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2006年2月 2日 (木)

組合役員になったイキサツ

前回記事は「公務員になったイキサツ」でした。今回、その続編のような話となります。高校を卒業して市役所へ入り、配属された職場の人間関係が非常に暖かく感じたことを紹介しました。

その先輩たちの中に組合役員で、青年婦人部を担当している方がいました。略して青婦部と呼んでいましたが、若手と女性組合員を対象とした組合の下部組織でした。その後、青年女性部と名称変更を経て、現在ではユース部と女性部に独立しています。

その先輩から見れば、当時、十代だった自分は青婦部の幹事へ引き込む絶好の標的でした。入所前、私は組合に対してネガティブなイメージを抱いていました。したがって、あまり組合とは関わりたくないと思っていました。

それが組合役員を務めている明るい先輩たちと出会い、勝手な思いこみと単なる無知なだけだったと考え方を改めていました。それでもプライベートな時間が削られる青婦部幹事になることだけは、絶対避けたいものと考えていました。

決して真面目な大学生でなかったにも関わらず「夜間、学校があるから引き受けられません」と言い訳し、何とか1年目は逃れることができました。2年目の職場の忘年会、その先輩からまたしても口説かれ、やはり初めはキッパリと断っていました。それが酔い(注:この時点では20歳です)が進むうちに「やってみてもいいかな」と言ってしまったようです。

翌日、しっかり新幹事の一人に名前を加えられていました。幹事会は毎週1回、午後6時からでしたが、ほとんど出られませんでした。実際、まだ語学など出席を取る授業が多く、2回生である翌年3月までは比較的よく学校へ通っていました。

少し横道にそれますが、4回生まで単位は順調に取得できていました。卒業に向けて、致命傷となる必修単位を落としてしまい、5回生を経験することになりました。結構な人数が落とされ、内定していた就職先を棒に振った方が何人か出るほどでした。

さて、3回生になった春以降、出席を取る授業がなくなり、大学への足は遠のいていました。が、相変わらず青婦部幹事会への足も遠のいたままでした。したがって、ほとんど「幽霊幹事」のまま任期一年が終わろうとしていました。

それでも時々は青婦部幹事として参加した行動もありました。ある16ミリ映画会に興味を持ち、幹事の先輩数人と出かけました。その映画の題名は「光州は告発する」でした。

チョン・ドハン元韓国大統領の軍事クーデターに反対し、光州市民が大規模なデモなどを行ないました。それに対してチョン元大統領は軍隊を出動させ、自国民に銃口を向け、力ずくで鎮圧をはかりました。その虐殺の模様を記録した映画が「光州は告発する」でした。

それまでも原爆やアウシュビッツ強制収容所の話などを知ることにより、戦争への嫌悪感は人一倍持っていたと思います。ただベトナム戦争も現在進行形の世代ではなく、私の戦争に対する思いは「過去の事実」との認識でした。

それが同じ瞬間、それほど距離が離れていない半島で、戦車でひき殺される人たちがいたことに大きな衝撃を受けました。さらに今から思えば、その北の国でも非人道的な行為を繰り広げていたことになります。

この映画を見たことにより、少し考え方に変化が出ました。だから何ができるか分かりませんでしたが、青婦部幹事になって一年間、何もしなかったし、何も分かろうとしないで辞めるのも何だなと思い返すようになりました。

結論として、2年目の青婦部幹事については自らの意志で続けることになりました。その時点では、まさか組合の執行委員長まで引き受けることになろうとは夢にも思っていませんでした。その後も様々な節目で迷った場面もありましたが、組合活動を経験できて本当に良かったと振り返ることができます。

また機会がありましたら、その後についても書き込みたいと考えています。とにかく初めから組合の支持者でなかったことが、ある意味で自分自身の強みだと思っています。組合に距離を置こうとしている方たちに対しても、自信を持って「組合って、大切なんだよ」と呼びかけられるからです。

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