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2009年6月 7日 (日)

ブログで有名な阿久根市長

ブログを続けている利点の一つとして、幅広い視点からの率直な声を伺える機会となっていることが真っ先にあげられます。個人の立場からの発信とは言え、地方公務員、その労働組合の役員として正直な気持ちを当ブログへ託してきました。その立場からの主張がどれだけ共感を持って迎えられるのか、逆にどれほどの反発を受けるのか、匿名性が担保された場であるからこそ、忌憚のない数多くのご意見に触れられる貴重な機会となっていました。

公務員に対する手厳しいコメントは数え切れないほど寄せられていましたが、そのような声が多数あることを認識した上で、日常的な職務や組合活動を進められる意義は大きいものと思っています。組織の内側からの情報や同じ立場の人たちとの接触が大半を占めた場合、とりまく情勢などを客観視できにくくなるのかも知れません。「夏季一時金減額の動き」で記したような感覚のズレを自分としては大事にしたいものと考えています。

さて、前回記事「公共サービス基本法が成立」のコメント欄で、阿久根市の竹原信一市長の話題が取り上げられていました。たいへん重要な問題をはらんでいたため、新規記事の中で自分自身のとらえ方を掘り下げる約束でした。話題となっている竹原市長は、自らが運営している「阿久根時事報」という日記を選挙告示後も更新、市職員の人件費明細を公開、市議会議員の不人気投票をそのサイトで呼びかけるなど「ブログ市長」として注目を浴びていました。

昨年8月に初当選した以降、竹原市長は市議会との対決姿勢を強め、3月に市長不信任案が可決された際は議会を解散させていました。その選挙で定数16名のうち市長派の当選は6名にとどまり、2回目の不信任案も可決される事態となり、竹原市長は失職していました。5月に行なわれた阿久根市長選挙は、竹原市長が8449票、対立候補が7887票という接戦でしたが、再び竹原市長が市政のトップに戻る結果となりました。

2度にわたる市長不信任案可決に伴う鹿児島県阿久根市の出直し市長選が31日投開票され、ブログなどで議会や市職員を批判し「ブログ市長」と呼ばれた前市長の竹原信一氏(50)が、反竹原派の市議らが擁立した新人で元国土交通省職員の田中勇一氏(56)を破り、再選を果たした。1日の選管告示で市長に復帰する。2期目も議会攻撃などを続けるとみられ、市の混乱は今後も続きそうだ。

竹原氏は選挙中も「仕事内容に見合わず、市民に比べて給与が高過ぎる」と市職員を批判し、争点化を図った。人件費を削減し給食費を無料化するなどと訴えた。過激な言動には批判もあったが、改革が遅れがちな議会や市職員への不満を幅広く取り込む形になった。これに対し、田中氏は「ビジョンなき改革は、破壊に過ぎない」と竹原氏の市政運営を批判。混乱が続く市政の正常化を訴えたが、出馬表明が今年4月と出遅れたこともあり、浸透できなかった。

選挙中「市民が議会と市役所を監視できる環境を整備する」などと訴えた竹原氏に、反竹原市議らは反発を一層強めていた。議会は反竹原派の市議が過半数を占めており、今後も市長と議会の衝突が予想される。投票率は82.59%で、前回を7.09ポイント上回った。当日有権者数は1万9876人だった。

再選を決めた竹原前市長は午後9時半すぎ、事務所で支持者と万歳三唱。記者団に2期目の抱負を聞かれると、笑顔は消え「市長という職が続くだけ。特別な感慨はない。責任者はあくまで市民の皆さん」と、淡々と語った。市職員に対しては「自治労は阿久根から出ていってもらう」と容赦なく攻撃した。50代の男性市職員は「大変なことになった。やりたい放題の独裁になってしまう。市政に具体的な弊害が出てからしか、有権者は選択の誤りに気づかないだろう」。【毎日新聞2009年5月31日

前回記事のコメント欄の中では、Oさんが竹原市長の姿勢を強く支持した問題提起を重ね、それに対する反論の声が複数の人から続く議論をたどっていました。当ブログを訪れているのは公務員以外の人たちも大勢いらっしゃいます。反論に加わったKさん、Aさんらは公務員ではない立場から竹原市長の強引な手法などを批判されていました。

議会や職員を敵視する市政運営に対して賛否両論がある中、再選された結果をもって竹原市長の手法が信任されたという見方も強まっています。そのため、ためいきばかりさんらが竹原市長の進め方を「独善的」などと批判した際、Oさんは「阿久根市民の良識を愚弄するのですか」と反論されていました。1票でも上回り、勝利した候補者に全権が委任され、有権者からの信任を得られたとアピールできる構図は選挙結果のシビアな点です。

しかし、そのように短絡的に判断されてしまうことに対し、正直なところ危うさを感じています。竹原市長は「人件費を削減し、給食費を無料化」などと訴えていますが、最近、公約実現のための財源捻出の裏付けとして公務員の人件費が標的にされがちです。橋下府知事らも似た発想であるようですが、その究極の姿として竹原市長の公約があるように見ています。それでも住民受けする大胆な公約を掲げた現職候補だったのにもかかわらず、僅差の結果は竹原市長への評価が拮抗している証だったとも言えます。

竹原市長の考え方を少しでも知るため、昨年8月以降の「阿久根時事報」の記事に目を通してみました。信念を貫く骨っぽさや有言実行する行動力、「市民目線」を強調されている姿勢など住民から支持される点の多さを垣間見ています。一方で、所々「思い込み」の強さに違和感を感じ、地方公務員法第24条の解釈などは身勝手な理屈だと言わざるを得ません。ちなみに給与、勤務時間その他の勤務条件の根本基準を定めた第24条の内容は次のとおりです。

  1. 職員の給与は、その職務と責任に応ずるものでなければならない。
  2. 前項の規定の趣旨は、できるだけすみやかに達成されなければならない。
  3. 職員の給与は、生計費並びに国及び他の地方公共団体の職員並びに民間事業の従事者の給与その他の事情を考慮して定められなければならない。
  4. 職員は、他の職員の職を兼ねる場合においても、これに対して給与を受けてはならない。
  5. 職員の勤務時間その他職員の給与以外の勤務条件を定めるに当つては、国及び他の地方公共団体の職員との間に権衡を失しないように適当な考慮が払われなければならない。
  6. 職員の給与、勤務時間その他の勤務条件は、条例で定める。

竹原市長の主張は「職員の給与は阿久根市議会が条例を作って決めてきた。そもそも、市役所の職員給与を国家公務員に合わせる必要などない。公務員給与が阿久根市の民間事業の従事者との間に激しい格差があるとするならば、過去の市長と市議会が法律に基づくあたりまえの仕事をしてこなかったということだ。今の状況はできるだけすみやかに修正されなければならない」とし、1項から5項の規定は一切無視し、阿久根市の裁量で決められるという解釈でした。

過去に「公務員賃金の決められ方」という記事を綴ってきましたが、竹原市長の思いだけで本来固定費であるべき職員の給与が恣意的に手を付けられることには大きな問題性を感じています。そもそも「条例で定める」という意味合いは、議会の議決を通じて予算上の裏付けをすることであり、条例化することによって労働条件の安定性を確保するという点が主眼だったはずです。

さらに人事院勧告などの役割を無視し、独自な削減を企図する場合は最低限、当該の労働組合との協議や合意形成が欠かせないものと考えています。竹原市長が強弁するような地場賃金と市職員との水準格差を問題視するのならば、決して歓迎すべきことではありませんが、数年前に導入した地域給のような全国的な制度論議を通して見直されるべき課題ではないでしょうか。

とりわけ内需拡大に向けた政策が重視されている中、公務員の賃金を引き下げる方向性ではなく、全体的な水準の底上げをどうはかるかが大切な視点だろうと思っています。加えて、都市部と地方との様々な格差が進み、疲弊している地方経済の活性化に向けて公務員賃金の引き下げが特効薬になり得ないことは言うまでもありません。

誤解がないよう申し添えますが、財政破綻の危機を前にしても「人件費は聖域にすべき」と述べている訳ではありません。労働条件の根幹となる賃金水準を引き下げる場合など、使用者の目線だけで決めるのはフェアではないため、必ず労使交渉を尽くした上で判断すべき課題であるものと考えています。竹原市長の組合軽視の象徴的な発想として、次のような動きも決して見過ごせません。

阿久根市の竹原信一市長は2日、市職員労働組合(落正志委員長、203人)に対し、市庁舎内にある組合事務所の退去に関する団体交渉を申し入れた。落委員長によると、市長側から口頭で伝えられたといい、「まず、事務レベルの事前折衝を求めた。市と契約した事務所を立ち退く根拠もなく、理解に苦しむ」と話した。

市職労は1978年から本庁舎北側の機械棟の1室(50平方メートル)を事務所として使用。市条例に基づく使用料全額免除の契約を、市と毎年度結んでいる。2008年度からは電気、水道代として月1万5000円を支払っている。竹原市長は「長年ただで使っている」として、事務所の追放を出直し市長選の公約の一つに掲げた。1日の会見でも、上部団体の自治労を「市民の税金を不当に使うばかりの背任組織」と批判した。【南日本新聞2009年6月10日

使用者が組合活動を妨害したり、団体交渉を拒否したりすることは不当労働行為となります。相反する言葉のようですが、便宜供与も不当労働行為の一つとして位置付けられ、使用者が組合のために経費を援助することは禁止されています。組合の自主性を損ない、健全な発展と使用者に対する独立性が阻害されると考えられているからです。いずれも使用者に比べて弱者となりがちな組合側を守る目的で、使用者側を規制した法律の一つだと言えます。

経費援助の例外として、勤務時間中の有給での交渉、組合事務所や掲示板の供与などが認められています。この考え方に基づいて自治体の組合も組合事務所などの供与を受けていますが、電気代や電話料金などは組合負担としているのが一般的でした。今回の竹原市長のやり方は、Thorさんも指摘されているとおり「組合つぶし」の目的が明らかであり、不当労働行為として提訴すべき類いの暴挙だろうと思っています。

最後に、私どもの組合にとっても阿久根市の問題は決して「対岸の火事」ではありません。それにもかかわらず、私の情報収集が不足しているだけなのかも知れませんが、自治労本部の存在感の薄さが気になっています。確かに竹原市長の性格などを考慮した場合、抗議電のような行動提起は逆効果だったものと感じています。しかし、阿久根市職労が直面している組合事務所の退去問題に際しては、自治労本部としての見解をマスコミへ表明する、総務省や鹿児島県に対しては真正面から適否をただすような後方支援が求められているのではないでしょうか。

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コメント

「自治労は阿久根から出ていってもらう」。この「抵抗勢力」をつくりだし攻撃する市長の姿勢は、間違っていると断言しても過言ではないでしょう。法的な見地からも疑念が生じています。もし、自治労本部がこの問題に対して及び腰であれば(行動は必ず起こすとは思いますが)次々と法律に基づいて行われる交渉等も、市長の「鶴の一声」で無視される危険性が強くなると感じられます。
 署名等あれば微力ですが自分も協力したいと考えています。この問題を通じてナチスの教会政策に反対して強制収容所に収容された、マルティン・ニーメラー牧師の言葉『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』を思い出しました。「その内容は基本的には、迫害ターゲットグループを徐々に拡大していくナチ党に恐怖を感じつつも、「自分には関係ない」と見て見ぬふりをしていたら、自分がいざそのターゲットとなったときには、社会には声を上げることができる人は誰もいなくなっていた、というもの。」(ウィキペディアより引用)
「自分には関係ない」、「他の労組だから」と見捨てたとき、自分自身に同じようなことが起こるような気がしてならないのです。また、「抗議電のような行動提起は逆効果」(たしかにあの市長なら「抵抗勢力からこんなにおくってきた」とかいいそうですしね・・・)でしょうね。どのように交渉等していくのか注目しています。

投稿: ためいきばかり | 2009年6月 7日 (日) 23時01分

ためいきばかりさん、コメントありがとうございます。

竹原市長の強引な手法を認めてしまうのかどうか、本当に重要な局面だと受けとめています。ご指摘のとおり決して阿久根市職労だけの問題ではなく、労働組合全体の存在意義が問われている不当労働行為だと言っても言い過ぎではないかも知れません。

投稿: OTSU | 2009年6月 7日 (日) 23時18分

いやー、サッカーW杯、決めたね。岡田監督は大阪の人やし、嬉しいわ。
今回はオシムの後やし、なんかパッとせんメンバーのときもあったから、結果責任でクビになるんちゃうかと心配した時期もあった。

>「対岸の火事」ではありません
それは住民にとってもそうやで。いまや全国区になった話題だけに、同じこと言うてくる候補者が、自分の住んでる自治体に登場するかも知れん。

唯一、あの市長を評価してもええと思えるところは、マスコミで人気者だったとか、どっかの官僚で落下傘候補だったとか、世襲(あまり好きな言い方やないけど)市長ではないところ、やろか。政治のために政治家になった、そういう一途さは伝わる(ただし、カネはありそうな気がすんな)。確かに乱暴ではあるんやけど、ブログ程度の発信力で注目され(給料公開なんて一般的な思考では出来ん・・・)、出直しでも当選したんやから、それは認められるべきやろな。
ただし、オレやったら投票せえへん。理由は今さらええやろ。
それに、その事と、市長として現在の行為が許されるものかどうかは別の話やしな。

せやけど、こういうのって、めんどいで。
住民至上主義を謳って、様々な改革を行った場合、それに反論するものは住民の敵として扱われるからな、手段として。自治労も、あれこれ抗議したかて、抵抗勢力の悪あがきみたいに扱われたら、逆効果や。歩み寄ろうにも、「妥協」とか「馴れ合い」て言われたないから、それも難しいやろしな。しばらく対立は続くやろから、当面はマスコミのネタにされるわな。そういう状況が一時的にあるんは、しゃあないかも知れんけど、ずっとそんなんやったら、結局誰が損をするんやろ?

サッカーって、監督替わったら急に強なったりすんのんな。あれ不思議や。
代表の場合、多くの中から自分で好みの選手決められるからやろか。
せやけど、阿久根市のスタッフは、市長が変わっても一緒やから、ホンマにどうするんやろな。昨今流行の、自己責任か。


追記
上記ためいきばかりはんのコメント「マルティン・ニーメラー牧師の言葉」には、久しぶりにゾッとしたで。暑気払いしたなったときに、Wikiで引いてみる事にするわ。

投稿: K | 2009年6月 7日 (日) 23時30分

Kさん、おはようございます。コメントありがとうございました。

確かに自治労の出方は慎重な対応に注意しないと逆効果になるものと私も感じています。その上で、組合の存在を否定するような事務所退去の件は一単組だけの問題ではないため、やはり自治労の出番も必要だろうと思っています。記事本文の最後に書いたような本部だからこそ、可能な行動が求められているものと個人的には考えています。

投稿: OTSU | 2009年6月 8日 (月) 07時21分

これは、呼び水になる可能性はあるのでしょうね。
ただ迂闊に動くと、津波が生じかねないので、熟慮が必要な局面でしょう。

あの市長様ですと、例えば総務省様から地方公務員法等(労働分野を含む広義での)地方公務員関係法令との関係で何らかの助言(地方自治法に規定されるところの公式な「助言」です。)が行われたとても、「霞ヶ関の官僚が波及を畏れてアレコレ文句言ってるだけ」みたいなアピールを報道機関にされ兼ねない(=結果として逆効果)かも知れないですね。そして、市長がそうした対応を現実に執れば、世論に結構な効果を現すと視ています。

かといって、単に沈黙を守るのはジリ貧な気がするのも事実で、難しい局面なのでしょうね。
某総理経験者が、「私が総理として国鉄民営化をしたのは、国労対策だった。」と公言して咎められないのが、この国の現実ですからねぇ。。。もちろん、国労の路線には激しく嫌悪する部分があるのですが、だからといって係る発言や行為が正当化されるとは思えないわけで、同じような匂いが漂っていそうな今回の事案は、対応を誤ると致命的な事に繋がっていきかねないのじゃないでしょうか。

当該の市長様に対しては、「自治労を潰したい」なら、国会(を構成する議員&其の支持者)に対して地方公務員法の改正(職員団体に関する規定・労働三法の適用問題について国家公務員と均等にする方向で。)を求めて運動し、法改正が実現するまでは現に存する法令に従う等の手法でもって、この国の政治体制に合致する方向で運動されるなら、私としては当該の市長様の行動を不必要に批判するつもりもないのですが、現状では手段としても問題があると思えるので。

何故なら、いくら首長が公選の特別職でも公務に従事する者である以上、私情と法令が衝突する場合には法令を優先して頂かないと困りますからね。法令が気に入らないなら法令を変える、、、それがこの国の統治体制のルールなわけで。法令から脱線するような職員団体の無茶は攻められてしかるべきですが、一方で首長・議員を始めとする特別職の公務員についても、法令から脱線するような無茶については改めていただかないと困るわけで。。。

投稿: あっしまった! | 2009年6月 8日 (月) 13時10分

長文の後の連投で恐縮ながら補足を。

上記の私の投稿は、市長の施策への賛否を論じる意図はありませんで、手法について所信を投稿したものです。

#私は、あのナチス政権でさえも、当時世界で最も民主的と謳われたワイマール憲法の下で、法令を遵守した適法・適切な手段でもって選出され、成立した政権であった事は理解しておく必要があると常々思っています。で、彼等は政権に就いてから無茶をして、国民全体が悲劇的な結末を迎えた訳ですが、一度正当に政権に就き有権者の圧倒的な支持があれば、良くも悪くも突き進むことが出来るという事なのでしょう。エントリの主題とは別の、もっと汎化させた一般論として、付記致します。

投稿: あっしまった! | 2009年6月 8日 (月) 13時24分

あっしまった!さん、コメントありがとうございます。

竹原市長に対する自治労の距離の取り方、ご指摘のような難しさがあるものと思います。一方で、あっしまった!さんが問題視しているようなコンプライアンスの欠如又は意識的に無視している面が多々あり、その点について正面から誰かが訴える必要性を痛感しています。

このような役回りを自治労本部が適確に振舞えなければ、今後、第二第三の竹原市長タイプの首長が誕生していくのではないでしょうか。不思議なもので、竹原市長の強引さと比較すれば、橋下府知事の進め方が穏やかな部類に見えてしまいそうです(苦笑)。

投稿: OTSU | 2009年6月 8日 (月) 22時27分

不当労働行為に関してですが
「地方自治体では地公法が適用される非現業職員(いわゆる普通の役人)と地公労法が適用される現業職員(水道業などの公営企業の職員や単純労務を担当する職員など)が混在しているため、地方公共団体の「労働組合」は地公法上の「職員団体」と労組法上の「労働組合」の二つの側面を有することになり、不当労働行為の審査ではいわゆる「混合組合」と呼ばれます。そしてその「混合組合」に対しては、基本的に労組法上の保護が及びません。
というのは、地方公共団体の「混合組合」については、そもそも労組法上の不当労働行為の救済申し立てを行う申立人適格が認められないため、不当労働行為の審査では門前払いされてしまうからです。」
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-310.html
こういった、意見もあるようなので、実際問題難しいのかも知れません。

投稿: nanashi | 2009年6月 8日 (月) 23時18分

nanashiさん、おはようございます。

貴重なご指摘と参考となるブログの紹介ありがとうございます。確かに非現業職員に対して不当労働行為制度は確立していません。しかし、その前提として「公」の使用者が法律で禁止されているような行為は犯さない、そのような考え方があるように聞いています。

公務員も団結権は認められている訳であり、阿久根市長との関係では堂々と公の場で対峙すべきものと思い、記事本文やコメント欄で持論を加えてきました。いわゆる法的に定められている「不当労働行為」かどうかの争点は枝分かれしていくのかも知れませんが、憲法28条に照らして判断すべきものと考えています。

投稿: OTSU | 2009年6月 9日 (火) 06時54分

う~ん、そうかぁ、所謂非現業一般職の職員団体と、現業職の労働組合が別々に分立している状況しか身近には存在しないから、所謂「混合組合」という部分には思考が及んでなかったです。(恥)

ところで、中央労働委員会レベルの話ですが、
所謂「混合組合」の構成員の内で、労働組合法が適用される構成員に関わる問題については、同法第7条各号の別を問わず申立人適格を有する。とする命令が出た事案があります。
当該の事案では、地方労働委員会レベルでは「申立人適格がない」と門前払いでしたが、中央労働委員会レベルでは「申立人適格は有するが、申立ては棄却する」という命令がでました。
こういう事案がない訳ではないのですが、あくまでも司法判断ではないことと、当該事案における労働組合法が適用される構成員=非常勤特別嘱託職員であったらしいので、参考までにお願いします。

ただ、職員団体(≠労働組合)の場合には不当労働行為に該当する事案であっても、不当労働行為として労働法規に従って解決するのでなくて、地方公務員法上の職員団体として地方公務員法の範疇で対処しなければいけないですからねぇ。素人の勝手な考えながら、労働問題でなくて職員団体と公共団体との間の公有財産の有償使用契約の問題と考える事が可能な状況であったなら、別のアプローチもあるかも知れないとも思いますけれど。

投稿: あっしまった! | 2009年6月 9日 (火) 08時50分

それにしても学校給食の無料化って、学校給食法(昭和29年法律第160号)第11条第2項との兼ね合いでどうなんでしょう?

と申しますか、(所謂給食費を無料にする=市の一般財源で賄う)ということは、義務教育を受けている児童・生徒の保護者のみならず、市域の全住民が分担して負担する(市民の税金 or 全国民が分担する地方交付税交付金が原資)ということであって、決して負担0ではないと思うんですけど・・・。

投稿: あっしまった! | 2009年6月 9日 (火) 13時40分

あっしまった!さん、いつもコメントありがとうございます。

朝、出勤前に書き込んだ内容の補足となりますが、竹原市長は「自治労(組合)は阿久根から出て行け」と述べています。その点について、専門家は次のように見ているようです。

石橋洋・熊本大法科大学院教授(労働法)は「市庁舎の維持管理に関する権限は市長にあり、地方公務員法にも職員組合事務所の規定はない。しかし長年、庁舎の一部使用を認めてきた訳だから業務上の必要性を示すことなく、一方的に退去要請するのは問題ではないか」としています。

平井一臣・鹿児島大教授(日本政治学)も「労働者の権利にかかわることであり、市長は労働組合と話し合って結論を見出すべきだ。今まで認められてきたのになぜダメなのかを組合側に説明しなければならない。その上で双方で条件面などを交渉するべきだろう。市役所内に労組があるのは合意があればかまわない」と述べています。

特に組合に対し、この4月に使用許可を文書で正式に認めながら「自分は承知していなかった。印を押していない」という理屈は身勝手なゴリ押しでしかありません。代決や専決の規程があり、組織のトップがすべて目を通すことは通常あり得ません。組織として許可したものを強引に覆そうとする姿勢は絶対許されないはずです。

さらに「有償でも認めない」と話しているようであり、組合潰しを企図した行為であることが明白です。憲法28条、公務員にも認められている団結権の侵害だと言わざるを得ません。法的には「職員団体」であることは確かですが、このような横暴を許すようであれば、自治労の組合すべてが労働組合だと名乗れなくなる事態だと思っています。

投稿: OTSU | 2009年6月 9日 (火) 23時39分

「私は押印していない。」って、、、この国の特異なほどの”判子至上主義”な現実を踏まえると、民事・刑事の司法判断も含めて、通用する理屈ではないと感じます。
勿論行員を偽造するなど刑罰の対象となる犯罪行為が介在していれば別ですけれど。適切な決裁を経て押印された公文書である以上は、少なくとも「見直しの為の協議」は必要だろうと思います。

ところで、実は、前々から考えている事があるのですが、それは次のようなことなんです。

命題:法的には労働組合法に基づく労働組合と必ずしも同一ではなく、労働基本権も一部制約される公務員によって構成される国家及び地方公務員法に基づく職員団体が、団体の名称として”労働組合”を附する事によって、世間という空気から無形の不利益を被っている可能性は無いだろうか?

と申しますのも、世間では公務員労組というと、どうしても旧国鉄系労働組合の印象が強すぎる側面があると思って居りまして、職員団体が労働組合を団体名に用いることに由来して、世間という空気に必要以上に負の印象や拒否感を与えてる側面があるのではないか?と。
必ずしも労働法制や公務員法制に詳しくない多くの人にとって、「旧国鉄職員(三公社職員)は公務員でなくて公共企業体職員である」とか「旧国鉄系労組は(特別法による制約があるものの合法に組織された)あくまでも労働組合法に基づく労働組合であって、職員団体とは異なる」とか、「労働基本権の制約内容が違う」とか、その辺りが必ずしも正しく理解されている訳ではないようですから。

確かに、職員団体と雖もその本質は「労働者の組合組織」である事に異存は全く無いのですし、適法な職員団体の活動の必要性はあると思う立場ですけれど、敢えて団体の名称に、あくまで名称にですが”労働組合”という単語を使わないという選択肢もあって良いのではないだろうか?とか思うんですよね。団体名として「○○職員団体」とか「○○職員ユニオン」とか「○○職員組織」とか。勿論労働組合法の適用がある職員のみで構成される組合は別ですよ。
これは、労働組合という名称を使用することによる必要以上の負の印象が存在するという、私見を前提とした上での思考実験ですけれど。

投稿: あっしまった! | 2009年6月10日 (水) 07時56分

お詫びと訂正。

先刻の拙コメント中、「行員の偽造」とあるのは「公印の偽造」の誤りです。m(__)m

投稿: あっしまった! | 2009年6月10日 (水) 07時57分

あっしまった!さん、コメントありがとうございました。

「労働組合」の名称に対し、負の印象とのご指摘は正直なところ悩ましいものがあります。とは言え、あっしまった!さんのような方も、そのように感じられていることについて真摯に受けとめようと思います。今後、役割や活動への信頼を高めながら名称に対しても、プラスの印象を与えられるような努力の必要性を改めて感じています。

その上で、地公法上では「職員団体」でありながら「労働組合」と呼称している件ですが、憲法21条の結社の自由にちなんでいるように聞いています。さらに日本も批准しているILO87号条約(結社の自由及び団結権の保護に関する条約)に基づき、労働者団体を労働者自らが選択し、その規約に従うことのみを条件として加入している限り、労働組合の結成は自由であり、国家の干渉は受けないものとされています。

このような背景もあり、地公労法が適用される現業職員との混合組合かどうかを問わず、「労働組合」を正式な名称としている公務員組合が多いように理解しています。当然、公平委員会等に登録した団体の位置付けとしては「職員団体」となる訳ですが、前述した理由から今まで看板に偽りがあると批判を受けることはありませんでした。

あっしまった!さんに対し、このような説明は不要だったかも知れませんが、自分自身の復習の意味合いから整理してみました。長々と書いてきましたが、要するに公務員の組合も「労働組合」だと自認し、周囲に対してもそのように認知してもらいたいと考えてきたことが大きな理由だろうと思っています。余談ですが、私どもの組合は「職員労働組合」としていますが、「職員組合」としている組合も多数あることを付け加えさせていただきます。

投稿: OTSU | 2009年6月10日 (水) 21時42分

> 管理人様宛

先刻は丁寧な返信をありがとうございました。ご投稿のご主旨は正しく理解できたと思っています。お疲れの処、お時間とお手間を頂戴いたしました事に、お詫びとお礼を申し上げます。m(__)m
ところで私は、原則的には職員団体の必要性やその存在自体に対して、無条件かつ感情的に嫌悪したり批判したり、存在を否定したりする事については、反対の立場です。今回の「自治労は出て行け」発言にも大反対です。で、一応私の思うところを以下に疎明いたします。m(__)m

1,官公労への悪印象の件
 私自身は、公務労働者の組合組織については、広義の公務員法規に照らして妥当する範囲において、或いは憲法の人権規定における総則的規定のうち、第12条、第13条、第15条に照らして妥当と思える範囲において、公務労働者の組合組織には肯定的な感触を持っています。そう言う意味では、過去の国労様や動労様のスト権ストや行き過ぎた遵法闘争に限っては、--労働基本権の制約が違憲であるとの訴訟を提起するには、行動を起こして不利益処分を被った事実をもって裁判する必要があったという事情も踏まえつつそれでも--否定的な立場です。とは言いながらも、(厳密には公務員ではく、独立採算で運営されていた)公共企業体職員の労働組合と公務員の職員団体とを、同じ土俵で比較し論じたり職員団体への非難の根拠とすることは、必ずしもフェアでないと思ってもいます。
その上で、敢えて先刻のような「刺激的な」コメントを投稿いたしましたのは、やはり世間のそれなりの多数意見として、官公労と聞いただけで良く吟味をせずに脊髄反射的・感情的に嫌悪したり叩いたりされる方が居られる、という認識を持っているからです。そのような認識に立てば、現状の官公労への風当たりの有り様は職員団体の構成員個々人にとっても、在る意味シンドイのでは無いかな?と思うわけです。だから、職員団体として適法・適切な活動を行うと外部に宣言する意味で、名称を変えることによってイメージが若干でも改善されて、結果として構成員の利益に資する可能性があるのではないだろうか?と考えてみたわけです。という程度のそこの浅い軽い思いつきによる投稿であって、他意はありません。

2,「職員組合」という呼称の件
 実は、組織名を改名したらどうだろう?と無責任にも思いついた時に、第一候補と考えたのは「職員組合」という名称でした。ただ、先刻のコメント投稿段階で書かなかったのは、管理人様ご指摘のとおり現に「職員組合」と名乗っている職員団体が相当数存在するという事実を踏まえて、イメージチェンジを図るという私の主意からすれば、候補から外れるのが自然の流れだった訳です。

3,「労働組合」という呼称の件
 歴史的経緯からすると、終戦直後(労働三法の施行)から、現行地方公務員法第58条が施行されるまでの間、地方公務員にも労働組合法が適用されていて、現に地方公務員を組合員とする労働組合法による労働組合が存在した時期があったと。
そうした前提に立って、地方公務員法第58条が施行されるに際して職員団体として登録すれば、その時点で既存の労働組合も職員団体として存続する事が出来ることとされた故に、労働組合という名称を引き継ぐことができたという側面もあるという話を耳にした事があります。耳にした程度なので、真偽の程はわかりませんし、元の発言者の思い込みかも知れませんが、一応は単位組合の上級役員経験者の談でした。
そのような訳で、看板に偽りありとは決して思わないのですが、労働組合を名乗る故に必要以上に、公務員叩きの口実にされてないかな?とは思うんです。

※官公労組に限らず、広く一般的に労働組合運動というものに対して、世間のそれなりの多数意見として冷めた部分があるので、職員団体への風当たりというのはそうした世間の一般的な風潮によるのかも知れないのですけれど、そうであれば根は深く強固で広範囲なものですね。

投稿: あっしまった! | 2009年6月10日 (水) 23時54分

あっしまった!さん、おはようございます。

こちらこそ、さらに丁寧なレスとなるコメントありがとうございました。あっしまった!さんの過去のコメントから決して公務員の組合を否定されている方ではないことを前提として、「労働組合」という呼称の問題に対して私なりの思いを綴らせていただきました。

その意味で、あっしまった!さんの呼称を変えてイメージアップをはかるという提起の趣旨についても一定理解していたつもりです。それでも私も含め、「労働組合」の呼称にこだわる組合関係者が多いのだろうと推測しているところです。

投稿: OTSU | 2009年6月11日 (木) 06時43分

> 「労働組合」の呼称にこだわる組合関係者が多いのだろうと推測しているところです。

あれだけ大胆な事を書いて置きながらですが、ごもっともなお考えだと思っています。
如何なる個人であっても、法人であっても、自らのもつ”名称”というものは、大事ですから。
特に役員諸氏におかれましては、先人の努力によって築かれたものを、時代に向けて受け継いでいくという事を考えなければならないお立場故に、喩えるなら”老舗ののれん(店名)を守り伝えていく”というような、そういう側面からも考えなければいけないでしょうからね。

民間労組と、旧公共企業体等の労組と、公務員の職員団体の差違についての認識が、世間に広まって欲しいと思っています、個人的には。

#旧三公社の職員は、公務員じゃないんだよぉ~。。。所謂五現業は公務員だったけどさ。もっとも郵政公社が公社なのに公務員という妙な組織形態だった事もあって、ますます誤解が・・・。(嘆息

投稿: あっしまった! | 2009年6月11日 (木) 12時27分

間違いました。m(__)m
先刻の投稿中、「時代に向けて」とあるのは、「次代に向けて」の誤りです。

投稿: あっしまった! | 2009年6月11日 (木) 12時29分

あっしまった!さん、コメントありがとうございます。

昨夜いただいたコメントの中で「なるほど」と思った点があり、自分の組合の『50年史』を改めて目を通してみました。あっしまった!さんからの「現行地方公務員法第58条が施行されるまでの間、地方公務員にも労働組合法が適用されていて、現に地方公務員を組合員とする労働組合法による労働組合が存在した時期があった」とのご指摘が気になったからでした。

占領政策の一環として早々に成立した労働組合法に基づき、確かに私どもの組合も戦後いち早く1947年1月には「労働組合」として結成されていました。その後、1950年12月に施行された地方公務員法を受け、翌年2月にそれまでの「労働組合」を解散し、同年6月に「職員組合」として再スタートした記述が残っていました。さらに1954年4月に新たな規約を定め、「職員労働組合」と呼称するようになった歴史を振り返ることができました。

このような経緯を考えると、そもそも「労働組合」だった点やそのことに対するこだわりが強かったという説明がより正確だったのかも知れません。したがって、呼称に関する昨夜の私の説明は若干「後づけ」気味だったようです。あっしまった!さんからのご指摘は、とらえ方や知識が広がる機会となり、たいへん感謝しています。改めてありがとうございました。

投稿: OTSU | 2009年6月11日 (木) 22時55分

> 管理人様 宛
過分のお言葉、恐縮です。m(__)m
いつも好き放題の投稿をさせて頂いておりますから、少しでもお役に立てる部分があれば、幸いです。(汗)

ちなみに、どうでも良い話なのかも知れませんが、争議権の問題に関する職員団体の取組について、
外部目線では「現在制約されている労働基本権について、制約の解除(全ての基本権の付与)を求める待遇改善目的のもの」と認識されるのに対して、内部目線では「現在制約されている労働基本権について、元々あったものを返して貰うのは当然のこと」と認識されていると、聞いたことがあります。
この辺の内部と外部の、”小さいようで実は非常に大きいかもしれない”基本的認識の違いは、歴史的経緯を知っている人と、そうでない人の違いなのだろうなと思っていました。
ちなみにぃ~、こうした歴史的経緯については、地方公務員法附則(所謂原始附則です)第15項や第17項に、その面影を見ることが出来ますぅ。(トリビア?)

「職員組合」という名称は、こうした職員団体の各規定に基づく団体(職員によって構成された組合という形態を採る組織体)に、もっとも相応しい名称という受け止め方も当時には在ったように聞いています。そうして、その後の労働基本権を巡る活動の過程で「職員労働組合」を名乗る団体も増えてきた一方、「職員組合」という名称のままで続いている団体もあるとか、、、。
※最後の段落に限っては基本的に伝聞ですので、誤りがある可能性があります。

投稿: あっしまった! | 2009年6月11日 (木) 23時47分

あっしまった!さん、おはようございます。

呼称の問題から内部と外部の認識の違いなど、なかなか興味深い話となってきたものと思っています。ちなみに公務員組合の労働基本権のとらえ方は「回復」というスローガンが多いようです。

投稿: OTSU | 2009年6月12日 (金) 07時13分

労働運動隆盛期には「奪還」という言葉も、それなりに躍りましたが、個人的には「回復」という言葉が好きです。
なぜなら、前者には”運動”というよりは”闘争”のイメージがある気がするので、世間を身構えさせ兼ねないと思うので。
それに「回復」という言い回しは、歴史的経緯からしても妥当していますし。

管理人様には既にご案内のことかも知れませんが、現行の労働組合法は「昭和24年法律第174号」という法律番号の通り昭和24年の制定ですが、実は2代目です。
初代の労働組合法は、「昭和20年法律第51号」という法律番号が附されていて、帝国憲法&帝国議会の下で終戦の年の12月21日に制定されています。初代の労働組合法は、文字通り”GHQの要請によって作りました”という側面があったのかもしれません。
当然ながら、初代の労働組合法に基づいて成立した労働組合は、現行の労働組合法の施行に伴って、現行法に適合する限り合法的な労働組合として継続しました。現存する地方公務員の職員団体もその例にもれず、歴史のある団体は先代の労働組合法の下で成立した組合が端緒になっているのでしょう。

投稿: あっしまった! | 2009年6月12日 (金) 14時21分

経費援助の例外が認められているからと それに甘んじていいものか?
自主性を重んじるなら極力相手からの援助を避けるべきではないのか?

倒産、賃金の未払い、など無縁であるかのような公務員の立場になれきっているような意見。
これでは阿久根市長の言い分がもっともだと思える。
市を束ねる市長に対し記者に危惧を話すのも保身に走る公務員そのものではないか。
阿久根市長の行動には賛成したい。

投稿: 公務員きらい | 2009年6月12日 (金) 16時30分

こんにちは。
はじめて書き込みさせていただきます。
先日の組合事務所の件についてなのですが、私は市長の考えに賛同できません。
確かに昨今の不景気により公務員バッシングが公然と行われており、民間との給与・待遇の格差が批判されております。
職員側の代表である組合の主張よりも、一般的には市長の意見の方が世間的には信頼されるものと思います。
しかし団体交渉に市民を入れるとのことですが、どのような人選をするのか?
たとえば、自分と同じ考えを持った人ばかりを集めて、「これが市民の意見だ」ということも可能です。
夕方、事務所近くにプラカードを持った市民が押し掛けたとのことですが、この人たちではなかったのかという気がします。
改革は必要ですが、労使が信頼できる関係が必要です。全てが一方的な行動で権力者なのに狭量な感じがします。
目的のためなら、どんな犠牲も構わないという姿勢は政治家として市長としてどうなのかと思います。

投稿: はる | 2009年6月12日 (金) 19時23分

あっしまった!さん、コメントありがとうございました。

戦後すぐに労働法制が整備されたことなど知識として把握していましたが、自分の組合の歴史に照らして振り返ると、なかなか感慨深いものがありました。このような思考する機会もブログの利点だと改めて思っています。


公務員きらいさん、コメントありがとうございます。

公務員には労働組合が不要だとお考えだった場合、議論がかみ合わないのかも知れませんが、一言付け加えさせていただきます。今回の竹原市長の行為は露骨な組合潰しを意図したものだと言わざるを得ませんでした。そして、このような不当な行為は官民問わず、許させるものではありません。その点を強く主張した記事でしたので、「倒産、賃金の未払い、など無縁であるかのような…」のご指摘については少々戸惑いを覚えています。


はるさん、はじめまして。コメントありがとうございました。

共感いただき、たいへん心強く思っています。ご指摘のとおり圧倒的な権力は市長が握っています。それにもかかわらず、本当に乱暴な手法であり、とても残念な事態だと受けとめています。ぜひ、これからもお気軽にコメントくださるようよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2009年6月12日 (金) 22時19分

「改革」はあくまでも既存の政治体制や法体系(法令)を遵守して行われるのに対し、「革命」とは、既存の政治体制(法体系)そのものを破壊する行為である。

という前提でいけば、「改革」には賛成できても、「革命」には賛成できないですね、私は。
そうして私が見るところ、職員団体の事務所問題に関しては、当該市長の行いは「革命」に類するように感じます。

となれば、この案件に限って当該の市長氏の”手段”、目的でなく”手段”ですが、について賛成いたしかねますです。

投稿: あっしまった! | 2009年6月12日 (金) 22時44分

あっしまった!さん、おはようございます。

組合事務所の問題で、阿久根市職労は許可取り消しの無効を求める仮処分申請の検討も始めたようです。したがって、ご指摘の趣旨のとおり様々な感情論は抜きにして、竹原市長の行為が行き過ぎたものなのかどうか浮き彫りにすべきだろうと思っています。万が一、司法サイドから「お墨付き」が与えられるようならば、労働組合全体にとって深刻な問題ですが、そうならないことを信じています。

投稿: OTSU | 2009年6月13日 (土) 08時49分

 はじめまして。
 一般のマスコミの情報だけでは、阿久根市長を勘違いされる方も多いと思いますので、私が比較的公正に報道されていると思う阿久根市長に関する記事や動画を紹介したいと思います。

シリーズ 変なニッポン4 ブログ市長の「切ない」思い:日経ビジネスオンライン
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090325/190003/?P=1

YouTube - 竹原・阿久根市長の本音に迫る!(1)市長として何をやるのか
http://www.youtube.com/watch?v=5VmSQdSUsKQ&eurl=http%3A%2F%2Fwww.data-max.co.jp%2F2009%2F06%2F10_093813.html&feature=player_embedded

 阿久根市の職員組合の事情を知っておかないと勘違いされる方もあるかも知れませんが、阿久根市の職員組合は自分たちに都合の良い議員を議会に据えるのに、定年前の職員を選挙に出させ、議員になると年収が減るので職員組合のほうでその損失補てんをするようなところです。
 このようなやり方が、職員組合として正当な行為と思われるなら議論は無理ですが、そのような方々ばかりがここの常連の方々では無いでしょう。

 今回の職員組合への庁舎内施設からの退去の通告についても、もともと職員組合のためにつくられた施設でないところを職員組合が事務所として使っていたわけです。
 規則では、他の市民が使いたい時は速やかに明け渡す必要があったわけですが、事務所として使っていれば、速やかになんてできるはずがありません。
 ゆえに、公の施設を職員組合が占有していたようなものです。

 「組合潰しだ!」と言う方もあるみたいですが、庁舎外で職員組合の活動をすることまで禁止したわけではありません。
 庁舎の中でしか組合活動ができないような職員組合なら、もともと必要性があったかどうかも私は疑問に思います。
 ヤミ専従問題などが最近は注目されていますし、ヤミ専従問題みたいな不法行為を避けるためにも庁舎外にあったほうが良いと思うのですよね。

 一度、阿久根市の事情をよく調べられてから、阿久根市の問題は語っていただきたいものだと思います。
 よろしくお願いします。

投稿: さつま通信 | 2009年6月14日 (日) 08時27分

たかだか200人程度の組織に、そんな影響力があるとも思えませんが。
給与補填等も収入規模を考えれば、かなり怪しい話では?

投稿: Thor | 2009年6月14日 (日) 08時47分

>給与補填等も収入規模を考えれば、かなり怪しい話では?

 市長も市長派の議員の方々も公言されていますが、その辺の反論は無いようです。
 つまり無視。

 2行程度の文章で簡単に否定しないで、私が紹介したURLのページを見てから考えて欲しいものですね。
 それともよく知らないで、阿久根市制の批判のコメントを書くのを良しとされますかね?

投稿: さつま通信 | 2009年6月14日 (日) 09時08分

さつま通信さん、Thorさん、おはようございます。

本日更新する記事で、もう少し阿久根市の話を掘り下げる予定です。ぜひ、またご訪問いただければ幸です。

さつま通信さんからご紹介いただいたサイトを閲覧してみました。また、念のため申し添えますが、今回の記事本文を書き込むにあたって可能な限り竹原市長や阿久根市職労のことを調べています。その上で、竹原市長の行き過ぎぶりを懸念し、今回の内容のような問題提起に至っています。

「議員になると年収が減るので職員組合のほうでその損失補てん」していたとのご指摘ですが、そのような話があったことも承知していました。しかし、この件に関しては、あくまでも阿久根市職労の組合員が正当なのかどうか判断する問題だと受けとめています。自分たちの代表を市議会へ送り出す必要性を組合員全体で確認した際、候補者となる人の生活面の保障など組合の総意として決めていたとしても、それは組織としての判断の範疇だろうと思っています。いわゆる「ヤミ」的な批判を受ける類いのものではなく、実際、誰もが知り得る話だったのではないでしょうか。

「庁舎外で職員組合の活動をすることまで禁止したわけではありません」とのご指摘ですが、前述したとおり新規記事の中で触れる中で、改めて竹原市長の「不当さ」を自分なりの言葉で綴らせていただこうと考えています。とらえ方などに対するお互いの「溝」は深いのかも知れませんが、このような機会を通して議論を重ねない限り、その「溝」が埋まることはあり得ません。「そのような見方もあるのか、できるのか」という謙虚な姿勢で、異なるご意見にも接していくことを強く心がけています。ぜひ、そのようなブログであることをご理解の上、今後ともお付き合いいただけるようよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2009年6月14日 (日) 10時21分

>自分たちの代表を市議会へ送り出す必要性を組合員全体で確認した際、候補者となる人の生活面の保障など組合の総意として決めていたとしても、それは組織としての判断の範疇だろうと思っています。

 その組合員は職員ですよね。
 憲法で定められるところによる「公務員の政治的中立」の問題に抵触しませんか?組合が職員の意思で動いているのであれば問題だと想いますし、そうでなくてもやはり問題だと思いますよ。
 ちなみに、その議員の方は「社民党」に属していらっしゃいます。
 特定の政党の候補者に組合が資金援助したことになりますけど。それでも、問題になりませんか?

投稿: さつま通信 | 2009年6月14日 (日) 14時34分

さつま通信はんの紹介する動画、見たで。
動画の印象は「普通」やな。以前あの市長の違うコメント見た事あるけど、いつもテレビ(動画)では、普通やったわ。
せやけど、相変わらずブログの方は言いたい放題というか、「大丈夫かこいつ?」みたいな書き方なんやけど、あれ本人の文章やろ?かなりヤバいで。
2ちゃんねるで戯れ言書いてる匿名の人間ちゃうんやから、あれではなんか、良識を疑ってしまうんやけどな。

マトモな動画と、イカレたブログ、どっちが市長の本当の姿なんやろか?

そうそう、それから、このブログってちょっとは知られてるみたいやな。
http://www5.diary.ne.jp/user/525778/
「お名前:小野市民
コメント:はじめまして、市長のブログを目にして以来、その活動に注目しています。(中略)
東京都立川市職員組合の幹部が書いている「公務員のためいき」というブログがあるのですが、今度の土曜の夜くらいに竹原市長についてアップされる予定です。そのサイトの中で素人レベルですが自治労関係者と一般人が討論します。現状を知らない者が新聞報道とそれぞれの理屈だけで討論するのですから、そちらの住民や関係者が読めば的外れなものに終わると思います。(後略)」

せっかくやから、入ってきてコメントしたらええねん。ほんなら、言いたい事が直接ブログ管理者に伝わるやろ。
そういう意味では、さつま通信はんは、エラいと思うで。

オレは、市長はなんかヤバそうで信用できひんし、やり方も気に入らんけど、もう一方の組合の情報は全然知らんし、まだ完全には評価しがたいっていう感じか・・・。まあ、どうせ素人レベルの現状を知らないモンによる的外れな意見なんやけどな。ただ、オレにかて所属(?)する自治体があり、その市長やら知事やらが今回の状況を受けて、妙な方向に動かんか、心配な部分もあるんやさかい、コメントする権利くらいはあると思てるんやけどな。

投稿: K | 2009年6月14日 (日) 18時03分

> さつま通信 様

職員団体の構成員が市議会議員に立候補するについては、職員と議員の兼職を禁止する地方自治法第92条第2項の規定によって、退職してからの立候補となります。そうして、退職した時点で公務員ではありませんから、元職員団体の構成員が立候補することについて、政治的中立性について何等の問題もありません。と解されており、過去にも所謂「組織内候補」として当選した議員は地方行政・国政問わず存在しており、職員団体出身者が当選することについて、何等の違法行為が求められない限り、直ちに法令違反に問われたという事案もありません。

また、現職の職員が特定の候補を応援するについては、地方公務員法第36条を遵守する範囲において合法であり、併せて現職の職員が職務上の立場でなく、一人の有権者として・個人の資格で、特定の候補に投票することも問題ないとされています。公務員も、国民或いは住民として、選挙権は制約されませんから。

なお、政治資金規正法上の規定をクリア出来ていれば、当選した議員が職員団体構成員から金銭を受け取る事も問題ないでしょう。

感情論ではなくて、法律論としてお答えすれば、おそらく以上のようになると思われます。

なお、所謂組合事務所問題に関しては、公式発言のとおりなら問題ないでしょうが、ブログでの発言がホンネであれば、これは非常に問題です。

投稿: あっしまった! | 2009年6月14日 (日) 18時33分

あっしまった!さん、丁寧なコメントありがとうございます。

>一人の有権者として・個人の資格で、特定の候補に投票することも問題ないとされています。

 色々と調べてみましたが、結局は上の問題になってくるのですよね。
 でも、職員組合みたいなものが存在すれば、はたして「一人の有権者として・個人の資格」で選挙に望めるかどうか疑問です。
 職員にとって都合の良い特定の候補者に票が集まることは、健全な状態では無いと思うのですよね。
 法律や過去の判例に基づくものであったとしても、やはり「おかしい」と思いますよ。私はね。

 職員組合と言う道具を使って、自分たちに都合の良い議員を産み出せるようなシステムってまずいんじゃありませんかね?
 ますます公務員が信頼されなくなると思うのですがね。

 自分たちで改善する事を考えようとしないのですかね?全体の奉仕者としてね。

投稿: さつま通信 | 2009年6月14日 (日) 20時27分

さつま通信さん、Kさん、あっしまった!さん、コメントありがとうございます。

さつま通信さんからのご指摘に対し、あっしまった!さんから丁寧な説明をいただきましたが、私からも過去の記事で書いた内容をもとに補足させていただきます。

地公法第36条で、地方公務員は特定の政治的立場に偏らず、中立であることが求められています。ただし、この法律をもって地方公務員の政治活動が一切禁止されている訳ではありません。公職選挙法の規定により、地位利用による選挙運動の禁止や公務員のままで立候補できない点、さらに当該職員が属する区域での選挙運動などが制限されています。また、地公法第36条は職員の政治的行為の制限を定めていますが、この規定は労働組合の政治的行為を制限するものではありません。組合が特定の選挙へ向けて、特定の候補者の支持や推薦を決め、組合員へ周知することは組合活動の範囲とされています。

Kさんから紹介されたサイト、少し驚いています。「住民や関係者が読めば的外れ」と言われてしまいましたが、これから私なりの言葉で綴った「もう少し阿久根市長の話」を投稿します。ぜひ、またご覧いただければ幸です。

投稿: OTSU | 2009年6月14日 (日) 20時32分

 遅れましたが、Kさんコメントありがとうございました。
 考え方は違うみたいですが、Kさんの気持ちが伝わるような文章でした。

投稿: さつま通信 | 2009年6月14日 (日) 20時47分

> 職員組合と言う道具を使って、自分たちに都合の良い議員を産み出せるようなシステム

この点は、現時点で全く合法に行うことが可能であり、更には公務員の専売特許でなくて一般人も同じ事が可能ですので、理屈の上では公務員だけが優遇されている訳ではありません。民間人の労働組合や市民団体なども、特定の候補者を擁立したり応援したり金銭的支援を行ったりする事は、現実に行われていますからね。
勿論、「公務員には認めないが一般人には認めるという区別した取扱い」も理論上はあり得るのですが、それには「国会の場で、公務員のそうした行為を明示的に禁止する法律が作られる必要があり、有権者集団としてそうした法律の制定を実現させるような投票行動・請願活動・陳情活動・意見表明をしなければならない」のが、この国の政治体制です。さらには、そうした公務員を狙い打ちした選挙権を巡る制約が、憲法に合致するという司法判断を得ることができるかどうか?が問題になるでしょう。

ところで、職員団体として特定の候補者を推薦して、構成員にその事実を告知することは問題ないと思われます。各政党が一般党員に対して、この候補者を推薦したり公認しますと告知するのと一緒ですからね。一歩踏み込んで、構成員に特定候補への投票を強要したり、投票行動を拘束したり、そうした強権的手段に訴えるのはダメですよ。
現実には、職員団体として特定の候補者の推薦を告知したとしても、各種法令を遵守する限り、構成員が職員団体としての意向を無視して別の候補者に投票する自由は保障されてますから、直ちに違法性は生じないと思うんですよね。

投稿: あっしまった! | 2009年6月14日 (日) 20時58分

>この点は、現時点で全く合法に行うことが可能であり、更には公務員の専売特許でなくて一般人も同じ事が可能ですので、理屈の上では公務員だけが優遇されている訳ではありません。民間人の労働組合や市民団体なども、特定の候補者を擁立したり応援したり金銭的支援を行ったりする事は、現実に行われていますからね。


 合法ではありますが、阿久根市のような場合は従業員数が200人を超える企業は少ないと思います。
 企業間で連携すればそれなりの票田にはなりますが、同じ業種の場合ライバルどうしでありますから特定の候補者に票が集まることは考えにくい。

 ところが、職員組合の場合は自分たちに都合の良い議員を置くことが比較的容易にできてしまうのですな。職員組合と職員の共通の利益を考えることなんて簡単な事なんですから。
 職員と職員の家族や親戚の数を考えてみてください。とんでも無いぐらいにまとまった票田ですよ。

 だから、「危険だ!」「マズイのでは?」と言っているのですね。
 都会と地方では条件が異なるのです。
 ゆえに、その地方の事情も考慮して政治を語る必要があるのです。

投稿: さつま通信 | 2009年6月14日 (日) 21時37分

もし職員自体が大きな票田だったとしても、当選する議員は1人。定数は16人のはず。
都合のよい議員を置くことが比較的容易にできると断言するには、ちょっと無理があるのではないでしょうか。

投稿: はる | 2009年6月14日 (日) 22時22分

さつま通信様がご指摘の、地域固有の次条という点については、確かに”ご尤も”としか言いようがないです。

一方で、法律とは「一般的・抽象的規範」である事が求められるので、う~ん。
法律とは国会で決まるのですから、全国の地方住民の声が集まれば何とかなるかも知れないですが、そうは言っても確かに仰るとおりでしょうしね。
私も人口2万人強の田舎に20年近く住んでましたけど、投票率や候補者数にもよるのでしょうが、職員団体や農協関係とか組織票がある候補は強いでしょうね。必ず議会多数派を構成できるかどうかは、疑義が残りますけど。

う~ん、そうか、そうですよねぇ。(悩

投稿: あっしまった! | 2009年6月14日 (日) 22時29分

さつま通信さん、はるさん、あっしまった!さん、コメントありがとうございます。

この「公務員のためいき」を通し、組合が一定の政治活動に取り組む必要性を訴えてきています。さつま通信さんの疑念を拭うことは簡単ではないものと思っています。参考までにバックナンバーの2006年6月を中心にご覧いただくと私自身の思いなどが少し分かっていただけるかも知れません。ぜひ、お時間がある時、ご覧いただければ幸です。

阿久根市でとらえた場合の16分の1、その1人を送り出すたいへんさや意義は、どこも同じだと考えています。とにかく公務員組合の政治活動が一切駄目だと思われている場合、このような議論がかみ合っていかない難しさを常々感じています。

投稿: OTSU | 2009年6月14日 (日) 22時48分

はるさんへ

>もし職員自体が大きな票田だったとしても、当選する議員は1人。定数は16人のはず。
>都合のよい議員を置くことが比較的容易にできると断言するには、ちょっと無理があるのではないでしょうか。

 地方の場合は、公共事業に依存する企業が多いのですよ。土建屋とかね。
 でもね、その土建屋票の議員でも地方の役所や役場の職員には弱かったりします。
 あってはならないことですが、理由はわかるでしょ。
 ゆえに、役所や役場にとって都合の良い職員が集まってしまうし、職員に顔のきく議員がいれば、自ずからそいつがリーダーですよ。

 この件については、情報ソースを示すことができません。(できたらたいしたもんだ。^^;)
 ご自分を職員の立場、各議員の立場に置いて想像してみてください。
 私なんか、煩悩の深い人間でありますから、簡単に脳内でシミュレーションできます。

 人間なんて弱いものですから、しっかりしたシステムをつくらにゃならんのです。
 抜け道や例外のある法律なんてつくるから、それを悪用する者が出てくるのです。

投稿: さつま通信 | 2009年6月14日 (日) 22時58分

OTSUさんへ

>とにかく公務員組合の政治活動が一切駄目だと思われている場合、このような議論がかみ合っていかない難しさを常々感じています。

職員団体 - Wikipedia
公務員の労働組合であるが、労働組合法の適用を受けず、公務員法制上は「職員団体」と称する。民間の労働組合と比較すると、団体協約(労働協約)の締結権が否定されるとともに、争議権が否定されていることに違いがあり、その代償措置として人事院、人事委員会又は公平委員会による救済が得られる点が異なる。
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 公務員の政治活動が一切駄目だとは私は思いません。
 ただですね、組合みたいなものは問題だと思うのですよね。
 人事院などでそれなりに公務員としての身分は保証されているわけですから、それ以上の物が必要ですか?

 組織みたいなものを立ち上げますと、組織は当初の目的を外れて、その組織のために動き出すと言うことは、もはや法則みたいなものです。
 その組織にふりまわされて、失敗した事例はいくらでもあるのじゃないですか?
 その失敗例が私は自治労だと思いますよ。

 昔と違い個人の意見を発信するのが容易な時代になったわけですから、政治的な意見を述べたいのであれば、個人でやって行けば良いと思います。
 職業を超えた同じ意見が集まれば、その意見は評価されると思います。

 直接政治に関わりたいのであれば、公務員と言う身分から離れて議員に立候補するのも良いと思いますよ。
 でもね、これからは、組織の力ではなく個人の意見で選ばれるべきだと思いますよ。

投稿: さつま通信 | 2009年6月14日 (日) 23時33分

さつま通信さん、遅い時間までご訪問ありがとうございます。

丁寧にお答えすべき重要な課題ですが、言葉不足となりがちなコメント欄ではなく、改めて機会を作らせていただきます。お時間をいただく点について、ご理解ご容赦ください。

投稿: OTSU | 2009年6月14日 (日) 23時51分

公務員の皆さんにお聞きしたいのですが、公務員の人件費で税収がほとんど吹っ飛んで無くなってしまう、現在の状況をどうお考えですか?

投稿: 一般民 | 2009年6月20日 (土) 18時39分

>一般民さん

以下のようなことだと思います。
元々、阿久根市は、市税ではなく、交付金と補助金に主たる財源を頼っていたようですね。

総収入に占める人件費は、際立って高いものでは有りませんね。

http://kurokawashigeru.air-nifty.com/blog/2009/06/617-9f26.html

●竹原市長は市の税収の大半を市職員の給料になってしまう、と言うが、阿久根市のような高収益産業もなく高齢化に苦しむ自治体は、自主財源は少ししかない。阿久根市の決算カードを見れば、市民が納める税金は収入の20%程度しかないことがわかる。半分以上が国からの交付税や補助金である。仕方がないのである。
普通、自治体の職員給与は全予算の2割程度だから、突出しているとは言えない。阿久根は税金を市職員が持っていっているというよりも、税収が少ないだけの問題である。少ない分他の自治体より地方交付税をもらっている。地方交付税の財源は、大都市部の住民を中心に納めた税金である。
また、自治体の支出のうち公共事業が増えれば増えるほど、借金は増え、人件費の比率は下がるし、公共事業を抑制し、福祉や教育など自治体でしかできないサービスを強化すると、借金は減り、人件費比率は上昇する。

投稿: Thor | 2009年6月20日 (土) 21時04分

国の税収に占める公務員の人件費の割合は、たいした事無いから大丈夫と言う事ですか?

投稿: 一般民 | 2009年6月20日 (土) 21時21分

地方公共団体の事務そのものは、法令の規定もあって、執行する義務のある事務は一定程度存在する。
しかし、税収ではその執行経費を賄えない。税収の限度では、法定された事務を全て執行することが出来ない。
それなりの多数の地方公共団体が、そんな感じなのは確かでしょう。
法定された最低限の水準以上の福祉的施策等を、税収の規模に不相応なレベルで、要求する住民も多いですしね。

”自称”非公務員の私でも、「財政規模を分母とせずに、税収総額を分母とした人件費比率」を持ち出すのは公平でないと思いますよ。

ちなみに、OECD加盟国の水準と比較して、この国の(国及び地方・独法等含む。)公務員人件費総額の対GDP比率は、決して高水準ではなく、無駄の代名詞たる公共事業費のそれも平均並み、ちなみに国防予算のそれも低位にはいる。こうした状態では、人件費悪玉説には素直には首肯できないですね。

現状では、租税公課に対する通称「還元率」を上昇させるには、租税公課の総額を増やすしか無いでしょう。以下は極端例ですが。
10人の人が1ずつ負担して、執行経費が1とすれば、還元されるのは9。一人あたり0.9
10人の人が10ずつ負担して、執行経費が1とすれば、還元されるのは99。一人あたり09.9
還元率は、90%から99%に拡大して、一方執行経費は10%から1%に減る訳ですから。
政府からより多くの再分配を受け、執行経費の比率を下げるには、原資となる拠出総額を増やすか、執行経費を減らすかしか無い中、執行経費総額は、対GDP比でOECD加盟諸国と比較しても、決して突出していませんから、拠出の総額を増やす必要は否定できないと思ってます。

ちなみに、上記のOECDの統計については、公務就労者数・人件費比率の算出に際しては、国家公務員(三権の職員全て)、国防関係(軍人込)、公社公団(所謂特殊法人)、政府系企業、地方公務員(行政及び議会)、地方公社、公営企業を全て含んだ比較でした。

ついでですが、人口1000人辺りの公務員数については、上記範囲で42.2人、上記範囲に含まれない国及び地方所管の公益法人職員数を加算しても47.9人で、小さな政府代表のアメリカ(73.9人)の3分の2にも到達してません。。。(多くの人から信用されない数字なので、公刊されている統計などによって、ご確認下さい。)

投稿: あっしまった! | 2009年6月20日 (土) 21時45分

つまり税収をに近い、もしくは上回るお金を公務員の人件費で使っても問題無いという事ですか?

投稿: | 2009年6月20日 (土) 22時55分

一般民さん、Thorさん、あっしまった!さん、コメントありがとうございます。

一般民さんの端的な問いかけに対し、Thorさんとあっしまった!さんから詳しい解説をいただきました。その上で誰もが「人件費で税収がほとんど吹っ飛んで無くなってしまう」状況は好ましいものではないと思い、住民の皆さん全体の所得が増えるような地域活性化を理想視しているはずです。現実は非常に厳しいのでしょうが、私自身は記事本文で書いたような問題意識を抱いています。

投稿: OTSU | 2009年6月20日 (土) 23時11分

普通に会社で考えると、税収とは利益です。人件費で利益がほとんど無くなってしまうような状態が続けば、先行投資(少子化対策など)もできず、会社であれば倒産は目に見えてますよ?GMがいい例です。

投稿: 一般民 | 2009年6月20日 (土) 23時37分

そもそも、国全体として、税収のほとんどが人件費に消えている訳ではないので、事実認識に誤りがあるのでは?

投稿: Thor | 2009年6月21日 (日) 00時07分

ざっとですが。公務員一人当たりの年間の人件費はおおよそ1000万かかります。(退職金や社会保障等含む)。国と地方合わせた、公務員の数は約400万人。単純計算で約40兆となります。外郭団体等に所属している、みなし公務員と言われる人たちが約400万人~600万人と言われていますから。単純計算すると、人件費総額は約80兆~100兆となります。かなり荒い計算ですが、日本全体の税収に近い金額が、公務員の人件費にかかっていると言えるのではないでしょうか?

投稿: 一般民 | 2009年6月21日 (日) 13時00分

公務員の人件費だけが問題だとは思いませんが、今の硬直した日本の状況を作り出している、大きな原因のひとつだと考えています。公務員の人件費の削減は、急務だと考えています。会社(国)の業績が悪い時は、無能な社員(公務員)のリストラや、ボーナスカット・給与カット。不採算事業からの撤退(外郭団体や公共事業の縮小・廃止)を行い、先行投資(少子化対策・新しい技術の振興等)に浮いたお金を投資する。このままでは、需要も無いのにでかい車を作り続け、車は売れず業績が悪いのに、先行投資・車の品質向上にお金を回さずに、高い給料を従業員に払い続けて破綻した、GMの二の舞です。

投稿: 一般民 | 2009年6月21日 (日) 16時00分

一応、先に掲げた統計上は、”みなし公務員”のみならず、”みなし公務員でない団体職員”も込みですが。
要するに、すべての特殊法人及び公益法人の職員数込みという事です。

みなし公務員だけで、400万人という事実が、果たして存在するのかどうか?
そもそも、世間において”みなし公務員”という立場の方が、どういう人たちなのか正確に理解されて、論じられてるのかしら?明らかに”みなし公務員”でない人を”みなし公務員”と誤認してる報道は結構多いけど。確かに政府からの補助金や公共事業費が直接・間接を問わず・如何に微量であっても収益の原資になっているという点で考えれば、この国の企業体従業者は殆ど全員”みなし公務員”だけどさ。

それと、経済規模が大きければ金額は大きく見えて当然だけれど、そうした経済規模や通貨価値を平準化するために、対GDP比を用いて見る限り、この国はさほど公務労働者が突出してないけどなぁ。むしろ、租税公課の負担割合の少なさが浮かび上がってくる訳で、公務労働者の人件費が問題なのでなくて、望むだけの政府機能を維持するだけの負担を有権者が渋ってるだけな気がするんですけどね。

投稿: あっしまった! | 2009年6月21日 (日) 18時06分

つまり税金が安いのが問題だと言いたいんですか?

投稿: 一般民 | 2009年6月21日 (日) 18時28分

有権者集団として、負担する租税公課以上の事を政府に求めている事が問題としてあって、そうした事実にふたをして公務労働者を叩いている限り、永遠に政府機能は向上しないという事に対する自覚のなさは問題視されて然ると思っていますよ。

今の状況で、公務労働者を減らすと、”小さすぎて今まで以上に機能不全な政府”が出来てしまいますし、公務員人件費を減らすと、極端な話公務労働者の人件費をゼロにしても、”それだけでは政府機能の向上を図るには到底足りない”ですし、提供されるサービスの質の向上には、”サービスを供給する人員規模の拡大は避けられない”ですから。

もちろん、とんでもない公務労働者の存在や国費や公費の無駄遣いが全くないとは思いませんし、そうした現実は改められて然るとは思いますけれど、統計に表れる現実を現実として直視しないと、的確な対策は論じられませんし採れないですから、有権者集団として不満がより多く募ることはあっても状況が改善することは無いですから。

投稿: あっしまった! | 2009年6月21日 (日) 19時24分

一般民さん、Thorさん、あっしまった!さん、コメントありがとうございます。

先ほど新規記事を投稿しました。この議論に対する直接的なレスとなっていないかも知れませんが、ぜひ、ご訪問ください。また、阿久根市に絡むコメントを今後投稿される際、差し支えなければ新規記事「阿久根市長の話 Part2」へお寄せいただければ幸です。

投稿: OTSU | 2009年6月21日 (日) 21時30分

例えばアメリカであれば、最新技術開発・軍事技術・軍に多額の税金を投入している。これらはもちろん公務員・公務員に順ずる訳でして、対して日本はアメリカと比べると、予算の比率で考えても最新技術開発・軍事技術開発・軍(自衛隊)に、人・金共にはるかに出していない。何を言いたいかと言うと、例えば諸外国の事務公務員の人件費・人数や、アメリカであれば、最新技術開発・軍事技術開発・軍隊に対する予算等を個別に日本と比較しないと、意味がないと思いますがいかがですか?わかりやすく言えば、現在はアメリカよりも小さな政府であるかもしれませんが、日本が通常の国家であれば重要な最新技術関係の予算・軍事関係の予算をアメリカの比率並みに引き上げれば、日本は巨大な政府になってしまうんじゃないですか?と言いたいわけです。これはおかしいですよね?比率を引き上げても小さな政府であれば、アメリカよりも人件費・人数共に少ないはずです。

投稿: | 2009年6月21日 (日) 21時30分

名前を入れ忘れました。すいません

投稿: 一般民 | 2009年6月21日 (日) 21時34分

え~、一般的に思われているほど、”現状のこの国の政府は大きくない”という話です。”自由主義の象徴、小さな政府の象徴”であるアメリカと比べても、この国の政府は現状ではなお小さいという話です。ちなみに、人件費も現状ではアメリカより少ないですよ、人数が少ないから当然ですけどね。

政府を大きくするような施策を採れば、政府の規模が大きくなるのは当たり前です。しかしそれは有権者集団として、政府を大きくするような施策を採ることを容認するという前提があります。

私が問題視しているのは、政府を大きくするような施策を排除し、むしろ政府を小さくする施策を支持する有権者が、政府に求めているのは”政府を大きくするような施策を採らなければ実現できない事柄である。”と言うことです。有権者集団全体の傾向として、”自分の支持する政党の施策方針が、自分にとってどのような事態を招来するか、本当に解ってるのかな?”とか、”自分の意思表示が意味することを解って、選挙してるのかな?”と思うくらいですので。

有権者集団の取り得る選択肢としては、望むだけの事を実現できる政府規模にふさわしい負担をする(負担増)か、現状の負担に等しい政府機能で我慢するか(政府機能を今より低下させる必要があります。)の選択の問題だと思います。ただ、少なくとも”行政サービスの低下は許さず拡充を求め、負担は増やさず減らす”という主張は、今の経済状況・人口構造を前提にすれば、公務労働者の待遇を下げても実現不可能だと見込んでおりますので。

投稿: あっしまった! | 2009年6月21日 (日) 21時53分

アメリカと全体の数字だけで比べる事は、あまり意味が無いと思いますよ。行政サービスの低下とは例えば何ですか?もうちょっと具体的に教えてください。もちろん公務員の人件費削減だけでは、様々な問題解決は不可能だと思います。低下するものもあると思いますが、削減した予算分を新たに配分する先は良くなると思います。不要な公務員(もちろん一律ではありません)の人件費の削減や外郭団体の廃止・無駄な公共事業の廃止を行い、浮いたお金を少子化対策・社会保障・新技術開発等に人材と資金を重点的に配分すれば、日本は良くなると思います。

投稿: 一般民 | 2009年6月21日 (日) 22時32分

えっと、アメリカと比較することを目的とするわけではないのですが、常識として考えられているほど”日本の政府は大きくなく、公務労働者数も多くはない”のが現実であるという事を示すために、”小さな政府”代表としてイメージされる事が多いであろうアメリカを引き合いに出しているだけの話です。分野ごとの比較であれば、公刊されている各種統計に頼るのが吉です。

まず、私が「政府機能」という言葉を使う意図としては、国政・地方政治を問わず”富の再分配を強行できる機能”を意図しています。
具体的には、医療・介護・保育・教育・福祉の分野における、公的支出の水準を念頭に置いています。

ところで公共事業ですが、私は”万人にとって無駄な公共事業”は案外少ないと考えています。
それと、現状の公共事業の規模ですが、対GDP比率で先進諸国と大差ない水準になっており、現状程度は維持されても良いだろうと思っています。

何故か?というと、経済対策や景気対策としては”無駄”でしかない公共事業も、「治安対策として有益」と考えているからです。日本人は勤労を貴ぶ国民性がありますから、雇用の安定が人心の安定に繋がる第一要因だろうと考えていて、雇用を整えることが治安維持の方策として最も有効だと考えるからです。
如何なる公共事業であっても、その工事に従事する人の雇用(所得と家族の生活の安定)の維持に資しているのは間違いなく、特に地方の郡部などでは”社会保障の一形態”として機能している側面があると考えています。これは、公共事業を削減して多くの失業者を生み出して失業給付を増やすよりも、公金を原資としてでも所得を発生させて消費を喚起したり、納税を促す方が全体にとって健全だと考えるからです。

しかしながら、現状の公共事業が”新規に造ること”に傾注し過ぎている事については、非常に批判的に見ています。
なぜなら、この国の、橋・トンネル・学校施設・上下水道の水道管などは、高度成長期に一斉に施設されていて、老朽化などがかなり進行しているのが実態です。橋の一部が壊れたり、トンネルの頭上からコンクリート片が落ちてきたり、水道管が老朽化で漏水が発生したり、大規模災害時の避難場所にも拘わらず校舎が傷んでいたり、そういう事案は枚挙に暇はありません。報道されてないだけで、ここ数年急増しています。何もしないで、今まで通り使えるという話では決してないのです。
ある種の推計では、こうした既存のインフラを補修し、或いは取り替え、現状通り機能させるために必要となる経費を賄うだけで、今の公共事業費の総額を超過するという結果がでている程です。正しく補修等を行うために、劣化の度合いを正しく調査する費用も要りますし。
従って、可及的速やかに”新設中心”から”維持管理中心”に方向性を転換させる必要はあると思いますし、当面優先順位の低い公共事業もあるのでしょうが、だからといって公共事業費の総額を削れる状況には無いだろうというのが、私の現状認識です。

それと現実問題として、公共事業を全廃してそのお金を社会保障分野に向けても、焼け石に水程度の話で、おそらく一般に漠然と考えられているほど、社会保障の水準は向上しないでしょう。その程度の金銭の追加投入では劇的に改善しないほどに、現状の社会保障分野は”おそろしく貧弱”です。現場の従事者の善意と情熱と(奴隷的献身と他国から表されるほどの)献身によって何とか機能しているように見えていましたが、それも多くの局面で限界が露呈しています。この分野でも日本は”アメリカ以上に小さい、小さすぎる政府”です。統計上は、去年くらいから、社会保障分野への政府の関与が比較的消極的・謙抑的であるアメリカより、更に脆弱になりましたから。

投稿: あっしまった! | 2009年6月22日 (月) 13時57分

そのデータの信頼性がどの程度なのかわかりませんが、正しいと仮定しても全体の数字を出して、日本の政府は他国に比べて小さいなど言うのは意味が無いですよ。前にも述べましたが、アメリカは軍事関連等に莫大な費用・人を投入してますよね?ここに勤める人は公務員な訳です。対して日本の軍事関連費用・人はアメリカに比べてまったく投入していない。国家予算の配分比率で考えても、まったく日本は投入していない。結果、全体の数字を見れば、日本よりアメリカの方が、公務員の数・人件費は増大する。これ当たり前ですよね?アメリカと日本では軍事関連費用・軍事関連の公務員の数に大きな差があるんですから。例えば非現実的ですが、アメリカの軍事予算規模等を日本並みに引き下げたとします。するとアメリカの公務員の数・人件費は減少して、アメリカの人口1000人辺りの公務員の数は、日本を大幅に下回るん可能性があるじゃないですか?以上の事から、全体の数字を比較して日本の政府が小さいと言うのは意味が無いと言っているんです。後、公共事業の無駄を省くだけでは、確かに焼け石に水ですよ。公務員(議員・みなし公務員含む)の人件費削減・外郭団体の縮小・廃止。少子化・社会保障を解決するには、トータルにやらないと無理だと思います。

投稿: 一般民 | 2009年6月22日 (月) 15時37分

それなら、文官だけで比較してみればよろしいのでは?根拠となる統計には武官を除いた数字もあるし。公刊されている各種統計資料をご自分でお確かめ下さい。私が示しても”資料の信用性を巡る問題”が生じると思いますので。
結論から申し上げれば、文官のみで比しても、日本の公務員数は全く突出しておらず、低い水準ですよ。

それと、私が”大きい”・”小さい”を論じるのは、人員数・人件費の問題でなく、社会保障の規模の問題ですので、ご諒解下さい。人員数や人件費については、”一般常識とは逆に、他国と大差ないか寧ろ低位である”のに、社会保障の水準がこうまで低いのは何故か?というのが私の主題ですから。で、人員数や人件費にふれるのは、前提条件として”この国の政府は十分に小さい”という事をお話しする際に参考として引用するだけで、そのこと自体を本題にするつもりはないのです。
ちなみに、皆保険体制をとっている日本の公的医療支出の対GDP比の額と、国民の4分の1しか公的医療保険制度の対象とならないアメリカの公的医療支出の対GDP比の額。この二つのどちらが少額か?と言えば、日本の方です。同国と比して少子化&高齢化が進展しているこの国で、この状況は、”日本の政府機能(再分配機能)が小さすぎる”のであると私は読み取ってます。

投稿: あっしまった! | 2009年6月22日 (月) 16時40分

諸外国と比較した綿密な公務員の人数・一人あたりの人件費の詳細は、当方調べないとわかりませんが、低い水準だと言い切れる根拠を教えていただけますか?当方はこの件についてはもう少し調べてから発言します。あなたは増税・現体制維持論者のようですが、それで喜ぶのは一部の既得権益者だけではないですか?

投稿: | 2009年6月22日 (月) 20時20分

今の財政規模の中の遣り繰りでは、社会保障の抱える種々の問題の抜本的解決は不可能であって、税制規模の拡大は必要不可欠(再分配の原資の拡大は不可欠)というのは私の主張ですが、”既得権益護持”は本意ではないですねぇ。

まぁ、私の主張していることは、体制維持と解釈されるに相応しいという自覚はありますけど、体制維持とは少し違うと思いますね。財政規模の拡充は必然だけれど、使途について現状で許されるとは思ってませんから。”増税の前にする事がある”と言い続けて、20年。この間租税公課の負担率は先進国中低位に入り、所得の累進課税はアメリカ以下の状況であって、状況の悪化はどれほど進んだことか。

私は、複眼的にみて(複数の論点から検討して)、論理積をとれるようなムダの排除を行う努力はエンドレス継続が必要で、集めた金銭の使い方も考えていく必要はあると思います。けれど、再分配の原資の規模の拡大は、外需(国外的要因)に極度に振り回されないような、しっかりとした内需による持続可能な経済運営のためには、絶対不可欠という立場です。

えっと、資料に関して、OECDの統計やレポート類(日本での翻訳に疑義が生じるなら、英文による原典)とか、経済財政諮問会議資料とか、公務員白書とか、公益法人白書とか、その他白書類とか、統計情報とか、調べる方策はいくらでも。あと、国会として人事院に国際比較による調査を依頼したら、思惑と逆の結果になって抹殺された幻の報告書とかでも。閲覧者各位が信頼性に納得のいく資料に基づいてご確認頂ければと思います。私がお勧めしても我田引水に過ぎると思うので。

投稿: あっしまった! | 2009年6月22日 (月) 21時45分

国政では自民党一党独裁の期間が長く続き、それに伴う既得権益者たちとの馴れ合いによって、自民党は少子高齢化等の国の存亡に関わる大きな問題に対して、一般国民にとってまったく役に立たない・誤魔化しの政策しかできない政党になってしまったと思っています。私は地方から日本が変わる予感を感じています。例えば阿久根・名古屋・大阪等です。国民の意識は、行政改革を望んでいて、その気持ちは日増しに強くなり、地方の首長選挙に影響を与えてきています。この現象は全国に波及していくと私は信じています。増税で喜ぶのは現体制維持を望む者、つまり現体制で税金の再配分の恩恵を多く受けている、公務員等の既得権益者だけです。既得権益者を護持しての増税は、多くの一般国民は絶対に許さないでしょう。

投稿: 一般民 | 2009年6月23日 (火) 18時41分

まぁ、思想の自由はすべからく保障されているので、何を思おうと問題はないのですが、自らの投票行動の結果、必然的に生じる事態については、自身の責任として受け止めましょうね、お互いに。

個人的に、今必要なのは、restruct であって、destruct では無いと思うんですけどね。

投稿: あっしまった! | 2009年6月23日 (火) 21時41分

昔は、公務員は「公僕」だといわれたなつかしい時代がありましたね。

いっそ公務員に争議権を付与して、管理者(選挙民も含めて)に罷免権をあたえたらどうでしょうか?
世間の常識(給料)の分からない職員に一般市民の公僕といえる資格なあるのでしょうか?

今日もTV番組を見ていて血圧が上がりました。それにしても議会は何をしているんでしょうね?
半端でない議員報酬を懐に入れて・・・・

投稿: | 2009年12月 7日 (月) 09時53分

2009年12月7日(月)09時53分にコメントくださった方、ありがとうございます。

申し訳ありませんが、どなたに対しての憤りか充分理解できません。また、次回コメントいただける場合は、ぜひ、名前欄だけはHNで結構ですのでご記入くださるようお願いします。

投稿: OTSU | 2009年12月 7日 (月) 22時45分

お前ばかか

投稿: | 2010年3月11日 (木) 18時43分

2010年3月11日(木)18時43分にコメントくださった方、おはようございます。

申し訳ありませんが、誰が「ばか」なのでしょうか。この直前のコメントで私が「どなたに対しての憤りか充分理解できません」という言葉への「ばか」であるようでしら、ぜひ、解説ください。また、次回コメントいただける場合は、ぜひ、名前欄だけはHNで結構ですのでご記入くださるようお願いします。


投稿: OTSU | 2010年3月12日 (金) 06時54分

私は阿久根市長を支持します。
張り紙を剥がした45歳の元係長のボケを非難します。
この反日クソ野郎の名前を教えて下さい。

投稿: 555555 | 2010年3月30日 (火) 19時32分

555555さん、訪問ありがとうございます。

最近の竹原市長の行動も承知した上で支持されているものと思いますが、できれば参考までにその理由をお聞かせいただければ助かります。合わせて、なぜ、張り紙をはがした係長が「反日クソ野郎」となるのかも教えていただければ幸いです。

投稿: OTSU | 2010年3月30日 (火) 22時27分

はじめまして。私のT氏への感想ですが

・今はやりの「徳」がない劇場型政治

良いものを本当はお持ちなんですよ。鹿児島の偉人の勉強でも
されて、もっと大きな人となり、そんなに強くもないものの小さなことに腹をたてたりしないで、もっと大きな巨悪にいどみ
歴史に名を残されたら良いのではないのですかね。
その根性はなかなかすばらしいんじゃないですか。
「徳」でだれからも好かれる政治家になられたほうが、みんな
幸せに近づけるんじゃないですかね。みんなのため処罰を基準より強く受けられ、見せしめにされた係長の正義感は今時の組合員にはめずらしく気骨のあることでした。

投稿: | 2010年4月14日 (水) 00時02分

2010年4月14日(水)00時02分に投稿された方、はじめまして。コメントありがとうございます。

本当にご指摘のとおりだと思います。ちなみに先日開かれた市民懇談会の様子がインターネットから動画で見ることができました。竹原市長の話しぶりは、きわめて「普通」という印象を受けました。ただ文章にすると疑問符が付く問題発言となり、常識では考えられない言動の数々を繰り広げているギャップを感じたところでした。

なお、次回コメントをいただける場合は、ぜひ、名前欄だけはHNで結構ですのでご記入くださるようお願いします。

投稿: OTSU | 2010年4月14日 (水) 07時08分

はじめまして、今朝、南日本新聞を読んでいたら、このような記事がございました。
 
専決処分による固定資産税率下げは財源不足につながると強調。学校の耐震工事や道路改修などに充てる起債(借金)が制限されるとして、市民生活への影響を懸念した。
 
とありますが、これは市役所所員の給料を削減したら、市民生活には影響出ないと思います。
市民生活に影響云々言うぐらい、市民のことを思っている公務員の皆様、是非とも給料と賞与の50%を還元して下さいな。

投稿: 阿久根太郎 | 2010年6月27日 (日) 01時08分

阿久根太郎さん、はじめまして。コメントありがとうございました。

この記事以外にも阿久根市のことを綴っていますが、給料等を削減する場合、最低限労使交渉での合意が必要であるという当たり前な主張を続けています。さらに専決の濫用をはじめ、竹原市長の乱暴な手法が受け入れられる素地のある現状にも憂慮しています。なお、阿久根市に関する新規記事を今日中に投稿しますので、またご訪問いただければ幸いです。

投稿: OTSU | 2010年6月27日 (日) 08時47分

地方・国を合わせて1000兆円を超えている借入金
返すには出費を減らし収入を増やすしかありません。
単純なことです。
この間も人事院にいい加減に覚悟を決めろとメールしました。

世界に貸している金を引き上げ 他国の国債を売却 持っている財産という財産を売却?? 日本の立場を考えたら実際問題はできません。
どうあがいてもこの借金を消すには具体策をとるしかありません。

まず公務員その他それに順ずる外郭団体とやらの皆さんの賞与 退職金補填 恩給補填 福利厚生は全部カット

公共工事は補修のみ

教育機関は補助金なし全て独立採算・・・いっぱいつぶれるでしょう 学校で飯を食っている人には通常社会では勤まらない人が沢山います。 一掃!!
どう見ても大卒としての総合力の要求を満たすレベルの人は全体の5パーセント程度 企業が学歴にこだわらなかったら人材には影響はないでしょう。

少しでもいらないと判断できる外郭関連団体は廃止!!または独立採算!!

今の自治制度を根本から作り直す。
国があって県があって市があってそれぞれに経費がかかり無駄!!
例えば議会 道路 水道 役所 ごみ 警察等等2重3重に経費がかかり愚の骨頂
地方に自治権とお金をとよく言っているがあれはおかしい
今の地方役場は国の出先機関で範囲を決めず
やれることをやれる人が行えば効率はずっと良くなる
勿論仕事は多岐に渡り忙しくなり それぞれの能力を問われるが
尊敬される仕事になる。

例えば印鑑証明住民票戸籍云々 全部電子化すれば届ける先は一つ自宅ないしは指定先で簡単に手続きできる。
冷静に考えればほとんど省略できる。

郵便事業は株が高いうちに民間に売却 すぐに事業を自由化し競争の波にさらしなるに任せる。

優遇税制を全部廃止
企業の税率を下げるなら問題ないでしょう・・・違いますか??

年金を清算廃止
年齢性別差別を 採用労働から強い罰則を持って強制的に禁止
客観的な観点で能力に合わせて賃金が取得できるシステムにし
死ぬまではいつくばっても働く社会構造に切り替え
いつでも必要に応じて一定の社会保障が受けられるようにする。

社会全般が「あなたは何ができますか?」の競争社会が基本だから
そこから吸い上げた金で 介護だ福祉だというのはおかしい
一切廃止し自己責任とする。

健康保険は国民健康保険に一本化する。
そうすれば今の役所システムは不要 収入から税金の形で取れとりそこないもないし企業負担もなくなる。
老人どうのこうのというのは廃止 18歳までは成長過程なので一割負担とし その他は年間10万円までは保険なしで自己負担 それ以上を現在のシステムで保障する。

医療業界の考え方を強制的に変える。
今の医療はその痛み症状などに対応するだけで なぜその病気になるのか怪我をしやすいのかを追及指導しない
病気を見てその人の健康を指導する医療へ切り替える。
(手前味噌だが 事実私は精神病者と難病者を復活させた)
このままでは膨大に医療費が膨らんで 破綻は目前!!

建設業界にコストダウンのコンペを提案し工夫改善をさせる。
他業種に比べのんべんだらりとやっている業界を刺激する。
相も変わらずコンクリートコールタール鉄木アルミニウム等スクラップアンドビルドの考えを覆す。

酸素を消費しないエネルギーを競争させ創設する。
このまま行くと二酸化炭素どころか酸素が足りなくなる。
生み出す植物が減り使用が急激に増えているのだから 至極当然
自然エネルギーは当然 水と金属で電気を日常的にえる方法もできているので 既得権を持つ電力ガスなどは無視して突き進む!!

等等書くのが大変なのでこの辺でやめますが エネルギーや建設コストダウンは世界中にインフラが売れ かなりの収入になります。

リサイクルごみ処理なんてのは完全なものができれば 長期の宇宙旅行も可能になるので 未来を考えるとわくわくします。

ほとんどの国の社会システムが成り立たず 赤字や社会不安にあえいでいます。
そんなものを参考にしないで 能力最高の日本は独自に進めば世界がついてきます。

勇気を出して頑張ろう!!

投稿: 松尾不精 | 2010年8月16日 (月) 12時49分

松尾不精さん、はじめまして。コメントありがとうございました。

ちょうど先週の記事が「国債問題に対する私見」でした。その他、最近の記事を通して国の借金の問題に関して取り上げていました。ぜひ、お時間があれば合わせてご覧いただければ幸いです。

投稿: OTSU | 2010年8月16日 (月) 21時21分

この記事だけでなく、阿久根市長関係の動画やブログを読ませていただいた感想。民主主義という幻想に追われ、それに当てはまらないものは独裁と言う枠ではめてしまう事に危機感を感じます。自治労と言う民意ではない特定の方の保護集団は民主的とは思えません。市議と言う利害関係をもった特定の人の集団も民主的とは思えません。必ず何かを守ろうと言う動きをする方々によって作られる集団や組織が民主的だと言うのでしょうか。職員給与にしても民間の市場原理の外で守られているもので、公務員にボーナスと言うのは理解できません。例えばボーナス、これは民間の企業では、業績の向上によって目標以上に達した成果に支払われる対価です。公務員に支払われるものについては当てはまらないと常々思っています。守られ。国に保障されている身分の公務員は、余程の事がない限り一定の身分なり給与は職を失うまで保障されています。だからこそ民間と違ってボーナスは不要、そして給与も低い…で良いじゃないですか…と言うのが民意です。民意は今まで中々政治には届かないもので、この竹原独裁の中にこそ民意があると私は思えてなりません。市議のパート化、こんなものみんなそう思っています。議員は自己保身の塊であって民意を背負っているとは到底思えません。企業の利権、団体の利害、組合の利害等、大方がそういった利を背負ってバッジをつけているのではないでしょうか? 選挙という形だけの民意で選出されたからと言ってこれを民主主義というのはおかしいと思えます。民主主義の反対言葉が独裁であって、これが民意を反映していないと言って批判するのはちょっと違うなと思えてなりません。これは県外の人間の戯言としてお聞きください。

いまの政治を見ていると、民主主義から到底かけ離れた自己保身や利害という権利を振りかざしている人の集まりの代表者が市政や県政、国政の運営に関与しているとしか思えないのです…というこれも民意です。

投稿: | 2010年8月26日 (木) 10時03分

2010年8月26日(木)10時03分に投稿された方、コメントありがとうございました。

竹原市長が二度、市長選を制したという事実は阿久根市民の民意であることは間違いありません。しかし、だからと言って法律などを自分勝手に捻じ曲げて良い訳がありません。その点が最大の問題であり、数多くのブログ記事を通して訴えてきた内容です。

なお、意見交換をスムースに行なうためにも、名前欄だけは記入されるようお願いします。特にコメント数が多い記事の場合、そのコメントの箇所に飛ぶことができず、スクロールに時間がかかってしまいますので、ぜひ、次回以降の書き込みがある際はご協力ください。

投稿: OTSU | 2010年8月26日 (木) 21時30分

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