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2008年1月26日 (土)

千円札の重み

滞納整理事務の手引書の中に慫慂という用語が出てきます。初めから「しょうよう」と平仮名で書かれています。要するに税金を納めていただくよう働きかける意味です。催告や差押などの言葉は職場内で頻繁に飛び交いますが、「今日は慫慂に頑張った」と話す職員はいません。研修の時、たまに講師が使う程度の業界用語でした。

その慫慂のため、滞納者の自宅へ電話をかけたり、直接訪ねていく仕事が私たち徴税吏員の役割です。納期が過ぎていることを忘れている住民の方も多く、まずは直接接触を持つことが収納率向上の第一歩となります。ちなみに粘り強く催告や交渉を重ねながらも自主納付に至らなかった場合、預金口座の差押などの滞納処分を執行することになります。

異動して間もない頃、年配の滞納者の自宅へ電話催告を行ないました。納期が過ぎている税金の額は千円でした。「お忘れでは」と尋ねたところ「分かってますが、年金が支給されてから」との答えをいただきました。自分自身の浅はかさを恥じ、年金で生計を支えている人たちが、いかに千円を切り詰めながら暮らしているのか垣間見た瞬間でした。

1期あたりの住民税の額が千円だとすれば、手にする年金の支給額も多くないことを想像すべきでした。家計への収入が年金だけの人たちにとっての千円札の重みを痛感し、思慮不足の自分を厳しく反省する貴重な機会となりました。前回記事「もう少し税金の話」で記しましたが、老年者控除の廃止に伴い、年金に課税される人たちが大幅に増えました。

その人たちは18年度から非課税だった税金を納めるようになり、さらに19年度、定率減税廃止のタイミングとも重なったため、前年度より税額が格段に増えています。それでも19年度までは老年者非課税措置廃止に伴う経過措置期間でした。したがって、20年度から減額措置がなくなり、またしても実質的な増税を強いられることになります。

そして、今年4月から後期高齢者医療制度が始まります。75歳以上の後期高齢者のみを対象とした医療制度です。これまで家族に扶養されていた人は保険料の負担がありませんでした。新たな制度では加入者全員が保険料を負担することになり、原則として年金から天引されます。その保険料の額は、制度の運営主体となる都道府県単位に設けられた広域連合が決めることになります。

当初、厚生労働省は1人あたりの年間平均保険料を77,400円と試算していました。しかし、東京都の広域連合は約102,000円、大阪では101,449円との試算結果が示されています。なお、急激な負担増を緩和するため、4月から9月まで保険料を免除し、10月から来年3月まで9割減額することが制度発足直前に決まったようです。

この制度に対する批判の声が強まっていたためですが、75歳以上の人たちに保険料を負担させる制度の基本姿勢が変わった訳ではありません。千円札どころか1円の重みを実感されている年金生活者の皆さんが少なくないはずです。そのような人たちに対しても情け容赦なく、これからも年々、税金や保険料の負担が増えていきます。

介護保険制度も同様ですが、真正面から税金を高くすることができないため、迂回した負担増の側面が後期高齢者医療制度にもあります。少子高齢社会を迎え、何か手を打たなければならない切迫した局面であることも確かです。しかしながら制度の継ぎはぎ的な広げ方は、行政コストの肥大化を招きかねません。

また、年金保険料や道路特定財源につきまとう問題ですが、「本来の目的から外れた使い方が多い」との批判を受けています。職員の福利厚生や官舎に要する経費などが象徴的に取り上げられがちです。それらは普通に考えるならば、一般財源から賄うべき性格の類いであることは間違いありません。

それにもかかわらず、いろいろな理屈を付けて保険料やガソリン税の一部が一般財源の肩代わりを担わされてきました。一般財源そのものが厳しい財政状況となり、ますます特定財源への依存度が高まっている現状です。このような手法は国民からの不信を招き、決して好ましいものではありません。加えて、その省庁で働く職員までも肩身が狭くなるような見られ方に対し、少なからず切なさを感じています。

いつものことながら話が広がり、論点も拡散しがちです。もともと「雑談放談」のブログですので、ご容赦ください。いずれにしても今後、税金や保険料の負担が増えていく人たちへ慫慂する際、千円札の重みを受けとめながら丁寧な接し方に努めていくつもりです。

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コメント

おはようございます。
今回の話、考えさせられる部分が多くありますね。
私は生活保護のSVをやっていますが、受給世帯の厳しさも同様。保護を受給していない世帯の収入と生活保護の基準額が逆転しているから基準額を切り下げるような議論があります。
憲法で保障する最低生活に至らない世帯が増加していることを問題とせず、最低生活の保障基準を引き下げるというのは本末転倒ではないでしょうか。
この国はいつからこんなにもさびしい国になったのか?
すべて同じところから始まっているような気がします。

投稿: shima | 2008年1月28日 (月) 08時20分

shimaさん、コメントありがとうございました。
餓死者が出るような心寂しい社会になってしまいました。厳しい財政状況の中、生活保護への門戸も狭くなっています。当然、公正さを保つため、厳格な審査は必要です。ただ救うべき人を救えない福祉では問題だろうと思っています。一方、どこの自治体も充分な職員数が確保できず、悩みながら疲弊していくケースワーカーが多い現状も、組合として強い問題意識を持っています。
そのような福祉職場の前線で、組合活動と両立させながら査察指導員を務めているshimaさんの仕事は本当に大変だろうと受けとめています。ぜひ、これからもお体に気をつけて頑張ってください。

投稿: OTSU | 2008年1月28日 (月) 21時02分

こんばんは。
2度目の書き込みになります。
後期高齢者医療制度に私もOTSUさんが抱かれている何か釈然としないものを感じてしまいます。75歳以上を一律で括ってしまうこの制度は安易に思えてならないのです。実質的に後期高齢者の方に医療を受けるなと言っているように思えますし。昨日の国会中継聞いていましたが、実際にこの制度を首相でさえ詳しく知らない有様で国会が勉強会と化しているように感じました。この国はセーフティネットを本当に作る気があるのか?と疑義を抱いてしまいます。政治とは先を見越しててやるものでしょうが、今の政治は場当たり的で、後から理由をつけていることに怒りを覚えます。また、後期高齢者医療制度は実際の対象者の方がどの程度知っているのかとても不安に思います。(デイサービスの方は殆ど知りません)導入が決まってしまったからには現場で対応する方が少なくとも混乱しないようにしてほしいものです。

投稿: ミックス犬 | 2008年1月29日 (火) 01時02分

ミックス犬さん、おはようございます。コメントありがとうございました。
本当に後期高者医療制度一つとっても、いろいろな不満や不安を感じています。特に末端の市町村職員は政治に振り回されがちです。ご指摘のとおり先を見越した政治にもう少し高めて欲しいもの思っています。

投稿: OTSU | 2008年1月29日 (火) 07時26分

おはようございます。
暖かいお言葉に感謝いたします。
本当にこの国のセーフティネットが機能しているのか?現場でからも疑問に思うことが多々あります。
国、地方ともに財政再建という名のもとで守らなければならないものを見失っているのではないか?何のための誰のための公共サービスなのか?
財政再建が目標になってしまって本来の住民サービスの充実向上という目標を見失っている気がします。
現場で働く私たちだけでも公共サービスのあるべき理念を大切に日々の業務にあたりたいと思います。
頑張りましょう。

投稿: shima | 2008年1月29日 (火) 08時19分

shimaさん、いつもコメントやご訪問ありがとうございます。
本当にその通りだと思います。財政再建や行政改革という手段であるべきものが、どうも目的化している傾向が強まっています。確かに破綻してしまっては問題ですが、ご指摘のような「何のための誰のための」という視点をよりいっそう大事にすべきものと考えています。

投稿: OTSU | 2008年1月29日 (火) 20時55分

>異動して間もない頃、年配の滞納者の自宅へ電話催告を行ないました。納期が過ぎている税金の額は千円でした。「お忘れでは」と尋ねたところ「分かってますが、年金が支給されてから」との答えをいただきました。自分自身の浅はかさを恥じ、年金で生計を支えている人たちが、いかに千円を切り詰めながら暮らしているのか垣間見た瞬間でした。
それでも徴収しなければならない性質のものである以上、誰かが催告するしかないわけで、「浅はか」とまでは僕にはとても思えないのですが・・・

>憲法で保障する最低生活に至らない世帯が増加していることを問題とせず、最低生活の保障基準を引き下げるというのは本末転倒ではないでしょうか。
「保護を受給していない世帯との比較」という相対的な基準ではなく、「健康で文化的な最低限度の生活」の絶対的な基準について、一度見直しの議論をすべきなのではないかと思っています。基準額自体は少なくして門戸を広くするようにすれば、「保護打ち切りで餓死」のようなケースは防げるのではないか・・・などと素人考えで思ってしまったりします。
あと、「生活保護の支給額が高すぎる」みたいな話も良く聞きます。最近だと月額で25万強も貰っておきながら、支給額の減少を理由に提訴したとか・・・

・・・色々あって難しい話なんだとは思うんですけどね・・・

投稿: KEI | 2008年1月31日 (木) 00時25分

KEIさん、おはようございます。コメントありがとうございました。

ご指摘のとおり金額の多寡にかかわらず、催告を行ない、場合によっては滞納処分もせざるを得ないのが私たちの仕事です。
「浅はかさ」だったのは、金額が千円だったので単に納期を忘れているものと思い込んで電話した点でした。つまり「納期が過ぎている税金がありますが」の入り方で良かったものを「お忘れでは」と初めに発した言葉が思慮不足だと反省した経験でした。

生活保護の問題は確かに課題も多いのかも知れません。それでも社会全体の労働の質が劣化したため、生活保護の「支給額が高い」と見られ始めた風潮に対し、強い問題意識も持たざるを得ません。

投稿: OTSU | 2008年1月31日 (木) 07時12分

生活保護について、憲法第25条から国政レベルで責任を負うとして、国の歳入・歳出を考えてみるとしての話です。
今の単年度の予算規模を前提にすれば、税収のみで賄えていない(賄うだけの税負担を有権者全体がしていない)訳です。
では、支出を削るあるいは優先度の低い予算を減額して優先度の高い予算を増額するという前提で行けば、立場により見方が変わり、総論賛成各論反対になるのでしょう。
自分と関係のない支出削減は容認するが、そうでなければ反対するという方向を個々人が向けば、結果として全体の予算規模は変わりません(現状と同じ予算規模になります)。
無駄遣い反対・増税反対・借金増加反対・職員削減という主張と、自分の関係分野の行政水準低下反対(寧ろ向上を求める)と言う主張とは、個々人ではなく有権者全体としては両立しないと思っています。
最終的には、既存の行政サービスの低下や増税に対する有権者個々人のの覚悟、主権を持つ事(=財政に最終責任を持つ事)に伴う責任を果たす覚悟が求められると思っています。
自分に利害のある分野の優先順位が低いとの多数意見があれば、自らの不利益になっても当該予算の削減に応じる覚悟と言うべきかも知れません。
もしくは、全ての人が望む行政サービスを行政機関が提供できるだけの歳入を確保出来るだけの金銭的・人員的裏づけを満たすだけの納税(事実上増税でしょう)に応じる覚悟かも知れません。

保護費より低い収入を得ている人が多数いる状況は宜しくないことでしょう。
しかしそのような人がある程度の多数派を占めてしまえば、それが通念上最低限度の生活水準となってしまい、現行の保護の水準が最低水準より高い水準になってしまうのも事実です。
そうなれば、保護の水準の切り下げは止むを得ない現実になると思っています。
実際、憲法25条による最低水準の生活の水準は絶対的なものではなく、時々の社会環境・国力(経済力)等によって規定される相対的なものとする判例がある筈ですし。
政治家の姿勢の問題もあるでしょう、しかしそんな政治家を選挙する有権者の問題でもあると思っています。如何なる国家的問題であっても、究極的には主権を持つ有権者(納税者)の決断と覚悟にかかってくると思います。

まとまりの無い投稿で申し訳無いです。

投稿: あっしまった! | 2008年2月 1日 (金) 17時55分

あっしまった!さん、お久しぶりです。コメントありがとうございました。
いつも詳しい解説や奥深い提起を頂戴し、いろいろ勉強になっています。ぜひ、これからもお時間がある時、貴重なコメントをよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2008年2月 1日 (金) 19時45分

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