憲法記念日に思うこと
日本国憲法の施行から59年が過ぎました。「平和の理念を掲げる9条の価値を世界に」「国民投票法の早期成立で改正憲法を」などの声が叫ばれた憲法記念日の5月3日、今年も護憲派と改憲派、それぞれの集会が全国各地で数多く開かれました。
私の地元でも市民の方々が会を作り、20年ぐらい前から「憲法集会」と銘打った催しを5月3日に開き、いつも200人前後の参加者を集めていました。毎年、私も賛同人の一人に名前を連ねさせていただき、当日の受付程度をお手伝いしてきました。残念ながら今回は外せない別な用事があり、顔を出すことができませんでした。
今、徹底した平和主義を唱えた憲法が大きな曲がり角を迎えています。憲法の見直しを前提とした「国民投票法案」が国会へ上程されようとしています。このブログを始めて最初の憲法記念日、平和憲法の簡単な歴史や自分なりに思うことを書き進めてみます。
1946年11月3日、GHQ(連合軍総司令部)の草案に基づいて日本国憲法が公布されました。施行は1947年5月3日で、戦争放棄や戦力不保持など徹底した平和主義が定められました。
GHQの意図は日本の再軍備阻止だったことは明らかであり、そのため「押し付けられた憲法だから改正が必要」だと改憲勢力の悲願とされてきました。一方でノーベル賞作家の大江健三郎さんら敗戦直後の民主教育で新しい憲法を学んだ世代は、その理想主義に感銘して現在に至っているようです。
1950年に朝鮮戦争が始まり、日本に駐留するアメリカ軍が朝鮮半島に出撃したため、それを補う目的でGHQの指令により警察予備隊が設置されました。その翌年の1951年9月、日本はサンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約を結び、独立への道を踏み出しました。
東西冷戦が進む中、やはりアメリカの思惑から1954年に警察予備隊が自衛隊に再編されました。憲法を改正しないまま事実上の再軍備は「第9条は自衛のための最低限の軍備まで否定していない」という解釈からでした。その最低限とは防衛予算のGNP(国民総生産)比1%枠や非核三原則であり、集団的自衛権は認められないなどの歯止めでした。
自衛隊が海外でも活動している現状など、現実と平和憲法との隔たりが大きすぎるから「憲法を現実に合わせるべき」との主張があります。北朝鮮の拉致問題など国際社会の現状は理想主義を押し通せるほど甘くないから「しっかりした軍備は当然」の声も強まっています。
それらの主張を私は全否定せず、真摯に受けとめるべき現実だと考えています。私自身、憲法前文と第9条は非常に気に入っていますが、最も重要な点は日本国憲法の平和主義をどう貫くかだと思っています。
ちなみに日本国憲法と同時期に定められた国連憲章の前文は、日本国憲法と同様に「二度と戦争は起こさない」という誓いがにじみ出ています。この国連憲章により、外交の延長線上として宣戦布告さえすれば合法だった戦争が、第2次世界大戦後は国際社会の中で原則禁止されました。例外として、自衛のためと国連安全保障理事会が認めた場合の戦争だけが合法とされました。
平和主義を貫きながら国際協調も重視する立場から国連中心主義の考え方があります。小沢民主党代表が提唱した「憲法理念に基づく国連中心の安全保障原則の確立」は、その意味で平和主義を破棄しない理念だと期待しています。
その考え方に対しても、「国連など役に立たない」「日本にミサイルを向けている国が常任理事国で、国連中心主義なんて冗談じゃない」などの批判の声も耳にします。最近、靖国参拝や領土問題などで、以前よりナショナリズムが高まっている気がしています。インターネットの普及により、それらの声が聞こえやすくなっただけかも知れませんが…。
いずれにしても憲法の平和主義がないがしろにされ、前文と第9条改悪の危惧がある中での「国民投票法案」制定には反対です。それよりも国際社会の中で、もっともっと平和憲法を持つ日本の役割をアピールすべきだと考えています。イラク戦争の前もそうでしたが、イランとの関係においてもアメリカ追随ではない日本だからできる外交努力が求められているはずです。
長々と書き進めてきましたが、簡単に明快な答えが出せるとは思っていません。多様な情報や価値観があふれている中、それでも「戦争は嫌だ」との思いを最大公約数としながら「憲法論議」ができることを願っている今日この頃、憲法記念日でした。
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