従軍慰安婦問題
「公務員のためいき」というブログ名なのに従軍慰安婦の話が取り上げられ、違和感を抱かれる方もいらっしゃるかも知れません。以前からご覧いただいている方はご存知ですが、今まで当ブログは靖国参拝から拉致問題など幅広い内容を扱ってきました。
右サイドバーのプロフィールのとおり市職員労働組合の委員長の立場を明らかにし、これまで公務員組合側の主張や問題意識を綴ってきました。あくまでも個人の責任によるブログですが、私どもの組合の考え方や活動を広く知ってもらうことも目的として開設しています。
このブログを始めた切っかけなどについて、過去の記事「秋、あれから2か月」などで書き込んできました。組合員の皆さんに向けては、組合を身近に感じてもらえるようイベントの報告記事も少なくありませんでした。特に開設後1年間は新人歓迎行事やメーデーなどが開かれるたび、必ず当ブログの記事として取り上げてきました。
2年目に入っている最近、記事の投稿間隔も週一にとどまっているため、臨機応変な報告記事が減っています。例えば昨日、700人近くの組合員と家族の皆さんにメーデーへ参加していただきましたが、今年はバックナンバー「いつも盛況な三多摩メーデー」の紹介にとどめさせていただきます。
今回は安倍首相の訪米で改めて注目を集め、様々な見方が示されている従軍慰安婦の問題に触れてみます。そもそも「なぜ、労働組合が政治的な問題に手を染めるのか?」との指摘を受ける時があります。以前の記事「組合の平和運動」などでお答えしてきましたが、とにかく組合員の皆さんの意識と乖離した運動は論外だと思っています。
その趣旨から非常に難しい問題ですが、あえて今回、火中の栗を拾うような記事に取り組んでみました。最近、先の大戦における歴史認識の問題に対し、賛否が真っ向から分かれる論争をネット上で見かけます。従軍慰安婦、南京大虐殺、百人斬り、沖縄戦の集団自決など、その事実があったかどうかが争点となっています。
「従軍慰安婦はいなかった」との主張をはじめ、「なかった」と言われる方々の指摘を頭から否定するつもりはありません。しかし、今まで事実だとされてきた話の一部が誤りだったから、すべて「なかった」とする理屈にも無理があるものと思っています。
従軍慰安婦の問題に絞って考えていきますが、もともと公娼制度が認められている中、本人の意思によって業者の斡旋で戦場に赴いていたのが「真実」だと「いなかった」派は訴えています。確かにそのような例も少なくなく、穏やかな「慰安婦」生活を送っていた女性もいたのかも知れません。さらに「いなかった」派は日本軍直営の慰安所はなかった、それらを裏付ける公式文書や証拠がないのに謝罪した河野官房長官談話を厳しく批判しています。
一方で金曜日、最高裁は「強制連行された中国人女性らが、日本軍の施設に監禁され、複数の日本兵たちから繰り返し性的暴行を受けた」という事実を認めました。判決そのものは「日中共同声明によって、個人の賠償請求権は放棄された」という理由で棄却されていますが、従軍慰安婦を強いられた方々の多くの被害証言が司法面からも立証されたことになります。
安倍首相の歴史観は「従軍慰安婦はいなかった」派だったことに間違いありません。それでも外交の連続性を踏まえ、就任早々、河野談話を継承する立場を表明していました。しかし最近、安倍首相が日本軍による「狭義の強制性」を否定したため、慰安婦問題で日本に公式謝罪を求める決議案を審議中だった米議会の怒りの火に油を注いでしまいました。
その怒りを沈静化させるため、訪米直前にはCNNテレビからのインタビューを夫婦で受け、ワシントン到着後には真っ先に米議会指導者と会い、ひたすら頭を下げ続けています。靖国参拝問題などで頑なだった前首相に比べ、安倍首相の柔軟な対応は評価すべき点かも知れません。しかし、あまりにも簡単に信念を曲げる姿勢に対し、その場だけ取り繕えれば良いとする不信感をどうしても抱いてしまいます。
私自身、戦場において慰安婦を強要された被害女性が多数存在していたことは事実だと思っています。それでも事実の真偽に対し、様々な見解があることも充分受けとめています。参考までによく争点となる疑問に対し、しっかり答えられている「慰安婦問題FAQ」というサイトを紹介させていただきます。
従軍慰安婦問題の運動を進める勢力は自虐史観に凝り固まった「反日」だと批判されがちです。その一方、主にネット上で従軍慰安婦を否定する勢力は「ネットウヨ」と揶揄されています。どちらも戦争を憎む気持ちや生まれた国を誇りたい思いについて、決して大き違いはないはずです。
その上で、過去に日本が犯した事実をことさら「なかった」と強調していく動きは慎むべきものと考えています。確かに理不尽な捏造や冤罪的な見られ方があった場合、それらを晴らしていく努力も大切です。そのためには対外的な信頼関係の基盤を強め、感情論とならない冷静な歴史研究の場づくりなど、様々な工夫が欠かせないものと思っています。
そのような努力を怠り、日本側が「従軍慰安婦はいなかった、南京虐殺はなかった」と叫び続けることは溝を深めるだけです。したたかな国際社会の中で甘い戯言だと批判を受けるかも知れませんが、どうしても「なかった」の言葉の先に「あの戦争は仕方なかった、日本は悪くなかった」の響きを感じてしまうのは私だけでしょうか。
〈追記〉コメント欄での公務員辞めて十三年さんのご指摘を踏まえ、「当ブログでの論争は荷が重すぎますので」の文章を「参考までによく争点となる疑問に対し、しっかり答えられている」と改めさせていただきました。たいへん失礼致しました。
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