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2008年8月30日 (土)

あるチラシへの苦言

木曜と金曜、千葉市で自治労定期大会が開かれました。私自身は鹿児島大会以来、3年ぶりの参加でした。今回は中間年の大会であり、本格的な方針確立や役員改選は来年に送られています。その中で、都市交全水道との3産別統合に際した名称の問題などをめぐり、熱い議論が交わされました。

自治労大会の報告は別な機会に譲り、今回、あるチラシの内容に関して触れさせていただきます。自治労大会の初日、会場入口前で配られていた「組合4役は不当処分を撤回しろ!」と書かれていたものです。このブログは自治労の関係者が多数読まれているようですので、今回の題材となるチラシそのものを目にされた方も多いのではないでしょうか。

当然、問題となるチラシを手にしていない方々が圧倒的に多いはずですので、当ブログを訪れてくださった皆さん一人ひとりにご理解いただける内容を書き込むつもりです。要するに一般論の話として、淡々と自分なりの問題意識を述べさせていただきます。なお、私どもの組合員の皆さんに対しては、4日に開く職場委員会で詳しい経過や今後の対応を報告する運びとなっています。

さて、一般論の話と前置きしました。一般論とは、電子辞書で「ある特定の事柄を考慮しないで、物事を概括的に扱う議論」と記されています。つまり固有名詞を前提にした内輪の話とせず、私の訴えたい点が不特定多数の皆さんに分かっていただける内容を綴る意味合いで申し上げています。とは言え、どのような内容のチラシなのか、ある程度説明しなければ何を問題にしているのか、うまく伝わらない心配もあります。

したがって、まずチラシの内容を簡単に説明させていただきます。もうお気付きだと思いますが、見出しに書かれた「組合4役」の一人が私であり、「撤回しろ!」と叫んでいるのは私どもの組合の女性執行委員の一人です。B4判3頁にわたるチラシは、その執行委員が発行したニュース仕立てで、本文すべてが彼女の主張で埋め尽くされていました。

私が、自治労大会の会場や職場でビラを配ったことを「問題」などといい、それを理由にして自治労大会などへの参加を「凍結する」すなわち「禁止する」というのです。こんな弾圧は絶対許せません。ビラまきをしたことが問題など、あきれてしまいます。連合路線のもとで完全に破産(原文のまま引用)してきた組合4役を批判しただけで、なぜ活動制限になるのですか。

チラシの冒頭に書かれていた彼女の言い分です。この文章だけ読めば、私自身も「何て抑圧的な組合4役だろう」と感じてしまいます。個々人の思想や言論の自由は守られるのが当たり前であり、個人の立場と組織の一員の立場をわきまえる限り、自分の所属する組織を批判することも状況に応じ、やむを得ないものと思っています。

ちなみに私どもの組合は伝統的に幅広いスタンスの方々が役員を担っています。政治的な方針が明らかに異なる場合でも、組合員の労働条件の維持向上という根幹となる活動では足並みを揃えてきました。時には激しい議論も交わしますが、敵対視するほどの関係とはならず、おおらかな組織の部類に位置付けられてきました。

私自身、そのような伝統を好ましく感じ、至極当然のことだと受けとめています。本来の組合の役割を考えた場合、政治的な立場は横に置き、組合役員としての職責を果たせるかどうかが大きなポイントだろうと考えています。その上で、問題視しているチラシを作った彼女の確固たる信念の政治的な立場は元々承知していました。

3年前、彼女が執行委員に初めて立候補する際、個人的な政治活動と組合活動との峻別の必要性を率直に話し合いました。執行委員に選任された後、彼女は日常的な組合活動を責任持って担い、その面での信頼感は高まっていました。一方、彼女が支持する団体の集会や署名などの取り組みについて、たびたび執行委員会に提案してきましたが、その都度、議論した上で却下されていました。

話を核心部分に戻しますが、彼女は自治労本部や組合4役を批判した「ビラまき」を理由に処分されたと訴えています。この主張は事実をねじ曲げ、まったく身勝手な言い分でした。個人的な政治活動と組合活動との峻別の一つとして、組合出張中に他団体のビラまきは問題であることを彼女も理解していました。それにもかかわらず、昨年の岩手大会では、その約束を守ることができませんでした。

さらに最近、組合役員の立場を利用し、外部の団体が発行したチラシを職場へ配布するなど、個人的な政治活動と組合活動を峻別できない彼女の行動が立て続きました。このような経緯があったため、貴重な組合費を使い、単組の代表として派遣する自治労大会などへ彼女を出張させることは不適切であると執行委員会で確認していました。

自分自身の非は意図的に隠し、事実と異なる主張のチラシを自治労大会で配る、信じられない行為でした。一時は信頼関係を築いていたものと思っていましたので、掌を返した彼女の行動は本当に悲しく、たいへん残念な話です。日頃から厳しい批判も真摯に受けとめていくよう心がけています。しかし、事実に基づかない捏造した批判は議論につながりません。相手を憤らせ、対立する溝を深めるものに過ぎません。

一般論の話と述べながらも、長々と身内の恥や内輪もめの様子をインターネット上に発信してしまいました。最後に一言、彼女の行動を反面教師として思い起こしたことがあります。どのように素晴らしい主張を行なったとしても、そこに意図的な偽りや誹謗中傷が含まれていた場合、誰の心にも響かなくなることを改めて肝に銘じています。特に当ブログを続けていく上で、大事な教訓だろうと思っています。

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2008年8月23日 (土)

講演会「小さな政府」を考える

7月に投稿した記事(最適な選択肢の行政改革とは?)で、私どもの組合が作成したチラシを新聞折込で配布する話をお伝えしました。チラシの内容は、コスト削減が優先されがちな行政改革の進め方への懸念を表明したものです。多くの市民の皆さんにチラシをお読みいただき、私どもの主張が少しでも共感得られることを願っていました。

各行革課題での労使協議を重ねていますが、私どもの懸念点が「ひとりよがり」なものであり、市民の皆さんから理解を得られない場合、アドバンテージは市側に移ります。逆に組合の主張が多くの市民の皆さんから支持を得られた場合、労使協議を優位な立場で進めることができます。

その一環として、広く市民の皆さんにも呼びかけた講演会を開くことも意義深いことだと考えていました。とりわけ小泉政権以降、際立ってきた「官から民へ」の流れを問題提起できる内容が望ましいものと思っていました。さらに6万部以上の数のチラシ配布にあたり、そのような趣旨の講演会のPRを同時に掲げられれば、紙面が厚みを増すものと見ていました。

ここ10年ほどの間にPFIや指定管理者制度など、行政のアウトソーシングを促進させる法改正が進められてきました。厳しい財政事情が背景にあることも確かですが、公共の分野を民間へ開放する意図が働いていたことも間違いありません。いわゆる「構造改革」という総論を見つめ直す中で、自治体の行革課題という各論を検証することも貴重なことだと常々考えていました。

このような問題意識を語っていただける講師を想定した際、真っ先に山家(やんべ)悠紀夫さんの著書『「痛み」はもうたくさんだ!脱「構造改革」宣言』が頭に浮かびました。今年2月、ブログの記事(脱「構造改革」宣言)を投稿した時は、元神戸大学大学院教授の経歴から関西に居住されている方だと思い込んでいました。交通費などの予算支出も検討しながら講演依頼の運びになった時点で、サプライズがありました。

山家さんの事務所「暮らしと経済研究室」は、私が勤める役所のすぐそばにあることを知りました。歩いて1分もかからない場所でした。その事務所を私と担当役員の二人で訪ね、新聞折込を予定したチラシの件から講演会の趣旨などを説明させていただきました。全国を飛び回られている忙しさの中、山家さんには快く私どもが主催する講演会の講師を引き受けていただきました。

講演のタイトルは“「小さな政府」を考える~これからの官と民の関係は~”としています。組合員はもちろん、一人でも多くの皆さんにご来場いただければと考え、入場無料です。9月5日(金)午後6時30分から立川市民会館小ホールで開きます。事前の申込も必要ありませんので、ぜひ、お気軽にご来場ください。

山家さんと直接お会いした際、今年になって発刊した著書2冊をご紹介いただきました。『日本経済 見捨てられる私たち』(青灯社ブックス)と『暮らしに思いを馳せる経済学』(新日本出版社)でした。さっそく入手し、読み終えていますが、ますます講演会当日が楽しみになっています。そして、一人でも多くの方に山家さんのお話を聞いてもらえたらと思い、皆さんへのお声かけに力を注いでいるところです。

その講演会の関心を高めていただくためにも、参考までに『日本経済 見捨てられる私たち』に書かれている山家さんの「小さな政府」に対する問題意識の一端をご紹介します。その前後に示されている主張やきめ細かい資料を省き、本文の一部が抜粋されることは山家さんにとって本意ではないかも知れませんが、ご容赦ください。

「小さな政府」を標榜しての、政府サービスの圧縮、民営化、民間委託化等は、人々の暮らしにどう影響するのでしょうか。まず、生じることは、サービスの切りつめや質の低下が起こり、生活が不便になることです。国鉄の民営化に伴い、地方路線の多くが廃線となりました。

地元自治体などの努力もあり、第三セクターなどの手で維持された路線もありますが、その経営は火の車で、いつ廃止されるかわかりません。JRが引き継いだ路線でも、地方では、ダイヤが不便になったり、割高の特急ばかりが走って実質値上げに近い状況になったりしています。

次は、おそらく郵便について同様のことが起こるでしょう。保育園なども、多くの自治体で、民営化や民間委託が進められており、経験豊かな(従って給与の高い)保育士に代えて、資格を取りたての、一年から三年までの短期雇用契約の(従って、給料の安い)保育士による保育が行われるようになっています。

保育サービスの質が、それだけ低下している、と言っていいでしょう。単に、生活が不便になるだけではありません。「小さな政府」は、生活の不便と同時に生活の不安をもたらします。事故の不安については、言うまでもありません。採算重視の民間では、ややもすると事故対策は手抜きになりがちです。

その著書の第三章「小さな政府」をめぐる神話では、上記のような内容の他に公務員数や政府支出の経済規模による国際比較、「官より民の方が生産性が高い」とした内閣府経済白書の生産性定義の問題性などを綴られています。最後に繰り返しになりますが、このブログをご覧なっている方で興味を持たれ、会場へ足を運べるようでしたら、ぜひ、お気軽にご来場くださることを心待ちしています。

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2008年8月16日 (土)

ベア見送りの人事院勧告

久しぶりに公務員にかかわる話題に戻ります。8月11日に2008年度の人事院勧告が示されました。更新が週一ペースとなっていますが、この人事院勧告に関する記事だけは毎年投稿してきました。一般の新聞紙面ではベタ記事扱いにとどまりますが、私たち公務員にとって様々な処遇に大きな影響を及ぼす重要なニュースだと言えるからです。なお、ブログを開設してから昨年まで3年間のバックナンバーは次のとおりです。

上記の他にも人事院勧告に絡む内容は数多く記事本文で取り上げてきました。最近投稿した「公務員賃金の決められ方」も人事院勧告を中心にまとめたものでした。ちなみに2年以上前に投稿した「休息時間の廃止」は、今でも「休息時間」などのキーワードからGoogleをはじめとした検索エンジンの上位に並ぶ記事となっています。

さて、今年の人事院勧告の特徴は、まず月例給の官民較差を136円(0.04%)と算出し、その差がきわめて小さいことから水準改定(ベースアップ、略してベア)を見送った点です。一時金についても民間の支給月数と概ね均衡しているとし、年間4.5月分の据え置き勧告が示されました。一方で、医師不足の解消に向け、来年4月から初任給調整手当を引き上げ、医師の給与は平均で約11%改善されることになります。

手当関係では、関係府省との調整や国会対応などの特殊性・困難性を考慮し、本府省業務調整手当(係員2%、係長4%等)の新設が勧告されました。また、自宅にかかる住居手当廃止は今回見送られましたが、引き続き来年の勧告に向けた検討課題とされています。ガソリン代急騰による交通用具にかかる通勤手当の改善も検討されていましたが、今回の勧告では触れられず、据え置きとなりました。

画期的な内容としては、完全週休2日制を導入した1992年以来の勤務時間短縮が勧告されたことです。以前の記事「公務員の勤務時間短縮へ」で報告していましたが、民間の労働時間が公務員より15分短い調査結果を人事院はつかんでいました。その5年越しの調査結果を踏まえ、来年4月から現行1日8時間を7時間45分とし、週38時間45分とする勧告に至りました。

以上の内容に対し、自治労は「2008年人事院勧告に関わる声明」を出しています。その中で「今後は、所定勤務時間の短縮にかかわる政府の政策決定と国会における取り扱いに焦点が移る」と記されていました。本来、公務員の労働基本権の代償機関であり、中立公正な調査結果に基づく人事院勧告は政治から不可侵であるべき存在です。

それが政治の思惑に左右され、示された勧告が否定される動きは決して許されるものではありません。特に今の政府与党は「国民感情」という言葉を都合良く使い分け、時間短縮の勧告を潰しにかかることも充分あり得ます。それでも福田首相は今年の春闘期に異例の「賃上げ要求」を行なったり、仕事と生活の調和、いわゆるワーク・ライフ・バランスを大切にする政策目標を掲げていますので、杞憂に終わることを願っていますが…。

続いて今回、勧告日をめぐって混乱が生じたことを報告します。事前に人事院総裁は「勧告日を7日」と明らかにしていました。その前日の6日になって官邸から「福田総理の日程が取れなくなった」との連絡があり、勧告が週明けの11日に延期されました。労働組合側はもちろん、全国市長会の事務局の皆さんらも勧告予定日に合わせて説明会などの準備を進めていました。

人事院給与局長から公務員連絡会に対して「現場で混乱が生じたことについては重く受けとめている」との考えが表明されたそうですが、これまで生じたことがない前代未聞の延期騒ぎでした。人事院の事務上の大きな不手際だと言えますが、昨年までは首相や両院議長の日程に関係なく「内閣と国会へ勧告」していたのかも知れません。

一般的な話として、例えば市長あての要請書の提出なども市長が不在だったり、その内容の軽重によっては副市長らが代理で受け取ります。あくまでも現時点では個人的な推測ですが、今回の延期騒動は福田首相の福田首相らしい「こだわり」があるように感じています。そう言えば、副大臣人事は自民党各派閥間で調整するのが慣例で、あの小泉元首相も口出ししなかったそうです。それを福田首相は異例の形で介入し、数名の差し替えを行ないました。

リーダーシップが欠けているように見られがちですが、意外なところで意外な「こだわり」や指導力を発揮している福田首相だと言えます。最後に、人事院勧告の話題が少々横道にそれて恐縮でしたが、雑談放談も副題としているブログですので、ご理解ご容赦ください。

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2008年8月10日 (日)

チベット問題とオリンピック

金曜の夜、中国の威信をかけた壮大な開会式が演出され、17日間にわたる北京オリンピックが開幕しました。民族浄化や人権蹂躙を続ける中国政府に対する抗議の意をこめ、オリンピックを観戦しないと話す人たちがいます。個々人の考え方があって、観る観ないも人それぞれの判断だろうと思っています。

私は興味のある競技を観戦し、日本選手を応援していこうと考えています。だからと言って、チベットやウイグルなどの民族問題への関心が薄い訳ではなく、その解決を願う気持ちも強く心に留めているつもりです。最近投稿した当ブログの記事は「ルワンダの悲しみ」「原子力空母が横須賀へ」と続き、コメント欄では幅広い視点からのご意見が寄せられていました。

今回、チベット問題を掘り下げる中で、引き続き「平和」というテーマについて考える機会としました。中国は56の民族で成り立っています。人口の90%以上が漢民族で、その他55の少数民族の中にチベット族やウイグル族が含まれています。北京オリンピックの開会式では、それぞれの民族衣装をまとった子どもたちが登場しました。

難しく考えずに開会式をライブで見ていましたが、この場面に対しては強い違和感を覚えました。複雑な民族問題を抱えているにもかかわらず、子どもたちの笑顔を利用し、民族の結束をアピールする欺瞞さを感じました。チベットやウイグルの人たちからすれば、最も冷ややかに見つめた映像だったのではないでしょうか。

ところで「ブログを始めて良かった」と思うことの一つとして、以前より読書量の増えた点があげられます。ネット上に発信するブログ記事を書き込むにあたって、曖昧な知識や情報を整理する機会となっています。したがって、今回の内容を取り上げようと考えた時、書店で『「チベット問題」を読み解く』(大井功・著/祥伝社新書)を購入し、読み終えています。

ダライ・ラマ法王日本代表部事務所のラクバ・ツォコ代表が「半世紀にも及ぶチベットの問題の核心・本質がひじょうにわかりやすく解説されています」と推薦されていましたが、確かに歴史的な経過や問題点などが体系的に理解できる著書でした。まず中国共産党政権が「もともとチベットは中国の一部だった」とする主張に対し、次のような解説が加えられています。

7世紀、国力の落ちた唐へチベットが攻め込んだ時代もあり、チベット仏教に帰依した元や清王朝とは「寺と檀家」の関係に例えられる見方が書かれていました。1936年の時点で、毛沢東元主席は「チベットが中国連邦に参加しようとするのなら歓迎しよう」と述べ、チベットが中国の一部ではなかったことを前提とした発言も残されているそうです。

しかし、1949年に中華人民共和国の成立を境にチベットへの軍事侵攻が始まりました。1951年に首都ラサが陥落し、チベットは「中国の一部」に組み込まれ、現在に至っています。アメリカは朝鮮戦争が始まる時期であり、チベットの問題へ手が回らず、国連からの支援も皆無なまま中国の横暴が通る結果となりました。

中国がチベットに執着する理由は複数あり、まず人の住める広大な土地に対する魅力があげられていました。現在のチベット自治区だけでも中国全土の8分の1を占めながら、人口密度は極端に低い地域でした。実際、漢民族の移住が進み、今やラサの人口35万人中、チベット族15万人、漢民族20万人と逆転している現状です。

次に木材や鉱物資源などが豊富に眠り、アジアの水源でもあるチベットは軍事的な要所ともなり得る地域でした。さらに青蔵鉄道などインフラ整備や開発に力を注いできた結果、観光収入は増え続け、チベットは中国政府にとって「金の卵を産む鳥」となっています。そして、共産党政権が進めてきた民族宥和政策の生命線として、チベットの独立は絶対認められない中国側の事情が記されていました。

何よりも許せないのは中国による民族浄化政策であり、占領後、これまで100万人以上のチベット人が虐殺されています。また、強制移住や強制妊娠により漢民族との理不尽な同化が進められてきました。チベット文化の拠り所である寺院の破壊やチベット語教育の禁止など、自治区とは名ばかりのチベット人抑圧政策が続けられています。

チベットは政教一致を伝統とする国であり、ダライ・ラマ14世はチベット仏教の最高指導者の顔と合わせ、政治家としての「国家元首」にも位置付けられています。1959年にラサ決起と呼ばれる大きな抵抗運動が起こった際、大弾圧を始めた中国軍はダライ・ラマ14世の暗殺も企てました。

その難を逃れるため、ダライ・ラマ14世はインドへ脱出し、亡命政府を立ち上げました。祖国に残る者も、世界中に点在したチベット人も、ダライ・ラマ14世に対して変わらぬ尊敬の念を集めています。さらに異教徒の多い欧米社会からも、平和と慈悲を象徴するカリスマ的な存在となり、1989年にはノーベル平和賞が授与されています。

今年3月に起こったラサでの騒乱の後、中国の温家宝首相は「ダライ一味が、暴動を扇動したという確かな証拠がある」と言い放ちました。それに対し、世界中から中国へ非難の声が浴びせられました。北京オリンピックを控えた中国は態度を改めざるを得なくなり、胡錦濤主席とダライ・ラマ14世との会談が開かれることになりました。

ダライ・ラマ14世は中国でオリンピックが開かれることに賛意を示し、チベットの独立問題に対しても現実的な提案を示しています。外交や国防は中国政府に委ね、チベット内の宗教、文化、教育、経済、環境保護などの問題はチベット人の責任管理とする「高度な自治」を求めています。

このような提案も共産党政権にとって、簡単に受け入れられるものではないようです。しかしながら完全な独立を突きつける要求よりも、今後の状況しだいで現実味を帯びてくる選択肢となるはずです。ダライ・ラマ14世を信頼している大多数のチベット人は、この方針を支持していますが、「あくまでも独立をめざすべき」との声が根強くあることも確かです。

日本の漫画家である小林よしのり氏は『わしズム』夏号で、「ダライ・ラマ14世に異議あり」という特集を組んでいます。小林氏は「圧倒的な暴力主義の帝国に対して、単なる平和主義や、高度な自治の要求は、全世界の平和のために果たして貢献するのでしょうか?」との疑問を投げかけ、中国が催すオリンピックなど観てられないと主張されています。

チベット人が祖国の地で平和に暮らせることを願う気持ちは、小林氏と私自身、大きな隔たりはないものと思います。その上で、ダライ・ラマ14世の姿勢をどう評価するかが、個々人で枝分かれしていく各論に対する選択肢ではないでしょうか。たいへん長い記事となりましたが、最後にダライ・ラマ14世の次の言葉を紹介し、結びとさせていただきます。

怒りは、怒りによって克服することはできません。もし人があなたに怒りを示し、あなたも怒りでこたえたなら、最悪の結果となってしまいます。それとは逆に、あなたが怒りを抑えて、反対の態度―相手を思いやり、じっと耐え、寛容になる―を示すと、あなた自身穏やかでいられるばかりか、相手の怒りも徐々に収まっていくでしょう。

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2008年8月 3日 (日)

原子力空母が横須賀へ

一昨日、福田首相は内閣改造と自民党役員人事を行ないました。国民的人気が高いと言われている麻生氏の幹事長起用もありましたが、支持率上昇の転機となるのには程遠い布陣だと見られています。マスコミやインターネット上で知り得る評価や期待は軒並みネガティブなものが多いようです。その中で、小泉元首相の「改革」路線との明確な決別の意思が感じられるとの論評は、郵政「造反組」の登用などをはじめ、確かにその通りだと思える人事だったと言えます。

さて、前回記事は「ルワンダの悲しみ」でした。平和な社会というものを考える上で、ルワンダで起こった悲劇を紹介しながら自分なりの思いを綴らせていただきました。「橋下知事の人件費削減案」以降、分かりやすい具体例を示されながら親しみある関西弁で、いつも投稿くださるKさんから貴重な問いかけとなるコメントが寄せられました。取り急ぎ、コメント欄で不充分だった点をお答えしましたが、改めて今回の記事本文で補足的な説明を加えさせていただきます。

まず原子力空母の横須賀母港化反対集会に労働組合が取り組むことに対し、Kさんから強い違和感が示されました。「組合員は全員そういう思想の持ち主なんか?それとも組合の中の有志による活動なんか?さっぱりわからん。オレにそんなことせい言われたら、断るな。思想が違うもん」との問いかけがありました。

このブログは組合活動を身近に感じてもらうことも一つの目的として続けています。そのため、ルワンダの話がメインでしたが、取り組んだばかりの原子力空母の問題も少しだけ触れさせていただきました。横須賀の集会へは組合役員に限らず、複数の組合員の皆さんも参加しました。組合ニュースなどによる呼びかけに応えた自主的な結集でした。

総論で反戦平和は誰もが望むことですが、憲法改正や安全保障の問題など各論に対する考え方は個々人で枝分かれしていくものと思っています。したがって、平和に向けた私どもの組合方針についても、組合員の中で様々な受けとめ方がある現状を強く意識しています。Kさんと同じような考え方を持つ組合員は決して少数ではないものと思っています。

それでも毎年、平和運動に関わる方針も議案として諮り、組織的な手続きを経て確認している内容です。とは言え、一つ一つの課題に対し、常に踏み込んだ議論が尽くされている訳ではありません。トータルな観点で組合方針が承認されているのであって、細分化したテーマ別に賛否を問いかけた場合、それこそ結果は枝分かれしていくのかも知れません。

一方で、「もっともっと昔のように反戦平和運動に力を注ぐべき」との声が組合内にあることも確かです。しかし、それらの運動を推し進める際、組合員の皆さんらとの共感の輪が広がらない限り、大きな溝を残していくものと思っています。要するに「自分たちの組合費が、望まない運動に使われている」との見られ方が深まることを懸念しています。

さらに「原子力空母の母港化に反対しよう!」という結論の押し付け的なスローガンではなく、「なぜ、反対なのか」という丁寧な伝え方や議論が非常に大切なことだと思っています。その意味で、相互に意見交換もはかれるブログは貴重な場だと考えてきました。このような趣旨を踏まえ、これまで「平和な社会を築くために組合も」や「ブログ開設から一年、されど靖国神社」などの記事を投稿してきました。

Kさんからの端的な問いかけを受け、改めて当ブログの位置付けや目的などを書かせていただきました。付け加えて、公務員をとりまく情勢が厳しい中、平和運動に力を注ぐ余裕がない現状も認識しています。言うまでもなく、労働組合の役割として職場課題が最も重要であり、今後も活動の主客は充分わきまえていかなければなりません。

続いて「原子力空母やから、あかんのか、米軍やから、あかんのか、自衛隊も含めそういうもんが嫌いなんか」とKさんからの問いかけがありました。ストレートな質問に対して若干抽象的な答えで恐縮ですが、武力によって平和な社会は築けないものと考えています。国連憲章前文や日本国憲法に掲げられている平和理念が、国際社会で普遍化されていくことを理想視しています。

しかし、残念ながら理想とは縁遠い現実も理解しているつもりです。また、災害救助などで活躍している自衛隊に対し、国民の中での評価が安定してきている現状も受けとめています。このような点を踏まえ、Kさんの単刀直入な問いかけに対し、簡単にYESかNOかで答えづらいのが正直なところでした。

その中で、原子力空母の横須賀への母港化は反対であると歯切れ良く訴えることができます。7月19日の横須賀集会には1万5千人ほど集まりました。やはり各論を問えば一人ひとりの思いは枝分かれするのでしょうが、原子力空母の危険性を憂慮する立場は共通であったはずです。

通常型空母キティホークの後継として、配備が予定されている原子力空母ジョージ・ワシントンは熱出力60万kwの原子炉を2つ積み込んでいます。中規模の原子力発電所に相当していますが、その安全面は日本政府が関与できない闇の中です。万が一、横須賀基地に停泊中、メルトダウンを起こした場合、放射能汚染による犠牲者は120万人に及ぶ予測が示されています。

そのジョージ・ワシントンは5月下旬、南米沖の太平洋上を航行中、艦内火災を起こしました。8月19日に横須賀基地への配備が予定されていましたが、現在、カリフォルニア州サンディエゴで火災事故の修理中です。修理は8月末までかかり、艦載機訓練などの準備を経てから日本に向かうため、横須賀基地への配備は9月末頃となる見通しです。

最後に、昨日明らかになった原子力潜水艦の放射能漏れ事故のニュースを紹介します。このように事故の危険性が常につきまとう問題性と合わせ、外務省の隠蔽体質とアメリカに対して言うべきことを言えない姿勢が浮き彫りとなるニュースでした。

外務省は2日、長崎県の佐世保基地に寄港した米海軍の原子力潜水艦「ヒューストン」が微量の放射能漏れを起こしていたことについて、米国政府から1日午後に連絡があったと発表した。長崎県と佐世保市、沖縄県への日本政府からの通報は2日午前と遅れた。

これに関し、町村信孝官房長官は同日の記者会見で「外務省はすぐに官邸に報告したり、公表すべきだった」と述べ、外務省の対応に苦言を呈した。同省は「放射能漏れは微量で、影響はないと判断した」と説明。また、直ちに米国に抗議したり、再発防止を要請したりする考えはないとしている。【時事通信社2008年8月2日】

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