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2006年5月14日 (日)

思い起こすのが「国旗」「国歌」法

6月18日の会期末が近付く今国会、重要法案の取扱いをめぐり与野党間で緊張感が高まっています。憲法見直しを前提とした国民投票法案は見送られるようですが、医療制度改革関連法案や組織犯罪処罰法改正案(共謀罪)は今週中の衆院通過が焦点とされています。教育基本法改正案は審議入りの日も確定していないため、会期が延長されない限り今国会での成立は物理的に困難だと見られています。

その一方で、小泉首相が最重要法案に位置付けている行政改革推進法案は既に衆院を通過し、参院での審議に入っています。国家公務員の定員を5年間で5%純減する内容などが盛り込まれた法案ですが、小泉改革の総仕上げとされ、今国会での成立は確実な見通しです。

郵政民営化法案の時もそうでしたが、小泉首相の思考回路はある意味で分かりやすいかも知れません。自分の持論やこだわる課題に対しては異常な執念を見せますが、それ以外は非常に淡白なようです。いわゆる「丸投げ」している感じが強く、独裁的なリーダーシップを発揮する時との落差の大きさには驚かされます。

つまり今回、小泉首相自身は共謀罪や教育基本法の改正に対し、あまり関心を示していないように見受けられます。しかし、支持率が高い小泉首相の任期中の今国会で、懸案だった重要法案を何としても成立させたい意図が自民党全体からは伝わってきています。この共謀罪の問題性や国会審議の動きについて、衆議院法務委員会の委員である保坂展人さん(社民党)のブログ「どこどこ日記」から詳しく知ることができます。

共謀罪が成立しても「サラリーマン同士の冗談話で逮捕できる訳がない」、教育基本法に「愛国心を明記しても軍国主義につながる訳がない」と法案推進側は強調しています。確かに今、そのようなことは目論んでないかも知れません。しかし、法律に書き込まれることは強制力が発生し、当然、処罰の対象にもなり得ます。その時の権力側が都合の良いように解釈し、非常識な運用がされないとは限りません。

特に「愛国心」は、わざわざ法律に明記しなくても自然に湧き上がることが理想です。国を愛する気持ちそのものを否定する方は少ないものと思いますが、もう少し慎重な幅広い議論の時間が必要だと考えています。ところで教育基本法改正案の「愛国心」に関する民主党の対案は、日教組出身議員の主張も尊重した上で次の内容でまとまったそうです。

政府案は第2条「教育の目標」で、「我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」としています。民主党の対案は「日本を愛する心を涵養」とし、愛国心の醸成を教育の「目標」とはせず、前文に記すことで「理念」と位置付けました。

さらに自然に養い育てる意味を表す「涵養」との表現を用い、教育現場への強制につながらないよう配慮しています。愛する対象も、政府などの統治機構を含みかねないとの指摘もある政府案の「国」ではなく、あえて「日本」と表記したようです。

以前、新しい法律案が国会で議論された際、今回と似通った事例が思い起こされます。1999年に「日の丸」「君が代」を国旗国歌とする法律が成立しました。その際、当時の野中広務官房長官は「国として強制や義務化するものでなく、国民生活に何ら変化や影響を与えるものではない」と国会で答弁していました。

「日の丸」「君が代」をめぐっては歴史的な経緯の中で、その評価に対して賛否が分かれています。官房長官答弁のとおり社会生活全般の中で今のところ強制はありません。しかし、卒業式や入学式での「日の丸」「君が代」への対応をめぐり、強制に反対する教員と教育委員会との間での対立は深まっています。

国際的な常識として国旗や国歌に敬意を払う必要性を教えることも大事だと思いますが、現在の東京都教育委員会の教員に対する強制は想像を絶するものがあります。視線の先のチェックや「口パク」さえ認めない雰囲気を作り出し、不起立を貫く教員に対しては職務命令違反として処分を繰り返しています。

思想信条や内心の自由を権力的に弾圧する動きは問題であり、処分を受けた教員の方々の信念や行動には敬意を表します。一方で、自分自身の忸怩たる気持ちを抑えながら業務を遂行せざるを得ない立場の教育委員会職員が数多くいることも忘れてはなりません。そのような立場の職員まで「敵」に回してしまう「抗議運動」は再考しなければなりません。

いずれにしても多様な考え方や思想が認め合っていける社会こそ、民主主義の国だと考えています。したがって、「日の丸」「君が代」を否定する教育も論外ですが、極端に強制する教育も行き過ぎだと言わざるを得ません。

あらゆる場面で個人崇拝を強制している隣の国は「異常」だと多くの日本人が感じているのではないでしょうか。しかし、61年前まで日本も似たような国だったことも語り継ぐ必要があります。そのことを心に刻みながら様々な選択肢に対し、今、どう考えていくべきか幅広い視点での議論が求められているはずです。

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コメント

お邪魔します。
ちょっと本題とずれるかも知れませんが,

> いずれにしても多様な考え方や思想が認め合っていける社会こそ、民主主義の国だと考えています。

OTSUさんのこの考え方,私も何となくは,そう思うのですが,なかなか難しいなぁと思っています。
ものすごく単純な例を挙げれば,「他の思想を認めない」というのもひとつの「思想」とも言えるのではないでしょうか。
また,ひとつの宗教を完全に信じている人にとって,他の宗教の信者は,最大限に寛容しても「誤ったものを信じている哀れな人」としてしか捉えられないのではないでしょうか。
要するに,「他人の自由を侵害しないで自由に振る舞う」,または「自由と自由の共存」とでもいうべきことは,完全な実現は不可能だと思います。

なんかイチャモンつけてるみたいですが,そうではなくて,私自身の葛藤でもあります。
完全実現は無理であることを前提として落とし所はどこにするべきなのか,本当に難しい問題だと考えています。

投稿: WontBeLong | 2006年5月15日 (月) 00時39分

わたしもちょっとお邪魔いたします

>いずれにしても多様な考え方や思想が認め合っていける社会こそ、民主主義の国だと考えています。

それ以前に選挙で選らばれた首長が任命し、同じく選挙で選ばれた議会で同意を得た教育委員の業務指示に、何故試験に受かっただけの官僚の反抗が許されるのかが不思議です。

この問題は教育委員会が多くの自治体で形骸化していわば教育官僚の好きなように運営されていたものを法令の通りに市民の側に権力をとり戻したという話であり、指示の内容は別として、官僚の裁量行政から民主主義のコントロール下に教育を移すという話だと思いますがいかがでしょう?

投稿: どうでしょう | 2006年5月15日 (月) 09時53分

WontBeLongさん、どうでしょうさん、さっそくコメントありがとうございました。
それぞれ貴重な鋭い問題提起でしたので、コメント欄での回答では不充分な内容にとどまる心配があります。したがって、早ければ今夜、記事本文で私なりの考え方を改めて示させていただきます。
ぜひ、これからも貴重なご意見をよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2006年5月15日 (月) 12時38分

選挙で選ばれた奴が常に正義を行うわけじゃないかんねぇ。むしろ逆でしょ。

教育委員会にしろ、多様な人間じゃなくて、首長が気に入った人“だけ”が選ばれてるんだから似たような思想傾向を持っていて多様性を前提にした議論をしないから、教育委員会が機能しないのよ。

学校の運営は、教員・親・地域(そしてもちろん子どもたち自身)が、自分たちの子どもは自分たちで育てるという責任を持って、主体的に運営していくのが理想であって、、そもそも教育委員会がトップダウンで操作しようとするからおかしくなるのよ。(まぁあくまで理想。現実には意識ある教員がリーダーシップをとっているのが現状だな)

投稿: ハマー | 2006年5月15日 (月) 20時53分

ハマーさん
当方のぶしつけな書き込みにご意見ありがとうございます。

>選挙で選ばれた奴が常に正義を行うわけじゃないかんねぇ。むしろ逆でしょ。

正義というと語弊があるので、最適解という意味にとらせていただきますがそれはその通りだと思います。
ただ、だからといって官僚が越権行為をして良いかどうかは別問題だというのが私の考えです。

>多様な人間じゃなくて、首長が気に入った人“だけ”が選ばれてるんだから似たような思想傾向を持っていて多様性を前提にした議論をしないから、教育委員会が機能しないのよ。

現状の制度がそうである以上、これに問題があるなら見直しがなされるべきであって、官僚の介入を許す根拠にはなりえないと思います。ちなみに私のスタンスは、「首長の任命及び議会の承認を経ている以上、委員の構成はその地区における民意の大勢を一定程度反映している。」です。

>学校の運営(以下略)
この辺が一番かみ合わないところかも知れませんが、官僚である先生がリーダーシップをとるより、教育委員会のトップダウンの方が健全だと思っているのですよ私。で、先生には出来る限り本分たる教育に専念していただきたいと。

教育委員会の方は首長や議会選挙を通じて我々が問題点のコントロールが出来ますけど、先生の方はそうもいきませんので。

投稿: どうでしょう | 2006年5月16日 (火) 00時33分

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