2014年9月27日 (土)

思想信条の自由と問題発言 Part2

前回記事のタイトルは「思想信条の自由と問題発言」でした。実は野島都議の問題発言から別な話題にまで繋げるつもりで、間口を広げたタイトルを付けていました。少し前に札幌市の金子快之市議の「アイヌ民族なんて、もういない」という物議を醸している発言を耳にし、いろいろな論点があったため、このブログでも機会を見て取り上げてみようと考えていました。たいへん長い記事になりそうでしたので前回は野島都議の問題に絞った訳ですが、1週間先送りしたことによって最新の時事の話題として紹介できる巡り合わせになりました。

札幌市の金子快之(やすゆき)市議(43)がインターネットの短文投稿サイト「ツイッター」に「アイヌ民族なんて、もういない」と書き込んだ問題で、市議会は22日の本会議で、金子氏の議員辞職を求める決議案を賛成多数で可決した。決議に拘束力はなく、金子氏は「辞職や(発言)撤回の考えはない。来春の市議選に出馬し、有権者の審判を受ける」と表明した。

決議案は、金子氏が所属していた自民党・市民会議以外の6会派が共同提案。採決では自民会派の23人が反対したが、残り43人全員が賛成し可決した。自民会派は謝罪と猛省を求める決議案を提出したが、賛成少数で否決された。金子氏を巡っては、自民党札幌市支部連合会が党除名を決め、金子氏からの不服申し立てを却下。市議選での推薦を取り消し、選挙区の東区に新たな候補を擁立する方向で調整している。【毎日新聞2014年9月22日

問題の発端は8月11日、金子市議が「アイヌ民族なんて、いまはもういないんですよね。せいぜいアイヌ系日本人が良いところですが、利権を行使しまくっているこの不合理。納税者に説明できません」とツイートし、そのことを毎日新聞や北海道新聞が取り上げ、北海道アイヌ協会の阿部一司副理事長の「いつアイヌがいなくなったのか教えてほしい。国も先住民族と認め、復権に向けて歩んでいるなかで、議員としてあまりにも不勉強で歴史を踏みにじる発言だ。国際的にも恥ずかしい」と反発した談話などが掲載されていました。

その後、金子市議への批判が高まる一方、ネット上では発言を擁護する声も多数見られていました。金子市議は一貫して発言の撤回には応じず、所属していた自民党から除名され、9月22日の札幌市議会での議員辞職勧告決議の可決に至っていました。紹介した記事のとおり金子市議は辞職する意思がなく、来春の市議選で有権者からの審判を受けるという姿勢を表明しています。日頃から多面的な情報の大切さを訴えているブログであり、公平さを期すためにも金子市議自身の8月16日のブログ記事「アイヌ施策に関するツイートについて」をそのまま紹介させていただきます。

「アイヌ民族なんて、いまはもういない」と記した私のツイートについて、それぞれの立場から多数のご意見をいただいています。「レイシスト」「ネット右翼」「議員辞めろ」などと批判する電話もありました。本日、複数の報道機関から電話取材を受けたこともあり、本ブログで改めてきちんと私の考え方をご説明したいと思います。

我が国では戸籍や住民票へ「アイヌ」との表記はありません。「アイヌ」を法的に証明する根拠が現行法にないのです。また日本という一つの国で同じ教育を受け、同じ言葉、同じ法制度で生活する中でアイヌであることをわざわざ証明する必要もないのが現状です。しかしいま、ことさら「アイヌ」を声高に主張する一部の方には別の目的があるものと思われるものがあります。

それは「アイヌ」を名乗ることで、行政からの便益(メリット)を獲得するということです。札幌市や北海道は「アイヌ」の方に住宅新築資金の低利貸し付けをはじめ、奨学金、運転免許の取得補助、アイヌ協会への補助金などさまざまな支援を行っています。 ・どうしてアイヌだと運転免許取得の補助金がもらえるのか? ・住宅ローンが1%以下で借りられる時代に、なぜ市から住宅ローンを借りるのか? 不思議に思いませんか? 

ご想像の通り、アイヌ新築住宅貸し付けはその多くが焦げ付いています。担保をきちんと取っていないため回収できず、返済が滞ってもただ督促状を送るだけです。奨学金の不正受給の問題なども市議会、道議会でも度々指摘されています。それではそもそも、「アイヌ」であることはどうやって証明しているのでしょうか。驚いたことに、北海道アイヌ協会が「アイヌである」と証明書を出すことで、補助が受けられる仕組みなのです。

北海道アイヌ協会の判断の根拠は、・アイヌの血を受け継いでいると思われる人 ・婚姻・養子縁組等によりそれらの方と同一の生計を営んでいる人などとなっています。「思われる」とはつまり「自称」「推定」を認める客観性の乏しい仕組みです。さらに婚姻・養子だと日本人なのに、アイヌとしておカネがもらえるのです。北海道アイヌ協会が認めないと、本当に純粋なアイヌでも補助が受けられない。北海道以外に住んでいるアイヌの方はどうなるのか。実におかしな仕組みだと思いませんか。

その「アイヌ」の証明を担う「財)北海道アイヌ協会」自体が度重なる不正経理で問題を起こしており、とても公正な団体とは言えません。札幌市が北海道アイヌ協会札幌支部に委託して建て替えたアイヌ文化交流センターのポンチセも不審火を巡るトラブルに端を発し、茅の調達などいまだにもめています。これらの支援制度が国民の税金でまかなわれている以上、納税者の立場から是正を求めるのが議員の職務だと私は思っています。

アイヌについて石器時代から今日に至るまでさまざまな歴史的資料が示されています。先住民族か否かの問題はここでは触れませんが、明治時代の北海道旧土人保護法以来、アイヌの方々にはご労苦があったでしょうし、私もアイヌ文化や歴史を否定するものではありません。私が問題としたいのはアイヌを称する利権の問題であり、これについてこれまでも議会で指摘してきましたし、今後も問題提起を続けていくつもりです。

私のツイートに賛否それぞれの立場から多くの意見が寄せられましたが、古くからあるこの問題がいま頃話題になるのは、「さわらぬ神にたたりなし」とばかり、事なかれ主義で政治と行政が安易な公金支出を重ねてきた結果だと思います。まさに従軍慰安婦問題とも共通する事象ではないでしょうか。限りある財源を国家の未来に有効に使うために、政治家としての勇気も問われています。

上記の文章を読む限り、真っ当な一つの意見や見方であり、金子市議を擁護する方々が決して少数派にならないことを理解できます。アイヌを名乗ることでの不正な利権が横行しているのであれば問題であり、必要に応じて制度や運用を改めていかなければなりません。しかし、制度そのものの問題ではなく、一部の不届き者の所業が問題であれば、金子市議の批判の仕方は少し扇情的すぎるように感じています。特に問題視している本丸が利権や仕組みの不合理さだったのであれば、「アイヌ民族なんて、いまはもういないんですよね」という言葉は使わなくても済んだはずです。

批判を受けた問題のツイートはすぐ削除したようであり、金子市議もそのように考えたのではないでしょうか。しかしながら金子市議は8月17日のブログを通し、図書館で調べた百科事典の「今これらの人々は一口にアイヌと呼ばれているが、その大部分は日本人との混血によって本来の人種的特質を希薄にし、さらに明治以来の同化政策の効果もあって、急速に同化の一途をたどり、今はその固有の文化を失って、物心ともに一般の日本人と少しも変わることがない生活を営むまでにいたっている。したがって、民族としてのアイヌは既に滅びたといってよく、厳密にいうならば、彼らは、もはやアイヌではなく、せいぜいアイヌ系日本人とでも称すべきものである」という説明を掲げ、持論の正しさを強調していました。

ちなみに百科事典の記述内容は「アイヌ民族に対する偏見や差別を助長しかねない」という批判があり、2007年に改訂されていましたが、そのような経緯について金子市議は後から知ったようです。さらに2007年9月に国連総会で「先住民族の権利に関する国際連合宣言」が採択されたことを受け、2008年6月には衆参両院で国会議員全員の賛成のもと「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が可決されていました。決議の中には「これまでのアイヌ政策を更に推進し、総合的な施策の確立に取り組むこと」と記されています。

このような経緯に対し、金子市議はアイヌ差別発言究明共同実行委員会からの公開質問状の「2008年国会決議を認めないのか」という問いかけに「国会決議の法的効力を否定するものではありませんが、かくも重大な政府の方針転換が国権の最高機関たる国会で一言の議論もないまま、わずか一日で決定された経緯に私は一国民として大きな疑問を感じており、今後も国民世論に基づく見直しが必要だと考えています」という持論を前面に出して答えています。

百科事典の「記述内容の改定経緯を知っているか」という質問に対しては「差別を理由に出版社に圧力をかけ自らの主張に沿うように記述を変えさせること自体が問題である」とし、「出版社が当該記述を削除したとしても、その学術上の見解が消滅するわけではありません」と答えています。そのような言葉も個々人の評価や見解の問題であり、記事タイトルに掲げた「思想信条の自由」の一つだろうと思います。

ただ金子市議は「知らなかった」とは一言も答えていませんが、少なくとも2008年6月以降、日本政府の見解は「アイヌの人々を日本列島北部周辺、とりわけ北海道に先住し、独自の言語、宗教や文化の独自性を有する先住民族」としていることを把握されていなかった恐れがあります。ツイートが批判された後、わざわざ北海道大学の図書館に出向き、2005年版の百科事典の記述をブログに掲げ、「アイヌ民族は既に滅びた」という自説の正しさを強調していた姿を見ると、アイヌについて詳しくなかったことだけは間違いないようです。

もちろん個々人の「思想信条の自由」は保障されるべきものですが、札幌市議会議員である金子市議の発言は、より慎重になる必要性があったものと考えています。また、最近のコメント欄の常連、でりしゃすぱんださんのブログ記事「ネットの普及で雑談まで公式見解になってしまうこのごろ」の中でも綴られているとおりツイッターでの何気ない一言にも責任を持たなくてはなりません。その上で、一般常識や社会通念上の適否で照らし合わせた時、「アイヌ民族なんて、いまはもういない」は明らかに問題発言となり、金子市議にとって不本意であろうと認識しなければならない現実です。

加えて、このような問題を考えた時、そもそもアイヌの血を引く方々の思いが最も重要であり、当事者から「もういない」という声が顕在化しない限り、言葉は選び続けなければならないはずです。「アイヌ民族なんて、いまはもういない」という言葉に傷付く方が一人でもいるようであれば、多数派に属する側は慎重で謙虚な姿勢を持ち続けるべきものと考えています。とりわけ政治家である金子市議には、そのような思いやりや想像力を忘れて欲しくありません。

もしかしたら利権問題等をクローズアップさせ、ご自身の知名度が飛躍的に上がり、根強い支持の声に勇気付けられているため、このような言葉は金子市議にとって受け流すだけの戯れ言、あるいは左側からの批判のための批判意見だと思われてしまうのかも知れません。それでも誤りは誤りと率直に認め、撤回しなければならない問題発言は速やかに撤回するという柔軟さや謙虚さも、政治家以前に人として欠かせない良識だろうと思っています。きっと今回の記事内容も人によって評価が分かれ、金子市議に対する評価も同様に枝分かれしていくのでしょうが、私自身、前回記事の続きとして訴えたかった論点について綴らせていただきました。

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