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2009年5月10日 (日)

もう少し平和の話

前回の記事「憲法記念日に思うこと 2009」に対し、常連の皆さんを中心に多くのコメントを寄せていただきました。それぞれ安全保障面での具体論に大きな違いがある中での意見交換となっていますが、たいへん貴重な議論だったものと受けとめています。異なる考え方の論争相手に対しても、敬意を払った会話に努めていただいていることが落ち着いた雰囲気の場になっているようです。

このようなテーマの議論になると真っ向から持論のぶつかり合いとなって、ギスギスしたブログのコメント欄を見かけることもあります。その意味で、前回記事のような議論の場が維持できていることを管理人として本当に有難く思っています。自分自身も含め、これまで正しいと信じてきた考え方が簡単に変わるものではありません。それでも幅広い情報や意見に接する機会がない限り、仮に誤った考え方だった場合でも改めることができないままとなります。

この「公務員のためいき」を通して主張する内容が多くの人たちに共感を得られた時、ブログを続けていて良かったと思う場面です。しかしながら不特定多数の人たちに発信しているブログですので、反論を受ける方が多いことも確かでした。それはそれで多様な意見に触れることよって、自分自身の考えが本当に正しかったのかどうか省みる機会となっています。そのため、幅広い視点や立場から数多くコメントをいただけることが、最もブログを続けていて良かったと思える場面だと言えます。

さて、記事タイトルの付け方に悩む時も少なくありませんが、最近、よく使っている「もう少し〇〇の話」を今回も採用させていただきました。前回の記事本文にも書き、コメント欄での意見交換を通しても改めて感じ取ったことですが、平和を望む気持ちは皆同じだという点です。もともと護憲派がハト派の平和主義者、第9条改憲派がタカ派で好戦論者という短絡的な評価は簡単に下せなくなっています。その上で、北朝鮮や中国に対する脅威へのとらえ方の温度差が大きく、防衛のあり方などの各論が争点となりがちでした。

コメント欄にも書きましたが、安全保障面での強化や外交交渉で優位に立つため、武力の増強路線を選択した場合、核武装の話に行き着くのだろうと危惧しています。しかし、そのような考え方は、核不拡散のNPT体制やオバマ米大統領のプラハでの「核廃絶」への決意など、国際社会の流れに逆行するものであることを押さえなければなりません。つまり国際社会から浮いてしまうリスクを抱えながら防衛力強化、挙句の果てに核武装論まで飛び出てくる動きに強い違和感を覚えています。

一方で、国際社会の秩序を保つために設けられている国連に関し、様々な矛盾や役割の限界があることも理解しています。それでも国際社会の中で無茶な暴走を許さない程度の抑止効果は一定発揮しているものと見ています。さらに主要国の脱退もなく、60年以上続いていることも存在価値がゼロではない証であり、二つの世界大戦の反省の上に立って創設した国連への根強い期待の表れではないでしょうか。

また、近隣の国が日本を本格的に攻め込む事態はあり得ないものと見ていますが、このような認識は「お花畑」だと揶揄されがちです。窮鼠猫をかむような暴発の可能性まで全否定できませんが、現在の国際情勢を見定めるならば日本にミサイルを打ち込んで利する国はないものと思っています。ただ忘れてはならない点として、北朝鮮による拉致の問題です。家族の皆さんらにとっては、力付くでも奪還して欲しい気持ちであるはずです。以前、「拉致問題を考える」という記事を投稿しましたが、拉致被害者全員の救出を心から願っています。

残念ながらその実現に向けた手法のあり方も含め、非常に難しい問題となったままです。その中で最近、家族会の事務局長を務めていた蓮池透さんは「圧力一辺倒ではなく、政府間の対話によって解決の糸口を探ることが必要だ」と主張されているようです。当初強硬派だった蓮池さんは一部で「裏切り者」と非難されているそうですが、「右も左も垣根を越えて、被害者のために連帯し合えるような運動」を強く望むようになっていました。よくおじゃましているブログ「お玉おばさんでもわかる 政治のお話」の記事「拉致 左右の垣根を越えた戦いへ 蓮池透」でも取り上げられていましたので、リンク先をご参照ください。

今後も当然、国家という枠組みがなくなることはなく、国際社会は国益や主権という考え方が基本となって関係作られていくものと思います。それでも前回記事の最後に記したような地球規模の難局に立ち向かうためには、これまで以上に国境を越えて協力し合っていくことが必要とされていくのではないでしょうか。そして、現在の国際社会が「荒地」だったとしても、「お花畑」にしていこうというポジティブな発想も絶対大事なことだと考えています。

最後に、とらえ方が年月の経過とともに変わった事例の一つとして、4年前には「後藤田元副総理との偶然」という記事を書いたことがありました。中曽根内閣の官房長官を務めていた頃は、元警察庁長官だった後藤田元副総理をタカ派の旗頭だと思っていました。それが今では、安全保障面の見方など非常に共感する点が多い政治家だったと認識するようになっています。お亡くなりになる2か月前、2005年7月13日の朝日新聞に掲載された後藤田元副総理のインタビュー記事の一部を紹介し、「もう少し平和の話」の結びとさせていただきます。

外交とは、日本の中長期の国の姿を描きながら、言葉は悪いが、計算のうえにも計算し、戦略的な判断をすべきものだ。一番避けなければならないのは、その都度の、行き当たりばったりの外交だ。最近の日本外交を見ていて、戦略性が欠けていると思う。ひらたく言えば、寄らば大樹、アメリカのそばにいれば安全だということだろう。日米安保、アメリカ一辺倒の外交だ。これは確かに、現時点における外交の基本としてやむを得ない選択かもしれない。

だが、同時に、外交を計算のうえにも計算するというときには、地政学も大事な要素になる。地政学の面から見て、いったい今の近隣国外交というものでいいのかどうか。大事な地政学的な配慮を忘れて、近隣国外交に強硬策で対するばかりで、それで日本の外交は間違いがないのか。いま国民全体が保守化しつつあるが、それを背景に政治家がナショナリズムをあおり、強硬な態度をとれば間違いない、という空気がある。大変な間違いを犯している気がしてならない。

地政学的に考えた場合、一番大事なのは中国、そして韓国、朝鮮半島との関係だ。アメリカ一辺倒も結構だけれど、近くを忘れてしまって、敵にまわして本当にいいのだろうか。少し配慮が足りないのではないか。アジア近隣各国との友好こそが大事なことだ。

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コメント

後藤田って、懐かしいやんか。
「地政学も大事な要素になる」というのは、間違いではないやろな。ただしな、地政学”も”大事な要素になる、の「も」が重要や。

だいたいやね
モロ共産主義で覇権主義でチベットではあの有様でどう考えても同盟関係になれなさそうな中国と
根強い反日感情があり日本に対する誤解や偏見がネットでしばしば見受けられる心からはお友達になれなさそうな韓国と
金正日将軍様が君臨する今更何の説明も要らない問題国家北朝鮮に対して、

「敵にまわして本当にいいのだろうか。少し配慮が足りないのではないか。」って、そらアンタ、冥土で仲良うやってくれや、後藤田はん。

もちろん、表面上は中国、韓国ともに良好な関係を続けて行くことが重要やけどな。100年、200年先はおいといて、当面アメリカより特定アジアを重視せよなんて、無茶な話や。

それから、巷で言われる「お花畑」は、「話し合いですべての国際紛争は解決できるはずだから、武力は不要である。だから日本も武力は持つべきでない。」ちゅう考え方やろ。「近隣の国が日本を本格的に攻め込む事態はあり得ない」のは、確かにオレもそう思てるけど、それは日本が自衛隊を持ってるからで(他にも理由はあることは承知してる)、こういう認識を「お花畑」と言うてるんちゃうと思うで。

投稿: K | 2009年5月10日 (日) 23時13分

Kさん、さっそくコメントありがとうございます。

とりあえず北朝鮮は横に置いた上で、中国と韓国とは正式な外交ルートの絆を深めるべきものと思っています。後藤田元副首相のインタビューは、小泉元首相の姿勢に警鐘を鳴らした「遺言」だったようです。

同時に国民レベルの関係では、お互いの長所と短所を認め合いながら偏見や誤解は解いていくことが重要だろうと考えています。いつも公務員の問題に対しては、偏らない視点で意見を述べられるKさんがそこまで決め付けるのは少し意外な気もしています。

投稿: OTSU | 2009年5月10日 (日) 23時56分

そんなに偏ってるやろか? 後藤田はんの遺言はやっぱりちょっと無理があるで。
現在、日本は、中国、韓国、アメリカ、その他多くの国々と外交上の絆を深めてる、そう考えておおむね間違いではないやろ。まず、ここが前提や。
その上で、一時期の首相が米大統領と仲がよかったくらいで、「アメリカ一辺倒の外交だ」と決めつけてる。それで、「少し配慮が足りないのではないか」はないと思うで。配慮って、それはどんな配慮なんやろか。日米安保を破棄し、中国、韓国、北朝鮮と軍事同盟を結ぶべき、とでも言いたかったんやろか。それに、地政学的って、要は近いから大事にしよう、というのも、世界平和の観点では受け入れがたいやろ。戦略というからには、そういう話ではないはずや。それならばいったいどんな戦略を描いてたんか、知りたいもんや。
とりあえず、もう少し考えがまとまってから、続きを書く事にするわ。

投稿: K | 2009年5月11日 (月) 18時04分

疑問は続く・・・
もうすこしスケールを小さくしてみると色々浮かんでくるんやけど。
つまり、当時の小泉はアメリカ一辺倒だから、そこを改め、東アジア3国にもっと配慮せよ、という旨やったんやろか?
近隣国に強攻策・・・、これは北朝鮮以外にないやろ。しかし他にどうして欲しかったんやろか?拉致問題は諦める、とか?
それから「配慮」、これで思い当たるんは、北朝鮮を除けば今の所靖国参拝くらいしか思い当たらんのやけど。ここは賛否両論か。
もしそうなら、それらは地政学的戦略から、これらの国からの圧力を受け入れて、拉致問題や靖国参拝など、特定の国を刺激する様なことはするなと、そういう事なんやろか。そらまた思い切った考えやな。これは自民はおろか、民主でも受け入れられんやろ。
もしそういうことなら、地政学云々はおいといて、外交の戦略性が全く感じられへんのやけど・・・。オレの読み方がずれてんのか?
もしや大東亜共栄圏復活への布石? まっさかな〜。ただこれが一番腑に落ちるんが妙なところや。いやいや冗談やで。

投稿: K | 2009年5月11日 (月) 20時53分

Kさん、コメントありがとうございます。

少し誤解を与えてしまったようで申し訳ありません。今回のKさんのご意見が偏っていると述べた訳ではなく、よく接する多くの人たちが抱いている感情だと思っています。その上で、自分自身の感想を付け加えてしまい、余計な一言でした。たいへん失礼致しました。

後藤田元副首相のインタビュー記事も前段に様々なやり取りがあり、その結びの言葉が今回の記事本文で紹介したものとなっています。主に東京裁判や靖国神社の問題が取り上げられていました。「配慮」については、ご指摘のとおり小泉元首相の靖国参拝問題を指しています。

中途半端な紹介は言葉足らずとなる心配もありますが、後藤田元副首相は「中国や韓国に言われて決める問題ではない。条約を順守するか、しないのか、という問題だ。条約をきちんと守って国際社会から信頼を得られる国家として生きていくのかどうかということでしょう」と語っています。

条約とはサンフランシスコ講和条約のことですが、小泉元首相は国会答弁で「A級戦犯を戦争犯罪人と認識している」と述べながら参拝することに対し、東京裁判を受け入れた立場と矛盾すると後藤田元副首相は指摘していました。

中曽根元首相の靖国神社への公式参拝が中国から強い批判を受けた時、官房長官だった後藤田元副首相は次のような言葉を聞いていたようです。「一国の総理大臣の言動が深刻な外交問題を引き起こすということになると、総理としてはそれを避けなければならない」という中曽根元首相の言葉でした。その判断と小泉元首相の言動を対比し、ご紹介した記事のような内容で結んだものと理解しています。

地政学の話ですが、住んでいる家の隣人との付き合いがこじれた場合、いざとなったら引っ越すことができます。しかし、国と国との近隣の付き合いの場合、嫌だからと言って引っ越すことはできません。それならば仲が良いのが何よりなことです。

近所付き合いに限らず、自己主張ばかりしていたらケンカの原因を作りがちです。多少我慢しなければならない場面も必要とされていきます。さらに相手のことを毛嫌いしていれば、以心伝心、相手から好感を持たれにくくなることも必然です。

誤解がないように申し添えますが、相手の理不尽な言い分をすべて我慢しましょう、とまで言い切るものではありません。ただその手法として、ナイフをちらつかせながらの交渉は一触即発の事態を招きかねませんので、とにかく外交交渉しかありません。「お花畑」と言われそうですが、ここで「憲法記念日に思うこと 2009」の記事内容に戻ります。今の国際社会の中で、戦争は原則禁止であるという箇所につながっていく訳です。

長々と書いてきましたが、Kさんの疑問に充分答え切れていないかも知れません。これからもコメント欄、場合によっては次回以降の記事「もっと平和の話」(?)で自分自身の思いを綴らせていただきます。ぜひ、長い目で見て、ご理解ご容赦ください。

投稿: OTSU | 2009年5月11日 (月) 22時16分

サンフランシスコ講和条約の内容も問題が沢山ありました。戦犯釈放(B・C戦犯を含む)もかなりの努力を要しました。(「私は貝になりたい」の原作者加藤哲太郎氏の著作に詳しく書かれています。報復的なものも多く「勝者の裁き」でもありました。)
小泉元首相は国会答弁で「A級戦犯を戦争犯罪人と認識している」ととんちんかんな発言をされていましたが、ハーグ条約や国際連合憲章まで、いずれも個人を罰する規定がないことは実証されていました。
東京裁判でただ一人、連合国の「原子爆弾使用の決定」を「ナチス指導者たちの指令に近似した唯一のもの」と反対意見書で批判したパール判事は独立を回復した後も拘禁が続いていたB・C級戦犯に対する講演のなかで次のように発言しています。
「彼ら(連合国)はみなさんを拘禁し続けている。これはたんに彼らの憎しみを満足するためでしかない。これは法ではなく力の行為である。連合国はいまもなお、その暴力の快感に酔っている。しかし、いずれは人類の良識がこれに打ち勝って、みなさんは自由の身になるであろう。」また、日本人の多くがこの問題に向き合わなかったことや無関心であったことにもパール判事は触れています。いずれにせよ日本は忠実に講和条約を履行したのです。日本は責任を果たしたといっても過言ではないでしょう。  靖国問題の発端は中曽根元首相や後藤田元官房長官の発言が原因で今日まで「外交カード」として利用されているのです。

投稿: ためいきばかり | 2009年5月12日 (火) 00時07分

サンフランシスコ講和条約を受け入れた=東京裁判を受け入れた、という訳なので、靖国参拝はけしからんと。
外交問題を引き起こしていると。なるほど、これはまあよう聞く話や。けど条約ってそこまでの拘束力があるもんなんか?

それから、中曽根首相は外交問題を引き起こすんなら避けようって言うてて、それを聞いてた後藤田はんが後に中国や韓国に言われて決めるもんやないて言うんも、なんかヘンな感じがするな。

死刑囚の墓を参ることは、死後何年経とうがまかりならんという言われ方は、日本人の(オレの)感覚からは受け入れがたい。
個人的な問題で死者を憎む事があっても、墓参りすんなと、子孫に言えるかっちゅうたら、そら別の話やわ。
じゃあA級だけよそに移そうという意見もあるけど、A級の墓は結局、参る事まかりならんのでは、一緒のこっちゃ。
他に神社から無宗教の墓地に引っ越そうなんて話もある。けど神社でなくなったら、「外交カード」でなくなんのか。
きっとその墓地に参る映像がテレビで流され、各国(3カ国やけど)の報道官なり、威勢のええアナウンサーに非難されるんやろ。

隣国と仲が良いのは何よりや。ただお隣さんはただの住人やけど、隣国は利害関係の絡む取引先でもあるんやから、マナーは心得て欲しいもんや。
汝隣人を愛せよ、を実践して、そのまんま十字架にかけられたんでは困るがな。「良好な外交関係」と「親友」は、似て非なるものと考える。
それこそまさに、計算し尽くした「戦略」が必要なんやて。

まあ、マナーの悪い大阪(これホンマやで)からそんな意見言うても、説得力あらへんか。

投稿: K | 2009年5月12日 (火) 04時53分

ところどころ、「頭痛が痛い」的間違いがあって読みにくいけど、訂正ができんみたいやから、堪忍やで。

投稿: K | 2009年5月12日 (火) 05時04分

新しい芸風を披露しとるKはんに茶々入れるのも不粋やけど、靖国神社の由来等も考えた方がええで。靖国神社は普通の神社とちゃうで。

投稿: Thor | 2009年5月12日 (火) 05時24分

ちと省略しすぎやったな。現実には、戦没者合同慰霊祭等は何の非難もされとらんで。現実を見ない感情的意見は「御花畑」やで。

投稿: Thor | 2009年5月12日 (火) 05時47分

ためいきばかりさん、Kさん、Thorさん、おはようございます。コメントありがとうございました。

それぞれの価値観などの違いがあることを当然視していますので、今回の記事本文の冒頭で書いたとおりの点を改めて認識しています。その上で、このような議論を交わす際、一つ一つの事象に対する評価の前提の違いによって、平行線をたどりがちな恐れもあります。

今回の論点について時間がある時、改めて書き足したいと思っていますが、取り急ぎ以前の記事を紹介し、私なりの前提となっている見方を示させていただきます。

2006年8月19日(土)「ブログ開設から一年、されど靖国神社」
http://otsu.cocolog-nifty.com/tameiki/2006/08/post_5bf7.html

2008年8月10日(日)「チベット問題とオリンピック」
http://otsu.cocolog-nifty.com/tameiki/2008/08/post_eb31.html

投稿: OTSU | 2009年5月12日 (火) 07時21分

実際PCに関西弁入力すんのめんどいやろ。
オレの場合、標準語で書いてる途中で関西弁が混じったら読みにくいか思て、関西弁で統一するようにしてんねん。実際混じるんやけどな。
平和論争でブログ主はんと意見が異なんのは、前々からや。したがって特に姿勢をかえた訳やない。首尾一貫、タカ派のオヤジや。
ブログ主はんをこてんぱんに論破するためやのうて、そこから出る意見から、また色々と学べる所がある思て、凝りもせんと書いてる訳や。
靖国神社か。その由来は認識してる。
また靖国をどうこうしても、形を変えた外交カードが作られる。そう考えるんは、別にお花畑やないと思てるで。

投稿: K | 2009年5月12日 (火) 07時44分

どういう意図で書かれているのかはわかりませんが、相手を無用に揶揄するかのようにみえるレスはあまり感心しませんね。> Thorさん

ところで、A級戦犯を靖国から他所に移す、というのは、実効性があるんですかね。そもそもA級戦犯とB、C級戦犯との違いをどのように中国が認識しているのか、よくわからないですし。
A~C級戦犯は、いずれも平和に対する罪という名目の事後法で裁かれた人々であり、A級とその他を区別する意味はあまりないと思っています。

個人的には、中国が外交カードとして靖国問題を持ち出してくるのであれば、日本側も、「中国側の感情を配慮して靖国神社参拝を止める。その変わり、中国も日本側の感情を配慮して欲しい。手始めに日本人の感情を刺激しているガス田開発を止めて欲しい」といったように、外交カードとして活用すれば良いのに、と考えています。

投稿: ken3141 | 2009年5月12日 (火) 09時30分

Kさん、ken3141さん、コメントありがとうございます。

外交交渉でも、このようなブログのコメント欄でも、自分の言葉を相手がどのように受け取るのか慮りながら発することが大事だと思っています。特に考え方などが相反する人たちに対しては、よりいっそう慎重になる必要があります。

とりわけ自分の主張を相手にも理解して欲しいと考えた時、そのような心遣いが求められていきます。そのような気が毛頭なく、初めからケンカを売りたい場合は配慮など一切不要となりますが…。外交交渉であれば、即決裂、決して好ましいことではありません。

前々回記事の冒頭、「考え方の異なる論争相手に対し、まずは聞く耳を持たせられる言葉遣いや表現の仕方に努力いただければと考えています」とお願いしました。Kさんの関西弁の書き方が、聞く人によってはぞんざいな印象を与えてしまうのかも知れませんが、初めて投稿いただいた時から私自身はそのように感じたことは一度もありませんでした。

相手を傷つけるような言い回しがないことと合わせ、逆に温かみが感じられる味のあるコメントだと思っています。私ども役所の職員の皆さんからは直接会った時、よく感想などをお寄せいただいています。その際、関西弁のKさんのコメントは好感度高く、人気がありました。

議論の流れから少し(大きく?)横道にそれたコメントとなってしまいましたが、これからも幅広い視点や立場の皆さんからの多様なご意見を楽しみにしています。改めてどうぞよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2009年5月12日 (火) 23時08分

褒められたら、照れるやんか。
しばらく忙しいさかい、このテーマは書かれへんと思う。次のテーマを楽しみにしてるで。
(次はやっぱり、民主党のことか?)

投稿: K | 2009年5月14日 (木) 00時32分

Kさん、おはようございます。

そうですね。やはり土曜日に決まる新しい民主党代表のことは触れるつもりです。ぜひ、お時間が許される時、Kさんらしいコメントをお待ちしています。これからもよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2009年5月14日 (木) 07時23分

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これは「公務員のため息」というブログに紹介しておられたものを、写させていただいたものです。 後藤田正晴元副総理(宮沢内閣)の2005年7月13日の朝日新聞に掲載されたインタビュー記事だそうです。 外交とは、日本の中長期の国の姿を描きながら、言葉は悪いが、計算のうえにも計算し、戦略的な判断をすべきものだ。一番避けなければならないのは、その都度の、行き当たりばったりの外交だ。最近の日本外交を見ていて、戦略性が欠けていると思う。ひらたく言えば、寄らば大樹、アメリカのそばにいれば安全だということだろう。日米... [続きを読む]

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