2018年5月27日 (日)

組合民主主義について

連日、注目すべきニュースや話題がメディアから伝えられています。このブログにとって、いろいろな思いを託しながら新規記事につなげられる題材が目白押しの昨今だと言えます。ただ当ブログを続けている目的を踏まえた際、地味な話題となりますが、何よりも優先的に取り上げるべき話として今回の記事を書き進めることにしています。

とは言え、少しだけ最近、特に思いを強めている見方を紹介させていただきます。事実関係は一つなのでしょうが、関係者の主張が大きく食い違う場面が見受けられます。遠慮や忖度は必要なく、事実のみ語ろうとする言葉は重く、説得力を感じることができます。一方で、事実を知っていながら、事実とは異なる説明をしなければならない方々の言葉だった場合、「記憶がない、覚えがない」という曖昧な語尾が多くなりがちです。

そして、事実とは異なる説明を加えていることを自覚していながら、断定調に事実関係を否定される方も中にはいるのかも知れません。そのような場合、「覚えがない」という歯切れの悪い弁明をされている方々のほうが、まだ良心の欠片が残っているのだろうと想像しています。あえて具体例は示しませんが、いろいろ思い当たることが多い昨今なのではないでしょうか。

念のため、あらかじめ説明を加えさせていただきます。このブログの文章も「思っています」という語尾が多く、場合によって歯切れの悪い印象を与えてしまっています。インターネット上であるブログでの発言の重さを強く意識し、いつも言葉や表現を選んでいることは確かです。ただ「思っています」という語尾は多様な「答え」があることを自覚した上、あくまでも私自身の意見の表明であり、結論を押し付けるような関係性を避けるためのものです。

〇か×か、二者択一の問いかけに対し、〇でも×でもない「答え」を説明する時があります。このような時、はぐらかしているような印象を与えがちですが、決して何か遠慮や忖度が働いている訳ではありません。自分自身の判断として、〇や×だけでは答えられない設問内容だと理解し、正直な思いを答えた結果だと言えます。その上で、これまで〇を×に偽るような対応は一度もないことを強調させていただきます。

さて、このブログは組合員の皆さんに組合活動を身近に感じていただければと願いながら続けています。同時に不特定多数の皆さんからも公務員の組合活動を少しでも理解を得られればと願っています。逆に圧倒多数の方々から批判を受け、まったく理解を得られないような組合活動であれば、組合員の皆さんから共感を得ることなど程遠い話となります。仮にそのような場合、現状の組合活動のあり方や進め方などを率直に見直す機会につなげていかなければなりません。

前回記事「等身大の組合活動として」のコメント欄でも、複数の方から組合活動や私自身の対応への手厳しい批判や問いかけがありました。私自身や私どもの組合を特定して批判しているものではないという補足をいただく場合があります。下っ端さんからも「管理人さん個人を批判しているのではありません。公務員としてあるべき姿を、公務員皆さんに求めているだけです」という言葉が寄せられています。

ある程度、そのような関係性であることを私自身も理解し、公務員やその組合が共通して抱える問題点であるものと受けとめながら当ブログと向き合っているつもりです。それでも前回記事の中で「ここまで断定調に批判されてしまうと、見ている景色そのものが違うのではないかと考え始めています」と記し、下っ端さんの目にしている実際の事例が自治労に属する組合共通のものであるのかどうか確かめたいという気持ちを強めています。

最近の記事「JR東労組の組合員が大量脱退」の中で、私どもの組合活動の現状を説明していました。職場動員のあり方などJR東労組との違いを説明し、かつては私どもの組合も同じような強要する雰囲気があったことを記していました。特定の思想に関わる政治方針を公務員の組合が持つべきではないという主張であり、下っ端さんからすれば「見ている風景が違うのかどうかなど、どうでもいいです」という説明が加えられています。

しかし、事実関係を正確に共有していないのであれば、かみ合った議論から離れかねません。下っ端さんが「公務員である以上、常に、いかなる時も、景色など関係なく、公務員である必要があるのです。私達は」と記していましたが、私自身も公務員としての自覚と責任を持って職務を励行しています。組合活動においても公務員であるという自覚を忘れたことはありません。過信や勘違いで組合活動を進めていないため、政治方針を掲げていることだけで強く批判され続けていることに違和感を抱いています。

このブログの中で、基本的な考え方や視点が異なっていた場合、同じ事象に接していても人によって評価が分かれがちなことを頻繁に指摘しています。一方で、偏った見方や情報だけでは望ましい「答え」を見出しづらく、多面的な情報に触れていくことの大切さを訴えてきています。したがって、もう少し批判の対象となっている具体的な事例を下っ端さんから示していただければ、より実りある議論につなげていけるのかも知れません。

いずれにしても「見ている景色そのものが違うのではないか」という私自身の言葉が、あっしまった!さんやnagiさんからは異論を排除するように理解されてしまったようですが、下っ端さんとの議論を強引に打ち切るような意図は一切ありません。もし私自身の問題として、もしくは私どもの組合の問題として、改めなければならないような具体例がある場合、率直に指摘していただければ幸いだと考えています。

個別の具体例は関係なく、オールorナッシングの総論的な問題として、平和や人権など政治方針を一切下ろすべきという指摘に集約される話だった場合、改めて今回の記事を通して説明を加えさせていただきます。前回記事のコメント欄に次のような選択肢での問いかけが寄せられていました。組合の政治活動の必要性や有益さを理解した上で反対している組合員には、どのように対応するかどうかという問いかけでした。

  1. 理解するまで説明を続ける。
  2. そのような組合員は無視する。
  3. 反対する組合員は追放する。
  4. 理解されない活動を撤回する。

今回も恐縮ながら私自身の「答え」は上記以外のものとなります。「1」に近いのかも知れませんが、「引き続き理解を求めていく」という「答え」です。結果的に理解いただくことは難しいのかも知れませんが、説明することを放棄するようでは「2」の無視に近い現状になりかねません。当たり前なことですが、政党や政治団体ではありませんので、政治的な方針に対する考え方が異なろうと組合員の追放や排除などあり得ません。

例えば自治体においても住民全員が賛同していなくても、原発再稼働や住基ネット接続などを拒むという政治的な判断を首長らが下すケースもあります。そのような場合、自治体の方針に反対する住民も転出することなく、住民税を納めています。不本意であっても選挙を経て担っている首長や議員の判断に委ねるという関係性があるからです。そのような自治体の方針が住民の多くから支持を失うようであれば、次の選挙で首長らが代わり、政策判断も変わっていくことになるはずです。

少数意見の尊重についてですが、下っ端さんから「野党の意見を聞かず、自民党が数の力で強行採決することは、民主主義の冒涜」という激しい言葉で批判していたという指摘を受けています。この言葉も私あてなのかどうか分かりませんが、私自身は国会での強行採決に関して「安保関連法案が衆院通過」や「民進党に望むこと」などを通して綴ったとおりの問題意識を示しています。強引さを批判した記述は残していますが、決して「民主主義の冒涜」だと批判したことはありません。

多数決は少数意見が排除されるシステムですが、どうしても結論を出さなければならない時に行なう民主主義の一つの形だと考えています。重要な点は多数派が少数意見にも耳を傾け、必要な見直しをはかりながら合意形成をはかることです。採決しなければならない時も、採決すること自体は反対しないという理解を少数派から得ることも大切です。方針が決まった後も、多数派は少数派の意見を意識しながら対応していくことも欠かせません。

選挙で信任された議席数による多数決だけが民主主義ではなく、上記のような少数意見の尊重も民主主義の大事な点だと言えます。なお、少数意見があるからと言って、決まっている方針や活動を保留することが少数意見の尊重ではありません。100%の総意は容易ではなく、一定の活動が必要な組織の構成員にとって認めざるを得ない関係性だろうと理解しています。

その際、日常的な活動を進める上で「少数意見の抹殺」などと思われないような配慮が求められています。組合の政治活動の話に焦点化した場合、組合員の政治意識の多様化を踏まえ、組織として決まった方針だから「従うのが当たり前」という強要は避けるべきものと考えています。さらに強要と受けとめられるような手法や雰囲気にも留意しなければなりません。組合方針を堂々と批判する組合員を異端視しないことも大切です。

自分自身、長く組合役員を担う中で一定の政治活動の必要性を認めてきています。その上で、特に執行委員長になってから上記のような問題意識のもとに組合員の皆さんと接しています。「改憲に反対しよう」という結論の押し付けではなく、「なぜ、反対するのか」という理由の説明を重視してきています。ちなみに私自身の発する「丁寧に」は、様々な異論があることを尊重した上で、粘り強く説明を重ねていく関係性を意識した言葉です。

政治課題に関する集会参加の呼びかけも組合ニュースを中心としながら個々の組合員の意思を尊重し、職場割当の動員要請は行なっていません。単組としての動員力の弱さを自治労都本部からお叱りを受けたとしても、持続可能な等身大の組合活動として重視している心構えです。このような「答え」もナッシングを主張されている下っ端さんを納得させるものではないはずです。

「労働組合が政治活動に関与することは歴史的にも国際的にもスタンダートな姿だと言えます」と記しました。その言葉に対し、下っ端さんからは「集団的自衛権を保持することは、歴史的にも国際的にもスタンダートな国家の姿だと言えますよね。では、政治活動同様、集団的自衛権も憲法にしっかりと明記しましょうよ。まさか、こっちはいいけどこっちはダメなんて、そんなご都合主義な考えはお持ちじゃないですよね?」という問いかけがありました。

日本国憲法は「集団的自衛権は認めない」という解釈のもと、ご指摘のとおり国際的なスタンダードな姿とは一線を画していました。その「特別さ」を私自身は望ましいものだと考えているため、解釈で容認した安保関連法は非常に問題だと思っています。もし多くの国民が国際的にはスタンダートな姿を望むのであれば、真正面から国民投票に付すべきという考えでもありました。改められる手段がある限り、将来にわたって現状を固定できるものではありません。

組合の政治活動も同様です。私は自分自身の信じている「答え」のもと私どもの組合活動に対して責任を果たしていきます。ぜひ、下っ端さんもその強い問題意識のもとご自身の所属する組合の中で変革に向けた力を発揮していただければと考えています。この言葉を添える際、注意しなければならないことがあります。下っ端さんの今後のコメント投稿を自制させるような意図は一切ありません。

自治労に関係する多くの方々もご覧いただいているはずのブログですので、下っ端さんの発信する主張が意義あるものとなっていく可能性もあります。私自身、幅広い意見や異論を歓迎している立場ですので、下っ端さんからのコメントが減るようでは残念なことです。ただ強調したい点として、現実の場面の変化を求めていく場合、自分の足元から試みていくことが近道なのだろうと思っています。

そもそも当ブログを通し、下っ端さんの主張を全面的に私自身が賛同したとしても、すぐ組合方針を変えられる訳ではありません。執行委員会で議論し、大胆な方針変更の議案を準備し、定期大会で確認を得られた時に変えられる運びとなります。あっしまった!さんからご理解いただいているようですが、仮に執行委員長の一存で重要な方針が変わってしまうようでは組合民主主義から程遠い姿だと言えます。

「そこまで、する気がない」というお考えかも知れません。それでも組合役員の担い手不足の問題と絡みながら、多様な政治意識を持つ組合員の皆さんの執行部への参画は非常に重要な問題となっていくはずです。万が一、それこそ特定の政治的な考え方を重視する組合役員ばかりの執行部体制になった場合、組合員の皆さんとの意識の乖離がますます広がっていきかねません。外形的に組合民主主義が担保されていたとしても、望ましい組合組織とは言えないような気がしています。

思った以上に長い記事となりました。それでも前回記事のコメント欄に寄せられた問いかけなどに対し、すべて網羅できていないはずです。単発で終わるブログではありませんので、不足した点は次回以降の記事で補っていければと考えています。最後に、「コトバンク」に掲げられていた「組合民主主義」という言葉の説明を紹介し、今回の記事を終わらせていただきます。

労働組合を民主主義的に運営する原則。労働組合運動における組織原則の一つで、組合幹部の独善主義的、官僚主義的な組織運営に対する概念として用いられる。労働組合は、思想、信条を異にする広範な労働者が自らの要求に基づいて団結し闘争する大衆組織である。したがって、労働組合が資本家ないしは使用者に対抗し、自らの経済的・社会的地位の向上を図るためには、組合員の強固な意思統一と団結を最大限に確保することが不可欠である。

そのためには組合の組織運営が組合員全体の意思を反映し、その行動が民主主義的な手続を経て決定する組合民主主義の原則が確立されていなければならない。現行の労働組合法(昭和24年法律174号)が役員選挙、同盟罷業、規約改正について組合員の全員投票を労働組合規約に明記することを義務づけている(5条)のも、組合民主主義を法律によって確保しようとしたことにほかならない。

組合民主主義を確立するためには、労働組合は少なくとも、(1)使用者や政党など政治団体の組合への干渉を排除し、大衆組織としての自主性を確立していること、(2)すべての組合員が労働者としての民主的権利のほか、組合活動全般に実質的かつ平等に参加できる権利が保障されていること、(3)組合組織を日常的に動く組織にし、幹部闘争から大衆闘争への原則を確立していること、などの条件を満たしていなければならない。

決定に際して少数グループの意見が多数グループによって絶えず否定されることは組織分裂に通ずるおそれがあるため、単純多数決によらず各層の意見を反映するよう、議決方法や代表者数が配慮されている。このような組織運営のあり方を組合民主主義と呼んでいる。選任された役員は執行委員会を形成し、組合員代表からなる中央委員会あるいは代議員会にはかりながら業務を遂行する。

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