との答えだったことが報告されました。それに対し、「政権交代しても、官僚の姿勢は簡単に変わらない」と評する意見が示されましたが、私自身はそのようにとらえていません。

現政権の性格上、法律の解釈や改正の必要性などの判断は、官僚に委ねられていないものと見ています。自治労と対応した官僚も政務三役との意思疎通なく、勝手に答えられない事例だと考えたのではないでしょうか。善し悪しの評価は今後となりますが、今のところ「政治主導」の形が強まっていることは確かです。とりわけ自公政権の時代と比べ、副大臣と政務官の存在感が際立っているようです。

大会の発言の中で、「政権交代したのだから」「政権が代わったのに」というような期待や落胆の声が錯綜していました。自治労の協力国会議員団の数は過去最高の23名となっています。したがって、然るべきルートを通し、原口総務大臣と直接交渉し、理解を得られれば非常勤職員の問題などは劇的に変わっていく可能性があります。

しかし、この「理解を得られれば」という前提が非常に重要なポイントだと考えています。原口大臣にかかわらず、各閣僚に理解を得られる問題は、国民の皆さんから理解を得られる内容であることが欠かせません。その説明責任が果たせない場合、国民の皆さんからは自治労の「ゴリ押し」に映り、結果的に政権の足を引っ張る恐れもあります。

せっかく政権の中枢に直接声を届けられるパイプがあるのだからこそ、自治労の主張の正当性や社会的な意義などを確信した上で、そのことを適確に伝えていく洗練さが求められています。さらに自治労との連携がある政権だからこそ、各自治体現場からの生きた情報が届き、きめ細かい政策の実現につながり、その関係性が国民の皆さんから評価を得られるようになれれば本当に理想的なことです。

「お役所バッシング」の問題に対しても、同じように見ています。当然、改めなくてはならない「不正」や「無駄」は、即座に改めなくてはなりません。改める必要がなく、理解を得なくてはならない主張は、理解を得られるよう丁寧に伝えていく努力が必要です。そのためにも、まず連合の中で自治労の主張することが理解を得られなければ、政権与党や国民から理解を得ることは、もっと難しいものであることを覚悟しなければなりません。

自治労都本部大会で感じたこと、書き進めていくと、まだまだ続きそうです。最後に、気になった一言を紹介します。「私たちの生活を無視し、マイナス勧告だった都人勧は不当だ」との発言を耳にした時、「マイナスだから不当」という主張では説得力がないものと感じました。どうしても「不当」と訴えるのであれば、人事院による賃金水準調査で東京都内はプラスとなる結果であったのにもかかわらず「マイナスだったのは不当」と言わなくてはなりません。それでも公務員組合「目線」の発想であり、厳しい批判を受けてしまう一言ではないでしょうか。

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