原子力空母が横須賀へ
一昨日、福田首相は内閣改造と自民党役員人事を行ないました。国民的人気が高いと言われている麻生氏の幹事長起用もありましたが、支持率上昇の転機となるのには程遠い布陣だと見られています。マスコミやインターネット上で知り得る評価や期待は軒並みネガティブなものが多いようです。その中で、小泉元首相の「改革」路線との明確な決別の意思が感じられるとの論評は、郵政「造反組」の登用などをはじめ、確かにその通りだと思える人事だったと言えます。
さて、前回記事は「ルワンダの悲しみ」でした。平和な社会というものを考える上で、ルワンダで起こった悲劇を紹介しながら自分なりの思いを綴らせていただきました。「橋下知事の人件費削減案」以降、分かりやすい具体例を示されながら親しみある関西弁で、いつも投稿くださるKさんから貴重な問いかけとなるコメントが寄せられました。取り急ぎ、コメント欄で不充分だった点をお答えしましたが、改めて今回の記事本文で補足的な説明を加えさせていただきます。
まず原子力空母の横須賀母港化反対集会に労働組合が取り組むことに対し、Kさんから強い違和感が示されました。「組合員は全員そういう思想の持ち主なんか?それとも組合の中の有志による活動なんか?さっぱりわからん。オレにそんなことせい言われたら、断るな。思想が違うもん」との問いかけがありました。
このブログは組合活動を身近に感じてもらうことも一つの目的として続けています。そのため、ルワンダの話がメインでしたが、取り組んだばかりの原子力空母の問題も少しだけ触れさせていただきました。横須賀の集会へは組合役員に限らず、複数の組合員の皆さんも参加しました。組合ニュースなどによる呼びかけに応えた自主的な結集でした。
総論で反戦平和は誰もが望むことですが、憲法改正や安全保障の問題など各論に対する考え方は個々人で枝分かれしていくものと思っています。したがって、平和に向けた私どもの組合方針についても、組合員の中で様々な受けとめ方がある現状を強く意識しています。Kさんと同じような考え方を持つ組合員は決して少数ではないものと思っています。
それでも毎年、平和運動に関わる方針も議案として諮り、組織的な手続きを経て確認している内容です。とは言え、一つ一つの課題に対し、常に踏み込んだ議論が尽くされている訳ではありません。トータルな観点で組合方針が承認されているのであって、細分化したテーマ別に賛否を問いかけた場合、それこそ結果は枝分かれしていくのかも知れません。
一方で、「もっともっと昔のように反戦平和運動に力を注ぐべき」との声が組合内にあることも確かです。しかし、それらの運動を推し進める際、組合員の皆さんらとの共感の輪が広がらない限り、大きな溝を残していくものと思っています。要するに「自分たちの組合費が、望まない運動に使われている」との見られ方が深まることを懸念しています。
さらに「原子力空母の母港化に反対しよう!」という結論の押し付け的なスローガンではなく、「なぜ、反対なのか」という丁寧な伝え方や議論が非常に大切なことだと思っています。その意味で、相互に意見交換もはかれるブログは貴重な場だと考えてきました。このような趣旨を踏まえ、これまで「平和な社会を築くために組合も」や「ブログ開設から一年、されど靖国神社」などの記事を投稿してきました。
Kさんからの端的な問いかけを受け、改めて当ブログの位置付けや目的などを書かせていただきました。付け加えて、公務員をとりまく情勢が厳しい中、平和運動に力を注ぐ余裕がない現状も認識しています。言うまでもなく、労働組合の役割として職場課題が最も重要であり、今後も活動の主客は充分わきまえていかなければなりません。
続いて「原子力空母やから、あかんのか、米軍やから、あかんのか、自衛隊も含めそういうもんが嫌いなんか」とKさんからの問いかけがありました。ストレートな質問に対して若干抽象的な答えで恐縮ですが、武力によって平和な社会は築けないものと考えています。国連憲章前文や日本国憲法に掲げられている平和理念が、国際社会で普遍化されていくことを理想視しています。
しかし、残念ながら理想とは縁遠い現実も理解しているつもりです。また、災害救助などで活躍している自衛隊に対し、国民の中での評価が安定してきている現状も受けとめています。このような点を踏まえ、Kさんの単刀直入な問いかけに対し、簡単にYESかNOかで答えづらいのが正直なところでした。
その中で、原子力空母の横須賀への母港化は反対であると歯切れ良く訴えることができます。7月19日の横須賀集会には1万5千人ほど集まりました。やはり各論を問えば一人ひとりの思いは枝分かれするのでしょうが、原子力空母の危険性を憂慮する立場は共通であったはずです。
通常型空母キティホークの後継として、配備が予定されている原子力空母ジョージ・ワシントンは熱出力60万kwの原子炉を2つ積み込んでいます。中規模の原子力発電所に相当していますが、その安全面は日本政府が関与できない闇の中です。万が一、横須賀基地に停泊中、メルトダウンを起こした場合、放射能汚染による犠牲者は120万人に及ぶ予測が示されています。
そのジョージ・ワシントンは5月下旬、南米沖の太平洋上を航行中、艦内火災を起こしました。8月19日に横須賀基地への配備が予定されていましたが、現在、カリフォルニア州サンディエゴで火災事故の修理中です。修理は8月末までかかり、艦載機訓練などの準備を経てから日本に向かうため、横須賀基地への配備は9月末頃となる見通しです。
最後に、昨日明らかになった原子力潜水艦の放射能漏れ事故のニュースを紹介します。このように事故の危険性が常につきまとう問題性と合わせ、外務省の隠蔽体質とアメリカに対して言うべきことを言えない姿勢が浮き彫りとなるニュースでした。
外務省は2日、長崎県の佐世保基地に寄港した米海軍の原子力潜水艦「ヒューストン」が微量の放射能漏れを起こしていたことについて、米国政府から1日午後に連絡があったと発表した。長崎県と佐世保市、沖縄県への日本政府からの通報は2日午前と遅れた。
これに関し、町村信孝官房長官は同日の記者会見で「外務省はすぐに官邸に報告したり、公表すべきだった」と述べ、外務省の対応に苦言を呈した。同省は「放射能漏れは微量で、影響はないと判断した」と説明。また、直ちに米国に抗議したり、再発防止を要請したりする考えはないとしている。【時事通信社2008年8月2日】
| 固定リンク
コメント
広く一般論として労働組合が平和運動を行うことも、原子力空母母港化に反対することも、それらは思想・信条の自由であって、それらの表現行為が法令の枠内において行われる事については何の異存もありません。そして公務員といえども「純粋に個人の自発的発意と、一切の肩書き(所属する団体)から独立した個人として」それら思想・信条及びその意見を表明する事については、法令に背かない範囲において異存はないのです。
とは申しながら公務員という立場にある者の何等かの行為が、形式上も実質上も公務としてではなく一私人の行為として(職務とは独立して)である場合に、かつ、外部から見て外形的には公務員の職にある者が行っていると了解される場合に、「公務員法」との兼ね合いにおいて如何に解釈しどこまで容認されるのか?という事については、法律論として大きい問題なのだろうと思います。
そうした前提に立って、公務員がその職員団体の名前でもって行う「平和活動」というものに対しては、(すべての活動でないにしても)難しい問題を含んでいると考えています。
例えば今回の原子力空母の問題に限定するのであれば、形式上は条約及びその実効性を国内において担保する国内法の規定に則って行われており、これら条約や法令も憲法上適正な手続きに基づいて(少なくとも外形的には)現に効力を有しているという事実関係がある訳です。ハッキリ言えば政治課題な訳です。
そうした時に、公務員法に規定される政治的中立性や政治的行為に対する制約に(制約自体に議論があるとはいえども)照らしてみて、(これも議論の余地はあるでしょうが)公務員の職に就く者が完全に個人の名前とその自発的発意に基づいて運動するならまだしも、職員団体の名前或いはその構成員である事を直接の理由として運動に主体的に参画することが果たして法令の規定に対する妥当性は十分に担保されているのか?という疑問は拭えないものがあります。
公務員法の適用を受ける公務員について、その職員団体の権能及び構成員たる公務員の私的領域に対する制約事項が法定されている事の是非は別として、現に法定されている以上当該運動が妥当かどうかについては、私見を申し上げれば正直を申し上げると厳しいのではないかと思います。従って職員団体として、とりわけ政治課題に関係する平和運動に関与する事は組織としても構成員としても謙抑的である方が団体に対しても構成員に対しても、結果として有益な方向に向かう可能性はあると考えます。
仮に本件運動が、地方公務員の職にある者が(その職員団体の名前をもって)国政方針の帰結である本件事案に公然と反対運動を行うという構図で解釈されたとき、当該団体や構成員の立場は厳しいと思うからです。地方公務員法には国家公務員法と同様政治活動の制約規定はあっても、対応する罰則規定がないので、これまではある意味曖昧にすまされてきた部分があると感じますが、昨今の諸情勢を考えると脇の甘さを露呈する(つけいる隙を与える)結果にならなければいいのですが、などと思います。
ところで、「横須賀の母港化に対する反対を強調される方は、他の基地所在港を母港にする事には賛成されるのですか?」という疑問を当該の運動に関する報道を見ると少し感じます。(-_-;)
投稿: あっしまった! | 2008年8月 3日 (日) 12時17分
オレのツッコミがそんなに新鮮にうつるとは思わんかったわ、正直。だってな、みんなそういうこと言うてるんやもん。以下はところどころ疑問文になってるけど、返事を要求するもんやないし、改めて言うけどこのブログに悪意がある訳でもない。むしろ勉強になるくらいやで。
さて、いまオレを悩ませている個人的な問題がある。保育園の保護者会がとある政党とつながりの深い「保育団体」に所属し、政治的に偏りのある「保育運動」を展開していることや。かつては「平和活動」もやっとった。オレはその政党とは無縁でいたいんやけど、保護者会は全員参加。保育団体の息のかかった役員がうまいように保護者を操ってるから体制は変わらん。で、署名運動だの、デモ活動だのに組み込まれる。恐ろしい話や。なんか言うたら「恥じることはしていない」とさ。「もう、勝手にやってくれ」ちゅうのが、正直なところや(念のため言うけど民主党やないから安心してくれ)。
これと、今回のお題は似ているところがあると思うねん。
まず、平和活動は、別に「職員団体」の名前でやらんでもええんとちゃうか?
「平和運動に関わる方針も議案として諮り、組織的な手続きを経て確認している内容です」ちゅうことやけど、反対意見を持つ組合員にとっては、きっつい話やで。周囲の視線も気になる。なんかレッテルを貼られた気分やろうな。賛成の組合員にしてみれば正式な手続きを踏んだ「恥じることの無い活動」なんかも知れんけどな。メーデーにごっつい旗もって集会するんは理解できる。そもそもそういう団体やからな。でも、軍港でシュプレヒコールあげるんは、違うやろ。そこで所属する団体の名前とか旗とかあったら、精神的に追いつめられるな、オレやったら。で、職場で署名用紙なんかまわってきたり、知らんうちに机にビラ置かれてたりしてな。気の毒な話やけど、案外当たってへんか?
インターネットも普及してるんやし、もうそういう活動は、個人や有志だけでできるんとちゃうやろか。ややお祭り的なきらいはあったものの、長野市での中国に対するチベット弾圧に抗議する活動は、おそらくは個人、有志を中心に行われたと思うんやけどな。あれは一時のモンやったけど、基本的な形は、あれでええんとちゃうか。
次に、組合の「平和活動」の矛先が、いつもアメリカに向いてるのは何でや?
オレの情報不足かもしれんけど、中国の人権問題に対してはどんな活動をしてるんやろ?日本に対する脅威で言えば、中国の領空侵犯や領海侵犯は、同盟国の空母がやってくるよりずっと問題やのに、あんまり抗議活動を見いひんのは何でや?平和活動という意味では直接的な問題やと思うけどな。それとな、竹島が侵略されていることについては、どうなん?組合的には、あそこは韓国領か?左派系団体のいう「平和活動」は、オレの言葉では「反米活動」というんやけどな。ここに、いわゆる「平和活動」なるものに対する不信感があんねん。一般庶民にも理解されへんと思うで。
それから、あんまり公務員の職員団体の名前出して活動すると、公務員のイメージが固定されてしまうで(たぶん悪い方に)。
一番わかりやすいんが、教師の組合な。今は日教組が分裂して、2団体あるなんて、調べた人間やないと知らんこっちゃ。教師はみんな○○党やと思とる人間、いっぱいいるで。たぶん教師らは、気づいてへんと思うけどな。実際そういう連中も多そうやし。いや、別にかまへんねんで。個人の思想・信条は自由や。でも子どもに変なこと吹き込まんといて欲しいてな。娘が学校に入った時には、そこが心配やねん。オレが小学生の時は、日の丸のハチマキ作っただけで、教室で怒られて立たされたモンや。これ、実話やで。
そやから、外交・防衛に関しては右寄りな考え方の人間が、労働組合に所属している場合、「平和活動」という言葉を聞くたびに、嫌な思いをしてるんやないかと心配するねん。そら、組合としては配慮してるつもりかも知れんけどな、たぶん傷ついてると思うで〜。
「僕は違う!もう、勝手にやってくれ」ってな。
投稿: K | 2008年8月 3日 (日) 16時48分
見逃せんミスがあった。カッコわるいけどここでなおさせてくれ。このままやったら、オレがなんかセレブみたいな言い方やからな。
誤り:一般庶民にも理解されへんと思うで。
訂正:一般庶民には理解されへんと思うで。
投稿: K | 2008年8月 3日 (日) 16時54分
朝のコメントは公務員法令との兼ね合いで書きましたが、心情的にはK様のご投稿に全面的に賛成です。
管理人様の地元における労働団体系「平和運動」の定義がどの程度「反米運動」に近似しているのかは存じませんが、某所での某集会のように「米帝粉砕!!」をスローガンにされたらそりゃ賛同の輪は広がらないと思います、今の世情では。。。昨今官民問わず労組の組織率の低下が問題視されますが、今の世情を考えると「労組主体の労働運動は恐らく成功しない、しかし大衆運動は成功する可能性がある」と思っています。勿論、ここで言う大衆運動の主体は「(左派系・進歩系)市民」ではなくて、政治的イデオロギーも特に強固でない選挙で言えば浮動票に該当するような、普通に国民の個々の自発的発意に基づく集合体としての大衆ですので、念のため。
労組の組織体制は旧共産諸国の組織体制に近く、機関決定に対しては公に反論する余地が乏しいと見込まれる以上、イデオロギー的に相容れない構成員にとっては精神的に厳しいのは事実で、しかも団体への加入が事実上強制に近い状況下においては一歩間違えば「思想・信条に対する労組による不当な介入」に成りかねない危うさを内包しているのも、また一つの側面なのだろうと思います。公務の職場は世界が狭くて閉じている部分が存在しますから、そのような「ムラ社会」で思想信条の自由に則って所謂非組を貫くことも然るべき機関に苦情を申し立てることも、ある意味結果として生じる後々の精神的苦痛や職業選択とのトレードになる側面があるでしょうからなおさらの事、という面はあると思いますね、私も。
投稿: あっしまった! | 2008年8月 3日 (日) 19時22分
あっしまった!さん、Kさん、コメントありがとうございました。
お二人の懸念されている点について、本文でも書いたとおり私も強い問題意識を抱えています。だからこそ当ブログで、あえて今回のような題材も取り上げてきています。
地公法第36条で職員の政治的行為の制限を定めていますが、この規定は労働組合の政治的行為自体を制限するものではないものと受けとめています。しかしながら「国策捜査」という言葉もありましたが、法律適用の恣意的なハードルの上げ下げがあり得ることも注意しなければなりません。
なお、誤解がないよう申し添えますが、「反米」運動をしているつもりはなく、中国は批判しないなどの偏った考え方は持っていません。配られたチラシの見出しを目にしただけで、ひかれてしまうようなKYな運動は絶対避けるようにしています。
つまり組合員の皆さんの大半へ共感の輪が広がるような「常識」を大事にした運動に努めているつもりです。逆に組合内で、その輪が広がらないようでは社会全体で多数を占めることができない「ひとりよがり」な運動だと認識すべきものと思っています。
いずれにしても率直な声を伺えることはネット上に発信しているブログの利点です。そのような声が多いことを踏まえ、今後の運動の検証を行なっていきます。最後に横須賀以外でも、原子力空母の母港化は反対であることを付け加えさせていただきます。
投稿: OTSU | 2008年8月 3日 (日) 20時21分
> 管理人 様
横須賀以外なら母港化しても良いのか?というのは、一部報道姿勢に対する純粋な疑問でして管理人様に対してという訳でも無かったのですが、書き方の稚拙さ故に上手く意図することが伝わっていない事を危惧して疎明いたします。
地公法第36条は、公務員としての公式の立場での政治活動という狭義の解釈と、公務員の身分を持つ者の私的領域を含むとする広義の解釈があると存じますが、是非は別として昨今の情勢では厳しい方に解釈される可能性もあり、「叩きやすい杭は叩かれる」的な結末に向かうことを危惧している次第です。
なお運動の態様に関しては、K様のご投稿から察するに私の現住地とさほど遠くない地域に居られると考えられますので、地域の特性というものが影響しているかも知れません。つまりK様が直接見聞されている運動の態様と私の知るそれとが近い若しくは同一である故に、似たような感触を抱くのかも知れません。だからといって、地域性・歴史的経緯・個々の単位組合毎の運動方針等といった差異を無視して、すべての単位組合を一括りに自分の見聞した事実のみを持って論じる意図は毛頭ありませんので、自分の見聞した事実を下に管理人様やその所属団体を直接論じる意図はなく、一般論として申し述べました。この点についてはご了解いただければと思います。
投稿: あっしまった! | 2008年8月 3日 (日) 21時16分
あっしまった!さん、コメントありがとうございます。
一般論でのご指摘であることを理解し、前回のレスも書き込んでいます。少しご心配かけているようですが、横須賀の件も含めて淡々と受けとめているつもりです。どうしても記事本文と比べ、コメント欄は短い時間に短い文章で書き込むため、言葉が不足する場合があるようで申し訳ありません。
今回の記事は皆さんから様々なご意見をいただくのかも知れませんが、なるべく熟読熟考したレスに努めていこうと思っています。
投稿: OTSU | 2008年8月 3日 (日) 23時40分
久し振りです。菊池です。
この内容は、本当はルワンダの話が出た所で書きたかったことも一部あります。
いま、世界ではルワンダだけでなく、アフリカ全土の悲惨な状況(特にHIVウィルス)とか、食糧危機とか、さかのぼれば先日カラジッチ氏が捕まったけれど旧ユーゴなどの内戦とか、ともすれば絶望的とも思える出来事が起こっています。
ミサイル・核兵器を打ち合う国家同士の戦争だけが人間の平和を脅かすものではないだろうと思わせる、これらの出来事を目の当たりにした時、翻って日本の反戦平和運動って何なんだろう、と正直思ってしまいます。最近の物価の高騰で暮らしがヒーヒーいっているとはいえ、途上国から見ればそれでもはるかに贅沢な暮らしを享受している私たちが、狭い日本の国土に閉じこもって、ただ戦争反対だ!反核だ!平和だ!と叫んでも世界が認めてくれるのか?それ程日本を取り囲む状況は甘くはないのではないか?
例えばイラク・アフガニスタンへの自衛隊の派遣問題。野党の、憲法違反だから早く撤退しろという主張は正しいとしましょう。しかし、治安維持のために自衛隊をよこしてくれという声が現地にあるのも事実。なら、野党は自衛隊撤退を叫ぶのなら、小沢さんでも、志位さんでも福嶋さんでも構わないけれど、イラク・アフガニスタンに自ら足を運び、現地の指導者に会って、「日本では自衛隊の海外派遣は憲法に違反するのだから、自衛隊をよこしてくれなどといってくれるな。」ぐらいの事はいうべきなのではありませんか?北朝鮮問題などもそうだけれど、日本に軍隊を作らず、かといって米軍など他の国の軍隊にも頼らずに、平和な世界を築くというのなら、政党や平和運動の指導者は、その程度の事はやらなければいけないのではありませんか?仲間内に篭らず、もっと外部の目に見える形で行動を起こすべきです。
加えて言うと、労働組合の「平和運動」は、本当に純粋な平和の追求を目的としているのか?単に政治的な反自民党・反アメリカ運動を平和運動にすりかえている過ぎないのではないか?右=悪・左=正義という図式だけで物事を選別しているだけなのではないか?という疑問が消えません。だから北朝鮮が核実験を行なった時も毅然とした態度が取れず、右翼にツッコミを入れられても何も言えないのでしょう。そしてこの事が労働組合の運動に抵抗感を覚える人を増やす原因になっているように思えます。
ところで、明日は8月6日ですが、原水爆禁止運動の大会は今年も原水協と原水禁の分裂になるようですね。実は、これに関連して、別の人のブログを見る機会があったのですが、非常に興味深い文がありました。原水禁運動に関して若い人が、「団体が2つあってなぜいけないの?」と言ったのだそうです。平和を叫ぶ団体なら多いほうが良いじゃないかと。なるほど!と思いました。確かに私自身、労働組合が複数あるのは悪い事ではないと言っているのだから、原水禁運動だって複数あって良いと思いました。どうせこの2団体はもはや一つ屋根の下で運動を行う事は無いでしょうし(たとえ統合が実現したとしても、片方の勢力のプロパガンダに使われ、運動が歪められてしまうのは確実)、平和追求の道は一つではないはずですから。
ただし、労働運動もそうだけれど、一般の市民の選択枝として複数存在するのはいいが、活動家連中の思想の対立の結果分裂した上にいがみ合うのは×ですけれどね。その意味では今の原水禁運動の将来には悲観的です。
だから私は、もちろん反戦・平和思想を持っているつもりですが、特定の思想を前面に押し出し、徒党を組んで行動する労働組合等の行動には参加しないし、ナントカ集会とかにも出るつもりは無いです。(それはただ単に集団行動に生理的な抵抗があるからでもありますが。)もっと違った、政治や思想が絡まない、穏やかな形で平和を追求し、世界に貢献する道は無いのかと、いま考えています。それは甘い考えなのかも知れませんけれど。
OTSUさんゴメンナサイ!!書きかけを間違って送信してしまいました!上の文章は遠慮なく削除して下さい!!
今回も支離滅裂で言いたかった事の半分も言えなかった気がします。申し訳ありませんでした。
投稿: 菊池 正人 | 2008年8月 5日 (火) 22時02分
菊池正人さん、お久しぶりです。コメントありがとうございます。なお、書きかけだったとのお話の一つ前のコメントは削除させていただきました。
ご指摘のような問題意識を持ち、前回記事「ルワンダの悲しみ」を投稿しました。そのための最適な選択肢は簡単に絞り切れませんが、日本国憲法の原点を忘れないことが大事だろうと思っています。
確かに軍隊を派遣する国際貢献が憲法上、制約されていることを堂々と訴えるべきだと思います。ただし、そのアピールは野党の政治家よりも、政府の責任だろうと見ています。その制約があることを明らかにした上で、ばらまき気味のODAなどを見直し、的を射た国際貢献に努められることが理想だと考えています。
「この程度しか出来ないの?」と思われるのではなく、制約がある日本が「ここまで頑張ってくれるんだ」と受けとめてもらえるのかどうかは、外交力や発信力の工夫ではないでしょうか。
菊池さんの問題提起に対し、すべて答え切れませんが、前半部分の主張で私なりに感じた点を書かせていただきました。
投稿: OTSU | 2008年8月 5日 (火) 22時03分
これは、純粋に質問やで
キティホークは通常動力やったと思うけど、この時は反対運動は一切なかったんやろか?
というのも、昔、原爆反対集会みたいなんに参加したとき、聞いてみてん(行ってみるだけエライやろ)。
「あんたら、原爆反対なら、通常兵器はOKか?」ってな。すると「ゆくゆくは通常兵器も云々」となんやようわからんけど、結局兵器はみんな反対っちゅうことやった。それなら、世界から核兵器がなくなっても、彼らの闘いは続く訳やな、標的をかえて。じゃあ、あのときの「原爆はいかに問題か」と熱弁をふるっていたのは何やったんやと、思うやろなって、昔考えたんを、思い出してん。米軍は今後原子力空母しか作らんやろうと言われているから、今後再び通常動力の空母がやってくることは、無いと思うけど。
あとな、「災害救助などで活躍している自衛隊に対し、国民の中での評価が安定してきている」ちゅうのは、どうやろ。自衛隊を軍隊と認識した上で、その存在や活動を評価している人も、多いと思うで。評価っちゅうか、そりゃ当然でしょ、みたいな。ここに、オレと主はんの基本的な認識の違いがあるんやろな。自衛隊の無い日本なんて、想像できひんもん、オレ。それに、オレの世代では、自衛隊と聞いて嫌悪感というか、違和感感じる奴って、めっちゃ少ないけどな。たしかに上の連中は結構いるけどな。
雨降ったから、大阪はちょっと涼しいけど、今日も一日お仕事ご苦労さん(オレも遅刻する!)。
投稿: K | 2008年8月 6日 (水) 07時48分
こんにちは。
「平和運動」に対する考え方というか受け止め方の問題ですよね。
私は、「基本的に」自治労の運動方針を支持する立場ですが、菊池さんやKさんのお考えを否定するものではありませんし、単組の執行委員長という役職にあっても、両氏のお考えの一部に対しては共感すら致します。
どうも、労働組合の平和運動には意図するものかどうかは別にして、「反自民」「反米」という部分が強調されているように感じます。
「平和」や「人権」の問題に取り組むとき、「自民党政府」や「合衆国」の事案を対象に取り上げ、「中国」や「北朝鮮」あるいは「アフリカ諸国」などを対象に大きなアピール行動として取り組んだことは記憶にありませんし、このとこは否定できないと思います。
そういう部分では、Kさんが言われるように個人レベルの感覚と組織レベルの感覚に大きな乖離があるように思います。
これまで組合員の素朴な疑問に対して組織としてきちんと対応してきたか。
反戦・平和の取り組みを政治体制の左・右の区別無くあらゆる諸外国に対して終始一貫同じスタンスで公平に主張し、働きかけてきたかと問われると自信を持って答えることはできません。
自分自身「組合の理屈」で、動いていた点は反省すべと考えさせられました。
今日は8月6日、いろいろ考えさせられます。
グダグダになって、申し訳ないです。
投稿: shima | 2008年8月 6日 (水) 12時43分
Kさん、shimaさん、いつもコメントありがとうございます。
63回を数える広島の原爆忌、その日に意義深い提起をいただいています。Kさんからのご質問ですが、キティホークの時にも反対運動はありました。確かに今回、原子力空母だからという理由で、反対する声が一段と高まっていることは事実です。
核不拡散条約、対人地雷やクラスター弾の禁止条約などがありますが、人を殺す目的で言えば、通常兵器とその違いは見出せません。殺傷力が高い、戦争が終わってからも多大な被害を与えていくなどの特殊性から前者を規制する動きが国際社会の現状です。
その動きを肯定的にとらえていますが、究極の理想は人を殺す目的の武器がなくなり、戦争がない世界だと思っています。レスにならない取りとめのない話で、たいへん恐縮です。できれば次回以降の記事で、もう少し自分なりの思いを掘り下げてみるつもりです。ぜひ、またご意見をお願いします。
投稿: OTSU | 2008年8月 6日 (水) 21時05分