卵が先か、鶏が先か?
以前、健康課という職場で働いていました。健康会館と呼ばれる建物の1階と2階を健康課が使い、3階には図書館と公民館がありました。読書は嫌いなほうではなく、いつも昼休み時間に5冊程度その図書館から本を借りていました。貸出期間の2週間で読み切れず、そのまま返却する本もありましたが、たいへん恵まれた職場環境だったと言えます。
その職場から異動し、現在は本庁舎に勤務しています。時々、自宅から通いやすい別の地区図書館を休日に利用していましたが、やはり自然と足は遠のいていました。それでも必ず数冊の本を手元に置く習慣は変わらず、部屋の中に読み終えた本や読みかけの本が山積みされていくようになっています。BOOK・OFFで処分する時もありますが、部屋の空間が狭まるペースのほうが勝っている現況でした。
今、読み進めている本の一つが『政党崩壊!二〇一〇年体制を生き延びる条件』でした。著者は共産党の元政策委員長の筆坂秀世さんです。筆坂さんは歯切れの良い言葉で、民主党政権への期待や懸念について語られています。共産党を離れた立場から長年在籍した共産党に対しても鋭い批評が加えられていました。今回の記事は、その著書の内容全体を論評するものではありませんが、読み進めている中で気に留まった次の箇所を紹介させていただきます。
マスコミは、馬鹿の一つ覚えのように、一般有権者に「小沢代表は、説明責任を果たしていると思いますか」「鳩山代表は、説明責任を果たしていると思いますか」などと聞き、大多数の人々が「果たしていない」と回答したことをもって、「説明責任を果たすべきだ」などと繰り返している。これに自民党や公明党、共産党も一緒になって騒いでいる。
自民党や公明党は別にして、共産党が騒ぐのにはあきれかえる。この党が、自分たちの不都合なことについて、いったいどれほど説明責任を果たしてきたというのか。私自身、共産党に在籍中は完全に口を封じられて、説明責任を果たすことができなかった。それもあったから、みずからの意思で離党したのだ。
だいたい、国民のどれほどの人たちが小沢や鳩山の説明を聞き、あるいは新聞を読んでいるのか。詳しい記事などほとんど読まれていないであろう。アンケートを取るなら、まず説明を聞いたか、から問うべきである。だが、そんな丁寧なことはしていない。最初から結論ありき、のアンケートにすぎない。
小沢は可能な限り説明を果たした。あれ以上言えというのは、無理というものだ。鳩山の個人献金についても、ほめられたことではないが、資金の出所は明確だ。鳩山個人のカネである。そこに汚職などが介在しないことは明白であり、謝るべきは謝り、訂正すべきは訂正する。それですむことである。
鳩山首相の献金問題は、母親から9億円もの資金提供があったことも明らかになり、筆坂さんがその著書で記した当時より波紋が広がっています。政治資金規正法違反や脱税の疑いなど、深刻な事態を迎えていることは確かです。過去に鳩山首相自身が政治家と秘書との関係は一体であるという点を強調してきた経緯も軽視できません。今後の捜査の行方を見定めなければなりませんが、「それですむことである」という言葉をそのまま肯定している訳ではありません。
「共産党が騒ぐのにはあきれかえる」という言葉も、筆坂さんと共産党との関係から発せられている見方は否めず、その是非を問うつもりもありません。インターネット上の掲示板やコメント欄での議論に接する中で、「誰がどのような立場で書いたか」ということよりも、そこに書かれている言葉の中味を「自分自身がどのように受けとめるか」が重要であるものと考えるようになっています。
紹介した短い文章の中に様々な切り口があるようですが、私が「なるほど」と感じたのは次の言葉でした。「アンケートを取るなら、まず説明を聞いたか、から問うべきである」という一言に接し、いろいろ思いを巡らす機会となりました。まず私自身も含めて物事の全体像を把握しないまま、白黒を判断してしまう場合があるものと思っています。
新聞に書かれている内容も端から端まで読み込むことは滅多になく、強く関心を持った事例以外は詳細を掘り下げず、自分なりの理解や判断を下していることも少なくありません。日常生活の中に時間的な余裕があるか、マスコミ関係者ではない限り、多種多様な情報をすべて適確に把握していくことは簡単ではないはずです。
多くの人たちは新聞やネット上の記事を斜め読みし、テレビのニュースなどから伝わる内容を受けとめ、数多くの話題を理解したつもりになっているのではないでしょうか。このような現状が当たり前な中、マスコミからのアンケートを受け、まったく知らない話題だった場合は無回答となるはずです。しかし、概要を把握している話題で、自分なりの「答え」がある場合、筆坂さんの分析のとおり賛否について自信を持って回答するものと思います。
また、一人ひとりの「答え」を導き出すまでの判断材料がマスコミのフィルターにかかっている場合もあります。要するに「印象」そのものをマスコミの報道から無意識に受け取るケースです。特にマスコミ側にその意図がなかったとしても、端的な情報発信の中に白黒の評価が含まれてしまうのは仕方ないことだろうと見ています。例えばコップの中に水が半分ある時、「半分しかない」と書くのか、「半分も残っている」と書くのでは読み手の「印象」が変わるはずです。
ネット上で様々なサイトを見ていると面白い話ですが、自民党支持者から「マスコミは民主党寄りだ」と批判され、民主党支持者からは「自民党寄りだ」と非難されがちです。一口でマスコミと言っても、たいへん幅広い切り取り方ができますので、このような相反する主観的な評価が存在しても不思議ではありません。いずれにしてもマスコミの活動は、どうしても多くの人に「見てもらう」「買ってもらう」ことが欠かせない目的となります。
そのため、国民の評価や人気を大なり小なり意識しなければなりません。つまり国民からの支持率が高い民主党に対し、今のところマスコミの姿勢は様子見の立場であるように感じています。まだまだ徹底的に政権を批判する論調は少なく、鳩山首相の献金問題に関しても抑え気味なようです。一方で、世論を作り出す影響力もマスコミにはあるため、「卵か先か、鶏が先か?」のような話となりますが、世論の潮目が変わった時、一気に鳩山政権は苦境に立たされるのかも知れません。
鳩山由紀夫首相が26日の衆院本会議の真っ最中、“内職”に没頭する一幕があった。郵政株売却凍結法案に関する公明党議員の質問そっちのけで、扇子に「鳩山由紀夫」「友愛」などとサインしていたのだ。自らの政治資金疑惑に加え、米軍普天間基地移設問題や予算編成など難題が山積の時期だけに、「言論の府を軽視している」「ふまじめ過ぎる」などと批判が飛び出している。
扇子へのサインは民主党議員が支持者用に依頼したもので、報道席のカメラマンに上から撮影されても気付かないほどの熱中ぶり。撮影に気付いた首相側近の松野頼久官房副長官が注意し、鳩山首相はようやくカメラマンの方を見上げ、バツが悪そうに慌てて扇子を手で覆い隠したが…もう手遅れでした。【2009年11月27日ZAKZAK】
上記のようなニュースも大騒ぎとならずに済んでいますが、ぜひ、よりいっそう鳩山首相には緊張感を持って難局に立ち向かっていただきたいものと願っています。今後、政治献金の問題で首相自身の責任も問われていくのかも知れませんが、これまでのように総理大臣が短期間で変わる事態は対外的に決して好ましいものではありません。筆坂さんの言葉のとおり「それですむことである」という見方が許されるのであれば、責任を全うするという判断も大事な選択肢だろうと思っています。
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