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2008年7月27日 (日)

ルワンダの悲しみ

このところブログのタイトル通り「公務員」にかかわる話題を中心に取り上げてきました。以前から訪問いただいている方はご存知ですが、これまで平和憲法原発にかかわる内容なども投稿し、比較的幅広いテーマを扱うブログでした。それでも一つの目安として、組合が掲げている方針などを組合員の皆さんらと考えていく題材とすべきことも意識してきました。

自治労に所属している私どもの組合は「平和な社会」を築くための活動など、たいへん幅広いテーマの運動方針を掲げています。それらを取り組む趣旨については過去の記事「組合の平和運動」などで綴ってきました。ちなみに先週土曜は、1万5千人ほど集めた原子力空母横須賀母港化反対集会へも組合員の皆さんとともに参加してきました。地上にある原子力発電所より危険だと言われている原子力空母の問題は機会がありましたら報告させていただきます。

今回、やはり「公務員」の話から大きく外れた内容となりますが、アフリカの小国で本当にあった出来事について取り上げてみます。つい最近、NHK衛星第2で『ホテル・ルワンダ』が放送されました。かなり前に『ルワンダ大虐殺』という手記を読み、生々しく書かれていた凄まじい惨劇の模様に強烈な衝撃を受けていました。そのため、『ホテル・ルワンダ』は一度見てみようと考えていた映画でした。

中央アフリカ、キヴ湖の東に位置するルワンダ。遊牧民のツチ族と農耕を中心としたフツ族は、お互いの豊猟や豊作を感謝し合いながら平和に暮らしていました。それが列強諸国による植民地化が進み、その支配の都合上、民族を差異化し、対立させてきた歴史が信じられない悲劇の引き金となりました。

ツチ族とフツ族は根深い対立心を抱えながらも、同じ街で隣近所同士、表面的には平穏さを装った日常を過ごしていました。しかし、ある日を境に事態が急変しました。1994年4月、フツ族出身の大統領専用機が何者かによって撃墜されました。するとラジオから「暗殺はツチ族の仕業だ。ゴキブリどもを叩き潰せ」とのメッセージが繰り返し流され始めました。

このテロ事件を発端とし、フツ族によるツチ族の大虐殺が始まりました。フツ族の民兵組織による殺戮にとどまらず、それまで仲良く暮らしていた近隣の住人たちがゲームのような気軽な感覚でツチ族の家族らを切り刻んでいきました。7月までの100日間で100万人が、ツチ族であるというそれだけの理由で殺害されました。ツチ族の9割に及ぶ犠牲者の数でした。そして、老若男女、司祭や修道士らも含め、200万人のフツ族が虐殺に加担したと言われています。

世界で一番悲しい光景を見た青年の手記と称された『ルワンダ大虐殺』は、15歳の時、目の前で家族が殺され、片目と片腕を失い、それでも生き延びたレヴェリアン・ルラングァさんの著書です。ルワンダ大虐殺の真実を語れる貴重な証人の一人であり、2006年に本書を発表しました。レヴェリアンさんの無念さや怒りが込められた手記の一部をそのまま紹介します。

フツ族の男たちに続いて、その妻や姉妹や娘たちが番小屋にやって来た。殺戮は家族総出で行われたのだ。子供たちの目の前で、男たちが切り殺し、女たちは略奪をほしいままにした。ポケットをくまなく探って死体から金品を強奪し、ネックレスや腕時計やブレスレットを奪い、血で汚れていない靴や衣服を剥ぎ取っていく。シボマナが母に襲いかかろうとした時、そばにいた娘が叫んだ。「シモン、待って! そのスカートを汚さないで!」 シボマナはそこで立ち止まって、母を見つめながら言った。「お祈りなんか止めろ、いらいらする!」

二人の鬼婆が母に飛びかかって命令する。「服を脱ぎな!」 母はその間ずっとひざまずいてお祈りを唱え続けていた。母が女たちの言うことにすぐに従わなかったので、ある娘が母をくるくると回しながら、衣服をブラジャーに至るまで剥ぎ取ってしまった(今思い浮かべてみると、この女は、ショートパンツをはいた腰の周りに犠牲者からの戦利品―腰巻やセーターやズボン―を結び付けていて、ぶくぶくと醜く太っているように見えた)。女は母を素っ裸にしてしまったのだ。しかも笑いながら。おそらくこの女は、母を辱めようとしたのだろう。恥辱はマチューテで切られるよりもひどい傷跡を残す。あの女は決して赦すことができない。

映画『ホテル・ルワンダ』は、この大虐殺の中、1200人の命を救った「アフリカのシンドラー」とも言うべきホテルマンの物語でした。ルワンダの首都キガリにある外資系高級ホテルの支配人ポールはフツ族ですが、ツチ族の妻と結婚していました。ポールは自分の妻子や隣人たちなど数多くのツチ族をホテルに匿い、外資系ホテルという不可侵権を巧みに強調し、それまで築いてきた人脈や交渉術を駆使しながら多くの人命を守り抜きました。

この映画の中では、生々しい直接的な殺戮のシーンは抑え気味でした。それでも事前に読んでいた『ルワンダ大虐殺』からの情報と重ね合わせながら映像を目にすることによって、より深い感慨にひたった2時間となりました。「なぜ、日常が一転して非日常になってしまったのか?」「なぜ、普通の人が、突然、ここまで残虐な人間になれるのか?」

国家、民族、宗教の違いなどによって繰り返されてきた戦争や内戦、その非日常の世界で武器を持たされた人間が残虐非道な行為に手を染めてきた史実は数え切れません。ルワンダの場合、昨日まで世間話していた隣の住人を襲い、便所の穴に投げ込み、断末魔に苦しむ隣人の上で用便するような「鬼畜」になれたのか、想像を絶する話でした。

映画の中で、斧を手にした普通の市民の虐殺シーンをスクープし、全世界へ発信したカメラマンのセリフが印象に残ります。「世界はあれを見て、“怖いね”と言うだけで、あとはディナーを続けるさ」とつぶやき、援助の動きが出ないことを見通した言葉でした。実際、国連をはじめ、国際社会からツチ族への救いの手は皆無に等しい経過をたどりました。

「ああいった国では、虐殺など大した問題ではない」、フランスのミッテラン元大統領の発言が当時の国際社会の認識を表しています。ミッテラン元大統領のような認識は論外ですが、私自身、ルワンダ大虐殺に対するリアルタイムでの記憶は残っていません。ルワンダに限らず、世界各地で理不尽な悲劇が起きていますが、おおよそ身近な問題に引き付けて考えることはありません。

世界中のすべての出来事に精通し、問題意識を持たれている人の方が稀だろうと思っていますので、それほど後ろめたさは感じていません。ただ自分なりに留意していることがあります。「平和な社会」をイメージする時、日本だけ平和ならば良いとは考えていません。世界中から戦火や飢餓などによる悲劇がなくなることを願っています。ルワンダで起きたような悲しみが二度と繰り返されない世界を望んでいます。

また、戦争が起きないように努力することの大切さは言うまでもありません。一方で、横田夫妻ら拉致被害者の家族の皆さんにとって、その解決がない限り「平和」とは程遠い現状だろうと思います。以前の記事「避けて通れない拉致問題」や「拉致問題を考える」で記してきましたが、拉致問題は平和や人権を重視する運動体ならば解決に向けて全力を注ぐべき課題だと考えています。

一人でも多くの人に伝えたいと思っていたルワンダの話から少々広がり気味ですが、最後にもう一言。秋葉原八王子などで無差別殺人の被害にあった本人や家族の皆さんにとって、平和な日常から一転して理不尽な非日常に追いやられたことになります。日常から突然、非日常の凶行に走った加害者のことなど、今回の記事を書きながら様々な思いがオーバーラップしていきました。このような悲惨な事件が起こらないことも、めざすべき「平和な社会」だろうと思っています。

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2008年7月20日 (日)

最適な選択肢の行政改革とは?

現在、市立図書館や児童館を指定管理者、学校給食共同調理場をPFI、保育園を民営化する計画が矢継ぎ早に示され、その是非について議論が行なわれています。それぞれ経営改革プランに基づき、コスト削減を主目的とした行政改革の一環です。市の広報などを通して呼びかけたパブリックコメントや市民の皆さんへの説明会の中では、計画に対する不安の声が数多く寄せられています。6月に開かれた市議会では、図書館の問題について慎重に検討することを求めた陳情も採択されています。

私どもの組合は、日頃から職員の労働条件と市民サービスの維持向上について、どちらも欠かすことができない車の両輪だと考えています。同時に厳しい市財政を踏まえ、行政の効率化をめざすことに対し、私たちも積極的に賛同する立場です。しかしながらコスト削減が優先されがちな行政改革に対しては、日常的に市民の皆さんと身近に接する機会が多い現場職員の目線に誇りを持ち、労使交渉の場で市側へ様々な懸念点を訴えています。

言うまでもなく、市の今後の進むべき方向性は、市民の皆さんの声を踏まえて選択しなければなりません。そのためには市の施設を民間へ委ねる計画などに対し、多面的な情報を提供する必要性を感じていました。さらに私たちの懸念点が「ひとりよがり」なものなのかどうか、広く市民の皆さんへお伝えすることも大切な局面だと受けとめ、新聞折込による全戸チラシ配布に取り組むこととしました。

当該職場の組合員、連合三多摩の皆さんらにも素案をご確認いただき、8月3日日曜の朝刊各紙で配布する運びとなっています。実際のチラシはA2判で、写真やイラストなどを使い、なるべく読みやすい紙面レイアウトに努めています。「良質な市民サービスに向けた行政改革とは? ~最適な選択を行なうための一資料として~」と呼びかけたチラシに対し、多くの方から率直なご意見をお聞かせ願えることを切望しています。

各計画は最終決定前の段階であり、寄せられたご意見などは今後の労使交渉を進める上での貴重な判断材料とさせていただく予定です。今回、そのチラシの内容を中心にブログの記事にまとめてみました。下記の内容は、まず市が検討中の主な行革計画と私どもの組合の考え(⇒以下)を示し、参考までに関連する以前の記事も紹介させていただきました。その後に行革計画に対する総論的な見解を掲げています。

《保育園の民営化》 平成22年度に1園、平成23年度にもう1園を民営化する計画です。最終的には、現在11園ある市立保育園を6園まで減らすことが方針化されています。

⇒ 保育園は子どもたちを「預かる」だけではなく、地域の「子育て」を支援する施設としての役割が高まっています。そのためにはベテラン保育士の存在が欠かせません。そもそも保育園をコスト論で見ていくことに強い違和感を抱き、改めて公立保育園の役割の大切さを訴えています

参考記事「保育園民営化の問題点」「保育園民営化に賠償命令

《児童館の指定管理者》 8館ある児童館をすべて指定管理者へ委ねる方針が示されています。当面、モデル的に21年度から1館を指定管理者へ委ねる計画です。

⇒ 児童館は地域の「子育て」ネットワークの拠点施設に位置付けられるべき重要な公共施設だと考えています。指定管理管理者の移行が進んだ場合、その機能が発揮できない懸念を抱いています。

《図書館の指定管理者》 図書館すべてを指定管理者へ委ねる計画が示されています。当面、8館ある地区館を指定管理者へ移行し、将来的には中央図書館も指定管理者に委ねる計画です。

⇒ 図書館は単に本の貸出しを行なうだけが役割ではありません。多様な情報を正確に、かつ無料で提供する公共施設です。住民の様々な課題を解決するためのサポートを的確に行なうためには経験豊富な図書館職員が必要です。しかし、民間には実績の少ない業態であり、ベテラン司書職もきわめて少ない実態などを問題提起しています。

参考記事「図書館に管理者制度」「図書館に管理者制度 Part2」「図書館の役割と可能性

《学校給食共同調理場のPFI》 老朽化した2場ある小学校給食の共同調理場の建替えに伴い、1場に統合した新調理場の建設計画が示されています。その建設や新調理場の運営などを含め、PFIへ委ねることが検討されています。なお、栄養士は直営職員とする計画です。

⇒ 栄養士との綿密な連携がはかれ、食教育の推進や食の安全責任を全うするためにも、調理業務は直営職員による運営の必要性を訴えています。

参考記事「学校給食への安全責任」「学校給食のあり方、検討開始」「メタボリック症候群と学校給食の役割

■ 利益の有無にかかわらず、必要なサービスを提供するのが行政の責任と役割です。

 市の行政改革に向けた方針は、市役所の業務や施設を民間へ委ねる「民間委託化の推進」「指定管理者制度の活用」「PFIの検討」などの言葉が並んでいます。私たちは、行政が担えば安全、安心で、民間だとサービスの低下を招く、不安である、その逆に民間が担えば効率的で、行政は非効率だとの短絡的な決めつけは問題だと思っています。どちらが担っても学校給食で言えば、食中毒など起こさないよう万全な対策を講じていくのは当然であり、あえて非効率な業務運営を行なう訳はありません。

したがって、自治体直営でなければ、住民サービスが低下するという言葉は、民間で働く皆さんへ失礼な話だと考えています。逆に図書館の指定管理者の計画などで、直営では住民サービスの向上がはかれないという言葉も適切ではありません。学校給食に限らず、利益を目的とするかどうかが官と民の決定的な違いだと考えています。

■ コスト削減のあり方などの問題点の検証が欠かせません。

学校給食共同調理場へのPFIの導入の問題ですが、子どもたちに絶対安全で質の高い給食を提供していくことが至上命題であることは言うまでもありません。O-157やBSEの問題など非常に神経を使う状況となっている中、万が一でも起こしてはならない事態が不幸にして起きた場合、その責任から行政は免れることができません。その観点から私たちは、民間の得意分野を活かしたPFI調理場の建設そのものを否定するものではありませんが、調理業務自体は引き続き直営での責任を果たすべき業務だと考えています。

一昨年夏、埼玉県ふじみ野市の市立プールで、女の子が亡くなる痛ましい事故が起きました。今年6月、ふじみ野市側の責任が強く問われた司法の判断も示されていますが、委託先の民間会社の不手際が大きかったことも確かです。しかし、この事例に対しても、民間だから事故が起きたと決めつけるものではありません。経験の浅いアルバイトが中心となっていた点や、充分な研修などを行なえなかった仕組みによるものだと考えています。

もともと行政サービスは無料又は非常に廉価で提供するものが大半です。そのため、受託企業の利益は、市からの委託費と人件費などの差額から捻出されるため、どうしても賃金などが抑えられる傾向となりがちです。ちなみに人件費が同一の職員態勢であれば、直営の方が低コストとなる計算が成り立ちます。例えば、時給900円のアルバイト賃金に必ず受託会社の利益分が乗せられ、市へ請求されることになります。市が直接雇用した場合、アルバイトの賃金900円そのものが市からの支出であり、この面では民間への委託化などが必ずしも低コストの構図とはなり得ません。民間への委託化などが低コストと試算されるのは、正規雇用者数を絞り、年収を抑制した従業員で構成することを前提としているからです。

このように人件費が抑制された場合、従業員の定着率も低くなる可能性が高まります。ある自治体の民間委託化された図書館で、男性職員が「好きな職場だけど、今のままでは将来設計が立てられない」との理由から結婚を期に退職する話がありました。図書館経験の豊富な職員がどれだけいるかで、その図書館の実力が決まっていくとも言われていますので、このような事例は住民サービスの観点から決して好ましいことではありません。

■ 直営責任を果たしながらコスト削減や住民サービスの向上に努めます。

直営のままでは図書館の開館時間の延長ができない、コスト削減は困難などと決め付けられることは本意ではありません。労使で充分協議することによって、これまでも常勤職員数の削減など大幅な見直しを組合側は受け入れてきました。今回も業務形態などを精査し、私たちは人件費の削減を積極的に受け入れる姿勢を示しています。合わせて、広く市民の皆さんを募り、市が直接雇用する非常勤職員制度の拡充などを市側へ逆提案しています。

また、公共施設が直営である利点として、各地域にある保育園や児童館のネットワークを活用し、より効果的な子育て支援や児童虐待防止などにつなげていけるものと考えています。さらに私たちは学校の夏休み期間に学童保育所への配食サービスなど、直営だからこそ可能な住民サービスの向上策や工夫も組合側から提案しています。いずれにしても住民サービスの維持向上がはかれ、一定のコスト削減が可能ならば、改めて直営の方向性を検討することこそ、最適な選択肢となり得るのではないでしょうか。

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2008年7月13日 (日)

是々非々の議論

社会保険庁の話題に触れると批判的なコメントが殺到すると考えていたのは意識過剰だったようです。その話題に触れた前回記事「過ちとその処分のあり方」に対しては、これまでにshimaさん、エニグマさん、懲戒免職さんからそれぞれの視点からのご意見が寄せられました。常連のお二人からは立場の違いから対照的な内容でしたが、いつも貴重なコメントをいただき、励まされたり、身を引き締めたりする機会となっています。

初めて(初めてではないのかも知れませんが?)コメントを頂戴した懲戒免職さんのご意見は、社保庁職員への悪感情が前面に出た辛辣なものでした。その怒りの矛先は「身びいき」的な記事を書いた私へも突きつけられていました。ちなみに先週開かれた自民党の厚労部会でも「有期雇用など認められない」とし、処分職員は一切採用しないよう当初案の修正を求める声が相次いだようです。

「社保庁に甘い案を作ったら、自民党は何をしているんだと国民に言われる。選挙にマイナスだ」と会議に出席した若手議員の言葉が象徴していますが、やはり理屈ではなく感情論が先走っていると言わざるを得ません。自民党が気にしている国民の声として、懲戒免職さんのようなご意見が符号し、その声は確かに多数を占めている現状なのだろうと思っています。

前回記事の最後でも述べたとおり社保庁の話題は火中の栗を拾うような側面があることを認識しています。しかし、あえて処分のあり方に絞って、自分自身が抱いていた懸念点を訴えさせていただきました。それに対し、懲戒免職さんのコメントで「あなたに欠けているのは是々非々の議論が出来ないことですよ」と決めつけられました。「いくら批判を真摯に受け止めても懲りないというか甚だ呆れる次第です」との指摘も受けました。

まず是々非々の議論ですが、これまで当ブログを通し、「非」を身勝手な解釈で「是」と論じてきたことは一度もありません。「是は是、非は非」として議論していくのは当たり前な話です。前回の記事をもって、社保庁の不祥事の数々を甘く見ているように受けとめられるのは本意ではありません。なお、社保庁の問題は「年金記録問題と労組の責任」などの記事で自分自身の思いを綴ってきました。

例えば2年前の記事「飲酒運転の撲滅へ」の時も同様でしたが、各論への評価に対して個々の視点や立場によって大きく意見が分かれがちでした。誰もが共通する総論は「飲酒運転は絶対許さない」であり、私自身もそのような主張を一貫して繰り返しました。その上で、一律懲戒免職の処分基準を定めていく動きに危うさを訴えさせていただきました。

お時間がある方は、上記記事から続くバックナンバーのコメント欄で交わされた議論をお読みいただければ幸です。何が論点だったのか、ご理解いただけるものと思います。このように私自身が考えている「是々非々」が常にあります。一方で、自分が信じた「是」が絶対正しいのか、相反するお考えに接することによって自問自答する謙虚さを忘れないように心がけています。

要するに「是」だと確信している事象も、多面的な見方や新たな情報が加わることによって「非」だったと考え直す場合もあり得ます。その逆に「非」だと思っていたものが「是」だったようなケースもあり得るのではないでしょうか。つまり「是々非々」も個々の価値観で左右される場合があり、自らの価値観の範囲外にあるから「是々非々の議論が出来ない」と突き放されてしまうのは非常に残念な話でした。

さらに懲戒免職さんは「組合が組織的に税金にたかっていた事実としては大分の教職員組合が化けの皮を剥がしました」とコメントされていました。大分県で発覚した教員採用や昇進を巡る汚職事件は言語道断な「非」であることに間違いありません。当然、この汚職事件に教職員組合も関わっていた場合、絶対許されない「非」であることは言うまでもありません。

同じ公務員組合だからという理由で、そのような不正行為を見過ごすと思われていたら極めて心外です。これまでも「岐阜県の裏金作りと自治労不祥事問題」などの記事で訴えてきましたが、「非は非」として批判しながら必ず他山の石とするように努めてきました。その一方で、「自治労の闇、自治労本部の見解」のように事実関係に疑義があった月刊誌の記事に対しては異論を加えてきたこともありました。

「批判を真摯に受け止めても懲りない」との指摘ですが、このブログを続けていることによって公務員への手厳しい視線を痛いほど感じることができています。また、このような記事を書くと厳しい批判にさらされるだろうと見込めますので、公務員以外の方々から批判を受けない内容でまとめ上げることも可能です。しかし、それでは「公務員のためいき」を始めた「主張すべきことは主張する」とした目的の一つから外れてしまいます。

したがって、「懲りない」と非難されようとも自分自身の「是々非々」を貫いてきました。私が発する「是」に対し、反論があるのは当たり前だと思っています。それほど公務員と民間の皆さんとの残念な「壁」が築かれてしまっているからです。その中で、私の「是」に対して「なるほど」と感じていただける方が、一人でも多くなることを願いながら今後も続けていくつもりです。

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2008年7月 6日 (日)

過ちとその処分のあり方

土曜の夜、温暖化防止をテーマにした市主催の環境シンポジウムに参加しました。早稲田大学大学院前教授の原剛さんとNHKの気象キャスターである半井小絵さんの講演の後、市長とエコパートナー講座受講生をまじえたパネルディスカッションも行なわれました。最近の記事で書きましたが、連合三多摩の学習会で『不都合な真実』を見てから地球温暖化の問題に切迫感を抱くようになっていました。

CO2の排出をどのように少なくするかが注目を浴びがちですが、今回、地元農業の重要性を温暖化防止の視点から考えさせられました。つまり緑を多くすることによってCO2を吸収させていく、そのためにも農家の後継者や相続税の問題、地産地消の話などにも絡んでいく展開は非常に興味深く感じました。ちなみに半井さんはテレビで見るよりもスリムで、たいへん魅力的な方でした。

さて、本題です。街の壁でも新幹線でも許される落書きはありません。まして外国の世界遺産への落書きなど、もってのほかであることは言うまでもありません。岐阜の短大生によるフィレンツェの大聖堂落書き問題は、思いかげない広がりを見せました。高校野球部の監督による落書きも発覚し、次の報道のとおり監督を解任される騒ぎまで起こりました。

水戸市の私立常磐大高校(浅岡広一校長)野球部の男性監督(30)がイタリア・フィレンツェの世界遺産「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」に落書きした問題で、同校は30日、監督を29日付で解任したと発表した。同校によると、監督は2006年1月に妻と旅行で訪れた際、2人の名前を漢字で壁に書いたといい、「大聖堂入り口で現地の人に勧められてペンを購入し、軽い気持ちで書いてしまった」と説明しているという。同校は昨夏の県大会準優勝校。学校側は「教育機関にある者として恥ずべき行為」としているが、県大会の出場は辞退しない方針。【2008年6月30日読売新聞】

確かに思慮不足の許される行為ではありませんが、そこまで厳しく罰することが妥当だったのかどうかは少々疑問に思っています。イタリア側のマスコミによると「行為はひどいが、解任や停学はやり過ぎ」との論評が多く、「日本のメディアによる騒ぎは過剰だ」と批判的な論調です。

そもそも大聖堂に昇る途中の階段の壁は、様々な言語による落書きで一杯だそうです。その上、大聖堂の入口付近に「油性マジック売り」が何人もいて、観光客のカップルに「壁に2人の名前を書くと永遠の幸せが約束されるんですよ」と勧められた時、絶対、自分はその監督と違う行動が取れると言い切れるでしょうか。

基本的に完璧な人間は存在しません。時に人は過ちを犯し、その過ちに悪意がなく、意図的なものではなかったとしても、その過ちに見合った罰を受けなくてはなりません。街の美観を損ねたり、新幹線を運休させてしまうような悪質なものもあり、どのようなケースでも落書きを決して容認できるものではありません。

ただ今回の大聖堂の落書きは客観的な状況を含めて判断した場合、情状酌量の余地もあり得たのではないでしょうか。当然、何らかのペナルティは必要だったと思いますが、解任という処分は重すぎるように感じています。過去の記事「責任の処し方、あれこれ」でも記しましたが、この問題で選手たちの県大会出場の是非まで取り沙汰されるなど論外な話だと考えていました。

幸い出場辞退の選択肢は消え、監督を専業としている人ではなく、解任イコール職を失う処罰ではなかったようです。しかしながら教師として学校に残れるとは言え、熱心な指導で選手を育て、甲子園に手が届く所まで来た矢先の監督解任は痛恨の極みだったろうと思います。選手たちに与える影響も少なくないことは確かです。

この話に関連し、と言うよりも、次の報道に対しての問題意識が強かったため、今回のような記事内容の投稿に至りました。これまで何回かコメント欄に火がつく当ブログにとって鬼門と言える話題かも知れません。あえて触れるのもどうかと考えましたが、厳しい反論は反論として率直に受けとめる覚悟で、自分なりの問題意識を綴らせていただきます。

政府の有識者会議「年金業務・組織再生会議」(座長・本田勝彦日本たばこ産業相談役)は30日、社会保険庁を解体して10年1月に発足する非公務員型組織「日本年金機構」の業務や運営に関する最終報告書をまとめ、渡辺喜美・行政改革担当相に提出した。懲戒処分歴がある社保庁職員は正規職員として採用せず、期間を定めた有期雇用とする。期間も当初案は「3年以内」だったが、初回は1年に短縮。今後5年程度で完成する年金記録システムの刷新などに伴う人員削減の対象とし、機構発足後6年程度で雇用契約を更新しないと明記した。

政府は報告書の内容を、新機構の基本計画として、4日に閣議決定する。懲戒処分歴のある職員は867人。厚労省案は「不可欠な人材」のみ正職員への採用を例外的に認めていたが、「正職員への抜け道になる」といった意見が相次ぎ、例外規定を削除。有期雇用とし正職員とは退職金に差をつけるべきだとした。有期から正規への登用の道は残したものの、「第三者機関による厳正な審査」を条件とした。

人員削減面では、現在1万3113人の正規職員を機構発足時に17%減の1万880人とする。民間からの外部採用枠を1000人とするため、社保庁から移行できる定員枠は9880人で、実質25%の削減になる。一方で「宙に浮いた」年金の記録問題の解決に必要な人員には報告書では考慮せず、対応が必要な場合も、正規職員の増員ではなく、外部委託などの活用を求めるにとどめた。このほか報告書は、第三者機関が業務を監査できるよう法整備の検討を求めた。【毎日新聞2008年7月1日】

社会保険庁の不祥事と信用失墜の問題は繰り返して申すまでもありません。これまで当ブログでも数多くの記事を投稿し、たくさんの方々からコメントをいただいてきました。今回、気になった問題は1点です。犯した過ちに対し、その重さに相当する停職などの懲戒処分が課せられます。免職以外は、自分が犯した過ちを厳しく反省した後、再チャレンジが許された処分だと言えます。

それが「社会保険庁解体」というシンボリックな大きな岐路に際し、「懲戒処分歴がある職員は正規採用しない」という発想が浮上してしまいました。「不祥事を重ねてきた社保庁職員は全員入れ替えろ」との極論まで耳にする中、むしろ「手ぬるい」と思われている方々も少なくないのかも知れません。民間会社が倒産した場合、社員は一斉に職を失うことに比べたら「恵まれている」とのご意見もあろうかと思います。

それでも雇用を守る切実さを第一義に考える労働組合の役員の立場からは率直な思いとして、とても残念な動きだと受けとめています。同じ公務員であり、身内に甘い考えだとの批判を受けるのかも知れませんが、処分が二度課せられるような今回の方針に対して強い違和感を抱かざるを得ません。

憲法第39条の二重刑罰の禁止「同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない」の趣旨から考えても理不尽な話だと思っています。本来、「社会保険庁解体」は組織としての問題であり、過去、電電公社や郵政の民営化にあたって基本的に職員全員が新会社へ採用されてきました。そのような前例は事業の継続性の面から効率的かつ現実的な対応だろうと見ています。

確かに社会保険庁に対しては様々な意味で、国民からの悪感情がうずまき、今回の記事のような主張を行ないづらい現状も理解しているつもりです。それでも個人的な意見を託せるのがブログの特色です。したがって、今回、過ちとその処分のあり方の是非に絞って、自分なりの問題意識を書き込んでみました。たいへん長い記事となって恐縮でしたが、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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