『反貧困』と自己責任論
金曜夕刊一面の見出しは「非正規 失職12万4800人」でした。不況による雇用調整のため、昨年10月から今年3月までに職を失ったか、失うことになる非正規労働者の数が厚生労働省の調査で明らかになりました。次の仕事が見つかっている人は1割にとどまる見込みとも書かれていました。さらに3月に期間満了を迎える人の数がカウントされていない可能性もあり、派遣会社や請負会社の業界団体は「3月までに40万人失職」と試算しています。
企業への助成金など国が雇用対策を打ち出した後も失業者の増加は続き、対策の拡充を求める声も強まっています。一方、多くの自治体が臨時職員の募集など緊急雇用対策を打ち出していますが、いずれも応募者の少なさが目立っているようです。雇用期間の短さ、低賃金、広報不足などが理由としてあげられています。
また、各地のハローワークは失業者の再就職が進まぬ現状に危機感を募らせています。同時に「不況でも飲食業や警備などの求人は多い。経験のない仕事でも思い切って挑戦して欲しい」「求人がある介護職などに目を向けてもらえるよう努力したい」と話しているのもハローワーク側でした。元派遣社員の希望する職場と人手不足から求人している職場が合わない「ミスマッチ」の現状も取り沙汰されるようになっています。
大分キヤノンなどで合わせて数千人の派遣切りが見込まれた大分県で、「JAおおいた」(大分市)が農業の現場で働く求人を呼びかけましたが、問い合わせがあった約50人のうち元派遣社員は数人だけだったそうです。ラーメンチェーンの「幸楽苑」(郡山市)では例年の3倍となる150人の中途採用を発表しましたが、面接に来た元派遣社員は数人にとどまり、担当者は「社会の役に立ちたいと採用数を増やしたが、拍子抜けしました」と語っています。
このような現状に対し、 『朝ズバッ!』の中で司会のみのもんたさんは「働かないと食えませんよ」「ボクなんか、なんでまず仕事しないのと思います」と元派遣社員が甘えていると決めつけた発言を繰り返しました。それに対し、毎日新聞論説委員の与良正男さんは「これを甘いの一言で片付けると今の問題は解決しませんよ」「例えば、人付き合いが苦手だから組み立ての仕事が自分に向いてると思ってやってた人に、すぐサービス業の仕事しなさいっても、なかなかうまくいかない」「(派遣などで人を)安易に扱ってきたことを、社会全体として変えていかないといけない」と逐次反論を加えていました。
みのさんのような受けとめ方をされる人たちは少なくないものと思っています。つまりネットカフェ難民らに対しても自己責任論を唱える人たちの多さに結びつきます。このあたりの話について、『反貧困―「すべり台社会」からの脱出』という著書に詳しく書かれています。著者は反貧困ネットワーク事務局長の湯浅誠さんで、昨年末、注目を集めた「年越し派遣村」の村長として一躍有名になっています。
『反貧困』は具体的な実例が数多く掲げられ、今の日本に存在している貧困の実態を浮き彫りにしています。湯浅さんは貧困の問題の「見えにくさ」を指摘し、ホームレスやネットカフェ難民らが自己責任論で括られがちだと述べています。そもそも貧困の実態を認めたがらない日本政府の姿勢を批判されています。
憲法第25条に基づき、生存権を保障するために生活保護の基準が定められています。その最低生活費を下回って暮らす人たちがいた場合、政府として放置することが許されません。財政が逼迫する中でも、違憲状態とみなされれば、財政出動が迫られます。そのため、政府は意識的に貧困から目をそらしてきていると指摘しています。
逆に生活保護受給者より低収入で暮らす人たちが増えているという理屈で、厚生労働省は生活保護費基準を切り下げようとする本末転倒ぶりを見せていました。湯浅さんは、このような「下向きの平準化」の方向性に強い危機意識を抱いています。また、過剰な「自立」支援が強調されているため、生活保護の打ち切りによって餓死者を出す悲劇などが生じている現状を憂えています。
『反貧困』を読み終え、貧困状態にいきなり落ちないための「溜め」の大切さが伝わってきました。「溜め」とは貯金であり、いざという時の家族からのサポートや公的なセーフティーネットなどを指されています。そして、湯浅さんが『反貧困』の中で、最も強調されていたのは「貧困は自己責任なのか」という点でした。貧困状態に至る背景には次のような「五重の排除」があると記しています。
- 教育課程からの排除 親世代が貧困状態である場合、その子どもたちの多くが低学歴のまま社会に出なければならず、貧困脱出のための技術や知識などを獲得することが難しい。
- 企業福祉からの排除 派遣社員など非正規雇用者は低賃金や不安定雇用を強いられ、雇用保険や社会保険に入れず、企業による福利厚生からも排除され、容易に貧困状態に滑り落ちてしまう。
- 家族福祉からの排除 低福祉の日本社会では親族間の相互扶助が、社会的転落を防ぐセーフティーネットとしての重要な役割を果たしている。しかし、貧困状態に陥る人々は、もともと頼れる家族や親族のいないことが多い。
- 公的福祉からの排除 福祉事務所が「水際作戦」と呼ばれるような生活保護申請者を排除しがちな傾向にある。「若いし、働けるはず」「まず親族に頼って」などと様々な理由をつけ、申請の受付さえしない場合が多い。
- 自分自身からの排除 上記のような排除を受け、何のために生き抜くのか、何のために働くのか、自分自身の存在価値や将来への希望を見失ってしまう。しかも自己責任論によって、貧困状態を「自分のせい」と内面化し、自分を大切に思えない状態まで追い込まれる。
湯浅さんは、とりわけ「自分自身からの排除」の問題が周囲から理解されにくいと述べています。その一例として、前述した「ミスマッチ」の話などが出た際、「なぜ、仕事を選ぶの?」という当事者の意識を想像できない発言などがあげられます。自分自身も湯浅さんの著書を1冊読んだだけで、貧困の問題を分かったような言い方は慎まなければなりません。それでも貧困を自己責任とする風潮の危うさについては充分理解できたつもりです。
自己責任論は、貧困に苦しむ人たちの内面にも刻みつけられ、所持金が底をつくまで頑張りすぎた結果、多重債務、一家離散、自殺などの最悪な事態につながりがちだと湯浅さんは説きます。より早い段階で、生活保護などの支援にアクセスすることによって、そのような最悪な事態は防げるものと訴えています。最後に、「あとがき」の中で、湯浅さんが書かれていた文章の一部をそのまま紹介させていただきます。
誰かに自己責任を押し付け、それで何か答えが出たような気分になるのは、もうやめよう。お金がない、財源がないなどという言い訳を真に受けるのは、もうやめよう。そんなことよりも、人間が人間らしく再生産される社会を目指すほうが、はるかに重要である。社会がそこにきちんとプライオリティ(優先順位)を設定すれば、自己責任だの財源論だのといったことは、すぐに誰も言い出せなくなる。
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