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2008年7月13日 (日)

是々非々の議論

社会保険庁の話題に触れると批判的なコメントが殺到すると考えていたのは意識過剰だったようです。その話題に触れた前回記事「過ちとその処分のあり方」に対しては、これまでにshimaさん、エニグマさん、懲戒免職さんからそれぞれの視点からのご意見が寄せられました。常連のお二人からは立場の違いから対照的な内容でしたが、いつも貴重なコメントをいただき、励まされたり、身を引き締めたりする機会となっています。

初めて(初めてではないのかも知れませんが?)コメントを頂戴した懲戒免職さんのご意見は、社保庁職員への悪感情が前面に出た辛辣なものでした。その怒りの矛先は「身びいき」的な記事を書いた私へも突きつけられていました。ちなみに先週開かれた自民党の厚労部会でも「有期雇用など認められない」とし、処分職員は一切採用しないよう当初案の修正を求める声が相次いだようです。

「社保庁に甘い案を作ったら、自民党は何をしているんだと国民に言われる。選挙にマイナスだ」と会議に出席した若手議員の言葉が象徴していますが、やはり理屈ではなく感情論が先走っていると言わざるを得ません。自民党が気にしている国民の声として、懲戒免職さんのようなご意見が符号し、その声は確かに多数を占めている現状なのだろうと思っています。

前回記事の最後でも述べたとおり社保庁の話題は火中の栗を拾うような側面があることを認識しています。しかし、あえて処分のあり方に絞って、自分自身が抱いていた懸念点を訴えさせていただきました。それに対し、懲戒免職さんのコメントで「あなたに欠けているのは是々非々の議論が出来ないことですよ」と決めつけられました。「いくら批判を真摯に受け止めても懲りないというか甚だ呆れる次第です」との指摘も受けました。

まず是々非々の議論ですが、これまで当ブログを通し、「非」を身勝手な解釈で「是」と論じてきたことは一度もありません。「是は是、非は非」として議論していくのは当たり前な話です。前回の記事をもって、社保庁の不祥事の数々を甘く見ているように受けとめられるのは本意ではありません。なお、社保庁の問題は「年金記録問題と労組の責任」などの記事で自分自身の思いを綴ってきました。

例えば2年前の記事「飲酒運転の撲滅へ」の時も同様でしたが、各論への評価に対して個々の視点や立場によって大きく意見が分かれがちでした。誰もが共通する総論は「飲酒運転は絶対許さない」であり、私自身もそのような主張を一貫して繰り返しました。その上で、一律懲戒免職の処分基準を定めていく動きに危うさを訴えさせていただきました。

お時間がある方は、上記記事から続くバックナンバーのコメント欄で交わされた議論をお読みいただければ幸です。何が論点だったのか、ご理解いただけるものと思います。このように私自身が考えている「是々非々」が常にあります。一方で、自分が信じた「是」が絶対正しいのか、相反するお考えに接することによって自問自答する謙虚さを忘れないように心がけています。

要するに「是」だと確信している事象も、多面的な見方や新たな情報が加わることによって「非」だったと考え直す場合もあり得ます。その逆に「非」だと思っていたものが「是」だったようなケースもあり得るのではないでしょうか。つまり「是々非々」も個々の価値観で左右される場合があり、自らの価値観の範囲外にあるから「是々非々の議論が出来ない」と突き放されてしまうのは非常に残念な話でした。

さらに懲戒免職さんは「組合が組織的に税金にたかっていた事実としては大分の教職員組合が化けの皮を剥がしました」とコメントされていました。大分県で発覚した教員採用や昇進を巡る汚職事件は言語道断な「非」であることに間違いありません。当然、この汚職事件に教職員組合も関わっていた場合、絶対許されない「非」であることは言うまでもありません。

同じ公務員組合だからという理由で、そのような不正行為を見過ごすと思われていたら極めて心外です。これまでも「岐阜県の裏金作りと自治労不祥事問題」などの記事で訴えてきましたが、「非は非」として批判しながら必ず他山の石とするように努めてきました。その一方で、「自治労の闇、自治労本部の見解」のように事実関係に疑義があった月刊誌の記事に対しては異論を加えてきたこともありました。

「批判を真摯に受け止めても懲りない」との指摘ですが、このブログを続けていることによって公務員への手厳しい視線を痛いほど感じることができています。また、このような記事を書くと厳しい批判にさらされるだろうと見込めますので、公務員以外の方々から批判を受けない内容でまとめ上げることも可能です。しかし、それでは「公務員のためいき」を始めた「主張すべきことは主張する」とした目的の一つから外れてしまいます。

したがって、「懲りない」と非難されようとも自分自身の「是々非々」を貫いてきました。私が発する「是」に対し、反論があるのは当たり前だと思っています。それほど公務員と民間の皆さんとの残念な「壁」が築かれてしまっているからです。その中で、私の「是」に対して「なるほど」と感じていただける方が、一人でも多くなることを願いながら今後も続けていくつもりです。

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コメント

おはようございます。

あらためてOTSUさんの揺ぎ無い覚悟というか思いの深さといったものに感銘いたしました。

対立するものも真摯に受け止め、誠実に対応する姿勢は組合役員とか公務員とかいう立場からだけではなく、一個人、人格として尊敬できます。

これからも頑張ってください。

投稿: shima | 2008年7月14日 (月) 08時14分

shimaさん、コメントありがとうございました。そのように評価されると少々照れくさく、たいへん恐縮しています。

実は土曜夜に懲戒免職さんからのコメントをいただき、予定していた内容と異なる記事投稿となりました。そのコメントの言葉へ敏感に反応した結果であり、ある意味で私自身も感情を表に出した文章を書いてしまったようです。それでも日頃から思っていることを表明する機会になったことも確かでした。

いずれにしてもshimaさんのようなコメントをいただけると元気がわいてきます。ぜひ、これからもよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2008年7月14日 (月) 21時18分

火中の栗を厭わず自分の思いを表現するのには勇気がいることです。
特にある事柄について少数派の意見で、ある種の人々の反発を買うことに関しては誰しも慎重にならざるを得ない部分があると思います。
私などは子供の権利条例について賛同しかねる部分があります。児童虐待やいじめの問題があるから、問題児童の正常な指導も人権侵害にあたるのであれば、親と子、教師と生徒の対立の構図を作ることにならないのでしょうか。現場の先生は学級崩壊の中で子供に注意するとモンスターペアレントの突き上げで意欲を無くす事例が多々報告されていますが、その風潮に輪をかけた条例制定を推進するのは真面目な親や先生を苦しめることになりませんでしょうか。
組合内部でこういう意見は少数であっても、根本議論でやるならそこまでの議論をする人間も必要だと思います。
話が大幅に脱線してすみません。

投稿: かでる | 2008年7月16日 (水) 01時13分

かでるさん、おはようございます。
その通りだと思います。批判や反発を恐れず、多様な意見を示すのは勇気も必要ですが、とても重要なことだと考えています。また、それを当たり前なこととして、少数意見を率直な議論の対象とする組織運営も、たいへん大事なことだと思っています。

投稿: OTSU | 2008年7月16日 (水) 06時44分

ここに書くのが適切なのかどうかもわからないのですが、他の組合員の方に尋ねるよりもOTSUさんだったらきちんとした回答をいただけると思い、書かせてもらいました。
かねてよりの疑問です。
どうして公務員に組合が必要なのでしょうか。組合費等の徴収を一切無しで勝手にやってますというのであれば結構ですが、無関心な人からもお金を半ば強制的に徴収して組合活動を行っていることは理解できません。
民間企業に勤務する友人からは「この休みは組合が勝ち取った休日なんだよ」という話を聞いたことがあり、ああそういうこともあるのだなと納得した記憶があります。公務員にそんなことが一度でもありましたか?
自治労の存在意義について、お尋ねしたいと思います。(と、このような質問をする私自身、普段は無関心で組合の存在に対して賛成でも反対でもない人間ではありますが)

投稿: イチ公務員 | 2008年7月19日 (土) 16時16分

イチ公務員さん、おはようございます。ご期待に応えられるかどうか分かりませんが、私なりの考え方をお答えさせていただきます。

「人事院勧告があるのだから組合がなくても良いのでは」との声が時折り寄せられます。最近の記事「公務員賃金の決められ方」でも触れましたが、勧告そのものが凍結や値切られていたのを自治労らが政府や人事院と交渉を行なうことで完全実施を基本へと転換させてきました。

また、人事委員会を持たない市町村にとって、労使交渉がなければ国で定めた休暇も即適用されない場合もあります。最近では子どもの看護休暇などの例が思い浮かびます。人勧の内容を準用という幅がある中、その逆もあり、「この休みは組合が勝ち取った休日なんだよ」という言葉は公務員組合にも当てはまる点をご理解ください。

そして、私自身が長く組合役員を務めてきて、労働条件を決める際の労使対等原則の重要さを何よりも感じ取っています。理事者や管理職の目線だけで物事が判断された場合、職員に過剰な負担や理不尽な職務命令が発せられる可能性も否定できません。一職員の立場は弱くても、職員一人ひとりが組合へ結集することによって、職員側の言い分を対等な立場で理事者らへ伝えることができます。この点が最も大事な組合の役割だと思っています。

さらに一組合では政府と直接交渉できませんが、多くの組合が自治労へ結集することによって、総務省らとも話し合うことができるようになります。一組合では到底解決できない社会的政策的な課題の改善を求める役割が自治労の大きな存在意義だと受けとめています。

このような内容について、2005年11月に「組織の力、大事な力」という記事をPart2まで書き込んでいます。その他、当ブログを開設した当初、組合の大切さについて様々な記事を綴ってきました。ぜひ、お時間がある時、合わせてバックナンバーをご覧いただければ幸です。

最後に一言。組合は組合役員のものではありません。イチ公務員さんらも含めた組合員一人ひとりのものです。その機能を活かすも殺すも組合員一人ひとりの意思ということになります。今後、少しでも組合への関心を高めていただければ本当に喜ばしいことですので、また何か疑問点等がありましたら気軽にコメントをお寄せください。

投稿: OTSU | 2008年7月20日 (日) 09時43分

というよりも、どこの社会でも組合に限らず、自分達自身で声を上げ、行動していかないと、自分達の権利や利益は守れませんよ。

現実にも、政治的に何もしない人達や政治力の弱い人達は多くの局面で無視され、何かと不利な扱いを受けている訳です。利害を調整する際には、何をされても従順な人達はあまり考慮する必要が無いのですから。

だから、どんな業界でも団体を作って、政治力を発揮している訳です。弁護士会、医師会等々、強力なっ政治力を発揮する職能団体は数多ありますし、経済界だって業界団体を作る訳です。

「お上に任せておけば、よきに計らって貰える」というのは、古臭い時代劇のように、現実に沿ってない感覚だと思います。ある意味で、公務員らしい感覚なのかもしれませんが。

投稿: Thor | 2008年7月20日 (日) 13時52分

Thorさん、ご訪問ありがとうございます。
声を上げ、行動していく大切さ、その通りだと思います。
なお、組合の役割を評価したコメントだと受けとめさせていただいています。

投稿: OTSU | 2008年7月20日 (日) 16時07分

社保庁のヤミ専従の件についてブログ主の考えをお聞かせ願いたいのですが。
大分県教育委員会の不祥事の陰に隠れてマスコミの取り扱いも小さいのですが、先週末は連日朝ズバで取り上げていましたね。
日経の囲みも偶然か社保庁の出直しについてのものでした。

社保庁のヤミ専従に関しては、社保庁ヤミ専従問題対策プロジェクトチーム座長の葉梨康弘衆院議員が朝ズバで税金泥棒呼ばわりしていましたが、これについて社保庁自体からの説明なり処分なりも無いようです。

また、日経では新任のキャリア所長に対して労組が「帰れ」と連呼し、その後に問題になった覚書を結んでいたという、信じられないような、初耳の事例も取り上げています。
また、広島での年金相談業務の市場化テストについて、それなりの成果が出たようですが社保庁はその成果を生かす計画は無いとのことです。

つまりは日本年金機構など看板の架け替えであって何も変えたくないというのが労組をはじめとした非キャリアの本音としか思えません。
ヤミ専従については現職の労組委員長が認めて辞任したにも関わらず、該当職員の処分や今後の対策も棚上げのままで、組織として機能停止状態です。
ここまで酷いのに、自治労は未だ擁護するのでしょうか?

投稿: 無精者 | 2008年7月21日 (月) 14時26分

無精者さん、コメントありがとうございます。
正規の手続きをせず、組合業務に専念していた件について、批判を免れない問題だと思っています。対象となった職員は皆処分を受け、給料の返還も行なわれました。
自治労の中で、たいへん強いと言われた社会保険庁の組合でした。その強さが結果として、労使の力関係のバランスを逸した非常に残念な教訓だと受けとめています。

投稿: OTSU | 2008年7月21日 (月) 19時06分

所謂ヤミ専従・おそらく実態としては、「公務員法に規定される交渉事項の勤務時間内における合法的な事前準備活動を、超法規的かつ独自の無茶な拡大解釈によって為した結果、職務専従義務の履行に疑義が生じる事態を招来した。」と言うことなのでしょうが、あくまでも当事者に対しては同情の余地は少ないと思います。
地方事務官制度及び高い職員団体の組織率の下、今日の管理職は昨日の組合員という状況の下、度を超えた(調子に乗りすぎた・悪のりのしすぎ)と言えると思います。それと「職員団体が強すぎた」と言われますが、「管理者が弱すぎて、職員団体を調子に乗せた」という視点でもって、私などはみています。
あと自治労もしくは都道府県職員労組にとって、ある意味中途半端な立ち位置にいる地方事務官のみで構成される職員団体は、闘争的役割を背負わせやすい存在だったのではないかとも思いますね、失礼ながら。人事権が国・業務指揮権が知事とねじれているので、いろいろ曖昧に決着させやすかったという意味で。
政治的には、「第2の国労」的な見方を向けられているのかもしれないですね、当該の職員団体は。

ところで、社会保険庁全体が機能不全に陥っているように見えますね。
何より政治家レベルの動きが決着して、方針が確定しない限り組織変更や業務改革がそもそも着手出来ないのも事実でしょうし。何かやり始めて政治家の意向が変化すればやり直しですから時間と経費の無駄につながりますし、目の前の刻々と変化する政治案件に手一杯なのかもしれません。
怠けているとの解釈もあり得るでしょうが、まだ年金特別便の混雑が本格化する前の時点で、外形的に労災認定における過労死認定基準を十分満たしているような勤務状況の職員氏が現場第一線の事務所職員全体の数割程度いるらしいと聞けば、報道されているほどには怠惰な現状でも無いようですし。

世間の注目を集めている年金機構の問題よりも、発足まで残り2ヶ月に迫った健保協会の立ち上げと円滑な業務の移行が上手くいくかどうかが激しく懸念されます。民間採用枠が定数を満たしていないとも聞き及びますし。
そのような訳で今は年金事務の執行体制の変更や事務処理手順の変更より優先して、何よりも健保協会の分離・発足とその後の協会と社保庁の連携・システム面の整備などを為さないと、今年10月以降の健保事務(今の呼称で言うところの政管健保事務)がまともに機能するのかどうか危うい状況にあるというか。外野の勝手な考えですが。

今の組織の実情を鑑みると業務体制の再構築に費やすリソースがそもそも無いようにも思われ、何とも難しい話だと感じます。公務員定数削減の折、人員を一時的にせよ増やすのは難しいようですし、欠員も多数のうえ補充のために募集しても来てくれる人がいないらしいですし(まあ現状を見れば当然でしょうが。)。

投稿: あっしまった! | 2008年7月23日 (水) 12時35分

あっしまった!さん、コメントありがとうございます。
与党政治家が参院選惨敗の感情論を引きずり、冷静な判断や分析ができていないように思えます。確かに年金機構ばかり注目され、社会保険庁全体の業務の行方に私も不安を感じています。

投稿: OTSU | 2008年7月23日 (水) 20時56分

管理人様 宛

例によって脱線ネタで恐縮です。社保庁と直接の関係が皆無の管理人様宛に書くのも筋が違うように思いますが、社保庁の問題についてこのように感じている者も存在するという事で、書かせていただきました。m(__)m

特別便関係及び年金機構並びに職員移行問題ばかりが注目されている現状、政管健保から協会けんぽへの移行は後期高齢者医療制度のように新制度の創設を伴わない分、楽観視されているのではないか?とみています。
あるいは政治家の意志決定に右往左往して、健保部門移行問題に十分労力を割けないのかもしれません。何せ議院内閣制における行政組織は本質的に政治家の意向が固まらないと何も出来ないですから。このままでは移行時に(どの程度かは別として)混乱が生じることは必然と思います。そして、おそらく現場の不手際の責任とされる可能性が高いと思います。

従来、法律の適用事務と徴収事務を事実上一体処理されていた政管健保と厚生年金の片方を無理矢理分割したために、健保固有の業務だった保険給付部門は協会に切り離しましたが、任意継続被保険者分をのぞいて適用関係の届書は社保事務所を経由し徴収事務は社保事務所において厚生年金保険料と同時に徴収される事になっています。
このような中途半端な組織の分離は、書類や情報の流れを複雑化し、届け書によって提出先が異なったり、被保険者種別によって相対する組織が異なったりすることになり、特に移行当初は混乱が生じること必定と思えます。もっとも徴収部門も完全に分割したら、人件費などの部分で肥大化するだけに終わるので、完全な分割は無駄や非効率を生じさせるという考え方も一理あるのですが。

あるべき制度論、あるいは現行制度を前提にしたあるべき組織論を脇に置いて、執行組織の質の問題のみが政権闘争というか政治的思惑の道具になされているように思えます。
もっとも社保庁の解体や現職職員の排除は世論の多数意見と目されますから、その結果生じる可能性のある如何なる不利益・不具合・混乱についても、新組織及びその構成員ではなく、斯様な世論を形成した国民全体が(国民主権の概念からしても)第一義的に負うべきものであるという事について、十分に理解と覚悟をしてもらえていればよいのですが。

投稿: あっしまった! | 2008年7月23日 (水) 22時09分

先の投稿の最後が不親切な書き方だったかと思い、念のために投稿します。

最後の「理解と覚悟をしてもらえていれば」という文言の主体は広く国民全体を指していて、そのような認識が全体としての世論という者を構成する主体で共有されていればよいのですが、そうでなければ現場第一線の執行機能は維持できるのか?どうなるのか?という第三者が勝手に抱いている危惧を背景にした一文でありました。

投稿: あっしまった! | 2008年7月23日 (水) 22時17分

あっしまった!さん、おはようございます。
いつも申し上げていますが、当該記事に関連して話題が広がっていくことを歓迎しています。思いがけない情報や「気付き」を得る機会だと考えています。したがって、あっしまった!さんのコメントは、いつも貴重なものだと感謝しています。
その意味から今回の政管健保に対する問題提起、改めて「社保庁解体」に際した様々な思いを巡らす機会となっています。

投稿: OTSU | 2008年7月24日 (木) 06時40分

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