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2008年6月29日 (日)

新たな人事評価制度

珍しいパターンですが、最新記事「市の事業をNPOが点検」へのコメントは少なく、その前の記事「公務員賃金の決められ方」に多くのコメントが寄せられた1週間でした。やはり橋下知事と大阪府の組合との労使交渉が注目を集めた時期だったため、公務員の組合役員が運営しているブログへ一言物申したい方が少なくなかったようです。

ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、右サイドバーの「最近のコメント」覧に示されている名前をクリックすれば、そのコメント内容の箇所へ一気に飛ぶことができます。コメント欄を開いて、いちいちスクロールする手間が省けます。コメント数が多い時、便利な機能ですのでご活用ください。

さて、昨日の土曜、自治労都本部組織集会に参加してきました。以前の記事「公共サービス基本法」でも取り上げましたが、今回も民主党「次の内閣」総務大臣の原口一博さんからお話を伺う機会を得ました。講演のタイトルはその時と同様でしたが、興味深い新たなエピソードが豊富に添えられ、よりいっそう熱のこもった原口さんの語りを聞かせていただきました。

その他、人事院勧告期に向けた取り組みの提起など、朝から夕方まで盛りだくさんな内容の集会でした。日々変化し、多岐にわたる情報や情勢を整理する上で、このような集会は貴重な機会となっています。今回の記事では、自治労本部労働局の方から報告を受けた公務員の新たな人事評価制度について掘り下げてみます。

先日閉じた第169回通常国会の終盤、国家公務員制度改革基本法が成立しました。中央省庁の人事管理の一元化が盛り込まれるなど、「省益」優先の縦割り行政や天下りの解消に向けた一歩を踏み出したとの評価もあります。一方で今後、官僚の巻き返しによって骨抜きにされる懸念が否めないとも言われています。

自治労本部役員の方からは、公務員に対する新たな人事評価制度の課題を中心に話していただきました。理念法の位置付けとなる国家公務員制度改革基本法の中では「能力及び実績に応じた処遇を徹底するとともに、仕事と生活の調和を図ることができる環境を整備し、及び男女共同参画社会の形成に資すること」と記されました。

この基本法に先がけ、昨年7月6日に公布された国家公務員法の一部改正で「能力及び実績に基づく人事管理」が明文化されていました。公布の日から2年以内の施行が定められているため、来年4月又は7月には施行される見通しです。同じ内容が盛り込まれた地方公務員法及び独立行政法人法の一部を改正する法律案は、昨年5月29日に閣議決定されていますが、現時点では国会での趣旨説明にも至っていないそうです。

焦点化されていた国家公務員の制度論議の区切りがついたため、次の臨時国会あたりで一気に成立する可能性が高まっています。そのような情勢を踏まえ、組織集会の中での重要なテーマの一つとなっていました。これまで「職員の給与は、その官職の職務と責任に応じてこれをなす」とし、公務員給与は職務給の原則を根本基準としていました。

成績主義の原則もありましたが、競争試験によって選抜されたことをもって能力は一律とみなされる仕組みだったと言えます。年齢や学歴区分等に応じた初任給格付けがあり、それ以降、長期間病気などで休まない限り、1年ごとに定期昇給できるのが基本でした。給料表は、部長、課長、係長などの職層に応じた等級に分かれ、昇任することによって支給される給与の額が枝分かれしていく仕組みでした。

つまり採用された後の個々人の能力の差は問わず、さらに係長としての職務はこの水準、課長はこの水準と定めた給料が支給されています。このような仕組みは「頑張っても頑張らなくても、同じ給料ならば楽をしよう」と考える職員が多く出そうな見方をされがちです。そのような職員は稀な存在だと思っていますが、頑張り方に対する個人差もあり、相対的な面から「働かない職員」が出てくるのも確かです。

いずれにしても今後の制度見直しでは、能力及び実績に基づく人事管理が徹底化されていくことになります。昇任にあたっては、職員の人事評価と能力の実証が求められます。また、日常的な職務の遂行にあたり、職員が発揮した能力や業績を評価し、昇給額や一時金の額に差がつけられていきます。1年間で1号給の昇給幅だった額が4分割された給料表への変更は、査定給制度の導入が前提であることは言うまでもありません。

地方公務員の制度変更までに少し時間があるかも知れませんが、このような大きな流れを拒むことは簡単ではありません。避けられない課題だとしたら、いかに公平公正な人事評価制度を確立できるかが重要なポイントだろうと考えています。公務における評価のあり方、最近目立ち始めた「脱成果主義の動き」などを充分検証し、組合としても人事当局へ率直な問題提起を行ない、ベターな人事制度をめざしていきます。

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コメント

おはようございます。
さて、「人事評価制度」ですが、私どもも現在当局とは別に制度設計中です。
私どもの目指す「人事『考課』制度」は、職員の誰もが自らの能力を最大限発揮し、やりがい・生きがいと自信・誇りを持って、業務にあたり、その結果として住民サービスの向上に資するものとすべく取り組んでいます。
ですから、「成果」というより「観察(考課)」と「評価・育成」を主眼に設計中です。
職員は全員、最大限に業務に集中していて当然ということが、大前提になります。
基本的考え方は、東京大学大学院の中村圭介教授のお考えを参考にさせていただいています。
しかし、中にはご指摘の「問題職員」というか「モラルハザード」があることも事実。
最大限頑張って当たり前だから昇給は結果として均一になるかもしれませんが、「頑張らない人」については、それなりの処遇で反省を促す。
また、「頑張れない人」の原因を究明し、職場環境の整備や研修、あるいは人事異動などその人が持てる能力を十分に発揮できるように給与以外の面で処遇するという考え方です。
当局がコンサルタントに丸投げしている状態ですので、こちらから積極的に働きかけをしていますが、なかなかに難しい課題です。

投稿: shima | 2008年6月30日 (月) 08時27分

shimaさん、コメントありがとうございました。

とりわけ中村圭介教授の考え方について、たいへん参考となる情報ありがとうございます。さっそくネット検索で、中村教授の「変容した成果主義」のお話などに目を通してみました。

とにかく制度を変えたことによって、士気の下がる職員が増え、組織としての総合力が落ちてしまっては問題です。そうならないよう反面教師の事例なども把握し、「結果主義」ではない人事制度を模索していきます。ぜひ、これからも貴重なご意見や情報をよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2008年6月30日 (月) 21時19分

こんばんわ^^。NPOの記事の時にもコメントしようかなと思いましたが、あちこちしてたらストーカーみたいなのに自重していました^^;。あちらのブログでも色々なご意見がありましたが、「自分たちで出来る」という意見に対して、否定的な見解を持っていました。

自分たちでできると思うに至ったことに関して、外の意見があって初めてそう思えた、という事実の認識が大切です。100万程度でその認識ができるのであれば、安い買い物です。今まで、漫然と改善できていない部分が多々あったわけですからね。

職務分析や職能評価のようなことは、利害の無いものか、利害が対立している者でないと好ましい効果は得られません。企業経営で言えば、支払う側と受け取る側、行政でいえば、納税者と公務員、市場であれば、投資家と経営者、という、相反する立場の人からチェックしてもらわなければ、不正の温床になる可能性が高まります。公務組織も、是非、そのような組織を府知事直下で設置してもらいたいものです。

政治家の話もでましたが、政治家の話は支持団体に影響されますので、票取り演説の可能性も否定できず、その話に対してのコメントは持ちませんが、私的には終始一貫して、外部のものからのチェックは必要であると、改めて意見を述べさせてもらいます。

私的にはブログ主さんはある意味素敵だと思ってます。所属する組織の文化に束縛されすぎないことは、ブレークスルーに極めて有効です。

投稿: 人件費 | 2008年6月30日 (月) 21時31分

人件費さん、コメントありがとうございます。

人件費さんが一貫して主張されている外部からの視点での様々な検証について、ある程度私も必要だと思っています。要はその度合いの問題と合わせ、労働条件に関する事項は基本的に労使交渉で決めるべきとの思いの差があるのだろうと受けとめています。

また、耳の痛い話を避けていたらご指摘のとおりブレークスルーはできないものと常々考えています。その点に対して過分な評価をいただき、たいへん恐縮しています。これからも人件費さんからの率直なご意見やご感想を楽しみにしています。よろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2008年6月30日 (月) 22時33分

おはようございます。

参考までに・・・福岡県本部が、中村教授を招きフィールドワークを行っています。
その結果を「民主的で公正・公平な人事制度の確立に向けて」と題して、研究報告書を冊子にしています。(220ページ程度)

興味がある際は直接問い合わせされれば、まだ在庫があると思いますよ。


投稿: shima | 2008年7月 1日 (火) 08時11分

shimaさん、ご紹介ありがとうございました。
さっそく福岡県本部に問い合わせてみました。自治労都本部を通して注文(1冊1500円)できることが分かり、中村教授のフィールドワーク報告集は手に入れられそうです。今後、人事評価制度に対する様々な考え方について、積極的に触れていこうと思っています。

投稿: OTSU | 2008年7月 1日 (火) 22時00分

先日の話がご参考になれば幸いです。
中村教授とは何回か意見交換をさせていただく機会をいただきましたが、私個人としては公共、民間を問わず、実によく「人事考課(評定)制度」の問題点というか整理しなければいけない課題をわかりやすくご指摘いただける方だと思い勝手に師事しているところです。
氏のご指摘にある職場での意識・無意識の中での職員間の「仕事ぶり評価」(できる・・・、できない・・・、できていない・・・)という他人評価は現実に存在しますし、「世間相場」という概念?は、抽象的ではあっても非常に現実的でしかも評価項目を複雑多岐にするより現実的で実態に即して、公平性・公正性・納得性の得られる評価結果であると思います。
「できる職員」は誰もが認めているわけですし、「できない職員」も周知の事実で暗黙の了解とされている事は現実に否定できません。
しかし、この現実は非常に不幸なことであり、労働組合として放置すべきことではないと思います。
職員の誰もが自信と誇り、やりがいをもって自らの能力を最大限に住民サービスの充実・向上に注ぎ込む。それができない原因をきちんと分析し、改善のための方策(人事施策)を処遇する。これは、働く者の「働き甲斐」というか「働く喜び」の確保というか、「働く者の権利」を確保することとして労働組合は積極的に関与すべきと考えます。
きちんとした考課制度の確立ができれば、性別や学歴、採用区分による納得できないような処遇の格差を正すことにつながると考えます。
勤務評定は、『処遇』の参考にするためであって、その『処遇』とは給与に格差をつけるためではなく、研修等の人材育成や身体の障害等ハンデキャップのある職員の職場環境の整備、人事異動や昇任、モラルハザードの抑制などあらゆる『人事』に有効に活用するものとして、制度設計するべきと思います。

投稿: shima | 2008年7月 3日 (木) 20時45分

shimaさん、いつもコメントありがとうございます。
ご提起いただいた問題意識、本当にその通りだと感じています。いかに人材を「人財」とできるかが人事制度の要諦だろうと思っています。

投稿: OTSU | 2008年7月 3日 (木) 21時51分

>Shimaさん

自然現象や社会的事象においては、パレートの法則や2:6:2の法則といったものがあります。

一種の経験則ですが、ほぼ普遍的に成立しており、どんな組織であっても、中長期的・マクロ的にはこの法則から逃れることは困難だと思います。

組織の構成員のやる気・体力・能力等は永久不変ではありませんし、状況が変われば、「人材」が「人罪になったり、逆に、「人在」が「人財」になったりもします。

組織にとって重要なのは、平均的な人材でちゃんと回るシステムを作ることであって、全職員が理想状態となるのを目指すのは、不毛なだけと思います。

さらに、そういった理想状態になるのを追求するのは非常なストレスを生みますので、進め方次第では、深刻な状況に陥ることも懸念されます。

で、結局、何が言いたいのかというと、「制度設計で理想状態なんてのは、それ自体が理想論です」というオチです。

投稿: Thor | 2008年7月 4日 (金) 19時22分

Thorさんのご指摘は、確かに集団の中では法則的に確認されているものですよね。
私も経験上で、十分認識をしております。

そこで、ご指摘の点をどう考えているかというところですが、固定化された集団の中では確かに2:6:2や2:8の法則が働いたとして、その状態を可とするのか。
流動的集団の中ではたして同法則がどこまで働くのかという点で、人事異動という手段も活用しながら制度設計することは無駄ではないと考えています。
つまり、固定化された2:6:2なり、2:8なりの分析を行い、固定化された8の部分を有効な戦力として適所で活躍させることができるのではないかと考えているわけです。
確か同法則では2:8の2の部分だけで切り分けると2の中でさらに2:8に分かれる。逆に8の部分だけでも2:8に役割分担されるというものでしたよね。
人材、能力は固定化されたものではなく、つねに変化・向上するものとの前提で考えることは理想論とはいえ労働組合としては、必要な考え方ではないかなと思うのです。

投稿: shima | 2008年7月 7日 (月) 08時29分

>Shimaさん

私が懸念するのは、そう言った理想論で職員に過度な負担が生じることです。

現場は生身の人間が動かしているのですから、心身の調子の狂っている人も居れば、周囲との軋轢で身動きがとれなくる人もあり、一時的に思ったような成果の上がらない状況に陥ることなど珍しくない訳です。

ところが、評価制度では、そういう背景は排除して、その時の状態で評価されてしまう訳です。そこに本質的な問題は無いでしょうか。

それと、評価制度で、「適材適所」なんてものは出来ません。一定の評価軸を定めた後は、それに沿って(&避けようの無い上司の主観で)粛々と評価が行われるだけです。

また、Shimaさんの前回の書き込みでは、誰もが認める「できる職員」と「できない職員」を引き合いに出して話をされていましたが、評価制度と言うのは、そういう上下の極端な職員の処遇を決める為のものではない訳です。

そういう極端な職員の処遇であれば、現状でも、特別に抜擢したり、処分の対象にしたりもできる訳です。

そういうことをちゃんとしないで、そういう職員層をダシにして評価制度を導入するのは、どっちかと言うと管理職の懈怠じゃないかと思います。

投稿: Thor | 2008年7月 9日 (水) 06時34分

最後に一つ、労働組合の役割としての疑問が残ります。

民間企業では経営側、役所では上層部等は、現場の実態等よりも、経営上の目的に沿った制度設計をする訳です。あれも一種の理想論(経営側の)な訳です。ブームになった成果主義もその一つでしょう。

労働組合がやるべきことは、その理想論に対して、現場の声をぶつけて修正をせまること、つまり、現場の実態を反映させた修正や撤回をせまることではないでしょうか。労働組合の目的は、官民の別なく、組合員の利益を守る為にあるのですから。

その労働組合自らが、別の観点は含まれるにせよ、組織経営の目的に沿った理想論を提案していくことは、本来の趣旨を逸脱しているように思います。

現状、労働組合が叩かれることが多いですが、それを受けて、ある意味で迎合するような形で変質するのは妥当なのでしょうか?

投稿: Thor | 2008年7月 9日 (水) 06時37分

Thorさん、遅くなりました。

>現場は生身の人間が動かしているのですから、心身の調子の狂っている人も居れば、周囲との軋轢で身動きがとれなくる人もあり、一時的に思ったような成果の上がらない状況に陥ることなど珍しくない訳です。

制度のあるなしにかかわらず、現状でさまざまな理由・原因で思うように働けない人が生じている事実があります。

その原因をきちんと究明し、問題点を改善していくことは労働組合として「組合員の利益」を守ることと思うのですが・・・・。

私たちが取り組んでいるのは「成果主義的評定制度」ではなく「教育や育成」「職場環境の整備」を求めていく上での現状の分析を行うための「考課」です。

「勤務評定制度」と「人事考課制度」は、言葉の概念として混同されていますが、厳密にはその趣旨は異なるものと考えています。

うまく表現できなくて、すいません。

投稿: shima | 2008年7月10日 (木) 08時24分

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