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2006年7月30日 (日)

最近、運動不足?

「最近、運動が不足しているんじゃないの?」と言われた場合、スポーツなどで体を動かすことが減り、健康面を心配した話だろうと思います。

一方、「運動」という言葉の前に「市民」「学生」「労働」などの単語を組み合わせれば、まったく違った意味の「運動」となります。そのため「運動不足?」との投げかけに対し、「組合の運動は毎日欠かしてないけど…」と事務所内が冷え込む冗談を聞く時もあります。

「運動」を辞書で調べると「ある目的のために人々へ働きかけること」とあり、以前投稿した記事「骨っぽい挨拶の菅直人さん」を思い起こしました。「今までの歴史の中で、社会を動かしてきたのは農民運動であり、労働運動、学生運動、市民運動だったはずである」と述べられていた菅さんの言葉が印象深かったことを思い出しました。

今回、「運動」について取り上げるのは、前回記事「チェルノブイリの祈り」へのコメントが切っかけでした。菊池正人さんから以前のコメントと同様、たいへん力のこもった貴重な問題提起となるコメントをお寄せいただきました。

東海村や美浜の事故があっても反原発の声が世論から沸きあがらないのは何故でしょう?運動に携わる人々は、そういう事は考えないのでしょうか?

必ずしも原発に限らないのですが、過去の運動が思い通りにいかなくても、このやり方でよかったのだろうかと振り返る事をせず、私たちが世論の代弁者で、私たちの主張=世論の主張だから、黙っていても世論は追い風になり、いずれは自分たちの望む方向に世の中が向かう、そんな勝手な考え方に各種の労働組合や活動家は陥っていませんか?

こういう態度が官民関係なく、世論との乖離を生んで労働運動の衰退につながっている…と言うのは考えすぎでしょうか?

核心部分と判断した箇所のみ抜粋したため、菊池さんの真意が充分伝わらなかった場合はご容赦ください。なお、菊池さんのコメント全文は今回記事中のリンクをはった下線箇所をクリックし、ご覧いただけるようになっています。

今回の菊池さんの問いかけに対し、取り急ぎコメント欄で次のとおり端的なお答えをさせていただきました。

まず今までの反原発運動などが充分なものだったとは私も思っていません。世論との乖離、確かにその通りかも知れません。ただ現地の反対運動が中心となり、新規原発建設を阻止してきた成果もありました。とにかく「原発がなければ電力需要は賄えない」などの宣伝合戦に反対派は圧倒されている現実を踏まえ、今後、効果的な運動を模索する必要性を感じています。

ここでも以前の記事(佐高信さんの言葉「呼びかけの競い合い」)を思い浮かべながら「運動」とは宣伝合戦だと改めて考え始めています。原発を必要不可欠又は必要悪とし、容認していくのか、廃絶に向けて現実的なシナリオを提示していけるのか、両派の「呼びかけの競い合い」が行方を左右するはずです。

菊池さんのコメントは原発問題の各論よりも、とりわけ労働組合の「運動」論全体に批判の目を向けているようでした。過去の「運動」のあり方への評価や総括が不充分であり、世間の意識を低く見ている独善的な「運動」だと思われている様子がうかがえました。

労働組合一つとらえても幅広く、その組織の考え方も様々です。したがって、菊池さんの問いかけに対して労働組合全体を代弁するものではありませんが、私自身の「運動」を進める際の留意点を述べさせていただきます。

第一は「呼びかけの競い合い」に象徴されますが、反対を押し付ける「運動」は避けようと心がけています。なぜ、反対しているのか、相反している立場の方からも共感を得られる言葉や中味を常に意識する必要性を感じています。

次に「運動」を通して、どのような成果があるのか、必ず総括や検証を行なうべきものと考えています。「継続は力」という言葉もありますが、「運動」そのものが目的化され、その「運動」を成功させるために労力が費やされるマンネリズムは避けなくてはなりません。

続いて一つ目と関連しますが、事実や歴史認識を適確に把握し、そのことを広く伝えていく「運動」が大事だと考えています。その共通認識があってこそ、各論に対する有意義な議論や判断が行なえるものと思っています。

最後に自分たちの事実認識や「運動」に誤りがあった場合、率直に反省した上で速やかに軌道修正する柔軟さも必要だと考えています。つまり自分たちの考え方が「絶対正しい」と確信した「運動」だったとしても、場合によって「絶対」はあり得ないと思う謙虚さも欠かせないはずです。

以上は、あくまでも個人的に心がけている「運動」論だとご理解ください。ちなみに菊池さんにとって「チェルノブイリの祈り」のイベントはマンネリな印象だったようですが、手前味噌ながら私にとっては意義深いものだったと思っています。

事故20年の節目の年、立体講談という独特な手法で、チェリノブイリ原発事故の悲惨さや重大さを伝えられたことは貴重な取り組みだったと総括しています。また、会場へ足を運んでいただいた方は120名ほどでしたが、このイベントのPRを通して数多くの方々へチェルノブイリ原発事故20年をアピールすることができました。

膨大な宣伝費をマスコミに使える電力会社の「原発PR」に比べれば、本当にささやかな「運動」だと言わざるを得ません。それでも自分たちの身の丈に合った小さな「運動」の積み重ねも、原発推進へ加速しそうな流れに少しでも歯止めをかけているものと信じています。

菊池さんのコメントを受け、長々と書いてきましたが、結局のところ持論を展開したに過ぎないかも知れません。問いかけに対して充分答え切れず、たいへん申し訳ありませんでした。また、以前要望いただいた「年金」「自治労不祥事」「組合の路線対立」問題、時機をみて記事本文で取り上げたいと考えています。ぜひ、これからもよろしくお願いします。

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2006年7月23日 (日)

チェルノブイリの祈り

神田香織さんの立体講談「チェルノブイリの祈り」を一昨日の夜、地域の労働組合の皆さんと実行委員会を発足し、120名の参加者を得て催すことができました。立体講談とは音響や照明による演出効果を加え、よりリアルな衝撃が舞台から伝わる神田さん独自の講談のスタイルです。

1986年4月26日、ソビエト連邦ウクライナ共和国のチェルノブイリ原子力発電所で史上最悪な事故が起きました。その事故から今年は20年経つ節目の年でした。神田さんは20年の大きな節目の年に「チェルノブイリの祈り」の全国100か所公演をめざしています。

その取り組みに賛同した三多摩平和運動センターが中心となり、三多摩地区の6会場でも連続上演することになりました。その一つを私たちの地区が担い、会場ロビーではフォトジャーナリスト広河隆一さんの写真「チェルノブイリ20年の刻印」のパネル展示も行ないました。

チェルノブイリ原発事故の放射能汚染は気流に乗って地球規模で重大な被害を及ぼしました。ガンなどの疾病による犠牲者は100万人以上とも言われ、この事故は決して過去形とならず、今も被曝で苦しむ人たちが数多く存在しています。

放射能に汚染された村の人たちは強制的に移住させられ、大半の人たちが二度と生まれ故郷に帰れなくなっています。また、放射能の悲劇は新しく生まれてくる子どもたちにまで継承されていく残酷な連鎖があります。

神田さんの立体講談「チェルノブイリの祈り」は、ウクライナの原作者スベトラーナ・アレクシエービッチさんが事故の犠牲になった消防士の妻の独白を聞き取った内容です。したがって、大量の放射能を被曝した夫の悲惨な病状の描写など、耳をふさぎたくなる生々しい神田さんの語り、すべて実際にあった真実として直視すべきものでした。

お腹には赤ちゃん、幸せな新婚生活を送っていた「原発推進派」のエリート消防士夫婦。原発事故の重大さを知らされないまま事故直後の消火活動に従事した夫、突然、その日から夫婦の人生は暗たんたるものに切り裂かれました。

夫の残された数日間、医師の制止を振り切り献身的に看病する妻、「チェルノブイリの祈り」は夫から二次被曝する恐怖をも超越した夫婦の純愛が描かれていました。その実話を神田さんが立体講談に構成し、たいへん感動的な舞台に接することができました。

参加者アンケートでは「感激した」「来て良かった」など神田さんの立体講談を絶賛した声が多数寄せられました。そして、原発事故の悲惨さや影響の大きさを強く思い起こしたとの感想も多くあり、原発の危険性に対して改めて一石投じた催しとなり得ました。

その一方で「それでも原発は必要である」と思われている方が多数であることも率直に受けとめなくてはなりません。平和をめざす運動でも心がけていることですが、「なぜ、反対しているのか」広く共感を得られるための工夫や努力が大事な時代を迎えています。そのためにも事実や歴史を適確に伝えていく取り組みが非常に重要だと考えています。

そもそも原発を稼動していくためには半永久的に厳重な管理が必要とされる放射性廃棄物の問題などがあり、チェルノブイリの事故を転機に反原発や脱原発の運動が活発化しました。しかし、残念ながら日本の原発は停まることなく、その間、いくつかの重大事故を起こしてきました。

1999年9月30日に東海村でJCOの核燃料加工施設の臨界事故、2004年8月9日に関西電力美浜発電所で2次冷却系から蒸気漏れ事故があり、それぞれ尊い命を奪った悲惨な事故でした。

「日本の電力需要を賄うため、クリーンなエネルギーの原発は不可欠である」との強い声がありますが、原発が存在するリスクも絶対見過ごしてはいけないはずです。そのような危険性を思い返す機会として、事故から20年の節目の年に神田さんの「チェルノブイリの祈り」を催せたことはたいへん意義深いものだったと思っています。

最後に、参加者の皆さん、実行委員会の皆さん、神田香織さんをはじめとしたオフィス・パパンの皆さん、お疲れ様でした。ありがとうございました。

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2006年7月17日 (月)

対北朝鮮決議と中東情勢

国連安全保障理事会は15日午後(日本時間16日午前)、北朝鮮のミサイル発射を非難し、弾道ミサイル計画に関連するすべての活動の中止とミサイル発射凍結の再確認、核開発放棄などを求める決議案を全会一致で採択した。

日本主導の安保理決議案が採択されたのは初めて。国際社会が結束して北朝鮮に核・ミサイル開発の放棄を迫る意思表示となった。同決議1695は強制力を伴う国連憲章7章に基づくものではないが、安保理決議自体が各国に順守を義務付ける法的拘束力を持つ。

決議は、北朝鮮の7月5日の「テポドン2号」など弾道ミサイルの発射を非難し、再発射の兆候があることに「重大な懸念」を表明。核開発を公言している北朝鮮の今回のミサイル発射が「地域と周辺の平和、安定、安全を危うくするものである」と確認した。 【読売新聞 7月16日】

北朝鮮が7発のミサイルを日本海へ発射した日、このブログでもその行為を批判する内容を書き込んできました。船舶などに被弾して人的な犠牲もあり得た危険性をはじめ、何よりも国際的な緊張関係を高める暴挙だったと考えています。

再発射を北朝鮮に自制させる外交努力が求められていましたが、冒頭の新聞記事のとおり国連安保理で対北朝鮮決議が採択されました。それに対し、北朝鮮の国連大使は「通常の軍事演習の一環」と主張し、採択後45分の最短記録で決議を拒否しました。

中国とロシアを含めた全会一致の決議は「日本外交の偉大な成果」と高く評価する声があります。確かに今回、麻生外相の積極的な動きが序盤から目立っていました。その一方で、当初目論んだ制裁決議の中味が弱められたことを「腰砕け」と批判する声も出ています。

各国の利害や思惑がうずまく国際社会の中で、一部の国の主張のみを押し通せないのは当然だと思います。したがって、「窮鼠猫をかむ」状態に北朝鮮を追い込まないバランス感覚が国連の機能として働いたと見るべきかも知れません。

いずれにしても国連で決議を採択することが目的ではなく、北朝鮮に国際社会の中で理性的な対応を迫ることが主眼だったはずです。この決議が実効あるものとなるのかどうか、拉致問題などの全面解決の道を開けるのかどうか、今後の北朝鮮包囲網の国際的な協調が重視されています。

そのため、現時点で日本外交の勝ち負けを評価することについて、あまり意味がないものと思っています。ただ今回の決議の過程で改めて浮き彫りになったことがあります。日本が最も信頼し、追従してきたアメリカから日本は再び土壇場でハシゴを外されました。

国連安保理の常任理事国入り問題の時と同様、日本が期待するほどアメリカは日本のことをフォローしないことが明らかになりました。何でも言うことを聞く便利な属国程度に思われているのかも知れません。

そのようなアメリカとの関係や北朝鮮のミサイル脅威を必要以上に強調し、ますます「普通」に戦争をできる国に突き進もうとしている動きが気になります。専守防衛など従来の原則の範囲内で敵基地攻撃は可能との声が上がり始めています。ちなみにタカ派である山崎拓元防衛庁長官が「憲法違反」だと批判する自民党内の構図も不思議でした。

要するにハト派、タカ派などと簡単に線引きできない難しい時代を迎えていることを認めなくてはなりません。誰もが平和を望んでいるものと思いますが、各論に対する判断は千差万別となりがちです。このような時代だからこそ、正確な情報つまり事実をしっかり把握していくことが大事だと考えています。

そのような意味合いから日曜の夕方に見たテレビ番組の内容は非常に貴重であり、戦争の「正義」の危うさや愚かさを改めて思い返すことになりました。TBSの「報道特集」で北朝鮮のテポドン発射を扱った内容と合わせ、中東の「過激集団」ハマスに密着した特集を報道していました。

自爆テロなど武装組織のイメージが強いハマスでしたが、日常的な福祉や医療活動にも力を注ぎ、パレスチナの人々に圧倒的な支持を受けていることを知りました。そして、その番組では海水浴に来ていた家族がイスラエル艦船の砲撃により、女の子一人残し惨殺されたシーンが報道されていました。

また最近、イスラム教シーア派民兵組織ヒズボラによるイスラエル兵の拉致を契機とし、イスラエル軍はレバノン国内各地へ空爆も始めました。ヒズボラ側もイスラエル北部の産業都市ハイファへロケット弾による攻撃を加えるなど、それぞれ多くの死者を出し、日増しに戦火は激しくなっています。

パレスチナ問題は複雑な歴史があり、簡単に善悪を語ることはできないかも知れません。しかし、実際に市民を殺戮しているイスラエルの戦闘行為は、北朝鮮のミサイル発射以上に非難し、国際的に自制を求める暴挙だと言えます。

サミット前に小泉首相がイスラエルを訪れたタイミングで、皮肉にもレバノンへの攻撃が激化しました。「理性的な行動を…」と訴えたようでしたが、アメリカ一辺倒である小泉首相の言葉に重さがないのは至極当然でした。すぐにレバノンの戦火を他人事とし、ラクダにまたがり「ラクデナイ」と親父ギャグを飛ばす小泉首相に何か期待する方が愚かなことでした。

長々と書いてしまいましたが、アメリカから見ればイスラエルが「正義」であり、ハマスやヒズボラはテロ組織である「悪」となります。平和な国際社会を創ることは半永久的な悲願となるような難題かも知れませんが、武力の行使は武力による報復の連鎖を招くことを歴史が証明しています。国際政治の舞台の中、「平和憲法」を持つ日本ならではの役回りが必ずあり、その役割を適確に発揮できる国となれるよう心から願っています。

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2006年7月13日 (木)

ウィキペディアのようなブログ

最近、またココログ有料コースの不具合がひどく、私も含めたユーザーが強いストレスをためていました。とりわけ夜になると画面展開や保存に要する時間が極端に長くなっていました。今週の火曜午後2時から48時間、集中的なメンテナンスが行なわれ、今のところ何とか普通の状態に回復したようです。

その48時間、記事の投稿はもちろん、コメント機能も一切使えなかったため、ココログ契約者以外の方にも迷惑をかけたはずです。それでも個別にメールで連絡や謝罪が来る訳ではなく、こちらからココログのブログなどへアクセスしなければ何も分からない不親切さも指摘させていただきます。

さて、今度は私自身が謝罪しなければなりません。前々回の記事「財政破綻した夕張市」の中で、負債額を当初「600兆円」と書き込んでしまいました。匿名の方からコメントで「億円の間違いでは?」と指摘を受け、あわてて「600億円」に訂正させていただきました。

ご指摘のとおり600兆円では国の公債残高(約542兆円)より多い額となり、まさしく桁違いの誤りを犯してしまいました。このようなケアレス・ミスをしないよう心がけてきましたが、今回、本当に恥ずかしい間違いでした。

ご指摘くださった方、改めてありがとうございました。また、不確かな数字を数日間、ウェブ上に掲げてしまい、たいへん申し訳ありませんでした。個人の責任によるブログとはいえ、数字や事実関係など不正確な情報を発信しないよう今後いっそう注意していきます。

その一方で、やはり何か事実誤認や「ちょっと考え方が違うな」など、気になる点がありましたら、ぜひ、ご指摘や突っ込みを入れてください。そもそもブログはウィキペディアのようなオープンな特性があるものと思っています。

ウィキペディアとは、インターネット上の誰もが編集に参加できる百科事典のことです。どの項目に対しても不特定多数の方が自由に加筆修正でき、日々一刻と内容が変化し、豊富化されていくそうです。誰かがいたずらして間違った内容に書き換えても、圧倒多数である真面目な方が正しい内容に修正するため、きわめて信頼できるネット上の便利な百科事典となっています。

自分のミスの話からウィキペディアの話へ飛躍させてしまい、たいへん恐縮です。つまり私自身、ブログで主張する記事内容に責任を持って発信していますが、その考え方に相容れない方たちが多数いらっしゃるだろうと思っています。特に「公務員」論議に関する見方は様々であり、過去、このブログを通して数多くの議論を重ねてきました。

その際、私自身の主張が絶対正しいと思い込み、批判や反論を頭から否定する立場では意義深い議論へつながりません。回りくどい言い方でしたが、そのような趣旨で「ウィキペディアのようなブログになれれば良いな」と願っているところです。

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2006年7月 8日 (土)

小泉政権最後の骨太の方針

「プレスリーのところに行っている時、テポドンを撃たれたら格好が悪かった。おれはついている」と小泉首相が6日夜、自民党幹部との会食の際、北朝鮮のミサイル発射が訪米後だったことを「運の強さ」として自慢したそうです。

先月末の訪米で大ファンのエルビス・プレスリー邸を訪問した小泉首相は、ブッシュ大統領夫妻の前でギターを弾くマネして、拙い英語で歌っていました。その大はしゃぎした場面が何回もテレビで報道されていました。そのような瞬間にミサイルが発射されていたら「最悪なタイミング」だったと思っていることは小泉首相の本心かも知れません。

「卒業旅行」と揶揄された今回の外遊、品格が疑われるような軽薄なパフォーマンスを続けていた後ろめたさが小泉首相にも残っていたと皮肉れる危機感のない発言だと思っています。しかし、北朝鮮を増長させないよう意図的に茶化していると評価する評論家もいるようです。

さらにブッシュ大統領に合わせるため、訪米中の振る舞いすべて小泉首相の計算したものだと分析する識者がいるのにも驚かされます。いずれにしても良好な日米関係が維持されているのは両首脳の個人的な絆の太さの好影響だと見られています。確かにブッシュ大統領に対しては、「ワン・フレーズ」政治で短絡的な外交路線の小泉首相が最適なパートナーだったと振り返ることができます。

さて、小泉「構造改革」路線の象徴として、クローズアップされてきた骨太の方針。その呼称が来年以降も続くのかどうか分かりませんが、9月に自民党の新総裁が決まるため、今回発表された骨太の方針が小泉政権最後のものとなります。

政府は7日、経済財政諮問会議と臨時閣議を相次いで開き、「経済財政運営と構造改革に関する基本方針2006(骨太の方針2006)」を正式決定した。2011年度に国と地方を合わせた基礎的財政収支(プライマリーバランス)を黒字化させることを目指し、最大14.3兆円の歳出削減策を盛り込んだ。歳入改革では消費税の社会保障目的税化を検討する方針を示したものの、税率引き上げの幅や時期は明記せず、具体策は次期政権に委ねた。[時事通信社:2006年07月07日]

来年7月の参議院議員選挙を控え、消費税の課題などを曖昧にした「骨抜き」の方針となったと言われています。もともと今までも骨粗鬆症気味の骨太の方針で、小泉首相が異常な執念を燃やしたのは郵政民営化の問題だけでした。その民営化さえも本当に日本国民のためのものだったのか数年後に答えが出るはずです。

中味を精査しないで数値目標ありきの総人件費削減問題など、公務員組合側にとってもカルシウム不足のスカスカ方針だと批判しなければならない面が含まれています。特に「官」と「民」の責任と役割を無視した短絡的な「官から民へ」の流れが、最近、「構造改革」の負の側面を浮き彫りにしているものと感じています。耐震偽装やシンドラーのエレベーター事故の問題など、今一度、立ち止まり総括すべき事例だと考えています。

前回記事「財政破綻した夕張市」で記したとおり、財政破綻は絶対避けるべき命題であることは言うまでもありません。したがって、財政健全化に向けた計画を立てること自体、労働組合をはじめ誰も拒むものではありません。その上で行財政改革における労使課題に関し、組合は総論が賛成でも、各論は双方の立場を尊重しながら真摯な交渉で決定すべきとの立場となります。

最後に蛇足です。夕張市が財政破綻しましたが、国家財政も破綻しているのと同然な状態だと思っています。破綻を定義する制度がないだけで、仮に自治体の例を当てはめれば背筋が寒くなる数字を直視することになります。税収を目安に国の標準財政規模を約50兆円とした場合、実質収支の赤字は50%を超えてしまいます。

さらに今年度の公債残高は約542兆円、夕張市を「破産」とするのが気の毒な例示となってしまいます。とにかく国は国債を自由に発行できるため、今のところ「破産」のルールがないだけの単なる猶予期間に過ぎないと認識することが懸命だと思っています。

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2006年7月 5日 (水)

財政破綻した夕張市

ADSL接続が何とか安定してきましたので、久しぶりに本格的な記事の投稿に取りかかりました。残念なことに北朝鮮が7発ものミサイルを日本海へ発射した日に重なり、記事タイトルと異なる内容での再開となりました。

どのような北朝鮮の思惑があるのか定かではありませんが、航行している船舶に被弾し、人的な犠牲もあり得た卑劣な行為だと言わざるを得ません。国際的な緊張関係が強まり、日本としても経済制裁を発動する事態となりました。飢えで苦しんでいる自国民の生活を省みず、巨額な費用がかかるミサイルの愚かな浪費であり、穏やかに暮らしたい在日朝鮮人の方々をも嘆かせる暴挙だったと断罪しなければなりません。

さて、記事本文の投稿を見合わせていた時期にもかかわらず、いくつかコメントやトラックバックをいただき、ありがとうございました。お寄せいただいたコメント内容などを踏まえ、財政破綻した北海道夕張市の事例を考えてみます。

先月、夕張市は自治体の倒産にあたる財政再建団体に移行する方針を表明しました。単年度収支は黒字でも負債が600億円を超え、自主再建は不可能と判断し、財政再建計画を策定した上で総務省から財政再建団体の指定を受けることになりました。

財政再建団体は地方財政再建促進特別措置法に基づき、市区町村で実質収支の赤字額が標準財政規模の20%(都道府県は5%)以上になった場合が対象となります。夕張市の場合、約9億円がデッドラインでした。ちなみに標準財政規模とは、自治体の市税などの一般財源をベースにした標準的な財政規模を示す指標だそうです。

夕張市は全国有数の産炭地でしたが、ピーク時の1960年に約11万7千人だった人口も現在は約1万3千人まで落ち込んでいました。国際映画祭や夕張メロンが有名になっていますが、観光客の数も思うように伸びなかったようです。

負債の半分を占める一時借入金は、出納整理期間の5月末までに金融機関から借り換えを行ないながら年度末の負債残高をゼロにする「自転車操業」を繰り返した結果、約300億円まで膨らんでいました。

財政再建団体の指定を受けた自治体は赤字を起債(借金)で埋め、国が利子補給するなど優遇措置を受けることができます。一方で、国民健康保険料や保育料などの値上げ、自治体独自で実施している事業の廃止、各種団体への補助金などが削減対象となり、あらゆる行政サービスの低下が避けられません。

当然、職員の賃金や手当も引き下げの対象となります。そのため、6月に支給された職員への一時金(ボーナス)が人事院勧告通りだったとして、組合も含めて批判した内容のブログ記事を目にしました。しかし、独自な削減を行なうためには支給基準日の6月1日以前に条例改正が必要でした。

破綻した財政状況を認識しながら通常の額の支給を決めたのは夕張市当局の責任であり、組合を批判するのは筋違いだと思っています。そもそも組合は市の経営や財政面に口をはさめる立場ではありません。それでも「自治体や会社がつぶれてしまったら元も子もないだろう」と言われる時がありますが、その論調に組合が乗ってしまうと働く側に安直なしわ寄せが行きがちです。

一方で、組合が自分の市の財政状況をまったく把握しないで労使交渉に臨むのも論外だと思っています。万が一、夕張市のように財政再建団体に追い込まれた場合、労使で自主的に交渉していく幅は吹き飛んでしまいます。何よりも市民の方々へ大きなしわ寄せが行く最悪な事態は全力で避けなくてはなりません。

とは言え、あくまでも立場性の違いから労使交渉と財政論議は、今後も切り分けていく原則に変わりはありません。その上で非常に悩ましい問題ですが、今こそメリハリやバランスをしっかり意識し、組合としての責任や役割を掘り下げていく局面だと考えています。

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2006年7月 1日 (土)

ADSL接続が不調

ADSL接続が不調です。突然、切れたり、つながらず苦労している日が続いています。マニュアルにあるトラブル対応を参考に電源を切った後、10秒以上の間隔をあけて電源を入れる、場合によってはモデムの初期化など、だましだまし何とかインターネットを使っています。

もう限界と思い、ようやく今日、サービスセンターへ電話しました。いろいろ状況を伝えた上で、平日の月曜以降、業者が調査してくれるそうです。したがって、まだ接続が安定している状態ではありません。

それでも今日、ご無沙汰しているブログの新規投稿に取りかかってみました。しかし、書き込んでいる途中、下書き保存しようとした矢先、もう不正常のランプ点滅…。そのため予定を変更し、記事タイトルを「財政破綻した夕張市」から「ADSL接続が不調」とさせていただきました。

と言う訳で、苦心して接続したタイミングを見計らい今回の記事を投稿しました。ブックマークなどからご訪問いただいている常連の方々にはたいへん申し訳ありませんが、ADSLの接続状態が安定するまでの間、しばらく新規記事の投稿は休ませていただきます。

なお、お寄せいただいたコメントに対しては、何とか工夫しながらお答えしていく予定です。記事本文もADSLが正常に戻りしだい再開しますので、今後とも引き続きよろしくお願いします。

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