あるチラシへの苦言
木曜と金曜、千葉市で自治労定期大会が開かれました。私自身は鹿児島大会以来、3年ぶりの参加でした。今回は中間年の大会であり、本格的な方針確立や役員改選は来年に送られています。その中で、都市交と全水道との3産別統合に際した名称の問題などをめぐり、熱い議論が交わされました。
自治労大会の報告は別な機会に譲り、今回、あるチラシの内容に関して触れさせていただきます。自治労大会の初日、会場入口前で配られていた「組合4役は不当処分を撤回しろ!」と書かれていたものです。このブログは自治労の関係者が多数読まれているようですので、今回の題材となるチラシそのものを目にされた方も多いのではないでしょうか。
当然、問題となるチラシを手にしていない方々が圧倒的に多いはずですので、当ブログを訪れてくださった皆さん一人ひとりにご理解いただける内容を書き込むつもりです。要するに一般論の話として、淡々と自分なりの問題意識を述べさせていただきます。なお、私どもの組合員の皆さんに対しては、4日に開く職場委員会で詳しい経過や今後の対応を報告する運びとなっています。
さて、一般論の話と前置きしました。一般論とは、電子辞書で「ある特定の事柄を考慮しないで、物事を概括的に扱う議論」と記されています。つまり固有名詞を前提にした内輪の話とせず、私の訴えたい点が不特定多数の皆さんに分かっていただける内容を綴る意味合いで申し上げています。とは言え、どのような内容のチラシなのか、ある程度説明しなければ何を問題にしているのか、うまく伝わらない心配もあります。
したがって、まずチラシの内容を簡単に説明させていただきます。もうお気付きだと思いますが、見出しに書かれた「組合4役」の一人が私であり、「撤回しろ!」と叫んでいるのは私どもの組合の女性執行委員の一人です。B4判3頁にわたるチラシは、その執行委員が発行したニュース仕立てで、本文すべてが彼女の主張で埋め尽くされていました。
私が、自治労大会の会場や職場でビラを配ったことを「問題」などといい、それを理由にして自治労大会などへの参加を「凍結する」すなわち「禁止する」というのです。こんな弾圧は絶対許せません。ビラまきをしたことが問題など、あきれてしまいます。連合路線のもとで完全に破産(原文のまま引用)してきた組合4役を批判しただけで、なぜ活動制限になるのですか。
チラシの冒頭に書かれていた彼女の言い分です。この文章だけ読めば、私自身も「何て抑圧的な組合4役だろう」と感じてしまいます。個々人の思想や言論の自由は守られるのが当たり前であり、個人の立場と組織の一員の立場をわきまえる限り、自分の所属する組織を批判することも状況に応じ、やむを得ないものと思っています。
ちなみに私どもの組合は伝統的に幅広いスタンスの方々が役員を担っています。政治的な方針が明らかに異なる場合でも、組合員の労働条件の維持向上という根幹となる活動では足並みを揃えてきました。時には激しい議論も交わしますが、敵対視するほどの関係とはならず、おおらかな組織の部類に位置付けられてきました。
私自身、そのような伝統を好ましく感じ、至極当然のことだと受けとめています。本来の組合の役割を考えた場合、政治的な立場は横に置き、組合役員としての職責を果たせるかどうかが大きなポイントだろうと考えています。その上で、問題視しているチラシを作った彼女の確固たる信念の政治的な立場は元々承知していました。
3年前、彼女が執行委員に初めて立候補する際、個人的な政治活動と組合活動との峻別の必要性を率直に話し合いました。執行委員に選任された後、彼女は日常的な組合活動を責任持って担い、その面での信頼感は高まっていました。一方、彼女が支持する団体の集会や署名などの取り組みについて、たびたび執行委員会に提案してきましたが、その都度、議論した上で却下されていました。
話を核心部分に戻しますが、彼女は自治労本部や組合4役を批判した「ビラまき」を理由に処分されたと訴えています。この主張は事実をねじ曲げ、まったく身勝手な言い分でした。個人的な政治活動と組合活動との峻別の一つとして、組合出張中に他団体のビラまきは問題であることを彼女も理解していました。それにもかかわらず、昨年の岩手大会では、その約束を守ることができませんでした。
さらに最近、組合役員の立場を利用し、外部の団体が発行したチラシを職場へ配布するなど、個人的な政治活動と組合活動を峻別できない彼女の行動が立て続きました。このような経緯があったため、貴重な組合費を使い、単組の代表として派遣する自治労大会などへ彼女を出張させることは不適切であると執行委員会で確認していました。
自分自身の非は意図的に隠し、事実と異なる主張のチラシを自治労大会で配る、信じられない行為でした。一時は信頼関係を築いていたものと思っていましたので、掌を返した彼女の行動は本当に悲しく、たいへん残念な話です。日頃から厳しい批判も真摯に受けとめていくよう心がけています。しかし、事実に基づかない捏造した批判は議論につながりません。相手を憤らせ、対立する溝を深めるものに過ぎません。
一般論の話と述べながらも、長々と身内の恥や内輪もめの様子をインターネット上に発信してしまいました。最後に一言、彼女の行動を反面教師として思い起こしたことがあります。どのように素晴らしい主張を行なったとしても、そこに意図的な偽りや誹謗中傷が含まれていた場合、誰の心にも響かなくなることを改めて肝に銘じています。特に当ブログを続けていく上で、大事な教訓だろうと思っています。
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