2018年4月14日 (土)

放送法第4条撤廃の動き

前回記事「突然、横田基地にオフプレイ」のコメント欄には様々な論点の提起や指摘がありました。その中で、nagiさんから放送法第4条撤廃の動きについて次のような問いかけがありました。その全文を掲げた上、いろいろな意味でタイムリーな論点につながる問題ですので、私自身の思うところを書き進めさせていただきます。なお、2016年5月22日の記事は「報道の自由度、日本は72位」というものでした。

昨今、話題になりつつありますが、政府が現状の放送法第4条を撤廃し、放送とネットを融合し新規参入の促進を検討していると。既存のテレビ局にとっては巨大な権益を侵害される以上、大反対なのは当然ですが、この件に対してリベラルな人々の意見が聞こえてきません。以前、OTSU氏も2016年5月22日の記事で日本は報道の自由度が72位との記事をアップしてました。

国連特別報告者が放送法について言及し、政府の報道の圧力に対して多くのリベラル系の方々が同調し、政府を批判していました。ようやく政府が重い腰を上げて放送法4条の廃止に動きだしたのに、どうして応援しないのか不思議です。OTSU氏はどのように考えているのか是非意見を聞かせていただければと思います。くれぐれも批判的な意味で言ってるわけではないことを念押ししておきます。

ちなみに放送法第4条「国内放送等の放送番組の編集等」第1項の条文は下記のとおりです。第2項は視覚障害者や聴覚障害者に対する可能な限りの配慮を求めたものであり、今回、取沙汰されている主な論点は第1項に掲げられている「政治的に公平であること」の是非や必要性についてです。

第4条  放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
 1  公安及び善良な風俗を害しないこと。
 2  政治的に公平であること。
 3  報道は事実をまげないですること。
 4  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

ネット上を検索し、ライターの大山くまおさんの『テレビ制圧!放送法改正を本気で目指す安倍政権の暴言を総ざらいする』という記事を目にしました。記事のタイトルは扇情的ですが、放送法第4条撤廃の動きに対する関係者らの一連の発言や事実関係を分かりやすくまとめたものです。 そのサイトを閲覧することで、政府が放送法第4条撤廃という発想に至っている背景を次の文章から読み取れます。

放送法改正を主導していると見られているのが、安倍首相の信頼が厚い今井秘書官だ。4月6日付の毎日新聞は官邸関係者の「今でもテレビの政治的中立なんてあってないようなもの。米国みたいに視聴者が『このテレビ局はこの政党を支持している』と分かったほうがいい」という言葉を紹介している。テレビ局に「公正」さなど求めない、というわけだ。

官邸関係者から「米国みたいに」という言葉が示されていましたが、アメリカでは1987年にメディアに対する「公平原則」が廃止されています。それ以降、各局の政治的な立ち位置が顕著になっています。そのような経緯がある中、つい最近、ある騒動がアメリカで起こっていました。複数のテレビ局のニュース番組で、それぞれの局のキャスターが一言一句、まったく同じ内容のコメントを読み上げていました。

その騒動の詳しい様子や背景についてはハーバー・ビジネス・オンラインのサイト『”トランプのプロパガンダ”を地方TV局が一斉放送!? 背後に地方局を牛耳る企業「シンクレア」の存在』から把握できます。「フェイクニュース」を危惧した内容となっていますが、トランプ大統領がメディア批判で使う文言を含んでいます。そのため、「フェイクニュース」というのはトランプ大統領への批判を強めている「CNN」などのメディアを指していることが明白な報道でした。

全米各地の放送局を運営する保守系メディア企業シンクレア・ブロードキャスト・グループが「ニュースの枠を使う」「原稿を一言一句、正確に読み上げる」という指示書を出し、まったく同じ内容の報道が一斉に配信されたようです。このように報道した各局の様子を並べて紹介した日本のニュース番組を目にしましたが、たいへん異様な光景でした。アメリカの視聴者からは「全体主義のようだ」などという批判する声が上がっていました。

ハーバー・ビジネス・オンラインの記事は「放送制度が改革された場合、日本でもこういった問題が発生する可能性は充分にある。対岸の火事と考えずに、今後も注視してきたい」という言葉で結ばれています。「政治的に公平であること」の規制を外すということは資金力があるメディア企業によって、今回のアメリカの例のように情報を統制できる力を持てることになります。

そもそも放送法は、太平洋戦争時に戦意高揚のための政府宣伝にラジオが使われた反省から1950年に制定されたという経緯があります。政治的に中立であるという意味は国家権力から縛られず、批判すべき点があれば率直に批判できる立場性を保障したものだと言えます。政権にとって都合の良い情報だけを流す宣伝機関とならず、国民が時の政権を正当に評価するため、幅広い情報を提供していくという公益性が放送事業者には求められています。

野田総務相は参院総務委員会で「日本の放送が4条を守り、様々な情報を提供してくれたことには大きな意義がある」と述べています。岸田政調会長は「放送法の役割、この政治的な公平性とか、公序良俗の維持とか、様々な役割があると言われています」とし、政府与党内からも慎重に議論すべきという声が相次いでいます。

安倍首相のシンパとして有名な幻冬舎の見城社長は 「僕の想像ですが、安倍さんは報道ステーションやサンデーモーニングが気に食わないのでしょう。しかし、それとこれとは話が別だと思います」と語っています。やはり安倍首相に近いと見られている読売新聞も「政治的中立性の縛りを外せば、特定の党派色をむき出しにした番組が放送されかねない。番組の劣化と信頼失墜を招く」などと強い調子で批判を続けています。

nagiさんは放送法第4条を撤廃すれば放送の自由度が上がり、歓迎すべき動きのようにとらえられているのかも知れません。しかし、私自身は上記のような懸念する意見と同様、撤廃には慎重な考えです。撤廃の動きに対し、「政権寄りのメディアを誕生させる狙いがあるのではないか」と言われるような動機があるとすれば、もっての外だと思っています。

政権にとって耳の痛い批判意見ばかりだから「政治的中立が守られていない」という見方があるとすれば非常に問題です。ましてトランプ大統領のように自分に対する批判報道は「フェイクニュースだ」と決め付ける振る舞いは権力側の取るべき姿勢ではありません。明らかな誹謗中傷は論外ですが、事実無根でない限り、メディアからの批判や指摘は国民の思いを包みこんでいるため、政権側には謙虚に耳を傾ける姿勢が求められています。

報道の自由度、日本は72位の話ですが、もともと低い順位であれば判定する仕組み自体を問題視することも考えられます。ただ民主党政権時代は11位だったため、同じ基準のもとに自由度が下がっていることを率直に省みる機会にしなければなりません。安倍政権にとって都合の悪い情報はメディアが正面から取り上げられなかった、もしくは取り上げづらかった、このような構図が見受けられ、報道の自由度が下がっていた可能性も否めなかったはずです。

このところ森友学園や加計学園の問題をはじめ、防衛省の日報問題、さらに財務省事務次官らのセクハラ報道など行政の信頼を損ねる事態が立て続けに明らかになっています。ここで留意すべき点として、それぞれ最近起こった問題ではありません。スクープがなければ表面化しなかった情報も少なくありません。このような問題に対し、「スキャンダラスな話よりも、もっと重要な問題がある」と苛立っている方々も多いかも知れません。

しかし、政府が情報を隠蔽や偽装する行為は民主主義国家として、絶対あってはならないことです。過去、ミッドウェー海戦の大敗を隠すため、沈没した空母「赤城」「飛龍」の2隻を編成表に残す細工まであったそうです。事実を事実として包み隠さず国民に知らせない限り、国民は正当な評価や判断を下すことができません。そのような意味で今回の一連の問題は各論である一方、総論としての政府の体質を検証する機会につなげるべき問題だろうと受けとめています。

物事を適切に評価していくためには、より正確な情報に触れていくことが欠かせません。誤った情報にしか触れていなかった場合は適切な評価を導き出せません。また、情報そのものに触れることができなかった場合、問題があるのか、ないのか、評価や判断を下す機会さえ与えられません。

このブログの中で、たびたび上記のような問題意識を掲げてきています。そのためには報道の自由度が重要であり、放送事業者が時の政権の宣伝機関に陥らないという意味の政治的な中立性が欠かせないはずです。放送法第4条の「報道は事実をまげないですること」はもちろん、「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」は非常に大事な点だろうと思っています。もし新規参入を認めていくのであれば放送法第4条の順守を前提に検討すべきものと考えています。

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