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2006年5月27日 (土)

保育園民営化に賠償命令

最近、新しいハンドルネームの方から以前投稿した記事へのコメントが続きました。それぞれ率直な感想や私と同じ市民課で働く方から共感を得たコメントの内容でした。のりさん、市民課さんさん、食券少女さん、改めてありがとうございました。このように相互交流できるのがブログの持ち味だと思っています。ぜひ、これからも多くの方からコメントをお待ちしています。

先週末、小泉首相が「改革の総仕上げ」と位置付けた行政改革推進法が国会で成立しました。国家公務員を今年度から5年間で5%以上純減、商工組合中央金庫と日本政策投資銀行の完全民営化、31の特別会計の統廃合などが定められました。

また、官民競争入札の具体的な仕組みを定めた公共サービス改革法(市場化テスト法)、公益性の高い法人に税制優遇を与える公益法人制度改革関連3法も同時に成立しました。民主党は、中央省庁の随意契約や天下りへの対策がないことを批判し、行政改革推進法に関しては反対したようです。

郵政民営化に異常な執念を燃やした小泉首相が登場し、国でも地方でも「官から民へ」の流れに拍車がかかっています。公務員側から発信する当ブログでは繰り返し、「民」に任せると行政サービスの質が低下する、「官」に任せていると非効率などの主張それぞれが不適切であると述べてきました。「官」と「民」の責任と役割を踏まえ、相互に補完していくことが大事であると訴えてきました。

先日、この「官から民へ」の激しい流れに対し、一石投じる判決が横浜地裁で示されました。横浜市立保育園4か所の民営化を巡る訴訟で、対応が拙速すぎたとして保護者らの主張を一部認め、市に慰謝料の支払いを命じました。

原告の保護者は民営化の取り消しを求めましたが、新たな混乱を招くとして取り消しそのものは認められませんでした。しかし、保護者説明会で同意が得られないまま「民営化は決定事項」として押し切った市の姿勢に対し、地裁は「特別に民営化を急ぐべき理由があったとは認められない」として、裁量権の逸脱と乱用を認定しました。

また、「引き継ぎ期間は3か月あれば充分」とした市の主張に対しても、地裁は厳しく批判しました。発表から5年後に民営化し、さらに6年かけて職員を入れ替えた神奈川県福祉事業団の例をあげ、大きく異なる市側の主張に疑問を呈しました。

今回の判決では「民営化決定の背景に財政問題があったのは明らか」と判断されています。以前の記事「保育園民営化の問題点」で投げかけましたが、保育の質を担保するためには経験豊富な保育士の存在が欠かせず、一人ひとりの子どもを適切に見守れる配置基準が重要です。

コスト削減を目的とした民営化が進めば、それらが疎かになり、保育園のレベルダウンにつながっていく心配があります。そのため、保育園の民営化を巡っては全国各地で取り消しを求めた行政訴訟が起きているようです。

私どもの市の行革プランでも保育園の民営化が掲げられています。今回の判決を教訓化し、子どもや保護者ら利用者側の視点に立つ必要性を行政側は強く認識しなければなりません。今後、組合としても保育園職場の皆さんと連携し、市側へそのことを強く訴えながら行革プランに対峙していくことになります。

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2006年5月24日 (水)

窓口サービスのあり方、議論白熱

「組合を信じていませんから!」

この厳しい言葉とその時の冷ややかな視線、グサッと私の胸に突き刺さり、ずっと頭から離れません。その言葉を投げかけられた後、いろいろ話をさせていただき、「もう一度だけ信じてみるけど、今度、裏切られたら組合を辞めますから」と伝えられながら、その方とは別れました。

昨夜、私どもの市の窓口サービスのあり方について、市民課、保険課、出先機関の窓口職場を所管する課の職員を対象に市の計画案の説明会が開かれました。計画案自体、各職場代表も入った検討の上で練られてきていましたが、関連する職場の職員全体で意見交換できる場としては今回のスタイルが初めてでした。

会の進め方としては、市民課長が30分ほど計画案の説明を行なった後、質疑や意見交換の時間を60分以上予定していました。その時間配分から分かるように計画案をアリバイ的に関連職員全体へ説明し、トップダウンなやり方で強引に進めるような姿勢は課長たちの側になく、職員の率直な声に耳を傾ける機会となった会議だったと思います。

窓口サービスのあり方について多くの職員から現場に根差した貴重な意見や質問が出され、終了予定時間の午後8時を大きく回るほど議論が白熱しました。その説明会の後、ある女性職員から冒頭の言葉が投げかけられました。

市の政策会議で方針化した窓口サービスのあり方に関する計画案の中には、行革推進の姿勢が色濃く示されていました。昨年11月に投稿した記事「市役所の窓口業務も民間参入?」で報告しましたが、懸命に努力している職員のモチベーションを下げるような委託化などの記述が計画案に盛り込まれました。

ここで組合の出番があった訳ですが、市当局へ申し入れた上で計画案の取扱いを次のとおり確認しました。窓口職場の委託化など労使協議の必要な事項は、組合への提案が必要であり、労使合意なく一方的に実施しない原則を改めて確認しました。

したがって、委託化などの記載はあくまでも「案」の位置付けとなり、実施する際は労使協議が必要イコール「現時点では白紙」と軌道修正をはかりました。このことは当該の部課長も了解し、市民課長の説明の中でも「この部分は労使協議事項でありペンディングとします」と切り分けていただきました。

この労使確認事項に関しては事前に関連職場の組合員へ周知していました。しかし、説明が政策会議の資料に基づいて行なわれたため、出席職員の関心や不安がその保留事項にも集まりがちとなりました。逆にそのような重要な話が「現場職員の声が反映されず強行されてしまうのではないか」と心配する意見も上がっていました。

この説明会へは一市民課職員としての出席でしたが、ちょうど課長からの目配せもあったタイミングで、私から労使で確認した内容を改めて説明させていただきました。「委託化の問題などは組合へ提案された後、その是非について皆さんと協議することになります。業務レベルで進む話と異なり、労使協議は労使対等な立場で議論できますので、委託化の問題などは白紙であると考えてください」と説明を加えました。

さらに「一方で本庁職場でのワン・ストップ窓口のあり方などについては直接的な労使協議事項でなく、その職員配置で可能かどうかのみが労使協議の対象となります」と続けました。その説明会の中で、本庁窓口でのワン・ストップのあり方についても基本的な考え方に関わる意見が多数出されていました。そのため、「今日の会議で出された様々な意見を受けとめていただき、本庁窓口でのワン・ストップのあり方についても幅を持った検討の必要性」を個人的な要望として付け加えさせていただきました。

このような要旨で行なわれた説明会の後、その女性職員から「今まで私のいた職場は皆、委託化されてきた。そう言いながらも結局、押し切れらてしまうのではないの」と告げられたのでした。そのご指摘に対し、私からは「確かに委託化提案を受け入れた職場もありましたが、行革提案を押し返した時も少なくありません。どちらにしても組合がなければ、すべて当局の思い通りに進められてしまいますよ」と釈明させていただきました。

今回の件で、その方の信頼を裏切る結果を招いたら弁明の余地がなくなります。ただし、現時点で委託化の問題などを「白紙」に押し返したことは事実ですが、数年先に市当局から提案が示された場合、提案そのものを拒むことはできません。したがって、以前の記事「市役所の窓口業務も民間参入?」で取り上げた市職員側の問題意識について、広く市民の皆さんからもご理解いただけるような今後の組合運動がますます重要だと痛感しています。

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2006年5月20日 (土)

メタボリック症候群と学校給食の役割

以前の記事「学校給食のあり方、検討開始」でお伝えしていましたが、各調理職場の組合員の代表が月に1回は集まり、自分たちの仕事のあり方について真摯な議論を重ねています。先日、その検討委員会の場に自治労都本部で学校給食の部会長を務めている方を講師にお招きし、食の安全と食育についての学習会が企画されました。

検討委員会のメンバーではありませんでしたが、関心が高まっているテーマでしたので、その学習会へは私も出席させていただきました。講師は三多摩の市職員組合の役員を担いながら学校給食の現場最前線で、より良い給食づくりに励んできた方でした。実際に培ってきた経験と自治労運動などで得ている豊富な情報や課題を伝えていただき、貴重な学習の機会となりました。

講師の方が来訪された際、その検討委員会の担当者とともに委員長である私と書記長の4人で雑談する時間がありました。その雑談の中で、講師の方が「私もそうですが、書記長さんもメタボリック症候群に注意しないといけませんね」と話されていました。

この学習会に出るまで不勉強でしたが、メタボリック症候群という言葉になじみがありませんでした。書記長もキョトンとした表情でしたので、同じく初耳だったのかも知れません。要するに「太りすぎに注意しましょう」とのメッセージだったようです。それほど太って見えない講師に比べ、私の方が要注意体型だと感じましたが、私に対しては「社交辞令」的な配慮だったのかも知れません。

さて、メタボリック症候群を改めて「イミダス」で調べてみました。「肥満、高脂血症、脂質代謝異常、耐糖能異常などが単独では軽度であるが、複数重なって心筋梗塞、脳卒中など重い病気に進む危険性がある状態を総称した概念」だとのことです。代謝機能の不調、内臓脂肪型肥満とも見られています。

原因は内臓脂肪の蓄積で、40歳以上の男性の4人に1人が該当すると言われているそうです。予防として、カロリーや脂肪の多い食事を見直し、運動不足の解消など日常生活を改善することだと書かれていました。かつて成人病と呼ばれた生活習慣病を防ぐための心構えとやはり同様でした。

メタボリック症候群の増加などが課題認識され、昨年7月に食育基本法が施行されました。この法律の目的として「食」を大切にする教育や食文化の継承、食品の安全性確保などが記され、社会全体の問題として解決していくための基本法に位置付けられています。そして、この法律によって学校や保育所などにおける食育を推進するための体制整備、地域の特色を生かした学校給食の実施などが求められています。

今回の学習会で、講師の方から食育基本法について分かりやすく説明を受けました。また、講師の職場では、20年近く前から同様な問題意識を持って具体的な実践を積み重ねてきたそうです。さらに食材料、献立、栄養、食器、作業面、児童生徒や地域との関わり、衛生面など、多岐にわたる現状検証のための問題点も提起していただきました。

私どもの市の行革プランで「学校給食は民間委託化を検討」と掲げられています。それに対して講師が勤務している市では、これまでの実績が評価されている点が大きいのでしょうが、今のところ「民間委託化」の話は皆無だとのことです。食育基本法の施行が示すとおり学校給食の責任や役割が非常に高まっている中、それが当たり前だと言えば当たり前な流れだと勇気付けられた意義深い学習会でした。

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2006年5月17日 (水)

「ウェブ進化論」とブログの可能性

つい先日、梅田望夫さんの「ウェブ進化論」(ちくま新書)を読み終えました。自分自身、昨年夏からブログ作りにはまり、自宅のインターネットを常時接続環境(ADSL)に変え、数多くのサイトを日常的にチェックするようになっています。一年前の今頃と比べれば、パソコンに向かう時間は劇的に増えています。

同時にインターネット関連の話にも興味が高まり、「ウェブ進化論」のような話題の書籍を自然と注目するようになっていました。ちなみに用語集で「ウェブ」を改めて調べてみました。インターネット上でホームページなどを利用する仕組みの名称で、ワールドワイド・ウェブ(WWW)の略称だそうです。世界中のホームページがリンクによって複雑につながっている様子が、クモの巣(ウェブ)に似ていることから命名されたようです。

このブログは書評が中心でありませんので、本の内容などは別なサイトに委ねさせていただきます。概要が簡単に分かるサイトとして、asahi.comに著者である梅田望夫さんのインタビュー記事が掲げられていました。「ムーアの法則」や「ウェブ2.0」などの言葉が紹介されていますので、興味のある方は参考までにご覧になってください。

さて、asahi.comのように無料で、なぜ、本来「売り物」とすべき情報をインターネットで公開しているのでしょうか。その疑問は「ウェブ進化論」を読んで、「なるほど」とうなづくことができました。まずウェブ上での公開は、印刷製本や配送などのコストが基本的にかかりません。雑誌や新聞で掲載した内容をそのまま利用すれば、記事を作るコストもかかっていないと言えます。

そして、本物つまりリアル世界で雑誌などを売るためには宣伝が欠かせません。asahi.comに良質な情報を掲げ、訪れる方が増えることによって、本体の朝日新聞や関連雑誌の効果的な宣伝となっていきます。コスト負担がないネット世界だからこそ、本来書店などに並ぶ「売り物」であるべき情報を無料で提供しても最終的にはプラスとなる計算です。

また、多くのホームページやブログの画面上に様々な広告が貼り付けられています。このような広告費の額は世界中で、すさまじい伸びを見せているそうです。このウェブ上での商売にいち早く着目し、超優良企業に成長したのがグーグルという検索サイトの会社でした。

「ウェブ進化論」の影響で検索エンジンとしてのグーグルの凄さを思い知り、「グーグル完全活用本」(創藝社)も購入しました。「書評ではない」と言いながら本論に入らず、グーグルの話にまで横道にそれてしまいました。

前置き的な話が非常に長くなりましたが、この「ウェブ進化論」を読み、改めてブログなどによるネット世界の可能性を感じ取りました。今後、ネット世界がリアル世界へ与えていく力は、ますます大きく広がっていくだろうと予測されています。

既存のテレビや新聞などのマスコミを押さえれば、世論への情報操作が簡単だった時代もあったはずです。最近、ブログなどの普及によって、権力側としては目立たせたくなかった情報でもネット上で即時に広めることができるようになっています。「共謀罪」の国会審議などに関しても、ネット世界からの影響力が強行採決へのブレーキをかけたと評価する声も聞こえています。

この「公務員のためいき」もコストがかからず、ほんの少し自分自身のプライベートな時間をさくだけで、瞬時に数多くの方へ発信できる可能性の素晴らしさをかみしめています。日々のアクセス件数は200から500ぐらいの幅がありますが、毎日、必ず100人以上もの方がブックマークから訪れていただいています。アルファブロガーへの道は遥か彼方ですが、ご訪問いただいている方々に心から感謝申し上げながら今後も地道に続けていきますので、どうぞよろしくお願いします。

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2006年5月15日 (月)

佐高信さんの言葉「呼びかけの競い合い」

日記形式のブログでもあり、一つの記事を通して主張したい内容はあまり多くしないように心がけています。と言いながら昨夜投稿した記事(思い起こすのが「国旗」「国歌」法)は、少し内容を盛り込みすぎたかなと感じていました。

すると翌日、同じ役所の方から「なかなかの内容でしたね」と言われ、別な方からは「少し主張したい点が分かりづらかった」と対照的な感想をいただきました。また、WontBeLongさん、「どうでしょう」さん、ハマーさんから問題提起となるコメントをお寄せいただきました。いろいろな主張を盛り込んだ記事だったため、人によって受けた印象は様々だったかも知れません。

WontBeLongさんからは「いずれにしても多様な考え方や思想が認め合っていける社会こそ、民主主義の国だと考えています」との文章に対し、難しい問題であると葛藤しながら次のようなご意見をいただきました。

ひとつの宗教を完全に信じている人にとって、他の宗教の信者は、最大限に寛容しても「誤ったものを信じている哀れな人」としてしか捉えられないのではないでしょうか。要するに、「他人の自由を侵害しないで自由に振る舞う」、または「自由と自由の共存」とでもいうべきことは、完全な実現は不可能だと思います。

ご指摘の通りなのが一般的なことだと思います。私の言い分は理想論だったり、きれい事過ぎる主張なのかも知れません。世界中の人々が国家、宗教、民族、思想などの違いを尊重し合いながら対立よりも対話を重視できれば、世の中から悲惨な戦争はなくなるはずです。

そこまで一気に話を誇張してしまうと単なる夢想家だと失笑され、現実的な意見交換につながりません。とりあえず直面する課題である「共謀罪」や「愛国心」などについて、どのように議論していくべきなのか「運動論」としての願いを託したつもりでした。

ここで評論家の佐高信さんの言葉をご紹介します。佐高さんが編集委員を務めている「週刊金曜日」3月17号のコラムで述べられていた言葉で、私自身、非常に共感した文章でした。

硬派の人たちは、保革の対立を「正しさの競い合い」のように思いがちだが、私はそう見ていない。保守の側も自分たちの意見を「正しい」と思っているのであり、「呼びかけの競い合い」をしなければならないのである。

実は最近、この記事を目にしました。私自身も最近の記事「多様な価値観Part2」で「大事な点は小泉首相の支持者からも共感を得られる言葉や中味を意識すること」と書いていましたので、佐高さんの言葉と相通じる考え方だったと手前ミソに解釈して勇気付けられていました。

このような考え方を基本としていますので、このブログを通した私自身の主張が分かりづらく感じられる時があるものと思います。前回記事で「日の丸」「君が代」を否定する教育も論外としながら、極端に強制する教育も行き過ぎだと主張した点なども分かりづらかったかも知れません。続いて「どうでしょう」さんのコメントをご紹介します。

選挙で選らばれた首長が任命し、同じく選挙で選らばれた議会で同意を得た教育委員の業務指示に、何故試験に受かっただけの官僚の反抗が許されるのかが不思議です。

「日の丸」「君が代」に反発してきた教員に対する憤りが伝わってくる「どうでしょう」さんからのコメントに対し、ハマーさんが次のようなコメントを寄せています。

選挙で選ばれた奴が常に正義を行うわけじゃないかんねぇ。むしろ逆でしょ。教育委員会にしろ、多様な人間じゃなくて、首長が気に入った人“だけ”が選ばれてるんだから似たような思想傾向を持っていて多様性を前提にした議論をしないから、教育委員会が機能しないのよ。

お二人のコメントを踏まえ、前回記事で分かりづらかった私の言葉の補足をさせていただきます。まず誤解のないよう「日の丸」「君が代」に反対してきた教員の皆さんの行動やその組合の方針を批判するものではありません。私も、私どもの組合の方針も「日の丸」「君が代」の強制には反対の立場です。

その上で、「日の丸」「君が代」を頭から否定する教育が行なわれていたとしたら問題だと個人的には思っています。大半の教員の皆さんは賛否両論あることも含めて教えていたと伺っています。もし、そうでなかった場合は子どもたちへ「反対することの強制」となり、偏向教育と批判されてしまいます。

最後に、入学式や卒業式の場面では、それこそ「正しさの競い合い」ではない両者の折り合いが実現することを願っています。以上のような優柔不断な意見は、双方の立場の方から批判を受けるかも知れません。とにかく難しい問題だからこそ、「呼びかけの競い合い」となる議論を交わしていくことが重要だと考えています。

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2006年5月14日 (日)

思い起こすのが「国旗」「国歌」法

6月18日の会期末が近付く今国会、重要法案の取扱いをめぐり与野党間で緊張感が高まっています。憲法見直しを前提とした国民投票法案は見送られるようですが、医療制度改革関連法案や組織犯罪処罰法改正案(共謀罪)は今週中の衆院通過が焦点とされています。教育基本法改正案は審議入りの日も確定していないため、会期が延長されない限り今国会での成立は物理的に困難だと見られています。

その一方で、小泉首相が最重要法案に位置付けている行政改革推進法案は既に衆院を通過し、参院での審議に入っています。国家公務員の定員を5年間で5%純減する内容などが盛り込まれた法案ですが、小泉改革の総仕上げとされ、今国会での成立は確実な見通しです。

郵政民営化法案の時もそうでしたが、小泉首相の思考回路はある意味で分かりやすいかも知れません。自分の持論やこだわる課題に対しては異常な執念を見せますが、それ以外は非常に淡白なようです。いわゆる「丸投げ」している感じが強く、独裁的なリーダーシップを発揮する時との落差の大きさには驚かされます。

つまり今回、小泉首相自身は共謀罪や教育基本法の改正に対し、あまり関心を示していないように見受けられます。しかし、支持率が高い小泉首相の任期中の今国会で、懸案だった重要法案を何としても成立させたい意図が自民党全体からは伝わってきています。この共謀罪の問題性や国会審議の動きについて、衆議院法務委員会の委員である保坂展人さん(社民党)のブログ「どこどこ日記」から詳しく知ることができます。

共謀罪が成立しても「サラリーマン同士の冗談話で逮捕できる訳がない」、教育基本法に「愛国心を明記しても軍国主義につながる訳がない」と法案推進側は強調しています。確かに今、そのようなことは目論んでないかも知れません。しかし、法律に書き込まれることは強制力が発生し、当然、処罰の対象にもなり得ます。その時の権力側が都合の良いように解釈し、非常識な運用がされないとは限りません。

特に「愛国心」は、わざわざ法律に明記しなくても自然に湧き上がることが理想です。国を愛する気持ちそのものを否定する方は少ないものと思いますが、もう少し慎重な幅広い議論の時間が必要だと考えています。ところで教育基本法改正案の「愛国心」に関する民主党の対案は、日教組出身議員の主張も尊重した上で次の内容でまとまったそうです。

政府案は第2条「教育の目標」で、「我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」としています。民主党の対案は「日本を愛する心を涵養」とし、愛国心の醸成を教育の「目標」とはせず、前文に記すことで「理念」と位置付けました。

さらに自然に養い育てる意味を表す「涵養」との表現を用い、教育現場への強制につながらないよう配慮しています。愛する対象も、政府などの統治機構を含みかねないとの指摘もある政府案の「国」ではなく、あえて「日本」と表記したようです。

以前、新しい法律案が国会で議論された際、今回と似通った事例が思い起こされます。1999年に「日の丸」「君が代」を国旗国歌とする法律が成立しました。その際、当時の野中広務官房長官は「国として強制や義務化するものでなく、国民生活に何ら変化や影響を与えるものではない」と国会で答弁していました。

「日の丸」「君が代」をめぐっては歴史的な経緯の中で、その評価に対して賛否が分かれています。官房長官答弁のとおり社会生活全般の中で今のところ強制はありません。しかし、卒業式や入学式での「日の丸」「君が代」への対応をめぐり、強制に反対する教員と教育委員会との間での対立は深まっています。

国際的な常識として国旗や国歌に敬意を払う必要性を教えることも大事だと思いますが、現在の東京都教育委員会の教員に対する強制は想像を絶するものがあります。視線の先のチェックや「口パク」さえ認めない雰囲気を作り出し、不起立を貫く教員に対しては職務命令違反として処分を繰り返しています。

思想信条や内心の自由を権力的に弾圧する動きは問題であり、処分を受けた教員の方々の信念や行動には敬意を表します。一方で、自分自身の忸怩たる気持ちを抑えながら業務を遂行せざるを得ない立場の教育委員会職員が数多くいることも忘れてはなりません。そのような立場の職員まで「敵」に回してしまう「抗議運動」は再考しなければなりません。

いずれにしても多様な考え方や思想が認め合っていける社会こそ、民主主義の国だと考えています。したがって、「日の丸」「君が代」を否定する教育も論外ですが、極端に強制する教育も行き過ぎだと言わざるを得ません。

あらゆる場面で個人崇拝を強制している隣の国は「異常」だと多くの日本人が感じているのではないでしょうか。しかし、61年前まで日本も似たような国だったことも語り継ぐ必要があります。そのことを心に刻みながら様々な選択肢に対し、今、どう考えていくべきか幅広い視点での議論が求められているはずです。

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2006年5月11日 (木)

メリットがない住基ネット

昨夜、新規加入の組合員対象に「新人歓迎オリエンテーション」と呼んでいる組合説明会を催しました。会の冒頭、私から一言挨拶する段取りでした。いつも限られた時間、もしくは短い方が歓迎される場面で挨拶することが多く、今回のように5分以上の持ち時間があるのは貴重な機会でした。

このブログで様々な内容の記事を投稿していますので、最近、挨拶する時のネタに困ることがなくなっています。そのため、久しぶりに長々と話してしまい、勢い余って「公務員のためいき」の宣伝もしっかりさせていただきました。

全体的に陽気な方が多いような印象を受けましたが、とりわけ入所早々に合気道部を立ち上げた一人の方の元気の良さには感心しました。帰り際、玄関の外で合気道の型を皆に披露し、コンクリートの上で受身を取る姿は「若さ」を強烈に感じさせられました。

さて、水曜日の朝刊に住民基本台帳ネットワーク、いわゆる住基ネット関連の記事が二つ載っていました。自分の所属する職場が市民課であり、必然的に目がとまる内容でした。

一つは、見出しが「横浜市 住基ネット全員参加へ」でした。住基ネットの安全性が確保されるまでの緊急避難措置として、横浜市は今まで住基ネットへ個人情報を送信するかどうか市民が選択できる方式を採用していました。

個人情報保護法が制定されたことや、外部からの不正侵入への防護策がとられていることなどから「安全性は総合的に見て問題ない」と中田市長は判断し、「非通知」希望者約82万6千人分のデータ送信を7月から始めるとのことです。

もう一つは、「お寒いオンライン手続き 税申請1件経費4万円 住基カード低迷で」と社会面に大きな見出しが踊っていました。インターネットを通して確定申告などの電子申請ができるようになっていますが、利用率が1%に満たないものが多いそうです。1件の申請に約4万円の経費が行政側にかかるものもあり、実施は時期尚早だったと批判の声が出始めていると報道されていました。

電子申請を行なうためには住基カードが必要とされ、さらに本人確認のための公的個人認証の手続きも必要とされています。面倒な手続きに加え、今のところ住基カード自体にあまり持っているメリットが感じられません。運転免許証を持っていない方が顔写真付きの住基カードの交付を受け、公的な身分証明書代わりに使える程度のメリットです。

住基カードがあれば、全国の自治体どこでも住民票の写しが受け取れると説明されています。ところが実は住基カードがなくても、運転免許証があれば広域住民票の写しは取得できるようになっています。加えて住基カードの発行手数料は有料(私の市では500円)であり、普及しないのが当たり前かも知れません。

2003年8月に住基ネットが第1次稼動しました。国は電子政府・電子自治体の基盤となるシステムであり、全国どこでも住民票の写しが取れるなど様々な「便利さ」を宣伝していました。一方で情報保護も万全だと説明していましたが、安全面を危惧したいくつかの自治体が不参加を表明しました。

現在でも杉並区、国立市、福島県矢祭町が参加していません。今回、横浜市が「安全」と判断したようですが、新手の危険なコンピュータ・ウイルスが登場したり、頻繁に情報流出が問題となっている中、絶対に住基ネットは大丈夫だと言い切れるのでしょうか。

私ども組合は住基ネットの稼動に反対の立場でした。自治体や市民にとってメリットが少ないにもかかわらず、労力やコストの負担が大きく、個人情報の安全面でも不安を感じていました。

最近の事例ですが、自分の担当業務でも住基ネットに関連して振り回されました。3月末時点での住民基本台帳人口を東京都へ報告する事務を担当しています。自分のところのシステムから出力される数字が、住基ネットで把握する数字と異なることが発覚しました。

どの時点で転出者を人口からマイナスするかどうかの違いでした。私の市だけの問題ではなく、全国的にも数多くの自治体で差が生じていたようです。そのため、それでなくても繁忙期の年度末に多くの職員が住基ネットの数字に近付けるため、手作業的な余計な事務を強いられました。

多くの職員の皆さんから協力を得て、昨年は230人ほどの差がありましたが、今年は30人ほどの差にまで縮めることができました。しかし、そもそも杉並区など住基ネットに参加していない自治体がある中で、この「正確性の確保」作業がどれほどの意味を持つのか疑問でした。

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2006年5月 7日 (日)

教育基本法と愛国心

ゴールデンウィークも今日で終わりです。連休明け、国会は会期末を6月18日に控え、共謀罪や教育基本法改正案など重要法案の審議が目白押しとなっています。さらに憲法見直しを前提とした国民投票法案までも上程する動きがあります。

最近、このブログは「とんでもない法律、共謀罪」「憲法記念日に思うこと」など、政治的な問題を題材にした記事が続いています。それぞれ職場署名など組合活動としても取り組んでいる課題であり、それをフォローする意味合いもありました。

そもそも自民党が長年の懸案としていたテーマの重要法案を何本も会期末押し迫った時期に出してくるのか、言うまでもないかも知れません。衆議院で圧倒多数を与党が占めていることに加え、国民的に支持率の高い小泉政権の間に法案を通したい姿勢が一目瞭然です。このような情勢を踏まえ、今回は教育基本法について考えてみます。

1947年、教育基本法は日本国憲法の精神に則して制定されました。日本の教育に関する根本法であり、前文と全11条で構成されています。教育の機会均等、義務教育、男女共学、教育行政の中立性などが謳われ、「教育の憲法」とも呼ばれています。

憲法と同様に制定以来、一度も改正されていません。2000年12月に教育改革国民会議が「見直し」を提言し、2003年3月には中央教育審議会が「新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画の在り方について」を答申し、この間、政治主導による「改正」の動きが強まっていました。

与党における教育基本法見直し協議の最大の焦点は前文に盛り込まれる「愛国心」をめぐる表現内容でした。「国を愛する」では戦前の国家主義を想起させるため、公明党は「国」という言葉から統治機構のニュアンスを打ち消すことを主張していました。

自民党は「国」と「愛する」というキーワードに固執し、両党が譲歩し合ったかたちで先月、「愛国心」をめぐる表現が合意に達しました。「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」とし、公明党の主張を受けとめ、統治機構としての「国」のイメージを薄める内容となりました。

この表現内容に対し、自民党内では公明党の要求ばかり目立った議論に不満が高まり、「統治機構も含んだ国家を愛せないとは許せない」などの発言が飛び出していると聞きます。それでも争点となった前文以外は「公共心の養成」「国の伝統、文化、歴史の尊重」「家庭のしつけの重要性」など、自民党の意向を色濃く反映した案でまとまっています。

「愛国心」の教育を否定的にとらえる国など日本以外にはない、との主張があります。そう言われても法律に書き込まれる怖さは簡単に拭えません。この間の「愛国心」をめぐる議論では、私自身、公明党の主張に共感する立場でした。

ところで先月末、民主党が「愛国心」明記の対案で党内調整に入ったとの新聞記事を目にしました。結局、「愛国心」明記には否定的な声が大勢を占め、現時点では白紙となったそうです。しかし、民主党が「愛国心」を明記しようとした理由として、「与党との違いを際立たせたいため」と報道されていたのには驚きました。それこそ「何でも反対」の万年野党では…、と突っ込みを入れたくなりました。

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2006年5月 3日 (水)

憲法記念日に思うこと

日本国憲法の施行から59年が過ぎました。「平和の理念を掲げる9条の価値を世界に」「国民投票法の早期成立で改正憲法を」などの声が叫ばれた憲法記念日の5月3日、今年も護憲派と改憲派、それぞれの集会が全国各地で数多く開かれました。

私の地元でも市民の方々が会を作り、20年ぐらい前から「憲法集会」と銘打った催しを5月3日に開き、いつも200人前後の参加者を集めていました。毎年、私も賛同人の一人に名前を連ねさせていただき、当日の受付程度をお手伝いしてきました。残念ながら今回は外せない別な用事があり、顔を出すことができませんでした。

今、徹底した平和主義を唱えた憲法が大きな曲がり角を迎えています。憲法の見直しを前提とした「国民投票法案」が国会へ上程されようとしています。このブログを始めて最初の憲法記念日、平和憲法の簡単な歴史や自分なりに思うことを書き進めてみます。

1946年11月3日、GHQ(連合軍総司令部)の草案に基づいて日本国憲法が公布されました。施行は1947年5月3日で、戦争放棄や戦力不保持など徹底した平和主義が定められました。

GHQの意図は日本の再軍備阻止だったことは明らかであり、そのため「押し付けられた憲法だから改正が必要」だと改憲勢力の悲願とされてきました。一方でノーベル賞作家の大江健三郎さんら敗戦直後の民主教育で新しい憲法を学んだ世代は、その理想主義に感銘して現在に至っているようです。

1950年に朝鮮戦争が始まり、日本に駐留するアメリカ軍が朝鮮半島に出撃したため、それを補う目的でGHQの指令により警察予備隊が設置されました。その翌年の1951年9月、日本はサンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約を結び、独立への道を踏み出しました。

東西冷戦が進む中、やはりアメリカの思惑から1954年に警察予備隊が自衛隊に再編されました。憲法を改正しないまま事実上の再軍備は「第9条は自衛のための最低限の軍備まで否定していない」という解釈からでした。その最低限とは防衛予算のGNP(国民総生産)比1%枠や非核三原則であり、集団的自衛権は認められないなどの歯止めでした。

自衛隊が海外でも活動している現状など、現実と平和憲法との隔たりが大きすぎるから「憲法を現実に合わせるべき」との主張があります。北朝鮮の拉致問題など国際社会の現状は理想主義を押し通せるほど甘くないから「しっかりした軍備は当然」の声も強まっています。

それらの主張を私は全否定せず、真摯に受けとめるべき現実だと考えています。私自身、憲法前文と第9条は非常に気に入っていますが、最も重要な点は日本国憲法の平和主義をどう貫くかだと思っています。

ちなみに日本国憲法と同時期に定められた国連憲章の前文は、日本国憲法と同様に「二度と戦争は起こさない」という誓いがにじみ出ています。この国連憲章により、外交の延長線上として宣戦布告さえすれば合法だった戦争が、第2次世界大戦後は国際社会の中で原則禁止されました。例外として、自衛のためと国連安全保障理事会が認めた場合の戦争だけが合法とされました。

平和主義を貫きながら国際協調も重視する立場から国連中心主義の考え方があります。小沢民主党代表が提唱した「憲法理念に基づく国連中心の安全保障原則の確立」は、その意味で平和主義を破棄しない理念だと期待しています。

その考え方に対しても、「国連など役に立たない」「日本にミサイルを向けている国が常任理事国で、国連中心主義なんて冗談じゃない」などの批判の声も耳にします。最近、靖国参拝や領土問題などで、以前よりナショナリズムが高まっている気がしています。インターネットの普及により、それらの声が聞こえやすくなっただけかも知れませんが…。

いずれにしても憲法の平和主義がないがしろにされ、前文と第9条改悪の危惧がある中での「国民投票法案」制定には反対です。それよりも国際社会の中で、もっともっと平和憲法を持つ日本の役割をアピールすべきだと考えています。イラク戦争の前もそうでしたが、イランとの関係においてもアメリカ追随ではない日本だからできる外交努力が求められているはずです。

長々と書き進めてきましたが、簡単に明快な答えが出せるとは思っていません。多様な情報や価値観があふれている中、それでも「戦争は嫌だ」との思いを最大公約数としながら「憲法論議」ができることを願っている今日この頃、憲法記念日でした。

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