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2005年12月29日 (木)

小泉改革総仕上げ、重要方針決定

2005年も残りわずかとなりました。昨夜、今年最後の忘年会があり、翌日が年末休みの安心感から少々飲みすぎたかも知れません。それでも「もう一軒行こう」の誘いは珍しく断ることができました。深夜バスにも間に合い、下車するバス停寝過ごしに注意しながらバスで帰ることができました。

さて、政府から私たち公務員へ重たいクリスマス・プレゼントが渡されました。

政府は24日午前の臨時閣議で、今後の構造改革の柱となる「行政改革の重要方針」を決定した。政府は重要方針に基づき「行政改革推進法案」(仮称)を策定し、来年3月をめどに次期通常国会に提出する方針。臨時閣議に先立ち首相官邸で開かれた行政改革推進本部の会合で、小泉純一郎首相は「各閣僚一体となって法案取りまとめに向け率先して取り組んでほしい」と指示した。重要方針は、1機関への統合を決めた政府系金融や公務員総人件費削減、独立行政法人や特別会計の見直しなど10項目にわたる改革の目標や実施時期を明示している。 (毎日新聞)

この間、公務労協は中馬行革担当大臣らと交渉を持ち、政労協議の場の設置などを求めてきました。しかし、充分な議論が尽くされていない中、上記のとおり政府は一方的に重要方針を決定しました。即座に公務労協(右サイドバー「用語解説リンク」参照)は次の内容の声明を出し、政府に対する抗議の打電行動を各組合へ提起しています。

  1.  政府は、本日、2006年度政府予算案とともに「小さくて効率的な政府への道筋を確かなものとするため」として、政策金融、特別会計改革、総人件費改革実行計画等9つの柱からなる「行政改革の重要方針」を閣議決定した。「重要方針」は、同方針で示している基本的事項の実行を法律的に担保するべく、2月上旬に「公共サービス効率化法(市場化テスト法)(仮称)」、3月中旬を目途に「行政改革推進法(仮称)」を国会提出するとしている。
     「人件費改革実行計画」は「5年間で5%定員純減」をはじめ、公務員賃金水準の見直しなど、先に経済財政諮問会議が決定した「総人件費改革の基本指針」をなぞったものであり、「行革推進法案」、6月の「06骨太方針」を焦点と定めて具体化作業を進めるとしている。
  2.  日本社会は今、耐震構造偽装事件、鳥インフルエンザ問題、BSE牛肉問題、アスベスト問題、相次ぐ児童殺傷事件等によって、「安心と安全」という暮らしの土台がもろくも崩壊し、社会の持続可能性が危ぶまれる深刻な現実を突きつけられている。
     こうした事態は、主権者・国民に対し政府が負うべき第一の責務、即ち家庭の経済力格差や都市部・山間部など居住地に関わらず「健康で文化的な生活をおくる」ために公共サービスを権利としてあまねく享受できるよう人的・制度的基盤を確立すること、を放棄する「小さな政府と市場原理主義」政策によってもたらされたものである。
  3.  閣議決定された「重要方針」はナショナルミニマムとして保障されるべき公共サービスの水準、量、質、供給主体と形態、行政の役割などについての検討もなく、定員削減と賃金引き下げを自己目的化した「公共サービス解体宣言」と断ぜざるを得ない。これは最も基本的な政府の責任を放棄し、安心と安全の確保を「自己責任」に転嫁するものであり到底容認できない。
     更に看過し得ないことは、再三の申し入れにも拘わらず5400万人の雇用労働者とその家族の意見が全く聞かれることなく決定されたという、民主的手続きの否定である。
     とりわけ雇用・労働条件については、公務員にあっても労使対等の立場で決定すべきとの原則が国際的にも確立されており、日本政府はILOからも累次の勧告において公務労使関係制度の改善を強く求められているにもかかわらず、かかる事態を黙殺し、「行政改革の重要方針」を一方的に閣議決定した。公務労協は、政府に対し、強い憤りと抗議の意を表明し、その撤回を求めるものである。
  4.  公務労協は、公務員の使用者としての責任を明確にしない政府に対し、深い怒りを持って責任を追及し、雇用と労働条件確保のために総力を挙げて闘うものである。公務労協は、行政システムと公務員制度の抜本的改革が緊急不可欠であると考える。
     公務労協は、連合とともに、良質な公共サービスの確保、労働基本権・民主的公務員制度の確立のために、たとえ痛みを伴うものであっても国民の目線に立った改革の先頭に立って取り組むことを宣言する。

その一方で、民主党の前原誠司代表は24日午後、京都市内で講演し、公務員制度改革の民主党案をめぐって党内の官公労出身議員が人件費削減に反対していることについて「公務員出身の議員が白紙に戻そうとしているが、わたしが代表である限り絶対認めない」と述べたそうです。

またマスコミが民主党内の対立や連合との軋轢を際立たせるため、発言内容の前後をカットして面白おかしく演出しているのかも知れません。けれども組合員は新聞やテレビの報道内容によって、そのまま前原代表つまり民主党への評価を下していくことになります。仮に後から「真意は違う」と言われても、植えつけられた不信感はそう簡単に消せません。

連合三多摩に所属する組合は11月末に開いた「前原民主党代表と語る会」を通して、民主党へのわだかまりを拭うことができていました。私どもの組合員へも、その「語る会」の内容を報告し、民主党との信頼関係を再構築している矢先でした。誤解なのか、その言葉通りなのか、まだ真意はわかりません。誤解だとするのならば、誤解を招くような言葉は、ぜひ、慎んでほしいものと思っています。

公務員をとりまく情勢が、かつてない厳しさの一年でした。さらに来年、その厳しさは増していくものと思います。これからも、この「公務員のためいき」を通して、公務員や組合側の立場から主張すべきことは主張していきたいと考えています。改めてブログへのご訪問、ありがとうございました。どうぞ来年もよろしくお願いします。それでは良いお年を。

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2005年12月27日 (火)

森永卓郎さんの「年収300万円時代を生き抜く経済学」

最近の記事”民間委託は「安上がり」の悩ましさ”へ次の内容のコメントを民間人さんからいただきました。

年収300万を低所得者と馬鹿にする公務員の驕りを感じました。300万貰えれば普通の暮らしができます。

そのような意図の記事では決してなかったつもりでしたが、民間人さんが不愉快に感じられたことに対して率直にお詫び申し上げます。申し訳ありませんでした。

年収300万円のお話がご指摘されましたので、どこかのタイミングで投稿を考えていた記事を今回取り上げさせていただくことにしました。このような取り上げ方が民間人さんの憤りに対し、火に油を注がないことを願いながらキーボードに向かっています。

かなり前に森永卓郎さんの「年収300万円時代を生き抜く経済学」を読みました。かなり前と言っても文庫本化されてからですので、今年の夏頃だったと思います。この本が話題になったのは2年以上前でしたが、タイトルがネガティブな印象であり、積極的に読んでみる気になりませんでした。

書店で文庫本を見つけ、590円(税別)で買えるなら、どんなことが書いてあるのか読んでみよう程度の気持ちで手に入れました。タイトルが示すとおり年収300万円で豊かに暮らすノウハウ本である半面、小泉構造改革を痛烈に批判した内容だったのに少し驚きました。

テレビなどに出演して話している森永さんのスタンスを考えれば、さほど驚くこともなかったのかも知れません。それでも自分勝手に思い描いていた本のイメージとのギャップを正直感じました。それは良い意味でのギャップでした。

本の内容は先にリンクをはった「今月の本棚」が分かりやすく要約されていますので、ご覧いただければと思います。このブログでは、私が良い意味でギャップを感じた点、つまり大いに共感した点をご紹介します。いずれも森永さんが「文庫本まえがき」の中に集約されていた言葉から抜粋させていただきました。

これまでの一億総中流社会が崩れて、一部に大金持ちが現れる一方で、一般のサラリーマンの年収が300万円台に近づいていくと予測したところは、その通りになった。

年収300万円どころか、年収100万円台の人が、3人に1人以上になった。それが小泉構造内閣の結末だった。もちろん、構造改革の成果はそれだけでない。フリーターは500万人近くに増えた。ニートと呼ばれる若者もすでに85万人に達している。

私は、この本のなかで、年収300万円でも工夫次第で豊かな暮らしをできると説き、その方法も示している。しかし、正直言って、年収100万円ではとても暮らせないと思う。だから、これから伝えなければならないメッセージは「年収300万円になっても大丈夫」から「年収300万円は確保しよう」に変えなければならないだろう。

このように紹介したことが「年収300万円あれば良いじゃないか」と受けとめられ、また公務員の驕りだと指摘されないよう補足しなければなりません。森永さんは「小泉構造改革の行く末はアメリカのような極端な格差社会」だと批判しています。

この「公務員のためいき」の中で私も森永さんと同じような問題意識を持ち、この間、”「はめられた公務員」の警告”や”ニューヨークで25年ぶりのストライキ”などの記事を投稿してきました。したがって、小泉構造改革や格差社会への懸念点が大きな共感となり、「年収300万円を生き抜く経済学」を読み終えた印象が強く残っています。

私もそうですが、きっと森永さんも300万円の年収の方が多くなったことを是としていないはずです。問題視しているのは極端な格差社会が広がっていく構図です。その際、300万円以上の年収の者たちが言っても説得力がない、自分たちの身を守る便法だと言われないよう、明確なメッセージの発信や具体的な行動が必要だと痛感しています。

すみません、民間人さんの不快感に対して、うまく答え切れていないかも知れません。実は今夜、組合の執行委員会があり、帰宅が9時近くとなりました。ブログも昨夜投稿していましたので、今夜の投稿は見送るつもりでした。とはいえ、早急にお答えすべき大事なコメントをいただき、暖めていた題材をもとに駆け足で書き込みました。言い訳で恐縮ですが、そのため記事のまとまりが今一つであることを反省しています。

とにかく公務員の労働組合も、自分のところの組合員のために頑張らなければなりません。そのためにも、また、そのことを通して社会全体の働く人たちの労働条件を引き上げていく、もしくは引き下げさせない影響力を発揮していく必要があると考えています。

ひとりよがりの文章だったり、またしても民間の方々へ不愉快な思いをさせているか心配です。ぜひ、これからもご批判や率直なアドバイスをよろしくお願いします。

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2005年12月26日 (月)

ニューヨークで25年ぶりのストライキ

市役所の仕事納めは28日ですが、その最後の日に人員問題で団体交渉が開かれます。必要な部署に必要な人員配置を求めた組合要求の切実さを訴える場となります。職員数削減が大きな行革目標に掲げられている中ですが、組合員の健康が害されることなく、良質な市民サービスを提供するためにも、各職場からの声を反映した要求の前進が欠かせないものと考えています。

大半の労使課題は日常的に行なわれる話し合い、つまり団体交渉や事務折衝などで決められていきます。しかし、賃金や人員に関する重要な問題で、労使の判断が大きく対立した際、組合はストライキなどの戦術を配置する場合があります。その際も決してストライキは打ち抜くことが目的ではなく、切実な組合要求を実現するための手段であると位置付けています。したがって、労使双方、戦術突入直前まで必死に交渉・協議を重ね、決着点を見出せるよう全力を尽くしていきます。

海の向こうアメリカでは、クリスマスを前にした20日から22日にかけて、ニューヨークの地下鉄・バスで25年ぶりに全面的なストライキが行なわれました。賃上げや年金をめぐる都市圏交通公社(MTA)と労働組合の交渉が決裂したためで、約700万人の足に影響を及ぼしました。

市民やマスコミからの批判に加え、労組の上部団体も批判的な立場を示したため、労組側が譲歩を強いられてストライキは終結しました。公社職員にストライキ権は認められていないため、ニューヨーク州地裁は労組側へ1日あたり100万ドルの罰金支払いを命じました。さらにストライキを指揮したロジャー・トゥサン労組委員長らを収監する可能性も示唆しました。

この間、日本のマスコミは徒歩通勤で迷惑を被った市民の声や3日間の経済損失約10億ドル(1170億円)の話などを紹介し、ストライキに対してネガティブな報道に終始していました。「日本の労働組合も昔のようにストライキを打って闘うべきである」との論調は、私が接する限り皆無だったようです。

今回、ロジャー・トゥサン委員長の強烈なリーダーシップのもとで、25年ぶりのストライキが決行されたと聞きます。逆になぜ、ニューヨークの地下鉄・バスで25年間もストライキがなかったのか、少し考えてみることにしました。

1981年、共和党のロナルド・レーガンが現職のジミー・カーターを破って第40代アメリカ大統領に就任しました。レーガンは当時のアメリカが国際競争力を失い、インフレが悪化しているのは国内賃金が高すぎるからだと主張し、「そうかも知れない」という風潮を作り出しました。さらに元俳優だったレーガンはテレビCMなどを使い、人々に労働組合に対する悪い印象を植えつけていきました。

レーガンは労働組合を圧力団体と名指しで批判し、ストライキに入った交通管制局員1万人を解雇したため、ここぞとばかりに民間企業も組合つぶしに力が入るようになりました。その結果、レーガン政権最初の2年でアメリカ国内の組合員数は300万人も減少することになりました。労働組合が弱体化されたことにより、それ以降、テクノロジーが進歩しても好景気になっても労働者の賃金は上がらない社会が形作られました。

一方でレーガンは法人税や最高税率の大幅引き下げなど徹底的に富裕者へ尽くし、極端な二極化社会へ突き進む舵を切った大統領でした。その結果、最上位1%の家庭の資産が下位95%の総資産額を上回る凄まじい現状を生み出しました。

ニューヨークの地下鉄・バスで25年間、ストライキがなかった、できなかった答えは以上の歴史から充分推察できます。そして今、日本も、そんなアメリカの歴史をたどろうとしています。まさに労働組合を敵対視する小泉首相はレーガン大統領と重なって映ります。

一握りの「勝ち組」に対し、国民の圧倒多数が「負け組」となるアメリカのような格差社会を望む人は稀だと思います。そうならないための一つの手段として、労働組合の社会的な存在意義や影響力を高めていくことは非常に重要です。もちろん、労働者の伝家の宝刀であるストライキの必要性について、労働組合自らが内外に示していく努力も欠かせません。

最後に一言。だからこそ、ストライキなどの戦術を配置する重みについて、常に問い直していかなければなりません。繰り返しになりますが、ストライキは要求を前進するための手段であり、決して打ち抜くことが目的ではありません。しかし、いざという時には整然と決行できる体制作りが絶対不可欠です。したがって、戦術配置を決める議論の段階から緊張感を持っていこうと決意を新たにしています。

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2005年12月23日 (金)

なるほどハイパフォーマンス・ガバメント

先日、よく利用している図書館で借りた本の一冊が「役所の経営改革 目指せ!ハイパフォーマンス・ガバメント」(日本経済新聞社)でした。5年前に発行された本でしたが、ハイパフォーマンス・ガバメントという言葉は、あまり耳にしたことがありませんでした。

ハイパフォーマンス・ガバメントという言葉をGoogleで検索してみました。するとトップに並ぶのは、この本を紹介するサイトが中心でした。「imidas2006」でも調べましたが、やはりハイパフォーマンス・ガバメントという用語は見つかりませんでした。自分が知らなかったのではなくて、あまり定着していない言葉だったようです。

本の中味には行政評価や電子自治体など、最近の役所でおなじみの言葉が並んでいました。武田安正さん、後藤浩さん、吉武正樹さん、三人の方の共著で、それぞれ中央省庁や自治体の業務改革などに強い影響を与えている経歴の持ち主でした。

したがって、現在、各自治体で進めている行革の手法を形作った方々であるようにも見受けられました。それなのにハイパフォーマンス・ガバメントという言葉が、あまり広がらなかったことに大した意味はないのでしょうか。

その本を一通り読み終え、なるほどハイパフォーマンス・ガバメントとはこのような考え方なのか、と非常に感心しました。単なる行革推進のマニュアル的な本ではなく、共感できる提起が数多く盛り込まれていました。

まず著者の方々は「顧客の立場に立ってサービスを提供すると同時に、自らの力で変革し、高い生産性を実現していくこれからの行政機関」をハイパフォーマンス・ガバメントと呼んでいるそうです。これだけを紹介すると今流行りの「官から民へ」の行革の流れと同じじゃないか、と思われるかも知れません。しかし、決してそうではないと感じ、私自身が共感した内容や印象に残った箇所を抜粋させていただきました。

単なるコスト削減や人員削減では「いまのサービスの質を、少ない人員でどうやって維持していくのか」「新たに求められる行政の役割をどうやって担っていくのか」という肝心な問いをないがしろにしてしまっていることになります。これらの設問に対する答えをもたないまま、単純にリストラを断行すれば、単に一人あたりの仕事量が増加し、サービスの質の低下を招くだけでなく、新たに求められる役割を担う人材が育たず、行政機関のパフォーマンスが将来にわたって悪化してしまいかねません。

アウトソーシングの意義は、単なる「業務の外注」といったコスト削減にあるのではなく、外部の能力を組織の内側にとりこむことで、「ウィン-ウィン」の協力関係をつくりだし、それによって新しい価値の創造や組織の活性化を達成するということにあります。

行政改革の議論では、よく官か民かということが議論となりますが、実際には行政改革においてこのような議論はさして意味はありません。なぜなら、顧客である国民の視点から見れば、だれがサービスを提供していようが構わないからです。国民にとってはマネー、すなわち税金に見合った価値が提供される限りにおいては、官でも民でも、また、官と民の合同チームでもまったく構わないわけで、どちらがいいと、はなから判断できる筋合いのものではありません。

他にも「少子高齢社会に対応するためにはスモール・カバメント(小さな政府)を目指すべきではない」、「資産としての職員は利益の源泉であり、これを切り捨てるのは一番最後の選択になるはずである」などの提起があり、共感できる記載が随所にありました。

そのような問題認識を前提として、有効な行政評価や人材育成の推進、eガバメント(電子政府)やアウトソーシングを活用すべきであると主張されていた本でした。いろいろ目からウロコが取れた感じであり、改めて「官から民へ」の激流に立ち向かうためのヒントが得られた気がしました。

そもそもハイパフォーマンス・ガバメントの言葉が普及していないのと同じように、この本に書かれている筋の通った行革に対するスタンスも残念ながら普及していないように思えます。まず職員数の純減目標を決めるような乱暴な行革の手法は、この本の問題提起から大きく外れているものとなります。

また、日常業務の中で、目的や得られる効果から遡って考えるのではなく、とにかく形から入る事務が増えた気がしています。例えば事務事業の評価事務など行革を進めるための事務が、仕事を増やし、一部の職員の負担を増やしている皮肉な側面が見受けられます。

さらに今春から始まった住民票の電子申請など非常に疑問でした。インターネットを通して24時間、いつでも申請できるメリットがあるだけで、申請後、役所まで住民票を取りに来なければなりません。電子決済などの方法が未成熟であるため、とにかく過渡的な方法でも「実施する」ことが優先された結果でした。

電子自治体に向けた一歩、市民と職員双方のトレーニング的な位置付けにしています。しかし、市民サービスの面で大した効果が上がらないのにもかかわらず、コストや大きな手間をかけて実施していることは、ハイパフォーマンス・ガバメントに程遠いことだと感じています。

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2005年12月21日 (水)

市場化テスト推進室と公務労協が交渉

市場化テストとは、これまで官が独占してきた仕事やサービスを公平な条件の競争入札方式で民間事業者と競わせ、落札した方がその仕事を担う制度です。つまり官民競争入札制度であり、2005年度はハローワークや社会保険庁関連の一部の事業、刑務所の警備や巡回業務の補助などがモデル事業として試行的に実施されていました。

その市場化テストの法案を「公共サービス効率化法」の名称とし、内閣府の市場化テスト推進室が中心となり、来年の通常国会提出に向けて準備を進めています。最近の記事「市役所の窓口業務も民間参入?」で取り上げましたが、住民票や戸籍謄本などの証明発行業務も市場化テストの対象となる見込みです。さらに最近、竹中総務大臣は国勢調査など56種類の統計業務も対象とするよう指示しています。

小泉首相が発信する「官から民へ」の強烈な圧力の中、各省庁の様々な業務が市場化テストの対象に広がる気配です。内閣府は「透明・中立・公正な競争条件のもと、価格と質の両面で、より優れた主体が落札し、当該サービスを提供する」制度であると提言しています。その動きに対し、自治労が結集する公務労協(右サイドバーの用語解説リンクに追加)は、一昨日、次の3点を中心に市場化テスト推進室と交渉を行ないました。

  1. 市場化テストの法制度設計に当たっては、職員の権利と雇用、労働条件の確保を明確に規定すること。また、市場化テストによって公共サービスを提供することとなる事業者において、社会的に公正な雇用・労働条件を確保するよう制度化すること。
  2. 公共サービスの安定的・継続的供給が確保されるための制度的保障を明確にすること。
  3. 公共サービス、雇用・労働条件に関わる諸課題について、使用者としての政府の責任体制を明確にし、交渉・協議の枠組みを確立すること。

その交渉の詳細は公務労協情報をご覧いただければと思いますが、今一つ、うまく議論がかみ合っていない印象でした。市場化テスト推進室長本人が「過大評価」と言っているとおり法案提出の実務を担当している一官僚に過ぎず、大きな権限がない相手に対して「暖簾に腕押し」交渉にとどまったように見受けられました。

室長は「安かろう、悪かろうにならない」「民が落札しても定員との関係で整理し、これまでと同様に配置転換と新規採用抑制で折り合うはず」とし、「使用者の立場ではない自分が雇用や労働条件について責任ある対応を示せない」と終始していました。

公務労協は消化不良のまま、改めて交渉・協議の場を設け、公務員の使用者としての政府の責任ある対応を求めることとしています。そもそも政府側は正式な労使交渉の場ではなく、意見交換の場であるとの認識のようです。一筋縄ではいかないかも知れませんが、ぜひ、次回以降は政治家である大臣クラスとの交渉を持ち、よりいっそう市場化テストの問題性を浮き彫りにしてもらいたいと願っています。

このブログを通して「官と民」について、様々な切り口で投稿を重ねてきました。ぜひ、右サイドバーの「最近の記事」や「バックナンバー」をクリックし、関心あるテーマ内容をご覧ください。特に「民間委託は安上がりの悩ましさ」をご覧いただけましたら幸です。なお、コメントは名前と内容(これがないと意味ないですね)のみで送信できますので、お気軽にご意見をお寄せください。

最後に、前回記事「保育園民営化の問題点」に対して、いろいろ貴重なコメントをいただきました。アンディ・ペムさん、DJまいうーさん、ぷにぽんたさん、ありがとうございました。また近いうち、保育園の問題について触れたいと考えていますので、これからもよろしくお願いします。

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2005年12月19日 (月)

保育園民営化の問題点

ある時、保育士である組合役員から「保育園のこと、ブログの記事にするなら私に見せてね」と告げられました。

事前検閲? 信用されていないなと思いながら「職場の組合員と話してないような踏み込んだこと書かないよ」と弁明。

「個人的なブログでしょ。そうじゃなくて、後でいいから私にも見せて」との要望でした。

要するにインターネットを見る習慣がないので、ぜひ、自分の職場に関係ある記事は見たいとのことでした。つまり4か月間、これだけ組合に関係する記事を発信してきましたが、その女性役員(レアケースだと思いますが?)は、ほとんど目にしていなかったようです。

他にも「見てくれてる?」と組合員に聞いた時、「忙しくて見てない」との返事をもらったことがありました。日常的にメールやブログなどをチェックしている自分から考えると「忙しくて見れない」の言葉が不思議でしたが、その程度の関心の度合いであるとも考えられ、少々さびしい思いがしました。

一方、これだけインターネットが普及していても、毎日、必ず自宅のパソコンに向かう人の割合は決して高くないのかも知れません。さらに私の役所では、情報保護の観点からインターネット端末の配置は各職場一台程度にとどめています。したがって、インターネットに接することが稀な方は予想外に多いのだろうと思い始めています。

さて、ようやく本題です。最近、保育園の民営化が急速な広がりをみせています。もともと公立保育園と社会福祉法人などが運営する私立保育園が共存していましたが、完全な民間企業へ委託されるケースが増え始めています。

週刊誌AERAが2005年11月21日号で、「保育園民営化は保育放棄なのか」との特集記事を取り上げていました。都内のある区では父母2万3千人の反対署名を押し切り、今年9月に区立保育園を民間業者へ委託したとの話が紹介されていました。その委託化は財政再建の一環であり、保育の充実という構想ではない点も記されていました。

保育園経費の大部分が人件費です。つまり民営化は、公務員である保育士を民間の保育士へ置き換えることにより、保育園経費のコスト削減を意味しています。さらに受託した企業がより利益を上げるために保育士の賃金を抑制し、安い給料で雇用できる若手保育士中心の保育園としていく恐れがあります。

このことは今までも私立保育園の一部で見られた傾向でした。中には年齢が高くなった保育士が退職せざるを得ない雰囲気の園もあるように聞きます。この傾向は純粋な民間企業の参入が増えれば、ますます顕著になっていくかも知れません。

AERAの記事で、子どもを感情的に叱り飛ばすことなど論外、子ども一人ひとりが違って当たり前、子どもの内面やその育ち方を見て、トラブルがあっても子どもたちの力で解決していけるよう見守ることが大事だと、ベテラン保育士の言葉などが紹介されていました。

やはり保育の質を担保するためには、若い保育士だけではなく、熟練した経験豊富な保育士の存在が欠かせないはずです。加えて、一人ひとりの子どもを適切に見守れる保育士の配置基準は非常に重要です。それがコスト削減の対象となり、万が一、過密な基準を強いられた場合、子どもの安全面や「子育ち」の面で憂慮すべき事態となります。

AERAの結びの箇所では、東京大学大学院の汐見稔幸教授のお話が掲げられていました。このブログで主張したい内容を汐見教授が的確に提起されていましたので、その要旨を紹介させていただきます。

このままコスト削減を目的とした民営化が進めば、保育園はレベルダウンする。集団の中で、それぞれの個性を見分け、自主性を伸ばし、知的な力、感情の力を伸ばす。「預かる」ではなく、「育てる」時に保育者の力の差が出る。いい人材を育てるために、公的な資金を使って、いい保育者や環境を用意するのは国の責任である。行革が必要なのは分かるが、保育においては安上がりに数をこなすという論理はなじまない。

最後に一言。「保育園の先生になりたい」とあこがれている幼い女の子は今でも多いと思います。あこがれの職業が低賃金でしか働けない、そんな社会にならないよう公立や民間問わず保育士の皆さんの待遇改善に努めていかなければと考えています。

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2005年12月17日 (土)

「はめられた公務員」の警告

前々回記事「学校給食への安全責任」に対するアンディさんのコメントへ、mihhyさんがコメントをお寄せいただきました。このように一つの記事を通して、コメント投稿者同士が意見交換していけるのもブログの醍醐味だと思います。

最近、コメント投稿者同士が「2チャンネル」的な表現で誹謗中傷し合っているブログを見つけました。ぜひ、この「公務員のためいき」に関しては批判意見も率直に認め合いながら、節度ある熱い激論が交わされていくことを期待しています。

mihhyさんのコメントにあった「小泉首相の策略」、まさしく同感です。国の政策の失敗により、バブル経済を招き、バブルがはじけた後にも有効な手立てを講じることができず、財政を破綻させました。さらに小泉政権は一握りの「勝ち組」を生み出す一方で、圧倒多数の国民を「負け組」に追いやりました。

年収300万に満たない方たちが増えていく中、批判の矛先を公務員へ向かわせることは、政権にとって一石三鳥の効果があるはずです。国民の不満のはけ口が政府から逸れること、増税していくための露払い、公務員人件費を大胆に削るための環境づくりが考えられます。その仕組まれた構図の中、公務員の総人件費削減、取りやすい所から取る安易な増税路線が打ち出され、膨大な財政破綻のツケを払おうとしています。

ここで以前読んだ「はめられた公務員」(光文社)のことを改めて思い出しました。著者の中野雅至さんは市役所、県庁、国の出先機関・本省、それぞれに勤務経験がある方で、内側から見た「役人天国」の実情を的確に伝えた上で、今後、公務員が「犠牲者」となっていくことを警告していました。

特に公務員の方へは、お読みいただくことを推奨したい本です。自分たちが今、どのような位置にいるかを考えさせられ、様々な制度面についても勉強になりました。そして、その本の背表紙にも掲げられている次の言葉が、中野さんの一番言いたいことだったと思っています。

日本をダメにした真犯人は「政官業癒着」なのに、「官」だけがすべての責任を背負わされているのだ。が、もうこの流れは止まらないから、あと2年もすれば公務員の大量リストラ が始まるだろう。つまり、最後に地方公務員が罠にはめられて、「生け贄」 となるシナリオが完成するのだ。

政官業癒着の構造は、耐震強度偽装問題でも取り沙汰されています。小泉首相の出身派閥である森派へ、注目のヒューザーから毎年多額の献金が渡っていました。偽装発覚後、ヒューザーと国土交通省との交渉を仲介したのも森派の伊藤公介元国交相でした。

証人喚問に立った自民党の渡辺具能衆議院議員の追及の甘さ、証人喚問にヒューザーの小嶋進社長が呼ばれなかったことなど、この問題に対して自公連立政権が今一つ及び腰に見えるのは何か後ろめたいことがあるからでしょうか。

話が本題から少しそれていきましたが、日本の社会の中で改革すべき核心部分が放置されたまま、財政破綻の責任を公務員のみに負わせていく流れは非常に問題です。公務員側も襟を正すべき点は正しながら、主張すべき正論は毅然と主張していく必要があります。

その一つのささやかなツールとして、このブログを通して引き続き、いろいろな主張を発信していくつもりです。ぜひ、お気軽にご意見やご批判をお寄せください。

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2005年12月15日 (木)

民間委託は「安上がり」の悩ましさ

アンディさん、前回記事「学校給食への安全責任」へ、すばらしいコメントありがとうございます。そのまま一つのブログ記事として引用(盗作?)したいほど、いろいろな思いが伝わってくる内容でした。ところで、アンディさん、名前から「ペム」が取れたのですね。それと広島県の方だったと知り、自治労王様の「全国性」と今さらながら物理的な距離を感じさせないインターネットの持ち味に感激したところです。

実は前回記事の最後が「民間委託の問題を考える時、社会的な均等待遇の実現も課題認識する必要があります」と回りくどい言い方だったので、もう少しストレートな表現の記事の投稿を考えていました。そう思っていたら、アンディさんから次のとおり的確な表現で、前回記事のフォローとなるコメントをいただきました。

公の仕事の民間解放を求めるのは、かつて利益にならなかった分野ですら、儲けの対象にしようとする資本の要求からです。そのため、民間の現場で働く労働者は、低賃金で働かされ、所得が300万前後という人たちが増加してきました。こうした低所得の人たちが生み出され、その低所得を理由に公務員が叩かれる・・・。こうした流れが作られました。

本当に同感です。行政改革で必ず民間委託などアウトソーシングが目玉となり、直営より「安上がり」、だから財政健全化につながると論立てられています。なぜ、「安上がり」なのか、アンディさんの指摘のとおり低賃金の労働を強いられる方がいるからです。

残念な現実であり、今後の市場化テストなどで官民がコストを中心とした競争を行なえば、まず官が民に勝てる可能性はありません。したがって、公務員が担う必要性や直営責任を明確に打ち出せない限り、加速した「官から民へ」の流れは簡単に止められないものと思います。

一方で自治労は最低賃金制度の改善や公正労働基準を義務付けた公契約制度の改革など、働く人たち全体の労働条件底上げをめざした社会的な運動にも力を注いでいます。しかし、この運動が具体的な成果を上げられないならば、自分たちの賃金水準を守るためのパフォーマンスとみなされてしまうかも知れません。

非常に悩ましい問題です。それではオランダのダッチ・モデルのように公務員賃金を主体的に抑制し、公務のワークシェアリングを進めるべきなのでしょうか。否、子どもの教育費などで厳しい家計の組合員の方から「冗談じゃない!」と一喝されてしまいます。

もともと公務員賃金は、人事院勧告による民間賃金水準の相場を反映したものです。先走って後ろ向きな発想を持つ必要はなく、やはり理想は公務員賃金水準を一つの社会的なモノサシとした均等待遇原則の確立です。

財政を考えるのは市当局の経営責任で、組合は労働条件面の要求の前進をめざすだけ…、管理運営事項は労使協議の対象とならない労使関係の基本形です。しかし、組合側も情勢認識として財政の厳しさなどは押さえる必要があります。闇雲に拳を振り上げても、らちが明かず、結果として組合員のためにならない事態を招く恐れも想定しなければなりません。

とにかく労働条件の社会的な底上げの運動は、自治労や連合へ結集して進めていくことになります。それと平行して自分の市の業務の「官か民か」は、現場を熟知した当該職場の組合員と連携し、多面的な検証を加えていかなければなりません。今後、学校給食の民間委託化など市側の行革プランに毅然と対抗していくためには、市民の皆さんからも共感を得られる「だから直営」を打ち出せるかどうかが勝負だと考えています。

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2005年12月13日 (火)

学校給食への安全責任

私どもの市の12月定例議会で、職員数削減を強く求める一般質問がありました。毎回、この種の質問を得意とする市議会議員から示され、特に学校給食調理員をターゲットにした質問内容でした。学校給食の調理業務は民間委託化すべきと主張し、調理員の新規採用などもってのほかだと市側を追及しました。

ちょうど、この記事に取りかかった時、つけていたテレビは「たけしのTVタックル」でした。その夜も出演者が好き勝手な意見を言い合いながらも、公務員は高給料の割に働かない、もっと数を減らすべきだとする主張は全員一致しているようでした。一方的な言われ方に不愉快に思う時が多いのですが、どんな議論が交わされていくのか、参考までに意識して、よく見る番組です。

バラエティだとはいえ、その影響力は馬鹿にならない番組だと感じています。出演者全員が同じトーンで公務員バッシングを繰り返せば、視聴者は自然と公務員や自治労は「悪」であると刷り込みされがちです。もう少し違った角度からの意見を主張できる方の出演を期待したいところですが、この一方的なバッシングの中で公務員側に立つ勇気のある方は本当に少ないようです。

さて、このようなマスコミ報道が増えれば増えるほど、市議会の中で「職員を減らせ」との声が強まってくるのは至極当然な流れと言わざるを得ません。今回、それらの声に対し、矢面に立たされた学校給食のあり方を通して、行政の責任と役割を考えてみます。

まず行政が担えば安全で、民間だと不安、逆に民間が担えば効率的で、行政は非効率だとの短絡的な決めつけは問題です。どちらが担っても食中毒など起こさないよう万全な対策を講じていくのは当然であり、また、あえて非効率な業務運営を行なう訳もありません。

学校給食に限らず、利益を目的とするかどうかが官と民の決定的な違いだと考えています。利益の有無にかかわらず、必要なサービスを提供するのが官の責任と役割です。法律や規則の枠内で、競争しながら利益を上げようとするのが民間企業の役割です。企業によっては社会的な責任を負っている側面がありながら、そのバランスが崩れた例が耐震強度偽装事件の構図だと思っています。

確かに学校給食業務は民間で担えるでしょうし、実際、全国の学校給食の15%ほどが民間委託化されているそうです。言うまでもなく学校給食は児童生徒に対する食の安全を最優先しなければならない業務であり、O-157やBSEの問題など非常に神経を使う状況となっています。

繰り返しになりますが、民間だと安全対策が疎かになると決めつける訳ではありません。万が一でも起こしてはならない事態が不幸にして起きた場合、その責任から行政は免れることができません。だとするのならば、学校給食業務への直営責任を全うすることが非常に重要なことであると確信しています。

学校給食の問題を考える時、食育の話も触れる必要があります。また、民間委託の問題を考える時、社会的な均等待遇の実現も課題認識する必要があります。これらに関しては、また機会があれば掘り下げたいと思っています。今回は学校給食を例示しながら、民間が担える業務でも、その責任を行政が全うするためには直営でいくことの重要性を訴えさせていただきました。

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2005年12月10日 (土)

耐震強度偽装事件からの警鐘

このブログの題材に事欠くことはないのですが、このところ毎晩遅い帰宅が続き、投稿する間隔が開きがちでした。もともと年末は忘年会などで飲む機会が多いのに加え、組合関係の定期総会が立て続く時期にも重なっています。総会後、新旧役員の引き継ぎを兼ねた慰労会がセットされている場合も多く、非常に血糖値が気になる季節です。と思いながら、つい誘われると2次会まで行ってしまう意志の弱さ(?)も反省しています。

さて、マンションなどの耐震強度偽装問題が新聞やテレビで連日報道されています。姉歯元建築士の責任は当然重大ですが、この事件をとりまく構造的な問題の徹底解明が強く求められています。このブログでは「官と民」の役割を考えるための切り口として、この耐震強度偽装事件を取り上げてみました。

1995年の阪神淡路大震災により、多くの建物が倒壊しました。その倒壊した建物の土台や柱の強度不足が問題となり、明らかな手抜き工事が指摘されたケースも少なくありませんでした。それ以降、改めて耐震強度への注目が高まる中、建築確認申請の件数も年々増え続けました。件数増に対して自治体の人員だけでは充分に対応できなくなり、加えて規制緩和の流れが強まっていく時期とも重なり、1999年に建築確認・検査への民間参入が始まりました。

現在、建築確認は自治体が直接携わるほか、イーホームズなど民間の指定確認検査機関が行なっています。今回の事件に対し、いくつかの自治体でも強度偽装を見逃していました。したがって、この事件が起きた背景として、建築確認・検査への民間参入が問題だったと決めつけるのは早計かも知れません。

しかし、ここで以前受講した「政策法務」研修での講師の言葉が思い起こされます。「民間はルール違反さえしなければ基本的に活動は自由、行政はルールがなければ動けない」と述べられていました。この事件は元建築士の悪質なルール違反が発端でしたが、本来行政が全責任を負うべき分野への民間参入のあり方について一石投じたものと考えています。

これまで行政なら1か月はかかるビルの建築確認を民間の検査機関では1週間で仕上げるケースがあったと聞きます。コスト削減や早期竣工は建築主が喜び、その検査機関に顧客が集まる構図となります。しかし、それで安全性確保という検査機関の使命が充分果たせていたのか非常に疑問です。要するに守るべきルールに対して公正性が保たれていたのか、しっかり検証すべき問題です。

結果として長野県や平塚市なども強度偽装を見破ることはできませんでしたが、当然、上記のような「配慮」とは無縁だったはずです。また、どうしても民間は利益追求を第一としますので、過度なコスト節減に走る場合も考えられます。今の時代、行政もコスト意識を強く求められ、効率性に関して無視して良いとは決して思っていません。ただし、コストを削ることで、安全面の確保が疎かになるようでは言語道断です。

小泉首相は「民でできることは民で」と簡単に言います。この建築確認・検査のように官でも民でもできるかも知れませんが、改めて官と民の責任や役割について深く議論する必要性を強く感じています。今後の「官から民へ」の拙速な動きに対して、大きな警鐘を鳴らした事件だったと考えています。

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2005年12月 5日 (月)

12月議会始まる

今日から私どもの市の定例議会が始まりました。議会が間近に迫ってから閉会までの期間、部課長はもちろん、庶務担当係長らまでが議会日程を意識した対応に追われます。その期間、プライベートな用事での休暇など言語道断な雰囲気です。

一方で、それ以外の大半の職員の意識は決して議会が中心ではなく、みごとなギャップが見受けられます。実は大半の職員の一人に私も入り、目の前に机を並べる係長に申し訳なく思いながら、明日、久しぶりにプライベートな用事での休暇を取ります。

さて、議会は「地方公共団体の意思を決定する機関」に位置付けられています。その「議決機関」に対して、地方公共団体にはもう一つ「執行機関」があります。ちなみに「機関」とは、実際に地方公共団体の仕事をする人や組織のことを言うそうです。

改めて『自治体職員ハンドブック』(発行・公職研)を開いているのですが、市役所において「執行機関」とは市長のみを指し、助役を筆頭に職員はすべて「補助機関」とされることを知りました。なお、地方自治法は執行機関の多元主義を採用し、別に教育委員会や監査委員(「会」の脱字ではありません、念のため)などを置き、市長の独裁化を防止しているとのことでした。

議会の話に戻します。これまで議員の定数は地方自治法で人口に比例して定められていましたが、地方分権一括法により2003年1月から条例定数制度が導入され、人口に比例した上限値が定められるようになりました。分権の動きや行革の流れの中で、この12月議会において議員定数が削減される話を聞いています。来年6月に市議会議員選挙が予定されていますが、定数が削減されれば、いっそう激戦に拍車をかけそうな様相です。

市議会には本会議と委員会がありますが、議員の方々が一番目立つ花形な舞台は一般質問の場です。市長をはじめ部長以上の市幹部全員がひな壇に並び、出席しない課長らも自席で傍聴できる環境があり、多くの職員や市民が注目する中、テーマを限らない市政全般を質問できるのが一般質問です。

市議会の中でルールがあり、議長と副議長、さらに執行機関に位置付けられる監査委員を務めている場合、一般質問を控えることになっているそうです。私どもの組合が推薦した市議会議員の方は監査委員と副議長を続けて歴任していたため、開会初日、約2年ぶりの一般質問の場となりました。

所属する総務委員会では数々の質問を行なってきましたが、久しぶりの一般質問で一段と気合が入っているようでした。介護保険と商店街の活性化の問題と合わせ、三つ目のテーマとして職務に専念できる職場環境について質問していただきました。職員の職場環境確保が市民サービスの維持・向上につながるとの趣旨での質問でした。

 心のストレスによる病休の職員が多くなっていると聞くが、これまでの職員数削減や抑制を主目的とした行革のしわ寄せが影響していないか。事務事業の効率化を進めること自体否定するものではないが、職員が健康を害するような事態や過剰な時間外勤務が発生するようなことは避けるべきである。

 職員が仕事に集中できる体制があってこそ、安定した市民サービスへつながるものと考えている。さらに市役所の仕事は流れ作業的なものではなく、市民のニーズを的確にとらえるための窓口応対や相談業務にあてる時間が非常に重要なはずである。したがって、ルーチンワークの業務量が極端に過密化していくと、その重要な時間を職員としては不本意でも圧縮していく恐れが出てくる。そのような意味でも職員の職場環境の担保は、良質な市民サービスの維持・向上と密接なものと考えている。

 同様な趣旨で、一部の市民からの不当な圧力に対し、しっかり組織として対応するシステムの確立も欠かせない。最近、窓口・相談業務における暴力被害等防止マニュアルができたと聞いているが、それらの具体的な運用を通して職員個人が追い込まれないように市として責任を持つべきものと考えている。

以上が組合が推薦し、日頃から連携をはかれている市議会議員の方の職員に関わる質問内容の要旨です。市側の回答は基本的に質問の趣旨を受けとめ、そうならないよう努力するというものでした。職員数削減ありきの行革計画が簡単に転換するとは考えていませんが、このような職員の立場を理解いただいた議会質問は非常に貴重でした。ありがとうございました。

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2005年12月 3日 (土)

「小さな政府」への疑問

ココログ接続の極端な遅さは、フリー(完全無料)利用者の拡大が原因ではないそうです。そもそもnifty会員とフリー利用者のサーバーは別だったことが分かりました。ココログ側から「広告宣伝やイタズラを目的としたトラックバック・スパムの大量送信が主な原因である」との説明がありました。早急に対処する旨の釈明もあり、何とか極端に遅くなる時間は減ったように思われます。

でいじぃさんから前回記事へ「鍋はどこ?」と コメントをいただきました。ココログのTB練習用の「トラックバック野郎」利用に対する皮肉をこめた指摘でした。「トラックバック野郎」利用にはルールがあり、決められたテーマ(その回は「鍋」でした)以外の記事のTBは「バックオーライ!」としなければなりませんでした。

前回記事の前半に書いてあるとおり接続の遅さをココログへアピールする目的で「トラックバック野郎」を利用させていただきました。初めはタイトルを「バックオーライ!」とするつもりでしたが、あまりの遅さにイライラして原題のままTBしてしまいました。なお、同じ記事を重ねてTBした点は手違いで、いろいろ不愉快に感じられた方へお詫び申し上げます。たいへん失礼致しました。

ところで、いつから日本は「小さな政府」をめざすことになったのでしょうか。確かに9月の総選挙戦の争点は郵政民営化法案の是非であり、「官から民へ」と叫ばれながら公務員の総人件費削減が標的にされていました。その選挙戦の結果は小泉自民党が圧勝、だから「小さな政府」を国民が選択したと決めて良いものでしょうか。

多くの国民が政府に期待している政策は、年金・医療など社会保障の充実であることが明らかです。その国民の期待と「小さな政府」は矛盾していくはずですが、今の政権から明確な説明がされた記憶はありません。それがいつの間にか、政府・与党からは「小さな政府ありき」の話が当然のように繰り返されています。

ここ数年で国は、PFI制度、指定管理者制度、市場化テストなどの法律を整備し、官の分野の市場開放と公共サービスのスリム化ありきの「小さな政府」へ突き進んでいます。しかし、直面している超高齢社会への対応や競争社会のリスクをどう回避するのか、小泉構造改革の将来ビジョンからはまったく見えてきません。

1980年代半ば以降、イギリスやニュージーランドなどが財政赤字や累積債務問題を解消するため、ニュー・パブリック・マネジメントと称した歳出面での構造改革に取り組みました。民間企業の経営理念や手法を行政の現場へ導入することにより、公共部門の効率化・活性化をめざしました。

ニュー・パブリック・マネジメントを取れ入れた国において、財政再建の面では確かに成果を上げたと評価されています。一方で、公共サービスを市場原理に委ねた結果、教育・医療・福祉・交通など基礎的サービスが劣化し、労働市場の混乱も招き、社会・経済の活力を低下させたとの批判があります。そのため、公共サービス改革の試行錯誤の中で、すでに多くの国でニュー・パブリック・マネジメントの見直しが進みつつあります。

それらの動きを優秀な竹中大臣らが知らない訳がありません。郵政民営化一つ取っても「失敗だった」と反省している国があることは周知の事実です。それにもかかわらず短絡的に「とにかく官から民へ」と急ぐのか、いろいろ疑問や不信感が湧き上がってきます。例えば規制改革・民間開放推進会議の議長は宮内義彦オリックス会長であり、大企業側からの要望を強く意識した動きと見てしまうのは果たして間違いでしょうか。

さらに小泉構造改革は「国民のため」のものではなく、国家の再建、要するに財政再建が絶対的な第一目的化されている点が非常に気になります。小泉首相は就任当初から「改革には痛みが伴う」と強弁してきましたが、その痛みは永続的なものであることが明らかになっています。

その一方で巨額な公的資金を投入し、つぶれる寸前だった大銀行を国は救済してきました。現在、メガバンクは空前の利益を上げていますが、その影で犠牲になっている国民の存在を見過ごすことはできません。象徴的な悲劇は銀行による貸しはがしや貸し渋りによって、自殺に追い込まれた中小・零細企業の経営者らが多数いらっしゃることです。この銀行の問題一つ取って見ても、小泉政権の目線がどこへ向いているのか一目瞭然です。

先日の菅直人さんの「ホリエモンかホームレスか、自己責任」の言葉が思い起こされます。大多数の国民が「負け組」となっても、一部の成功者や大企業だけが「勝ち組」となれれば良いのでしょうか。国家や地方の財政再建は重要な緊急課題ですが、「小さな政府ありき」の小泉構造改革路線で突っ走られることに大きな疑問を持っています。

たいへん大きなテーマであり、話が拡散しすぎたかも知れません。いずれにしても短絡的な「小さな政府」や「官から民へ」の流れに対抗するためにも、自分たちの職場である公共サービスのあり方を問い直す議論が重要であると考えています。

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