2018年2月17日 (土)

『八月十五日に吹く風』から思うこと

前々回記事「自治労の4つの目的」のコメント欄で、nagiさんから『「二日市保養所」の悲劇を語り継げ~引揚げ女性への性暴行と中絶』という記事を掲げたサイトをご紹介いただきました。その際、「私も近年まで知らなかったのですが、歴史に悲劇を埋めることなく、癒されることをねがっています。これも日本の戦争責任のひとつですね」という一言も添えられていました。

二日市保養所では戦後、満州などからの引揚げの過程で、ソ連兵らから性暴行を受け妊娠した日本人女性400~500人の中絶手術が行われた。京城帝大医学部の医師や看護婦等の人道的な措置だった。それは1977年になって、RKB毎日放送がドキュメンタリー「水子のうた」を制作し、放送した。ところが、その後、福岡地区で散発的に新聞やテレビ報道がなされることはあっても、全国的な関心事にはならなかった。

上記はその記事内容の一部です。戦争がもたらした悲劇の一つですが、あまり注目を浴びることのない史実だったため、nagiさんが興味深い記事としてご紹介くださったようです。このコメントに対し、私からは「第2次世界大戦において、まだまだ知らなかった、あまり知られることのない史実が数多くあるようです。このブログを通し、機会を見ながらそのような史実について触れていければと考えています」とお答えしていました。

その時、念頭にあったのは松岡圭祐さんの著書『八月十五日に吹く風』でした。最近のブログ記事「憲法を生かす全国統一署名」の冒頭で『ヒトラーの試写室』を紹介していましたが、その書籍の著者も松岡さんでした。『ヒトラーの試写室』は「この小説は史実から発想された」という前置きでしたが、『八月十五日に吹く風』は「この小説は史実に基づく 登場人物は全員実在する(一部仮名を含む)」という説明が加えられています。

したがって、『八月十五日に吹く風』に描かれている主要な出来事は史実だった訳ですが、私自身、この小説を手に取るまで知らなかった話でした。そのような折り、nagiさんから二日市保養所のことをご紹介いただき、「まだまだ知らなかった、あまり知られることのない史実が数多くあるようです」という感想につながっていました。リンクをはったAmazonのサイトに掲げられている書籍の内容紹介は次のとおりです。

多忙の外務省担当官に上司から渡された太平洋戦争時のアメリカの公文書。そこには、命を軽視し玉砕に向かうという野蛮な日本人観を変え、戦後の占領政策を変える鍵となった報告の存在が示されていた。1943年、北の最果て・キスカ島に残された軍人5千人の救出劇を知力・軍力を結集して決行した日本軍将兵と、日本人の英知を身で知った米軍諜報員。不可能と思われた大規模撤退作戦を圧倒的筆致で描く感動の物語。

アメリカが敵視した、人命を軽んじ易々と玉砕するという野蛮な日本人観が、一人の米軍諜報部員の報告で覆った。戦後占領政策転換の決め手となった1943年、北の最果てキスカ島での救出劇。日本は人道を貫き5千人の兵員を助けた。戦史に残る大規模撤退作戦を、日米双方の視点で描く感動の物語。

キスカ島の救出作戦を改めてネットで検索してみたところ三船敏郎主演の『太平洋奇跡の作戦 キスカ』という映画があったことも知りました。そのリンク先のサイトには「日本の戦争映画には珍しく負け戦ではなく、さらには死傷者の出ない撤退作戦ということもあって、後味もどこか爽快という、稀有な傑作でもある」というレビューが添えられています。

それほど伏せられていた話ではないのにも関わらず、私自身は知らなかった史実、キスカ島からの日本兵5千人の救出作戦だったことになります。キスカ島はアラスカの西側に位置するアリューシャン列島の中の一つの島です。アメリカの領土であるキスカ島を日本軍が占領し、鳴神島と名付けていました。キスカ島の西隣のアッツ島も同じように日本軍が占領し、熱田島と呼んでいました。

まずアメリカ軍は1943年5月にアッツ島を奪還し、日本軍側の兵士は全員玉砕しました。アメリカ軍の次の攻撃目標はキスカ島であり、取り残された日本軍5千人を救助するため、陸軍の樋口中将、海軍の河瀬中将と救助艦隊司令官を務めた木村少将らが人命を重視しながら知略を絞り、奮闘されました。それぞれ実在された方々で、実話をもとに描かれた小説です。

Amazonのカスタマレビューでは「この作品を世界中の全ての人に読んでいただきたいと思いました」「全ての日本人が読むべき。自分の子供たちにも読ませたいです」と絶賛した声が並び、本当に一読の価値のある書籍です。ぜひ、機会があれば手に取ってご覧になってください。このブログでは全体を通した内容の紹介や感想を述べるつもりはなく、「日本人の英知を身で知った米軍諜報員」の報告が「戦後占領政策転換の決め手となった」という史実に注目しながら思うことを書き進めてみます。

ちなみに書籍のタイトル『八月十五日に吹く風』の「8月15日」は終戦の年のものに加え、もう一つ、その2年前の出来事も指し示しています。もう一つの「8月15日」は、1943年、日本軍全員が撤退した後、アメリカ軍がキスカ島に上陸した日のことです。上陸したアメリカ軍は日本兵の「玉砕」を目的にしたバンザイ攻撃の影におびえ、濃霧の中で同士討ちを繰り広げ、負傷者31人、死者25人もの犠牲者を出していました。

日本語通訳官だった米軍諜報部員であるロナルド・リーンは、そのキスカ島での顛末を間近に見聞していました。ロナルド・リーンは仮名で、実在した人物は日本文学研究者のドナルド・キーンさんであるようです。この場では小説で使われている仮名のまま書き進めます。1945年8月15日、リーンはグアム島にある米軍基地に赴任していました。玉音放送が流れた後、リーンは海軍司令部の執務室に呼び出されました。

当時、アメリカ人は「日本人が生命を尊重する、そんなことはありえない」と誰もが信じていました。日本では主婦や子どものような非戦闘員が、刺し違える覚悟で上陸部隊に襲いかかる、そのような予想がもっともらしく新聞記事になっていたそうです。このような極端な偏見が無差別な空襲に対する抵抗感をなくし、原爆の投下まで至らせたとリーンは考えていました。

キスカ島の救出作戦を知っているリーンは、日本の占領政策に大きな影響を及ぼす海軍司令部のメンバーを前にして「日本人を理解不能な野蛮人と見なす先入観」を払拭しなければと思いながら説明を加えていきます。マッカーサ元帥への伝言として「日本国民が人命について、私たちと同様に重く考えているとお伝えください。犠牲を払い、無理を押してでも仲間の救出に向かう。これは私たちの心理となんら変わりません」とリーンは語ります。

「彼らの玉砕も、戦局全体からみれば民族を絶滅から救おうとする自己犠牲であり、積極的な戦闘行動のひとつだったのです。けっして自滅や破壊に肯定的ではありません。そこまでして戦う必要はないと教えることが、私たちに課せられた義務だと思います」と続け、「滅ぼされるから抗わねばならなかった。彼らにあったのはそれだけです。私はただ、日本にいるのがそんな人たちだと認識していただきたいだけです。私たちと同じ、嬉しいときがあったら笑い、悲しいときに泣く、普通の人たちなんです」と司令官らにリーンは訴えます。

「われわれが丸腰で日本に上陸したとして、そこいらにいる未亡人が手榴弾を持って突撃してこないと、本当にいいきれるのか?刃物で襲いかかってくる可能性は?」という問いかけには首を横に振り、「彼らをまるで狂気の戦闘員のように見なし、接触は危険とばかりに過剰な警戒心を持ったことが、キスカ島でも悲劇につながりました。わが軍の兵士たちは互いに殺し合った。あれも8月15日でした。同じことを繰り返してはならないと思います」とリーンは答えていました。

史実に基づく小説の一場面です。実際にあったエピソードだろうと思いますが、どこまで占領政策のあり方に影響を与えたのかどうかは分かりません。ただ誤った情報や偏見は正しい「答え」を導き出すための障壁となります。そのような意味合いで、リーンの率直な意見具申や情報提供は無益な戦いを回避するための価値ある振る舞いだったはずです。さらにアメリカ軍の空襲や原爆投下は絶対許されない行為ですが、日本では女性や子どもも戦闘員という偏見が攻撃を正当化していた事実や悲劇は教訓化しなければなりません。

最近読み終えた『八月十五日に吹く風』の内容をもとに、ここまで書き進めてきました。蛇足になってしまうのかも知れませんが、史実をはじめ、本当に物事に対する見方や評価は人によって枝分かれしがちな一例を最後に紹介させていただきます。やはり最近読み終えた書籍『大直言』の中の一文です。自民党参院議員の青山繁晴さんと作家の百田尚樹さんの対談本で、百田さんの言葉をそのままご紹介します。

私も、無駄死にじゃなかったと思ってます。それはなぜかというと、戦後のアメリカ軍が日本に対して非常に厳しい政策をとりました。けれども、とことん苛烈な政策をとれなかったのは、神風特攻隊の影響があったと思います。もちろん、神風だけではなく、硫黄島の戦い、あるいは沖縄での地上戦、あるいはペリリュー島での戦い…こういう戦いで、日本軍はいざとなったら、とことん、みずからの命をなげうって、祖国のために戦うということが身に染みてわかった。

この精神をアメリカ軍は非常に恐れて、あるいは尊敬したと思います。ですから、戦後、日本は二つ、三つの国に分断されない、あるいは植民地化されなかった。この影響は、神風特攻隊に代表される、本当に命を捨てて戦った兵士たちがGHQを恐れさせたと思ってます。ですから、そういう意味では、無駄死にじゃなかったと思ってます。

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