2016年5月22日 (日)

報道の自由度、日本は72位

著名人が亡くなられた際、お通夜や告別式の模様がテレビの報道番組でも大きく取り上げられます。その著名人を慕っていた方々にとって、たいへん貴重な映像なのだろうと思います。確かに著名人の訃報はニュースの一つですが、もっと他に時間を割いて報道しなければならない重要な出来事があるように感じがちです。テレビ局それぞれの編集権の問題ですが、ワイドショーと一線を画した報道番組だった場合、もう少し取り上げ方の優先順位を再考して欲しいものと願っています。

今回、メディアの報道に関わる話を取り上げます。その切っかけは前回記事「憲法9条についての補足 Part2」に寄せられたコメントであり、以前の記事「民進党、中味に期待」のコメント欄でのやり取りがあったからです。前回の記事に記したとおり私自身の問題意識や主張が絶対正しいとは言い切れないことも常に念頭に置いています。そのため、意識的に「思っています」や「考えています」という言い回しを多用するように心がけています。

そのような言い回しの一つとして「核武装の検討は論外だと思っています」という記述がありました。するとbareさんから「言論の自由に対する重大な挑戦であり、民主主義の否定です。ブログ主さん個人の認識はもちろん自由ですが、日本の社会で議論さえ封じる世の中になったら、日本の民主主義は終わります」という指摘がありました。論外という言葉が誤解を受けたようですが、bareさんから指摘されたような認識は私自身もまったく同感であることをコメント欄で取り急ぎお伝えしました。

核武装論をはじめ、議論さえしてはいけないという主張だと理解されているようでしたら大きな誤解であることを強調しています。被爆者の気持ちを慮ることを失念せず、それぞれの立場や視点から問題提起されること自体を否定する意図はありません。私自身は論外だと思っている訳ですが、あくまでも私の主張は個人的な主張の一つにすぎません。bareさんはbareさんの正しいと信じている「答え」を当ブログを通して披露され、そのような意見交換を他の閲覧者も目にされ、前回記事の最後に記したように選挙での一票という個々の判断に繋がっていくものと考えています。

もう一つ、「民進党、中味に期待」のコメント欄で、OTSUさんへさんからの「言論統制ですか、中国みたいですね」「もの言えぬ唇寒し冬の空 もの言えぬ政党の影ひたひたと もの言えぬこんな日本じゃ無かったが」という書き込みが気になっていました。ハンドルネームの固定をはじめ、もう少し説明を付した文章を投稿くださるようお願いしたところ前述したようなコメントが返されていました。このような見られ方も大きな誤解であり、私からは以前の記事「コメント欄の話、インデックス」や「出入り自由な場として」を紹介し、説明を加えさせていだきました。

そもそも当ブログのコメント欄は管理人による承認制を採用していません。投稿内容は即時に反映され、明らかなスパム以外、削除することはありません。まして特定のIPアドレスを投稿禁止にできる機能も一切使ったことがありません。 その上で、あくまでも管理人の立場からの「お願い」として継続的にコメント投稿される際は、できる限りハンドルネームを固定されるようお願いしています。

意見交換をスムースに行なうためですが、匿名での投稿とは言え、その意見内容にある程度責任を持っていただくことも目的としています。このような「お願い」に対し、幸いにもOTSUさんへさんからご理解いただけた旨のコメントが届き、不本意な誤解が解けたことを安堵していました。このやり取りの中で「中国みたいですね」という言葉が上がっていましたが、最近、いみじくも下記のような報道を耳にすることになりました。

中国の文化大革命発動から50年を迎えた16日、同国の国営メディア各社は、10年間にわたり騒乱を巻き起こし多数の人々の命を奪ったこの政治運動について、ほぼ沈黙を貫いた。中国本土では、文革に関する議論は現在も規制されている。一党支配を続ける中国共産党の機関紙・人民日報は中国語版、英語版ともに、1966年の文革開始から50年の節目について取り上げることはなかった。また、同紙系列の国営英字紙・環球時報は、文革ゆかりの品が人気を集めていることを伝えるAFPの記事から、政治的な背景についての言及部分を削除したうえで、5段落分のみ掲載した。

中国共産党は1981年、文革が国内の騒乱をもたらし、党や国家、国民に悲劇的な結果をもたらした重大な過ちだったと公式に認めたが、最も大きな責任を負うのは毛沢東だとして、党の落ち度を問う声をかわした。中国共産党は現在も、文革に関する議論を認めていない。16日に行われた定例記者会見で「文革50年」について質問を受けた洪磊外務省報道官は、「中国政府はその問題について、ずっと以前に正しい結論を出している」と答えるにとどまった。中国版ツイッターの「新浪微博」では文革の話題に関する検閲が行われ、ユーザーの投稿が次々と削除された。【AFP=時事2016年5月17日

中国共産党機関紙の人民日報は17日付で、中国社会を大混乱に陥れた文化大革命について「完全な誤りだった」との論評を載せた。文革を否定した1981年の党決議を再確認したうえで「文革を否定することで党の指導を否定する誤った見方には強く反論する」と強調。文革批判が党指導部への批判につながらないようけん制した。記事は文革が始まった66年5月16日から50年の節目を踏まえたもの。中国メディアはこれまで文革50年をほとんど報道していなかったが、党の公式見解としてニュースサイトが一斉に転電した。党機関紙以外の論評はなお乏しく、情報統制が続いているもようだ。【日本経済新聞2016年5月17日

以前の記事「二極化する報道」の中で「より正しい判断や評価を行なうためにはメディア側に対し、情報は包み隠さず、正確に伝えていく姿勢が求められています」と記していました。より望ましい「答え」を探っていくためには幅広い情報や見方に触れていくことの大切さを当ブログの記事を通して訴えてきています。そのためにもメディアには幅広い情報を発信していくという姿勢を重視して欲しいものと願っています。

例えばNHKの籾井会長の「公式発表をベースに伝えること」という発言は問題であり、政権にとって都合の悪いことをNHKは報道しないという疑いを持たれかねません。かつての「大本営発表」のみの報道の時代に至った場合、国民は正しい判断や評価を行なえなくなります。文革に対する中国共産党のような言論統制は誰もが問題だと思っているはずです。安倍首相も同様な認識だと信じていますが、先月公表された「世界報道の自由度ランキング」で日本は72位となり、先進7か国で最低レベルの評価でした。

鳩山政権時の2010年は11位であり、それ以降、毎年順位を下げ続けています。特定秘密保護法などの影響で「自己検閲の状況に陥っている」と見られているようです。さらに高市総務大臣の「テレビ局が政治的公平性を欠く放送を繰り返した場合、電波停止を命じることができる」という趣旨の国会答弁を行なったことも問題視されています。そもそも放送法第4条の「政治的に公平であること」という条文は放送局の倫理規定だと言われ、この条項に対する直接的な罰則規定はないと解釈されています。

放送局が番組全体で多様な意見を伝えながら政治的公平性のバランスを取るべきであり、一つの番組の中での発言を取り上げて電波停止が示唆されるようであれば言論統制という批判も的外れとは言えなくなります。それこそ「物言えば唇寒し秋の風」となり、政府の公式発表や与党幹部のリーク情報が中心となった各局横並びの無味乾燥な報道番組ばかりになってしまうのではないでしょうか。国民の知る権利を保障するための報道の自由が後退し、政権側が不都合な情報をコントロールしやすくなるため、正しい評価や判断を下しにくくなる恐れもあります。

最近、メディアが力を注いでいる報道は舛添都知事の政治資金を巡る一連の問題です。発覚している公私混同ぶりや記者会見での不誠実な対応など舛添都知事の政治家としての資質が厳しく問われています。都内の選挙管理委員会職員が青ざめてしまうトリプル選挙の声も上がるようになっています。このブログでは過去に「舛添厚労相の発言」という記事を投稿していましたが、昔からあまり評価できない政治家の一人でした。

それでも週刊誌のスクープがなければ、かなり前から日常的に繰り返されていた舛添都知事の問題は広く知られることがなく、このような批判の対象にならなかったはずです。だからこそメディアを筆頭に多様な情報の発信が重要であり、報道の自由が規制や委縮に繋がるような事態は避けなければなりません。ここで危惧していることがあります。舛添都知事の問題は「氷山の一角」であり、同じように公私混同を重ねている政治家も少なくないのかも知れません。

その際、舛添都知事は叩きやすく、叩きにくい政治家に対しては取材を手控えるようなメディアの選別がないことを祈っています。同じような構図の問題として、叩いてもメディアにとってリスクがない場合は徹底的に追及し、リスクが見込まれた場合は追及の手を緩めてしまうような選別がないことも祈っています。そのように思われないためにも、メディアはパナマ文書東京五輪招致裏金疑惑の問題も徹底的に追及して欲しいものと願っています。

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