2014年8月31日 (日)

リベラルじゃダメですか?

8月28日から29日にかけて、大分県別府市で自治労の定期大会が開かれました。私自身、事情があって宿泊を伴う出張は極力控えているため、今年も連泊となる自治労大会の参加は見合わせていました。大事な会議の場に足を運べず、いつも心苦しく思っています。それでも私どもの組合の議案討議、議長代行を務めている連合地区協の宿泊幹事会など、これまでも1泊であれば調整して参加しています。

「たまには参加してほしい」という他市職の方からの声も耳にしていますので、今後、機会を見て1泊の出張であれば自治労都本部の会議にも参加できればと考えています。昨年の今頃の記事「大阪市で自治労大会」の冒頭に「決して自治労から距離を置こうと考えている訳ではありませんので、念のため(coldsweats01)、申し添えさせていただきます」と記したとおりですので、よろしくお願いします。

さて、前回記事「二極化する報道」は『安倍官邸と新聞 「二極化する報道」の危機』という書籍の内容を紹介しながら、今、私自身が思うことを綴らせていただきました。その書籍を購入した時、精神科医の香山リカさんの『リベラルじゃダメですか?』も一緒に手にしていました。書評ではありませんが、2週続けて書籍の内容に触れながら自分自身の問題意識を添えるような記事を書き進めてみるつもりです。なお、今回のブログ記事のタイトルも書籍名をそのまま使っていますが、引用元を明らかにした使い方ですので問題ないものと考えています。

昨今、ネット上では中国・韓国を批判する書き込みが目立ち、排外的なヘイトスピーチも問題となった。加えて安倍政権による集団的自衛権の行使容認が決まり、一連の動きを日本の「右傾化」と見る向きは多い。その背景には、単に「保守派」「タカ派」の影響力が増しているだけでなく、リベラル派の衰退がある。彼らの影が薄くなった要因は、他ならぬリベラル派自身にあるのではないだろうか。端的に言えば、リベラル派は「嫌われている」のだ。「自由・平等・公平」の実現を目指すリベラル派が、なぜ支持を集めることができないのか。リベラル派を自認する著者が、自戒を込めてその理由と対策を探る。 

上記は書籍カバーの袖にも書かれている言葉です。2冊同時に購入し、後から読み始めた訳ですので『二極化する報道』よりも私自身の興味の度合いは低かったことになります。しかし、良い意味で予想に反した面白さや様々な思いを巡らすことができた内容でした。そのため、読み始めてからは数日間で一気に読み切っていました。まず香山さん自身、自分の立ち位置や発言に対し、批判意見が日常的に寄せられていることを明かしながら、次のような戸惑いや悩み方を率直な語り口で綴られていました。

秘密保護法にはなんとなく反対しようかと思っていましたが、あなたみたいな人が反対してるなら賛成に転じました」という人たちさえいるのではないか、とまで考えたのだ。これは私の単なる被害妄想なのだろうか。いや、そうではない。実際にネットでは私も出席したシンポジウムのことを指して、「反対集会の顔ぶれを見たら、ああ、コイツらが声をそろえて反対するならきっといい法律なんだろうな、と改めて思ったわ(笑)」といった書き込みも複数、目にした。

これはいったいどういうことなのだろう。政権側のプロパガンダがうまいと考えるべきか。それともリベラル派側の問題なのか。いずれにしても、人権が侵害され自由が奪われるなどと警告を発したりしても、それが思ったような効果をもたらす可能性はないことはたしかだ。それに気づくことなく従来のやり方を踏襲しつづけ、デモ、集会、署名活動を続けるのは、まったく意味がない。というよりも、先に指摘したようにむしろ逆効果かもしれない。

このような問題意識、私自身も強く認識している点であり、書籍の内容に引き込まれていった記述箇所でした。この問題意識を出発点として、香山さんはリベラル派が嫌われる理由を探られていました。嫌われる理由を「根拠なき批判」「誤った批判」「もっともな批判」と三つに分類し、「リベラル派は北朝鮮からの資金で行動している」など陰謀論や妄想に基づく批判を「根拠なき批判」としています。いわゆる「反日」という言葉をよく耳にしますが、私自身も「日本を憎む」「スパイのような立場から日本政府を転覆させる」という意図を持つ日本人は皆無に近いものと考えています。

続いて順番を入れ替えて紹介しますが、香山さんの「もっともな批判」に対する分析や説明にも大きくうなづけました。例えば脱原発という共通の目的が一致しながらも、運動の「純血性」などにこだわり、簡単に結束できないリベラル派の硬直さを香山さんは指摘しています。また、前述したとおり旧態依然とした運動の仕方に問題意識を抱え、おのれの「正しさ」にこだわるあまり、あまりにマーケティングやポピュリズムに対して嫌悪感を示し、「きちんと訴えればいつか分かってくれるはず」「それでも分からない人は仕方ない」と一貫していることに焦燥感を持たれ、特に若い世代から批判されてしまうことの理由に繋げています。

以上の「根拠なき批判」「もっともな批判」に関しては基本的にそのまま賛同できる内容でした。もう一つの「誤った批判」に関しては少し首をかしげていました。新自由主義こそグローバル世界のスタンダードとし、弱者救済や格差拡大はやむなし、という考えに基づくリベラル批判があることを香山さんは指摘しています。さらに「第二次世界大戦における日本は正しいことをした」という歴史修正主義、「軍隊を持って強く誇りある国に」という国粋主義、「日本こそアジアの覇者、韓国、中国は愚かな国」という排外主義など、いわゆるタカ派的思想に基づくリベラル批判についても言及しています。

このような対立軸があることは確かですが、「誤った批判」と称してしまうことには少し引っかかりがあります。市場経済、経済成長を至上命題と考える新自由主義も、「強い国」をめざすタカ派的思想も、いずれも誤りであり、国も世界も到底維持できないものと香山さんは考えられています。その上で考え方の違いによるものは議論の余地があると記していますが、ハナから「誤った批判」と称してしまえば、香山さんと異なる考え方を持たれている方々を挑発する言葉に聞こえてしまうような気がしています。

加えて、新自由主義に関してはプラス面とマイナス面があり、功罪どちらに重きを置くかどうかという評価の問題に繋がります。歴史修正主義の中味もたいへん複雑な要素が絡み、国粋主義や排外主義という言葉もレッテルをはった印象を与えがちとなります。したがって、あえて二項対立に持ち込まず、冷静な議論に繋げるためにも「誤った批判」という称し方は避けるべきものと考えています。私自身の見方からすれば「価値観の違いからの批判」という言葉が思い浮かびます。

リベラルじゃダメですか?』は全体を通して、具体的な事例を紹介しながら現在の日本をとりまく状況がリベラル派の一人である香山さんの視点や立場から綴られています。運動の進め方や主張の伝え方の問題に関してはリベラル派側に強く反省を促している点に新鮮さや共感を覚えました。一方で、偏狭なナショナリズムの問題では「韓国って最低」などと他国を貶める言動が「権力者に利用されて全体主義の“駒”にされるかも、という自覚や警戒心がないまま振る舞うことの危険性」という記述などに目を留めていました。

私自身もそのような問題意識を少なからず持っているほうですが、ストレートな言葉として発することのプラスマイナスを考えてしまいます。率直な物言いが香山さんの持ち味であり、批判を受けがちな点なのかも知れませんが、最初に記したとおり予想以上に面白い書籍でした。共感する箇所が多い中、香山さんの「答え」が正しく、それ以外の考え方は基本的に「誤っている」という前提だけは少し気になりました。そのような傾向については賛否が分かれそうですが、最後に、私なりに受けとめた香山さんが最も訴えたかったと思われる箇所を書きしるして終わらせていただきます。

私としては、「リベラル」というのは何も特殊な主義信条とか政治的理念ではなくて、「個人の自由を大切に、でもなるべく平等、公平に」といったマイルドな考え方や姿勢の意味で使っていた。個人の自由が一切、認められない全体主義もイヤだし、かと言ってすべてが個人の自己責任で弱肉強食の世界になるのも困る。ほどよくお互い助け合いながら、個人も他人も世の中全体も、ついでに言えば他国との関係も大切に。これが私の中の「リベラル」の定義である。(「まえがき」の中の一節)

リベラル派の私が、「安倍政権を見習って」などというのは口幅ったいが、それでもさまざまなメディアを効率的に使い、いまいちばん国民が求めているものは、というリサーチに基づいて矢継ぎ早に政策を発表してきた安倍政権さながらのスピード感で、私たちは今後、自分たちの言動や活動を見直していけるだろうか。そして、遠くない未来に「リベラル・イズ・バック」と笑顔で言って、握手を交わし合うことができるか。これは決して、「サヨク特有の“お花畑”」的な発想ではなくて、そうならなければもうリベラル派にもこの国にも先はない、というかなり切羽詰まった話なのである。リベラルを嫌うことは、自分を、まわりの人を、そしてこの国を嫌うことだ。それでもリベラルじゃダメですか? もう一度だけ、そう問いかけたい。(最終章の結びの一節)

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