2019年8月18日 (日)

平和の築き方、それぞれの思い  Part2

74回目の終戦の日を迎えた木曜日、私どもの市庁舎でも正午に黙祷を捧げました。先の大戦での戦没者を悼み、二度と戦争の惨禍を繰り返さないことを誓う節目の日でした。毎年、8月に入ると戦争について取り上げるメディアが増えています。特に今年は後ほど紹介しますが、NHKスペシャルが貴重な資料をもとにした番組制作に力を注いでいました。

戦争を体験された方が少なくなる中、この時期だけでもメディアが力を注ぐことは意義深いものと受けとめています。このブログでも戦争や平和を顧みる機会とし、先週は「平和の築き方、それぞれの思い」という記事を綴っていました。今週も「Part2」を付け、平和への思いを託した内容の投稿を続けてみます。

まず前回記事に対し、yamamotoさん、おこさんからコメントがあり、少し補足していました。さらに今回の記事でも、一人ひとり「それぞれの思い」がある中、平和の築き方について私自身の思いを補足させていただきます。戦争は起こしたくない、総論として誰もが願うことです。一方で、各論となる具体的な安全保障に対する考え方は個々人によって差異が生じがちです。

憲法9条の解釈も完全に統一されていない現状を認めなければなりません。しかし、個別的自衛権まで認めた解釈までを合憲とする立場が主流だったはずであり、そのような立場を私自身は支持しています。その上で攻撃された場合は反撃するという抑止力の必要性を認めています。集団的自衛権の行使は国際法上問題ないため、国際社会の中で日本国憲法9条は異質だと言えます。

このような「異質さ」や「特別さ」には効用があり、私たち日本人にとって価値ある国の姿だったはずです。そのため、従来の憲法解釈を変更した安全保障関連法の成立を問題視しています。今後、改憲論議を深めるのであれば憲法9条の「特別さ」を重視するのか、国際標準の「普通の国」をめざすのかどうかという明確な論点を示して欲しいものと願っています。

このような端的な説明では言葉が不足しているかも知れません。詳しい説明としては以前の記事「平和の話、インデックスⅢ」「平和の話、サマリー」「平和の話、サマリー Part2」などをご覧いただければ誠に幸いです。また、一昨年夏の「平和への思い、自分史」という記事の中では次のような記述を残していました。

知り得た戦争の悲惨さを部員や組合員に伝える、このような広げ方が平和を築くための運動だと考えていました。青婦部を卒業してからも、しばらくは平和をアピールすることや軍事基地に反対することが大事な行動だろうと認識していました。もちろん多くの人が戦争の悲惨さや実相を知り、絶対起こしてはならないという思いを強めていくことは重要です。しかし、そのような思いだけでは決して戦争を抑止できないことを痛感するようになっています。

誰もが「戦争は起こしたくない」という思いがある中、平和を維持するために武力による抑止力や均衡がどうあるべきなのか、手法や具体策に対する評価の違いという関係性を認識するようになっています。安倍首相も決して戦争を肯定的にとらえている訳ではなく、どうしたら戦争を防げるのかという視点や立場から安保法制等を判断しているという見方を持てるようになっています。

その上で、安倍首相らの判断が正しいのかどうかという思考に重きを置くようになっています。そして、自分自身の「答え」が正しいと確信できるのであれば、その「答え」からかけ離れた考え方や立場の方々にも届くような言葉や伝え方が重要だと認識するようになっていました。そのため、このブログでは「答え」の正しさを押し付けるような書き方を避けながら、多様な考え方や情報を提供するように努めています。

今回の記事も多様な情報を提供する機会として、私自身が視聴したテレビ番組や最近読み終えた書籍の内容を紹介させていただきます。先ほど今年のNHKスペシャルのことに触れました。特に関心を持った2点の番組を録画しています。どのような内容だったのかはNHKのサイトでの番組紹介を掲げさせていただきます。1点目は『かくて“自由”は死せり ~ある新聞と戦争への道~』です。

なぜ日本人は、戦争への道を歩むことを選択したのか。これまで"空白"だった道程を浮かび上がらせる第一級の史料を入手した。治安維持法制定時の司法大臣・小川平吉が創刊した戦前最大の右派メディア「日本新聞」である。1925~35年に発行された約3千日分が今回発見された。発刊当時、言論界は大正デモクラシーの全盛期。マイナーな存在だった"国家主義者"は、「日本新聞」を舞台に「デモクラシー=自由主義」への攻撃を開始する。

同志の名簿には、後に総理大臣となる近衛文麿、右翼の源流と言われる頭山満などの実力者が名を連ねていた。国内に共産主義の思想が広まることを恐れた人たちが、日本新聞を支持したのである。さらに取材を重ねると、日本新聞は地方の読者に直接働きかける運動を展開していたことも明らかになってきた。そして、ロンドン海軍軍縮条約、天皇機関説排撃など、日本新聞が重視した事件がことごとく、社会から自由を失わせ軍の台頭を招く契機となっていく。知られざる日本新聞10年の活動をたどり、昭和の"裏面史"を浮かび上がらせる。

上記番組が報道された直後、BLOGOSに『欠陥NHKスペシャル放送される』という見出しが付けられた記事を目にし、自民党の和田正宗参院議員が強く批判していることを知りました。同じ時期のBLOGOSで、漫画家の小林よしのりさんの 『NHKスペシャル「日本新聞」のこと』というタイトルのブログも掲げられていました。

日本が大正デモクラシーで自由の空気を謳歌していた時代から、たった10年余りで一気に軍国主義に傾斜していったのは、「日本新聞」という国粋主義のメディアが重要な役割りを果たしたらしい、このように小林さんは記し、貴重な番組だったと評価しています。同じ番組を見ていながら人によって評価が大きく分かれることは珍しくありません。

特に今年夏のNHKスペシャルは賛否両論があることを覚悟した上、かなり踏み込んだ題材に切り込んでいるものと思っています。土曜の夜に放映された『昭和天皇は何を語ったのか ~初公開・秘録「拝謁記」~ 』は、そのような思いを際立たせた内容だったと言えます。「日本新聞」の時よりも視聴者一人ひとり、評価や感じることが大きく分かれたのではないでしょうか。

日本の占領期の第一級史料が発見された。初代宮内庁長官として昭和天皇のそばにあった田島道治の『拝謁記』である。1949(昭和24)年から4年10か月の記録には、昭和天皇の言動が、田島との対話形式で克明に記されていた。敗戦の道義的責任を感じていた昭和天皇は、当初「情勢ガ許セバ退位トカ譲位トカイフコトモ考ヘラルヽ」としていた。

さらに、1952年の独立記念式典の「おことば」で戦争への反省に言及しようとする。しかし、吉田茂首相からの要望で、最終的に敗戦への言及は削除されていく。その詳細な経緯が初めて明らかになった。番組では、昭和天皇と田島長官の対話を忠実に再現。戦争への悔恨、そして、新時代の日本への思い。昭和天皇が、戦争の時代を踏まえて象徴としてどのような一歩を踏み出そうとしたのか見つめる。

過去は変えられません。しかし、過去や歴史を振り返り、反省すべき点があれば率直に反省し、教訓化していかなければ同じ過ちを繰り返しかねません。今回のNHKスペシャルの内容のみで、日本が戦争の道に突入した背景などを短絡的に語ることは慎まなければなりません。しかし、その時々の国民の思いが世論を形成し、その世論に政治が縛られる場合もあり、軍部の独走を許す素地につながっていたことを考えさせられます。

そして、神格化された最高権力者だったとしても、時代の大きな流れに抗え切れなかったという史実に思いを巡らしています。また、戦争は避けたいという思いだけで戦争を回避できない理由として、冷徹な国際情勢があることも留意しなければなりません。それでも国民一人ひとりの思いが「戦争も辞さず」に傾くのか、為政者が国民の熱狂に左右されずに譲歩することも想定した外交交渉を重視していくのか、たいへん重要な立場性だと考えています。

現在の日本の為政者としてのトップリーダーは安倍首相です。最近、『安倍三代』という書籍を読み終えています。書籍を宣伝するサイトには「母方の祖父・岸信介を慕う安倍晋三首相には、もう一つの系譜がある。反戦の政治家として軍部と闘った父方の祖父・寛、その跡を継ぎ若くして政治の道に入った父・晋太郎だ。彼らの足跡から3代目の空虚さを照らすアエラ連載に大幅加筆」と記されています。なかなか興味深い事実関係に触れることができた書籍でした。

安倍首相の資質を批判する内容が目立ちますが、山口県での現地取材や史料をもとにした青木理さんのルポルタージュです。読者からの評価は分かれ、「なるほど安倍晋三の人生は凡庸なのかもしれない。しかし、なぜ、凡庸な男が、これほど権力を維持し続けられるのか。この二つの間にあるギャップは一体何なのか」という声に首肯しています。最後に、多様な情報を提供する機会として『週刊文春』に掲載された「祖父・寛や父・晋太郎にあって、安倍晋三にはないもの」という見出しが付けられた書評を紹介させていただきます。

あらゆる人物評伝は、史料や証言者の声が積もり、ページをめくればめくるほど濃厚になるものだが、本書は例外。残り3分の1、安倍晋三の軌跡を追い始めた途端、万事が薄味になる。彼について問われた誰しもが、語るべきことがあったろうか、と当惑する。晋三が通った成蹊大学名誉教授・加藤節は、彼を「二つの意味で『ムチ』だ」と評する。

「無知」と「無恥」。「芦部信喜さんという憲法学者、ご存知ですか?」と問われ、「私は憲法学の権威ではございませんので、存じ上げておりません」と答弁した彼を「無知であることをまったく恥じていない」と嘆く。手元の原稿に記された「訂正云々」を力強く「訂正でんでん」と読む宰相は無知を改めない。

憲法改正を悲願とする彼は、母方の祖父・岸信介への傾倒を頻繁に語るが、なぜかもう一方の父方の祖父・寛について語らない。反戦の政治家として軍部と闘い、貧者救済を訴えた寛。「戦争とファッショの泥沼」の中で立候補した“選挙マニフェスト"には「富の偏在は国家の危機を招く」とある。それはまるで「アベノミクスの果実を隅々まで……」と緩慢なスローガンを反復する孫に警鐘を鳴らすかのよう。平和憲法を擁護し、リベラルな姿勢を貫いた晋太郎は、その父・寛を終生誇りにした。

晋三いわく「公人ではなく私人」の昭恵夫人が、本書の取材に応じている。寛にも晋太郎にもあった気概や努力が晋三に感じられないのはなぜか、との不躾な問いに「天のはかりで、使命を負っているというか、天命であるとしか言えない」と述べる。呆然とする。安倍家の対岸に住まう古老、“政略入社"した神戸製鋼時代の上司、安倍家の菩提寺である長安寺の住職等々が、晋三をおぼろに語る。彼の存在感を力強く語れる人が、どこからも出てこないのだ。

政界を引退した、かつての自民党の古参議員・古賀誠に語らせれば「ツクシの坊やみたいにスーッと伸びていく」ような世襲議員が、現政権では閣僚の半分を占めている。「ツクシの坊や」のために変更された自民党総裁任期延長に異を唱える党内の声は極端に少なかった。支持する理由のトップが常に「他より良さそう」であっても、自由気ままな政権運営が続いていく。

「私の国際政治学(の授業)をちゃんと聞いていたのかな」と恩師を涙ぐませてしまう宰相は、その薄味と反比例するように、国の定規を強引に転換させている。周囲に募る虚無感と本人が投じる強権とが合致しない。その乖離に誰より彼自身が無頓着なのが末恐ろしい。 《評者:武田 砂鉄(週刊文春 2017.3.23号掲載)》

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