2017年3月19日 (日)

再び、言葉の重さ

前回の記事は「森友学園の問題から思うこと」でした。安倍首相が100万円寄付したという話が浮上し、今週木曜日には籠池理事長の衆参予算委員会での証人喚問が一気に決まりました。大きな問題があるのか、ないのか、誰が真実を語っているのかどうか、事実関係が少しでも明らかになることを期待しています。その上で興味深いサイト『森友問題を最初に追及 木村真市議が語った「疑惑の端緒」』を目にしましたので、参考までに紹介させていただきます。

さて、 これまで「言葉の重さ、雑談放談」「改めて言葉の重さ」「改めて言葉の重さ Part2」という記事を投稿しています。今回、安直に「再び」をタイトルに付け、改めて言葉の重さについて考えてみることにしました。当たり前なことですが、特にインターネットを介した会話は文字のみ、つまり言葉のみで行なわなければなりません。そのため、コメント投稿に際した「お願い」をはじめ、言葉の使い方の難しさや大切さに関して、たびたび記事本文を通して掘り下げてきました。

まず言葉の使い方一つで他者に与える印象が大きく変わっていきます。その言葉から発信者の本音や資質が明らかになります。伝えたい真意がそのまま他者に正しく伝わり、目的が達成していくのであれば何ら問題ありません。真意がうまく伝わらない、誤解されてしまった、思いがけない批判に繋がってしまった、このような結果を及ぼすようであれば言葉の使い方を誤ったことになります。

何気ない一言で他者を深く傷付ける場合もあり、後から訂正や謝罪しても簡単に取り返しのつかないケースもあろうかと思います。発信者の立場やTPOによって、ますます言葉一つの重みが増してくるため、できる限り言葉の使い方や選び方には慎重になるべきものと考えています。誰もがうっかりする時があり、いつも完璧に振る舞える訳ではありません。それでも自分自身の発する言葉が他者からどのように受けとめられるのかどうか、想像力を働かせていく心構えだけは持ち続けられるのではないでしょうか。

生活保護の申請に訪れた妊娠中のフィリピン国籍の40代女性に対し、千葉県市原市の福祉担当職員が「産むの?」と問いただしていたことが分かった。女性は中絶を求められたと受け取ったという。同市は不快感を与えたとして、女性に謝罪した。労働問題に取り組むNPO法人「POSSE」が8日、記者会見して明らかにした。それによると、女性は今年1月に市原市の生活保護申請の窓口を訪問。その際に、職員から「自分の国(フィリピン)で中絶はやっていないの?」と問われた。女性が「子どもをおろせって言うんですか」と質問すると、職員は「そこまで言わない」と答えたという。申請は受理されず、その後にNPO職員が同行すると認められたという。市原市生活福祉課の担当者は、朝日新聞の取材に「状況確認のための質問だったが誤解があった。再発防止に努める」と話した。【朝日新聞2017年3月8日

このニュースを受け、私どもの市の場合はどのように対応しているのかケースワーカーの一人に尋ねてみました。すると保護費の額を決める関係上、産むのかどうかは確認しなければならないとのことでした。それはその通りだろうと思いながらも、念のため「その際は出産することを前提に言葉を選び、中絶を強要するように受け取られないことが必要だよね」と一言申し添えていました。例えば「出産予定日はいつですか?」と問いかければ中絶を考えているのかどうかは分かるはずです。

上記報道の場合で「自分の国(フィリピン)で中絶はやっていないの?」という質問は、まったく余計な一言です。誤解ではなく、生活保護を受けるのであれば出産は認めないという底意が表われてしまったと言われても仕方のない言葉でした。少し前には小田原市のケースワーカーのジャンパーに「保護なめんな」と書かれていたことが大きな問題になりました。「不正受給は許さない」という趣旨の言葉だけであれば、特段大きな問題にならなかったものと考えています。

例えば税金の収納現場では「滞納STOP」というスローガンを書いたジャンパーなどが作られる時も珍しくありません。小田原市の場合は「なめんな」という言葉も不適切さだったかも知れませんが、生活保護受給者全体に発しているようなスローガンだったため、より深刻な問題として注目を集めてしまいました。それぞれ様々な事情があり、生活が困窮し、定められた手続きを経て生活保護の受給に至っています。その中には明らかな不正受給者も紛れているのかも知れません。

しかしながら「生活保護は金額ベースで99.5%以上は適正に執行されており、ごくまれにしかないものをクローズアップして日常業務にあたること自体が、すべての受給者に不信の目を向けさせる」という指摘があるとおり生活保護受給者全体をネガティブなイメージでとらえるような言葉は、生活保護を担当する部署の職員であれば使って欲しくなかったものと思っています。いずれにしても「ナマポ」という言葉なども目にしますが、生活保護受給者全体を蔑むような意識や態度は問題視しなければなりません。

仮に生活保護受給者が盗難の容疑で逮捕され、そこに経済的な困窮という理由があったとしても「生保受給者だから」という短絡的な批判は避けるべきことです。「生保受給者だから犯罪者になりがち」という属性批判は問題であり、同様に特定の国の人間は「犯罪者やテロリストが多い」という見方は差別的な意識に偏ったものだと言えます。外国人や日本人を問わず罪を犯す者がいるだけで「〇〇国人だから」という属性批判は戒めなければなりません。

このような属性批判やレッテル貼りは、いわゆる左や右の立場に関わらず慎むべきものと考えています。沖縄で反基地運動に取り組む方々の中に外国人が含まれているから「〇〇国のための工作活動」、一部で過激な言動が見受けられるから「プロ市民や過激派による反対活動」というように運動全体にレッテルを貼り、「テロリストみたい」と胡散臭さを強調するような言葉は極めて不適切なものです。このあたりは以前の記事「沖縄で起きていること」の中で個人的な問題意識を綴っていました。

一方で、反基地運動を忌み嫌い、安倍首相を信奉されるような方々を一括りに「ネトウヨ」と決め付け、反知性主義者だと批判することも避けなければなりません。そもそも左や右の立場に関わらず反知性主義者や問題を起こす人物は存在するはずです。やはり属性で決め付けず、何が正しいのか、どの選択肢が正しいのか、色眼鏡を外して物事を見ていくことが必要です。前回記事にはnagiさんから「宮古島の市議が自衛隊を完全に愚弄する投稿をしてましたが、内容は完全なレッテル貼りでしかない」というコメントが寄せられていました。

沖縄県の宮古島市議が自身のフェイスブックに「自衛隊員が来ると島で婦女暴行事件が起きる」などと投稿し、炎上。「自衛隊全体を批判しているわけではない」と再度投稿し、謝罪したものの「戦争のための軍隊という仕組みに対して(批判した)」との部分に再び批判が殺到、市議は2つの投稿を削除した。この市議は石嶺香織市議(36)。9日に1度目の投稿がされた。内容は「海兵隊からこのような訓練を受けた陸上自衛隊が宮古島に来たら、米軍が来なくても絶対に婦女暴行事件が起こる。軍隊とはそういうもの。沖縄本島で起こった数々の事件がそれを証明している」というもの。

石嶺市議は「宮古島に来る自衛隊は今までの自衛隊ではない。米軍の海兵隊から訓練を受けた自衛隊なのだ」として、陸上自衛隊がカリフォルニアでの演習に参加した際の写真を添付。さらに「私の娘を危険な目にあわせたくない。宮古島に暮らす女性たち、女の子たちも」と結んだ。これに対し、「思想信条は自由だが、自衛官を強姦魔扱いは許されない」などと批判が殺到、辞任を求める声まで上がった。石嶺市議は10日までに「3月9日夕方の投稿について」と題し、再度、釈明する文を掲載した。

「自衛隊全体を批判しているわけでも、個人を批判しているわけでもありません。私が批判しているのは、自衛隊員個々の人格に対してではなく、戦争のための軍隊という仕組みに対してです」「現在の自衛隊という組織が米軍と一体化して、専守防衛の枠を外れつつあることに強い危機感を持っています。海兵隊は人を殺すことに対して感情を殺すように訓練されています」などとして、「海兵隊に訓練を受けた陸上自衛隊が今後、米海兵隊と同質のものになる可能性があります」などと投稿した。この投稿に再び批判が殺到し、石嶺市議は2つの投稿を削除した。

石嶺市議のブログなどによると、昭和55年、福岡県生まれ。大阪外語大を中退し、大阪の障害者施設に4年間勤務。平成20年、宮古上布を学ぶため宮古島に移住。陸上自衛隊配備反対と、地下水を守ることを公約に、今年1月の市議補選で初当選したばかり。【産経新聞2017年3月12日

今回記事の主題を「言葉の大切さ」としたのは上記の事例を取り上げようと考えたからです。結論から言えば石嶺市議の「自衛隊員が婦女暴行事件を起こす」という決め付けた言葉は論外です。海兵隊が戦場で躊躇わずに人を殺せる訓練を行なっていることはその通りなのかも知れません。しかし、だからと言って海兵隊員や一緒に訓練した自衛隊員が強姦を犯しやすくなるという見方は属性批判に繋がる容認できない発言です。

石嶺市議は本気で心配し、正直な気持ちをフェイスブックに掲げたのでしょうが、市議会議員という公的な立場であれば、その言葉の重さを強く意識しなければならなかったはずです。後から「私が批判しているのは、自衛隊員個々の人格に対してではなく、戦争のための軍隊という仕組みに対してです」と釈明しても、最初に発した言葉が極めて不適切だったため、説得力に欠けてしまいます。最初の言葉に対し、他者からどのように受けとめられるのかどうか想像力が乏しかったと言わざるを得ません。

最後に、先週金曜日の夜は人員の課題での労使交渉の決着期限でした。今年も徹夜となり、土曜日の朝、午前6時前に最終合意の団体交渉に至っていました。その夜の交渉の中で、ある組合役員が「嘱託や臨時職員では個人情報が守れない」という言葉で反論する場面がありました。交渉の終わり際、その言葉に対し、私から「非常勤職員では個人情報を漏らしがちになるという意味ではなく、対象業務を担うための職責や役割について訴えた言葉」という説明を加えていました。市当局側に属性批判という誤解は与えていなかったようですが、個人情報を悪用するような不届き者は場合によって正規や非正規問わず現われるものと危惧しています。

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