2015年5月23日 (土)

マイナーな情報を提供する場として

前回の記事は「東京の自治と大阪都構想」でしたが、大阪市民による住民投票は僅差で現状維持が選択されました。当日の出口調査の結果では「賛成」が若干上回り、開票速報も「賛成」票の数が先行する中、「反対」を支持された方々にとって胸が締め付けられた日曜夜の時間だったのではないでしょうか。様々な事後の論評を目にしていますが、 漫画家の小林よしのりさんのオフィシャルwebサイトの「東京では大阪都構想の分析をメディアが伝えなかった」というブログ記事が気になりました。

小林さんは、年間4千億円と言われた二重行政解消の効果が大阪市役所の試算では約1億円にとどまるという話などを住民投票の実施前に把握されていなかったことを明かしています。発信力や影響力の大きな小林さんが「テレビでも新聞でも、そんな話は聞いたことがない」と語られたことに驚きました。たいへん注目していた動きだったため、私自身は積極的にインターネット等から幅広い情報を得るように努めていました。そのことによって前回記事に記したとおり「客観的な見立てはマイナス面ばかりが目に付く構想」という結論に至っていました。

当然、このような見方について東京のメディアもそれなりに伝えていたものと思っていました。あまり意識していませんでしたが、小林さんが指摘されているのであればメディアの客観的な事実の伝え方は結果的に不充分だったはずです。そのため、橋下市長が「改革」派、反対派は既得権益を守ろうとしている抵抗勢力という構図のみで、大阪市の住民投票を見守られていた方々が想像以上に多かったのかも知れません。念のため、直接の有権者ではない小林さんが「知らなかった」ことを問うものではなく、そのことが気になった訳ではありません。

小林さんのブログ記事を通し、改めてマスメディア側の情報の伝え方が気になっていました。以前の記事「二極化する報道」の中で「より正しい判断や評価を行なうためにはメディア側に対し、情報は包み隠さず、正確に伝えていく姿勢が求められています」と記していました。より望ましい「答え」を探っていくためには幅広い情報や見方に触れていくことの大切さを前々回記事の中で綴りましたが、だからこそマスメディアからの情報の接し方に注意していかなければならないように感じています。

実は今回、新規記事の投稿画面に向かい、初めは別な題材でのタイトルを先に付けていました。いつものように記事の冒頭で気ままに思うことを書き進めていくうちに話が広がり、久しぶりに途中でタイトルを差し替える展開となっていました。差し替えた後の記事タイトルは「マイナーな情報を提供する場として」ですが、このブログの基本的な立ち位置を表しているつもりです。これから紹介する話題を取り上げることについて少し迷いましたが、そのような当ブログの立ち位置を踏まえ、その是非や評価は閲覧された皆さん一人ひとりに委ねさせていただこうと考えています。

この話題はマスメディアの大半があまり大きく扱っていません。このような情報は些末な話であり、報道する価値がないものと判断されているのかも知れません。しかし、価値があるのかどうかは情報の受け手側が判断すべきものだろうと考えています。また、権力側におもねって情報の伝え方を取捨選択しているとしたら論外であり、そのような関係性ではないことを信じています。その話題とは「安倍首相がポツダム宣言を読んでいない」というものです。水曜の午後、安倍首相と共産党の志位委員長との党首討論の中で明らかになったエピソードです。

マスメディアは大きく扱っていませんが、インターネット上では多くのサイトで話題になっていました。安倍首相の発言の一部を切り取った揚げ足取りであるような見られ方をされてしまうのかも知れませんが、一国の最高責任者の資質を疑われかねないエピソードだと受けとめています。このやり取りを見聞きした時、私自身もたいへん驚きました。一般の方がポツダム宣言を読んでいなくても驚く話ではありません。「戦後レジームの脱却」を唱えてきた安倍首相が「つまびらかに読んでいない」と発言したため、いろいろな波紋が広がっていました。

わずか13項目という短さのポツダム宣言ですので、実際は読んでいたとしても志位委員長の質問に対する答え方が難しく、「読んでいない」と答えてしまったのかも知れません。しかし、それはそれで「読んでいない」と答えてしまうことの不適切さや影響力に思いを巡らせられなかったという失態だろうと見ています。前々回記事の中で、大事な点は安倍首相を批判することではなく、安倍首相らの進めている安全保障政策の見直しが、より望ましい「答え」に繋がっていくのかどうかだろうと思っています、と記していました。

今回、安全保障法案の中味と直接関わらない話だろうと考えています。それでも前述したとおり安倍首相は重要な法案に対する最高責任者であり、この国の最高権力者です。そのトップリーダーの資質を評価するための一つのエピソードとして当ブログでも取り上げさせていただきました。安倍首相を高く評価されている方々にとって不愉快な記事になろうかと思いますが、これはこれで実際にあった話であり、ご理解ご容赦ください。前々回記事と同じスタイルになりますが、多面的な情報、この場合はマイナーな情報を提供する場として関連サイトの文章をそのまま掲げさせていただきます。お時間等が許される際、ぜひ、参考までにご覧になってください。

「ポツダム宣言読んでいない」安倍首相に憲法学者が怒りの声(日刊ゲンダイ2015年5月22日)

世界中がアングリしたに違いない。20日の党首討論で「ポツダム宣言を読んでいない」と言い放った安倍首相。ライフワークのように「憲法改正」を唱えながら、憲法学の大家である芦部信喜氏を知らないなど、これまでも政治家としての資質に「失格」の烙印が押される言動は多々あったが、今回ばかりは驚天動地の発言だ。「私はまだ、つまびらかに読んでいない。論評は差し控えたい」 共産党の志位和夫委員長から「ポツダム宣言」の認識を問われ、こう答えた安倍首相。「つまびらかに」なんてモゴモゴ言っていたが、ゴマカシていたのは明らかだ。

「ポツダム宣言」は45年7月に米英中が大日本帝国に対して発した降伏勧告で、軍国主義を民主主義に改めるよう求めた。日本は8月15日にこの宣言を受諾。方針を具現化するために作られたのが日本国憲法だ。言葉や経緯は中高生でも知っている。そもそも安倍首相の持論は「戦後レジームからの脱却」だ。その戦後体制が始まったのが「ポツダム宣言」であり、「脱却」を主張するなら、「つまびらか」に知っているのは当然だろう。さらに言えば、終戦直前に当時の鈴木貫太郎首相は会見で「ポツダム宣言」について「黙殺して断固戦争完遂に邁進」と発言したため、米国が激怒。広島・長崎の原爆投下を決断するきっかけになったとも指摘されている。

安倍首相の「読んでいない」という発言は、この鈴木元首相の「黙殺」に並ぶ失言だ。仮にドイツのメルケル首相が「ベルリン宣言」を「読んでない」と国会で発言したら、たちまち世界から総スカンを食らうのは間違いない。安倍首相の発言は、それぐらい非常識なのである。九大名誉教授の斎藤文男氏(憲法)が言う。「『ポツダム宣言』は戦後の民主化、非軍事化を進めた世界秩序であり、民主主義国家となった日本の出発点です。政治家として(経緯や詳細を)知っているのは当たり前で、『読んでいない』というのが本当なら『政治家になるな』と言いたい。

それに安倍首相は『戦後レジームからの脱却』を叫び、ポツダム宣言以降の体制を否定しているのだから、国会で堂々と論戦すればいい。ノラリクラリはぐらかすなんて許されないし、国会軽視も甚だしい。そんな政治家が自衛隊を世界中に派遣し、戦争に加担させる安保政策の大転換法案を国会に提出している。まったく許せません」 その通りだ。結局、安倍首相は国民のためでも、深い政治信条があって動いているワケでもない。「憲法改正」も「(先の大戦は)侵略戦争ではなかった」という主張も、祖父の故・岸信介元首相の“遺言”を実践しているだけ。A級戦犯の亡霊首相の妄言に、今も付き合わされる国民は、つくづく不幸である。

ポツダム宣言を読んでいない事を認めた安倍首相の致命的答弁(「天木直人のブログ」から)

今度の党首討論の最大の意義は、安倍首相がその答弁の中で、ポツダム宣言を読んでいないことを認めてしまったことだ。すなわち共産党の志位委員長が侵略戦争に関する歴史認識を質問した際に、ポツダム宣言を引用し、これでも間違った戦争だったと認めないのかと迫った。それに対し、なんと安倍首相は、ポツダム宣言をよく読んでいないから論評を差し控えると答弁したのだ。これは日本の首相として致命的な答弁である。この発言を引き出した志位委員長の質問の大殊勲である。

言うまでもなくポツダム宣言の受諾は日本が戦後国際社会に復帰した際の大前提である。そこには、ナチス・ドイツ軍と並んで日本軍が並記され、連合国側は日本に対し、世界征服に乗り出す過ちを犯した無責任な軍国主義を世界から駆逐する事を受け入れる事を無条件で求めている。そして日本はそのポツダム宣言を無条件で受け入れたのだ。安倍首相は口が裂けても「読んでいない」などと言っていけなかった。ウソでもいいから読んでいる振りをしなければいけなかった。ウソをつきたくなかったら、ポツダム宣言を完全にスルーして、単に「論評は控える」とだけ言って逃げればよかったのだ。

安倍首相はその知恵がなかった。そこまでの余裕はなかった。悪知恵を働かすには、安倍首相はあまりにも正直だということだ。大手メディアは共産党の志位委員長の質問と、それに対する安倍首相の答弁としてごまかしているが、大手メディアこそこの安倍首相の答弁を大声で批判すべきなのだ。中国がこの安倍首相の発言を聞き逃すはずがない。安倍首相は8月15日の安倍談話に向けてさらなる窮地に立たされるだろう。安倍首相の致命的な発言をした。この安倍首相の致命的発言を引き出した今回の党首討論は、かつてない 有意義な党首討論だったということだ(了)

あな怖ろしや、党首討論(BLOGOS松井孝治元衆院議員のFacebookから抜粋)

先日の党首討論で、安倍首相がポツダム宣言の内容についてまだ詳らかに読んでいないという発言を行ったことが話題となっている。戦後レジームからの脱却を唱えている安倍首相が、戦後レジームの原点とも言うべきポツダム宣言もきちんと読んでいなかったのかという批判がネット上で渦巻いているのだ。私が偶々ラジオでこの党首討論を聴いていた印象で申し上げると、安倍首相がポツダム宣言を読んでいなかったというよりは、国会討論の中でも、党首討論の特殊性、すなわち、他の質疑とは異なり、党首討論では、討論議題の事前通告を極めて簡潔にしか行わなくてよいという慣行が、結果的に、安倍首相の表面上はちょっとした失言、しかし野党からすれば安倍首相の根幹をなす政治信条についての疑義を生ぜしめる発言を引きだしたように思えるのである。

通常の予算委員会などの質疑の場合、内閣総務官室(旧内閣参事官室)という政府内の部署が、質疑の前日に、それなりに丁寧に、質疑者への「質問取り」(質問者が総理に何を質問するかのインタビュー)を行う。国会で、かみ合った質疑を行うためには、ある程度どのような事柄をただすのかを事前通告し、首相や閣僚は事実関係や従来の政府の姿勢を確認したうえで答弁することが国会の慣行となっているのだ。つまり、質問通告があまりに粗いと、総理や閣僚は、具体的に質問通告を受けていないので、ここで突然そのようなことを訊かれてもお答えできません、という答弁となり、質疑が空転してしまう。国会の慣行としては、政府側の、ある程度事前に質問の趣旨を知らされた上で、その内容にきちんと回答を準備して答えさせていただきたい、さもなければ、答弁のしようがないという言い分が理解され、許容されてきたのだ。このことは、政権交代の前後を通じて政府が一貫して主張し、その時々の野党側も一定程度その主張に理解を示してきた慣行である。

無論そうした慣行を無視して無通告で細かいことを訊く議員はいる。あえて事前通告せずに、総理なのにこんな基本的なことも知らないのか、と恥をかかせる、国会論戦とクイズをはき違えた、けたぐりのような質問をする人物も少なからず存在するが、私は、基本的にはそういう質問は王道を外れていると思う。一国の総理の無知を嗤うという態度は議会人として個人的には好きになれない。そこで気になるのが、先日の党首討論で、志位氏がポツダム宣言に絡めて安倍首相の歴史観、戦争観を訊いた質問について、果たして事前通告はなされていたのだろうか?という点である。私の推測では、このあたりが志位氏の質疑の巧みなところなのだが、戦後レジームからの脱却を唱える総理としては、戦後レジームの起点であるポツダム宣言について、「突然通告なしに訊かれてもお答えできない」という常套句は使いにくいことを承知の上で、志位氏は、恐らくあえて事前通告なしに、ポツダム宣言の連合国側の認識に重ねて総理の戦争観を訊ねたのではないかと思うのだ。

志位氏は、先ず、村山談話の「遠くない過去の一時期我が国は、国策を誤り」という歴史認識を踏まえて、安倍首相に、先の戦争が間違った戦争であったかどうかについての戦争観を訊ねている。その際志位氏は、安倍首相が万が一にもかの戦争を間違った戦争と断罪するような答弁は行わないであろうことは充分に見越したていたのだと思う。そのうえで、志位氏は、二の矢として、ポツダム宣言やポツダム宣言が引用するカイロ宣言で示された戦争認識、すなわち我が国が仕掛けた戦争は世界征服を企図する侵略戦争であるとの連合国側の戦争観を首相が認めるかどうか、認めなければ、ポツダム宣言を受諾したこととの矛盾を突くとともに、安倍首相は歴史修正主義者であるというレッテルを貼ろうとしたのだろうと思う。その際、先ほど申し上げたように、首相がもっとも根幹的な政治信条とする「戦後レジームからの脱却」の「戦後レジーム」の起点に当たるポツダム宣言における連合国側の認識を訊かれた時に、「ポツダム宣言」に関して訊くなどという事前通告もない質問には答えられぬとは、よもや言えないだろう、と志位氏は踏んでいたに違いない。しかもこの場は、事前に事務的な質問取りなどを行わず、政治家同士がその政治信条を闘わせる天下の党首討論であればこそなおさらそうである。

したがって、安倍首相は、その場で、ポツダム宣言の戦争観と自らの歴史観を重ねることは避けるであろう、さすれば、安倍首相に修正主義者の呼称を用いることが出来、7分間という短い討論時間で有効な打撃を与えることが出来るという計算ずくの質問なのだ。現実には、しかし、通告外のこの質問は、さらに志位氏も思ってもいない方向に展開したのではないかと、私は思う。安倍首相が、ポツダム宣言の一部についてまだ読んでいないので論評を避けたいとの発言をしたからである。私は、安倍首相がポツダム宣言をこれまで読んでいないなどとは思わない。思わないが、事前に準備なく、ポツダム宣言第6項及び第8項にはどのような記述があるとまでを首相が諳んじているとも思わない。事前通告なしで、手許にポツダム宣言についての参考資料もなく、もちろんその予習をしたわけでもない、いわば徒手空拳の安倍首相を前に、志位氏は一方的にポツダム宣言の第6項及び第8項、さらにはそこに引用されているカイロ宣言の文面を読み上げ、連合国側の日本が引き起こした戦争は世界征服を企てた侵略戦争との戦争観を受け入れないのかと首相に詰め寄る。ここで、安倍首相がポツダム宣言は受諾したけれども、ポツダム宣言に規定する連合国側の戦争観をすべて共有するわけではないと安倍首相が答弁すれば、志位氏に言わせれば、安倍首相が歴史修正主義者である言質をとったということになったのであろう。 しかし、安倍首相は、さすが在任期間歴代6位のベテランであり、そう正面から志位氏の思惑には乗らない。

ところが、徒手空拳で、連合国側の戦争観と引き比べて自らの戦争観を問われた安倍首相は、志位氏が読み上げたポツダム宣言第6項、第8項(及び第8項が引用するカイロ宣言の趣旨)が正確な文面であるかどうかも定かではないし、討論上の何らかのトラップ(罠)が仕込まれている可能性も怖れたのではないだろうか、「ポツダム宣言のその部分を、まだ詳らかに読んでおりませんので、承知をしませんので、いまここで論評は避けたい」という留保を付けたのである。安倍首相の問題は、「まだ」「読んでおりません」という表現を用いたことである。これはいささか用語が不適切だった。ポツダム宣言本文は日本国が受諾した文章であるけれど、その文言の一言一句までの詳細は、今突然のお訊ねであり手許にもないので承知しておりませんから、今ここで直ちにそれに対して論評することは避けたいと考えます」と答弁されていたとしたら何の問題もなかった答弁である。

結果として、安倍首相としては、かの戦争の「侵略性」については言及しないという規定路線は堅持したし、我が国が受諾したポツダム宣言における連合国側の戦争観と自らの戦争観の差異についてもかわすことができたものの、上記のように、「ポツダム宣言のその部分をまだ詳らかに読んでいない」という、本来は確たる論評を避けるための留保発言が、微妙な用語選択ミスを逆手に取られて、志位氏によって「ポツダム宣言も読まずに戦後レジーム脱却を謳う首相」「そこまでしても戦争の誤謬を認めない修正主義者」とのレッテル貼りをされてしまった。まさに志位氏の術数にはまり、あたかも「王手飛車取り」に遭った如き感がある。「飛車取り」と言ったが、ポツダム宣言の中核文面を「まだ」「読んでいない」指導者が、戦後レジームの見直しを主唱しているというプロパガンダの方が、歴史修正主義者の呼称よりも、安倍首相の人格批判として、野党の効果的な攻撃材料となる可能性すらある。その意味で志位氏は、このところ国会答弁に安定感の出てきていた安倍首相の咄嗟の用語選択ミスを誘い出し、野党党首最短の7分半の討論時間で、野党の中でもっとも効果的な攻撃成果を挙げたのかもしれない。

ポツダム宣言「本当に読んでないようだ」 志位氏が皮肉(朝日新聞デジタル2015年5月22日)

「事実誤認がある。本当に読んでいなかったことがうかがえる」。共産党の志位和夫委員長は21日の記者会見で、安倍晋三首相が20日の党首討論の際、第2次世界大戦で米・英・中の三国が日本に降伏を勧告したポツダム宣言を「つまびらかに読んでいない」と答弁したことについて、こんな皮肉を飛ばした。志位氏は、自民党幹事長代理だった首相が月刊誌「Voice」2005年7月号の対談で、「ポツダム宣言というのは、米国が原子爆弾を二発も落として日本に大変な惨状を与えた後、『どうだ』とばかり(に)たたきつけたものだ」と語っていたと指摘。だが、宣言は1945年7月26日に米英中の名で発表され、同8月6日と9日の原爆投下後、日本が同14日に受諾を決定した。志位氏は「(宣言は)二つ原爆が落ちた後に『たたきつけられた』ものではない。事実誤認がある」と述べた。20日の党首討論では、志位氏がポツダム宣言について「日本の戦争について世界征服のための戦争であったと明瞭に判定している。総理はこのポツダム宣言の認識を認めないのか」と質問。首相は直接答えず、「その部分をつまびらかに読んでいないので、直ちに論評することは差し控えたい。先の大戦の痛切な反省によって今日の歩みがある」と述べていた。

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