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2006年9月30日 (土)

飲酒運転と懲戒処分

「飲んだら乗らない、飲むなら勧めない、こんな言い方あるんですか」と組合事務所で、書記長から質問を受けました。「えっ、よく使う言葉じゃないの」と自信満々に答えた私でした。

次の瞬間、大きな誤りに気付きました。「飲むなら勧めない」、これでは単なる嫌がらせのスローガンになってしまいます。お酒を飲みたい人に勧めない、そうではなく「乗るなら勧めない」と言いたかったのに「飲むなら勧めない」とブログの記事に書き込んでいました。

と言う訳で、最近投稿した記事中の「飲むなら勧めない」と記した箇所は「乗るなら勧めない」に訂正させていただきました。たいへん失礼致しました。これまでも明らかな誤字や注意不足による誤りは投稿した以降、気付いた時点で訂正してきています。蛇足ながら記事内容に関することを投稿後に修正するのはマナー違反と考え、断り書きなく変えないよう注意しています。

さて、「飲酒運転の撲滅へ」の記事はPart3まで重ね、たくさんの方から貴重なご意見や情報を提供いただきました。改めてお礼申し上げます。この間、私の主張は飲酒運転の厳罰化を否定するものではなく、すべて懲戒免職とする方向性に違和感を訴えてきました。最初の記事へのコメント欄には、この主張に対して手厳しいご批判が数多く寄せられました。

酒酔い運転と酒気帯び運転を峻別し、酒気帯び運転の厳罰化に抵抗していた訳ではありません。飲酒運転を撲滅するための一つの方策として、事故の有無にかかわらず酒気帯び運転、自転車の飲酒運転、飲酒運転の幇助など、例外なく懲戒処分が厳しくなることに異論はありません。

地方公務員法で懲戒処分は、免職、停職、減給、戒告の4種類を定めています。その他に厳重注意、訓告、始末書の提出などがありますが、その3つは賃金面でのペナルティが伴わない将来を戒める処分に位置付けています。今まで飲酒運転は重大事故を起こさない限り、職員個人の責任による交通違反にとどまり、大半の自治体では基本的に処分の対象となっていませんでした。

福岡市での悲惨な事故を契機とし、飲酒運転に対する厳罰化の流れは妥当なものだと受けとめています。しかしながら「免職ありき」の考え方だけは一貫して異論を唱えてきました。記事をPart2、Part3と重ね、コメント欄でも多くの方と議論を交わす中で、この主張を真正面から非難するコメントの数も減っていきました。

また、同様な趣旨の発言をマスコミも取り上げ始めていました。埼玉県知事は「時々の世論で罪が重くなったり、軽くなったりするのはよくない。処分の中身は整理した」と発言し、酒酔い運転による死亡・傷害事故は免職、酒気帯びによる死亡・傷害事故は免職または停職と「免職ありき」ではない内容を紹介していました。

静岡県知事は「日本の雇用慣行からすると、免職はその人の職業生活上、死刑判決に等しい。刑法の場合でも、犯した罪の状態と結果に相応の罰則をするのが鉄則。例えば酒気帯びで検問に引っかかった場合にオートマチックに適用するのはいかがなものか」と述べ、画一的な厳罰化の動きに疑問を示しています。

兵庫県知事も「飲酒運転をしたから直ちに免職というのは、行き過ぎているのではないか」と述べ、飲酒運転以外の処分案件と比較した場合に「懲戒処分としてのバランスをあまりにも欠き過ぎている」と話しています。このように多くの自治体で「免職ありき」ではなく、停職処分も残した厳罰化が進んでいるように見受けられます。

一方で、静岡県知事の発言などを批判したブログが多いことも事実です。さらに公務員に限った話ではありませんが、情状酌量の余地がない飲酒運転の報道が後を絶たない点も非常に残念なことです。これだけ飲酒運転が問題視されながら愚かな行為が続くのか、つくづく飲酒運転の撲滅に向けては個人の意思に頼らないハード面の対策も急務なのだろうと痛感しています。

飲酒運転撲滅を願ったブログ記事の管理人が二日酔い運転で摘発されたら洒落にならず、新聞紙面の見出しを飾る致命的な不祥事です。飲んだら乗らないのは当然ですが、飲んだ夜のアルコールが翌朝、どの程度残っているのか深刻な問題でした。そのため、前回記事のコメント欄で記したとおり個人的にアルコールセンサーを購入しました。

今朝、自宅へ届き、さっそく昼に350mlの缶ビールを1本飲み、数値の変化を試してみました。飲んだ直後に0.10mg、1時間後に0.05mg、1時間半後には0.00mgとなりました。アルコール濃度の処理速度は個人差があるようですが、今回の測定結果は比較的速い方の部類かも知れません。

なお、0.10mgの状態は飲んだことを忘れてしまう程度の酔い加減でした。この辺も個人差が大きいのでしょうが、言うまでもなく、ぎりぎりセーフのラインを探るための実験ではありませんので誤解のないようご理解ください。今後、飲んだ翌朝に計測し、アルコールが残っているようならば運転しないためセンサーである点を付け加えさせていただきます。

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2006年9月23日 (土)

飲酒運転の撲滅へ Part3

木曜の夜、私どもの組合は「世界がもし100人の村だったら」で著名な池田香代子さんの講演会を開きました。市民の皆さんへも広く呼びかけたところ全体で150人もの方の参加を得て、そのうち半分は組合員以外の方でした。池田さんの親しみある話しぶりは難しいテーマも「なるほど」とうなづかせ、あっと言う間の充実した2時間を過ごすことができました。講師の池田さん、ご来場いただいた皆さん、ありがとうございました。

この講演会の報告は機会がありましたら改めて記事にしたいと考えています。少し迷いましたが、やはり今回も飲酒運転の問題を取り上げることにしました。前回記事「飲酒運転の撲滅へ Part2」へも本当に多くの方から貴重なコメントをお寄せいただきました。コメント欄で率直な意見を交わす中で、私の表現力や理解力の不充分さから論点の拡散やすれ違いが生じ、たいへん申し訳ありませんでした。

改めて私自身の考え方を整理してみます。罰則や懲戒処分が厳しかろうと甘かろうと飲酒運転は絶対駄目であり、「飲んだら乗らない、乗るなら勧めない」の徹底化を広くはかっていく絶好の機会だととらえています。当然、酒気帯び酒酔い問わず、飲酒運転は絶対なくすべきものと考えています。その方策としての厳罰化、特に「自分は大丈夫」と過信や盲信する不届き者をなくすため、即、懲戒免職の厳罰化も結構なことだと思っています。

この機会に具体的な働きかけを身近なところから始めています。特に注意すべきシチュエーションとして、お通夜やお葬式で「どうぞ、お清めですから一杯」、ゴルフ場で昼食時の生ビールなど、当然、運転する場合は厳禁だと強く訴えていきます。今後、組合という組織としても日常的な啓発や監視活動を強めるよう検討しています。

したがって、飲酒運転を厳しく嫌悪したコメントを多くの方からいただいていますが、その方々の思いと私自身の思いは同じだと確信しています。とにかく飲酒運転の撲滅をめざす決意は強く固まっているつもりです。この論調で記事内容をまとめていれば、もう少し議論は進めやすかったのかも知れません。

とは言え、自治労のホームページ問題を切り口にした限り、やはり処分のあり方について触れざるを得ませんでした。まわりくどい言い方になりますが、この領域の問題は私自身の決意や思いと次元を別にして、組合役員の立場に軸足を置きながら問題提起してきました。つまり自分のところの組合員の方をはじめ、労働者の職の重さを鑑みながら想像力をふくらませてきました。

このように話を進めると「結局は飲酒運転撲滅はかけ声だけで本気じゃない」「厳罰化の抜け道を探して甘い処分を残す気だ」「要するに飲んだら乗らないを守れば良いだけの簡単な問題だ」などと批判されがちでした。組合員の雇用を守る、組合役員の本能的な使命感だと釈明させていただきますが、この問題と飲酒運転撲滅に対する姿勢は別な視点で議論できるものと考えています。

繰り返しになりますが、大前提として、悲惨な事故を起こす恐れがある飲酒運転は絶対容認しない立場です。当然、事故を起こす恐れが少ない微量の飲酒、酒気帯び運転も犯罪ですので、抑止力を高めるために厳罰化も妥当な流れだと思っています。飲酒運転に問われた場合、どのような情状酌量の余地があろうとも罰は受けることを前提にした発想です。

それでも酒気帯び運転と酒酔い運転では法律上、罰則面で差を付けている点も意識すべきではないでしょうか。それらが同一に「即、懲戒免職処分」とする話に違和感を抱き続けています。飲んだら乗らないを守れば良い簡単な問題、確かにその通りです。ただ最近、私としては気になるニュースが目に付くようになりました。

飲酒運転を糾弾する記事を書いた朝日新聞甲府総局の男性記者が酒気帯び運転で摘発され、懲戒解雇処分となりました。何とも莫迦な記者で、朝日新聞の監督責任まで問われる不祥事です。一方で、詳しく報道内容を見ていくと運転免許証を持っていない方や絶対アルコールを飲まない方以外、他人事ではない注意すべき事実が分かります。

その記者は17日夜から18日午前にかけて深酒、休日である18日の昼に飲酒、一斉取締りの検問で摘発された時間が19日午前1時40分頃でした。最後に飲酒した時間から10時間以上経っているにもかかわらず、呼気1リットル中0.15mg以上のアルコールが検知されたことになります。

前夜の深酒が残っていたためか、昼食時の飲酒も半端でなかったのか、それとも直前まで飲んでいたのを偽っているのか不明瞭な点が残されていますが、果たして飲酒運転糾弾記事を書いた新聞記者が酒気帯びを自覚して運転するのでしょうか。同様な例として、飲酒後12時間以上でも摘発された米子市立の中学校教諭など、本人が自覚していない飲酒運転のニュースも目立ってきました。

言うまでもなく、アルコール濃度0.15mg以上は法律違反ですので処罰は避けられません。呼気1リットル中のアルコール濃度0.25mg以上が酒酔い運転、0.15mg以上0.25mg未満が酒気帯び運転、飲酒を勧めた人や同乗者にも刑事責任が問われます。ちなみに自転車も同罪です。まずは、これらの内容が徹底的に周知されていかなければなりません。「知らなかった」で法律は許してくれません。

同時に今後、アルコール検知器を手元に置く話が冗談ではなくなります。このような「過失」に近い飲酒運転を防ぐためにも、普及活動や常備する義務化などの検討も必要だろうと思います。このように書いてくると本質的な議論から遠ざかっていく気がします。そもそも悲惨な交通事故をなくすため、飲酒運転の撲滅が大きな目的です。

そのことは誰もが共通しています。繰り返しになって恐縮ですが、飲酒運転すべて同列に括って「即、クビ」の選択肢だけとなることに疑問を投げかけています。法律に基づく罰則に加え、飲酒運転の抑止力を高めるために職務上の処分が厳しくなることに異論はありません。その基本姿勢を踏まえた上、社会的にも許容できる情状酌量の範囲を設け、懲戒免職オンリーとせず、停職などの処分で悔い改めさせ、再チャレンジできる仕組みも必要だと考えています。

また、酒気帯び運転など軽微な違反にとどまった時は、必ずしも警察から勤務先へ連絡が行かないそうです。すべて即免職の基準だった場合、自己申告しないケースが多いだろうと懸念されています。自己申告しないと厳罰と言われても、免職以上の厳罰はないため、ビクビクしながら「逃げ得」の負い目を生涯背負う職員が出るだろうと見られています。

今回の記事は、より具体的な記述が多い分だけ、私の問題意識や立場と異なるご意見の方からは「甘い、甘すぎる!!」と痛烈なご批判を受ける可能性があります。ご批判を覚悟で、もう少しだけ自分の問題意識を付け加えてみます。

懲戒免職処分は、その当事者の人生そのものや家族の生活面から重大な問題です。別な角度からも重い問題があります。その職員の担っていた業務や責任面で、突然、穴が生じる点です。市民から選挙で信任を受け、どのような業績を上げた市長でもルールはルールとなり、職員と同じ適用が求められることになります。

その職員が採用されるまでの費用、研修などに要した費用、すべて水泡に帰します。職場旅行で解散した後、一人が飲酒運転で摘発され、参加者が黙認していた場合、一つの課丸ごと職員がいなくなる例示は暴論かも知れません。今後、そのような緊張感が欠けた公務員は出ないものと思いますが、可能性はゼロではありません。

極端な例を出し、また議論を混乱させてしまったかも知れません。とにかく飲酒運転は全力で撲滅をめざすべきものであり、この考え方は大半の方と共有化した認識であるはずです。その上で、様々な角度から意見交換できるのは相互通行のブログの利点であり、ひいては民主的な社会の良さだと感じています。

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2006年9月18日 (月)

飲酒運転の撲滅へ Part2

前回記事「飲酒運転の撲滅へ」に対し、本当に多くの方からコメントをいただきました。このブログへ初めてコメントされた方も多く見受けられましたが、即座にコメント欄でお答えできず申し訳ありませんでした。

日曜の朝、返信コメントの中でお伝えしていましたが、組合の会議で2日間出かけていました。11月の定期大会に向けた議案討議のため、組合役員が缶詰になって議論を交わしてきました。

自分の携帯電話からは「サイズが大きすぎるため、このページは表示できません」とメッセージが帰り、このブログを見ることができません。それでも前回記事のコメント欄が気になっていたため、参加していた他の役員から携帯電話を借り、討議の合間に皆さんからのコメントを読ませていただいていました。

先ほど帰宅し、自宅のパソコンで改めてコメントすべて目を通し終えたところです。厳しいご批判、お怒り、貴重な問題提起、無名の一公務員のブログへ熱い気持ちが託された数々のコメントにたいへん恐縮しています。

本来、一つ一つのコメントに対し、ていねいにお答えすべきところですが、新たな記事本文の投稿をもって代わりとさせていただきます。返信の遅さと合わせ、重ねて申し訳ありません。

前回記事と重複する内容があるかも知れませんが、改めて私なりの飲酒運転に対する考え方を書き込んでみます。言うまでもありませんが、アルコール濃度が0.15mgに満たなくても飲んだら運転は絶対厳禁だと考えています。

また、酒気帯び運転で事故も起こしていない段階での厳罰が問題だと言っている訳ではありません。厳罰化が進むことによって、悲惨な事故につながる飲酒運転が撲滅していくことは大歓迎の立場です。

残念ながら人間に過ちは避けられず、交通事故そのものを皆無とすることは困難だろうと思います。しかし、飲酒運転は人間の「飲んだら乗らない」とした意思が徹底化することで撲滅できるはずです。

今回のコメントの中で「人の意思だけに頼らず、公共交通機関の充実など環境整備も重要」だとのご意見がありました。確かにその通りだと思いました。そして、「まぁ一杯ぐらい」と勧めることも絶対駄目だと周囲の人間が意識改革することの大切さも本当にその通りだと思います。

自治労のホームページの「小見出に踊らされている訳ではない、公務員の権利擁護ばかりが先に立ち、この程度の意識では飲酒運転の撲滅なんぞ夢物語に終わる」、多香子さんから非常に厳しいお叱りを受けました。

決して小見出の問題に矮小化したつもりはありませんが、「飲酒運転防止の行きすぎ」のネーミングは致命的な誤りだったと考えています。その上で、自治労顧問弁護士の主張そのものが全面的に誤りだったとは今でも思っていません。

また、前回記事で「夜に飲んだアルコールが寝て起きた後も残っていた場合、それも酒気帯び運転となるため、即、懲戒免職…。このようなケースでも情状酌量の余地がないのでしょうか」と記しました。顧問弁護士の話と合わせ、自分たちのクビを守るための抜け道探しだと受けとめられ、「何を甘いこと言っているんだ」と憤りコメントが多く寄せられました。

「決してレアなケースを掲げ、例外規定を設け、姑息な抜け道を探ろうと考えている訳ではありません」と書きましたが、二日酔い運転を認める文脈に取られたとしたら言葉が足らず申し訳ありませんでした。その場合でも交通違反は免れず、当然、処罰の対象となることも避けられません。

ただ本人は飲酒運転している意識がなく、見通しの甘さから違反に至った際、その場合も即、懲戒免職と定めることの妥当性を問題提起させていただきました。この思考自体も「甘い!」と批判を受けるかも知れません。

法律や条例規則の厳守は言うまでもありません。したがって、ルールが決まった後に「あまりにも厳しすぎる」と訴え、例外や運用を求めることは絶対できません。だからこそ、ルールが変わる前に社会的にも法的にも妥当な線を慎重に検討することの必要性を痛感しています。

飲酒運転の厳罰化により、飲酒運転撲滅の大きな流れを作る、公務員が率先して進めるべきものだと思っています。したがって、飲酒運転、即、懲戒免職の方向性も拒む立場ではありません。その上で別な視点の話として、新たなルール改正にあたっては多面的、慎重な検討が必要だと考えています。

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2006年9月16日 (土)

飲酒運転の撲滅へ

先月末、福岡市職員の酒酔い無謀運転で幼い3人の命が奪われました。ひき逃げ、証拠隠滅など悪質な事件であり、今林容疑者は業務上過失致死傷から危険運転致死傷罪の容疑に切り替えられました。同罪での立件の難しさがあったようですが、福岡県警の懸命の捜査が実を結ぶ形となりました。

福岡市での痛ましい事故の後、このブログへ飲酒運転に絡んだコメントが多く寄せられています。その中で、自治労のホームページの問題が指摘されていました。「困ったときの法律相談所」のコーナーの一つに「飲酒運転防止の行きすぎ」を小見出としたQ&Aが掲載されていたようです。指摘を受け、さっそく見に行った時は、すでに削除された後でした。その後、この問題は波紋を広げ、新聞各紙でも記事として取り上げられました。

公務員による飲酒運転が問題化する中、「自治労」(全日本自治団体労働組合)=岡部謙治委員長、101万人=がホームページ(HP)などに掲載していた「飲酒運転防止の行きすぎ」と題する文章を「誤解を招きかねない」と、13日付で削除したことが分かった。自治労は地方公務員を中心とする国内最大の産業別労働組合。

文章は、機関誌「自治労通信」713号(05年7・8月)の「困ったときの法律相談所」欄で、顧問弁護士が答える形で、HPも載せていた。弁護士は「飲酒運転は許されるものではない」と前置きしつつ、酒気帯び運転で検挙されただけで懲戒免職にするとの自治体の処分基準に「あまりに厳しい処分は許されない」とし、飲酒運転で懲戒処分にした場合の職員の氏名公表についても「原則として違法」などと記していた。しかし、今月12日ごろから「公務員に対して甘い」などと抗議する内容のメールが相次ぎ、自治労本部で協議。削除を決め、弁護士にも連絡したという。【毎日新聞 9月14日】

現在、この件に関した謝罪文が自治労のホームページに掲げられています。リンクをはるよりも手っ取り早くコピーした全文をご紹介します。

自治労通信713号(2005年7・8月)の「困ったときの法律相談所」について、自治労顧問弁護士 小川 正氏により「飲酒運転防止の行きすぎ」という記事が掲載され、この記事をめぐり多くの方々から、さまざまなご意見を頂戴しました。 この記事の趣旨は、「飲酒運転は許されるものではない」と述べていることからも明らかな通り、飲酒運転を擁護することを目的としたものでは決してなく、飲酒運転をした者に対する懲戒処分の基準について、人事院の「懲戒処分の指針」(2002年改正)をもとに弁護士の立場から考え方を示したものです。

しかし、公務員の飲酒運転が大きく取り上げられている今日、読者に誤解を与えかねない記事であることから、ホームページ上から削除することとしました。 ご迷惑をおかけしましたことにお詫び申し上げます。 飲酒運転は撲滅しなければなりません。また、そのような行為があった場合は、厳正なる処分が課せられるのが当然です。 2001年6月に道路交通法改正、2001年12月に危険運転致死罪(刑法第2百8条の2)の新設など、飲酒運転に対する処罰は厳しくされましたが、残念ながら、飲酒運転は減少していません。 自治労は、この秋より飲酒運転撲滅運動を改めて提起し、自治労総体で取り組みを強めます。

この問題は「勝谷誠彦の××な日々。」の中で連日取り上げられ、自治労の対応が強烈に批判されていました。そのサイトの記事内に削除されたQ&Aがウェブ魚拓(保存)されていたため、問題になった文章の全文を読むことができました。現時点ではそのウェブ魚拓もなくなっているようですが、要旨は毎日新聞の記事のとおりでした。

自治労側の致命的な失態は、小見出の付け方が非常識不見識な愚かなものでした。顧問弁護士の説明は「事故を起こさず酒気帯び運転だけで、懲戒免職の処分は行きすぎ」と法解釈を示していました。どう読んでも「飲酒運転防止の行きすぎ」とは書いていません。小見出としては「飲酒運転による懲戒処分の行きすぎ」が妥当だったと思われます。

小見出を付けるのは編集した自治労側だろうと思いますので、その失態を周りの役職員がチェックできなかった点も残念なことです。また、この記事自体、悲惨な福岡市での事故が起きる一年以上前に掲げられたものでした。したがって、事故が起きた直後、外部から指摘を受ける前に一定の配慮や判断を下すことも一つの選択肢だったはずです。

弁護士の法解釈そのものに絶対的な問題があった訳ではありません。ただ飲酒運転に対する厳しい目が注がれている中、「酒気帯びぐらい…」と擁護している甘さがあるような誤解を招き、飲酒運転撲滅への自治労の姿勢が問われ兼ねない記事だったとも言えます。

しかし、外部から指摘や批判の声が高まったから削除、これは最悪な対応だったと考えています。小見出は完全に不適切なものであり、すみやかに修正が必要でした。しかしながら弁護士の法解釈や主張そのものには賛否が分かれたはずです。批判を受け、記事を削除したと言うことは内容そのものの誤りも認めたことになってしまいます。原文は残した上で、自治労としての見解を加える対応が望ましかったのではないでしょうか。

誤解がないよう改めて強調させていただきます。今回の記事タイトルにあるとおり飲酒運転は絶対撲滅させるべきものです。コメント欄でも書きましたが、交通事故は減少させることができても、撲滅させることは困難です。しかし、飲酒運転は撲滅させることができます。それは運転手の意思の問題だからです。

このように飲酒運転の違法性が大きく注目され、厳罰化が進み、「飲んだら乗らない、乗るなら勧めない」社会常識が定着していくことは歓迎すべき状況です。「さましてから車で帰る」も絶対タブーとしなければなりません。呼気1リットル中のアルコール濃度0.25mg以上が酒酔い運転、0.15mg以上0.25mg未満が酒気帯び運転、飲酒を勧めた人や同乗者にも刑事責任が問われることになります。

まずは自分の周囲の人たちへ飲酒運転厳禁の働きかけを強めていこうと考えています。その上で、自治労顧問弁護士の話に戻ります。酒気帯びも飲酒運転に変わりなく、厳罰化されていく点はやむを得ません。しかし、労働者にとって極刑である懲戒免職の「結論ありき」の流れだけは少々違和感があります。

アルコール濃度の低下時間には個人差があるはずです。例えば夜に飲んだアルコールが寝て起きた後も残っていた場合、それも酒気帯び運転となるため、即、懲戒免職…。このようなケースでも情状酌量の余地がないのでしょうか。決してレアなケースを掲げ、例外規定を設け、姑息な抜け道を探ろうと考えている訳ではありません。

条例や規則は定めたら厳守しなければなりません。したがって、四の五の言っているように聞こえるかも知れませんが、新たなルールを定める時は様々なケースを想定した慎重な検討が欠かせないものと考えています。繰り返しになりますが、飲酒運転は撲滅をめざすべきものであり、その方向性に水を差す意見ではないことを最後に付け加えさせていただきます。

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2006年9月13日 (水)

世界がもし100人の村だったら

前回記事「特殊勤務手当の見直し」に対し、たくさんの方から貴重なご意見のコメントをお寄せいただきました。今後の労使協議に向けた判断材料や参考にさせていただきます。ありがとうございました。

さて今回、また記事タイトルが公務員の職場課題から離れ、唐突な印象を持たれた方が多いかも知れません。このブログは組合活動を身近に感じてもらうことも目的として、今までも催したイベント内容などについて報告した記事を投稿してきました。今回、初めての試みですが、来週開くイベントのPRを兼ねた記事を書き込んでみました。

私どもの組合は「世界がもし100人の村だったら~あなたもここに生きています」と題した講演会を来週木曜日に企画しています。この題名の著書をご存知の方も多いのでないでしょうか。もちろん講師は、その本の作者である池田香代子さんをお呼びしています。池田さんはドイツ文学翻訳家と口承文芸研究家の肩書をお持ちです。

世界を人口100人の村に置き換えたら、性別、人種、宗教、言語、環境、生活の状態など、どのようになるのでしょうか。例えば本には「100人のうち20人は栄養が充分ではなく、1人は死にそうなほどです。でも15人は太り過ぎです」「1人が大学の教育を受け、けれど14人は文字が読めません」と記されています。

インターネットのEメールで世界に広まっていた「世界がもし100人の村だったら」のメッセージをアメリカ同時多発テロの後、池田さんが数字や表現を加筆して絵本として再話しました。このメッセージを一人でも多くの人に知らせたいと池田さんが願って出版した絵本は海外でも翻訳され、130万部を超すベストセラーとなっています。

世界を100人に縮めることで見える事実は、理不尽なまでの不平等さをリアルな感覚で浮き彫りにしました。その絵本は、この世界にいろいろな人がいることを知り、受け入れ合っていく大切さを訴えています。そして、戦争や飢餓などで苦しむ人たちのことを知り、平和的に共存できる「村」とするために何ができるのか、「100人の村」の現実から考えることができます。

池田さんは本の印税で「100人の村基金」を立ち上げ、NGOや日本国内の難民申請者の支援を行なっています。来週の講演会は「世界がもし100人の村だったら」の絵本のメッセージを通し、池田さんから平和や環境、人権の問題などについて語っていただく予定です。

組合員の方はもちろん、一人でも多くの方にご来場いただければと考え、参加費は無料としています。9月21日午後6時30分から立川市民会館小ホールで開きます。280人収容のホールですので、直接ご来場いただいても大丈夫なはずです。私どもの組合員以外の方も大歓迎ですので、ぜひ、お気軽にご来場ください。

最後に冗談話です。私どもの組合の役員や書記局職員が100人の村(当然、100人もいませんが…)だったら「80人が太り気味(デブ)」と聞いた時は、思わず笑ってしまいました。少し誇張(?)された話ですが、メタボリック症候群に注意すべき人が多いことは確かかも知れません。

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2006年9月 9日 (土)

特殊勤務手当の見直し

ブログの記事を書く傍らに国語辞典、カタカナ語辞典、慣用句辞典などが置いてあります。広辞苑も必要かなと思っていましたが、値段の高さや分厚くかさばる点に二の足を踏んでいました。どうせなら金額が少しはっても電子辞書がコンパクトで良いかなとも考えていました。

ある日、駅前にある家電量販店でカラー液晶の電子辞書を目にしました。その画面の鮮明さと操作のしやすさに魅力を感じました。さすがに衝動買いは避け、その日はカタログを持ち帰るだけとしました。そのカタログを見ていくうちに絶対必要だ、すぐ手に入れたいとの気持ちが強まっていきました。

そう思った翌日、自宅へ車で帰る途中、新青梅街道沿いの家電量販店へ飛び込みました。お客が少ないなと感じていましたが、案の定、閉店時間を過ぎていたようでした。お詫びしながらも目当ての商品の在庫を店員の方に尋ねてみました。すると快く在庫を確認していただき、買いたかった型の電子辞書を手に入れることができました。

今、その電子辞書はパソコンの横に置かれ、前回記事「自治労の闇、自治労の見解」から大きく貢献しています。ちなみにコンテンツの一つにあった脳年齢測定に挑戦してみました。初めて試した結果は「35歳」、実年齢よりずっと若いので一安心したところでした。

さて先週、団体交渉が開かれ、市当局から特殊勤務手当の見直し提案が示されました。団体交渉には助役、人事担当の部長と課長、書記として人事課の係長2名が出席します。対する組合側は委員長以下、執行部全員が出席対象となります。条例で勤務時間内の交渉が認められていますが、職場を離れられない執行委員の欠席者が必ず出るため、全員揃う時の方が少ないかも知れません。

ここで特殊勤務手当について説明を加えさせていただきます。略して特勤手当は「著しく危険、不快、不健康、または困難な勤務その他の著しく特殊な勤務」に従事した職員へ支給されます。国家公務員をはじめ、全国の自治体どこにでもある手当です。特殊勤務手当は条例で定めて支給されていますが、最近、多くの自治体でその見直しが進んでいます。自治体によっては全廃したところもあるようです。

見直しの背景として、公務員の勤務条件が手厚すぎるとの声がある中、特殊性が見当たらない業務にも支給している「お手盛り手当である」との住民からの批判がありました。そのような声を踏まえ、総務省は自治体に対して特殊勤務手当の見直しや適正化の指導を強めていました。見直す際、総務省が示している主な視点は次のとおりです。

  1. 国にない手当であることをもって直ちに妥当でないと言うものではないが、時代の変化を踏まえ、必要性及び妥当性を改めて検証する必要がある。
  2. 他の手当又は給料で措置される勤務内容に対して重複の観点から検討を要する。
  3. 対象業務に従事した場合ごとに日額や件数当たりで支給することが適当であり、月額支給等となっているものの妥当性の検討が必要である。

以上のような経緯とともに人件費の抑制を主眼とし、私どもの市の経営改革プランの中でも特殊勤務手当の見直しが掲げられていました。その内容は「勤務の特殊性の有無及び手当の支給方法について、全面的な見直しを行ない、著しく不快や危険を伴う業務に限定して支給する」と記されています。

手当の見直しは直接的な労働条件の問題であり、労使合意なく一方的に実施しないことを確認しています。その原則に基づき先週の団体交渉で、特殊勤務手当の見直しが組合へ正式に示されたことになります。組合にとって厳しい提案内容であっても提案そのものは受け、真摯に労使交渉を重ね、組合員との合意形成をはかりながら決着点を見出していくことが通例となっています。

今回、市側が提案してきた内容は、組合にとって到底受け入れられるものではありません。17項目の特殊勤務手当を見直した結果、「すべて廃止する」とした提案内容でした。その理由も「不快性・危険性・困難性は一部認められるが、基本的には本来業務の範囲として考えられる」など、無理に取って付けたようなものが大半でした。「全廃ありき」の結論が先にあったことが透けて見える提案だと言えます。

もともと手当一つ一つに支給してきた経緯や位置付けなど重視すべき歴史があり、簡単に廃止や見直しができる代物ではありません。しかしながら社会情勢の変化などを踏まえた場合、すべて現状維持を求めていく硬直した方針では立ち行かない時代だと認識しています。したがって、提案を受ける前提として「全廃ありき」ではなく、存続や方式変更など修正の幅を持った労使協議に臨む姿勢を市側にただしました。

その団体交渉の中で基本的な姿勢が確認できたため、今後、改めて労使で一つ一つの手当を検証していく協議を進めることになります。全廃を決めた自治体もありますが、特殊勤務手当の制度自体が否定されている訳ではありません。つまり「オールorナッシング」ではない見直し協議を通し、合意点を探るべき類いの労使課題だと考えています。

今回の記事を「公務員は恵まれている」と思われている方がお読みになれば、「全廃が当然」で組合が抵抗勢力のような見方をされるかも知れません。一方、組合員からは「また手取りが下がるのかな」「あまり物分かりの良い組合になって欲しくない」「組合費を払っている分だけ組合に頑張って欲しい」などの声が聞こえてきそうです。

組合員の利益を第一と考えるのが組合の存在意義ですので、昔ならばストライキ配置も辞さない「既得権」を守る闘争が多くの組合員から支持を得ていたものと思います。そのような時代ではないことを頭の中では皆分かっているものと思います。確かに組合としても「市民の目」を意識しなければなりませんが、時代が変わっても組合員の期待を背中に感じながら労使合意できる到達点をめざすことが大事なことに変わりありません。

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2006年9月 7日 (木)

自治労の闇、自治労本部の見解

久しぶりに平日の夜、記事を投稿します。ある程度速報性にもこだわり、内容も身近な職場課題を取り上げようと考えていました。昨夜、私どもの組合の保育士連絡会が主催し、「楽しい子育てしませんか~困ったちゃんのほめ方・叱り方」と題した学習会が開かれました。

このブログで保育園の問題を今まで2回ほど取り上げてきました。「保育園民営化の問題点」と「保育園民営化に賠償命令」という記事でした。その最初の記事の中で、東京大学大学院の汐見稔幸教授のお話をご紹介しました。昨日の学習会は、その汐見先生を講師としてお呼びしていました。

100人定員の市民会館会議室があふれかえる参加者の数だったと聞いています。実は出席を予定していたのですが、所用で顔を出すことができませんでした。自分自身が実際に参加せず、伝聞や関連する内容で記事内容を構成するのは「さいたま市で自治労大会」のような大きな催しの時にとどめるべきものと考えています。

したがって、今回の記事も職場課題から少し離れた硬めの内容となりました。それでも今回の内容も早くお伝えすべき必要性を感じていましたので、久しぶりに休日を待たず平日夜に新規記事を投稿しました。

自治労の闇を撃つ 日本最大労組で横行する巨額詐欺事件 全労災のカネが食い物に!

先週金曜、月刊「現代」に上記のとおりショッキングな見出しの記事が掲載されました。この記事を新聞広告で知り、さっそく購入し、目を通してみました。フリージャーナリストの岩瀬達哉氏のスクープとして、1998年に発覚した自治労大阪府職の「共済保険金着服・詐欺事件」の解決方法の不明瞭さなどを21頁にわたって取り上げていました。

一昨日、自治労都本部を経由して私どもの組合へファックスが届きました。月刊「現代」10月号の掲載記事に対する自治労本部と自治労共済の見解でした。自治労本部らは冒頭の文章で誹謗・中傷する記事だと反論し、毅然とした態度で臨みながら適切な対抗措置を講じていくと訴えていました。

改まった自己紹介となりますが、このブログの管理人である私は自治労に加盟する市職員労働組合の執行委員長です。単組(単位組合の略で「たんそ」と読みます)における全責任を負う役割を担っていますが、この問題に関しては比較的フリーな視点で発言できる立場だと思っています。そのような前置きをした上で、記事への論評や自治労本部への注文などを書き込んでみました。

1998年7月、自治労大阪府職の副委員長(当時)による共済保険金の詐取が発覚しました。「現代」の記事は、あくまでも副委員長の個人的な犯罪とするため、あまり追い込まないよう自治労側が手心を加えた和解に持ち込むなど、裏取引があったと伝えています。

それに対する自治労の見解は、弁護士や会計士を含めた合同調査委員会が徹底調査を行ない、副委員長を刑事告発、民事上の損害賠償請求訴訟と裁判上の和解など、すべての対応は終了していると表明しています。そのため、自治労として新たにコメントすべき事柄は皆無だと述べています。

合わせて別紙「自治労大阪府職・団体生命共済の共済金詐取事件の概要について」を添付し、事件の手口、副委員長の懲役3年(執行猶予4年)判決の量刑理由、和解の経過や再発防止に向けた改善策などが分かるようになっていました。

個人的な感想です。毅然とした態度で適切な対応措置を講じると表明する一方、自治労として新たにコメントすべき事柄は皆無…、少し説得力が乏しい印象を抱きました。事件の隠蔽工作があったとする「現代」の記事に対し、具体的な反証を加えない場合、逃げているような疑念が生じてしまいます。

続いて「現代」の記事に対する違和感です。巨大組織の裏金の実態を白日の下にさらすと言ったセンセーショナルな扱いでしたが、現在進行形で自治労全体が「闇」の温床となっている印象操作だと言わざるを得ません。最近の記事「岐阜県の裏金作りと自治労の不祥事問題」で記したとおり、2001年秋、どうしようもない自治労の不正の数々が明らかになりました。

その一連の事件を厳しく反省し、一から出直し、生まれ変わった今の自治労があると信じています。「現代」の記事は、それ以降も組織として不正が横行する体質が残り、背景には1390万人が加入する全労済との癒着があるように示唆していました。しかし、現在に続く組織的な「自治労の闇」なのか、10月号の特集で、そのことを裏付ける直接的な記事内容は見当たりませんでした。

一方で、2004年に島根県本部、2006年に佐賀県本部で、それぞれ事務局職員による掛金横領事件が明るみになりました。これらが一部の不届き者の個人による犯罪だと言い切れるのか、私にとって判断する材料が不足しています。さらに岐阜県職労の裏金隠匿協力は、極めて残念ながら致命的な組織の不正行為だと断言せざるを得ません。

自治労本部への注文です。ぜひ、内向けの「見解」表明にとどめず、広く外側に向かって毅然とした「現代」記事への反論を加えるべきだと思っています。また、不幸にして万が一、ある面で「闇」の指摘が事実だとするならば、一刻も早い自浄能力や各県本部への強力な指導力を発揮すべきだと考えています。

今回の記事内容に対し、自治労の一員である私への批判をはじめ、厳しいご意見が寄せられることを覚悟しています。それでも、今まで自治労に関連する記事を多数投稿していながら今回の問題に触れないのは不自然だと思い、このような記事を投稿させていただきました。

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2006年9月 3日 (日)

責任の処し方、あれこれ

2016年の夏季オリンピック国内立候補都市が東京都に決まりました。JOCの選定委員会で、33対22の11票差で福岡市を退けました。個人的には東京での開催に反対であり、どちらかと言えば地方活性化の一環から福岡市の方が好ましいと思っていました。

また、私の住む三多摩は東京ですが、職場で話題にさえならないほど関心が薄いニュースでした。そもそも石原都知事にとって「東京」とは23区のみを指し、今回の計画そのものも三多摩地域での競技開催は予定されていません。

さらに今年5月、瑞穂町議会では五輪招致決議案を否決しました。その際、石原都知事は「なんで反対なのか、よく分からん。頭を冷やした方がいい」と痛烈に瑞穂町を批判していました。日頃から市町村を見下している都知事の高慢さが浮き彫りになった発言でした。

いつものことながら記事タイトルと異なる話にそれがちで、たいへん恐縮です。さて今回、責任の処し方について取り上げてみました。責任の取り方、その対象となる範囲など、ケース・バイ・ケース、千差万別、あれこれあり、正解を出すことは難しいものと思います。そのことを踏まえながら最近の具体的な事例を振り返ってみます。

福岡市の五輪招致が東京に敗れる数日前、酒酔い運転した福岡市職員が重大事故を起こしていました。3人の幼い命が奪われた悲惨な事件でした。殺人同然の無謀な過ちを犯した職員の管理監督責任が問われるのは当然です。人口150万の政令市ですので、山崎市長はその職員の顔も見たことがないかも知れません。それでも自治体の最高責任者として深く陳謝し、徹底した再発防止策を示すのは妥当な責任の処し方だと思います。

一部では、この事故の責任を取って「福岡市は五輪招致の立候補を辞退すべき」との声まで上がっていました。確かに取り返しのつかない事故でしたが、そこまで波及させるのはどうだろうかと私自身は感じていました。もっと大差で福岡市を破る票読みだったと聞いていますので、結果としてJOCの委員の判断に事故はあまり影響を与えなかったようです。

このブログの前回記事「さいたま市で自治労大会」のコメント欄へ、福岡市の悲惨な事故に対する怒りの声が立て続けに寄せられました。公務員が犯した事故への憤りを公務員のブログへぶつけるお気持ち、忸怩たる思いで受けとめました。この事件を痛ましい教訓とし、いっそう公務員の立場や自覚を強める決意だとお答えさせていただきました。

憤りのコメントが続いた一方、エニグマさん、カフェオレさん、ニン麻呂さんからは、今回の事故の責任を公務員全体に問うのは不適切であるとの趣旨のコメントをいただきました。ご指摘のとおり飲酒運転の問題は公務員も民間も問わず、改めて絶対厳禁の戒めにしなければなりません。その上で、何かひとたび事件を起こした時、風当たりは民間の方より断然厳しい点も公務員全員が自覚すべきだろうと考えています。

一昨日、岐阜県庁の裏金(最近の記事参照)は17億円に上ると推計し、利息を含めた約19億2千万円の返還を現職とOBに求めた調査報告書が示されました。今後、責任に応じて職員への処分、内容によって刑事告発も行なうと古田県知事が表明しています。ただし、現職知事としての自らの責任については触れられていないようです。

今年7月31日、埼玉県ふじみ野市の市立プールで女児が吸水口に吸い込まれ、死亡する痛ましい事故が起きました。管理運営を民間会社へ委託しているとは言え、即時に島田市長は市の責任を認め、テレビカメラの前で謝罪していました。事故を未然に防げなかった責任は重大であり、当たり前なことなのかも知れませんが、トップ自らの迅速な記者会見の姿勢に関しては評価できるものと思いました。

茨城ゴールデンゴールズが函館遠征した夜、極楽とんぼの山本圭一選手が17歳少女とみだらな行為をしたとして警察で事情聴取されました。その道義的責任を取り、監督の萩本欽一さんは突然チームの解散を発表しました。その後、ファンや選手らの熱い声を受けとめ、存続へと改めました。あまりにも極端な責任の処し方に大勢の方が驚きましたが、その潔さは欽ちゃんの好感度をさらに高めたようでした。

私自身の感想として本当にゴールデンゴールズは解散しなくて良かったと思っています。似たような問題として高校野球の連帯責任の取り方について、常々疑問を感じていたからです。懸命に練習してきた選手に直接的な非がないにもかかわらず、そのチームや学校に不祥事が起きた際、甲子園大会出場辞退や対外試合禁止のペナルティが課せられてきました。

この夏の大会に準優勝した駒大苫小牧も、先輩たちが卒業式の夜に飲酒と禁煙で補導された責任を問われ、春の選抜を辞退していました。その悔しさや苦しさを乗り越えた決勝進出でしたので、すばらしい精神力の選手たちだと感心していました。しかし、大半の高校球児は理不尽な仕打ちに腐ってしまう場合が多いのではないでしょうか。今までの高校野球の連帯責任は行き過ぎであり、直接的な指導責任がある監督や教師の辞任にとどめるべきケースが数多くあったはずです。

個人的な不祥事に対する責任の処し方は本来シンプルであるべきですが、村上ファンド利殖疑惑で追及された日銀の福井総裁のような居座りも中には見られます。少し難解なのが今回例示してきた組織の構成員や組織そのものが不祥事を起こしたケースです。しかし、必ず意識しなければならない点があります。自治体の例で考えれば、大多数の住民から納得を得られる責任の処し方なのかどうか、その思いを感知することが重要である点は間違いありません。

最後に一言、誤解されないよう申し添えなければなりません。岐阜県の裏金や京都市で続出している職員の不祥事は当該の自治体の問題であり、公務員全体の問題としないで欲しい、このブログへその批判コメントを寄せないで欲しい、などと決して考えていません。そのような意図で今回の記事を投稿したものではなく、今までも繰り返し述べてきましたが、他の自治体の問題を常に「他山の石」としていく緊張感を持ち続けています。

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