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2009年5月31日 (日)

公共サービス基本法が成立

このブログのプロバイダーはココログですが、アクセス解析機能が比較的充実しています。時間ごとの件数などはもちろん、どのような経路から訪問いただいているのか一目瞭然です。これまでアクセス数は1日500から800件ぐらいの幅で推移し、コメント欄での議論が白熱した際や2ちゃんねるのスレッドにURLがはられた時などは1000件を超えていました。

おかげ様で訪問者の約半数はブックマークされている常連の皆さんです。その他、Googleなどの検索機能を利用し、訪れる人たちも少なくありません。例えば今、Googleで「自治体財政健全化法」と検索した場合、43万7千件中の1番目に「公務員のためいき」の以前の記事が示されています。その人たちがリピーターになる比率は高くないのでしょうが、検索サイトのトップページに掲げられる記事数の多さは一つの励みとなっています。

最近、「公共サービス基本法」という検索ワードから訪れる人が急増していました。昨年2月に投稿した「公共サービス基本法」という記事に対し、この1か月で1400人を超える訪問がありました。それ以前の3か月間では300人程度でしたので、極端に増えた検索ワードだと言えます。その理由はきわめて明白でした。今国会で公共サービス基本法が成立したからです。

公共サービス基本法案は4月28日の衆議院総務委員会で、民主党、社民党、国民新党、自民党、公明党から議員立法として共同提案され、全会派賛成のもと同日衆議院を通過していました。その後、5月12日の参議院総務委員会で審議され、翌13日の本会議で可決・成立していました。公布後、6か月以内に施行される運びとなっています。

マスコミでは大きく取り上げられない地味な法案でしたが、このような国会での動きがあり、「公共サービス基本法」に興味を示し、インターネットで検索する人たちが急増していたようです。この基本法の成立に向けては、自治労も結集する公務労協が中心となって340万筆を集めた署名活動などに取り組んできました。そのような経緯があるため、2007年5月には「発進!公共サービス最適化計画」という記事も投稿していました。

昨年2月の記事の中でも紹介しましたが、この課題においては民主党のネクスト総務大臣である原口一博衆議院議員と公務労協が緊密な連携をはかっていました。今回、原口議員を中心とした民主党が先導した法案だったと思いますが、共同提案から全会一致での採択に至った点は、公共サービスの重要性は党派を超えた共通課題であることが再認識できた意義深い機会となり得ています。

基本法は、国民が安心して暮らすことのできる社会の実現に寄与することを目的とし、国民が日常生活及び社会生活を円滑に営むために必要な基本的な需要を公共サービスと再定義しながら、公共サービスに関する国民の権利を定めています。また、国及び地方公共団体の責務を明らかにした上で、官民を問わず公共サービスに従事する者の適正な労働条件の確保と労働環境の整備に関し、必要な施策を講じるよう求めています。

1980年代以降、世界を席巻した「小さな政府」を掲げた新自由主義が、「市場の失敗」による世界的な金融・経済危機そして極限を超える格差の拡大と貧困の増加を招き、社会的公正と国民の安心・安全を確保する公共サービスの基盤を中破している現状に対し、法案の成立により、効率と競争最優先から公正と連帯を重んじる社会の実現へと転換し、働きがいのある人間的な労働を中心とする「ともに生きる社会」の創造とそれを支える公共サービスの実現をはかるための基盤が形成されたものと評価できる。

上記は、法案の成立した日に公務労協が発した見解の一部です。また、今後も連合の「STOP!THE格差社会」キャンペーンに結集しながら、基本法の趣旨を具体的に活かせるよう取り組んでいくことを表明しています。同時に公務公共サービスに従事する労働組合として社会的な責任と役割を強め、信頼回復をはかっていく決意を示していました。

確かに基本法は、あくまでも理念を定めたものであり、その目的を達成するための各種施策の実現が重視されていきます。総論では全会一致となっていますが、今後、各論となる法改正などの議論の際には、その立場や視点の違いから激しい対立も見込まれています。したがって、基本法成立は大きな到達点ですが、これからも公務労協としての運動の質や方向性が、いっそう問われていくものと思っていました。

その意味で、5月27日に公務労協が河村官房長官へ提出した要請書(公共サービスの再構築と拡充及び雇用・貧困対策に関する要請について)はタイムリーな位置付けとなり、内容も具体化が欠かせない重要な施策の数々ではないでしょうか。最後に、公務労協が政府へ要請した内容を紹介し、公務員組合がどのような問題意識を持っているのか垣間見ていただく一端とさせていただきます。

  1. 国民が安心して暮らすことのできる社会の実現に寄与することを目的とする「公共サービス基本法」(2009年5月13日成立)の趣旨に基づき、国民が日常生活及び社会生活を円滑に営むために必要な基本的需要を満たす等、同法に基づく具体的な施策等を措置すること。
  2. 国及び自治体の直接雇用対策については、短期・低賃金の臨時的職員の雇用ではなく、国の定員削減計画及び自治体の集中改革プランを一時凍結し、常勤職員の採用を前倒しすること。
  3. 母子自立支援員、婦人相談員、家庭相談員について、非常勤職員を原則とする規定を見直すための法令改正や通知の見直しを行うこと。
  4. 非常勤職員等の雇用安定と均等待遇を実現するため、本格的な短時間公務員制度を創設すること。
  5. 急増する生活保護受給者に対応するため、生活保護制度の運用及び制度の改善を早急に実施すること。特に、生活保護国庫負担金の確保及び自治体への早期交付を実施するとともに、ケースワーカーの十分な配置と事務費を確保するため、地方交付税の改善をはじめ必要な財源措置を実施すること。
  6. 自治体の母子寡婦福祉貸付金制度等の拡充をはかること。また、生活福祉資金、特に離職者支援資金及び緊急小口資金の改善をはかること。
  7. 就学援助制度、奨学金などの教育支援対策の拡充を行うこと。また、先進諸国並みに、家計基盤の弱い家庭への子どもに係る給付の拡充をはかること。
  8. 失業者・低所得者層に対する住宅保障として、公営住宅等の積極活用と入居要件の緩和、家賃軽減対策措置を実施すること。また、現在、入居者がなく空き室となっている国家公務員宿舎についても積極活用すること。

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2009年5月24日 (日)

『政権交代論』への共感

前回記事「鳩山新代表に願うこと」のコメント欄を通し、政権交代に対する個々人の思いの違いが大きいことを改めて感じ取らせていただいています。マスコミやネット上から知り得る情報も踏まえ、次のようにパターン化できるのではないでしょうか。まず現在の政治の閉塞状況を転換するためにも「一度、民主党に政権を任せてみたい」という未知の可能性に期待し、政権交代を望む声です。当ブログのコメント欄でお馴染みのkさんがそのようなご意見でした。

続いて、民主党への不信感が根強い人たちの中には「一度でも任せたら日本の政治はガタガタになる。やはり自民党に頑張ってもらわなければいけない」という声が少なくないようです。同じくコメント欄常連のKEIさんが主張されている趣旨であり、今の政治体制の枠組みの中では政権交代を懐疑的に見ている考え方です。当然、自公政権をどのように評価しているのかどうか、その基本的な立場や視点の違いから政権交代に向けた判断も枝分かれしていくはずです。

私自身、政権交代は目的ではなく、国民生活を良くするための手段だと思っています。その上で、昨年10月の記事「民主党を応援する理由」などで綴ってきましたが、生活者の声を大事にした民主党中心の政権への交代を強く願っています。したがって、政権交代が実現できた場合、なるべく長くその政権が続いて欲しいものと考えています。つまり自民党と民主党を置き換えただけで、KEIさんらと同じようなとらえ方による逆パターンと言えるのかも知れません。

衆議院解散の時期は見通せませんが、必ず今年の秋までに総選挙が行なわれます。その際、いわゆる無党派層の動向が与野党における勝利の行方を大きく左右していきます。最初に示したkさんのような思いの人たちが多ければ、政権交代が現実のものとなります。確かに民主党政権への不安感が絶対ないとは言い切れませんが、どのようなベテランにも「初めの一歩」があったようにチャンスを与えない限り、信頼関係が大きく育つこともあり得ません。

政権交代そのものが目的ではないと書きましたが、権力の暴走を防ぐシステムとしての政権交代必要論にも共感を覚えています。国民から信頼を得られなくなった与党は政権から下り、チャンスを与えられた野党も問題があった場合は再び下野する、このような緊張関係のあるシステムが大事であることも充分理解しています。前回記事のコメント欄の中で、このような言葉を書き込みましたが、少し前に読んだ北海道大学法学部の山口二郎教授が著した『政権交代論』(岩波新書)を頭に浮かべていました。

その著書の袖の部分には「自民党政治は閉塞を極め、緊急を要する課題に対応できなくなっている。その打開の道は、政権交代しかない。そもそも民主政治にとって政権交代とはどんな意味があるのか。なぜ日本ではほとんど起きなかったのか。そして、民主党は政権を担えるのか。アメリカやイギリスの事例を考察しながら、有意義な政権交代の条件を探る」と書かれていました。

山口教授は「自民党1党支配が続いたため、政治がよどんだ。政権交代すれば今まで見えなかった政治の実相が国民の目に見え、直すべきところも分かるのではないか。米国はオバマ政権誕生で今まで無視されてきた社会保障に光が当たった。英国でも97年に18年ぶりに労働党政権を誕生させたブレア首相はサッチャー元首相の新自由主義政治を転換した。そのブレア氏も10年の長期政権でよどみが出て、次は保守党が政権を奪還する勢いだ」と述べ、国民の政権選択によるチェック機能を高く評価しています。

なぜ、それでは自民党政権が長く続いたのかという理由として、冷戦構造下で社会党との対立軸が体制選択論とみなされたことを真っ先にあげられていました。社会党は市場経済主義と議会制民主主義を否定するような政党と見られ、イギリスの保守党と労働党のような2大政党制に最後までなり得ませんでした。さらに自民党政権は経済成長の促進と富の平等な再配分という2つの課題を両立させてきました。

つまり「総中流社会」を実現させた自民党の政策に国民が満足し、支持してきた結果、長期政権が可能となったことも山口教授は強調されていました。しかしながら最近では、その2つとも自民党政権の専売特許ではありません。逆に小泉・竹中路線は、社会的な格差を広げ、地方を疲弊させてきました。加えて、政権交代のない状態が永続化している問題として、官僚機構が時の権力におもねがちとなる弊害を山口教授は指摘していました。

山口教授は「民主政治とは、国民自身で自らの住む国の方針を決定する仕組みである」とし、「政治は変えられるという確信を人々に持ってもらうことがまず重要」と訴えられています。さらに「効率的な行政とは、役人の自己満足にしかならない無意味な政策を徹底的に洗い出し、これを政治主導で廃止すること、そのような見直しを通して政策における需要と供給のミスマッチをなくすことである」と述べられています。

民主党の結党以来、ブレーンの1人であったことを明らかにした上、山口教授は民主党が政権を担えるのか、課題について率直に語っています。当面する経済や雇用対策、中長期的な社会保障や税制改革という2つの難問があり、「冗費節減で出てくる財源と、社会保障に必要な財源とでは、桁が違う。税金と社会保険料に関する公平な負担をどのように行なうかという議論をいつまでも避けるわけにはいかない」とし、将来構想を示す必要性があることを民主党に対して求めていました。

政府運営の面では「様々な政策課題についてすべてトップダウンで決めることなど不可能である。専門家としての官僚の情報や技術を適確に使いながら、中堅の政治家が論議、調整しながら政策をまとめるという手法そのものは、民主党が政権を取っても大きく変えることはできないであろう。その意味で、行政の硬直性を批判しつつ、新しい課題に向けて官僚のやる気を引き出すような政治のリーダーシップが必要となる。民主党が売り物にする官僚批判だけでは、行政府を統率、運用することはできない」と指摘しています。

もともとシンパシィを感じている山口教授の著書でしたので、全体を通して共感する内容が多く、印象深く読み終えています。そして、目前に迫った総選挙で本格的な政権交代を見届けたい気持ちが、ますます高まった読後感となっていました。恐縮ながら最後に一言、240頁に及ぶ著作の中から個人的な判断で適宜内容をご紹介しました。大きな誤解を与えるようなことはないものと思いますが、山口教授の伝えたい全容をお知りになりたい場合は、ぜひ、新書そのものをお読みいただければ幸です。

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2009年5月16日 (土)

鳩山新代表に願うこと

土曜の午後、民主党の両院議員総会が開かれ、党所属国会議員の投票によって鳩山幹事長が新代表に選出されました。短期間の運動となった選挙でしたが、岡田副代表が猛追し、文字通り投票箱の蓋を開けるまで当落の行方が分からない接戦だと見られていました。しかし、結果は124対95という票の数であり、思ったより差が開いたようです。基礎票が少なかった岡田副代表側としては「もっと時間があれば」との無念さが残った結果だったかも知れません。

駆け足の日程に対し、小沢代表が鳩山幹事長を後継者としたいため、意図的に選挙までの期間を短くしたというような批判の声が上がっていました。そもそも国会議員のみの投票となったのは既存の党規約に基づくものであり、任期途中の選挙は党員やサポーターを対象とせず、両院議員総会で選出できるようになっていました。国会開会中であり、新型インフルエンザへの警戒も怠れない中、短期間で選ぶという判断は決して間違っていないはずです。

昨年秋、国会開会中に3週間もの政治空白を作って、ダラダラと続けられた自民党総裁選を反面教師とするならば、妥当な選択だったものと思っていました。それにもかかわらず、残念ながら「短すぎる」「小沢代表の強引さが目立つ」などと批判される代表選となってしまいました。3月に西松建設絡みの違法献金問題によって、小沢代表の秘書が逮捕された以降、とにかく小沢代表の言動一つ一つが叩かれがちでした。

麻生首相に対しても同じでしたので、それほど偏向していないのかも知れませんが、日本のマスコミの論評はステレオタイプの極端さが目立ちます。ある出来事を境に「うちの社も乗り遅れるな」というような論調の報道が続き、いわゆるメディアスクラムと呼ばれる状態に陥りがちです。月曜に小沢代表が辞意を表明した際も「遅すぎる」「充分な説明責任を果たさず辞めてしまう」などと非難する意見が少なくありませんでした。

献金問題に対する私自身の見方は最近の記事「小沢代表の秘書逮捕」で明らかにしていました。小沢代表の言い分や不本意な気持ちは一定理解した上で、政権交代を悲願としている小沢代表だからこそ、潔い身の処し方をアピールして欲しいものと考えていました。そもそも秘書が違法行為を犯したのかどうかは今後の裁判を通して明らかにされるものですが、この問題で植え付けられた「やはり金権体質だった」というイメージは簡単に拭えない痛手だと感じていたからでした。

ちなみに、その記事のコメント欄でのやり取りの中で「個人的には岡田副代表の復帰が安定感や信頼感を寄せられるものと思っています。前回の郵政選挙は、誰が代表だったとしても小泉自民党に圧倒されたものと見ています。その前の参院選では逆に小泉自民党を破っていた実績も買うべきではないでしょうか」と書き込んでいました。いみじくも代表選挙直前の世論調査などでも、鳩山幹事長より岡田副代表の人気が高かったようです。

岡田副代表の著書『政権交代 この国を変える』を読み、さらに副代表と親交があった自治労三重県本部出身の方から誠実な人柄の話などを伺ったこともあり、そのような思いを抱いていました。結局のところ鳩山幹事長が党所属国会議員から多くの支持を受けた訳ですが、その結果に異議を唱えるものではありません。どちらの候補が新代表になったとしても、政権交代という大目標を前にして今後の民主党も一枚岩でまとまっていけるものと思っているからです。

確かに岡田新代表の方がインパクトはあり、「小沢傀儡」などと批判されることはなかったかも知れません。一方で、鳩山新代表の方が安定した党内基盤に支えられ、より結束力を高められる期待がありました。また、2人の掲げた政策に大きな差がなく、対立軸が見えにくいなどと指摘されていましたが、この点についても差がなくて当たり前です。総選挙を間近にして、マニフェストなどを作り上げている時期に党の要職を務めている2人の政策に違いが目立った場合、それはそれで問題だったはずです。

いずれにしても小沢前代表が掲げた「国民生活重視」の政策路線は、一昨年の参議院選挙で国民から大きな支持を受けていました。合わせて、小沢前代表は働く者の代表組織である連合との信頼関係も再構築されていました。献金問題で失速したとは言え、その方向性や路線に間違いはないものと確信し、鳩山新代表には頑張っていただければと願っています。

特に労働組合の役員の立場からは、後者の関係構築が非常に大切なものとなります。今回、このブログを開設してから3度目の民主党代表選挙でした。これまでも「前原民主党新代表に思うこと」「小沢民主党代表への期待感」という記事を綴ってきましたが、連合との関係を「しがらみ」と思わず、鳩山新代表にも「生活者」である働く者の声を直接聞ける強みだと受けとめて欲しいものと考えています。

とりわけ今後、行政改革のあり方をめぐっては、自治労など公務員組合と民主党との難しい場面が続くはずです。この点についても日頃から意思疎通をはかり、信頼関係を築いていく努力が欠かせないものと思っています。その上で、鳩山新代表からは「労働組合との信頼関係があるからこそ、大胆で効果的な改革ができる」と誇示していただけるような関係性を望んでいます。

そのためにも、公務員組合側は既得権を守るための「抵抗勢力」と見られないよう適確な情報発信にも力を注ぐ必要があります。改めるべき点は改めていること、先入観や誤解に基づく批判は払拭するため、より丁寧な説明責任や情報宣伝が求められていくはずです。最後に繰り返しのような言葉となりますが、鳩山新代表は「小沢院政」などという批判に過剰反応することなく、自らが幹事長として支えてきた路線に自信を持って突き進んで欲しいものと願っています。

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2009年5月10日 (日)

もう少し平和の話

前回の記事「憲法記念日に思うこと 2009」に対し、常連の皆さんを中心に多くのコメントを寄せていただきました。それぞれ安全保障面での具体論に大きな違いがある中での意見交換となっていますが、たいへん貴重な議論だったものと受けとめています。異なる考え方の論争相手に対しても、敬意を払った会話に努めていただいていることが落ち着いた雰囲気の場になっているようです。

このようなテーマの議論になると真っ向から持論のぶつかり合いとなって、ギスギスしたブログのコメント欄を見かけることもあります。その意味で、前回記事のような議論の場が維持できていることを管理人として本当に有難く思っています。自分自身も含め、これまで正しいと信じてきた考え方が簡単に変わるものではありません。それでも幅広い情報や意見に接する機会がない限り、仮に誤った考え方だった場合でも改めることができないままとなります。

この「公務員のためいき」を通して主張する内容が多くの人たちに共感を得られた時、ブログを続けていて良かったと思う場面です。しかしながら不特定多数の人たちに発信しているブログですので、反論を受ける方が多いことも確かでした。それはそれで多様な意見に触れることよって、自分自身の考えが本当に正しかったのかどうか省みる機会となっています。そのため、幅広い視点や立場から数多くコメントをいただけることが、最もブログを続けていて良かったと思える場面だと言えます。

さて、記事タイトルの付け方に悩む時も少なくありませんが、最近、よく使っている「もう少し〇〇の話」を今回も採用させていただきました。前回の記事本文にも書き、コメント欄での意見交換を通しても改めて感じ取ったことですが、平和を望む気持ちは皆同じだという点です。もともと護憲派がハト派の平和主義者、第9条改憲派がタカ派で好戦論者という短絡的な評価は簡単に下せなくなっています。その上で、北朝鮮や中国に対する脅威へのとらえ方の温度差が大きく、防衛のあり方などの各論が争点となりがちでした。

コメント欄にも書きましたが、安全保障面での強化や外交交渉で優位に立つため、武力の増強路線を選択した場合、核武装の話に行き着くのだろうと危惧しています。しかし、そのような考え方は、核不拡散のNPT体制やオバマ米大統領のプラハでの「核廃絶」への決意など、国際社会の流れに逆行するものであることを押さえなければなりません。つまり国際社会から浮いてしまうリスクを抱えながら防衛力強化、挙句の果てに核武装論まで飛び出てくる動きに強い違和感を覚えています。

一方で、国際社会の秩序を保つために設けられている国連に関し、様々な矛盾や役割の限界があることも理解しています。それでも国際社会の中で無茶な暴走を許さない程度の抑止効果は一定発揮しているものと見ています。さらに主要国の脱退もなく、60年以上続いていることも存在価値がゼロではない証であり、二つの世界大戦の反省の上に立って創設した国連への根強い期待の表れではないでしょうか。

また、近隣の国が日本を本格的に攻め込む事態はあり得ないものと見ていますが、このような認識は「お花畑」だと揶揄されがちです。窮鼠猫をかむような暴発の可能性まで全否定できませんが、現在の国際情勢を見定めるならば日本にミサイルを打ち込んで利する国はないものと思っています。ただ忘れてはならない点として、北朝鮮による拉致の問題です。家族の皆さんらにとっては、力付くでも奪還して欲しい気持ちであるはずです。以前、「拉致問題を考える」という記事を投稿しましたが、拉致被害者全員の救出を心から願っています。

残念ながらその実現に向けた手法のあり方も含め、非常に難しい問題となったままです。その中で最近、家族会の事務局長を務めていた蓮池透さんは「圧力一辺倒ではなく、政府間の対話によって解決の糸口を探ることが必要だ」と主張されているようです。当初強硬派だった蓮池さんは一部で「裏切り者」と非難されているそうですが、「右も左も垣根を越えて、被害者のために連帯し合えるような運動」を強く望むようになっていました。よくおじゃましているブログ「お玉おばさんでもわかる 政治のお話」の記事「拉致 左右の垣根を越えた戦いへ 蓮池透」でも取り上げられていましたので、リンク先をご参照ください。

今後も当然、国家という枠組みがなくなることはなく、国際社会は国益や主権という考え方が基本となって関係作られていくものと思います。それでも前回記事の最後に記したような地球規模の難局に立ち向かうためには、これまで以上に国境を越えて協力し合っていくことが必要とされていくのではないでしょうか。そして、現在の国際社会が「荒地」だったとしても、「お花畑」にしていこうというポジティブな発想も絶対大事なことだと考えています。

最後に、とらえ方が年月の経過とともに変わった事例の一つとして、4年前には「後藤田元副総理との偶然」という記事を書いたことがありました。中曽根内閣の官房長官を務めていた頃は、元警察庁長官だった後藤田元副総理をタカ派の旗頭だと思っていました。それが今では、安全保障面の見方など非常に共感する点が多い政治家だったと認識するようになっています。お亡くなりになる2か月前、2005年7月13日の朝日新聞に掲載された後藤田元副総理のインタビュー記事の一部を紹介し、「もう少し平和の話」の結びとさせていただきます。

外交とは、日本の中長期の国の姿を描きながら、言葉は悪いが、計算のうえにも計算し、戦略的な判断をすべきものだ。一番避けなければならないのは、その都度の、行き当たりばったりの外交だ。最近の日本外交を見ていて、戦略性が欠けていると思う。ひらたく言えば、寄らば大樹、アメリカのそばにいれば安全だということだろう。日米安保、アメリカ一辺倒の外交だ。これは確かに、現時点における外交の基本としてやむを得ない選択かもしれない。

だが、同時に、外交を計算のうえにも計算するというときには、地政学も大事な要素になる。地政学の面から見て、いったい今の近隣国外交というものでいいのかどうか。大事な地政学的な配慮を忘れて、近隣国外交に強硬策で対するばかりで、それで日本の外交は間違いがないのか。いま国民全体が保守化しつつあるが、それを背景に政治家がナショナリズムをあおり、強硬な態度をとれば間違いない、という空気がある。大変な間違いを犯している気がしてならない。

地政学的に考えた場合、一番大事なのは中国、そして韓国、朝鮮半島との関係だ。アメリカ一辺倒も結構だけれど、近くを忘れてしまって、敵にまわして本当にいいのだろうか。少し配慮が足りないのではないか。アジア近隣各国との友好こそが大事なことだ。

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2009年5月 3日 (日)

憲法記念日に思うこと 2009

このブログで新型インフルエンザについて取り上げたのが昨年の4月28日でした。その記事で、WHO(世界保健機構)が「新型インフルエンザは、起こるか起こらないのかの問題ではなく、いつ起こるかの問題だ。明日起こっても不思議ではない」と警告していたことを紹介しました。あれから1年、予期していた鳥ではなく、豚を感染源としてパンデミック(世界的大流行)の一歩手前となる警戒レベル、フェーズ5の脅威に私たちは直面しています。

現在、日本政府は国際空港などでの検疫を強化し、ウイルスの上陸を阻止しようとする水際対策に力を注いでいます。今のところ横田基地に降り立った米国籍の赤ちゃんをはじめ、疑われた人たち全員、新型インフルエンザではないことが判明していました。しかし、感染国が徐々に拡大している中、ゴールデンウイークを利用した数十万人の海外旅行客すべてが感染しないで帰国できるとは考えられません。

今後、国内侵入を覚悟した患者発生の監視体制や早期治療、病院での感染防止が対策の柱となっていくものと見られています。このような事態に際し、私たち自治体職員はその役割と責任の重さを強く自覚し、適確な危機管理への対応に全力を尽くさなければなりません。いずれにしても発症の心配がある人は、いきなり医療機関に行かず、まず保健所などの相談窓口に電話を入れるように務めてください。

さて、憲法記念日をタイトルとしていますが、やはり新型インフルエンザの話は外せない局面でした。加えて最後に触れるつもりですが、この新型インフルエンザによる災禍も今回の記事で扱う問題意識に結びついていく事例だろうと考えています。ちなみに「憲法記念日に思うこと」という記事は3年前にも書き込みました。日本国憲法の平和主義に絞った記事でしたが、今回の記事はその時の内容を踏まえ、個人的な思いを書き足す意味合いからタイトルに「2009」を加えさせていただきました。

今年3月に行なわれた読売新聞の調査で、憲法を改めることに賛成する人の数は51・6%でした。このような調査は各社で結果がばらつく場合もありますが、まだまだ改憲に向けた世論は二分されている現状ではないでしょうか。さらに改憲派の中でも憲法第9条に対する判断は様々であり、自衛隊に関しては「解釈や運用で対応するのが限界なので改正する」という理由を多くの人たちがあげているようです。

そもそも戦争を推奨する人は皆無に近いはずです。戦争反対という総論では大多数の人たちが一致しながらも、改憲の有無など各論に対する考え方は枝分かれしがちです。そのような現状を受けとめ、私自身、「憲法をまもろう」という言葉よりも「憲法の平和主義を大切にすべき」との主張を多用しています。内実の問題としても、護憲か改憲かという攻防よりも、日本国憲法の平和主義をどう普遍化できるかが重要なポイントだと思っています。

北朝鮮のミサイル発射は許される行為ではありませんが、その後の日本側の反応にも危惧しています。敵基地への先制攻撃や核武装論まで、議論を広げる人たちが増えていることに危機感を抱かざるを得ません。ネット上からも幅広い意見や情報に触れられますが、時には自分の考え方とは相反する内容の雑誌も手にしています。最近では月刊誌『WiLL』6月号を購入しました。

特集記事の筆頭に田母神俊雄・前航空幕僚長の『北朝鮮には核で対抗せよ!』が掲げられていました。テレビに出演した時にも繰り返している前幕僚長の持論は「国際交渉は軍事力をバックに行なわれる」というものです。さらに専守防衛とは「絶対にこちらからは殴らないということであり、相手側は必ず勝てる準備をしてからしか殴ってこない、日本が勝てる訳がない」とし、「専守防衛という馬鹿な考え方は捨てるべきである」と主張しています。

前幕僚長は普通に戦争を遂行できる国家にしたいと思っているのでしょうが、現在の国際法に対する認識不足を指摘せざるを得ません。外交の延長線上として宣戦布告さえすれば合法だった戦争は、第2次世界大戦後、国連憲章によって禁止されています。例外として、自衛のためと国連安全保障理事会が認めた場合の戦争だけが合法とみなされています。

残念ながら国際社会において、第2次大戦の後も戦争はなくなっていません。「自衛のため」「内政の問題だ」「あの時の安保理決議に基づく」などと身勝手な解釈で、数々の戦争が引き起こされてきました。突発的な軍事衝突や地域的な紛争が後を絶っていないのも憂慮すべき現状です。しかしながら前幕僚長のような言い分が決して肯定できる理由とはならず、たいへん危うい発想であることに変わりありません。

いみじくもアメリカが強行したイラク戦争は、武力によって平和が築けないことを改めて浮き彫りにしました。また、「テロとのたたかい」が戦争では絶対解決できないことも明らかになっています。力の行使による征圧は必ず「憎しみの連鎖」を生み出すからです。したがって、戦争という選択肢を外した中で、テロをなくすための知恵や行動を示すことこそ国際社会の重要な責務であり、その方向性において日本は努力すべきものと考えています。

今年3月、ソマリアの海賊対策のため、海上警備行動の一環として自衛隊の護衛艦が派遣されました。さらに海賊新法が国会審議にかけられていますが、憲法の制約がある日本がすべて他国と同様な行動を取れない点について、堂々と示すべきだろうと思っています。ただ同時に安全面に対する「ただ乗り」と批判されないためには、「力対力」ではない側面で日本としての貢献策が求められていきます。

特にソマリアの問題も、襲ってくる海賊を退治するという対処療法ではなく、「いかに海賊を減らすか」という視点が重視されているはずです。もともと海賊の出自は貧しいソマリアの漁民でした。つまりソマリア国内の政治の安定や貧困対策が根本的な解決に近付いていくのではないでしょうか。内政の問題にかかわり、言うは易く行なうは難しであることも承知していますが、思考する方向性としては押さえなければならない点だと考えています。

これまで自衛隊の海外派遣の是非が対立点となった際、「一国平和主義で良いのか」という批判が反対派へ浴びせられがちでした。誰も「日本だけ平和ならば良い」とは考えていないはずです。平和憲法を持つ特殊な国、日本としてできること、できないことをわきまえる必要性の幅が争点だったに過ぎません。今後もそのような特殊性や平和主義の大切さを改憲論議の中で、いかに活かしていけるかどうかが最も重要な論点であるものと痛感しています。

最後に再び、新型インフルエンザの問題ですが、この問題も「日本だけ感染しなければ良い」という理屈は絶対通じません。パンデミックの被害を少なくするためには国際社会が緊密に連携し、ワクチン開発や援助などで協力し合っていくことが不可欠です。加えて地球温暖化の問題なども含め、一国の努力だけでは解決できない難問が山積しています。このような大自然の脅威に対しては「国益」を度外視した国際社会の結束が求められ、人間同士が対立し合っている場合ではないものと思っています。

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