2016年6月25日 (土)

『ロンドン狂瀾』を読み終えて

参院選挙が水曜日に公示され、選挙戦本番を迎えました。このブログでは選挙期間中でも必要に応じて政治的な話題を取り上げています。3年前にインターネット選挙解禁となり、個人的なブログでも特定の候補者や政党への支持を訴えることができるようになっています。しかし、私自身はプロフィール欄に掲げているとおり地方公務員という立場であり、選挙運動と誤解されるような表現は慎んでいます。

その大きな線引きとして、選挙の公示や告示後は具体的な候補者名の記述は控えるようにしています。今回の記事は『ロンドン狂瀾』という書籍の書評が中心となりますが、場合によって現在の政治状況に絡めた個人的な感想や意見も添えていくつもりです。あくまでも私自身の感じたことや問題意識の表明にすぎず、当たり前なことですが、その内容をどのように受けとめるのかどうかは閲覧された皆さん一人ひとり異なっていくのだろうと思っています。

さて、ロンドンと言えば国民投票の結果、イギリスがEUから離脱することになります。開票の直前、金曜朝のニュースでは残留派の票が最終的には上回るという見通しを耳にしていたため、離脱決定の報道には驚きました。市場も予想を裏切られたようであり、「世界同時株安」が進んでいます。東京株も全面安となり、歴代8番目となる日経平均の下げ幅を記録し、円も一時1ドル99円まで急伸しました。

今回の記事はEU離脱の問題とは直接関係なく、今から86年前のロンドンを舞台にした小説を切り口に書き進めていきます。その小説、中路啓太さんの『ロンドン狂瀾』に興味を持ちましたが、よく立ち寄る書店には置いてありませんでした。2千円を超える値段の高さもあり、久しぶりに図書館で借りようと考えました。蔵書検索システムで調べたところ1冊だけありましたが、あいにく貸出中でした。

数日たっても貸出中のままだったため、ある書店で見つけた時、迷わずレジに運んでいました。570頁に及ぶボリュームであり、さすがに読み終えるまで日数がかかりました。ただ集中的に読める時間さえ取れれば、一気に読み切りたくなるほどの面白さでした。歴史の教科書や他の小説などに登場する著名な人物が生身の人間として描かれ、それぞれの喜怒哀楽に触れながら意外な側面を垣間見ることができます。

例えば山本五十六少将は饅頭やギャンブルが好きで、外務省職員と殴り合う場面などがあり、連合艦隊司令長官として冷静な判断を下した知将のイメージからは程遠い登場人物となっています。立憲政友会の犬養毅総裁も野党のリーダーだったため、愚直な敵役として描かれていました。膨大な数の資料や文献をもとにした著作であるようですが、あくまでも小説であり、すべて事実を描写している訳ではないはずです。

したがって、登場人物を巡るエンターテイメントの部分は基本的にフィクションと理解すべきものと思いますが、資料として残る記録を中心にした箇所は紛れもない史実として読み終えていました。著作権はもちろん、ネタバレに注意した内容紹介を心がけるため、今回も書籍を宣伝するサイト上に掲げられた言葉を赤字で紹介します。さらに「本の話WEB」サイトに『オール読物』編集部による著者のインタビュー記事が掲げられていたため、少し長くなりますが、続けて青字(著者の言葉は太青字)で紹介させていただきます。

外交は正しさだけを追求すればいいってもんじゃないんだよ。「正義は我らにあったが、国は滅んだ」では元も子もないだろう。1930年1月、霧深きロンドン。米英仏伊、そして日本の五大海軍国によるロンドン海軍軍縮会議が始まろうとしていた。世界恐慌が吹き荒れ、緊縮財政と戦争回避が叫ばれているなかではあったが、各国それぞれの思惑と輿論を抱え、妥協点は見出すのは容易ではない。日本の全権団長は若槻礼次郎。随員には雑賀潤外務省情報部長がいた。難航を極める交渉の果て、雑賀は起死回生の案を捻り出すが──。誇り高き外交官の活躍と、統帥権干犯問題の複雑な経緯を、精緻かつ情熱的に描ききった、今こそ読まれるべき傑作。

■「武器を使わぬ戦争に挑んだ男たち

昨年『もののふ莫迦』で「本屋が選ぶ時代小説大賞 2015」を受賞した著者が初めて“昭和史”に挑んだ意欲作だ。主な舞台は1930年の日本とイギリス。ロンドン海軍軍縮会議における欧米列強との厳しい交渉――条約を締結させた浜口雄幸(おさち)首相と誇り高き外交官・雑賀潤(さいがじゅん)の奮闘が描かれている。

「1930年前後は重要な時代です。一般的には、戦前の日本には民主主義などなく、軍国主義一色であったことが戦争の原因と思われていますが、実はそうではなく、当時の水準ではきちんとした民主主義が機能していたし、軍縮の努力もなされていました。それで何故、戦争への道を進むことになったのか。この転換点を描きたかった」

軍縮会議では、補助艦の保有量制限などが話し合われたが、アメリカ、イギリスと、日本の主張には大きな隔たりがあった。“外交は武器を使わない戦争だ”という信念のもと、米英と粘り強く交渉した雑賀らは、なんとか調印にこぎつけるが、国内での条約批准という壁に直面。抵抗勢力を抑え、条約を締結した政府に対して、軍部や右翼からの非難が高まり、“統帥権干犯問題”が起こって、浜口首相は右翼に狙撃されてしまう。政党内閣が、安全保障政策を主導的に決定した時代を著者は、“戦前の政党政治隆盛の頂点”と捉える。当時の二大政党の興隆と崩壊のドラマも、読みどころの一つだ。

「第一次世界大戦の教訓を受けて各国が、軍縮を目指した戦間期に関心がありました。だが“協調路線”は結果的には失敗に終わり、戦後処理の難しさがあらわになります。一方で我々が現在直面している、過激派組織ISやシリアの内戦なども、ある意味では戦後処理の問題。混迷する現代の国際情勢を考えるうえでの手掛かりが、この時代にあると思うのです。日本では戦争を振り返る時、“侵略された立場になって考えるべきだ”と言われることが多いですが、善悪の概念を取っ払って、中立の立場で、日本人の問題として歴史をたどる方が、戦争の抑止につながると思うんです。“軍人は悪者だ”で済ますのではなく、軍人がどういう考えで行動していたのか。世論がなぜ戦争を支持したのか。中立的な視点で辿るべく、この小説を書きましたし、今後も書いていきたいと思っています。ただ、中立的な視点というのは難しくて、悩み抜いたというのが書き終えた今の気持ちです」

戦後70年を経て、戦争を知らない世代が増えてきた今こそ、戦前の日本を理知的に描いた本作が、読まれるべきではないだろうか。

上記の紹介で『ロンドン狂瀾』の概要や著者の意図が伝わります。ここで区切っても良いぐらいですが、せっかくの機会ですので私なりの感想や意見なども付け加えさせていただきます。1930年のロンドン海軍軍縮会議が開かれた時代、第一次世界大戦は欧州大戦と呼ばれていました。その大戦で使用された兵器の急速な進歩は、勝者にも敗者にも戦争の惨禍による大きな傷跡を残しました。

そのため、国際的な諸問題を武力によってではなく、話し合いで解決しようという機運が世界中で高まっていきました。1928年、日本を含む15か国の間でパリ不戦条約が締結されました。国際紛争解決の手段としての戦争の放棄でした。それ以前の1922年には主に戦艦の保有数を制限するワシントン条約がアメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリアの五大海軍国間で締結されていました。小説の舞台となったロンドンでの会議は巡洋艦や駆逐艦、潜水艦など補助艦保有を制限することを目的として開かれました。

当時の日本は国際連盟の常任理事国であり、五大海軍国の中でもフランスやイタリアよりも米英側から重要な交渉相手に目されていました。立憲民政党の浜口雄幸首相をはじめ、全権団の若槻礼次郎団長らは海軍側から厳守を求められた対米7割の保有割合に固執せず、軍縮条約を結ぶことが国益だと考えていました。国際協調の実を上げ、アメリカとの摩擦を解消し、膨大な国家予算を必要とする建艦競争を抑え、その浮いた分による減税等で民力を休め、経済を建て直すためにも締結を強く望んでいました。

一方で、最低7割を主張する海軍側は米英に対して不信感を持ち、日本の軍事力の伸張を抑え込み、満蒙の特殊権益を奪う目的があるのではないかと疑っていました。ただ対米7割とは、それ以上の差を付けることができないというアメリカ側に対する歯止めにも繋がる話でした。一見、日本にとって不利な条約のようですが、圧倒的な国力の差を考えた際、戦力の差を広げさせないという意味での意義を見出すこともできました。

この書籍を読み、第二次世界大戦前、ここまで戦争を回避しようとする機運が高まっていた史実に驚かされました。軍縮条約の意義や目的も改めて認識する機会となり、特に国家予算の厳しさからも必要とされていた背景に対し、感慨を深めています。「もっと軍艦が必要だ」「もっと大砲が必要だ」という軍部の要求を呑み続け、国家財政が破綻してしまっては「骸骨が砲車を引くような不条理な事態になりかねない」という記述には、思わず目が留まっていました。

他にも登場人物の語った言葉として印象に残った箇所が数多くありました。西園寺公望元老は「三国干渉」を受けて遼東半島を返還したことについて、面目にこだわらず、国力を考えて行動するのが真に賢明な政治選択だったと語っています。さらに西園寺元老の「白だ黒だと、世界のことがそんなに簡単にわかってたまりますか。簡単に白黒をつけられんというのは、政治的か否かの問題というより、あらゆる物事の本質ではありませんかね」という言葉に強く共感しています。

浜口首相は枢密院ロンドン海軍条約審査委員会で「国防には広狭の二義がございます。狭義の国防は、単に兵力に関するものですが、広義の国防は軍備だけではなく、国交の親善、民力の充実などを含むものです。すなわち、国防を狭義に、単に軍備と見るのであれば河合顧問官のおっしゃるようなこともあるかもしれませんが、だからといって、軍備の点に偏重し、今次条約の不成立を見るようなことになれば、国交の親善、民力の休養実現の点より見て、広義の国防はかえって劣ることになりましょう」と発言しています。

浜口内閣の時代は大正期から続く政党政治隆盛の頂点だったと言われています。二大政党による政権交代が「憲政の常道」と認識される中、政党内閣が安全保障政策も主導的に決定した時代でした。ただ残念ながらテロによって銃撃された浜口首相が亡くなった翌月、1931年9月18日に奉天郊外の柳条湖付近で南満州鉄道の線路が爆破されました。いわゆる満州事変の勃発であり、15年に及ぶ中国との戦争の始まりでした。

立憲民政党と立憲政友会、ほとんど基本政策に差がなく、本格的な政策論争よりもスキャンダルの暴露合戦にいそしむようになっていました。ロンドン海軍条約を巡る論戦においても、政友会が民政党政権を追い詰めるため、いたずらに統帥権干犯の問題を追及しました。結果として、両党とも国民からの支持を失い、政党政治そのものへの信頼も失われることになりました。「政党政治家は財閥と結託して私利私欲を満たすことに忙しく、庶民の苦しみなどには関心のない連中だ」という印象ばかりが刻まれてしまったようです。

首席全権を引き受ける前、若槻団長は「本来、外交は政争の具にすべきものではないはずだ。にもかかわらず、自分の属さぬ党派のやることは、ことごとく邪魔しようとする輩ばかりだ。それによって、我が国がどれほど利益を失おうと、世界に恥をさらそうと、連中はかまわんときている。党あって国なしとはこのことだ。だいたいだね、気に入らぬ者を辞職に追いやったり、政府が気に入らぬことをやろうとするのを妨害したりするためには、汚職をでっち上げればよいという風潮が蔓延したらどうなる。まともな国家運営などできなくなるではないか」と憤り、政党政治の行く末を危惧していました。

国民から信頼された浜口内閣も、日本を経済的苦境から脱出させられず、いっそうの不況を招いていました。国民は政党政治を完全に見限る一方、「横暴で傲慢な支那人」に対し、大陸で果敢に戦う日本軍の情報に熱狂しました。国民の多くは二・二六事件などを起こした青年将校らの「やむにやまれぬ思い」に理解を示し、この国を改革し、国民を救ってくれるのは政治家ではなく、身命を顧みずに行動する軍人や壮士たちだと考えるようになっていきました。

著書の最後のほうには「こうして、時代は急速にきな臭いものになってゆき、日本は坂道を転がるがごとく戦争の道をひた走るようになったのだった」と綴られています。個人的な感想や意見を付け加えると記しながら、著書から引用した内容が中心となっています。それでも引用した内容に対し、前述したとおり個々人での受けとめ方は枝分かれしていくのではないでしょうか。また、現在の政治状況に照らし合わせた時、思い浮かべる具体例も人によって異なっていくのかも知れません。

たいへん長い記事になっていますが、もう少し続けます。『ロンドン狂瀾』に興味を持った切っかけは、このブログによく登場いただいている衆院議員の長島昭久さんのフェースブックでした。最後に、長島さんが投稿された内容全文を紹介します。「今日の政治の有り様に対する強烈な戒めが込められた物語」という一言は、長島さんの政治信条からすれば与党野党問わない具体例を思い浮かべながらの問題意識ではないかと想像しています。

ワシントン往復に持ち込んだ『ロンドン狂瀾』読了。中路啓太さんの作品に初めて触れたが、巻末に記された「綿密な取材と独自の解釈、そして骨太な作風の正統派歴史時代小説の旗手」の評に寸分違わぬ重厚にして躍動感溢れる筆致で、ロンドン海軍軍縮条約を巡る内外情勢を見事に活写している。ロンドン軍縮条約の批准は、民政党と政友会による束の間の二大政党時代におけるハイライトであった。

しかし、同時に天皇の統帥権を政争の具に弄ぶ政党政治の堕落が、結局は政党政治を破壊し、テロと軍国主義を台頭せしめ、やがて国家国民を奈落の底に沈めてしまった故事を改めて思い起こさせるものでもあった。深い感動とともに読み終えたが、今日の政治の有り様に対する強烈な戒めが込められた物語に暫し沈思黙考を余儀なくされた。この現代政治への教訓が詰まった近現代史の真実を、ぜひ名優を配して映画化して欲しいもの。

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