犯罪被害者と人権
さわやかな青空に晴れ上がった土曜日の午前、連合地区協議会のクリーンキャンペーンが行なわれました。毎年1回、構成組織の組合員の皆さんが多数参加し、社会貢献事業の一つとして市内の清掃活動に取り組んでいます。私どもの市での開催は3年ぶりとなり、その趣旨などは当時の記事「連合のクリーンキャンペーン」で取り上げていました。
今回、これまでの方式から少し発想を転換し、ファーレ立川内のパブリックアートの清掃を試みました。かなり前に目にした新聞記事で、ボランティアによるアート清掃が歓迎されている話を心に留めていました。事前準備や当日もファーレ倶楽部の会長さんには、たいへんお世話になりました。適確なアドバイスを得ながらアート38点の水洗いなどを通し、全体で109点もある芸術作品を身近に感じる貴重な機会となりました。
さて、その日の午後、市主催のある講演会が予定されていました。1人でも多くの参加者を募っていた生涯学習センターの担当係長から直接誘われ、興味深いテーマでしたので会場に足を運ぶこととなりました。人権学習事業の一環として、犯罪被害者と人権を考えるパネル展や映画会などを催している中、その日の講演会は「私にとっての地下鉄サリン事件」という内容でした。
講師は「地下鉄サリン事件被害者の会」代表世話人である高橋シズヱさんでした。1995年3月20日に起きたオウム真理教による地下鉄サリン事件で、高橋さんは営団地下鉄霞ヶ関駅助役だった夫を亡くされています。最愛の夫と突然、理不尽な別れを強いられた悲しみは消えることがないものと思われます。高橋さん自身、被害体験と回復過程について、1枚の紙に例えた説明をされていました。
事件の前、高橋さんの心はシワのない真っさらな紙でした。その紙、つまり高橋さんの心は事件によって、グチャグチャに潰されます。さらにメディアスクラムなどによる2次被害3次被害で、メチャクチャにされていきます。時間の経過や暖かい励ましなどによって、徐々に紙は元のように広がっていくことができます。しかし、できたシワが消えることはなく、絶対に元の状態には戻らないと話されていました。
そのように語られる高橋さんは決して後ろ向きな方ではなく、優しい雰囲気とともに気丈な様子がうかがえる女性でした。高橋さんが用意されたレジュメには「私の人生は泣いているだけではなく、応援してもらって嬉しかったり、活動の成果が出て喜んだりするし、気分転換に趣味の観劇を楽しんだり、旅行にも行く」と書かれていました。高橋さんは、本人も周囲もシワは完全に戻らないことを知った上で、シワを広げていく努力が大事であると語られています。
犯罪被害者の守るべき人権を考える際、真っ先にメディアスクラムの問題が取り上げられます。遺族の心情を無視した激しい取材攻勢、噂や他人の憶測で報道してしまう、記者が変わるたびに悲惨な被害体験を話さなければならない点など数多くあります。一方、テレビ局の若いディレクターが「高橋さんに元気になってもらいたい」と話を持ちかけ、たいへん勇気付けられた取材があったことも明かされていました。
高橋さんは司法解剖の問題も指摘されていました。司法解剖に対する充分な説明がない中、東大病院へ出向くように指示され、朝から何の説明がないまま高橋さんは待たされていました。午後3時を過ぎても連絡がないため、確認したところ「すでに葬儀業者へ引き渡した」と言われたそうです。加えて、司法解剖した臓器の一部が東大病院でホリマリン保存されていたことを随分後から知ることになったとも話されていました。
犯罪被害者に対する補償や心のカウンセリングの問題など、米国に比べると日本は被害者への支援態勢が格段に遅れているそうです。これまで高橋さんは「犠牲を無駄にしないためにも、被害者の声を発信していかなければ社会は変わらない」との思いで、遺族との交流をはかりながら活動を進められてきました。他の事件の被害者らとも連携した運動の一つの成果として、2005年には犯罪被害者等基本法が施行されていました。
前回記事では裁判員制度の問題を取り上げましたが、この12月1日から犯罪被害者参加制度が始まっています。高橋さんの講演ではその事実のみを触れられた程度でしたが、それまで犯罪被害者は裁判に直接かかわれず、少し前までは傍聴するのにも特別な枠があった訳ではありません。山口県光市母子殺害事件で妻と娘を亡くした本村洋さんは「自分が事件にあって裁判に疑問を持った時には、こんなことができるとは思っていませんでしたので」と被害者の声が反映される意義を評価されています。
一方で、法廷が「報復の場」になってしまうという慎重な意見もあり、日弁連は「現行の刑事訴訟法の本質的な構造である検察官と被告人・弁護人との2当事者の構造を根底から変容させるおそれがあることや、犯罪被害者等の意見や質問が過度に重視され、証拠に基づく冷静な事実認定や公平な量刑に強い影響を与えることが懸念される。2009年から施行される裁判員制度においては、その制度設計の際に被害者参加制度のことが考慮されておらず、被害者参加制度が及ぼす影響は大きなものがあると予想される」との見解を示していました。
そもそも犯罪被害者等基本法に基づき、犯罪被害者等基本計画が定められ、その計画の一環として今回の被害者参加制度も導入されています。確かに新制度に対しては賛否両論ありますが、あまりにも今まで犯罪被害者の思いや人権が軽視されてきたことは否めません。今回、高橋さんのお話を伺い、そのことを改めて掘り下げて考える機会となりました。ご紹介いただいた高橋さんの著書『ここにいることー地下鉄サリン事件の遺族として』は、ぜひ、近いうちにお読みしたいものと思っています。
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コメント
私の記憶が確かなら、直近の犯罪被害者参加制度施行とは別に、数年前から被害者(遺族)への傍聴席への優先的な着席は、司法機関の統一的対応とされている筈じゃなかったかしら??
勿論、傍聴席>傍聴希望者の状況下では公開原則により傍聴できますし、傍聴席<傍聴希望者の状況下に於いても、傍聴の意向を伝えれば可能な限り優先的に傍聴券を手配して貰える扱いになっている。裁判所や法務省のHPを見る限り、少なくとも本日現在に於いて間違いないと思います。
ここで、可能な限りの対応とされているのは、あまりに多数の親族が希望する場合には、ある程度の優先順位をつけて傍聴席を優先確保するという実務になっているという説明だったように記憶しています。
もっとも、このような取り扱いが為されるようになったのも、光市事件の被害者遺族を始めとする犯罪被害者遺族の活動が契機であることは否定できない事実であったと記憶しております。
投稿: あっしまった! | 2008年12月 7日 (日) 21時25分
あっしまった!さん、ご指摘ありがとうございます。
私の受けとめ方に思い違いの可能性があり、確かに最新の情報に対する検証が不足したまま文章化した箇所でした。したがって、あっしまった!さんのご指摘を踏まえ、「少し前では」と補記させていただきました。
たいへん失礼致しました。合わせて早い段階でのご指摘、本当に有難く感謝しています。ありがとうございました。
投稿: OTSU | 2008年12月 7日 (日) 22時29分
土曜日に講演会でお話させていただきました。
師走の、しかも昨今の社会的状況から、いろいろとご多忙だったことと思いますが、わざわざ会場までお越し頂きましてありがとうございました。
皆さんにはご迷惑かもしれませんが(o^-^o)、私は皆さんとずっとお話していたい気分でした。
犯罪被害者や遺族の権利が法的に認められ、自治体にも窓口ができるなど、徐々に支援態勢が整えられてくるとは言え、その情報に触れることができる被害者や遺族は、まだまだ全体的には少ないと思います。
お聞きくださった皆さんが、また周囲の方にお話し下さると、万が一何か起こった時には皆さんご自身が情報提供者になってくださるのではないかと思っています。
投稿: 高橋シズヱ | 2008年12月 8日 (月) 09時31分
高橋シズヱさん、ご丁寧にコメントとトラックバックありがとうございました。
高橋さんから伺った内容や問題意識について、多くの方に知っていただけるよう努めていこうと考えています。
また、高橋さんのブログをブックマークさせていただきました。これからも訪問させていただこうと思いますので、よろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2008年12月 8日 (月) 17時58分
高橋シズヱさんの講演会は、受講者の熱意がすごく伝わってきて、講演者の高橋さんと受講者との間が太いパイプでつながっているようなとてもいい雰囲気がありました。小さい会場のメリットが出ていたと思います。こういったブログに「犯罪被害者と人権」に関することがわかりやすく掲載していただき当日参加できなかった方にも伝わっていくことはとても素晴らしいことだと思います。
投稿: tama141 | 2008年12月12日 (金) 01時23分
tama141さん、おはようございます。コメントありがとうございました。
このブログをご覧いただいた何人かの職員の方から「私も行きたかったんですが、日程が合わず…」と声をかけられています。関心があった方は当然、実際受講された人数の何倍もいらっしゃったことが分かる一例でした。
改めて当日はお疲れ様でした。
投稿: OTSU | 2008年12月12日 (金) 07時01分
被害者が蚊帳の外に置かれるのはどう考えてもおかしな話で、その点では参加制度にも賛成です。
しかし、被害者は被告を加害者だと「信じて」参加してくるのですよね。
6年にわたってある冤罪事件に関わってきた経験から言えば、悲しいかな、警察と検察はコレと決めた「犯人」をいかに真犯人として確定させるかに固執し、裁判所は「警察と検察は正しい」を前提にしているのが現状です。こんな中で恣意的に集約された証拠をもとに一般人が裁判員になり、被告をクロと信じた善意の被害者が量刑を求めて意見を述べたなら…
国民の総意を得た冤罪、などというものが起こるのかと思うと恐ろしくてなりません。
そもそも裁判員制度は、司法側の審議が正しいのか?を議論するのが本旨のはず。ところがいつの間にか迅速な審議のほうが強調されるようになっています。おりしも広島でスピード重視の1審判決が差し戻しになりましたが、無実の被告が反証をあげるにはかなりの時間が必要であり、それをさせない裁判は公正にはなりえません。
どんな制度も使う人と使い方次第ですが、裁判員にも、できれば参加する被害者にも、「この犯人は司法に作られたものかもしれない」という冷静な心を持って制度に参加してほしい。これ以上不幸な冤罪被害者を出さないためにも、切に願うところです。
通りすがりにとりとめのないことを書きました。失礼しました。
投稿: 司法に失望 | 2008年12月12日 (金) 18時14分
司法に失望さん、コメントありがとうございました。
ご指摘いただいた司法への問題意識、私も同じような思いを抱いています。
実は次回記事で、高知白バイ事故裁判の理不尽さを取り上げようかどうか迷っていました。また、その際はスピード重視の1審判決差し戻し問題にも触れるつもりでした。
ますます経済状況が悪化する中、話題を転換することも考えていましたが、もう少し裁判の話をつなげてみます。ぜひ、またご訪問いただければ幸です。
投稿: OTSU | 2008年12月12日 (金) 21時49分
裁判員制度が始まる前に、被害者参加制度が始まりましたが、
私も司法に失望さんと同じように思っています。
被害者が裁判を「傍聴」することは、事実に近づくと同時に、
しっかり自分で話を聞くという作業でもあるのですね。
それが客観性を取り戻し、被害回復につながっていくことにも
なるのですが、いきなり被害者参加人になったらかなり感情も
激しいものが出ることもあるのではないかと思います。
(講演で話しましたが、傍聴席の私ですら怒鳴りたくなるような
事態が起きますからね。)
そのために、被害者支援ということが今盛んに推進されている
のですが、民間の支援団体にしても自治体の相談窓口にしても
(管理人さんには失礼いたしますが)、人員もスキルも不十分です。
特に、支援に当たる人は被害者に寄り添うことが大事だとばかりに、
被害者と同じ感情になりがちです。
今後、様々な問題が表出してくると思いますが、被害者参加
制度自体は、加害者被害者平等の権利の実現だと思いますし、
正当に評価すべきだと思いますので、不都合が生じた場合には
適切に修正することも必要だと考えます。
投稿: 高橋シズヱ | 2008年12月20日 (土) 00時09分
高橋シズヱさん、コメントありがとうございました。
18日に施行されたオウム被害者救済法、次に進むための一つの区切りだったろうと思いながらテレビを通して高橋さんの会見などを拝見させていただきました。改めて日頃からのご奮闘、たいへんお疲れ様です。
「被害者参加制度自体は、加害者被害者平等の権利の実現」とのご指摘は重く受けとめさせていただいています。私も一連の司法制度の見直しが国民の立場での改革や改善につながればと願っています。その上で「不都合が生じた場合には適切に修正することも必要だと考えます」とのお言葉も本当にその通りだと思っています。
投稿: OTSU | 2008年12月20日 (土) 09時21分