2017年12月 9日 (土)

平和への思い、2017年冬

2週続けて「査定昇給を巡る労使協議」「時間外勤務縮減の課題」という私どもの組合の職場課題を題材にしたローカルな内容のブログ記事を投稿していました。もう1週、労使交渉に関連した記事内容で続けることも考えていました。ただ様々な意味で、今回は平和を題材にした内容とすべきタイミングだろうと考え直し、「平和への思い、2017年冬」という記事タイトルを付けて書き進めることにしています。

組合活動の大半は職場課題の解決に向け、携わる時間や労力を費やしています。そのような中で各種団体が催す平和を願う集会などに対し、組合ニュースを通しての宣伝や役員を中心にした当日の参加など、できる限りの取り組みに努めています。したがって、私自身も日程さえ合えば、それらの集会に極力参加するようにしています。

先週土曜夜は地元の「市民連合のつどい」があり、作家・美術評論家の窪島誠一郎さんとSEALDsで有名な市民運動家の菱山南帆子さんのお話を伺う機会を得ていました。木曜夜は「不戦を誓う三多摩集会」に参加し、映画『日本と原発』の河合弘之監督の最新作『日本と再生 光と風のギガワット作戦』を鑑賞できました。

原発でも化石燃料でもない自然エネルギーの可能性を伝える映画でした。1941年12月8日、太平洋戦争に突入した日です。毎年、12月8日前後に三多摩平和運動センターは「不戦を誓う集会」を催し、今年で37回目となっていました。最初、不戦を誓うことと自然エネルギーを推奨する映画が直結しない違和感を抱いていました。

ただ自然エネルギーが主力になれば国の規模を問わずエネルギー問題は自国内で解決できるようになります。これまで石油資源等を巡って戦争や紛争が起きがちであり、自然エネルギーの普及は戦争の火種をなくしていくという利点があることを映画の中で伝えていました。「なるほど」と思い、翌朝、司会を務めた私どもの組合の副委員長と話したところ主催者側としては純粋に素晴らしい映画だから取り上げていたとのことです。

確かに太陽光、風力、地熱などで発電している世界各地の風景が映し出され、実用面においても経済的にも自然エネルギーが重視され始めている現状を分かりやすく伝えてくれた映画でした。福島第一原発の重大事故を経験しながら自然エネルギー主体に舵を切れていない日本が世界の趨勢から取り残されている構図を浮き彫りにしています。もっと詳しくお伝えしたいところですが、今回の主題は「平和への思い」です。

「不戦を誓う集会」などに参加し、いくつか気になることがあります。まず憲法9条を変えさせない、憲法9条を守ることが平和を守ることであり、不戦の誓いであるという言葉や論調の多さが気になっています。北朝鮮の動きをはじめ、国際情勢に不安定要素があるけれど、憲法9条を守ることが必要、このような説明の少なさが気になっています。問題意識を共有化している参加者が圧倒多数を占めるため、そのような回りくどい説明は不要で単刀直入な言葉を訴えることで思いは通じ合えるのだろうと見ています。

しかし、その会場に足を運ばない、問題意識を共有化していない人たちにも届く言葉として「憲法9条を守る」だけでは不充分だろうと考えています。以前の記事「平和への思い、自分史 Part2」の中で綴った問題意識ですが、誰もが「戦争は起こしたくない」という思いがある中、平和を維持するために武力による抑止力や均衡がどうあるべきなのか、手法や具体策に対する評価の違いという関係性を認識するようになっています。

つまり安倍首相も決して戦争を肯定的にとらえている訳ではなく、どうしたら戦争を防げるのかという視点や立場から安保法制等を判断しているという見方を持てるようになっています。その上で、安倍首相らの判断が正しいのかどうかという思考に重きを置くようになっています。特に安倍首相の考え方や判断を支持されている多くの方々を意識するのであれば、安倍首相「批判ありき」の論調は控えるべきものと心がけています。

そして、自分自身の「答え」が正しいと確信できるのであれば、その「答え」からかけ離れた考え方や立場の方々にも届くような言葉や伝え方が重要だと認識するようになっています。このような点を意識し、乗り越える努力を尽くさなければ平和運動の広がりや発展は難しいように感じています。戦争に反対する勢力、戦争を肯定する勢力、単純な2項対立の構図ではとらえず、「いかに戦争を防ぐか」という具体策を提示しながら発信力を高めていくことが求められているはずです。

このような問題意識を数多くの記事を通して綴ってきています。改めて端的な言葉で語れば、守るべきものは日本国憲法の平和主義であり、個別的自衛権しか認めないという「特別さ」です。この「特別さ」を維持することで「平和主義の効用」があり、「広義の国防、安心供与の専守防衛」につながっているものと考えています。詳しい説明はリンク先の記事をご覧いただければ幸いですが、憲法9条の条文を一字一句変えなければ日本の平和は維持できるという発想ではありません。

少しだけ具体的な事例を示してみます。「何が正しいのか、どの選択肢が正しいのか」という記事の中で掲げた事例です。かつて仮想敵国としたソ連、現在のロシアとは友好的な関係を築きつつあります。冷戦が終わったからという見方もありますが、北方領土の問題は無人島である尖閣諸島とは比べられないほどの主権や元島民の皆さんの強い思いがありながらも、対話を土台にした外交関係を築いています。

核兵器の保有で言えばロシア、中国、NPT(核拡散防止条約)未加盟のインドとも対話することができています。対話できる関係、つまり今のところ敵対関係ではないため、核兵器による切迫した脅威を感じるようなことがありません。このような対話をできる関係を築くことがお互いの「安心供与」であり、「広義の国防」につがっていると言えます。念のため、だから北朝鮮の核兵器保有も容認すべきと訴えている訳ではありません。

そのあたりは「再び、北朝鮮情勢から思うこと Part2」の中で詳述していますが、圧力だけ強めていけば戦争を誘発するリスクは高まっていきます。そのようなリスクは最優先で排除すべきものであり、ミサイルを実戦使用させないためには効果的な圧力と対話の模索が欠かせないはずです。このような問題意識を強めているため、『米国務長官提案の「国連軍対話」に日本は拒否 対北圧力に「有害無益だ」』という報道に接すると本当に残念で悲しくなります。

「特別さ」を誇るべき平和憲法を持つ日本こそ、率先して平和的な外交努力での解決に汗をかくべき立場に徹するよう願っています。しかしながら安倍首相は安全保障を強い言葉で語ることが目立ち、「安心供与」とは真逆な標的になるリスクを高めているように危惧しています。ちなみに今回の記事のタイミングに「平和への思い」を選んだ大きな理由は、トランプ大統領がエルサレムをイスラエルの「首都」に認定したという報道に接したからです。この問題の論点はリンク先のサイト『エルサレム「首都認定」』に詳しく掲げられています。

よりいっそう中東情勢を緊迫化させ、テロや戦争の火種を投下したと言えるトランプ大統領の判断だったと批判しなければなりません。各国首脳が即座に非難する声明を出していながら、日本は河野外相が「評価」と「懸念」を表明しています。国際社会の中で、特に中東地域で定着していたはずの平和国家という日本のブランドイメージが、ますます失墜していくような歯切れの悪さです。最後に、言葉は激しいかも知れませんが、事実関係の紹介として下記の記事も紹介させていただきます。

トランプ米大統領がエルサレムをイスラエルの「首都」と認定し、世界中に衝撃が走っている問題。「深刻な懸念」(EUのモゲリーニ外交安全保障上級代表)、「決定は遺憾」(仏のマクロン大統領)、「支持しない」(独のメルケル首相)、「同意できない」(英のメイ首相)など、首脳らが次々と批判の声を上げている中、ひたすらダンマリを決め込んでいるのが日本の安倍首相だ。

安倍首相は北朝鮮が11月29日に新型ICBMを発射した際、すぐに抗議声明を発表。〈国連安保理決議の完全な履行等を全ての国連加盟国に強く働きかけてまいります〉〈今月(12月)、我が国は安保理議長国に就任し、15日には北朝鮮問題に関する安保理閣僚級会合を主催します。このような行動を通じて、国際社会の取り組みを主導するとともに、我が国独自の措置の実施を徹底してまいります〉などと強気の姿勢を示していた。ところが今回はどうだ。

国連は、1980年の安保理決議(478)で、〈エルサレムの状況を変えるすべての行政的・法的措置は無効〉〈全ての国連加盟国に対し、エルサレムに大使館等外交使節を設置してはならない〉との内容を採択している。言うまでもなく、トランプの首都認定は明確な安保理決議違反だ。北のミサイル発射の時と同様、すぐに「国連安保理決議の完全な履行等を全ての国連加盟国に強く働きかけてまいります」「国際社会の取り組みを主導するとともに、米国に対して我が国独自の措置の実施を徹底してまいります」と発信するべきだ。

しかも、日本は安保理議長国ではないか。確か安倍首相の安全保障の基本理念は〈国際協調主義に基づく積極的平和主義〉だったはずだが、米国だけは例外ということなのか。デタラメ過ぎるのもホドがあるだろう。米国と一緒に日本がアラブ諸国から総スカンを食らうのは時間の問題。安倍首相が首相である限り、戦争に引きずり込まれる可能性は高まるばかりだ。【日刊ゲンダイ2017年12月9日

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