ルワンダの悲しみ
このところブログのタイトル通り「公務員」にかかわる話題を中心に取り上げてきました。以前から訪問いただいている方はご存知ですが、これまで平和憲法や原発にかかわる内容なども投稿し、比較的幅広いテーマを扱うブログでした。それでも一つの目安として、組合が掲げている方針などを組合員の皆さんらと考えていく題材とすべきことも意識してきました。
自治労に所属している私どもの組合は「平和な社会」を築くための活動など、たいへん幅広いテーマの運動方針を掲げています。それらを取り組む趣旨については過去の記事「組合の平和運動」などで綴ってきました。ちなみに先週土曜は、1万5千人ほど集めた原子力空母横須賀母港化反対集会へも組合員の皆さんとともに参加してきました。地上にある原子力発電所より危険だと言われている原子力空母の問題は機会がありましたら報告させていただきます。
今回、やはり「公務員」の話から大きく外れた内容となりますが、アフリカの小国で本当にあった出来事について取り上げてみます。つい最近、NHK衛星第2で『ホテル・ルワンダ』が放送されました。かなり前に『ルワンダ大虐殺』という手記を読み、生々しく書かれていた凄まじい惨劇の模様に強烈な衝撃を受けていました。そのため、『ホテル・ルワンダ』は一度見てみようと考えていた映画でした。
中央アフリカ、キヴ湖の東に位置するルワンダ。遊牧民のツチ族と農耕を中心としたフツ族は、お互いの豊猟や豊作を感謝し合いながら平和に暮らしていました。それが列強諸国による植民地化が進み、その支配の都合上、民族を差異化し、対立させてきた歴史が信じられない悲劇の引き金となりました。
ツチ族とフツ族は根深い対立心を抱えながらも、同じ街で隣近所同士、表面的には平穏さを装った日常を過ごしていました。しかし、ある日を境に事態が急変しました。1994年4月、フツ族出身の大統領専用機が何者かによって撃墜されました。するとラジオから「暗殺はツチ族の仕業だ。ゴキブリどもを叩き潰せ」とのメッセージが繰り返し流され始めました。
このテロ事件を発端とし、フツ族によるツチ族の大虐殺が始まりました。フツ族の民兵組織による殺戮にとどまらず、それまで仲良く暮らしていた近隣の住人たちがゲームのような気軽な感覚でツチ族の家族らを切り刻んでいきました。7月までの100日間で100万人が、ツチ族であるというそれだけの理由で殺害されました。ツチ族の9割に及ぶ犠牲者の数でした。そして、老若男女、司祭や修道士らも含め、200万人のフツ族が虐殺に加担したと言われています。
世界で一番悲しい光景を見た青年の手記と称された『ルワンダ大虐殺』は、15歳の時、目の前で家族が殺され、片目と片腕を失い、それでも生き延びたレヴェリアン・ルラングァさんの著書です。ルワンダ大虐殺の真実を語れる貴重な証人の一人であり、2006年に本書を発表しました。レヴェリアンさんの無念さや怒りが込められた手記の一部をそのまま紹介します。
フツ族の男たちに続いて、その妻や姉妹や娘たちが番小屋にやって来た。殺戮は家族総出で行われたのだ。子供たちの目の前で、男たちが切り殺し、女たちは略奪をほしいままにした。ポケットをくまなく探って死体から金品を強奪し、ネックレスや腕時計やブレスレットを奪い、血で汚れていない靴や衣服を剥ぎ取っていく。シボマナが母に襲いかかろうとした時、そばにいた娘が叫んだ。「シモン、待って! そのスカートを汚さないで!」 シボマナはそこで立ち止まって、母を見つめながら言った。「お祈りなんか止めろ、いらいらする!」
二人の鬼婆が母に飛びかかって命令する。「服を脱ぎな!」 母はその間ずっとひざまずいてお祈りを唱え続けていた。母が女たちの言うことにすぐに従わなかったので、ある娘が母をくるくると回しながら、衣服をブラジャーに至るまで剥ぎ取ってしまった(今思い浮かべてみると、この女は、ショートパンツをはいた腰の周りに犠牲者からの戦利品―腰巻やセーターやズボン―を結び付けていて、ぶくぶくと醜く太っているように見えた)。女は母を素っ裸にしてしまったのだ。しかも笑いながら。おそらくこの女は、母を辱めようとしたのだろう。恥辱はマチューテで切られるよりもひどい傷跡を残す。あの女は決して赦すことができない。
映画『ホテル・ルワンダ』は、この大虐殺の中、1200人の命を救った「アフリカのシンドラー」とも言うべきホテルマンの物語でした。ルワンダの首都キガリにある外資系高級ホテルの支配人ポールはフツ族ですが、ツチ族の妻と結婚していました。ポールは自分の妻子や隣人たちなど数多くのツチ族をホテルに匿い、外資系ホテルという不可侵権を巧みに強調し、それまで築いてきた人脈や交渉術を駆使しながら多くの人命を守り抜きました。
この映画の中では、生々しい直接的な殺戮のシーンは抑え気味でした。それでも事前に読んでいた『ルワンダ大虐殺』からの情報と重ね合わせながら映像を目にすることによって、より深い感慨にひたった2時間となりました。「なぜ、日常が一転して非日常になってしまったのか?」「なぜ、普通の人が、突然、ここまで残虐な人間になれるのか?」
国家、民族、宗教の違いなどによって繰り返されてきた戦争や内戦、その非日常の世界で武器を持たされた人間が残虐非道な行為に手を染めてきた史実は数え切れません。ルワンダの場合、昨日まで世間話していた隣の住人を襲い、便所の穴に投げ込み、断末魔に苦しむ隣人の上で用便するような「鬼畜」になれたのか、想像を絶する話でした。
映画の中で、斧を手にした普通の市民の虐殺シーンをスクープし、全世界へ発信したカメラマンのセリフが印象に残ります。「世界はあれを見て、“怖いね”と言うだけで、あとはディナーを続けるさ」とつぶやき、援助の動きが出ないことを見通した言葉でした。実際、国連をはじめ、国際社会からツチ族への救いの手は皆無に等しい経過をたどりました。
「ああいった国では、虐殺など大した問題ではない」、フランスのミッテラン元大統領の発言が当時の国際社会の認識を表しています。ミッテラン元大統領のような認識は論外ですが、私自身、ルワンダ大虐殺に対するリアルタイムでの記憶は残っていません。ルワンダに限らず、世界各地で理不尽な悲劇が起きていますが、おおよそ身近な問題に引き付けて考えることはありません。
世界中のすべての出来事に精通し、問題意識を持たれている人の方が稀だろうと思っていますので、それほど後ろめたさは感じていません。ただ自分なりに留意していることがあります。「平和な社会」をイメージする時、日本だけ平和ならば良いとは考えていません。世界中から戦火や飢餓などによる悲劇がなくなることを願っています。ルワンダで起きたような悲しみが二度と繰り返されない世界を望んでいます。
また、戦争が起きないように努力することの大切さは言うまでもありません。一方で、横田夫妻ら拉致被害者の家族の皆さんにとって、その解決がない限り「平和」とは程遠い現状だろうと思います。以前の記事「避けて通れない拉致問題」や「拉致問題を考える」で記してきましたが、拉致問題は平和や人権を重視する運動体ならば解決に向けて全力を注ぐべき課題だと考えています。
一人でも多くの人に伝えたいと思っていたルワンダの話から少々広がり気味ですが、最後にもう一言。秋葉原や八王子などで無差別殺人の被害にあった本人や家族の皆さんにとって、平和な日常から一転して理不尽な非日常に追いやられたことになります。日常から突然、非日常の凶行に走った加害者のことなど、今回の記事を書きながら様々な思いがオーバーラップしていきました。このような悲惨な事件が起こらないことも、めざすべき「平和な社会」だろうと思っています。
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