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2008年7月27日 (日)

ルワンダの悲しみ

このところブログのタイトル通り「公務員」にかかわる話題を中心に取り上げてきました。以前から訪問いただいている方はご存知ですが、これまで平和憲法原発にかかわる内容なども投稿し、比較的幅広いテーマを扱うブログでした。それでも一つの目安として、組合が掲げている方針などを組合員の皆さんらと考えていく題材とすべきことも意識してきました。

自治労に所属している私どもの組合は「平和な社会」を築くための活動など、たいへん幅広いテーマの運動方針を掲げています。それらを取り組む趣旨については過去の記事「組合の平和運動」などで綴ってきました。ちなみに先週土曜は、1万5千人ほど集めた原子力空母横須賀母港化反対集会へも組合員の皆さんとともに参加してきました。地上にある原子力発電所より危険だと言われている原子力空母の問題は機会がありましたら報告させていただきます。

今回、やはり「公務員」の話から大きく外れた内容となりますが、アフリカの小国で本当にあった出来事について取り上げてみます。つい最近、NHK衛星第2で『ホテル・ルワンダ』が放送されました。かなり前に『ルワンダ大虐殺』という手記を読み、生々しく書かれていた凄まじい惨劇の模様に強烈な衝撃を受けていました。そのため、『ホテル・ルワンダ』は一度見てみようと考えていた映画でした。

中央アフリカ、キヴ湖の東に位置するルワンダ。遊牧民のツチ族と農耕を中心としたフツ族は、お互いの豊猟や豊作を感謝し合いながら平和に暮らしていました。それが列強諸国による植民地化が進み、その支配の都合上、民族を差異化し、対立させてきた歴史が信じられない悲劇の引き金となりました。

ツチ族とフツ族は根深い対立心を抱えながらも、同じ街で隣近所同士、表面的には平穏さを装った日常を過ごしていました。しかし、ある日を境に事態が急変しました。1994年4月、フツ族出身の大統領専用機が何者かによって撃墜されました。するとラジオから「暗殺はツチ族の仕業だ。ゴキブリどもを叩き潰せ」とのメッセージが繰り返し流され始めました。

このテロ事件を発端とし、フツ族によるツチ族の大虐殺が始まりました。フツ族の民兵組織による殺戮にとどまらず、それまで仲良く暮らしていた近隣の住人たちがゲームのような気軽な感覚でツチ族の家族らを切り刻んでいきました。7月までの100日間で100万人が、ツチ族であるというそれだけの理由で殺害されました。ツチ族の9割に及ぶ犠牲者の数でした。そして、老若男女、司祭や修道士らも含め、200万人のフツ族が虐殺に加担したと言われています。

世界で一番悲しい光景を見た青年の手記と称された『ルワンダ大虐殺』は、15歳の時、目の前で家族が殺され、片目と片腕を失い、それでも生き延びたレヴェリアン・ルラングァさんの著書です。ルワンダ大虐殺の真実を語れる貴重な証人の一人であり、2006年に本書を発表しました。レヴェリアンさんの無念さや怒りが込められた手記の一部をそのまま紹介します。

フツ族の男たちに続いて、その妻や姉妹や娘たちが番小屋にやって来た。殺戮は家族総出で行われたのだ。子供たちの目の前で、男たちが切り殺し、女たちは略奪をほしいままにした。ポケットをくまなく探って死体から金品を強奪し、ネックレスや腕時計やブレスレットを奪い、血で汚れていない靴や衣服を剥ぎ取っていく。シボマナが母に襲いかかろうとした時、そばにいた娘が叫んだ。「シモン、待って! そのスカートを汚さないで!」 シボマナはそこで立ち止まって、母を見つめながら言った。「お祈りなんか止めろ、いらいらする!」

二人の鬼婆が母に飛びかかって命令する。「服を脱ぎな!」 母はその間ずっとひざまずいてお祈りを唱え続けていた。母が女たちの言うことにすぐに従わなかったので、ある娘が母をくるくると回しながら、衣服をブラジャーに至るまで剥ぎ取ってしまった(今思い浮かべてみると、この女は、ショートパンツをはいた腰の周りに犠牲者からの戦利品―腰巻やセーターやズボン―を結び付けていて、ぶくぶくと醜く太っているように見えた)。女は母を素っ裸にしてしまったのだ。しかも笑いながら。おそらくこの女は、母を辱めようとしたのだろう。恥辱はマチューテで切られるよりもひどい傷跡を残す。あの女は決して赦すことができない。

映画『ホテル・ルワンダ』は、この大虐殺の中、1200人の命を救った「アフリカのシンドラー」とも言うべきホテルマンの物語でした。ルワンダの首都キガリにある外資系高級ホテルの支配人ポールはフツ族ですが、ツチ族の妻と結婚していました。ポールは自分の妻子や隣人たちなど数多くのツチ族をホテルに匿い、外資系ホテルという不可侵権を巧みに強調し、それまで築いてきた人脈や交渉術を駆使しながら多くの人命を守り抜きました。

この映画の中では、生々しい直接的な殺戮のシーンは抑え気味でした。それでも事前に読んでいた『ルワンダ大虐殺』からの情報と重ね合わせながら映像を目にすることによって、より深い感慨にひたった2時間となりました。「なぜ、日常が一転して非日常になってしまったのか?」「なぜ、普通の人が、突然、ここまで残虐な人間になれるのか?」

国家、民族、宗教の違いなどによって繰り返されてきた戦争や内戦、その非日常の世界で武器を持たされた人間が残虐非道な行為に手を染めてきた史実は数え切れません。ルワンダの場合、昨日まで世間話していた隣の住人を襲い、便所の穴に投げ込み、断末魔に苦しむ隣人の上で用便するような「鬼畜」になれたのか、想像を絶する話でした。

映画の中で、斧を手にした普通の市民の虐殺シーンをスクープし、全世界へ発信したカメラマンのセリフが印象に残ります。「世界はあれを見て、“怖いね”と言うだけで、あとはディナーを続けるさ」とつぶやき、援助の動きが出ないことを見通した言葉でした。実際、国連をはじめ、国際社会からツチ族への救いの手は皆無に等しい経過をたどりました。

「ああいった国では、虐殺など大した問題ではない」、フランスのミッテラン元大統領の発言が当時の国際社会の認識を表しています。ミッテラン元大統領のような認識は論外ですが、私自身、ルワンダ大虐殺に対するリアルタイムでの記憶は残っていません。ルワンダに限らず、世界各地で理不尽な悲劇が起きていますが、おおよそ身近な問題に引き付けて考えることはありません。

世界中のすべての出来事に精通し、問題意識を持たれている人の方が稀だろうと思っていますので、それほど後ろめたさは感じていません。ただ自分なりに留意していることがあります。「平和な社会」をイメージする時、日本だけ平和ならば良いとは考えていません。世界中から戦火や飢餓などによる悲劇がなくなることを願っています。ルワンダで起きたような悲しみが二度と繰り返されない世界を望んでいます。

また、戦争が起きないように努力することの大切さは言うまでもありません。一方で、横田夫妻ら拉致被害者の家族の皆さんにとって、その解決がない限り「平和」とは程遠い現状だろうと思います。以前の記事「避けて通れない拉致問題」や「拉致問題を考える」で記してきましたが、拉致問題は平和や人権を重視する運動体ならば解決に向けて全力を注ぐべき課題だと考えています。

一人でも多くの人に伝えたいと思っていたルワンダの話から少々広がり気味ですが、最後にもう一言。秋葉原八王子などで無差別殺人の被害にあった本人や家族の皆さんにとって、平和な日常から一転して理不尽な非日常に追いやられたことになります。日常から突然、非日常の凶行に走った加害者のことなど、今回の記事を書きながら様々な思いがオーバーラップしていきました。このような悲惨な事件が起こらないことも、めざすべき「平和な社会」だろうと思っています。

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コメント

毎回難しいお題やな。
今回は、公務員のネタと違うから、オレと意見が分かれるところや。
しかし反対意見も大歓迎らしいから、書いとくで。

以前書いた、オレを悩ませる「保育運動」グループも、かつて保育園で「イラク戦争展」なるものを開催していたらしい。
娘がいる保育園でそんなんされたらドン引きやで。保育とイラクは違うやろうって。
同じように、主はんの組合が”「平和な社会」を築くための活動”をやっている事にも理解が出来ひんねんな。リンクは一応読んだけどな。
組合員は全員そういう思想の持ち主なんか?それとも組合の中の有志による活動なんか?さっぱりわからん。
オレにそんなことせい言われたら、断るな。思想が違うもん。

現在の日本の平和と、神奈川に寄港しとる(予定か?)「ジョージ・ワシントン」は、少なくとも無縁ではないとオレは考える。
安保条約をどう評価するかの違いやから、意見が合う事は、ないやろけどな。

それとな、原子力空母やから、あかんのか、米軍やから、あかんのか、自衛隊も含めそういうもんが嫌いなんか、ここもうまくぼかされてる気がするで。原発より危険というだけなら、日本の飛行場にどっちゃり米軍機が駐留しとっても、OKなはずやけど、たぶん違うやろ。横須賀に自衛隊の新空母「瑞鶴」が艦載機FA18J(どっちも架空のモンやで、念のため)などをどっちゃり積んで、そこにあってもアリか?たぶんそうでもないやろ。
ルワンダの話がメインやったから、書ききれんかったんかも、知れんけど。

「平和」は皆が望むところやけど、平和の為に人間がすべき事、については、いろんな考えがあって、おそらくは「非武装中立」なんて、少数の意見にすぎひんことを、知っておいてもらいたいところや。もし多数の意見なら、非武装国家が大半を占めてもいいはずなんやけどな。

防衛に関しては無知な部分も多いんやけど、オレの平和のための願いは、「憲法改正」、「対地攻撃可能な戦力の保有」や。

日本がホンマに平和なら、戦闘機はいらんはずやけど、日本が何回領空侵犯されそうになって(あるいはされて)、何回スクランブル発進してるんかを知ると(年間200回以上、これまでに2万回以上や)、今の平和はタダで享受している訳ではないと実感するけどな。自衛隊に感謝やで(大事な公務員やし)。

思想、言論は自由やから、これは批判でなくて、反対意見に過ぎひん。ひとそれぞれやな。

投稿: K | 2008年7月27日 (日) 05時19分

Kさん、おはようございます。さっそくコメントありがとうございます。

総論で反戦平和は皆が望むことですが、憲法改正や安保の問題など各論に対する考え方は個々人で枝分かれしていくものと思っています。ご指摘のとおり平和に向けた私どもの組合方針についても、組合員の中で様々な受けとめ方がある現状を強く意識しています。それでも毎年、議案として諮り、組織的な手続きを経て確認してきた内容です。

とは言え、一つ一つの課題に対し、常に踏み込んだ議論が尽くされている訳ではありません。そのような点と合わせ、確認している方針の問題意識の共有化のためにも、このブログで様々なテーマを題材として取り上げてきた経緯があります。

また、公務員をとりまく情勢が厳しい中、そのような活動に力を注ぐ余裕がないことも確かです。私自身、労働組合の役割として職場課題が最も重要であるものと考えています。したがって、平和活動との主客は今後も充分わきまえていくつもりです。

今回、この間の流れからすると唐突に感じられるテーマを選んだのは、本文にも書いたとおりルワンダの話は「一人でも多くの人に伝えたいと思っていた」からです。NHKで『ホテル・ルワンダ』が放送されたのを機会とし、あたためてきたテーマを書かせていただきました。

ご指摘のとおり原子力空母の問題はメインではなく、前置きの一部として触れています。中途半端な取り上げ方はどうかなと少し迷いましたが、先週取り組んだばかりのホットな話題をスルーするのもためらい、今回のような触れ方になりました。

記事本文でも書きましたが、改めて機会がありましたら詳述する予定です。その際、Kさんからの貴重な問いかけに対しても、さらに私なりの考え方を補足できるような記事にしたいものと思っています。ちなみに今回いただいたコメントも多くの皆さんが疑問を持つ点に対し、すみやかに補足できる機会を得られたものと感謝しています。

投稿: OTSU | 2008年7月27日 (日) 09時01分

はじめてメールします。以前から興味深く拝見させていただいていました。自治労のことも熟知しているつもりですが、労働運動がなかなか進まないことに苛立ちを覚えます。ヨーロッパでは、労働組合がリーダーシップをとって国の政策に関与している事例もあります。
私は、その原因は、組合役員の体質にあると思います。単組の役員は懸命に取り組んでいますが、都道府県本部段階の役員はどうでしょう?ダラ幹が多すぎます。労働運動のことより、自分の出世のために懸命になっている役員が多すぎる。県本部書記長のあとは委員長、連合などの役員そして、天下り先の労金や全労済などのポスト確保。これで運動が前進するはずはありません。そもそも離籍専従なんて制度が悪の根源です。公務員制度改革で専従期間が撤廃されることを願うばかりです。腐った役員を一層することが大事だと思います。
私も自治労組合員です。

投稿: みんな仲間 | 2008年7月28日 (月) 16時19分

みんな仲間さん、はじめまして。コメントありがとうございます。
どのような組織でも「?」が付く幹部はいるものと見ています。また、離籍を決断された役員に対し、自治労が最後まで雇用保障するのを否定できません。その中で、大多数の離籍役員は全力で職責をこなしているものと思っていますが、自分の出世のために懸命になっている役員が多いようでしたら問題です。確かに休職専従期間の延長も、そのような問題があった場合の改善策の一つかも知れません。

投稿: OTSU | 2008年7月28日 (月) 21時30分

おはようございます。

はじめに自治労の平和運動、国際連帯の取り組みについてですが、私は基本的には自治労の方針を支持します。
ただし、OTSUさんも言われるように組合員のすべてが、支持しているとも考えていません。
私も個別案件ではどうしても賛同できないものもあります。
どのような組織であれ、異論、疑問はあるはずですし、総論賛成・各論反対という状況があってこそ議論が始まると考えます。
あやしげなカルト教団じゃないのですから、そちらの方が正常、健全ではないでしょうか?

それから、ダメ役員の話ですが、まったくの否定はできないし、かといって積極的に肯定もできないですね。
「役は人をつくる」といいますが、中には「役が人を駄目にする」状況も確かにありますよ。
一所懸命にやっていても、長くその立場にいると周りが「現場」が、見えてこなくなり「運動論」だけで動くようになってしまっている方々もおられます。
そのような方々には機関会議などを通して、きちんと姿勢を正してもらうため、言い難いこともはっきり伝える必要があるでしょうね。

投稿: shima | 2008年7月29日 (火) 08時26分

shimaさん、コメントありがとうございます。
基本的な問題意識や物事のとらえ方についてshimaさんと共通するものが多く、いつも心強く感じています。
また、常に組合運動も「運動対効果」の検証が必要であり、「運動論」が先にあるようでは問題だろうと考えています。ご指摘のように現場に近い単組役員が率直な声を上げていく大切さ、本当にその通りだと思っています。

投稿: OTSU | 2008年7月29日 (火) 21時28分

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