『自治体職員の「自治体政策研究」史』を読み終えて
前回記事は「一票の重みの大切さと怖さ」でした。この切り口から取り上げると、どうしても兵庫県政の現状が気になって仕方ありません。これからも「ファクトチェック」の重要性の話などをはじめ、兵庫県政の動きは当ブログの新規記事として取り上げていくことになるはずです。
今回、定番化している「『〇〇〇』を読み終えて」というタイトルを付けた新規記事に取りかかっています。東京自治研究センターの季刊誌「とうきょうの自治」の連載記事「新着資料紹介」の締切が間近であり、入稿する原稿内容を意識しながら書き進めています。
これまで『足元からの学校の安全保障 無償化・学校教育・学力・インクルーシブ』『どうせ社会は変えられないなんてだれが言った? ベーシックサービスという革命』『会計年度任用職員の手引き』『「維新」政治と民主主義』『公営競技史』『承認をひらく』『官僚制の作法』 『賃金とは何か』を紹介し、次号は『自治体職員の「自治体政策研究」史』を取り上げます。
それらの書籍を題材にした当ブログのバックナンバーは「ベーシックサービスと財源論 Part2」「会計年度任用職員制度の課題」「新着資料紹介『「維新」政治と民主主義』」「『公営競技史』を読み終えて」「『承認をひらく』を読み終えて」「『官僚制の作法』を読み終えて」「『賃金とは何か』を読み終えて」という記事タイトルのものがあります。
3月に『官僚制の作法』が「とうきょうの自治」に書評記事として掲載されたことについて、公職研さんのホームページの新着情報でご紹介いただきました。私自身にとっても多くの方々に目を通していただけることは喜ばしく、ご紹介に感謝しています。ありがとうございました。
ちなみに季刊誌の原稿の文体は「である調」で字数の制約もあり、そのまま利用できるものではありません。先にブログ記事をまとめるパターンは、いつも気ままに書き進めるため3000字以上の長文となりがちです。その内容を基本に入稿用の原稿に移す訳ですが、1300字程度に絞るこむ作業には毎回苦労しています。
今回の著書『自治体職員の「自治体政策研究」史』の副題には「松下圭一と多摩の研究会」と掲げられています。著者の小関一史さんは東松山市の職員で、自治体の政策研究に関わる複数の論文を寄稿されている方です。リンク先の著書の紹介文やレビューは次のとおりです。
自治体職員による自治体政策研究活動の先駆けとなった「多摩の研究会」のこれまで明らかにされてこなかった活動史について、散逸する資料の整理と当事者へのインタビューにより纏めた貴重な記録。
この書籍は、自治体職員研修、自主研究活動、自治体政策研究を定義した上で、1970年以降の自主研究活動の変遷をまとめています。また、政治学者である松下圭一が主導した多摩の研究会の活動やさまざまな自治体政策研究活動を紹介した上で、自治体学会の設立までの経緯の一部を明らかにしていている意欲作です。自治体政策研究の歴史を紐解くカギとなる書籍になっています。
小関さんは自治体通信Onlineに自著書評『自治体職員の「自治体政策研究」史~松下圭一と多摩の研究会』を寄稿しています。リンク先のサイトをご覧くだされば、この著書の上梓に至った経緯等が分かります。その中から『「第一次自主研ブーム」の熱意と熱量、突破力』という小見出しを付けた箇所を紹介します。
本書では、当時と現代の「自主研究グループ活動の環境の違い・共通点」のほか、「なぜ、自主研究活動は発生したのか」、「なぜ、地方自治の研究分野が確立されていない時代に、行政学者が自治体職員と連携したのか」、「自主研究グループ活動が学会設立に動き出した場面」、「自主研究活動の阻害要因」などについても注目をしました。
第一次自主研ブームを活動した方々が定年退職を迎える頃、第二次自主研ブーム世代が入庁しました。入れ違いで退職をしていった先輩たちの世代は、まだ自治体が全国的なイベントなどを開かなかった時代の1984年に、全国自主研究交流シンポジウムを中野サンプラザで開催しています。その後も、通信手段が電話と手紙だった時代に全国集会を開催した熱意と熱量、突破力を感じ取っていただけたら、今の自主研活動に新鮮な視座が加わるかもしれません。
本書は、法政大学大学院公共政策研究科へ提出した修士論文を基に、大幅に加筆修正を加えたものです。学術論文にはとっつき難い感があるかもしれませんが、「秘密結社」「コミケ」「よんなな会」や、第一次世代へのインタビューの掲載、関東地方の自主研究グループ活動の火付け役となった、第1回関東自主研サミットの会場の関係など、懐古主義的ではない読みやすい内容になっています。現在(第二次自主研ブーム)と過去(第一次自主研ブーム)を対比して読むことで、今、運営や参加をしている自主研究グループへの想いを深めていただくきっかけになれば幸いです。
この場は字数制限のない私的なブログですので、いろいろ関連した話も参考までに紹介できます。私どもの組合の元委員長で、東京自治研究センターの理事を務められている方が副理事長あてに次のような要旨のメールを送られたことで、今回の著書を次号で取り上げることになっています。
私事ですが、ここで2023年3月に刊行された『自治体職員の「自治体政策研究」史 松下圭一と多摩の研究会』(小関一史著、公人の友社)を読みました。自治体職員の自主研究活動を時系列に沿ってまとめた本ですが、そのなかでも松下圭一にバックアップされた多摩地域の職員の自主研究活動に焦点を合わせています。
松下圭一がこのような活動のバックアップをするようになったきっかけは、1971年に武蔵野市における「日本で初めての市民参加形式の委員会」に委員として参加し、職員の政策能力に着目したからだと記述されています。そして、このような松下圭一の働きかけを真正面から受け止め、「政策法務」という概念を創出したのが天野巡一さんだとも記されています。
巻末には、天野さんと鏡諭さん(東京自治研究センターの介護保険研究会の主査をつとめていただきました)の長文インタビューも収録されています。私が松下圭一の薫陶を受けたと承知していた何人かの方の実名も出てきますし、三鷹市や武蔵野市の職員の方のお名前も多く記載されていますので、武蔵野出身の副理事長であれば私以上に面白く読めるのではないかと、ご紹介するしだいです。
また、2023年3月の刊行ではありますが、多摩地域の自治体職員の政策研究にスポットライトを当てた本なので、「新着資料紹介」で取り上げてもらってもいいかもしれません。よろしければご一読ください。
『自治体職員の「自治体政策研究」史』の中では、自治体職員だった多くの方々が実名で登場します。私の勤務している自治体からも副市長や部長だった方が関わっていたことを知る機会となっていました。地元の多摩地域というつながりからも、私の先輩にあたる理事が推奨されているとおり興味深く読み進められた著書でした。
著書の「はじめに」の書き出しで、1986年5月に「自治体学会」が誕生したことを伝えています。日本で初めて、市民、自治体職員、研究者を会員とする学会の誕生でした。当時、専門家ではない自治体職員を一般会員とする学会の設立は前例のないことでした。
ここまでに至る背景として、1970年代後半に発生し、1980年代に入ってから全国展開した自治体職員による自主研究活動があったことを著者の小関さんは説明しています。その黎明期の自主研究活動を主導したのが政治学者である松下圭一さんでした。
松下さんは1971年に武蔵野市政の市民委員として参加したことを契機に地方自治への関心を高め、自治体職員による自主研究活動を後押ししていくようになっています。著書の中で「自治体職員の政策能力が上がることは、市民生活が豊かになることだ」という松下さんの考え方が紹介されています。
それは「専門家が引き上げるのではなくて、現場の自治体職員がものを考えて発言する人達が増えることが必要だ」という考え方でした。自治体が国の政策の執行機関だった時代は、法令や通達を適確に解釈し、前例を確実に踏襲できる職員が優秀だと見られていました。
前例のない事案が発生した場合は上級官庁に照会し、その指示通りに対応できる能力のみが求められていました。そこには自治体としての政策の視点はありません。1970年代に入ると基礎自治体も、公害や福祉などの地域固有の問題に対応を求められる状況が発生していきます。
このような時、松下さんは自治体職員の人材育成を企図しながら東京三多摩の地で自主研究グループの起ち上げを支援していきます。1977年に市民研究グループ、1980年には通達研究会の発足に関わっています。このような流れが全国各地に広まり、自治体学会の発足につながっています。
松下さんは2015年に亡くなられています。生前、当初からのメンバーに「君たちがきちんと育ってくれたから、自治体学会をつくろうと思ったんだ」と語っていました。活動をともにしたメンバーの成長ぶりを見届けたことで、市町村が自治体学会を運営できることを確信したと伝えています。
自治体学会が発足された同じ年、先端行政研究会を起ち上げています。「自治体は末端ではない。現場を持った最先端である」という問題意識を会の名称に表わしていました。このような多摩の研究会の活動を通し、メンバーの一人である天野順一さんが「政策法務」という言葉と考え方を生み出していきます。
「条例をつくることが目的ではなく、条例は政策展開をはかる手段である」とし、自治体における法的諸問題は、実務経験が豊富で行政法に精通した自治体職員によって、市民の基点に立った判断のもと地域に即応する方法で解決すべきという考え方が多摩の地から全国に広まっていきます。
不思議なことに先駆的で画期的な活動を展開した多摩の研究会をトータルに伝える資料は残されていません。小関さんが「秘密結社」と呼ぶ所以です。小関さんは散逸する資料の整理と当事者へのインタビューを通し、松下さんと多摩の研究会の関わりなどを初めて文献にまとめた方だと言えます。
今回の著書を読み終え、その理由がよく分かりました。確かに多摩の研究会は「独自の秘匿性」を持って活動し、意図して自らの記録を残してこなかったようです。かつて自主研究活動に関わる自治体職員は変わり者というレッテルを貼られていました。
松下さん自身、美濃部都政など革新自治体とのつながりが深かったため、自分自身は表に出ないように努め、自主研究活動に水を差されないよう政治色を排除することに腐心されました。研究会の存在自体を積極的に公表しなかったのは、メンバーが所属先で異端者扱いされることを避ける目的だったと言われています。
さらに松下さんはメンバーに対し、「松下研究会に入っているなどと言うと、出世が遅れるから言うな」と告げ、いつも「職場では偉くなれ。そうすれば自分の考えた政策が実施できるようになるからだ」と話されていたようです。このような松下さんの配慮のもと研究会は秘匿性を原則としながらも様々な功績を残していきます。
著書の中で、介護保険原点の会の取り組みを伝えています。厚生省内の会議室で自治体職員の研究会を開き、厚生省職員がオブザーバーとして参加していました。介護保険制度の創設に向け、自分たちは現場目線の声を直接伝えられ、厚生省側は新鮮な情報を得られるというWIN-WINな関係を作れたことを当時の参加者が誇らしげに語っています。
全体を通し、私たち自治体職員にとって感慨深く、ある意味で懐かしい話が多かったため、いつも以上に長文ブログとなっています。必然的に入稿する原稿の字数内に収めるためには、いつも以上に苦労しそうです。それでも、もう少しだけ書き添えさせていただきます。
小関さんが自著紹介で「現在(第二次自主研ブーム)と過去(第一次自主研ブーム)を対比して読むことで、今、運営や参加をしている自主研究グループへの想いを深めていただくきっかけになれば幸いです」と語っています。
その箇所の小見出しが『「第一次自主研ブーム」の熱意と熱量、突破力』ですので、小関さんは黎明期の自主研究活動に関わったメンバーの熱意や熱量の際立ちぶりを高く評価されているはずです。現在のメンバーの不充分さを対比するというよりも、異端者扱いされがちだった頃に強い覚悟で関わった方々との時代背景の違いを小関さんは感じ取っているのだろうと思っています。
加えて、著書の中で「1970年代は自治体にとって、まだまだイケイケの時代だったから、予算も大きくなって新たな政策づくりをしやすい時代だった」とし、現在は「今あるものをいかにスクラップしていくかが政策になる」という時代背景の違いも指摘されていました。
多摩の研究会が活動を開始した1977年当時に比べ、法制度上での地方分権が進み、自治体政策研究の内容は変化し、その研究手段も多様化しています。このような変化を踏まえながら、小関さんは終章の最後に次のような言葉を書き添えています。その言葉を紹介し、このブログも締めさせていただきます。
自己啓発は人材育成の基本であることを考えると、その意欲を阻害する要素を組織から排除し、活動を支援する体制が必要であることは、今も昔も変わらないものである。
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