2016年12月 4日 (日)

SNSが普及した結果…

前回の記事「年金改革関連法案を巡る論点」に対し、あっしまった!さんから熱いコメントを多数いただきました。先週の時点で私から「私自身も民進党が行なうことは”善”で、今の与党が行なうことは”悪”という立場で物事を論じないように極力注意しています」とお答えし、前回記事の最後のほうで「最終的には財源の問題に…」以下の問題意識に繋がっていることをお伝えしていました。

最後の最後に政権与党批判を基本的な立ち位置にした『日刊ゲンダイ』の記事を参考までに掲げていたため、結局は安倍政権批判のブログ記事という印象を閲覧された皆さんに強く与えてしまったかも知れません。私自身、以前の記事「消費税引き上げの問題」の中で綴っているとおり社会保障の維持・充実のために一定の負担増はやむを得ないという考え方です。

年金制度で言えば、2004年の法改正で将来にわたって制度を持続できるように年金財政のフレームワークを導入しています。少子高齢化が進行しても財源の範囲内で給付費を賄えるように年金額の価値を自動調整する仕組み(マクロ経済スライド)の導入です。財源の確保が不充分なままだった場合、このような仕組みも否定できず、状況によって年金額が下がることもやむを得ないものと考えています。

政権を担った民主党、ほぼ看板の付け替えに過ぎないと見られている民進党に対し、失望感や嫌悪感を高めている方々が多いことを承知しています。決して民進党だけを肩入れしたブログ記事ではないつもりですが、安倍政権を批判した記述が含まれると前述したような印象を与えてしまうようです。インターネットは不特定多数の方々に情報や主張を発信できる利点があるため、このブログでは多面的な見方を意識的に紹介するスタンスを重視しています。

いわゆる左や右の立場にとらわれず、幅広く多様な情報や発想に触れた上で物事を評価していくことが重要です。そのような関係性の中で、このブログが少しでも皆さんのお役に立てれば幸いだと願いながら投稿を続けています。ただ私自身の考え方や立場は明らかにしているため、どうしても特定の組織や政党の「プロパガンダ」記事のように見られてしまう傾向も否めません。

もちろん私自身が正しいと信じている「答え」に対し、支持してくださる方が増えることを期待し、良い意味で「なるほど、そのような見方もあったのか」と思っていただける方が一人でも多くなることを願っています。とは言え、このブログを長く続ける中で、基本的な視点や立場が異なる方々との「溝」を埋めることの難しさも痛感しています。そのため、分かり合えなくてもいろいろな「答え」を認め合うことの大切さに思いを巡らすようになっています。

おかげ様でコメント欄常連の皆さんからは上記のような関係性についてご理解いただき、理性的で節度を保った場になっていることをいつも感謝しています。いずれしてにも当ブログを通して私自身が発信した内容は、あくまでも閲覧されている方々が、どのように感じ、共感するのか、反発するのか、個々人の判断や評価に委ねていく関係性だろうと考えています。当たり前なことですが、前述したような期待感を託しながらも「正しさ」を押し付けるような意図は一切ありません。

以上のような意味合いを踏まえ、前回の記事の中でも参考サイトとして民進党衆院議員である玉木雄一郎さんのBLOGOSに掲げられた記事『「年金カット法案」で、国民年金は年4万円、厚生年金は年14万円減る?』と東洋経済オンラインの記事『民進党の「年金カット法案批判」は見当違いだ 将来世代の給付底上げへ、冷静に議論すべき』を並列に紹介していました。多面的な主張や情報に耳を傾けた上、それぞれの立場に関わらず拙速な決め付けを避けていく心構えが大切なのだろうと思っています。

実は今回の記事、先週水曜の夜に連合地区協議会が催した『働き方改革を考える』という労働学習会の内容を取り上げるつもりでした。前置きとして書き進めた内容が思った以上に膨らんでしまい、途中で記事タイトルを変更していました。労働学習会については次回以降の記事で取り上げる予定とし、途中から「SNSが普及した結果…」という話でまとめることにしました。

今回の題材も機会を見て当ブログで取り上げてみようと温めていたものです。少し前の『週刊金曜日』に掲載された法政大学総長の田中優子さんの「安心するための『金曜日』?」というコラムが目に留まっていました。「SNSが普及した結果、人は自分と同じ
意見や感性にしかアクセスしなくなった。異なる立場の人々の意見と接する機会がなくなり、人々は極端な意見をもつようになっている」という話からコラムは始まります。

「実際、テレビなどのマスメディアではさまざまな立場の人が出てきて主張するので、聞きたくなくともそれを耳にする。新聞を隅から隅まで読めば、やはり異なる意見も読むことになる。しかしインターネット上では読むものを自分で選ぶことができるので、安心できる同じ意見しか読まなくなるのである。本来、インターネットの効用は多様なデータを入手できる点であった。異なる意見に頭を悩まし、データ解釈に時間をかける。それを怠ったとたん、人はものを考えなくなる」と続きます。

田中さんの問題提起は「本誌のような明確な媒体にも起こることだ。媒体を、自分の考えの補強にのみ使っていないだろうか? 媒体の側も、固定読者の賛同を求めて、それが得られるような内容にしていないだろうか? SNS社会だからこそ、多様な主張とデータをめぐって論争の場となる媒体が必要だ」というものです。私自身、インターネットの普及は幅広く詳しい情報を手軽に素早くコストをかけずに入手できるため、大多数の方が「異なる立場の人々の意見と接する機会が増えている」傾向にあるものと見ていました。

自分自身がそうであったため、SNSの普及が真逆の流れを生み出しているという田中さんのコラムの内容は意外なものでした。一方で田中さんと同様、多様な主張とデータをもとに率直な意見を交わせる機会が非常に大事なことだと考えているため、この記事の冒頭に記したような私なりの問題意識を改めて掲げさせていただきました。これからも当ブログが異なる意見の方々同士の接点になれることを願いながら、田中さんがコラムの最後に残した言葉を紹介させていただきます。

敵をひとつにまとめて攻撃するのは気持ち良いかもしれないが、実はひとつではない。ものごとを単純化してイデオロギーで説明するとわかりやすいが、世界は本当は複雑だ。その複雑さのまま、そこからより良いものを見分ける分別が、多様性とともに欲しい。今必要なのは、思考の隘路に入り込まない柔らかさだろう。日本の債務は今後も膨れ上がる。大震災もやってくる。人口も減る。ほんものの豊かさを選ぶ知性を備えなければならない。

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