ブログ開設から一年、されど靖国神社
最近の記事「岐阜県の裏金作りと自治労の不祥事問題」「プラマイゼロの人事院勧告」に対し、公務員や労働組合を厳しく批判するコメントが寄せられていました。その都度、コメント欄でお答えしてきましたが、記事本文でも深く掘り下げる必要性を感じていました。特に益田市議のニン麻呂さんからいただいた直近のコメントに対しては、改めて記事本文でお答えすることを伝えてありました。
8月15日には現職総理大臣として21年ぶりに小泉首相が靖国神社を参拝しました。マスコミの世論調査は軒並み「小泉首相の参拝を支持する」声が不支持を上回っていました。インターネット上でも賛同する意見が目立ちましたが、私自身は社民党代議士の保坂展人さんの「どこどこ日記」や前・新聞労連委員長の美浦克教さんの「ニュース・ワーカー」の記事に共感を覚えていました。
また、このブログ「公務員のためいき」を開設し、8月16日で丸一年が経ちました。100タイトルを越えたのは3月で、「多くの方に支えられながら101回」という節目の記事を投稿していました。その時点までは概ね2日に1回のペースで記事を更新していました。今回の記事が140タイトル目となりますので、更新ペースはダウンし、最近は週一間隔となっています。
以上のように今週は記事内容の題材に事欠かず、週末を待たず投稿しようと考えていました。もともと組合役員を務めているため、帰宅時間の遅い日が続くのも特段珍しいことではありません。今までは多忙な時期でも、必要に応じて就寝時間を調整してパソコンに向かってきました。
それが最近、タイムリーな記事を書きたいと思う一方、「週末にしよう」と睡魔の誘惑に負けてしまうのが定番となってきました。そのため週末に向け、書きたい内容や書く必要がある記事がたまっていきますが、「週一」の記事に複数のテーマを盛り込みすぎるのも控えようと思っています。と言いながら、ここまで前置きが充分長くなってしまいましたが…。
さて、内容の絞り込みに迷っていた時、このブログをよくご覧いただいている職場の上司から「靖国神社について、どう考えているの?」と問いかけられました。ブログを開設してから一年の節目記事も検討していましたが、上司の質問に後押しされ、今回は靖国神社の問題を取り上げることにしました。
まず私どもの組合方針は政治家の参拝に反対の立場であり、自治労や平和フォーラムは「小泉首相の靖国神社参拝に抗議する声明」を即時に示しています。また、昨年10月に小泉首相が靖国神社を参拝した日のブログの記事「秋、あれから2か月 Part3」では、次のような問題点を訴えてきました。
そもそも靖国神社は軍人の士気を高め、より円滑に戦争を進める役割を負わされていたことを押さえる必要があります。戦没者を慰霊することは大切なことですが、軍人以外にも数多くの民間人が戦争で亡くなっていることも忘れてはなりません。したがって、靖国神社の参拝に固執すること自体、平和を築こうとする方向性に反するものだと思っています。
私自身、この基本的な考え方に今も変わりありません。一方、人によって靖国神社に対しては様々な考え方やとらえ方があります。その中に靖国神社の伝統を重んじる声がありますが、1869年に明治政府によって建てられ、1879年に現在の名称に改められた近代以降の歴史があるに過ぎません。古来からある森や山を鎮守する伝統的な神社でないことは明らかです。
1877年に起こった西南戦争の序盤、カリスマだった西郷隆盛の存在そのものが薩摩軍兵士の士気を大きく高め、政府軍を統括した山県有朋は苦戦を強いられました。この苦戦を教訓化した山県は強力な軍隊作りのため、明治天皇のカリスマ化を進めるとともに靖国神社の役割に注目しました。戦場に送り出された国民が死ぬことを恐れないようにするため、西南戦争以降、靖国神社が大きく利用されたようです。
「富国強兵策を進めず、日本が欧米列強の植民地となっても良かったのか」「靖国で会おうと言って死んでいった人たちのことをどう考えるのか」などの声があります。さらにA級戦犯の分祀問題や新追悼施設の必要性など、靖国神社をめぐる問題は多岐にわたっています。このブログですべて取り上げることは困難ですが、続いて小泉首相の参拝問題に関して私見を述べさせていただきます。
冒頭で紹介した保坂さんや美浦さんの記事にあるとおり小泉首相の「公約」は軽率かつ無責任なものですが、「過去の戦争を美化、正当化するために行っているのではない」との言葉に偽りはないだろうと思います。この点は安倍官房長官らと歴史観や立場性の違いがあり、結果として多くの国民へ安心感を与え、高い支持につながっているのではないでしょうか。
しかし、一国の代表である総理大臣の言動は非常に重いはずであり、残念ながら小泉首相は決定的にその自覚が欠けているものと思っています。今回、中国や韓国からの圧力に屈しなかったと評価する声を数多く聞きます。確かに内政干渉には毅然とした対応が必要ですが、一方で外交は過去に交わした約束事の積み重ねによって成立しています。
どのような約束でも状況の変化によって、改める必要性や破棄したい時が訪れるかも知れません。ただし相手側の理解を得ず、一方的に約束を違えるようでしたら当然相互の信頼関係が崩れてしまいます。様々な見方や評価はありますが、歴代首相や日本政府の判断として「総理大臣は靖国参拝しない」と決めてきました。それにもかかわらず、相手側の理解を求めず「今までは今まで、自分は自分」の自己本位な姿勢を貫き、小泉首相は対中対韓関係を最悪なものにしてきました。
見過ごされ気味ですが、8月13日に前倒しして小泉首相が初めて参拝した2001年、その年の10月には訪中し、胡錦涛主席と首脳会談を開くことができていました。聞くところでは、その会談で「今後は靖国参拝を自重する」感触を胡主席へ与えていたようでした。そのことが誤解だったとしても、小泉首相が誤解を招くような軽率な言葉を発していたのではないでしょうか。
翌年4月、小泉首相は2回目の靖国参拝を行ないました。胡主席としては裏切られた感情が強く残り、それ以降、完全に冷え切った両首脳の関係となってしまったようです。余談ですが、このようなことは労使関係などにも当てはまります。労使交渉で決めたことは未来永劫不変なものではありませんが、変更する場合、充分話し合い、お互いに納得してから改める、信頼関係を保っていくイロハだと思っています。
テーマを一つに絞ったにもかかわらず、非常に長い記事となってしまいました。ここまでお読みいただいた皆さん、ありがとうございました。次回は、自治労の定期大会が開かれる週であり、ニン麻呂さんのコメントにお答えする意味合いからも自治労運動について取り上げる予定です。ぜひ、またご訪問いただけますようよろしくお願いします。
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コメント
ご無沙汰しております。
ブログの更新、大変ですね。私は時間が無いのと面倒くさくて結局、一度も更新しておりません(笑)
でもこちらのサイトは暇があるときに拝見しておりました。
基本的には反論ですが思ったことを述べさせていただきます。
靖国の定義ははっきり言って私はどうでもいいです。
問題なのは自国の取る行動をなぜ、いちいち他国の了承を得ないといけないのかです。
中国が日本にお伺いを立ててガス田の開発を行っておりますでしょうか?少なくともあのような蛮族かつ国際常識が通用しない国にいろいろ言われるのは甚だ心外です。
>それにもかかわらず、相手側の理解を求めず「今までは今まで、自分は自分」の自己本位な姿勢を貫き、小泉首相は対中対韓関係を最悪なものにしてきました。
これこそ中国のお家芸だと思いますがいかがでしょうか?
私は小泉さんは好きではありません。しかし、外国に対して毅然とした行動を取る部分は評価しております。
今までの政権が中国や韓国に対して及び腰だったのではないかと思っております。
投稿: エニグマ | 2006年8月20日 (日) 00時57分
エニグマさん、お久しぶりです。コメントありがとうございました。
中国や韓国に対する小泉首相の姿勢は、確かに歴代の政権に比べると強硬さが際立っています。今までが弱腰だったと思っている人たちからすれば、小泉首相のスタイルは高く評価されがちです。また、そのような強硬姿勢が高支持率を維持している背景だろうと見ています。
ご指摘のとおり日本側から中国や韓国への不満や批判は数多くあります。一方で中国や韓国側から日本への不満や言い分も多いのが現状です。双方の主張の正当性や是非を判断していくためには、率直な話し合い、外交面での交渉が欠かせません。
お互いが相手を非難し、怒りを内部にためこんでいくことは決して好ましい状態ではありません。主張すべき点は毅然と主張し、聞くべき点は真摯に耳を傾け、押したり引いたりするのが交渉の場です。
そのような場とすべき首脳会談が開かれない点について、私は非常に残念な異常な事態だと思っています。この点についても小泉首相は「会談に応じない相手が悪い」と自分勝手な居直りに終始しています。威勢や歯切れが良いリーダーの発言は歓迎されやすいものですが、国民の利益のためには幅広い見地で判断してもらえる最高責任者の存在が最も重要です。
隣の家との付き合いが最悪だった場合、いざとなれば引っ越しすることができます。しかし、国が引っ越しすることなど当然あり得ません。そのような観点からも近隣諸国との外交関係を改めて建て直す必要性に迫られています。
コメントに対するお答えまで長々と拙い私見を述べさせていただき、たいへん恐縮です。エニグマさん、ぜひ、これからも鋭い切り口でのコメントをお待ちしています。
投稿: OTSU | 2006年8月20日 (日) 10時37分
昔、書いた文章(というか片方の記事はほとんど引用)ですが参考まで
http://blog.goo.ne.jp/hammer69_85/e/feda87e48e813eb1450fcd71e6876755
http://blog.goo.ne.jp/hammer69_85/e/a4afa57838d14c0c6b9cc7923f93b997
靖国問題は純粋に政教分離・反戦に反する国内問題なのに、中国・韓国が絡んでそれを右からも左からも利用しようとするので、さっぱりとした議論にならないと思っています。
「靖国は一般の宗教法人として、神社が好きな人が行けばよい、公式な慰霊は非宗教施設で」というのが私の結論。
投稿: hammer69_85 | 2006年8月20日 (日) 20時27分
ハマーさん、コメントありがとうございました。
URLをはられた以前の記事も読ませていただきました。騒がれている靖国神社の問題について、結論的な答えは私もハマーさんの考え方と基本的に同じです。
A級戦犯の分祀などに政治が口をはさむこと自体、政教分離の原則に反します。靖国神社を崇めている遺族の人たちの思いも重要であり、今のままの存続が現実的な選択肢だろうと思っています。そのためには今後、靖国神社に対する過剰な注目や取り上げ方をせず、単なる一宗教法人として扱うことが大事な点となります。言うまでもなく、戦前のような思惑を持った政治利用は言語道断です。
その上で環境省が管理し、無宗教の千鳥ケ淵戦没者墓苑を国として追悼する施設に改めることが妥当な判断ではないでしょうか。靖国神社や支持する勢力の猛反対が大きな障壁なようですが…。
投稿: OTSU | 2006年8月20日 (日) 22時58分
ご無沙汰しております。私もハマーさん、OTSUさんとほぼ同意見です。小泉首相は伊勢神宮を持ち出してきましたが、靖国神社と比べるのは歴史を理解していない証拠です。
確かにこれはドメスティックな問題なので、他国があれほどの反応を示すのは内政干渉だと考えます。それが一番の問題であるように報道するマスコミは何か意図があるのでしょうか?
投稿: o4m | 2006年8月20日 (日) 23時48分
時々、興味深く拝見させていております。
組合活動の本旨というのは、そこで働いている人の労働条件を向上させる、ということであると思いますが。
なぜか、公務員の世界では、組合というと「反政府運動をする」こと、「米中韓(なぜか組合の連中はその他の国にあまり興味がないらしい)との関係を心配する」こと、「夏になると組合費使って広島や長崎、沖縄へ遊びに行くこと」のようです。
組合活動に興味のない人たちは、あーいつもの特定会派のプロパ下請け、がんばっているねぇ、という感じです。
「組合員が一体となってスッキリ応援できるような政治的な枠組」、を考えるのなら靖国のプロパの下請けしてアジっている暇を惜しんで、人勧ゼロの組合の見解、それを阻止ための活動、阻止を出来なかったお詫びと説明といった説明責任を果たすよう努めろと言いたい。
投稿: | 2006年8月21日 (月) 01時13分
o4mさん、お久しぶりです。コメントありがとうございました。
o4mさんのブログはRSSに登録し、よくおじゃまさせていただいています。滞納整理の奮闘ぶりなどがリアルに伝わり、更新を楽しみにしています。
靖国神社の問題は複雑多岐な切り口があり、議論のネタは尽きないように思えてきます。一点だけ付け加えれば中国や韓国のバッシングに対し、こちらも感情的に反発していくと「対立」のスパイラルに陥り、双方にとって不幸なことだと思っています。
o4mさん、ぜひ、またご意見ご感想をお待ちしています。
投稿: OTSU | 2006年8月21日 (月) 12時48分
2006/08/21 1:13:09に投稿された方、コメントありがとうございました。
このようなご意見に対し、しっかり答えていく趣旨からこのブログを続けています。したがって、このコメント欄でのお答えでは不充分な内容になりそうですので、改めて記事本文で取り上げる予定です。よろしくご理解ください。
なお、質疑応答や議論をスムースに運べるよう、ぜひ、次回からはハンドル・ネームでの投稿をお願いします。
投稿: OTSU | 2006年8月21日 (月) 12時57分
上記のとおり「記事本文で」とお答えしましたが、あまり間が開いてしまうと不誠実ですので、取り急ぎコメント欄でも見解を述べさせていただくことにしました。
組合員の労働条件向上が組合活動の本旨であることは言うまでもありません。その上で、一定の政治や平和活動の必要性を再三ブログの記事を通して訴えてきました。平和活動の一環として沖縄や被爆地へ組合員を派遣していますが、どこの組合も「物見遊山」な参加はしていないはずです。また、私どもの組合は派遣が組合役員に偏らないよう原水禁大会などへは組合員の参加を公募しています。
万が一、特定の政党や団体が方針を左右する組合だった場合、きわめて遺憾な状態だと思います。大半の組合は、ごく普通の組合員が押し出されるように役員を担い、責任感や使命感、もしくは断れない気の弱さ(?)から続けているのではないでしょうか。
さらに一つ一つの活動は、すべて組合員の合意形成や民主的な手続きを経て方針化されているはずです。したがって、組合方針の一つだった場合は「なぜ、小泉首相の靖国参拝に反対しているのか」、その説明や議論提起も大事だと考えています。
そのような考え方や立場を踏まえ、組合役員を名乗って投稿している私のブログは人事院勧告から靖国問題まで幅広く取り扱っている経緯があります。
充分なお答えになったかどうか分かりませんが、近いうち自治労大会について触れる予定ですので、このような趣旨の内容は改めて記事本文でも取り上げるつもりです。ぜひ、これからもご注目、率直なご意見をよろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2006年8月21日 (月) 23時03分
2006/08/21 1:13:09で本当に失礼ながら不躾な意見を書き込んだものです。
本当に丁寧な返答ありがとうございます。このような場所を作っているOTSU (管理人)さんには本当に頑張って欲しいと思います。
ただ、「組合の平和運動」なども読ませていただいたのですが、依然として、組合が「平和運動」を組合費をかけてする必然性が分かりません。
組合費を、「労働条件向上対策費」と「平和運動費」に分けていただいて、後者は任意制にすれば良いと思うのですが。
あなたのエントリーの「政治課題の難しさ」
「どのような場面でも組織が一定の影響力を持つためには、その組織を構成している人たちの考え方がまとまっていることが大切です。」
というのであれば、賛成反対が拮抗している靖国問題が絡む政治の話なんかすべきではない。少なくとも、小泉首相の参拝の世論調査はほぼ半々だし。(僕は個人的には、小泉首相の参拝は賛成です、それについて組合の幹部ごときに批判されたくない。)
言いたいのは、自分の給料や勤労条が上がる運動に反対の人はそんなにいない筈なのに、無理に直接自分の給料や勤労条が上がる話ではない「政治課題」、今回で言う靖国に関して、しかも国民の半数以上が賛意を示している事柄について(組合員でも賛成の人も多いと思われるが)明確な反対を唱えることに必要性が判らないと。
最後に一つOTSU (管理人) 質問してよろしいでしょうか。
1公務員の待遇を引き下げるけど、靖国参拝はしない
2靖国参拝は毎年欠かさずするのを公約するが、公務員の労働条件は命を張って守る
という候補がいた場合に、あなたはどちらを支持しますか。
本当に失礼なやつで申し訳ありませんが、ご意見をいただけたろと思います。
投稿: 2006/08/21 1:13:09 | 2006年8月22日 (火) 02時16分
2006/08/21 1:13:09さん、私のお答えに対し、さっそくコメントありがとうございました。
組合が平和運動などに取り組む必要性への疑念を投げかけていただきました。同様な趣旨の質問にお答えした以前の記事「平和な社会を築くために組合も」(2006年3月25日投稿)もご覧いただければ幸ですが、改めて私なりの考え方は次のとおりとなります。
そもそも組合活動は組合員一人ひとりのためになることを第一の目的としています。ただ時には「なぜ、労働組合がそこまでやるの?」と違和感を持たれる場合があるかも知れません。その顕著なものとして、政治活動や反戦平和の取り組みがあげられがちです。
それでも自分たちの職場だけ働きやすくても、社会全体が平和で豊かでなければ暮らしやすい生活となりません。そのために労働組合としても、一定の平和や政治活動が欠かせないものと考えています。
多くの組合員の皆さんも平和活動そのものを否定している訳でなく、組合が取り組む必然性について疑問を投げかけられているものと理解しています。確かに組合として必ず取り組むべき運動領域ではないかも知れませんが、平和な社会を築くためには政党や市民団体などに限らず、様々な組織による運動も重要なはずです。
かなり昔ですが、全日本検数協会事件(名古屋高判昭和46年4月10日労民集22巻2号453頁)の判決文で、「労働組合がその目的達成に必要な政治活動や社会運動を行なうこと自体は何ら妨げられることではない」と裁判所も述べていました。結局、日韓条約に反対した政治ストライキによる解雇は有効とされた裁判でしたが、労働組合の政治活動そのものは肯定された事例でした。
また、民主党元代表の菅直人さんは「今までの歴史の中で、社会を動かしてきたのは農民運動であり、労働運動、学生運動、市民運動だった」と話されていました。とは言いながらも、組合の本務である労働環境改善などが疎かになったり、平和運動との関係が主客逆転するようでは論外です。
したがって、しっかり職場課題に取り組んだ上で、できる限りの守備範囲で組合が政治的な活動や平和運動を進める意義は決して少なくないものと考えています。さらに再三述べてきたことですが、それらの活動を進める方向性は組合員全体で意思一致をはかることが大前提となります。
ご指摘のあった組合員全体での「総意」の問題です。確かに賛否が分かれる問題でも一定の結論が必要になる場合があります。その場合、組合員相互に情報や問題意識を共有化し、率直な議論の上に答えを出すことが重要です。
組合が所定の手続きを経て確認した活動方針でも、様々なとらえ方をしている組合員の方が少なくないことも認識しなければなりません。そのことを見誤ると組合の不団結の大きな要因となっしまうものと懸念しています。
いずれにしても組合は組合役員のものではなく、組合員一人ひとりのものです。そのように実感していただくためには日常的な意思疎通が欠かせません。その意味でも、このブログを開設し、様々な問題について意見交換を進めているしだいです。
最後に、二者択一のご質問ですが、迷わず「2」を選択します。もともと政治家や政党と政策や方針が完全一致していくことは現実的には不可能です。そのことを前提で考えれば当然、「2」の問題での連携が欠かせないものとなります。
非常に長々としたお答えになりましたが、ぜひ、これからも率直な疑問やご意見のコメントをお気軽にお寄せください。
投稿: OTSU | 2006年8月22日 (火) 12時55分
国内問題として扱うにあたり今回の件を単純化すると
「公的地位にある者の内心の自由には規制を加えて良いか」
という話に帰結しますね。
それに対する主張は二つで
「国益のために制限して構わない」というのが反対派
「憲法に規定された権利である」というのが容認派
普通は上段が国家主義者で下段がリベラルの主張になるはずです。
ところが今回は普段人権を主張したりリベラルを自認している人が反対なのが興味深いところ。
ここから導きだされる解として反対派は、
1.人権やリベラルを単に政争の具だと思っている
2.実は国家主義者だった
のどちらかのように思われます。
さて公的地位にある管理人さんとして公務外でも内心の自由を制限される事を容認されますか?
何を大げさなと思われるかも知れませんが、権利が普遍性を失ったらそういった運用が出来る事を念頭におくべきです。
投稿: どうでしょう | 2006年8月22日 (火) 13時08分
すみません。内容に一部修正漏れがありました
それに対する主張は三つで
「国益のために制限して構わない」というのが反対派
「慰霊のためにも参拝すべし」というのが賛成派
「憲法に規定された権利である」というのが容認派
と置き換えて読んでいただければ幸いです。
投稿: どうでしょう | 2006年8月22日 (火) 14時12分
どうでしょうさん、お久しぶりです。今回も鋭い切り口でのコメントありがとうございました。
問いかけに対するお答えとして、内心はもちろん、思想、良心、信教の自由は誰もが保障されるべきものと考えています。当然、小泉首相が心の中で靖国神社について、どう考えていようと自由です。しかし、一国の最高責任者が実際に言葉として発したり、具体的に行動する場合、その影響の大きさや問題点をしっかり踏まえる必要があります。
非常にデリケートな問題をはらんだ靖国神社であり、政教分離の問題や国際的な波紋に対し、今までの小泉首相の判断は決して適切なものとは思えません。総理大臣に有給休暇などがあり、360度どこから見ても「私人」ならば妥協の余地があるかも知れませんが…。常時SPがつき、公用車を使う総理大臣に純粋なプライベートな時間は皆無に等しいのではないでしょうか。
したがって、小泉首相に内心の自由はあるけれど、靖国参拝は自粛すべきものと私は考えています。
どうでしょうさんの問いかけに対し、適切な答えになっていないかも知れません。あくまでも私個人の見解を答えさせていただきました。
投稿: OTSU | 2006年8月22日 (火) 23時06分
私は、小泉さんの靖国参拝に関するコメントやその行動に対して決して高い評価はしていませんが、多くの人に真剣に靖国問題について考えてみようというインセンティブを与えたことについては評価しています。(怪我の功名のようなものだと思っていますが・・・)
私は、この問題をそう深く考える必要なないと思っています。まして、あなた言われるような政教分離の問題や国際的な問題を孕んだデリケートなものだとは思えません。
国際的な問題といっても、このことで騒ぎ立てているのは中国であり、韓国はそれに便乗しているに過ぎません。
よく考えてみてください。中国政府が日本の首相の靖国参拝について騒ぎ始めたのは、1985年からです。そして、その理由は、「A級戦犯」が合祀されているというものでした。
しかし、1952年に、国会では全会一致で「国内法では戦犯(A級戦犯も含め)はいない」と決まったのです。この国会議決を受けて、翌年には遺族援護法、恩給法が改正され、厚生省が祭神名票を作成し、靖国神社はそれを受けて、いわば「受動的」にすべての「いわゆる戦犯」を合祀したのですが、その際、どういう理由でかA級戦犯は合祀されず、78年になってようやく合祀されました。
そして、合祀に事実がマスコミで報じられたのが翌年の79年のことです。
しかし、その後も「大平」、「鈴木」、「中曽根」と3人の時の首相が春秋の例祭、終戦記念日と参拝を行っていますが、その間の6年間、中国からは何の意思表示もなかったのです。(まさかその間、中国がこの事実を知らないはずはありません!)
ところが、中国の国内問題に与して、中曽根首相が軽率にも参拝を取りやめました。そのときの日本国内の反応が大きかったことで、中国政府は、この靖国問題が「外交カード」として使えることに気付いたのでしょう。そして、その読みどおり、対日外交では未だに大きな役割を果たしています。
終戦直後の、まだ中国人民の記憶が鮮明な時代に何の反応もなく、随分時間が経過して「A級戦犯」の合祀を理由に日本の首相の参拝を騒ぎ立てること自体に、中国の胡散臭さを感じるのが普通の感覚ではないでしょうか。
この、勝手に「自家中毒」を起こした日本は、もともと何の意味も持たなかった「外交カード」に国論を二分され、尖閣、東シナ海の天然ガス開発、瀋陽事件など、国家の主権にかかわる極めて重要な問題に対しての危機感、中国の増長する一方の軍事力強化などに関する危機感が極めて鈍化してしまっているのが現状です。
元々、憲法の「政教分離」に反するのではないかというところから出発した、首相の公式参拝に関する靖国問題が、いつの間にか「A級戦犯の合祀問題」にすり替えられ、それがさらに「外交問題」にすり替えられ、それに振り回されているにすぎないのでないでしょうか。
さらに、「政教分離」に触れておきます。マスコミなどが、宗教法人の関与する学校法人への補助金交付、歴代首相の伊勢神宮への参拝などについて言及されていないのは、どのような根拠に基づいての判断だと思われますか。
投稿: ニン麻呂 | 2006年8月23日 (水) 02時05分
ニン麻呂さん、コメントありがとうございました。
確かに靖国参拝に関して、ニン麻呂さんのご指摘のとおり中国や韓国は「外交カード」として使っているものと思います。また、過去の経緯を振り返れば、釈然としないのも事実です。
それでも相手方の出方に対し、まったく耳を傾けない、もしくはストレートに反発していくとは稚拙な外交手法だと私は考えています。決して卑屈になる必要はありませんが、誠意としたたかさを兼ね備えた外交に努めてほしいものと願っています。
記事本文でも取り上げましたが、靖国神社は伊勢神宮とは異質な歴史や存在だと受けとめています。現時点では同列に扱うことはできないものと思っています。
学校法人への補助金の問題など微妙なケースがあるかも知れませんが、別な次元での議論かなと感じています。
充分なお答えになったかどうか恐縮ですが、取り急ぎ私なりの考え方を述べさせていただきました。
投稿: OTSU | 2006年8月23日 (水) 08時28分
靖国問題が「外交カード」として使えることに気付いた中国に振り回され、国論を二分させられ、国権を喪失しかねない事態には極めて鈍感な日本という国の行く末はどうなるんでしょうか?
中国が外交カードとして使ってくるのなら、日本も外交カードとして使えばいいのではありませんか。
一切の抗議は内政干渉以外の何ものでもないのですから、これは無視する以外にありません。これからの首相は、従前どおり、春秋の例祭と終戦記念日には参拝を続ければいいのです。
2~3年もすれば何も言わなくなります。この方法以外に、あなたがいう「誠意としたたかさを兼ね備えた外交」はないでしょう。
あなたを含めた国内の批判派の人には、これが日中外交戦争の橋頭堡という認識が欠落しているのではないかと思います。ここで後手を引けば、中国の覇権主義に一層の拍車がかかるのは誰でも解ることです。
決して卑屈になる必要はないといいながら、首相の参拝の足を引っ張って、卑屈な行為を助長して、中国の傍若無人のアジア外交(ベトナムへの侵攻、チベットへの侵略など)を是認し、覇権主義を助長させているのは誰かということを真剣に考えていただきたいと思います。
政教分離に関する問題は、論じると長くなりますのでここでは触れませんが、政教分離というと何かいかにも「グローバルスタンダード」のように錯覚している人が多いようですが、ここまでナーバスにこの問題に憂き身をやつしている国は、多分他にはないと思います^^(なぜ、こういう状況に至ったかということはご存知でしょうが)
また、靖国と伊勢神宮との違いと共通性についての論議も、多神教の日本独特の「神」の発生、あるいは「神社」の形成ににも及ばざるをえないので、これも割愛します。
投稿: ニン麻呂 | 2006年8月24日 (木) 00時16分
ニン麻呂さん、たびたびコメントありがとうございます。
いろいろな考え方やご意見を伺えるのが相互通行できるブログの利点だと常々考えています。その意味で、このような意見交換も貴重なことであり、たいへん感謝しています。
それでも、さすがに靖国神社の問題は微妙なすれ違いが目立ってきました。内政干渉のとらえ方以前に靖国神社への評価が大きな相違点だろうと感じています。
最後に一言、中国の様々な問題点に対して目をつぶるべきだとは決して考えていません。適確な情報や情勢を冷静に判断し、トータルな意味での「国民の利益」をめざす外交を切望しています。
投稿: OTSU | 2006年8月24日 (木) 07時21分
そうですね^^基本的に地方自治関連だけにしましょう!
今回の記事の関連で、o4mさんのコメント『なぜか、公務員の世界では、組合というと「反政府運動をする」こと、「米中韓(なぜか組合の連中はその他の国にあまり興味がないらしい)との関係を心配する」こと、「夏になると組合費使って広島や長崎、沖縄へ遊びに行くこと」のようです。』って記事に反論されていましたが、夏休みの子供連れて参加するのがたくさんいますよ^^
身内にいるから「お前らの運動ってその程度のものよ!」って言ってますが・・・・・家族の費用は自費だからっていうケジメのなさが「裏金」の種ですね!
私は基本的に自分に興味のない、あるいは行っても得るものがないと判断した視察には行きませんが、家族の費用は自費だからといって議員視察に家族を同行する議員がいたら、絶対に抹殺しますよ!
それと、益田市だけのことかもしれませんが、組合員の日本の現・近代史についての基礎的素養のないのにはしばしば驚きます^^:(議員にもたくさんいますけど・・・)
投稿: ニン麻呂 | 2006年8月24日 (木) 11時41分
首相は一環して心の問題だと言ってますよね。
でこれが公務でないとすると、今の法体系下では参拝義務付け/禁止ともに強制出来ないのが実情です。
上記の目的を達成するには
1)何らかの法制化を図って強制する(成文法的な解決)
2)参拝せざるを得ない/自粛せざるを得ない状況に追い込む(慣習法的な解決)
のどちらかが必要かと思いますが、それ以前に
「内心の自由を地位によって制約がある権利にしてしまって良いのか?」というのが私の問題意識です。
上の主張を右や左の全体主義者がするなら理解出来るのですよ。「ああ民主主義の敵が騒いでいるな」と
だから社民党系が参拝に反対するのは賛成はしないけど納得はします。
ただリベラルを謳っていた民主党の反応を見ていると、ちょっと絶望的な気持ちが湧いてきます。
(ネットの口の悪い連中は小沢代表を小沢民主席と呼びますが、なんか賛同しちゃいそうです)
投稿: どうでしょう | 2006年8月24日 (木) 12時38分
ニン麻呂さん、すばやい反応のコメントをいただき、たいへん恐縮です。このブログを注目してくださっている表れであり、たいへんありがたく思っています。ちなみに私は昼休み、このコメントを組合事務所の常時接続(定額料金)パソコンで書き込んでいます。
ご指摘があった家族連れの組合出張、その目的によっては許される、もしくは広島などへは子どもを一緒に連れて行くことが好ましいケースだろうと思いますが…?もちろん、家族旅行が主目的で、組合費を使って一人分交通費等をうかす話ならば絶対NGです。
それと見間違いやすいのですが、コメント欄の投稿者名は本文の後に表示されます。ご紹介のコメントはo4mさんのではなく、匿名の方(その後、ハンドル・ネームが2006/08/21 1:13:09さん)の内容だったことを申し添えさせていただきます。
投稿: OTSU | 2006年8月24日 (木) 12時56分
どうでしょうさん、コメントありがとうございます。
直接的な問いかけではないようですが、一言だけ申し添えさせていただきます。
純粋なプライベートな時間や立場で首相が靖国参拝できるならば誰にも止めらず、個人の自由だと思っています。現実的にはマスコミに必ず注目され、公人なのか私人なのかの騒ぎになってしまいます。
靖国神社に対する評価は横に置いた話ですが、ある意味で今年の安倍官房長官の手法も是とすべきものなのかも知れません。結局、騒がれてしまいましたが…。
投稿: OTSU | 2006年8月24日 (木) 17時46分
はじめてメールいたします。
OTSUさんのいつも真摯な受け答えにに感心している者です。私自身は独立行政法人に身を置く者ですが、昨今の公務員の給与の問題については、色々な疑問を感じています。もちろん国の財政状況が厳しいことは十分感じているつもりです。
その一つは、人勧制度自体が制度疲労なのかもしれませんが、公務に従事している者だろうが、民間の方であろうが、同じ労働市場にいる人間して思うのは、基本的には給与というのはその人の労働の対価であり、自分の働き具合と全く関係のないところで決まってしまう今の制度は、正直なところ限界にきていると思います。
全体的な人件費の原資の増減の部分は、税収や民間の状況に連動するとしても、個々の人間の給与は職務や働きに応じるべきと考えます。その辺がきちんとされていないのが公務員の甘さと批判を受けているのであれば、それは当然と思います。
現在の人勧制度は、極論でいうと、公務員は民間の状況が良いときは頑張り、悪いときはあまり頑張らなくても良いとでも言うのでしょうか。
どのような職場でも自分の労働の対価をきちんと評価し、それに見合った処遇をしないと、モラールダウン(志気低下)を起こし、結局は馬鹿馬鹿しくなってやめるか、解雇されない程度に手を抜くか
ということになるのではないでしょうか。そこには自分の仕事に対する何の誇りもこだわりも無いものとなるのではないでしょうか。
もちろん、公務員も仕事に見合った処遇となると、仕事ぶりは徹底して厳しく評価していくしかないとは思いますが・・・。
投稿: syouganena | 2006年8月25日 (金) 22時36分
syouganena さん、はじめまして。コメントありがとうございます。
役職が同じだった場合、必死に頑張っても手を抜いても賃金に差が出ない、確かにご指摘のような悩ましい問題があります。一方で、公務職場に実績や成果主義がなじむのか、公正な評価システムが確立できるのか、課題も多いと思っています。
まず人事評価制度の仕組み作りに向け、私ども市役所では数年前から労使で協議を重ねています。とにかく職員全員が誇りや意欲を持ち、いきいきと仕事に打ち込める職場環境をめざしています。
syouganena さん、ぜひ、これからも何かご意見ご感想などコメントをよろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2006年8月26日 (土) 08時01分