お役所バッシング
ココログのアクセス解析機能は比較的充実しているため、どのような検索ワードで当ブログを訪れてくださったか分かるようになっています。最近では「公共サービス基本法」や「阿久根市」という言葉からの訪問が増えています。この「公務員のためいき」は、ブックマークされている常連の皆さんにはお馴染みとなっていますが、記事タイトルとは関係ない話題で始まる傾向が多いブログでした。
したがって、何か調べようとして当サイトを訪れた人に対しては、肩透かしを与えていることが多いのかも知れません。そのため、数行だけ見て別なサイトへ移ってしまう人が少なくないものと思っています。先日、むかし民間、今・・さんからは「初めの3行」の大切さのアドバイスを頂戴しました。「批判も賛同も判り易くなければ共感は得られない時代です」とのご指摘も本当にその通りだと受けとめています。
それでも当ブログのカテゴリーは「日記・コラム・つぶやき」とし、最後までお読みいただいた中で、何かを伝えることができればと考えてきました。記事タイトルとは別な話題から入ることも、このブログの一つのスタイルとしています。その記事を投稿した時、世の中の動きや身の回りの出来事、自分が何を考えていたのかを残すことによって、以前の記事を読み返した際、たいへん感慨深くその頃を思い出すことができています。
また、自分自身が書きたい内容やスタイルをこだわることは、やはりブログを続けていく上での必要なポイントだろうと感じています。いずれにしても伝えたい主張は、できる限り分かりやすく綴ることが大事ですので、そのような工夫や努力は今後も重ねていくつもりです。と言いつつ、今回も記事タイトルと直接関係ない話を長々と書いてしまい、たいへん恐縮しています。
さて、以前の記事(「公務員」議論のあり方)の中で、公務員の不祥事や様々な問題が語られる時、全体に共通する一般論なのか、個別の役所における事例なのか、整理して進める必要性を提起したことがありました。このブログのコメント欄へ手厳しいご意見が寄せられることは覚悟していますが、私自身の責任で答えられる内容と踏み込んで答えられない場合がありました。
いつもこのような問題意識を抱えているところですが、ある日、書店で『お役所バッシングはやめられない』という新書を目にしました。著者は「『実は悲惨な公務員』を読み終えて」で紹介したことがある山本直治さんでした。山本さんは文部科学省のキャリア官僚でしたが、現在は人材紹介会社に勤務されています。公務員の経験を持ちながらも、今は民間人であるという立場から様々な公務員批判をお役所バッシングと称し、その新書の中で大胆な分析や解説をされていました。
お役所バッシングとは、一種の依存性薬物である。政治家や公務員を激しく叩いているうちに「正義の自分」に高揚感・陶酔感を持ってしまうのだ。しかし、過度の批判が政策を歪め、少しずつ日本社会を蝕んでいることに気づいているだろうか? 何事も「過ぎたるは猶及ばざるが如し」である。近年の耐震強度偽造問題にしてもそうだ。これは個人保護の目的で行われた法改正が、逆に企業の経済活動を縛ることになってしまった典型例であり、政治家に法改正を決断させたのはマスメディアに扇動された世論に他ならないのだ。
以上は、その新書の内容を紹介した文章ですが、お役所バッシングの功罪を論じつつ、山本さんは建設的なお役所バッシングの方法を提案されています。感情に任せた批判は卒業し、想像力とバランス感覚を兼ね備えた「バッシングリテラシー」を身につけるべきだと説かれていました。私自身、共感した内容と少し違和感を持った箇所がありましたが、今回の記事では「なるほど」と感じた点を中心に取り上げてみます。
山本さんは、お役所バッシングの定義と分類について、次のように述べています。端的には「公務員や役所のケシカランおこないに対する非難・攻撃」としていますが、その公務員とはどの範囲の誰か?ということまで意識して声を上げている人がどれだけいるのか疑問視していました。お役所バッシングと考えているものは意外に範囲が広く、攻撃の対象となる題材を基準として三つに分類しています。
- 役所のミッションに直結することがらに対して向けられる批判 … 各役所が担当すべき政策・事業の実行に伴って、その方針や内容が不適切であるとして非難されるもの
- 公務員一般が持つ地位・待遇に対する批判 … 倒産やリストラによる失業の可能性がほとんどない上、給与や福利厚生などの待遇も優れ、民間ほど仕事がきつくないイメージを持たれており、それらが批判の対象となっている。
- 個々の公務員の問題行動に対する批判 … 汚職や性犯罪など個々の公務員の不適切な行動、いわゆる不祥事への批判
上記のように類型化した上、山本さんはバッシング自体が自己目的化していることも少なくないと指摘しています。役所に対する不満や怒りを解消する手段として、バッシングしてカタルシス(癒し)を得る場合があると述べています。感情に任せてバッシングをすると冷静な議論ができなくなり、不正・不公正の解明や改善という目的から離れてしまうことを懸念されていました。
類型の1番目の事例として、耐震偽装の問題が発覚した際、事件の再発防止のために国交省は建築基準法を異例のスピードで改正しました。その結果、住宅着工に非常に時間がかかるようになり、建築・不動産不況を招いていました。健全で建設的なバッシングをするためには、感情(怒り)はいったん脇へ置いて細かい事情を認識することが重要だと山本さんは説かれていました。
また、山本さんは「役所を批判するのであれば、ぜひ同じような厳しさで批判してあげなければいけないかもしれない組織が日本にはあります」と書かれていました。税金から補助が出ている私立大学、放送局開設の免許制や出版物の再販制度といった規制などに守られ、激しい競争が生じないため、高コスト体質が維持されているマスコミ業界などを例示されていました。
「役所以外の問題を放置し追及しないままにしておきながら、公務員だけがこんなに叩かれ続けるのは不公平ではないか」と記し、「あまり目を向けてこなかった他のものも役所や公務員並みに批判すべきかも含めて、しっかりお考えいただきたいのです」と提起されていました。このような視点からの主張は、山本さんが元公務員であり、現在は民間人であるからこそ発せられる言葉だろうと受けとめています。
その新書の最後の章で山本さんは、是々非々の改革をするために必要なのは、行政に対する「監視」をキーワードに掲げていました。中立的な立場の行政監視要員を配置し、公務員の日常的な業務遂行に目を光らせるような案などを示されていました。以上は、あくまでも山本さんの著書に書かれていた内容の一部であることをご理解ください。私自身の勝手な取捨選択のため、山本さんの真意を適確に伝え切れていない心配もあります。興味を持たれた方は、ぜひ、新書そのものを購入いただければ幸いです。
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